第98話 分かってないんだよっ!!
「君は……。家名に思い入れはあるか?」
マーリィに弟子入りし、従者となったある日の道中。昼に川辺で腰をおろし、ふたりで食事をしているとき、ぽつり、マーリィはそんなことを言ってきた。
俺は手にしていた木皿のスープ、それから火にかけた鍋に視線を移し、最後に、それらを覆うように落ちた自分の影をじっと見る。その後顔を上げ、青空のもとで同じように木皿を持ち、俺を見据えるマーリィに答えた。
「ないね。ヴィース家という意味では、伯父さんちが直系で背負ってないし。家族の想いをそこに馳せることはないよ。あるとすれば名前のほうかな。父さん、母さん、兄さん姉さん、皆で考えてくれたらしいから」
「……そうか」
マーリィは木のスプーンを動かすと、すくい、一滴も垂らさず口へ運ぶ。料理は俺が作ったが、うまいのかまずいのか、食べ始めてからもひとことも言わないし、いまもなにを考えているのかさっぱりだ。だが、【なにかを考えている】のだけははっきりしていた。
彼女は俺の命の恩人で、俺が家族を戦争で失ったことも、いまだ抱えるその悲しみのおおきさも知っている。それをぜんぶ分かった上で家名の話をしているのだ。
つまりこの問いかけは、彼女にとって、その傷や痛みに触れることを理解していてもしておかなければならない必然があるのだろう。はっきりとは言わないけれど……。なので揺さぶってみることにした。
「なんだよ~神妙な表情しちゃってさ。もしかしてアレかぁ? 俺と結婚したらマーリィの家名を名乗って欲しいんだ、とか? 俺はぜんぜんオッケーだぜ。さっきも言ったけど家名に思い入れはないしさ。……セイラル・レクスゥエル。……うん。なかなか好い感じじゃない? ってかこうして口にしてみると照れるなあ。いやに現実的になるっていうかさ。ははっ」
「……。何度も繰り返すが私は年下に興味はない。結婚にも関心はない。なにより弟子で従者である君とそのような関係になるつもりは み じ ん も ない。片想いを制限する権利はないから勝手に続ければいいが、非現実的な夢想を私の前で口にするのはやめてもらおうか。あと ス ー プ が 不 味 い 。味が薄すぎる。なんとかしろ」
そう言って皿を俺に突き出してきた。こ……この女だけは……! もしかして俺がうがち過ぎただけなのか? それとも逆に【うがち足りない】のか。どっちにせよまだガキ扱いってことか……。あーくそ腹の立つ!
「うるせーなにが不味いだ薄いだじゃあ自分で作れっ! ……あ、そっかー、結婚に関心がないから、別にだれかに飯を作る必要もないもんなー飯屋に行くか食料を買い込めば。それをし損ねても、川で魚をつかまえて焼くくらいはだれでもできるし。……—―あっ違った! マーリィは 魚 一 匹 釣れなかったか! いやあ~失言失言! ちょっと待っててな? もう一回、味を調えてみるからさ。調味料、調味料……っと」
そう言いながら立ち上がり、鞄のほうへ向かおうとした瞬間—―ちいさな太陽がマーリィの右手上でぎんぎらに輝いていて、こともあろうにそれを川に向かって投げつけようとするさまを目撃する――って阿呆かあ!! 魚どころか川を吹き飛ばすつもりかこの女ぁーーーーーーーーーーっ!!!
「なにを焦ってるんだ? 冗談に決まってるだろう。私が意味なく殺生したり自然を壊す趣味のないことは君もよく知っているはずだが。……まあ、ただ。 ガ キ にいいように言われるのを我慢できるほど大人でもない、ということは知らなかったようだな。……さて。我が親愛なる弟子で従者の、セイラル・ヴィースよ。この無駄な魔術を消すための言葉を唱えてもらおうか、 簡 潔 に 」
ご め ん な さ い は? っていう脅しが丸出しなんだよその言葉に表情っ! つーかあんたが大人じゃないことなんて俺のほうが知っとるわっ!!
「わーーーーーーすみませんすみませんすみませんでした飯は以後俺がずっとあんたが死ぬまで作りますんで気にしないでくださーーーーーーーーいっ!! そう結婚なんてね!! 別にどうでもいいことだよそれだけがつながりのすべてじゃなし!! はははごふんっ!!」
太陽は消え、代わりに拳骨が俺の頭に直撃した。それで頭を押さえたあと、顔を上げると……俺の鞄をあさっている師匠の姿が目に映る。そして彼女が不機嫌な表情で取り出したのは……激辛香辛料。……おい、なんでそれを持って鍋に近づく? ふたを開ける!? や、やめろーーーーーーーーーーっ!!
叫ぶより速く俺は飛び出し瓶を奪い取る。するといよいよ不機嫌な表情で、「おい……なにをする! 入れてみないと分からないだろうが!」とマジ切れしていた。俺への嫌がらせとかじゃなくて、本気で味、調えようとしてただけの? え? マジで料理のセンスないの……?
それで俺の熱はさっと引き、あとは冷静にていねいに、我が師匠に言葉を尽くして鍋から離れてもらい、死ぬ気でスープを作り直した。そうして出来上がったものを食べたマーリィは、目を丸くして無言で口に運び続け、俺に「おかわり」という言葉を三回、唱えたのだった……。
◇
◆
◇
「…………い。お……せ……。—―おい、晴。……どうしたんだお前」
言葉が耳を貫き、俺の視界が開ける。目前にルイの訝しげな表情、そしてするめの不機嫌な表情、最後にファレイの……とても心配そうな表情が目に映り、俺はいま、自分がどういう状況にあるのかを理解した。
「……あ。ごめん。悪い。なんでもない、ちょっと考え事を……。俺、どのくらいぼーっとしてた?」
「……。3分くらいだな。考え事をしている、というよりも、なにかに心を囚われているような感じだったが。もしかして、いまの私の話がその引き金になったのか?」
ルイが俺の【魔芯】を指差した。まだ輝きが漏れている。それで俺はさっと表情を変えて、かぶりを振ると返した。
「いや、違う違う! ぜんぜん、そういうわけじゃ……! その、ほら、俺は昔の記憶がないんだけど、たまにそれがよみがえってきて……—―いまのもそれ。でも気がつけば、なんにも覚えてないんだよ。こういうの、なんていうのか分からないけど、ほんとう突発的なもので、ルイの話がどうとかは関係ない。そもそもセイラル……はネットの名前以外、縁もないしさ。……いつでも、どんなときでもなるもんだから気にしないでくれ」
説明を終えてルイを見返したが、目が完全に疑っている。彼女の【伝達魔術】は、ある距離内で自分に向けてはっきり考えを飛ばす、ということをしないと伝わらないものだから、俺の、セイラルとしての記憶がよみがえっているときに、それを察することはできない。ゆえにセイラルのことがバレる心配はないが……。そもそも思い出しているというわけじゃなく、俺の自意識を無視して自動再生されてるみたいなもんだからな。
それに話した通り、もうどんな記憶がよみがえっていたのか分からない。そうしたことがあった、という記憶だけで。ただ……なにか温かい気持ちと、不安な気持ちがいまも【魔芯】の中でうごめく感触があった。
ルイは依然、疑いのまなざしを向けたままだったが、俺がほんとうになにも覚えていないのを悟ると、おおきくため息をつき、グラスを弾いた。
「お前はロドリーの話によると、元はクラスSの魔術士だった、さらには当時の記憶がない、いまは完全に人間として暮らしている……ということだったが。それらをすべて信じているわけじゃないものの、突如魔力値が膨れ上がったりと、その片鱗は見ているからな。今回のもまた、そのひとかけらじゃないかと思ったんだよ。別にセイラル・マーリィがどうとは関係ないが、Sだったなら彼の話に触発されることがあってもおかしくはないから。……しかし」
ルイは俺を見据えて、真顔で、
「魔力が膨れ上がるよりも、記憶が【噴き上がる】ほうがよくない。それは脳や心……人格そのものに影響を及ぼすからな。いまのお前、【緑川晴】としての存在に」
そう言ってグラスを持ち上げ、残ったジュースを飲み干した。するめは、「元、クラス、Sぅ……?」という表情丸出しで俺を見やる。俺はルイの話にいまいち要領を得ずにいたが、ルイはそんな俺にまたため息をつき、子供に諭すように続ける。
「『たまによみがえる』。そう言ってたが、どうもその重要性を理解していないようだな。はっきり言って魔術医案件だぞ。……以前、お前は私に『人間の心を持ったまま、世界最強の魔術士になる』と吹いたが。その【人間の心とやら】が保てるかどうか、という話だ。もし少しずつ、ゆっくりと、段階的に記憶が戻るのなら負担も少ないだろうが、不規則に、突発的によみがえりそして消えるというのは……、あるとき火山の噴火のように、突如以前の記憶が爆発して、いまのお前が吹っ飛ぶ可能性もある……—―その予兆とも考えられるんだぞ?」
ルイはそこまで言うと、呆然とする俺から、まだ青い表情のまま、加えて唇すら噛むファレイに視線を移した。
「お前はずっとコイツの従者なんだよな? 記憶を失う前から。どういう経緯でこうなったか知らんが、お前が晴に以前の話を、順を追って、少しずつしてやればその危険性も減るだろうに。コイツの話や反応を見ると、そうしたことを一切していないようだが。……それは昔のコイツの命令か?」
「……話すことはできない。なにも。たとえあなたがいま、セ……、晴様の師匠であっても」
低く、重く、静かに口を動かすと、下唇に血がついているのが見えた。目はまばたきもせず潤んでいて、泣くのをこらえているようだった。ルイは「……分かった。もういい」とだけ漏らし、俺はそんなファレイの様子に【魔芯】ではなく胸がちくりとし、目をそらす。と、そのとき――。あぐらを組み、いつの間にか青ざめた様子がなくなり、いまは半眼でルイやファレイを見つめている、するめの表情が映る。
「……なんかさあー。違うんだよなー、ぜんぜん。【コイツはそんなタマじゃない】んだよ。ルイ師姉がセイラルさんのことで変な話するからビビったけど、やっぱりそっちも違う。いまの、師姉のそいつについての話で分かった。ルイ師姉も、そ、そそそそっちの女……も。絶対盛大な勘違いをしてると思うよ。自分は」
とつぜんの発言に、ルイとファレイが目を向けた。双方、さいしょこそただ不可解なまなざしだったが、すぐに鋭いものになってするめを威圧し始めた。果たしてするめは「ひっ!」と縮み上がってばたばた襖のほうまで後退するが、唾を飲み込み、再びふたつの格上の眼光に相対して、続ける。
「だ、だって……—―じゃあ言うけど! ルイ師姉はそいつと知り合ったのはついさいきんじゃないか! そ、それにそ、そそそっちの女もずっと従者とか……! それはただ【契約が続いている】って話で、空白期間があるはずだっ! たぶん【いまのそいつ】と再会してからそんなに日が経ってないはずっ! つまり自分のほうが付き合いが長いんだよ、そいつ……、ああもう面倒くさいな! ……――晴とはさ! 一年くらいやり取りしてたんだからっ! だ、だからふたりが心配して考えているようなことは、おおげさとしか思えないんだよ、晴を見てると!」
俺のほうを指差した。目が合うと思い切り舌打ちして、「ってか、なーにが晴だっ! まさかセイ、だからセイラルだなんて名乗ったのか!? ……なんて安易で無礼なヤツだそして死ね!!」とさらに指差してくる。ファレイがドン! と座卓を【思い切り手加減して】叩くまでは。
「なぜ空白期間があり、そして再会して日が浅いと? いまの口ぶりだと、晴様から聞いたのではなく推察だと思うのだけれど。早急に根拠を示しなさい。……見当外れだと殺す」
表情はもはや青くなく、頬に赤みが戻り、目が殺意満々だった。それにするめは、「あ……、ぐ……!」とびびりまくったが、いままでのようには呑まれずにこらえ、素早く移動すると俺の後ろにまわり盾にして、顔を引っ込めたまま続けた。
「か、かんたんなことだっ! だ、だってあ、あああんたは【いまの晴】のことをちゃんと見てないじゃないかっ!! 昔はクラスSだったとか笑っちゃうけど、じっさいにあんたの態度を見てたらさ……! ほんとうに晴のことを、【人間として生きるいまの姿じゃなく、そんなすごい魔術士だったときの姿しか見てない】からっ!! もし昔からいままで、途切れなくずっといっしょにいたのなら――絶対、いくらかの変化が……【いまの晴】とのと付き合い方があるはずなのにっ!! 少なくとも自分なら、いや、だれだってそうだよっ! あんたにはそれがないんだひとっかけらもっ!! ……こ、これが根拠で理由だまいったかーーーーーーーーーーっ!!」
言い終えると、指だけ俺の後ろから肩越しに出し何度もファレイを指す。いっぽうファレイはブチ切れもせず、ただ目を見開いて震えていた。俺の視線に気づくと、いち、に……とかぶりを振り――瞬間移動かと見まごうダッシュでこちらへ来ると「 違 い ま す ! 違います違います違いまーーーーーーーーーーーーーっするっ!!」とおかしな語尾でまくし立て始めた。
「わ、わわわわわた、私は決してセイ……、昔の晴様のおもかげばかりを追いかけて、いまの晴様をないがしろにしているわけでは!! ふ、ふふふふだんの態度から信じていただけないのは承知!! 申し開きのしようもなく……!! 完全カンペキ最上級に私の態度が悪いのですが!!!! ほんとうに、いまの晴様のことも……!! た、ただただ対等にと言われましたことに、ふだんから自分なりに従うには、どーーーーーしてももうすこーーーーーーーーしお時間を頂く必要があり……!! どうか! どうか厚かましい限りではありますが!! その努力だけは認めて頂きたく……!!! どうかーーーーーーーーーーーーっ!!!」
土下座を連発した。久しぶりだけど完全に俺が悪じゃねーーーーーーーかやめいっ!! そしてその様子に、俺の肩をつかんで後ろからちょいちょい顔を出しては、「ざまあ!」「魔力値だけで自分をあなどるなよ!!」「人間界には人間界のやり方があるんだよ!」「HAHAHA!」と調子に乗りまくるネッ友がひとり。コイツ、マジで殺されるんじゃないだろうか……。ファレイに念押ししとこ、あとで。いまはなに言っても聞きそうにないからな。
「ちょっと待て。ファレイ・ヴィースの話はともかく……。お前、私が晴のことを分かってないだと? お前より? ……ふざけるなよ。お前の言う一年の付き合いとやらは、ネット上の言葉のやり取りのみで、姿はおろか肉声すら耳に入れていないものじゃないか! それでなにも分からんとは言わんが、少なくともその経験でお前のほうが、生身の付き合いがある私より、晴のことを理解できているなどと断言できるかっ!」
どん! とこちらも手加減して座卓を叩き、しかし犬歯をむき出しにして、俺の後ろのするめへ怒鳴る。するめは「ひっ!」とまた縮こまるも、そこで俺のシャツを引っ張ったまま、まくし立てた。
「わ、わわ分かってないのはルイ師姉のほうだそーいうとこが昔からっ!! 実践、経験、実行、生身、直接……嫌というほど聞かされたしやらされてきたけどっ!! 【それで見えなくなるものもある】って言いたいんだ自分はっ!! じっさいそ、そこのファ、ファレイ……ヴィース、とかいう女も、昔の晴の印象が強すぎて、いまの晴が見えてないしっ! そしてルイ師姉も……【自分の弱っちい弟子】っていう面で晴を見過ぎてるから、ファレイ・ヴィースとは逆に――【昔のクラスSだった晴】の存在が見えてないから、変に心配したりおおげさに捉えすぎてる!! 晴の強さ……【ずぶとさ】が分かってないんだよっ!!」
いつの間にか俺の顔の横に、するめの顔があり頬が触れる。しかしするめはそんなことを気にもせず、俺の両肩をつかんだまま、唖然とするルイ、そして土下座から顔を上げて呆然とこちらを見やるファレイを見ながら叫んだ。
「コイツはほんっとうに……失礼なヤツなんだ!! 自分の描いた絵に毎回毎回ぐたぐだぐだぐだ……細かいとこまでずーっと!! 反論したらやり合ってくるし、それだけじゃなく絵を通して自分のことまで言い当て……じゃない!! 勝手な想像で自分のことをあれこれ言ってきたりもした!! 当たってることもペンポートペンペンの毛先くらいはないではなかったけども……!! と、とにかくずーっと、こっちの心にずかずか入り込んできたんだ!! 勝手にドアを開けて入ってきて、部屋に居座ってお茶の用意までするようなヤツなんだよコイツはこっちの心でっ!! ……こんなヤツの心が【昔の記憶が爆発したくらいで吹っ飛ぶわけがないし、そんなこともたぶんぜんぶ織り込み済みだ】っ!! 百万が一、限りなく少ない可能性でも、クラスSだったっていうならさ!! そうならたぶん……—―コイツは相当上のSだよ、ルイ師姉。……絶対気持ちでは認めたくないけどな!」
叫び終えると、俺の肩でよだれを拭き、それから体を下げてどすん! と畳に腰をおろして、俺に背を預けてきた。いっぽうルイとファレイは固まっていた。どちらも具体的になにを考えているかは分からないが……するめの言葉が刺さっていることだけは確かだった。
しかしするめはそんなことを思ってたのか……。絵の話だけで、プライベートなことはいっさい言葉にしなかったけど。それは【必要なかった】からか。ネットの付き合いだからというより、人間じゃないからというよりも……、絵を通しての俺との付き合いに、そうしたノイズは要らなかった。そんなことをしなくても、深い部分で付き合いがあったんだと。家の中でお茶をするくらいに。俺が勝手に入ったらしいんだけど、どちらにせよ、そうか……。どうでもいい付き合い、って感じでもなかったんだな。
そう考えているうちに、俺は嬉しくなって笑みが漏れ、体が揺れた。それでするめがまた俺の肩をつかんで顔を寄せてきて、「おいお前っ! も、もしかして勘違いしてるかもしれないから言うけども! 自分は別に、ほ、ほんとうにお前が元クラスSだと信じてるわけじゃないからな!? あくまでファ、ファレイ……ヴィースやルイ師姉に言い返すための客観的な分析で、主観的な納得じゃないん・だ!! だから私の中では元Sとか知らん!! お前はセイラルさんの名前をかた……無断使用していた不届きで生意気で失礼な……リフィナーですらない、ただ自分とネット付き合いしていた【人間】だっ!! そこをか、勘違いするなよ……っ!!」と唾を飛ばしてきた。俺ははいはいとうなずきつつ、唾を拭きとっていたが、するめはぐいっ! と俺の肩を押して立ち上がり、まだ固まっているルイとファレイを指差しまくし立てる。
「……ってか、コイツのことはどーでもよくてっ! セイラルさんが【自分の存在を消すために動いている】なんていうルイ師姉の変な推測が、ぜんぜんまったくこれっぽっちも当たってない、的外れなものだって言いたいんだ――晴のことを分かってないことからもっ!! つまり昔っからの心配しすぎ深読みしすぎネガティブに考えすぎの性格からくる分析だってこと!! ……別にルイ師姉がそーいうことを考えてるのは勝手だけど、セイラルさんのことだけは譲れないからっ!! だって、そんなの、そうだったら……、彼は【自分に関わるだれも眼中にない】ってことになるじゃないかっ!! —―そんなわけがあるかっ!! たくさんのリフィナーを助けて、多くの生き方を変えて……いっぱい手を差し伸べてきたリフィナーが、ぜんぶ関わりもつながりも打ち捨てて!! そういうことと同じじゃんか!! 自分が触れた手と、見つめた目はそんな淋しいリフィナーじゃなかったよ……—―絶対に!!!」
息を乱して言い終える。表情は興奮して赤くなっていた。まるで、世の理不尽を受け入れられない子供のように……。そんなするめを黙って見ていたルイとファレイの目には、すでにいつもの光が戻っている。とくにファレイのほうはその輝きを増していた。……なにかを決意したように。
そうして部屋が落ち着きを取り戻し、するめの息が整ったころ、ルイが何度目かのため息をついた。
「……まあ、いくつか言いたいことはあるが、確かにルティーシャにまで聞かせることではなかったな。それに晴は否定していたが、やはりいま、記憶がよみがえって意識を奪われていたのは、今回のそれについては私の話が関係していると思っている。つまりは話すべきではなかった、ということだ。……すまんな」
ルイがするめと俺に頭を下げた。俺は「あ、いや……」と頬をかく。するめは目を丸くして、「べ……、別に自分はそこまで……」とわたわたし始めたが、ルイはそれに構わず、隣のファレイをちら見して、「それに、【隠れセイラルファン】までいたことだし、な。なおのこと口にすべきではなかった。……ただ、お前には謝らんが。いかに晴が弱いとはいえ、もう少し主を立てたらどうだ。私が主だったらセイラルファンの従者なんて絶対に嫌だぞ。天上の鳥と比較されているようなものだ」と続ける。果たして真実を口にできず、返す言葉を持たないファレイは、ただただ「う、う……!」とうつむくばかりだった。
「……さて。いかに結界を張ってるとはいえ、ひと様の家に邪魔するには、人間の常識ではありえない時間になっているから引き上げるか。……ルティーシャはウチに泊まれ」
ルイが立ち上がる。するめは、「ええ……!? べ、別にいいよ!! 帰るのなんてすぐだし!!」と思い切りかぶりをふるが、「 泊 ・ ま ・ れ 」とルイが顔面をつかみ始めたので「とっ! ととと泊まりまっしゅ!!」と即答した。……可哀想すぎる。
「いまのルティーシャの長広舌でいろいろやることが固まったよ。……晴。夏休みの予定はどうなっている。8月の中頃は」
「えっ……? あ、ああ……。たぶんその時期なら。今年はけっこう予定があるんだけど。大丈夫だと思う。……何日くらい空けておけばいい」
俺は尋ねた。たぶん、というかほぼ確実に修行だろうし。そもそも俺は弟子で、ただロドリ―のはからいで、人間としての生活を考慮されて修行を手加減されているといっても過言ではない。ほんとうなら夏休みすべてを使うと言われても文句の言える立場じゃないからな。
だからファレイも黙っている。むっちゃくちゃルイをにらみつけて歯ぎしりしてるけど。さっき顔つきが変わったと思ったところなんだけどな……。
「まあ、10日もあればいいだろう。どうせ……だし。詳細は追って連絡する。それとそのとき、人間風に言えば合宿か。それにはルティーシャも連れていく」
「「「えっ?」」」
俺、するめ、そしてファレイが同時に声を出す。そしてすぐさま――ファレイが立ち上がり、するめを指差しつつ叫んだ。
「—―待て! 合宿……というのは修行でしょう!? それになぜこの者を!? もし晴様の修行を手伝わせるためというなら不適格よ 弱 す ぎ る っ !! 」
真顔で断言する。するめはなんとも言えない表情で立ち尽くしていた。ルイは無表情。……ってか俺がそのするめよりはるかに弱いし、むしろ修行内容によっては、ルイと比べれば俺に近い相手のほうがいい、というくらいファレイにも分かってるはずなんだけど。……まあ、これはそういうことじゃなく、感情的に許せないってことだろう。自分の崇める存在の、稽古の相手として。
同じように、ファレイの本意を理解しているだろうルイは想定内というふうに、淡々と告げた。
「……じゃあお前も来るか? 勝手についてこられたほうが迷惑だからな、計画的に。その代わり、事前にいろいろ了承してもらうことになるが。それでよければ参加しろ」
ルイの思いがけない提言に、ファレイは固まった。そして、は……っ! と、とつぜん意識を取り戻したように自分を一度、二度、三度と指差して私? 私に言ってる? とルイにうきうき確認を取る。ルイは心底うざったそうに何度もうなずいた。
「ふ……、――ふふふふふふっ! あなたは常々晴様に手を出し口を出し色気を出し、心底どぅしようもない ク ソ カ ス 女 だと日々思っていたけれど、意外と理解があるようね! ……とうぜん参加するに決まっている! たとえどんな条件でも構わないっ!!」
そんなことでセイラル様との主従の絆がっ! 慕う気持ちがどうにかなるはずがないっ! と漏らしそうな気配満々で言い切った。するとルイは、喧嘩を売るような言葉が交っていたこともスルーして、「じゃあこれを握れ。簡易な契約術式を仕込んだ魔具だ」と、ポケットから赤いピンポン玉のようなものを取り出した――ら即座にファレイは握りしめ、それは赤く発光し、やがてちん、と音を立てて光を消した。
「……よし。これでいちいち無駄な労力を使わないで済む。合宿はとうぜん修行だが、同時にきょう、晴に持ちかけた話も実行する。期間中、ルティーシャと晴を付き合わせるというな。男女として」
玉をポケットにしまいながらルイが言う。ファレイとするめは、固まるを通り越して時を止めていた。そんなふたりを、俺が苦笑しながら見て、ルイに、「いや、だからその話は……」とつぶやいた瞬間—―ふたりの時間が動き出し、右腕をファレイに、左腕をするめに俺は思い切りつかまれた。
「セっ……!! せせせせせセイセイセイっ!! せーーーーーーーーーい様っ!!?? なななななじじじじじじじじ冗談だんだんだんだ!? ごごごごっごお冗談ですよねこんな……こんな色気のかけらも品性の香りも服装のセンスもそもそも論外の身だしなみのおんなーーーーーーーーーーーーーーーっ!!! と付き合ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーう、など!!!! おやおやおやおやめーーーーーーーーーーーーーーーになりまくってくださいどんな理由があろうともべへええええええええええええええええ!!!!」
「おっ……!! おまおまおまおまおま、おまーーーーーーーーーーーーっ!! なななななななになになになにをルイ師姉ししししししししに吹き込んでんだこのペンポートペンペンの最下級の爪の先のアカがぁーーーーーーーーーーーーーーーーーくそっ!!! も、ももももしかしてずっと自分のことをんねらねらねら狙ねらーーーーーーーーーーーっ!!!??? し、しししし知ってるぞお前みたいなヤツを 直 結 厨 と言うんだろっ!!?? ああああ自分があまりにも女として魅力がありすぎるから 電 波 の 海 を 超 え て 魅惑してしまうなんて……っ!! セイラルさーーーーーーーーーーーんごめんなさーーーーーーーーーーーーいっ!!!」
ひとりは半泣きでやめろと言い、もうひとりも半泣きで訳の分からん許しを天に乞い、どちらも俺の腕の骨を破壊する勢いで握りしめていて、俺は卒倒しそうになっていた。……のだが、
「ぽいる」
と、ルイがつぶやいたとたん、ファレイの動きが止まり俺の右腕は解放される。そして左腕も、ルイがするめの顔面をつかんで引きはがしたために自由になった。た、助かった……。
「玉に触れた者は、あらかじめ仕込んだことがらに従わないと、この言葉でセイラル・マーリィの静止術式、『ゲルダ』に近しい効果が生まれる。ちなみに解放されるには10分ほどかかるが、心から反省すれば7分ほどになるから、したほうが楽になるぞ」
こともなげにルイが告げ、玉の入ったポケットを叩く。ファレイは自由にならないまま、目に絶望の色を帯びていた。前にロドリーにファレイとルイがかけられているのを見たことあるけど、マジであれほぼ同じだな。ちょっとだけいまのほうが動けてるけど。確かにこれではどうにもならないが、いったいなにを禁止項目にしたんだろうか……。
「じゃあな。あと30分くらいは結界が消えないようにしておくが、宗治氏にバレる前にその女を帰しておけよ。それと合宿までに、エスコートの予習をしておくんだな。こっちも多少は女らしく準備させておくから。……ほら来い! さっそくいまから風呂に放り込んでやるっ!! 髪の洗い方も知らんのか……!!」
顔面をつかまれたままのするめが引きずられ、ほどなくふたりは引き出しの中に消えた。その信じられないさまを見たファレイは目を動かせる限界まで見開いて、「あ……、れ……—―は? な……、な……に……!? な………ん……で……す……かぁ……!!??」と必死に尋ねてきて、……このあとのことを考え俺は頭を抱えた。




