第1章1
…あれは、…最初の年、…寒い寒い冬を乗り切って、やっと暖かく暮らせると思った頃だったな。
前の年、命からがらこっちに逃げ延びたオレは、江別の郊外に建てられた仮設住宅で、ひっそりと人目を忍ぶように暮らしてたのよ。
…理由は前に、話してやったよな。…あの大騒動の脱出劇…。
オレは、元が土建屋だから、秋のうちは避難してきた奴等の仮設住宅建設や道路工事、冬の間は市内の除雪作業をやりながら、幾らか貰える手当で一緒に脱出してきた由佳里って娘っ子と、やっとの思いで生きてきた。
…変な目で見るんじゃねぇよ。
そりゃぁ、娘っ子とは、血は繋がっちゃいねぇけど、あのコンビニで、「オジちゃん、助けて」って言われた時から、出来るだけのことはしてやろうって決めたんだ。
そんなオレ達が住んでる仮設住宅に、懐かしい野郎が訪ねて来やがったのよ。
知ってるだろう、元お巡りで、今じゃゾンビ防衛部隊(Zombie Defense Force)の小松の野郎よ。
奴はZDFの小隊長に出世して、函館の海岸線をパトロールしてるはずだが、どうした風の吹き回しか、オレに会いに来たんだと…。
小松の後ろにゃ、見たこと無ぇ面の、黒い背広に黒シャツ着た男が控えてた。
「土産だ」って言いながら、小松の野郎が差し出した包みの中にゃ、ここんところトンとお目にかかったことも無ぇ、タバコとチョコレートが入ってるじゃねぇか。
本州や四国がゾンビ野郎に占領されちまった上に、世界中が同じような状況だから、市内のスーパーだって売るモンが無くなっちまって、食料はとっくの昔に配給制だ…。
嗜好品なんかは、どこにも有るはずは無ぇんだが、どんな世界にだって、特権階級は存在するらしいぜ。
オレは早速、三日ぶりのタバコに火を付けて、肺一杯に深々と吸い込んだ。
二間しか無ぇ仮設住宅の、散らかった居間に座り込んだ小松は、腐れ野郎の話を始めやがった。
函館の方じゃ、一週間前もゾンビの上陸騒ぎが有ったらしい。
…津軽海峡の潮に流されながら、フラフラと函館の海岸に流れ着いてくるゾンビ野郎を、水際で退治するのが奴の役目なんだが、近頃じゃゾンビのイルカも出るらしいから、海ん中だって危ねぇって話よ。
オレは、奴が話し辛そうにしてたから、「何か頼みでも有るのか?」って聞いてやったんだ。
そしたら、後ろの黒服が、とんでも無ぇ話を始めやがった。
「東京に置きっぱなしの、重要な物をサルベージするから手伝え」って言いやがる。
何でオレがやらなきゃならねぇんだ。…あんな地獄みてぇなところは、二度と行きたくも無ぇぜ。
…でもよ、奴等はオレの秘密を知ってるらしく、嫌みなことを言いやがる。
伊東って名前の黒づくめは、オレの左腕をアゴで差しながら、「大変ですね」ってほざきやがった。
そのうえオレが、一緒に脱出した学者先生の所に、二週間に一度、治療を受けに行ってるのを調べたみてぇで、「例の注射は効きますか?」って聞きやがる。
世間に知れたら、タダじゃ済まねぇ話なんだから、でけぇ声で言うんじゃねぇよ。
野郎は、慈善家みてぇな目つきして「オレが協力すれば、ここよりまともな生活を保障するし、治療のために政府が力を貸してやる」って、呟くように言うじゃねぇか。
…だけどよ、日本の人口の八割近くが死人の仲間入りしちまって、そいつ等が虎視眈々と待ち受けてるはずだから、素直に「うん」とは言えねぇな。
それにオレだって、「サルベージ」の話ぐらい、聞いたことは有るぜ。
ゾンビの国に起きっぱなしの重要資料やコンピューターのバックアップデータなんかを、奴等の領土から掻っ払って来るんだが、飲み屋の噂話じゃ、行った野郎の話は出るが、帰って来たって話は聞かねぇ。
オレもそんな奴等に、一度だけ誘われたことがあってよ。…そん時は「銀行の地下金庫に保管されてる金塊をそっくり頂く」って話だったから、「泥棒みてぇな真似が出来るか」って怒鳴ってやったのよ。
…そいつ等、二ヶ月前にオンボロ漁船で出掛けて行ったが、それ以来、風の噂も聞こえて来ねぇぜ。
オレは、必要なとき以外に外したことの無ぇ、左手の手袋をさすりながら、自分が行かなきゃならねぇ理由を聞いたのよ。
小松の話じゃ、「身寄りが無くて、大型車や大型機械の運転に長けてる上に、ゾンビ野郎相手の戦闘能力が高い奴」ってのが基準らしいが、オレにだって娘っ子っていう身寄りは居るんだぜ。