第97話 消去
6畳の、部屋の中央に丸い座卓を置く――。
俺の勉強机と同じく、これもじいちゃんお手製で、昔はよく友達が来たときとか、幼い水ちゃんが来たときなんかには使われていたが、さいきんはすっかりご無沙汰で出すのも久々だった。
なので布巾できれいにし、それから、それぞれの前に並べたコップへ、持ってきた瓶のオレンジジュース『風切り』を注ぐ。
ファレイは俺がジュースを持って戻ってきた直後から、「……わ、私がっ! あのっ、私がっ!」と必死に手を伸ばしてきたがそれを制して座らせた。ジュースを注がれてもなお恐縮しきりのまま、「あ、ありがとうございます! そ、その……、片付けは私がっ……!」となお言うも、夜中の11時をまわった現在、じいちゃんのいる一階にファレイをやれるわけがなく、「大丈夫だから」とだけ伝え、俺はため息をついた。そんなこと、ふだんのファレイなら分かるはずだが、完全に頭から飛んでいるのだ。その理由は、同じく座卓を囲むふたりのリフィナーの存在にあった。
「うむ。美味い。私も取り寄せたが、なぜだろうな……。やはりここで飲むほうがわずかに美味い。確かに同じものだよな?」
と、俺の右隣に座る黒髪ロングの女性、ルイ・ハガーがつぶやく。俺は淡々と返した。
「同じだけど、保存の仕方が少し違う。じいちゃんは新聞紙でくるんで冷蔵庫に寝かせて入れてるんだ。たぶんそのせいじゃないかなあ」
「新聞紙……? 野菜なら分かるが、瓶ジュースだぞ? まああれほどの料理を作れるのだから、なにかしらの根拠か、経験で発見したものがあるのだろう。さっそく帰ったら真似しよう」
と、満足そうにうなずくと、またひと口。いっぽうそんなルイの斜め後ろに座る、だるっだるの襟ぐりのぶかぶか灰色トレーナー一枚きりの、肩ほどのぼさぼさ頭の女、ルティーシャこと通称するめは、その眠そうな両眼に、いまは怯えた光を宿してルイのシャツをつまんだまま、……要するに彼女に隠れてびくびくしていた。
さっき引き出しから飛び出してきたときは、俺にブチ切れ殺意まんまんで襲いかかろうとしていたのに、それに激昂したファレイに逆さ吊りにされて泡を噴いて気絶し目覚めたのちは、ひたすらこの場から逃げ出したいオーラ増し増しで、姉弟子たるルイの陰にかくれて時をやり過ごしていた。
そしてファレイは、そんなするめへの怒りはもはや飛んで、ただただ俺の目前で犯した失態に反省し、落ち込み、なんとか挽回できないかとひたすら考えている……ように見えた。とうぜんジュースにも口をつけずに。怯えるするめもそうなので、現状、石地蔵と化したふたりをよそに、俺とルイがジュースを飲みながら世間話をしているだけになっていた。
だがそれから10分後。ルイがとうとうコップを置いてするめをつかみ、俺の正面になる席へ放り投げた。
するめは、「あひっ!」と言ってまたルイのもとへ戻ろうとしたが、彼女の眼光がそれを許さず、「あひっ……、ひぃいい……」と半泣きでその場にとどまるも、今度は座卓に隠れようとしたので、おおきくため息をついたルイは、ファレイに言った。
「おい。コイツに危害を加えないと言ってくれ。このままじゃ話もできない。それはお前も困るだろう?」
「……き、危害などっ!! 私はただ、そこの者がセイ……晴様におろかにも無礼にも襲いかかろうとしていたのを阻止しようと……!! 別にふだんは、むやみやたらに攻撃を加えるようなことはしないっ!! ……ほ、ほら……お前っ? なにもしないからちゃんと座りなさいっ!!」
「あひいっ!!」
果たして想いは通じずに、するめは恐怖で涙をこぼして襖まで後退、そして立ち上がって俺の机の引き出しを開け、中に逃げ込もうと足を高く上げたところでルイが指を弾き赤い魔力を飛ばし転ばせた。するめは魔力弾が直撃したふとももの裏を涙目でさすりながら、ファレイには目を合わせずに、椅子を盾にしながらルイに訴えた。
「ル、ルイ師姉はいつもこうだっ!! 美味しいランチャ(※甘い肉まんみたいなもの)があるからと呼び出しては自分をバルク(※トリケラトプスみたいな魔獣。とてつもなく獰猛)の谷に放り投げて修行させたり、好い画材が手に入ったと言うから来てみればペンポートペンペンな男たちとデートさせたりっ!! 自分をいつまでも子供と思って師姉の思うように扱っている!! ……自分への信用がぜんぜんないんだっ!!」
「あるわけないだろうこのビビりの逃亡魔の大逆らいがっ! お前、私がお前の言うような『だまし討ち』をしなければ、いまごろクラスBどころかDくらいで、未熟なままどこかで殺され確実に死んでるぞ!? そして恋愛どころか仕事ですら男との関わりを拒否するからトラブルばかり起こすし、……お前こそ私の苦労を一滴でも飲めこの阿呆がっ!!」
ブチ切れて座卓を叩き瓶が飛び上がる。それに気づいたルイは舌打ちし、せっかくの好いジュースがっ! というふうに両手で抱えて中身の乱れが収まるまで待ちつつ、またするめをにらみつけた。だが今度はするめも譲れないのか半泣きながらも目をそらさない。いっぽうファレイはそんなふたりの様子を、眉をひそめて見つめていたが、再びぎゃーぎゃー言い合いが始まったのを機にごほんごほん! とおおげさに咳ばらいをし、言った。
「私はおま……あなたたちの言い争いを見るために、恐れ多くもこれほど遅くに晴様の部屋へ駆けつけたのではないのだけれど。いい加減、晴様へのご迷惑が極まる前に、いったいどういう理由でここへ訪れたのか。端的に説明してもらえるかしら。……ほんとうに、もう危害を加えるようなことはなにもしない」
落ち着いて話したものの、依然効果も信用もまるでなく、ひっ! とするめがまたビビり、それで顔をそらした際に俺と目が合うと、カッ! と今度は両眼を見開いてこちらを指差し、たどたどしくもまくし立てた。
「そっ……、もっ……、もとはと言えばっ! そいっ……! そいつのせいなんだっ!! そいつがセイラルさんの名前を騙り、自分に説教なんてするから、どうしても許せなくてっ!! ――……だから来たんだよっ!!」
「……。……名前を、騙る……?」
瞬間、ファレイがするめよりも両眼を見開き、地獄の使者かといわんばかりの三白眼で彼女を見返した。それでひょっ! とソプラノリコーダーのような音を出してするめは息を吸い、止め、畳に直角に倒れ込もうとしたのをルイがまた魔力を飛ばして方向を変え、椅子に座らせた。着席の衝撃で気絶は免れたが、がたがた震えて俺の机を動かして後ろに椅子ごとまわり込んだ。おい……。それ元にちゃんと戻すんだろうな。……っていうか、ファレイ。お前なあ……。
「……そいつは、晴がネットで使う名前を【たまたま】セイラルにしていることを、『騙る』と表現しているだけだ。セイラル・マーリィの熱心な【ファン】だからな。……というか、なぜお前がそれで切れる必要がある。いかに晴に対して不名誉な物言いだとしても、そこまで怒ることか?」
ルイは訝しげにファレイを見やる。だが怒りが充満し、それでもまだピンときていないようだったので、俺は横目で一度だけファレイを見て、その『やらかし』をたしなめた。するとファレイはようやく気づいて真っ青になり、唇を震わせて、おそらく頭を高速回転させたあと、慌てて言った。
「あ……、う……! せ、せい、セイ、せセ晴様がセイラルさ……、【セイラル・マーリィ】、かの魔神の名と同じ名前を使うことを、騙るなどと表現するのは、とうぜん従者として怒るに足る、完全なる侮辱行為だからだっ!! たし、たし、確かに【セイラル・マーリィ】はとてつもない存在で、恐れ多いという気持ちはあるが、私の主たる晴様だって、それに比肩しうる偉大なお方っ…… 私 に と っ て は ! ! 世 間 が ど う 言 お う と も っ ! ! あなたこそ、【セイラル・マーリィ】を神格化しすぎているから、従者がとうぜん持つ主への敬意こその怒りに納得がいかないの……、――のだっ!!」
なんとか言い切って、いつの間にか立ち上がっていたこと、指を突きつけてまくし立てていたことにも気づき、ファレイははっとなり腰をおろした。目を潤ませて。……俺には分かる。ファレイがいま自分の中で、先の物言いを納得させるために格闘しているのが。
晴がセイラルと同一人物ではないとしつつ、世界一の魔術士に対する世間の認識も認めつつ、その上で自分の物言いの正当性を、自然に訴えねばならない。しかも、そのためとは言えセイラルをとおい知らぬもの、ひいてはたいして価値を主観的には認めていないというスタンスで、という。これがセイラルを崇めるファレイにとって、どれだけ苦痛極まる行為かは分かるので、話題の当事者の立場であれだが心底同情する。
「……まあ、微妙にひっかかる物言いではあるが、それは確かだな。主と従者の関係というものは、リフィナーごと、いろいろ様子が違ってはいるが、それこそがまっとうだと私も思う。私は師匠には、弟子としてついただけで従者の経験はないが、……周りを見て感じることはあるからな」
ルイがコップに口をつける。ファレイは自分の弁が通ったことに安堵したのか、ようやく同じようにコップに口をつけた。だがそこから離れて、俺の机のさらに向こうに隠れるするめは、頭を出しては引っ込めてを繰り返しつつ、口をぱくぱくさせて言った。
「ル、ルイ師姉もそ……、そそそっちの女もっ! セイラルさんのことにてんで関心がないからそんなことが言えるんだっ! —―自分は違う!! セイラルさんがこの世でただひとり、自分の身も心も捧げてもいいと思えた、たったひとりの男性なんだよっ!! 単なるファンなんかじゃないっ!! それを……そんな大切なリフィナーの名前を、そこにいるような有象無象、ペンポートペンペンの最下級に名乗られてみろっ!! 怒るに決まってるだろうがっ!! ……だから自分がきょう来たのは、そいつに謝罪と、改名、……と……」
次の瞬間、するめの唇は音を発するのをやめた。ファレイがコップを置き、無言無表情で銀光をまきちらしていたからだ。【いま未熟】な俺にでも分かる。少なくとも20万を超える魔力が放出されていることが。ルイの張った部屋の赤い結界が、ばちっ! ばちっ! ……いまにもはじけ飛びそうになっている。お、俺の部屋、大丈夫か……?
「……。いちおう言っておくが、これはアイツの魔力がすべて出ているわけじゃないぞ。最高値に近いのは間違いないが、魔力を全解放するには、ある言葉を唱える必要があるからな。……それにしても、やはり完全にクラスAの上限値を大幅に超えている。もはやなにかしらの精霊と同化してるとしか思えん。いったい、アイツの師匠はなにを仕込んだんだ……?」
隣で淡々と、ルイがつぶやき俺を見る。もしかして、主ということは師匠もお前で、記憶を失う前に……とわずかに疑念を忍ばせて。俺が即かぶりを振ると、ふっ……、そんなわけないよな……苦笑したあとにまたジュースを飲んだ。
まあ、仕込んだのが俺、というのは正解らしいんですけどね……。記憶がないから師匠時代のことはまるで分からないんだが。どっちにせよ言えるわけがない。【魔神】が修行をつけたからといえば、それでルイも納得するんだろうけど。
クラスAを大幅に……確か何万も、だったか、それくらい超えているというのは、前にカミヤも同じようなこと言ってたな。じゃあなんでSになってないんだろうか。確かランクアップには精霊にお伺いを立てるとかは、ロドリーが言ってたが。魔力が高くてもなにかが不足しているんだろうか……。
などと真面目に考えている間に、ゆらり立ち上がったファレイがするめを机の裏から引っ張り出し椅子に座らせ、自分は銀光に包まれたまま、机に手をついてその光でするめを照らし、もはや完全にドラマに出てくる警察の取り調べの様相を呈していた。するめは気絶したら殺されると察したのか目をぎんぎんに開いて半泣き半笑いで、ものすごく肩をちいさくして座っていた。……哀れすぎる。
「お前……。セイ……、セイラル・マーリィと会ったことがあるの?」
「へっ……? ほっ……? ふぁっ……、あっ、ふぁっ、ふぁいっ……、ひっ、ひひど……だへっ」
「へえ。一度。では、なぜそれで【身も心も捧げる】などと? それはとても、女がかんたんに口にできる言葉じゃないと思うのだけど。なのにたった一度きりの出会いで……なんて。ひと目惚れというものかしら」
「……あっ……、いっ……、ひいぐっ! そ、そり……は……、たすっ、いのっ、命を救って……もらって……、たからっ……」
「……。なるほど……ね。ところで、セイラル・マーリィが、いままでにどれほどのリフィナーを救ってきたか。【世界中で、どれほどだれかの救世主となってきたか】。……――お前には分かる?」
ファレイの放つ光が弱くなり、言葉の温度が下がってゆく。ルイはため息をついて、新しくジュースをついでいた。そしてするめは、幾度が口ごもったあと、なにかに気づいたのか……唇をかんだあと、下を向いたまま、やっとの思いで言葉を放った。
「…………あ、……う。……むす……、たく……さ……—―ん」
「そう。無数。たくさん。数えきれないほど。つまりお前……、いや、【あなた】も、【だれもかれも】。けっきょくは、突き詰めれば、彼が拾った無数にあるちいさな木の実のひとつ、【ありふれたひとりでしかない】ということ。……あまたの戦場を駆け抜け、失われたはずの個人の生命を、村を、街を……国すらも救ってきた、世界で唯一の【クラス0S】。それが【魔神】セイラル・マーリィという男性よ。……—―だから忘れなさい」
気づけば銀光をすっかり消し、真顔でするめに言った。けっしてきつい物言いではなく、脅しも威圧もない、淡々と事実を伝えるように口にして、目にはどこか諦観の光があった。そのさびしい光は、うつむくするめを冷ややかに、しかし優しく包み込もうとすらしていた。……まるで自分ごとそうするように。
「……だから私がずっと言ってるだろう? お前はロマンティックな運命の出会いと思ってるかもしれないが、向こうはそんなこと思っていないと。お前のかけがいのない出会いは向こうの日常茶飯事。……魔術士界のみならず、世界にその名を響かせたスーパースターなんだからな」
ルイはコップを傾けながら、どこか不機嫌にそう言い放つ。ファレイは皆に背を向けるように、窓の外を見ていた。ルイはそんなファレイを一度だけ怪訝に見たあと、するめの反応を待たずに続けた。
「お前は私やファレイ・ヴィースが、たいしてセイラル・マーリィに関心がないから云々と言っていたが。逆にそんな程度の女たちでも理解している、これは【常識】なんだよ。……そもそも、あの男はこれまでにも妻や恋の相手はおろか、女のうわさひとつないんだ。力でいいように従えたことも、……確か女の従者がいままでに何人かいたらしいが、それらに手を出すといった噂も聞いたことがない。むろん、男の噂もな。マスメディアに記録を残すことを極端に避けているから、真相のほどは分からんが……。私生活のことなど、我々凡才に近づきようのないことは事実だ」
コップを置く。そのわずかな、コトリ、という音に合わせてするめはいよいよ肩を狭くする。俺は少し考えたあと、三杯目をつごうとしていたルイに、しずかに聞いた。
「その……。ルイ自身はどう思ってるんだ? セイラル・マーリィのことを。いまの話しぶりだと、会ったこともない、こっちで言う芸能人みたいな感じで、よくは知らないというのは分かるけど」
俺の言葉にファレイが振り向いた。明らかにぎょっとしている。ファレイは、過去のセイラルから、自分のことを知るためにあれこれ聞いてきても答えるな、と命令されていることもあり、その辺に敏感になっているのだろう。だが別にほかの者に聞こうとしたら止めろ、とは言われてないはず。そもそもルイはよくセイラルのことを知ってはいないようだしな。
ただ、俺がどの程度突っ込んでいくのか、ルイがセイラルをどう思っているのか、この会話がどういう影響をセイラルに与えるのか、不安に思うこともあるという感じか。だからすぐに動けるような体勢に変わっていた。
そしてするめも顔を上げ、ルイを見ている。ということは、ルイはいままでに、通りいっぺんのこと以外、セイラル・マーリィについて話したことがない、ということだろう。恐怖の色は消え、机の後ろから出てきて、座卓には寄らなかったが、離れたところで畳に腰をおろしたことで、彼女の発言に関心があることが窺えた。
「……。男としての関心はない。顔も声も体つきも性格も趣味も、ルティーシャの極めて主観的な報告から得た知識以外、なにも知らんしな。だが魔術士としての関心がないというのは、ありえない。憎むにせよ、崇めるにせよ、学ぶにせよけなすにせよ、そんな魔術士はこの世に存在しないはずだ。私も彼の魔術からは多くを学んでいるし、その開発したもので、使える魔術も多くある。……それに師匠がボコられてるからな。三回も。無関心でいられるわけがないだろう」
とくに怒ることもなく、ルイはぼそりと言った。だが、それに俺が思わず苦笑してしまったため、「……そんなに面白いか? 私の師がボコられたことが」と、俺の反応でブチ切れていた。俺はぶんぶんかぶりを振り、心の底から否定し謝ったが、その態度よりも、ルイは自分がキレたことを反省するようにため息をつき、続けた。
「師匠は気にしてない、どころかセイラル・マーリィを気に入ってるからな。友とすら言っていた。向こうがどう思ってるかは知らんし、師匠はだれにでも親しげにふるまうからあまり信用はしていないが……。ともあれ弟子の私が変な恨みを持つなどおこがましい、ということだ。お前に笑われる筋合いはないからつい怒ってしまっただけで。次笑ったらしばらくまともに宗治氏の食事が味わえないと思え」
と、脅しをかける。俺は真顔でうなずいたが、いつの間にかファレイが座卓に戻ってきて俺の隣に座り、するめもほんのわずか、さっきよりも前進していた。するめは前置きはいいから早く話せといわんばかりの前のめりに、ファレイはいまの、ルイの脅しで彼女に怒ったか警戒したか、それとも別のなにかか、表情がなんらかの気迫に満ちていてよく分からない。真剣ということ以外は。つーかするめは師匠がセイラルにボコられたことに対して思うことが、ほんとうにないのかよ。態度に師匠に対する関心感情がみじんも感じられないんだが。……これもあとで聞かなきゃならないな。
「師匠は昔から、セイラル・マーリィについては『実に面白い!』としか言わないからな。だから私が知っている客観的な彼についての知識は、魔術士として学び、生きる過程で自然に、必然的に得たものに過ぎない。そしてさっきも言ったように、男としての関心はないが、魔術士として以外に、リフィナーとしては……—―気になることはある」
「……なっ……、そ、それはなに!? ……なんなのっ!?」
今度はファレイが前のめりに座卓に手をつき言葉を放つ。……もしかして、自分の知らないセイラル情報を得たいだけなのか? なにを言い出すか不安だったとかじゃなく。ただのファンかよ!! いや、ファンみたいなものだけどさぁ……。どんだけセイラルのことになったらいろいろ吹っ飛ぶんだよ。
案の定、ルイは訝しげにファレイを見返し、「なんでお前がそこまで気になるんだ……。さっき晴を比較で貶められてブチ切れていたくせに。その異様な魔力値といい、まさか【隠れセイラルファン】か? よもやセイラル・マーリィに憧れて訳の分からん修行を重ねて、クラスの限界値を超える、尋常でない魔力を身に着けた口か。……こんなに弱い主の従者でありながら、世界最強の男にお熱とは……。晴、こういうときにこそ怒れよ。お前、男としてコケにされているようなものだぞ?」と半眼で俺をヒジでつつく。……説明のしようがない。ファレイは呆れ顔の俺に気づいてまたわたわたし始めたし。あー面倒くさい。
「……前から気になってはいたんだ。ルイ師姉はことあるごとに『男として興味ない』『関心がない』『どうでもいい』と繰り返していたが、……【そこまで興味ないアピールするのが不自然】だとっ!! ……【リフィナーとしては】とかっ!! やっぱり師姉もセイラルさんに惹かれてるんだっ!! あああ自分があんまりにも彼の男性としての素晴らしさを話し過ぎたからっ……!! じ ぶ ん が ! ! 好きになったのは自分がぜんぜん先だから!! 横 恋 慕 はなしだぶげっ!!」
言い終わる前に赤い弾丸で額を打ち抜かれて吹っ飛んだ。そしてファレイはファレイでするめのことなど見向きもせず、「セイラル・マーリィの凄さというものはあなたの言う通り魔術士として生きる者なら男女の区別なく実感させられるものでありそこに恋愛感情など入る余地もなくそれに主たる晴様を男性としてコケにしているなどありえない暴言であり訂正を求めるがそれよりもなによりも私はセイラル・マーリィに対しても晴様に対しても女としてなどと考えるなどはあなたは前も勘違いしていたけれどいい加減にしてもらいうんぬんかんぬん」とマシンガンのように弁明を繰り返しており、とうとうルイは、「……お前ら、私の話を聞きたいのか、聞きたくないのか、どっちだ?」と脅し始め、それでファレイは一瞬で黙ってするめは起き上がり土下座した。
「……ちっ。まさか【魔神】の幻惑がここまでとは。まさに神の仕業だよ、これは……。ともかく私が気になっていたのはこうだ。お前らみたいなファンとか信者にうんざりしていることもあるだろうが、そんなレベルではなく、あの男は――【この世に残るつもりがない】んじゃないとな」
ファレイとするめが同時にルイを見た。俺はふたりに遅れて、ゆっくりルイを見る。そのとき彼女も俺のほうを向いて目が合い、「そういえば、そもそもお前に質問されたんだったな。忘れてたよ」と、一度、視線を呆然とするふたりへ向けて苦笑してから、また俺に向き直ると、続けた。
「あれほど有名で、かつ王侯貴族とも交わりがあり、なによりひとりで一国に比肩しうる実力者でありながら、地位や権力から距離を取り、表舞台を極力避け、マスメディアを極端に嫌い記録を残さないのも、知名度に比して顔を知る者も限られていることも、私生活が謎に包まれていること、そして現在、失踪していることも含めて――。ただ世俗を嫌い隠遁を好んでいるのではなく、自分の存在を消そうとしているんじゃないかと、私は考えている。……もしかしたら、歴史から抹消しようとしている気すらな」
ルイは息をはいた。するめは呆然としている。だがファレイはバン! と座卓を叩いてルイに詰め寄った。
「—―そ……っ! そんなはずはないっ!! あるわけがないっ!! ……じゃ、じゃあなんでたくさんの魔具を創り、魔術を開発している!? すべて世に広まり、評価され、愛され、……これからも残るものばかりじゃないかっ!! その名前といっしょに、ずっと、ずっと……」
「【その名だけは隠さず有名】だからな。それは残してもいいと踏んでいるんだろう、とも私は考えている。……つまりは偽名だよ。セイラル・マーリィという名は、おそらくあの男の本名じゃない」
ファレイの表情が真っ青になった。するめの唇が震えている。俺が唾を呑み込むと、その音に合わせてさらにルイは言った。
「セイラルという名は多くはないが、ないことはない。だが【マーリィ】という家名、名字は聞いたことがない。それはふつう、女の名前だよ。あまりに有名になりすぎて世に通り、ほとんど違和感を持たれていないが、私の知る限りでは、こんな不自然な組み合わせの名を持つリフィナーはいない。だから偽名だと思っているし、そこに彼の不可解な隠遁主義をつなげると……私の仮説とも合うからな」
ファレイは見るも哀れなほどに青くなり、怯えていた。するめは小刻みにかぶりを振っている。いっぽう俺は、そんなふたりや、無言でまたジュースを注ぐルイらの姿が遠くなってゆき、極めて冷静に、クリーンな頭で、あの……何度も夢に出てきては消える過去の記憶の中、ただ唯一覚えている女の姿が浮かんできた。かの長く美しい青髪で、藍のマントを羽織った彼女の名は、やはり【マーリィ】なのだと。そして—―……。
その名を【俺がもらったのだ】……と。そう確信した瞬間……—―俺の【魔芯】がちいさく輝いた。




