婚約破棄? ええ、しますわよ? こちらから。
他作品の展開やら色々と考えていたら煮詰まったので、頭を休めようと軽いお話を書いてみました。
気軽にお読みください。
広々とした庭園に、若い女性達の密やか且つ上品でありながら明るい笑い声が、風とともに吹き抜ける。
現在、バークレイ公爵家の庭園にて、第一王子の婚約者であるバークレイ公爵令嬢セシリア、宰相侯爵の長男の婚約者であるホーネス伯爵令嬢ミリアム、騎士団長の任に着く辺境伯の長男の婚約者であるテイルズ伯爵令嬢シルビアの三人が、和やかに談笑しながらのお茶会中である。
給仕の役目の侍女や従僕も人払いをして、高貴なご令嬢方が手ずからお茶を淹れて茶菓子を互いに取り分けている。
セシリア、ミリアム、シルビアの三人は同い年の幼馴染みであり、幼い時分から協力して難局を乗り越えてきた戦友でもあった。彼女達には共通点があるからだ。
三人の婚約者達は皆、身分が高い。そして各家の長男である。
しかし、彼らには「母親が溺愛して甘やかすことで、色々と足りない男性に成長してしまうかもしれない」という懸念があった。
王妃も宰相侯爵の夫人も騎士団長夫人も、息子が生まれた時から息子の言動を全肯定で甘やかしている。
それぞれの父親が厳しいことで今のところ大きな問題は起こしていないが、王妃は大国の元姫君、宰相侯爵の夫人は元公爵令嬢であり、騎士団長夫人は自国の王女が降嫁しているために、夫達は妻の息子への甘やかしを厳しく咎めることが出来ないのだ。
三人が彼らの婚約者として選ばれたのは、王命である。
三人の婚約者の男性達は、誰も救いようの無いほどの愚か者とまでは言えない。
それぞれ超一流の教育係や家庭教師が付いているのだから、当然とも言えるが、各々表面だけをなぞれば素晴らしい王子様であり貴公子だ。
ただし、彼らの体面が保てているのは、陰で支えている婚約者の令嬢達の功績が大きい。彼らがそれに気付くことは、一度も無かったが。
「いよいよ明日ですわね」
日差しに透ける白金の巻毛に紫色の布で拵えた薔薇を飾った令嬢、セシリアが嬉しそうに二人の戦友に語りかける。
「ええ。準備万端らしいですわよ? こちらもなのですけれど」
くすくすと小さく笑い声を零して、青銀の髪を結い上げ紫紺のリボンでまとめた令嬢、ミリアムが頷く。
「必要な書類も証拠も提出済みですし、それぞれ専門機関からの認可もいただいておりますわ。こちらは」
マホガニー色の艷やかな髪を片側に編み込んで濃いアメジストの髪飾りで留めた令嬢、シルビアも応じる。
彼女達は、明日、王城で開催される建国祭のパーティーで、婚約者達が彼女達に婚約破棄を突きつけることを知っていた。
二年前、彼女達の婚約者の前に、『辺境の田舎の村で生まれ育った、突然光魔法の才能が発現した娘』という少女が現れた。
胡散臭いことこの上ないのだが、少女が稀有な光魔法の使い手であり、魔力量も貴族と遜色ないほど高いことは事実だ。
平民に高い魔力を持つ者はほとんど生まれず、生まれたとしても大抵は都会の話となる。
何故なら、魔力を持つことは貴族の血が多少なりとも入っていることの証明だからだ。都会を離れた僻地の村に、貴族が立ち寄ることは、ほぼ無い。立ち寄らねば貴族の種が落ちることも無いのだ。
しかし、辺境の田舎で生まれ育ったという触れ込みの件の少女は、直系貴族並の魔力量を有し、貴族だけが通う魔法学園に編入しても浮かないほどに容姿も貴族的に美しい。
その違和感を怪しむ程度の頭は持っていてほしかったと、セシリア達は婚約者に思った。もう、手遅れである。
彼女達の婚約者の男性達は、その少女に傾倒し、侍ることに喜びを感じ、王族や高位貴族でありながら、田舎出身の平民という触れ込みの少女の下僕に成り下がっている。
ねだられた物は何でも差し出して与え、願いは持てる力の全てを使ってでも叶え、少女の言葉を疑う時間は一瞬とて用意しない。
ミリアムとシルビアの婚約者は、家から婚約者に使う費用として渡されている財を本来の婚約者に使うことを止めて少女に貢ぎ、同様の振る舞いをするセシリアの婚約者は王子であるため、公費を少女に貢ぐという最悪な形態となってしまっている。王子が王子妃となる婚約者に使う費用は国庫から出されている公費だ。
少女が現れてすぐに、第一王子も宰相侯爵の長男も騎士団長の長男も、少女に夢中になってしまった。
右も左も分からない貴族ばかりの学園に編入した、田舎の村から出たことも無い平民の少女が、編入してすぐに第一王子と宰相侯爵の長男と騎士団長の長男に近寄って声をかける不自然さを、彼らは警戒しなかったらしい。
当然、婚約者である彼女達は、今までと同じように彼らを見守りながら忠言し、取り返しのつかない愚行に走らぬよう、彼らの怪しい動きは事前に抑え込み、後のフォローで取り繕えるやらかしについては戦友同士で連携しながら陰で奔走した。
二年間、今までと同じように、ずっとそうして来たが、とうとう彼らが少女のために婚約破棄を目論んだことで、見切りをつけ匙を投げた。
彼女達が王命で彼らの婚約者となってからの、彼らへの忠言とその結果、そして、彼らを支え、後からフォローと言う名の尻拭いを山ほどやって来た実績は、高く積み上がっている。
王命による婚約が結ばれた際、流石に幼い内から優秀と名高かった高位の貴族令嬢を三人も無駄死にさせるような契約を結ぶことは、国王といえど出来なかった。
彼女達の婚約の契約には、彼女達が一切手を抜かず全力を以って彼らを支えても、彼らが誠実に応えることが能力的にも人格的にも不可能と認められた場合、彼女達の側から婚約を破棄する権利が与えられていた。
その権利は、今朝、無事に行使することが出来た。
彼女達は、既に彼らからは自由である。だから正確には第一王子達は彼女達の「元婚約者」だ。
彼らが明日、建国祭のパーティーで婚約破棄を宣言するまでは公言しないよう国王から指示されているため、一応まだ彼女達は第一王子らの婚約者として振る舞ってはいるが。
「それにしても、何故一つも疑問を持たなかったのかしらね」
ミリアムが首を傾げる。
高度な教育を受けた王子と高位貴族令息なのだ。ハニートラップに関する注意事項の学習もあった筈だ。
「本当に田舎の村で生まれ育っていて、あの言葉遣いの人間が出来上がるわけがありませんのに」
「そうなのよね。わたくし達には『令嬢言葉はお高くとまっているようで気に食わない』と仰っておりましたけど、あの方の言葉遣いは淑女教育を受ける前の貴族の幼い少女のものよね」
「ええ。『村育ちの平民らしい素朴な言葉遣いが愛しい』と仰ってましたわねぇ。貴族生まれの幼い少女のようにお話になるローゼ様のことを」
ローゼとは、王子達が夢中になっている少女の名前だ。
名前からして、薔薇が国花であるこの国では、薔薇を表す名前は王族に近い女性しか名乗ってはならないのだが、王族に入る予定の女性ならば、その限りではない。
辺境の村人が一生村から出なければ知らずとも責められることは無いかもしれないが、『光魔法が突然発現した少女』を村から外に連れ出して王都に連れて来た世話人が、その国法を知らなかったとは考えられない。
王城が聳える王都に連れ出し、王族も通う貴族ばかりの魔法学園に編入させるのだから、少女が本当に「ローゼ」という名を親から付けられていたとしても、他意が無ければ名乗らせてはいけなかった。
ローゼと名乗った少女が、自国の王族の落し胤ではないことは調べがついている。その上で「ローゼ」と名乗ることを許しているのなら、少女を王族に迎え入れる意向があるという意味に捉えられてしまうのだ。
だが、第一王子も、国政の中枢を担う宰相の長男も、国の法と秩序を守る騎士団の団長の長男も、少女が「ローゼ」と名乗ったことを受け入れ、親しくその名を呼んでいる。
「名乗りにまるで引っ掛かりを覚えていなかったことも吃驚いたしましたけれど、一人称もスルーでしたわねぇ」
「辺境の田舎の村で生まれ育った娘に訛りが一切ないことに、普通なら気が付きそうなものですけど」
「王都の下町の言葉ですらありませんわよね。一人称が『わたし』ですもの」
「王都の下町の平民女性なら、訛りは無くとも一人称は『あたし』ですし、訛りの強い田舎の村ならば女性でも一人称は『おれ』ですわよ」
「それに、『感情が豊かでくるくると変わる自然な表情が好ましい。貴族令嬢の作った顔はうんざりだ』と仰っておりましたけれど、ローゼ様の表情を『自然』と仰る意味が、わたくしには理解出来ませんでしたわ」
「そうなのよねぇ。あの方が男性の理想を作って演じていることに気付かないのは、高い身分の男性としては危ういですわね。二年もの間、どのような状況においてもほつれの無い完璧な『男性の理想とする少女像』が維持されている不自然さは、気付けなければ後顧の憂いを断つために幽閉か身分剥奪になりかねませんもの」
王族や高位貴族の男性が、少し注意して観察していれば素人でも気付く不自然さを見逃し、易易とハニートラップに陥るようでは国が危機に瀕することになる。
ならば、閉じ込めて自由を奪ってしまうか、決定権を持つような身分を取り上げなければ、国主としても安心出来ない。国王も、このままでは第一王子の処遇は厳しいものにせざるを得ず、王妃の説得に頭を悩ませていた。
「感情が豊かでもヒステリーを起こすことは無く、大声を出すことも無い。嘆く時は、お化粧の崩れない涙を静かに流し、洟は出ませんのよね。幼女のように泣きながら目許を手や袖で擦るのに、お化粧は崩れず剥げませんのよ。一流の技術ですわ」
「淑女教育を修了した貴婦人でも、その域に達している方はそうそうおりませんのよ?」
「怒っても唇を尖らせて少しだけ頬を膨らませ、上目遣いに拗ねるだけ。悲しみは一流の技術の涙で表し、喜びの表現は貴族の幼女のような、上品でも幼く屈託の無い笑顔と笑い声。驚けば悲鳴は『きゃっ』と可愛らしい小声。不意に暴漢に襲われても叫び声を上げることなく『きゃっ』ですのよ?」
「城下に人気の大衆向け劇団で活躍中の、『魅力的な女の子を書かせたら王国一』と称される男性脚本家の方が居るのですが、その方が描く『男の理想を詰め込んだ美少女』みたいですわ」
「あら、劇中にローゼ様のような女の子が出て来るの?」
「ええ。天真爛漫、明るく元気、笑顔がトレードマーク、なのですが、決して感情のままに怒ったり泣いたりはせず、見苦しい表情や聞き苦しい声は出しませんの。笑い声も鈴を転がすように、小鳥のさえずりのように。笑顔は片手の指先で隠れる程度なら口を開けますけれど、歯は見せませんわ」
「まあ、本当にローゼ様みたいね。あの方、どのような場面でも男性が嫌うような甲高い声は出しませんもの。悲鳴でも笑い声でも。何か面白いことがあって堪えきれずに吹き出す時には、指先を口許に添えて『くすっ』か『ふふっ』ですもの」
「鈴を転がすような発声も、小鳥のさえずりのような発声も、淑女教育で厳しく教えられて身につけるのですけどね。そのような声でも発言内容をきちんと伝えたい相手に伝えるというのは、高度な技術ですのに」
「そうよねぇ。ローゼ様の身についている技術って、最早『教育』ではなく『訓練』のレベルでなければ持てない技術よねぇ」
それだけの『女性としての技術』を若くして身につけているのだから、彼女達としては、ローゼが王国への害意さえ持っていなければ、元婚約者達の誰の正妻になっても不足は無いのではないかと考えている。
あの魔力量なのだから、血筋は必ず何処かの貴族のものだ。その上、稀有な光魔法の使い手でもある。身体検査で問題が出なければ、王国で囲ってしまうのも一案ではないだろうか。
彼女達は、自分達が高い能力を有する努力家であるために、有能な人間を好む傾向にあった。多少の罪ならば能力と今後の働きで相殺すれば良いとすら考えている。
実力のある人間は一朝一夕では作り上げることは出来ず、一定期間の中では有限なのだ。ローゼの能力は、彼女達から見て、処分するには惜しかった。
「美容術も一流ですものね」
「そうなのよ。『田舎育ちで健康だから特別に金や手をかけずとも素が美しい』なんて寝言を仰ってましたけど、有りえませんわ」
「本当に、寝言ですこと。ローゼ様の髪と肌の艶は財政的に豊かな侯爵家以上の令嬢か御婦人と同等ですわ。自然に出る艶ではございません。美容を専任する侍女が高価な化粧品を髪にも肌にも惜しみなく使用し、時間をかけて手入れをすることでようやく手に入るものですわ」
「爪の先までケアされてますわよね。あの手に違和感を覚えないことが、本当に不思議ですのよ。田舎の村で生まれ育った平民の娘が、村を出て一ヶ月も経たずに貴族令嬢と変わらない綺麗な手で握手を求める異常さに、どうして気付かなかったのかしら」
「手の甲さえ日焼け一つしていませんのよ? 男性は綺麗な肌を求めますけれど、日焼けの痕一つ無い肌と太陽の下を元気に駆け回る女の子は、現実では両立しませんわ」
「脚本家が描く虚構の少女、ですわよねぇ。『素のままの爪が愛らしい』とか『香料なんて臭いものに金を浪費する貴族の女は醜悪だ』とも仰ってましたわ。節穴ですわねぇ」
「ローゼ様の爪は短く整えられて色は塗られておりませんが、手肌と指先と爪をそれぞれ異なる専用クリームでケアした後で、爪美容専任の侍女が貴石を素材に錬金術で造り出された最高級の爪ヤスリで形を整え、幻獣の皮を鞣した磨き布で丹念に磨いてパールのような輝きを出してますのよ。そんな贅沢なお手入れ、ローゼ様の他には我が国では王妃様でもなければ続けられませんわ」
「ローゼ様が毎日まとっている花の香油は、一般的な貴族女性が普段遣い出来る香水の何十倍も高価なのよね。あれ、『虹色ユリ』の香油でしょう? 時間と体温で変化していく香りが全て絶妙に芳しく、使用者の年齢性別シーンを問わないけれど、原料が危険地域でしか採取出来ないことで稀少価値も高く、とても高価なのよね」
「虹色ユリの香油なんて、財力のある家の御婦人や令嬢だって、当主から使用許可が出るのは、王族との謁見や特別なパーティー、人生の節目の儀式の日にくらいよ。二年間毎日使うなら、かかる費用は田舎に大きなお城が買えるくらいかしら」
「どうしてローゼ様の美容に、お金も手もかかっていないと思えるのかしら。学園に編入した時には既に今のように完成されていましたけれど。どこの田舎の村の平民が、娘に一国の王妃様と同等の費用が必要な美容を子供の頃から毎日施すと言うのかしらね」
「美容は積み重ねですものねぇ。村を出てから数日間で、あの姿が完成するわけがありませんわ。立ち居振る舞いもね」
立ち居振る舞いに話題が及んだことで、三人の間に、それぞれの元婚約者を思い出して呆れた気配の沈黙が降りた。
「たしか、『ローゼは口頭で教えただけで完璧なカーテシーを覚えたぞ』でしたかしら?」
「ええ、とても得意気にお知らせくださいましたけれど、あれは教えて覚えたのではなく、元から完璧に身についていたのでしょう」
「そうよね。普段から抜かりなく洗練された動きが出来ていますもの。半刻も見ていれば分かりますわ。あの足運び、指先まで意識の通った滑らかな所作。優雅さや華やかさを意図的に出さないよう控えているだけで、どう見てもカーテシーくらい完璧に出来る女性の動きですわ」
「あの動きを身近で長い時間、視界に収めておきながら、どうして平民だと信じて疑わないのかしら。一般的な貴族女性よりハイレベルな動き方ですのに」
「特に男性への配慮に長けているのよねぇ。男性が好ましく思わない、煩く感じるような動きは一切しませんもの。その代わり、愛でたくなる小動物のような動きを、煩わしくならない加減でタイミング良く露出しますの。職人ですわ」
「素晴らしいですわよねぇ。このような奇妙な出会いでなければ良き友になれそうですのに」
「そうよねぇ」
「ええ、本当に」
三人の意識は、既にどうでも良い元婚約者から、謎のハイスペック少女ローゼに移っていた。
「ローゼ様、誰を選ぶのかしら」
「ローゼ様は一人しかいないのよ? 三人揃ってわたくし達に婚約の破棄を宣言して、あぶれた二人はどうするつもりなのかしら? その辺りの調査結果は何故か王室の諜報員から報告を拒否されたの」
セシリアは、王子妃教育が終盤に入った頃からセシリアの権限で王室の諜報員を二名まで使う許可を国王から与えられている。
元婚約者の第一王子は、子供の頃から三名まで使用権限を所持している筈だが、ローゼを調べたことは一度も無いようだ。出処不明の潤沢な資金を美容に注ぎ込み、一流の腕を持つ使用人を数多く抱えて傅かれる私生活など、隠す気も無いのか、セシリアが諜報員を使った一度目の調査で判明したのだが。
「王室の諜報員がセシリア様に報告を拒否ですか? 思い当たることが無くはないのですが」
「あら、シルビア様、何かお分かりになるの?」
「あくまでも噂話の域を出ませんわよ? おそらく、諜報員がセシリア様への報告を拒否したのは、未婚女性の耳に入れるには躊躇ってしまう内容だったからではないかと」
「わたくし、それなりに耳年増でしてよ?」
コテンと首を傾げるセシリアに、シルビアは「この上品なご令嬢に聞かせても本当に良いのだろうか」と逡巡したが、現状把握のためには仕方がないと、耳汚しな噂を口にした。
耳汚しな噂の情報源は、騎士団長の長男の婚約者として騎士団の訓練に参加した時の女性騎士達だ。
「信じられない話ですが、三人でローゼ様を共有するのだと、男性三人の方では話がついているのだそうです」
「・・・・・・え?」
王子妃教育を乗り切ったセシリアでさえ反応が遅れ、ミリアムは凍りついたようにティーカップを片手に固まっている。
この噂話を教えてくれた女性騎士達が、自国の王族と高位貴族の令息だと言うのに、汚物扱いをして散々に彼らを扱き下ろしていたことをシルビアは思い出していた。
復活が早かったのは、やはりセシリアだった。気を取り直すように、軽く咳払いをして話し始める。
「王族男性は、たとえ妃の位を与えない愛妾だとしても、王家の血が諍いを引き起こすことを避けるために、他の男性の種が王族男性が手を付けた女性の胎に入る可能性を排除しなければならないのよ。娼婦を買う時でさえ報告が必要で管理されるわ」
この国では王族男性が娼館で娼婦を買う場合、事前に申請が必要だ。
買うことが可能なのは、確実に妊娠していないことが判明していて、その判定後に一度も客を取っていないことが証明できる娼婦だけ。店や娼婦がそれらを偽れば大罪だ。
王族男性が気に入った娼婦は、期間買い上げを店に申し入れ、期間中の料金を前払いで支払って他の客を取らないように隔離し、王室から監視を兼ねた世話人が派遣されて生活の管理をするほど徹底している。
だから、第一王子が好意を持った女性を他の貴族男性と「三人で共有」などと言い出すのは狂気の沙汰としか言えない。
「恋は人を狂わせると言うけれど、そこまでとは・・・」
セシリアは溜め息をつき、溜め息をついたことで、「元婚約者がそんなことを言う筈が無い」という意見が自分の中から一分も出て来なかった事実に気付き、落胆した。
噂話の域を出ていない話でも、「彼らならば言いそうだ」と納得してしまったから出た溜め息だった。
幼い頃からの積み重ねで、元婚約者に対して臣下としての情はあっても、信頼と信用の無さも、忠言と尻拭いをした年月分、積み重なっているのだ。
「最後まで気付きませんでしたものね。ご自分が第一王子であって、王太子ではないということに」
最初のところから、肝心なところに気付いていなかったセシリアの元婚約者。
それは、ミリアムやシルビアの元婚約者も同じだった。
「宰相職は世襲ではありませんのに、お気づきでいらっしゃらない方もおりますもの。ご自分が『嫡男』ではなく『長男』と紹介される意味も」
「同じく。騎士団長は世襲の役職ではなく実力ですのに。辺境伯家も実力主義で長子相続制ではありませんわ」
この国は正妻が生んだ長男が後継者となる事例が多いが、それは法で決められたことではない。
正妻が生んだ長男だから後継者となる将来が保証されているわけではないのだ。
この国で「嫡男」と言えば、当主から後継者として指名され認められた、正妻の生んだ男子を指す。
だから、次男や三男が「嫡男」と呼ばれる家もある。
特に実力主義の辺境伯家などは、長男がすんなり家督を相続した代の方が少ないくらいだ。
多くの平穏な家では、長男をわざわざ嫡男と言い換えなくとも、長男が妻を迎えて子が生まれた辺りで当主が長男に家督を譲る宣言をして、長男が嫡男と呼ばれた当日には家を継いでいるので、何もしなくても家督は転がり込んでくると思い込んでいる長男は少なくない。
それでも、足元を掬われれば国家にまで被害を及ぼしかねない高位の貴族は、資質に欠ける後継者を据えることはしない。
家庭内で妻に頭が上がらなくても、国を憂えば、妻が溺愛する息子を「長男」という理由だけで、大きな権力と財力を振るえる地位になど着けられない。
セシリア達三人は、婚約者の令嬢達の力量込でもいいからと、彼らが各家の後継者たり得るのかを、最も近くでサポートしながら観察し続け、最終的に判断を下す試験官でもあった。
それが、婚約の契約書には記述されていない王命の内容だ。彼女達の親ですら知らない。
「試験、御三方とも落ちてしまいましたわね」
「最初の最初で躓いておりますもの。それとなくヒントは折りに触れ差し上げていたのですけれど」
「そこだけは、自分で気付かなければ意味がないから教えてはならないと、王命でしたものね。ヒントも直接的なものは与えてはならないと」
「明日、御三方とも意気揚々とパーティーにいらっしゃるのでしょうね」
「ええ。婚約破棄を突きつける予定の婚約者はエスコートせずに、三人でローゼ様をエスコートなさって」
「天国から地獄、でしょうね」
ふふふ、クスクス、嫋やかな令嬢達の笑い声が青く澄んだ空に昇っていく。
和やかで楽しげなお茶会の風景は、話の内容の不穏さを気取らせない。
明日のパーティーを楽しみに、麗しき令嬢達は、親しい戦友との軍議にも似たお茶会をお開きにした。