第21話 鏡(2)
もう風は使えない? その言葉に違和感を覚える。
白は魔法を使えない。精霊と契約しなければ、風を操れるはずがない。
しかし、先程の攻防で何度かマルドゥクを助けるように風が吹いていた。特に最後の突風は偶然とは思えないタイミングと強さだった。
子供の力で大人に対抗するには工夫が必要だ。ライアンとの模擬戦を再現できるだけの威力を出すために、斬撃飛ばしに風の力を乗せたのか。いや、言葉通りなら、斧と比べれば小さい武器で攻撃を受ける私がケガをしないための気遣いということになる。
私の頭上を飛び越すために跳躍したときも、上昇気流のように風が吹き上げていた。相手の武器を足場にできない分を風で補ったのだ。
「待て。お前、風の精霊と契約を――」
抱いた違和感に対して導き出した答えを口に出そうとして、途中で気が付く。風の精霊との契約なら途中で使えなくなったりしないだろう。
「風の精霊さんと契約できたわけじゃないんだ。ハンノキの木刀に宿ってた力で、風の精霊さんの力を貸してもらえてただけ」
言いかけて止めてしまった言葉にも、平静な声で返事が返ってきた。
その言葉が本当なら、あの木刀さえ持っていれば、マルドゥクは精霊と契約をしていると申告して生き残ることもできただろう。
切り札を失ったというのに落ち着いた様子で、希望を捨てていないことがうかがえる。まっすぐに私を見つめる瞳は、静かな水を湛える湖面のようで、私の中で燻っていた願いを鏡のように映し出す。
死んで欲しいなんて思っていない。大人になって幸せな人生を送って欲しい。
でも、またも大切な人を助けられずに見送るしかない未来が思い浮んできて、耐えられなかった。かすかな希望に願いを託すことが怖かった。叶わなかった未来をどうしても考えてしまうから。
願いは叶うはずだったのに、この子が生きていける未来につながる物を私が断ち切ってしまった。ギーラやプリシラの様子を見るに、たぶんあの木刀のことを2人は知っていたのだろう。この子とまともに接していたら、私にも最初から教えておいてくれただろうに。
この事態は私の弱さが招いたものだ。思い出を作ることを避けたのは、自分が傷つきたくないから。この子のことを考えるなら、フェンと同じように愛情を注いでやるべきだった。限られた時間しか生きられないかもしれないなら、尚のことだ。
自分の弱さに気付いてしまったら、もう殺すなんてできなかった。手から力が抜け、ブロードソードがカランと音を立てて落ちる。
マルドゥクが私との思い出と言っていたのは、ライアンとの模擬戦のことだったのだろう。あの戦いは、私にとっては苦いものだ。勝負には勝ったが、模擬戦をした目的を見失っていた。
剣を持つと、先生を死なせてしまったあの日の失敗が頭をよぎる。相手を倒すことばかり考えて視野が狭くなる。冷静に敵の様子を観察して狙いを読んだりできないから、よく意表を突かれてピンチになった。他の皆が支えてくれなければ、私はとっくに死んでいただろう。
そんな自分の弱点を改めて思い知った。何度も反省したはずだったのに、私の目はまた曇っていた。
希望は時に叶わなかった場合の絶望を際立たせる。この子を見るたびに希望を抱きたくなるのが辛かった。逃げ出したくて、いつしか諦める道を探していた。
そんな時に、マチルドからの手紙でヘーゼル様が現れたと伝えられた。その人物はフェンを魔力の暴走から助けるために、氷晶隕石群と思しき魔法を使ったという。
自然と先生のことが思い浮かんだ。千年前の人物が復活することはあり得ないと思ったが、先生のような人が後継者としてヘーゼル様を自称しているのかもしれない。
かつて、どうにかして自分が生き残った意味を見出そうと抱いた夢が蘇った。あのマチルドがヘーゼル様本人ではないかと思ってしまうほどの実力の持ち主だ。私には到底成し遂げられることではないが、その人物なら、この世界を優しい人が損をしない世界に変えてくれるかもしれない。
直接会うことは叶わず、何を目指しているのかも、どんな性格なのかも分からなかった。それでも、フェンやギーラを鍛えていることから、来るべき時のために戦力を整えているのだと期待した。
しかし、同時に不安も感じた。先生が役に立ちもしない私を孤児院から救い出したように、その方はマルドゥクやプリシラまで弟子にしているようだ。性格まで似ていて、弱い者を捨て置けないのだろう。
そんな不安と期待を抱えながら、自分は何をすべきかと思案していた矢先、クリューエルタイガーに村の子供が襲われる事件が起きた。慌てて駆け付けたが、既に魔物は倒されていた。
全身凍り付いた魔物の死体。初めてその方の実力を感じ取れる物を目にして、驚愕した。想像していたよりも1段も2段も上の実力を持っているようだ。
助けられた子の証言によると、たった一太刀で片を付けたらしい。魔法ではなく、剣での一撃。氷晶隕石群だけでなく、二つ名の元になった剣技までも再現しているのか。そう思って、現場を見に行ってさらに驚いた。
残された逸話そのままに、剣を振るった軌道に沿って生成された氷がそこには残されていた。半日以上経ってから見に行ったというのに、溶けだしている様子はなく、キラキラと冷たい輝きを放ち続ける。
本物だ。そう確信させるものがあった。
水の賢者は自身が死ぬことになったとしても、少年兵に刃を向けられなかった。本物なら、どんなに足手まといになっても、マルドゥクやプリシラを切り捨てないだろう。私を庇って死んだ先生の死に顔がチラついた。
ダメだ。犠牲を出したとしても今度こそ頂点に君臨してもらわなければならない。そうしなければ、きっと優しい人が普通に生きていける世界は訪れない。未来のためには、今は非情になるべきだ。
そう思ったら、去年の夏の終わりに村にきた魔導士の語った話をふと思い出した。そいつは兄だった白の血を使った杖を持っていた。奴隷になったり、ただ死ぬのではなく、もし杖になって大事な人の役に立てるなら、その方がずっと良い。悲しい話に思えるかもしれないが、杖になることは兄自身も臨んだことだった、と。自分は兄を犠牲にして力を得たのだから、上を目指さなければならない。そう心に決めたとも語っていた。
村の食料危機から口減らしの話があちこちの家から出たことも、間違った判断を後押しした。
口減らしとして死んでもらい、杖になってフェンの役に立ってもらえれば、それが一番いい。勝手にそんな結論を出してしまった。
冷静に息子の様子を観察していれば、もっと早くに間違いに気付けたはずだった。素振りを見て筋がいいと感じたときに声をかけて手合わせでもしていれば、特殊な効果を持つ木刀を持っていることに気付けたかもしれない。さっきまでの攻防で風を感じたときに、風を操れる可能性に気付くこともできた。
そうでなくても、幼い子が連続で斬撃飛ばしを成功させ、2メートルほども跳躍して自分を飛び越えたのだ。ただの非力な子ではないと気付くべきだった。杖になった方が役に立つだなんて、とんでもない。期待して信じてやることが親の務めだったのだ。
いつしか膝をつき、俯いて下を向いていた。
あの木刀の他に、生き残る手段は残っているのか? 答えが知りたくて、顔を上げ息子に目を向ける。
マルドゥクは、もう私を見てはいなかった。意識はこちらに向け、木刀も構えたままだが、森の東側に目を向けている。
視線を合わせてくれないことが悲しかった。勝手なものだ。今まで散々私はマルドゥクから目を逸らしてきたというのに。しかも、殺そうとして斬りかかってきた相手だ。父親であっても許してもらえなくて当然だ。
深く後悔していると、森の奥から黒瑪瑙地走竜が走ってきた。首に赤いスカーフが巻かれている。ヘーゼル様の使い魔だ。
「ギーラとプリシラは乗って。兄ちゃんが襲われてる。ほぼ真っ直ぐ東へ。近くなったら感知術で方向は微調整して」
「おう! すぐに来いよ!」
言って、私に向き直る。言葉に従って、ギーラとプリシラは黒瑪瑙地走竜に乗って走り去る。
1人残ったのは、師匠のように立ちはだかって、2人が逃げる時間を稼ぐつもりか。しかし、気になることを言っていたような――。
「父さん、後でいっぱい話そう。でも、今は追いかけっこしよ。先に兄ちゃんの元まで着いた方の勝ちね!」
そのまま、軽く左手を振って走り去る。右手に木刀を手にしたまま、それなりの距離が稼げるまでは完全に背中を見せない。
攻撃の意思があることを言葉や態度で示して牽制しておき、護衛対象を逃がしてから、いつでも攻撃に移れる体勢を保って走り去る。そうか。あの日、私はこうすべきだったのか。
――感心している場合ではない。
遅ればせながら、マルドゥクの言葉を理解する。フェンが襲われている? しかも、マルドゥクはクリューエルタイガーが出た方向に向かって、使い魔にも乗らずに走っていった。途中で魔物に襲われたら、どうするつもりだ? もう風は使えないんだろう?
慌てて後を追って走る。
先生は最後に「優しさを忘れずに生きて」と言った。あれは、冷酷に徹することで得られる次善の未来に安易に飛びつかないで欲しいという気持ちだったのだろうか。思い返してみれば、命乞いをした相手を殺さずに済まそうとしたことを、先生は叱ったりしなかった。
もし、最悪の未来を回避してもなお悲しい未来しか訪れないのであれば、より良い未来を妥協せずに考えて欲しい。優しさを捨てないままで、より良い未来へと向かう選択を考えてくれ、そういう意味だったのかもしれない。
救世主たりえる人物というのは、それができる者なんだろう。
世界を救うことはできなくても、私も村を救うためのもっと良い策を考えなければ。そのためには、まずは我が子を追おう。




