第93話 彼女の【美しさ】
ファミレス『ポポ』を出たあと――。莉子ちゃんは顔をしかめ気味にお腹をさすり、「……きょうはもう、晩御飯食べられないかもしれません……」と漏らしつつ、よろよろと自身のロードバイクの鍵を外した。無理もない。パンケーキのあと、けっきょく白玉ふたつも注文したもんな。しかもその前に俺の白玉も食べてたんだから。まあ、気分が上がってつい食べ過ぎちゃうことがあるのは分かるけどさ。
「これから先輩とふたりきりでなにかを食べるときは、釣られないようにしないとですね。……うかつでした」
うお~い俺のせいかよっ! と突っ込もうとすると彼女は、「先輩は自覚がないのかもしれませんが、すごく美味しそうに食べてるんですよ。別にぱくぱく勢いよく食べたり、グルメっぽく味わってるとかじゃないんですけど、『……ああ、生きて食べられることは素晴らしいなあ』みたいな。……ほんとう、いったいどういう経験をしてきたんですか?」と半眼で見てくる。—―そんな食べ方してるぅ!? 確かに食べるのは好きなほうだけど! ……前にシンリやイッショー先輩を理知的に鋭いと思ったが、彼女もそっち系のような気がしてきた。店の中で俺について話していたことも合わせても。
ただ、もし【その眼】がそのうちに、近くにいるほどに、人間の奥、リフィナーとしての部分にも届くのなら……。『恋人のふり』は、やっぱりしなくて正解だったかもな。
「……? どうかしましたか」
「いや。ところで君の問題についてだけど。ほんとうにそれでいいの? 【自分で彼ときちんと話す】……って」
「はい。……いいというか、【そうしなきゃだめだ】って。そう思ったんです。……先輩ときょう話して」
莉子ちゃんはハンドルにかけていた水色のヘルメットに触れたあと、その手を握る。……彼女が白玉を追加注文したあと、くだんの問題――彼女に好意を抱く男子の行動がストーカー的になりつつあること――をどうするか、改めて俺はいろいろ考えを話したのだが、彼女はそれらには黙ってうなずくのみで、最後……覚悟を決めたように先の言葉を言い放ったのだ。
莉子ちゃんは、俺の視線に気遣うようなものを感じたのか、苦笑いしてかぶりを振り、続けた。
「もともと、彼のたびたびのアプローチに困っていて。その果てに、帰り道を見られてたことで怖くなって。それで先輩を頼ったんですけど。……友達でも、それ以外の親しい人でも、身内でもなく頼った先輩は遠い距離だからと、お決まりの無難なことを言うでもなく、無理にべったりすることもなく、てきとうにもしないで、ただ問題を抱える私に【すごく正しい距離】で向き合ってくれて。そんな先輩と話してたら、分かっちゃったんです。……私、なにもしてなかったな、って。……冷静になれたんですよ。鏡に自分の姿がはっきり映ったみたいに」
彼女は店のガラスに映る自分に触れる。そのまま、隣に映る俺へ話しかけた。
「自分ではずっと、彼のアプローチを断っていたつもりでも、じっさいは彼を傷つけたくない……、いえ、断ることで自分が負担に感じたくないから、どこか冗談を含むように、そのままなんとなくやりすごせるようにしてたんです。だから彼もやめなかったんだろうなって。そして帰り道を見られて怖くなったのも、彼の奥をよく知らないから怖くなったんですよ。……彼は友達というほど仲良くしているわけじゃなく、ふつうのクラスメイトで。いままでの交わりで【私が彼の奥を感じたことも、彼が私の奥へ触れたこともなかった】。それに気づかないといけなかったし、彼にも伝えなきゃだめだったんだなって。そして好意を何度伝えられても、恋の気持ちが芽生えなかったことも。あなたは、私にとって【そうじゃないんだ】……—―って」
ガラスの中の莉子ちゃんは、哀しそうな表情だった。やがてその眼は俺をとらえ、そのまま彼女は、……力なく笑った。
◇
それから俺はひとりで駅前の商店街を、愛車を押しながら歩いた。だんだんと空は重くなり、街灯や店の灯りもともり始め、辺りは一日の終わりを告げ始めていたが、なんとなく、まだ家に帰りたくなかったから。莉子ちゃんの言葉……とくに最後の言葉が、なぜか頭に残りもやもやし、それを消化するまで戻る気になれなかったのだ。
逆に彼女は別れ際、すっきりした面持ちで俺に頭を下げたあと、さっそうとロードバイクにまたがって、買い物客や寄り道の生徒たちでにぎわう駅前通りをぬうように去っていった。いちおうなにかあったときは連絡するように伝えたが、ありがとうございます、と俺にまっすぐに伝えた表情を見て、たぶんそれはないだろうな、と思った。
「ねーねぇ、ウチのカバンマジヤバくない? もはや芸術品じゃん!」
「お前それほかのヤツに言うなよ? 俺しか伝わらないから! ……つーかせめてその人形は外せって! なんでふんどしのおっさんなんだよ!」
いつの間にかすぐそばで、菜ノ高の制服である白い半袖の前を全開にした男子が爆笑しながら、隣を歩く、やはり指定の赤リボンを外しボタンをふたつほど開けた半袖を着る、短いスカートの女子に言うが、彼女は「おっさんじゃなくてお・ば・さ・ん、だしぃ! ってか『ミミおば』知らないの? さすがにそれはないわ~」とかぶりを振る。それに彼は「んなもん知ってるほうがねーわ」と軽く体当たりして、彼女もやり返す……という、おそらく恋人同士であろうふたりがじゃれ合いつつ、そのまま俺の隣を歩き出す。それで少し歩を速めて前に出たが、方向が同じなのか、けっきょくぴったり後ろについてくる感じになった。いちゃいちゃする声をいよいよ増しながら。
よく見たら、高校生に限ればあちこちこんなふうで、ひとりとぼとぼ自転車を押して歩く俺のほうが場違いだった。……というか、いまはとても、こういうのを見聞きするような気分じゃない。
そうして俺はハンドルを切り、楽しそうなふたりの横を通り過ぎて、来た道を引き返そうとしたのだが――。
「だめだよー緑川君。せっかくの放課後なのに、ひとり寂しくぶらぶらするなんて。とくにここではやめたほうがいいと思うなあ……」
そう言って俺の愛車のカゴに手を置く、見覚えのある姿が目に入る。女子としては高めの、俺と同じくらいの背丈。細い目に薄い唇。栗色の、片方だけ結んでいる長い髪。そして先ほどのふたりと違い、白い半袖のボタンはすべてとめ、きちんと青いリボンをしている。そんな同学年の――【7000ほどの魔力を持つ女子】がにこにこと行く手を阻んでいた。……た、巽芽良! なんでこんなところに……!
「『なんでこんなとこに』? みたいな表情してるけど。そりゃー学校近くでぶらぶらするトコなんてここくらいでしょ。お店もいろいろあるしねえ。でもひとりで来たのははじめてかなあ? この時間帯はとくにね。カップル多いから。もー気まずくて気まずくてー……」
と、すでに遠くなったさっきのふたりを指差して、そのあともあちこちの男女を指し示す。「……おお。なんという数。きょうも幸せたくさんだなー、うっらやっましい~」と、おどけたように体を揺らしながら淡々と。俺はおおきくため息をついて、できるだけ心を落ち着かせてからヤツに言う。
「まさか、とは思うが……。あんた俺をつけてたか? ……—―もしそうならいつからだ」
「ええ……? やだなーないない。たーまたま。たーまたまぶらぶらしてただけだってー。たまぶら! ……あ、ちょっと変なふうに聞こえた? ぶっふーっ! ごめーんメン。こう見えておばさんだから許してねん。今年でもう75でえー、気がゆるむとさ、人間の17歳のふりが面倒になっちゃって」
肩をとんとん叩き、腰をぽんぽん叩き、最後に首をだるそうにまわしていたが、ファレイよりも年下である、人間でないコイツが、【その程度の歳で】――人間の中年や老人のように体がだるくなるわけがない。つまり物言いといい、完全に俺をなめくさっておちょくっているのだ。……やはりどう考えても、この女が俺に好意など持っているとは思えない。いったいなにが目的だ? もしつけてきたのなら、ここである程度話をしておいたほうがいい、……か。
「……。ぶらぶらしてるんだよな。じゃあ時間あるだろ。ちょっと話さないか。……というか、嫌とは言わせない」
「えっ? いいヨーぜんぜん。好きな男からの、初めてのお誘いなのに行かいでかっ! ……って、まーたおばさんっぽいねー。なんか人間の若い子ってさー、言葉ファッションその他あれこれ、ころころ流行りで変わりすぎなんだよ。とてもついていけないわー。……いくら100年足らずで死ぬからって、もう少し腰を落ち着けてさ、じっくり生きればい……」
「—―……いーから来いっ! あともう喋るなっ! どうしても喋りたければ 天気の話題限・定・だっ!!」
俺は歯ぎしりしつつそう言って片手で愛車、もういっぽうの手で巽の腕をつかみずかずか人込みをかき分けていく。すると巽は、「天気? なんで? ……あー、余計なこと口にするなってことか。きみ、なかなか頭いいんだー見かけによらず。こりは意外なことでござった・な。……ぶふっ!」と、俺に引きずられたまま笑う。そのふざけた態度でますます俺の体温は上昇し、もはやさっきまでのもやもやは吹き飛んでいた。
◇
俺が連れてきたのは、商店街を抜けたところにある公園で、まだ完全に日は落ちていないことから、子供たちが走りまわっていた。ほかにも犬を連れた人や、くつろぐ老人たち、そしてカップル含めて菜ノ高生の男女もちらほらいる。ただグラウンドがあって広いので、その隅であるならば、話を聞かれることもないだろうと踏んだのだ。あと単純に、もう店に入るほど金がないのもある。……缶ジュースくらいは買えるけど。
「ここで待ってて。ジュース買ってくるから。……あんたはなにがいい」
俺は愛車をとめて、グラウンドの端に点在するベンチの中で、ひつとだけ空いていた背もたれのないそれを示して言う。巽はそこへ座り、人形やらキーホルダーやらじゃらじゃらさせた鞄を置くと、「じゃあメロンソーダ、……なんて。あるほうが珍しいか。別になんでも。しいて言えばコーラがあれば」と小銭を差し出した。俺はかぶりを振り、それで細い目をおおきくしたヤツがまた口を開く前に、背を向けると駆け出した。
そうして買って戻って来ると、巽は自分の鞄を枕にしてベンチに寝転がり目を閉じていた。そばに突っ立っていてもいっこうに起きようとしない。俺たちには魔力があるので、気づいていないはずがないから、声をかけろ、ということなのだろう。しかしムカつくので、俺は缶をヤツの顔に押しつけた。
「……んぶっ! ちょっ……鼻!? そういうの、ふつう額とか頬に当てるもんじゃないの……って、あら。メロンソーダだ……」
巽は起き上がり、俺の渡したメロンソーダの缶を見て瞬く。そうして巽が起きたことでできたスペースに俺は座り、自分に買ってきたペットボトルの緑茶をあける。それをひと口飲んだあと、巽のほうを見ずに言った。
「公園の裏に古い自販機があって、そこに売ってるんだよ。ここら……というか、学校から石墨まで、自販機だとそこにしかメロンソーダは売ってない」
「へー。詳しいんだ。でもなんで? もしかしてきみもメロンソーダ好きなの。それであちこちチェックしてたとか。……なーんてね。石墨って言ってるし。最寄りの蛍川から次の駅だもん。まさかそんなところまで調べるとか、面倒なことしないでしょ……」
そう言うと、俺の表情がわずかに引きつったのに気づいた巽は、「えっ? えっ? ……えっ!? うそでしょ!? メロンソーダのある自販機を? 学校からひと駅も捜し歩いて? チェックしてるの? わざわざ? コンビニとかスーパーもあるのに? ……—―ぶふーっ!!」と噴き出しつつ俺の顔をのぞき込んできた。なので舌打ちして言い返す。
「あ、あんただって好きなんだろ!? 好きなものが欲しけりゃ、それくらいのことはするだろーが! あと好きと言ってもいつもそればっかり飲んでるわけじゃねーからな!?」
メロンソーダマニアとか思われたら困るので、俺は緑茶を見せながら強めに言い放つ。しかし巽はいよいよ噴き出して、「そうね、そうね、『おい見くびるなよ。俺が好きなのはメロンソーダだけじゃない。……緑茶もだ』……と。はいよく分かりまし……ぶっ! ……って、ってか、あのさあ……、メロンに緑茶に、緑ばっかりね……、もしかして『緑』川君だから? ―—……ぶほほっ!!」と腹を押さえて大爆笑した。……こっ……! こここここのガキゃーっ!!
「もういいっ! 単刀直入に聞く!! ……あんたはいったいなにが目的だ!? どういう理由があって俺に近づいてきた! ……—―好きとか言ってたが【うそ】だろうそんなもん! いままで俺はあんたのことなんて知らなかったし、あんたが見るだろう校内や付近の校外で、なにか好かれるような特別なことをした覚えもない! ……好意を持たれる理由がないんだよ!」
「……。いやあ……。それは見解の相違、というヤツ。どうもメロンソーダの【好き】の違いと同じだねえ、互いの、たぶん。……きみの【好き】は重すぎるんじゃない?」
巽は涙を拭きながら顔を上げる。そして顔をこわばらせる俺をよそに缶をあけてひと口飲んだ。
「私がきみを好きなのはほんとうだよ。目的と言うならそれが目的でほかにはなにも。……でも、きみの思う【好き】とは違って【あ、好いな】【いっしょに過ごしたいな】というヤツなんだよね。それを【そのくらい】、とは言わないけど。客観的に、ものすごい感情の高まりではないことは確かかな。……きっかけもささいなことで、昼に言ったとおり、体育祭で……そこで風羽さんと二人三脚してたのを【発見】して【好いな】と思った……ひと目惚れしただけだよ。それでシンリに仲立ちを頼んで交際を申し込んだ。……きみは【好き】をけっこうとくべつな感情みたいにとらえてるようだけどさ。私のほうがふつう寄りなんじゃない?」
「メ、メロンソーダと人を好きになるのを同じように話してんじゃねえよっ! ひと目惚れはともかくとして、そういうのはあるかもしれないが……—―【俺】が【あんた】に惚れられるのが信用できないんだよ! 言動のなにからなにまでからかっているとしか思えなくてな!」
「あー……、それはよく言われるんだよねえ。うさんくさいとか。本気が感じられない、とか、それはこっちに非があるのは確か。でもこれが素というか【習慣】というか……、【そういうリフィナーなんだ】、というふうにしか説明できない。……でもきみもたいがいだと思うけどねえ。そこまで好かれることに疑いがあるというのが。風羽さんといい、体育祭でもたくさんの、はるかに【強い】リフィナーたちに囲まれても堂々としてたし、自分に自信がないようにも見えないのに。【弱い】のにさ。そこだけちょっと引っかかってるんだけど。……もしかして、なにか【あの連中】と渡り合えるカードでも持ってるの?」
そこで初めて、ふざけた態度がかき消えて、巽の細目がおおきくなり、白目が目立つほどになる。俺はちいさく息をはき、ゆっくりとかぶりを振って淡々と返した。
「あんたは……。あんたなりの【強い】【弱い】っていう基準で物事を判断してるんだろうが。付き合いやつながりっていうのは、そういうもんじゃねえだろうが。……少なくとも【人間】はな。それと風羽とかほかの皆のことは、どうも嫌ってるみたいだな。……【強い】からか?」
「そりゃそーでしょ。【弱者】が【強者】を好きになる? 自分より上の存在に憧れてる、なんていうヤツは、ぶっちゃけ無自覚の保身のためだよ。敵対して脅威にさらされないための、可愛げある従順さアピール。もしくは自分をごまかしてみじめさを感じないようにしてるか。ほんとうに【好き】になるのは対等な関係だけ。等しく目線が合う相手だけ。愛らしいと思うのは格下だけ。あとはぜーんぶうそっぱち。……というのが私の持論かな」
目を閉じてメロンソーダを飲む。そしてくるりと、呆然とする俺のほうへ向き直り、微笑む。だがそのあと真顔になり、缶の飲み口をがりっ……とかんだ。
「体育祭の二人三脚。きみは風羽さんと魔力を使わずに一心同体というくらいに一体化して走り切ってたけど。私からすると不自然だったんだよねえ。……【美しくなかった】んだよ。なにこの茶番って。あの女の魔力は20万を超えていて、いっぽうきみは1万くらい。そんなふたりが一体化してるのは、あの女が無理をして、きみが背伸びして、いびつに目線を合わせてるだけに過ぎないのに。でもふたりとも満足そうな表情をして、周りも息がぴったり、すごく合ってたと大絶賛の大合唱。その光景が、あまりにうそくさ過ぎて笑っちゃった。……そして腹も立ったんだ」
巽の両眼が、薄暗いオレンジ光を発した。それが拾えるくらいに、いつの間にか辺りが暗くなっていた。巽は俺の目をそんな両眼の、乏しい光で照らして続けた。
「なんでだれも、【自然に、楽に、ほんとうに合う相手】を好きになれないんだろう。高望みしたり、同情したり、ほんらい違う世界を生きるべき存在を無理やり引っ張ってきて、愛という名のもとに、自分の穴を埋めようとしたり、埋めてあげようとしたりするんだろう……って。ひととき目線が合っても、けっきょくはずれがおおきくなって、破滅したり、強引にずれを抑え込んで自爆したり、爆発させたりするだけなのに。それでも最後は【好い一生だった】と言い聞かせて死ぬ。……プライドとか驕りが過ぎるんだよ。ちっぽけな自我で運命に逆らっている。その不自然さが私は嫌なの。そして、自分の相手になれるかもしれない存在が、そんな巷にあふれる下らないいとなみに巻き込まれようとしているのが」
「……それが俺だっていうのか。あんたにとっての」
「たぶんね。絶対とか信じてないから言わないけど。その可能性が高いなあ、って。だからアプローチしたわけ。冗談でもからかいでも、【ほかの目的】とやらがあるわけでもないこと、これで分かった? ……筋は通ってるでしょ」
「ああ。【筋だけ】な。……そしてあんたこそ、自分の欲求ばかりで、その好きになる相手のことを考えていないことも、……よく分かったよ」
俺は立ち上がり、鞄の入った愛車のカゴに飲みかけのペットボトルを投げ入れた。そして巽を見下ろすと、はっきり言った。
「人間でもリフィナーでも、いろんな考えのヤツがいる。基本的には、それを否定する気は俺にはない。もしするときは【俺の障害になるときだけ】だ。あんたの好意を受け入れることは、そうなりそうだから言う。—―……返事は【NO】だ。俺があんたを好きになることはない」
「絶対に、とは言わないんだねえ。……それは同情なのかな」
「違う。未来のことなんて分からないだけだ。あんたが【宗旨替え】する可能性だってある。それでもあんたと恋をすることはないと思うけどな。……友達にはなれるだろうよ」
「しゅ、う、し、が、え! ぶっ、ふふふ……! 別にいいけど、私は価値観の同一化を求めてるわけじゃないよ? 天の星とか地下の油田とかじゃなく、地上の花に目を向けたほうが幸せになれる、ってことでさ。……まあ第一ラウンドは私の負けでいいよ。たぶん受け入れてくれないだろうなーと思ったし。ただひとつだけ聞いていい? ……なんで私のことを受け入れるのが、きみの障害になるのかな」
巽は再び真顔で見据える。俺はぼんやりとそれを見返したあと、愛車のハンドルをつかみ、ちりん、ちりん……ベルを鳴らし、それから赤くなった天を見たあと、彼女に向き直って答えた。
「俺はあんたの言う、【分不相応な高み】を目指しているからだよ。……魔力値150万超、クラス0Sを【超える】のが目的だからな。……あんたのいう自然体で生きてたら寿命が尽きちまう。――……それだけだ」
巽の顔色が変わった。そして気が抜けたようになり、ほどなく口角が上がり、はっ……、嘲笑が漏れ、次にそれが重なり、最後にあははははは、は! と無理やり爆笑して、素早く立ち上がり、俺を指差した。
「無理でしょ……、無理っていうか、……なに? なんで? なんでそういう発想になるの? ちょっと理解ができないんだけど……! 【強く】なるとか、そういう話ですらない……—―それ、【魔神】セイラル・マーリィを超えるってことだよ!? そんなこと冗談でも言わないほうがいいんじゃない!? だ、だれかに聞かれでもしたら……!!」
急に慌てて辺りをきょろきょろし、自分の体を抱く。あの常に平然としていた表情すら青ざめて。それで俺は苦笑して、思わず尋ねた。
「……いや、こっちが【なに?】だよ。んな不敬罪みたいな……。あんたの中の【セイラル・マーリィ】ってどんな存在なん……」
「—―【私の中】、じゃあないよっ!! ……きみまさか知らないの!? いま、【魔神】は失踪してるんだよっ!? あの、一国とも対等に渡り合える【 恐 怖 の 大 魔 王 】が、いまどこでなにをしてるか、魔法界中が大騒ぎしてるっていうのに……!! も、もしかしたら人間界に要る可能性もゼロじゃないのに……!! ――……に、二度と言わないでっ!!」
内またになり、思い切り自身を抱き、こちらが引くほどに青くなっていた。その声と様子にサッカーボールを蹴っていた小学生がチラ見したり、遠くで高校生カップルがひそひそしたりする。それがほかの人たちにも連鎖しそうだったので、なんでもないですよ~っ! と周囲に両手を振り無問題アピールしたのち、考える。……俺には記憶がない。ないが、【魔芯】が教えてくれるのか、これだけは体に刻み込まれているのかはっきり断言できるが……。100パーセント、セイラルが【 恐 怖 の 大 魔 王 】などという存在だったことはない。少なくとも、そんなふうに無差別になにかを破滅に追いやったことも。
たぶん巽は、これまでセイラルを直に見たことがないのだ。伝聞や、噂話でおおきくなった、生ける伝説としての魔術士たるセイラルを、さらにたっぷり想像で膨らませておびえている。そして、それは彼女の価値観――【強い】【弱い】でリフィナーや人の存在意義や関係性をとらえる物差しも関係しているのだろう。【弱者】を自称する立場としては、嫌うどころじゃ追いつかない、そんな【強者】を前にすると、恐怖するしかない……と。しかしまあ、自然に、とか言ってたけど、いまのほうがよほど……。
「……な、な、なにがおかしいのっ!? ちょっとさっきの話、ちゃんと理解した!? ……なんかちょっといまの態度で、きみへの【好き】がすこーぉし薄くなった! ああもう私を混乱させないで……—―って、なんで爆笑してるの!?」
青い表情が赤くなり、巽は自身の体を抱くことも内またもやめて、犬歯をむき出しにして指を突き出し俺を批判する。俺は笑いを必死に落ち着かせながら、頬の痛みをこらえながら、なんとか声を出すと、言った。
「いや、そりゃ、笑うしかないだろ……。皆が【不自然】? 【自我で運命に逆らっている】? ……俺にはそれ、これまで見せたあんたの、どこか達観したような態度のほうにこそ、そう思うけど。いまの慌てぶりのほうが、あんたのほんとうで自然の姿じゃないか。【分の不相応】にこだわっているほうが、無理をしてると感じるけどな」
「—―……はあっ!? そ、そんなわけないでしょ!? なにを根拠にそんな……」
「【美しかったから】だよ。いまの慌てふためくあんたのほうが。不自然で美しくない、自然体のほうが美しい、そんなあんたの言い分に倣うならな。だから逆に、俺はいまので、あんたへの【好き】がすこーぉし芽生えたよ。そんなあんたのほんとうのところをどんどん見せてくれりゃ、友達にはなれると思うけどな」
俺はそう言って手を振り、愛車のハンドルを握るとスタンドを蹴り、またがるとグラウンドの外へ向かってこぎ出そうとした。……が、がくん! と急停止させられ、思い切り体が前のめりになる。振り向くと巽が半笑いとしかめ面を同居させた不可思議な表情で、右手にほのかなオレンジ光を発して荷台をつかんでいた。……あ、あぶねーっ! んなことで魔力を使うなこけるっつーのっ!
「……名前。本名。私の。……話してなかったよね? 【好きな相手】に偽名だけ伝えるなんて、それはどうかと思ってさ。……聞いてくんない? ――というか、聞け」
完全にブチ切れ状態で、乱暴な物言いで俺にすごむ。完全にこっちがほんとうの表情、だよなあ……。言ったら怒りそうだから言わないけど。……—―『【習慣】』、か……。
「……分かった。じゃあ、あんたのほんとうの名前ってなんだ」
「……メラニー・ミタル」
「……メラニーか。だから芽良なん……」
「リメラ・ミルホート」
「……はっ?」
「メイラ・タッティ」
「……おい。いったい何個あるんだよ」
「この中のどれが本名だと思う? ……外れたらメロンソーダ、もう一本奢って」
巽は上目遣いで俺をにらみ言い放つ。これも本気、だな……。しかし実はこういう性格なのかよ。負けず嫌いにややこしいのがミックスしたような、ルイと横岸を混ぜたような性格してんな。……はあ~面倒くせーっ! 俺の残金知ってて持ちかけてんだろうなあ? あしたのお菓子代のためにも、絶対外すわけにはいかないが……。
「……。……。……—―おい」
「……なに」
「ないだろ。この中に。あんたの本名。……どこまでひねくれてんだよ」
俺はおおきくため息をついて頭をかく。いっぽう巽は驚くでもなく無表情でこちらをじっと見て、ぽつりと言った。
「なんでそう思った? ……私が嫌いだからかな」
「阿呆か。俺は物事を判断するときに好き嫌いは持ち込まないんだよ、目が鈍るから。単にあんたが【自信満々だったから】さ。絶対に当てられるわけがないと。それは高度な思考か知識を用いないと分からないか、もしくは答えがないから。……自分と同じく【弱い】と判断している俺に対して、前者のような高い能力が必要になる問いかけをするとは思えないから、消去法で後者だ。しいて言うなら、自分と同じひねくれた考えを期待して、かな。じっさいはひねくれじゃなくて素直にあんたのひねくれ具合を考えただけなんだごふっ!!」
即、横っ腹をオレンジ光をまとった拳で打ち抜かれる。とっさに魔力を集中して防いだけども! ……こ、これが【好き】とか言ってる相手にすることか!?
「……メラミル・ツターク。次からふたりきりのときは、メラミルで。そうじゃないときは巽でいいよ。下の名前で呼び合うほどの仲じゃないでしょ? 【まだ】。……そういうことで」
今度はオレンジ光をまとう手のひらでぺん、ぺん……俺の頬を軽く叩き、半眼で言う。その理屈ならふたりきりのときはツタークだろ。どうでもいいけど。……つーかリフィナーって偽名の付け方でてきとうだよなあ。ファレイで【風羽怜】花、ロドリ―・【ワイツ】ィで和井津とか。ほんとう、人間なんかどうでもいいってのがありありと表れてるというか……。
「ところで緑川君。きみの本名も教えて欲しいなあ。【好き】なリフィナーのほんとうの名前も知らないなんて、ねえ? ほうら、……お・し・え・て?」
にこにこ言ってるが、至近距離でオレンジ光のともる指を振るのをやめたらどうかね。コイツ、【弱者】と自称するわりに腕力頼みのごり押し系だな、じっさいは。……さっきの狼狽ぶりを見てたら、本名なんて言えるわけないけど。……まあこれしかないか。
「本名はあ、……—―おっしえっませえ~んっ! あんたが【好き】な人の名前を知りたい、というのと同じように、【あんま好きじゃない】相手には教えたくないからでーすっ! この理屈に納得できないならぁ、これから先、こんな俺を折伏できるような理屈を提示してくっださ~いっ! ……筋は通ってると思うが如何かなあ!?」
指を突きつけてドヤ顔で言い放つ。これは別にあおっているわけじゃない……、まあ少しはないでもないが……そうじゃなく! いままでで感じたコイツの負けず嫌いでややこしい性格からして、【乗ってくる】――そう思ったからだ。面倒なヤツではあるが、セイラルのことも知らないし、別の目的も悪意がないのも分かった。なら、無理に縁を切る必要もないし、関わりを頑なに拒む必要もない。……つまりこれは、そうした意思表示なのだ。関係を継続してもいいという。……そしてそれを、コイツなら分かるはずだ。
「……いわ、いいわいいわいいわいーーーーーーーーーーーっわっ!! 提示でもなんでもしてやるっつーーーーーーーーーーーーーのっ!! 別にきみの本名に!? そこまで!? 執着があるわけじゃないけど!? 上はともかく同じレベルの相手になめられてはいそうですか、ってそんなわけにはいかないんだよねぇ~……!! 愛してるわダーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーリンっ!! 本名を聞き出したあかつきにはきっとぶちのめしてあ・げ・るっ!!」
あ・げ・る……と指をふりふり、表情は地獄のスカウトマンよろしくの形相になり、コイツ、俺のことほんとうに好きなのかな? 【好き】と書いて【死ねばいいのに】とか読むんじゃないの? などと思いつつもブチ切れた巽……もといメラミルがキーホルダーなどじゃらじゃらさせた鞄をひっかけて歩き出したので、俺はおおきく息をはき、自分も愛車のハンドルを切る。……が、次の瞬間—―俺の左の耳たぶにちくりとした感触と、吐息がかかる。戻ってきたメラミルが、耳たぶを【かんでいた】。
「……見てなよ、【緑川と名乗るどこかのだれか】。……高い高い天を見ている、馬鹿で愚かで何者にも比較できないとびきり阿呆なきみの目を、私が地べたに向けさせてやる。—―……覚悟しろ」
顔を離しながら、吐息を俺にかけながら言い放つメラミルは、最後に前髪をなでつけて細い両眼で俺を射抜くと、去っていった。長い髪が揺れて消え、そのあと、いつの間にか人も少なくなった公園に残された俺は、耳に残る彼女の言葉にどこか懐かしさを感じ、こう思った。……なんだ。【ほんとうに俺と似てるじゃないか】……と。




