部長お早うございます
麟子は臨海学校の資料を作り終え、ファイルを保存する。
今朝は部活で早く登校していた。麟子は生徒会執行お手伝い部という部に所属している。その名の通りの部だ。
この学校には生徒会を支える縁の下的な部活があり、各学級委員との橋渡しや時には忙しい委員長の代理、各部部長代理、助っ人なども時にはこなす。いわゆる先生方や生徒の雑務をする生徒会の雑務をする部である。
しかし、この部から生徒会に入れる可能性は高く、委員の代理などもするので内申によいと言われている、。そのため進学を目指すため入るものも多くいたが、いかんせん雑務が多く忙しいため、内申を気にする前に成績が危なくなったり疲労したりでたった2ヶ月でどんどん人は居なくなっていた。
雑務要員は一人でも多い方がいい。しかし使えない奴は要らない。という部方針のもと、来るもの拒まず去るもの追わず。なんなら他の部と二足わらじでもいいから入ってね(手伝ってね)という部だ、入れ替わりが激しいが、部内容の特徴ゆえに人がいなくなっても絶対廃部だけはない。そんな部だった。
早朝の作業は今までもあったが、一人で作業するのは初めてだ。人が随分いなくなったなあと麟子がふっと息を吐いたとき、扉の前で足音が止まるのが分かった。
ドアが開く音と麟子が顔をあげるのは同時だった。そこには幼さが残るながらも良く整った顔をもつこの部の部長が立って部屋の中を見渡している。
「おっはよーあさみちゃん。なんで一人なのー?今日、なんか資料作らなきゃいけないって言ってなかったっけ?書記田浦は?」
部長は田浦の事を、一つのもの名前のように「きしょだうら」と呼ぶ。役と名前が分かりやすく、語呂が良いため彼は気に入っている。
「部長、お早うございます。家が遠くて田浦先輩は早朝難しいので、昨日のうちに頑張って草稿を作ってくれました。送付してもらった原稿を編集し終わったとことろです。印刷前に先生に確認して貰うつもりでしたが、ちょうどいいので部長見てください」
と、端末画面を見せるため席を立ち、部長を見ると、まだキョロキョロしていた。
「どうしました?探し物ですか?いつもより早いですし、大切なものですか?」
「いやいや、早く来たのは作業してるって思ったからだけど。・・・麒助は?トイレ?」
「きいちゃんは昨日、訓練で大分絞られたみたいで、家を出るときはまだ寝てました。付き合わすのが可哀想だったので起こさなかったんです」
「え!じゃあ、本当にあさみちゃん一人なの?!」
会長は驚きの声をあげたと思うと、喜色を顔にのぼらせ、扉を閉めた。
「うっそ。それを知ってたらもっと早く来るんだったのに。一人でさせちゃって本当ごめんねー。・・・麒助いないなんてレアすぎー」
最後の言葉は声が小さかったので、麟子には聞こえなかったが、部長の機嫌がいつもに増して良くなったのはわかる。
資料を見てもらうため画面の前から退けようとすると、部長にまぁまぁと言われながら腕をとられ、隣に座らせられた。
「資料の説明してよ。概要は知ってるけど詳細見るの初めてだし」
「草稿は、部長もCCで入っていたと思いますけど?」
「だから、ごめんって。分かってる人に説明された方が分かりやすいし、お願いねー」
「この資料が読みやすいかも見てほしいので、やはり説明抜きの方がいいと思うんですけど」
「もう、いいでしょー。一緒に読みたいんだよ。座って。読み返してないんでしょう?」
「まぁ、それはそうですね」
「よしよし、一緒に読もう」
そう言って、部長はファイルを開くために乗り出し、綺麗な横顔が麟子の目の前を過ぎる。その距離で会長は振り向いて優しく微笑んできた。
麟子は渋い顔で部長に注意する
「近すぎです。もっと人との距離間を勉強してください」
「つれないなあ。それに聞き捨てならないなー。今俺は、あさみちゃんに嫌われすぎないギリギリ近い距離を目下研究中だよ?」
確かに部長は麟子には不必要に触れないし、近いとは思うがまだ許せるか?と思える絶妙な距離を空けていた。しかしそれを聞いた麟子は眉を寄せ半目になりながら
「そんな研究今すぐやめてください。ちょっと怖いです」
離れながら言うと、えーそんなに距離絶妙だった?俺ってわかってるよねー。などと笑い声で語尾を上げながら少し離れる。
それを見て、麟子は一つ息をつき、資料の説明を始めた。説明をしながらも、感じる視線を無視しながら、本当に変な人だと思った。
麟子は今、自分が魅力的でないことを理解していた。
周りの目がどういう風に麟子を見ているか解っているつもりだ。
なのにこの部長は明らかに麟子に好意を示している。何かしたかなぁ・・・と考えるが、思い付くことはない。
最初に会ったときは、間違いなく蔑ました目で見てきたと思うんだけど。この態度がいつのまに変わったのかもわからない。可能性としては、デブ専なのかとも思うが、そこまでの事は応える気がないので聞いたりはしない。
早く飽きてくれるといいけど、などと考えながら根気強くその時を待っている状況は続いていた。
簡単な説明のあと、部長に資料を見てもらう。
もう役目は終わったのだが、立とうとすると手を握られ引き戻されるので、無駄に動かないようにじっとしていた。
そんなに多くない資料を読み終わり、顔を上げた部長は
「うん。分かりやすくまとまってると思う。そうだなぁ、引率者の先生の名前をどっかにいれといた方が、ちょっと安心感があるかも」
「ああ、なるほど」
そう言って、麟子が手を伸ばし、資料を手直しした。
「うん、よし。では、1部印刷して後で先生に見せておきますね。OKがでたら夕方はしおり作りです。人手がいるので絶対来てください。お友だちも呼んでくださいね」
「うんうん、分かったよ」
ニコニコとご機嫌の綺麗な笑顔を見ながら、麟子は登校の道すがら気になっていた事を聞いた
「もしかして部長は、兄弟がいますか?お兄さんとか」
「え?珍しいねそんなこと聞くの。どうして?」
「はあ、ちょっと。今日同車両に部長と同姓のかたがいて。加治屋って今まで部長にしか会ったことないですし珍しい方ですよね。今思うと顔も何となく似てましたから、兄弟かなと思って」
「あ。名前読んでくれた。嬉しいししんせーん。あさみちゃん同級なのに敬語だし名前も呼んでくれないんだもん」
「・・・口調は、誰にたいしてもこうなので慣れてもらうしかないですが、呼び方なら要望があれば変えますよ。加治屋でいいんですか?」
「え!まじで?!わぁ、ときめく!あと、君づけがいいなー。恥じらいながら言って!?」
「何をバカなことを」
会話の途中から聞こえていた足音が急速に大きくなってくる、部屋の前で止まると同時に開けられた扉の音に、麟子の語尾が消された。
「麟子ちゃん!置いてくなんてひどいよ!」
「きいちゃん。思っていたより早かったね」
「ち、もう来たのか麒助。廊下は歩け、走んな。というか来んな」
部屋の2人には誰が来るか解っていたかのように、3人の声が重なった。
麟子と同じような黒髪ストレートの青年は、麟子とは違い同年代の男子の平均的な身長に締まった体つきをしている。しなやかな手足は筋肉質で、活発な動きはスポーツをしていると想像に固くない。部屋に飛び込んだ麒助は、部長との間に割り込むように麟子に抱きついた。
押し退けられた部長は迷惑顔で、やめろ。くそ、割り込むなシスコン、などと毒づいている。
麟子は抱きついてきた麒助を落ち着けるように、肩の部分を軽く叩いた
「きいちゃん、だってすごく良く寝てたし。鳳太君も凰子ちゃんもそうしろって。」
「鳳も凰も!?くそー、こうなるって分かっててこれ用意してたな」
といって、麟子から離れると背負っていたリュックからパンと飲み物とタオルをだした。
「まさか、きいちゃん朝御飯食べてないの?」
「当たり前じゃん。チャリで来たから駅で食べる事もなかったし、起きて着替えて出てきたから、髪も捌いてない」
「ええ?もー。なんで誰も止めないのー。当たり前の意味がわかんない」
と言いつつ麟子は立ち上がり、麒助におかしいところがないかをチェックする。開きすぎたシャツのボタンをしめ、少し跳ねた髪を抑えてみたり、なぜか飛び出しているズボンのポケットを中に入れた。左右で違う靴下はもうオシャレだとでも言い逃れてくれと諦めた。
加治屋はそんな麒助をシスコンめ、とまた呟きながら、でももし、今朝、麟子が一人で作業していると知ってたら、自分も朝飯くらい抜いて1秒でも早く来たかったなと考えていたら、振り返った麟子と目があった。
「すみません、部長。ちょっときいちゃんのご飯と準備に付き合ってきます」
「そう?わかったー。んじゃ1部印刷と先生への確認はしておくね」
「ごめんなさい。OKがとれたら、資料の印刷はしますんで」
麟子の向こう側で舌を出している、憎たらしい顔をしている麒助を見ながら仕返しを思い付く。
「いーよいーよ。お昼にデータ渡しにいくね。あと、呼び方お願いね」
「あ、習慣で。分かりました、お願いします加治屋君」
その瞬間の麒助の驚いた顔を見て、胸がスッとするのを感じた。
言葉にならない麒助と支度に掛かる時間を気にする麟子を、いい笑顔で見送った。
加治屋秀矢は二人が出ていった後も機嫌良くUSBを抜いてパソコンを落としながら麟子の声を思いだし口角を上げた。
麟子に呼ばれる自分の名前があれほど心地好く響くとは。思った以上だったようでなかなか顔が戻らない。
このきっかけをくれた兄らしき人物に感謝しないとな、と思ったところで、一気に気分がもとに戻る
「あさみちゃん、沿線一緒だから、にーちゃんに会っても不思議じゃないなー」
と少し不服そうに呟いた。