プロローグ(2)
最後に残った使徒をぼんやり眺める。
魂に付けた名前はロー。今、生きている世界での名前は弥兵衛。
堅実だが面白みがない、ただの保険。そう考えていたから、今までこいつの人生を観察したことはなかったな。
「父ちゃん、何してんの?」
「家庭菜園だよ」
「それは見れば分かるけど。芋ばっかりじゃなくて別の野菜も植えた方が良くない?」
「これはサツマイモといって、過酷な環境でも成長するらしいんだ。栽培初心者にはこういう方がいいだろう?」
「ふ~ん」
一応、ちゃんと先読みを使っているな。数か月後、雨不足による飢饉が起きるはずだからな。
「父ちゃんのきまぐれ家庭菜園が役に立ったな」
「そうね。お父さんたら、庭を全部芋畑にしちゃったうえ、他の土地を借りてまで栽培し始めたから驚いたけど、結果的に良かったわね」
「……ねぇ、うちの家族だけじゃ食べきれないくらい収穫できたよね。ご近所に少しだけお裾分けして来てもいい?」
「あぁ、困ったときはお互い様だからな。構わないぞ」
……売り時なのだが、無償でいいのか?
あまり値を吊り上げなければ、やや高値で売っても感謝される状況だ。計算機と先読みで分かるだろ? 目利きで今の適正価格も分かる。
判断材料は十分に揃えられるはずなのだが……。まぁ、堕落しにくそうな堅実な魂として選んだ奴だ。商才を期待しても、仕方ないか。
「お美代ちゃん。これ、父ちゃんの家庭菜園で採れた芋なんだ。採れ過ぎたから、良かったらもらってくれよ」
「あ……。弥太郎。ありがとう……」
「あれ。なんか元気ないじゃねーか。――って泣いて……。何かあったのか?」
「私、売られることになったの。だから、もうすぐお別れ。ぐすっ、怖いよ……。私、どうなっちゃうの」
息子の初恋の相手がピンチ、か。偶然、変な場面を見てしまったな、ロー。
かわいそうだが、仕方ない。胸が痛むかもしれないが、情に流されると痛い目をみるぞ。
「皆、明日から住み込みで働くお美代さんだ。家の中のことは母さんと弥太郎、弥助の皆で教えてやってくれ」
「父ちゃん、どういうことだよ?」
「手が足りなかったからな。芋と交換で奉公人として雇ったんだ」
……まぁ、そうなると思ったが。しかし、今は食糧が貴重だ。お前が渡した芋を売ったら、妓楼に娘を売る場合以上の金が手に入る。目利きで相場は分かるだろうに、もったいない。
「恵比須様、これで良かったんでしょうか。器量良しの娘さんだから、この飢饉さえ乗り切れれば、武家で奉公をして玉の輿に乗ることだってできたかもしれない」
商売の神としては賛成しがたい。あの娘の実家は、この付近の食を賄う米問屋。潰れた後に、お前が食糧の販売を開始すれば、一気に事業を拡大できた。
米不足による暴動で空っぽの蔵まで打ち壊され、あの家は壊滅的な打撃を受けていたが、お前が譲った芋を高値で売って金を作れば、息を吹き返すだろう。
再建の足掛かりを与えてやって、自分の商いを拡げるチャンスを潰してしまったというのに、悩むことは、あの娘の将来。まったく、とんだお人好しだ。先読みでどう行動すべきか分かるはずなのに、こいつでは、宝の持ち腐れだ。
思っていた以上につまらない奴だ。イライラする。私にちっとも似ていない商売の神の像を毎晩拝むのもやめて欲しい。
「父ちゃん、倉庫で何してんのさ」
「うむ。奉公人と言えばお仕着せだと思ってな。どんなのが良いか考えていた。うちは呉服商だからな、見映えのするものでないと……」
ロー、そこでなぜ目利きと先読みを使う? あの娘は客ではないのだぞ? あの娘に似合い、好みにも合う着物を、そんな全力で探さなくていい。普通の使用人が着るような質素な着物で十分なはずだ。お前はあの娘の人生を救ったのだから、せめて恩を売れ。
ん? ローのスキル「先読み」が「先見の明」に変化したな。何がきっかけだったのだ?
◇
あの娘を迎え入れて数年経つが、意外と役に立っているな。美しく若い娘のおしゃれな着物姿は店の良い宣伝になっている。
「お美代ちゃん、長いこと奉公してもらって、ありがとう。もう十分、最初に払った分は回収できた。これはお礼だ」
婚礼衣装にも使える上等な白生地じゃないか。弥太郎との仲に気付いていたか。まぁ、あれだけイチャイチャと、仲睦まじい様子なら、気付かない方がおかしいが。
――息子とその娘の結婚を祝福していることが伝わる、粋なプレゼントだ。もったいないとは思うが、まぁいいだろう。
「お義父様、気付いてらしたんですね。ありがとうございます。実は、お腹に赤子がいて、どう切り出していいのか悩んでいたんです」
「!」
驚いて弥太郎のところまで飛んでいったな。この世界では本来の性能ではないが、タラリアのお陰で一瞬だろう? 私の自慢のスキルだ。
跡継ぎができたのはめでたい。息子を祝福してやるがいい。
「弥太郎、余所からお預かりしているお嬢さんになんてことを! 弥助、刀を持ってこい」
「あいよ、親父」
「……弥助。これは台帳だ」
「親父、いつも台帳は商人の刀だっていってたじゃん。それに、祝言の費用にいくら出せるか計算するのにいるだろ?」
何をキョトンとしている? まさか、気付いていなかったのか?
「弥太郎さん、お義父様がこれをくださったの。私たち夫婦になるお許しをいただけたのよ」
「え?」
「えっ?」
――まったく。どこか抜けた奴だ。
しかし、見ていて和む。
ハイ、リスク、ミドルの3人とはずいぶんな違いだ。リターンの商売のような派手さはないが、不思議と商売も予想より上手くいっている。
最初はイライラしたが、今は展開が読めなくて、少し面白い。
……もし邪な者に誘惑されれば、お前も堕ちてしまうのだろうか。
いや、そんな姿は見たくない。今のように、平和な世界で笑っているのがお前には似合う。