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乙女ゲームのヒロインの名前がやっと出てきます。
アレクサ公爵家が治める領地は農業が盛んで、既に品種改良や缶詰まで開発されている。それを目当てに商人が頻繁に出入りし、今では王都に次ぐ賑わいだ。
アベリィの手を引き、優しい彼には珍しく前を行く。
アベリィはリアンと繋がっている自分の手を見下ろした。
何気に今世では手を繋ぐのは初めてだ。まだ骨格の差が出ていない互いの手が、自分とリアンを結ぶ唯一の道のように、アベリィには思えた。
「着きました。申し訳ありません、急かしてしまって」
少し恥ずかしげに笑う。頬に差している紅が、やけに印象に残る表情だった。
アベリィはふるふると首を振る。小走り気味だったが、はしたないと言われるほどではない。
「よかった、どうしてもここに連れていきたくて」
目の前には一件のこじんまりとした店があった。
その扉を開けると様々な色がアベリィ達を出迎えた。
「わぁ…」
思わず素の声が出てしまうほどに、目を奪われる。
いつも自分達が身につけている宝石より遥かに価値は低いだろうが、そのようなこと気にならないくらい綺麗だった。
珍しいアベリィの様子をリアンは愛おしげに見つめて、にこやかに告げた。
「アベリィ嬢、手作りアクセサリーを作りましょう」
アベリィは耳を疑った。
手作り?そんなもの、今まで一度もなかった。そんな想いが呪いのように残るようなものは。
「ああ、もちろん公の物ではありませんよ?ただ…プライベートでは、私と一緒にいる時は付けていてほしいのです」
いつも通りに彼は微笑む。それが尚更、アベリィには恐ろしく見えた。
確信する。今回はこれまでとは、明らかに違う。
アベリィは目の前が暗くなりそうになった。
怖い、恐ろしい。何より恐ろしいのは、希望を見出しそうになっている自分だ。
今までとは違うんじゃないか。死なずに済むんじゃないか。
そして、アベリィに微かに残る最初の自分が訴える。
今度こそ、愛してくれるんじゃないか?
桃色の唇を噛む。
期待するな。信じるな。それは何度も裏切られたことだ。今世もどうせ、同じだ。
アベリィの中で様々な想いが飛び交う。吐き気がしそうだ。
「どうしました!?顔色が…」
リアンが心配そうに覗き込む。自分でも顔色が悪いことがわかった。
このままでは病弱認定されそうだ。それはそれで好都合だが。
「申し訳ありません…」
「良いのです。こちらこそ申し訳ありません、貴女の体調に気付かず」
アベリィの手を取り、外のベンチまで連れて行ってくれる。そういうところは既に紳士だ。
腰を落ち着かせると少しは良くなったが、リアンの顔は見れなかった。
「…デートはまた今度にしましょう。このままではいけません」
「…そうで」
帰ろうと言ったリアンの言葉は、まさに天の一声だった。だが同意を示そうとした時、アベリィはある者を見て固まった。
一人の少女がきょろきょろと辺りを見渡している。誰か探しているようだ。
少女の瞳の色を見た瞬間、アベリィの中で燻っていた感情が嘘のように霧散した。
「いえ、少し休めば大丈夫ですわ。せっかくのデートですもの、まだ帰りたくありません」
にっこりといつものように微笑む。
リアンの瞳が揺れ、アベリィの視線の先を辿ると空色の目が見開かれた。
アベリィはまだ、静かに微笑んでいる。
流石に髪色は目立つからか染めていたが、瞳の色はそのままだった。
本来は海色の髪と黄金の瞳を持つ少女。
そう、彼女はいづれリアンと恋に落ちるハンナ=メーアことハンナ=シリスだった。
(ほら、何も変わらないでしょう?)
リアンの驚愕の眼差しを見ながら、アベリィの唇は弧を描く。
自分の中にあった微かな希望が消えゆくのに、胸を痛めて。
次回はこの世界の詳しい説明回ですね。
アベリィの貴族としての立ち位置や、ハンナの複雑な事情がわかります。