第92話 【だれにも立ち入られたくない】という感じかな……。
「……。その……。緑川……先輩」
「……うん」
「あの……。あれから、なんですが。友達、……あのときいたふたりが、私に……。先輩は【あの人】と付き合うのかな、とか。どう思う? 先輩的には【アリ】だと思う? とか……。けっこう盛り上がってて。『これからどうなるか教えてねっ』みたいな。そんな感じ、……空気になってるんですよ」
「まあ……、あんなのを目撃したら、ふつうはな。やいやい言いたくなるのは分かる」
「……その、別にあの子たちも、そんな野次馬的に騒ぐタイプじゃないんですよ。それはちょっとは、そういう面もありますけど。……でも先輩が言ったように、あんなの初めて見たっていうか。あんな堂々と、人がいるのに告白……なんて」
「……【人間】なんてたいした存在と思ってないからな、【リフィナー】は……」
「—―えっ? い、いまなんて……?」
「えっ!? あ、いや! なんも!! あはははひとりごとっ! ……は、話は分かったよ! 要するに、あれだ……。俺が君の彼氏のふりをする、っていうあの話は……」
「……はい。ちょっと難しくなりましたね。私が、そんな関係では……、って言っちゃいましたから……。ふたり、同じクラスだし。この話もすぐ広がるだろうし。……そしたら【彼】の耳にも。……—―ほんとうにすみませんでした」
と、頭を下げる莉子ちゃん。それに俺は、「い、いやいやいやっ! あれじゃだれだって【ふり】なんてできないよ、あの迫力で迫られたら……」と両手を振り、その後、彼女に頭を上げるように促す。それで莉子ちゃんは暗い表情を上げるも、
「せっかくこんな大変なことを、無理なことを……。協力してくれるって言ったのに。それに先輩の恋心と、その記憶が戻るお手伝いができたら、なんて。おおきなことを言ったのに……。なんでもっとうまく対応できなかったんだろう。いつも私は……—―」
と、いよいよ自分を責め始め、今度はテーブルに突っ伏した。俺は再び声をかけようとしたが、なにを言えばいいか思いつかず……。けっきょく、ちいさくため息をついて身を引き、ソファに背を預けた。
昼休みのあと。ぼんやりとした頭のまま俺は、そしておそらく莉子ちゃんも午後の授業を受け、放課後になるとすぐに落ち合い、ふたりで駅前のファミレス『ポポ』へと、まるでお通夜のような面持ちでのろのろ入店。そしてこのように、ドリンクバーだけ頼んで、まばらな店内の窓際でやわらかな光を受けながら、かの昼休みの出来事――俺がとつぜん莉子ちゃんとその友達たちの目前で、シンリの友達である女子に告白されたこと――を振り返り、その後どうなったかを話していた。結果、こんな感じになっている。
莉子ちゃんが同じクラスの男子に片思いされ、その彼の態度がストーカー的に変化しつつある、と感じた恐怖から、どうか穏便に恋を諦めてもらうため、自分に彼氏の存在をにおわせる……、それを実現させるため、彼女は俺に彼氏役を頼んできた。結果、俺は役を引き受けたのだが、その彼氏のふりをどんなふうにするか、話し合う前に……、いちばんふりを見せなければならない、莉子ちゃんの友達、クラスメイトたちの前で、かの女子に迫られたことで恋人関係を否定してしまい、今後ふりが難しくなってしまった。それをいま、彼女は悔いていたのだ。
はっきり言えばいちばん悪いのはあの女――巽芽良と名乗ったリフィナーである。ヤツが俺に関心があるのはそうだろうが、ふざけた態度といい、最後に俺へ示したメッセージからは、純粋な恋心とは思えないし。そもそも、そんな内情に関係なく、あんな【人生慣れ】したヤツが出てきたら、まだたった十数年しか生きていない、一般的な高校生である莉子ちゃんに太刀打ちできるわけがない。だから彼女が自分を責める必要なんかないのだが、たぶん性格的にそうしてしまうタイプなのだろうとは、いま感じた。
ともあれ、もし責めるなら俺のほうなのだ。二番目に悪いのは、巽の正体に気づいたのに対応が遅れ、とっさの機転が利かなかった俺……【阿呆の年長者】なのだから。
さいきん【セイラル】としての感覚が優先しつつあることに不安を感じていたくせに、こんなときには17歳の【緑川晴】のまま。そういう意味では、巽の言っていた【弱い】っていうのは当てはまると言える。未熟という点で。……が、だからといってこのまま、アイツの変なものさしに振りまわされてたまるか。【緑川晴】には【緑川晴】の、未熟なりに培ってきたしぶとさ、【強さ】もあるんだ――。
「……あのさ莉子ちゃん。『君はなにも悪くない』。俺はそう思ってる。でも、ただそれを伝えても君は納得しないだろうから、別のことを言うけども。……【方法を変えよう】。恋人のふりはやめて、別の、君の問題が解決する方法を考えるんだ。その考え方も、いままでの固定観念に囚われないで、もっと柔軟に、まっさらな気持ちで、ゆっくり。……なにか美味しいものでも食べながらさ」
できるだけ明るく言う。それで彼女は顔を上げた。そして少しうるんだ目を隠すように顔をこすり、乱れた前髪を指で直し、平静に近い面持ちに戻してまた俺を見る。俺は少し笑ってそんな彼女を見返し、タッチパネルに手を伸ばし、「とは言っても、あんま金ないからなー……。なるべく安くて美・味・い・の・は……」と言いながらパネルをスライドさせていたが、そこでぼそり、声が聞こえてきた。
「あの……。先輩はおかしいですよね、やっぱり……。というか、ふつうじゃない、というか……」
「……えっ? な、なんで?」
俺は驚いて手を止める。つーか【おかしい】と【ふつうじゃない】って、なにも言い換えてないよね本質的には!? ほ、ほんとうに毒舌だよな……。
「……その、こんなことを、落ち込んだ私自身が言うのもあれなんですけど……。もし私が、友達が落ち込んで、自分を責めるようなことを言ったら、『そんなことないよ』って言うと思うんですよ。そう言っても責め続けるのは分かってるんですけど、そう言うしかないっていうか。でも先輩は、そういうお決まりな言葉を選ばないで、すごくあっさり切り替えて、どうすればいいか考えようよ、……って。合理的すぎますよ。……でも相手の問題を軽く見てる感じとか、冷たい感じはぜんぜんはなくて。あくまで私のためにそのほうが、っていうような。……だからなんなんだろう、この人は、って」
そう言って、ほんとうに不可解といった表情で、眉をひそめつつ俺を見る。なんなんだろう、この人は……って。んな学者が新種の生物を観察するような目で見るのはやめて! 俺からしたら、君もよっぽど変わってると思うけどな! ……そういうの、心の中だけで思うことじゃない?
「……い、いや! 俺は別に変わったことを言ってるつもりはなくて! なんというか……俺も自分を責めることはあるからさ。俺だったら、そこをかばってもらいたくないっていうか。別のことを言って、そういう俺のことをひっぱり上げて欲しいと思うんだよな。……だからそうしただけ!」
「……自分なら、ですか。私はそういう感じで、落ち込んでるだれかに言葉をかけてあげることはできないですね。たぶん『こういう言葉を欲しがってるんじゃないかな』って。しかもありきたりなものを……。【自分ならこうして欲しい】という気持ちで、人になにかをすることがないのかもしれません……」
と、うつむいた。俺はパネルをテーブルに置いて、メロンソーダのグラスを持ち上げるとひと口飲んで、それから莉子ちゃんの前にある、同じメロンソーダのグラスを見る。
「もしかしてそれも、俺が選んだから同じものを……?」
「あ、はい……。とくにいま、飲みたいものがなかったこともありますが。基本的には相手に合わせます」
と、少しだけ顔を上げて、自虐するように力のない笑みを見せ、ため息をつく。俺は頭をかいたあと、目前のタッチパネルを彼女に差し向けた。
「じゃあ君から注文して。自分の好きなものを。俺のことは無視してさ。……そのあとに俺も頼むよ」
「えっ? あ、あの……。別に私は、いま、そんなにお腹が空いてないので……」
「ほんとにぃ~? 昼に君の素敵な巾着を見たけど。あれの中に入るくらいの弁当箱なら、そんなにおおきなものじゃないだろ。もうケーキくらい食べられる程度には、空いてると思うけど。それにいままでの部活でもお菓子をけっこう食べてたし。……ただ気分的に食べたくない、っていうなら、食べて気分を変える方法もあるよ」
「……先輩は、落ち込んでるときでも食べられる人なんですか? 私はそういうタイプじゃないです」
ほんのわずか、むっとしたように口を尖らせた。俺はソーダの氷をストローでからから混ぜながら、淡々と続ける。
「いーや。俺だって、ほんとうに落ち込んでたらなにも食べられないよ。でもそこまでじゃない場合なら食べられるし、食べて気分が上がることもあった。もちろん無理で気持ち悪くなることもあった。要するに、試してみないと分からない。【ほんとうにどうにもならないか】は。これも自分の経験からだね。……無理だったら俺の注文として引き取るから、食べたいもの、注文してみ」
俺は緑の液体がついたストローで、莉子ちゃんの前に置いたタッチパネルを示す。彼女は、「また自分なら、ですか……。これが単に自分本位の人なら、私も突っぱねるんですけど。……先輩はほんとうにおかしいですよね」と言いながら、パネルをスライドし始める。……君の言葉のチョイスもたいがいだけどな! でも昼の友達の様子を見たら、彼女のそんな面も分かった上で、好い面と合わせて付き合ってる感じがしたし、部活の皆もそう。やっぱりぜんぶで魅力を感じてるからだろうと思う。夢を持っていることも含めて。……彼女自身は、その魅力に気づいていないか、過小評価してるみたいだけど。自分の主観、判断に対しても。
「……じゃあこれを。先輩はなんにします? もう決まってるなら、いっしょに注文しますよ」
彼女が見せたのは、チョコバナナパンケーキ。……それ、腹が減ってないときに頼むやつやつじゃないよな? この分だと大丈夫そうかな。さて、俺はなんにしようかな……。
「じゃあ俺はこれ。白玉あんみつ。プリンのが安いんだけど、いまプリン的な気分じゃないんだよなー。財布に痛いけど仕方ない。クリーム抜きだからちょっと安いし」
「……—―ぶっ! プリン的な気分っ……あはははっ! そんなの言う男子いないですよ、私の周りには……!」
「えっ? い、言うだろ~! 俺の周りでは言うぞ!? 映画とか終わったあと、カフェになだれ込んだときにさ、『いまのこのしっとりくる感じ……ビターチョコ的な気分だな』『は? ほんわかあんこ的な気分だろ、なに言ってんだこのオタクは』『馬鹿かお前らっ! いまはこってり生クリーム的な気分だろうが! ――ヘイくりいむぅカモンっ!』……って。それで大喧嘩したこともある」
「あはははははっ!! くだらないあはははははっ!! 先輩の周りの男の人って幼稚園児レベルですね先輩を筆頭にあはははははっ!!!」
大爆笑、むちゃくちゃ笑っていた。ものすんごい失礼なことを言いながら……。おい、アイツらはともかく俺はそこまでじゃねーし筆頭とか言うなっ!! ……と、思ったが、そういえば前に、シンリに【階段ジャンプ】を怒られたな……。あれはこの子には言わないようにしよっと。しかし朝に爆笑されたときも思ったけど、この子のツボはほんとうに分からん……。
それからほどなくして。パンケーキが運ばれてきたのだが、彼女はそれがテーブルに置かれた瞬間にナイフを入れ、フォークを刺し、即・口に運び頬張っていた。さっきまでの暗い表情はみじんもなく、とても明るく、……彼女の言葉を借りるなら、まるで幼稚園児のように。言ったら怒るだろうから言わないけど。まあ俺の言葉で笑って元気になったんなら、それでいいか。
「パンケーキ好きなんだね。よく食べたりするの?」
「はい。というかパンケーキが嫌いな女子なんてこの世にいるとは思えませんが……。先輩の周りの女の人はそうでもないんですか?」
またすごい主語のでかい言葉が出てきたな! 馬鹿なんですか? みたいな表情してるし……。でも、じっさいどうだろうな。水ちゃんは意外とそこまで好きじゃないんだよな、昔から。『口がもさもさする』とかいって。ファレイとロドリーは酒飲みだし想像しにくい。ルイは俺が泊まりの修行のときに持っていった、みやげのまんじゅうを、『ひとりですべて食べる』と言ってリイトにあげないつもりみたいだったから、好きかもしれない。ペティも子供っぽいんだけど、タバコ吸ってビール飲もうとしてたし、よく分からん。……あ、そういや横岸とファミレスで朝飯食ったときにパンケーキ注文してたか。アイツを一般的な女子の基準としたら、まあ莉子ちゃんの主張もあながち間違いではないのかもしれない。
などと考えていたら、いつの間にか莉子ちゃんがじーっ……とこちらを見ていた。なので俺は我に返り、ど、どうしたの……? と尋ねると、彼女は半眼になって言った。
「女の人、周りにたくさんいるんですね……。群青さんといい、きょうの巽さん、でしたっけ。あの人といい……。なんでなんでしょうね。ぜんぜん格好いいわけではないのに……」
俺を上から下まで眺めまわすように目を動かし首をひねる……ひねるなぁ! あとたくさんもいないし、いるのは全員、君が想像しているような関係じゃない! 幼なじみとクラスメイト、あとはぜんぶリフィナーだ! ……言えるわけないけど。
「つーかさあ、【周りの女子】って。さっきは想像しなかったけど、言葉のままの意味なら、よく考えたらもう、そこに君やシンリ、楠田先輩も入るんだが。あとペ……、じゃなく、あの阿h……、じゃなく、群青さんと巽さんを同列にしないでね? 前も説明したけど、あの子は俺に恋愛感情があるわけじゃないから」
群青さんこと阿呆のペティが体育祭で大騒ぎしたせいで、要らぬ誤解を与えたことがあって、それはもう説明して解いたんだけど。アイツ莉子ちゃんと友達になってるみたいだから、いまの感じだと、また要らんことを吹き込んでる可能性があるな……。今後のことを考えて、あとでヤツにはちゃんと言っておこう。
「……そうですね。私も先輩の周りの女子に入るんですよね。部活仲間ですし。なんかちょっと遠く感じることがあって、実感がなかったんですが、……もう、すごく身近な男性でした」
俺のペティに関する心配をよそに、莉子ちゃんはそっち……【周りの女子】と言う言葉に気を向けて、しみじみとつぶやいた。それから自分が持つフォークと、目の前にある食べかけのパンケーキに気づいてはっとなり、ぽっと顔を赤くして、俺を上目遣いで見やる。
「あの……。すみません……。ふつうにぱくぱく食べてまし……た」
「あ、いや……。それは俺が馬鹿なこと言って君が笑って、気持ちが上がったから。……でも好かったね」
と返したあと、俺は自分の白玉あんみつに、ようやく手をつける。すると甘い味がすぐ舌全体に広がって、うん、美味い、と独りごちるが、同時にかちゃりとフォークを置く音がした。
「……? どうしたの。もしかして白玉も食べてみたくなったとか。ならちょっとあげるけど」
「……。やっぱり先輩は、【恋心を失くした】んだと思います。もともとないんじゃなくて。あったものを失くしたんだと。それも、とびきりの恋をした、その記憶を、気持ちを――」
俺の物言いに怒ることも、変なツボに入り笑うこともなく、とつぜん彼女はそう言った。俺は瞬きスプーンを置く。莉子ちゃんは俺をまっすぐ見たまま、淡々と続ける。
「群青さんが、先輩に向けている気持ちが恋心じゃない、というのは分かります。でもすごく尊敬していて、それも私が好きなデザイナーに対して想う気持ちとも違って、恋心ではなくても、【女子が男性と意識して向ける気持ち】なんですよ。先輩をそんなふうに見てるなって。……お昼休みの巽さんの、ほんとうの気持ちは、まだよく分かりませんが、少なくとも女子として好意を持っていることに嘘はないと思いました。……いま、こうして先輩と話していて、やっと私も分かりましたけど、きっと先輩はだれかをすごく愛したことがある人なんです。誠実に。ものすごく子供っぽい中に、ものすごく落ち着いた面が同居していて、そんな複雑な心に無理がないのは、そういう経験を経てるから。だれかの内に入ったことがあるから。そういう人に、……惹かれる女子はいるんです」
「……。……なんで?」
「女子は、だれかとのつながりに無関心で生きられないから。それが好いにつけ、悪いにつけ。だから先輩の【感じ】――きっといつかだれかに強く関心をもって、深く交わったような、ひとりきりでは得られない奥行き、温かさをもった雰囲気は……。魅力的に映る人もいると、私は思います。先輩に惹かれる女子が何人もいても、おかしくないなって。……納得できちゃいました」
莉子ちゃんはそう言うと、再びフォークを手に取り、パンケーキを食べ出した。いっぽう俺は、ぼんやり白玉を見つめていた。彼女の言うことの、彼女なりの本意は、はっきり理解したと断言はできないけど……自分なりには分かった。ただそれもいまさらというか、当たり前と言うか……。人間とは比較にならないくらい生きているリフィナーの、【俺】の――。その生が重ねてきたものは、やっぱり内に息づいていたということだ。
俺がかつて、だれかと愛し合ったことがあるのかは分からないが、いま恋心が【抜け落ちている】のは、……もはやそうとしか実感できないのは、【かつて恋心が在ったから】だ。【魔芯】がその空白を意識すると、きしむ。……疑いようもない。問題は、なぜそんなことだけ忘れているのか。それが人間界に来て、人間として生き直した理由に関係するのか、ということだが……。
「……ありがとう。おかげで大事なことに気づけたよ。気づけただけで、これからどうしたらいいかは、さっぱりだけど」
「【皆の前での恋人のふり】はもう難しくなっちゃいましたけど。単なる異性の部活仲間、先輩後輩という感覚じゃなく、恋の相手になるっていう意識をして、【陰でお試しのお付き合いをする】といいんじゃないかと思うんですが……」
「……。あの……、念のためだけど。それは君と、っていうこと?」
「はい。だってもともと、私の問題を手助けしてもらう代わりに、先輩の問題を私が手助けするっていうことでしたし。……【方法を変える】んですよね? なら私のお手伝いの仕方も、同じように変えますよ。見えないところでのお付き合いだから、先輩や私の日常にも影響ないでしょうし。……うん。それで行きましょう」
こともなげに、やはり幼稚園児みたいな表情でパンケーキをほおばりながら言う。なので俺は苦笑して返した。
「その……。改めてだけど。君のほうはだれかと恋したい、っていう気持ちは、いまはないの? 思い切り、そういうのの邪魔になるような……」
「ないことはないですし、もしかしたら、お試し期間中に、それが強くなることもあるかもしれません。でも、先輩のお手伝いをすることが、その気持ちや行動の障害にはなりませんから」
「……な、なんで?」
「先輩が、 私 の 好 み で は ま っ た く な い からです。つまり私のほうが本気になることは絶対ないと。そして先輩はたぶん存在する【かつての大事な女性】のことがあるから、もし私との疑似的なお付き合いがきっかけで恋心が戻ったとしても、それがそのまま、私に向けられることはないと思います。ウインウインのモーマンタイです」
「あ、……そう」
俺は引きつった笑みを浮かべてそう漏らす。それを尻目に莉子ちゃんはメロソーダを吸い上げると、「……やっぱり別のドリンク、取ってきますね。いまは【ココア的な気分】になったので」と言って、なぜかにこにこ顔で席を立ち、スキップでもするかのごとく軽やかな足取りでドリンクバーへと向かった。……おかしい。おかしいでゴザルよ……? 俺のことを心配して、親身に想ってくれる優しい後輩を、なぜかぎゃふんと言わせたくなってるのはなんでだろう……。……——っていうか プ ラ イ ド っ ! 男のっ! 誇 り が フ ル ボ ッ コ ! 理由は単純明快じゃーいっ!! ……あーっはははははは! 見てろぉ~~~~目にもの見せてくれるわぁーーーーーーーっ!!
そんなメラメラ燃やした闘志が消えぬうちに、莉子ちゃんがココア片手に戻ってきて着席。彼女はこちらの気も知らず、すぐにカップを左手も添えて持ち上げ、口をつけ、「……うん。やっぱり【ココア的な気分】だ。先輩はだいぶおかしいですけど、たまに一般人に使えることも言いますよね」とにっこり、まるで好いこと言ったふうな無自覚毒舌をまき散らし、いよいよ俺の引きつり笑顔も極まったが、ごほんと咳払い、それを見せずに調子を整えて、反撃の準備を整える。そうして彼女が三口目を飲んだとき、俺は言った。
「……じゃあさっきの話。お言葉に甘えて協力してもらおうかな。これからテスト休み、夏休みとあるし、君との予定もたくさん入れないとなあ。デートの」
「……あ、そ、……そういうことに、なるんですね」
莉子ちゃんの表情に戸惑いの色が浮かび、若干目が泳ぐ。……やはりな。まだ自分の提案を現実的に捉えてなかったか。時間が経てばそれなりに心の準備が整うだろうが――その前にっ! 俺のちっこいプライド回復分くらいの反撃はさせてもらうぜえ~っ!
「莉子ちゃんはどこか行きたいところとかある? デートの行き先として」
「……そ、そうですね……。彼氏のいる友達は、さいしょのデートはいましてるみたいな、学校帰りのお茶だったみたいですけど。初めての休日のお出かけは……映画って言ってましたね。だからそんなのがいいんじゃないでしょうか」
「いや。【友達が】じゃなくて。【君が】行きたいところを聞きたいな。君の楽しめる場所が俺は好い。恋心って、好きな女子のきらきらしたところを見れば増すものだしね。それを取り戻す協力をしてくれるのなら、ぜひ」
「えっ……、えっ? で、でも先輩は別に私のこと、女子として好きじゃないですよねっ? だ、……だから意味がないと思うんですがっ!」
「いや、好きだよ。恋心はともかくとして、広い意味でなら、人としてだけじゃなく、男としても惹かれる気持ちはある。君はすごく可愛いし、面白い面もある。もうはっきりとした目標、夢があり、それに向かうための努力と才能の見える素敵な作品を創ることも含めて、たくさんの魅力があって、惹かれないほうがおかしい。いっしょにいて退屈しないよ。もし俺がいまのような感じじゃなければ、君をひとりの女性として、本気で好きになっていた可能性はじゅうぶんある」
「えっ……!? え、えええ~っ!! ちょっ!! ……ちょっと待って下さいっ!! 本気になるかもしれない場合は不味いですっ!! それはこうした形では不健全というかっ! わ、私的にも不本意というかっ!!」
「いや、いま言った通り、もし俺が恋心を失っていなければ、だから。……まあ、でももしかしたら、こんなに魅力的な君と過ごす時間が増えたなら、それがたとえ疑似的なものだと分かっていても、やがて恋心も戻ってきて……。その気持ちがそのまま君へ向けられるようになるかもしれない。仮に、過去に心底好きな女がいたとしても――」
俺は莉子ちゃんの目を見据える。彼女は真っ赤な表情で震え、ぶん、ぶん、ぶん! と首を振り叫んだ。
「だめ!! だめっ!! だめですよっ!!! ……—―そんなの不純です絶対ダメっ!!! や、ややややややっぱりやめっ!!!! これやめーーーーーーーーーーーーっ!!!! きけっ!!! 危険な香りがし始めました私が浅はかでしたあーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
「……ん。分かった。やめよう。まあ俺の問題については俺自身でなんとかするよ。君の気持ちだけ受け取っておく、ということで」
俺が淡々と言うと、莉子ちゃんは口を開けて固まった。そして俺が何事もなかったかのように白玉を「うめー。いまは【白玉的な気分】になったから、とくにうめー」とにこにこもぐもぐしているさまを……その極端に切り替えた様子を見てはっとなり、それから半笑いで、俺を震える指で差して言った。
「あの……。も、もしかして私……。【やり返され】まし……た? 先輩のこと、まったく好みじゃない、本気になることない、って言ったから……」
「さーてね。ただ、人にまっすぐな強い気持ちを……特にひとりよがりじゃない、きちんと相手を尊重しての好意を伝えられたら、たとえ関心のない相手でも、……よほど冷めてるか擦れた人じゃなけりゃ、そんな冷静じゃいられないって、これで分かったろ? 君が冷めても擦れてもないことは、あの巾着の素敵さを見れば分かるしね。だから、少なくとも人との関わりに【絶対】なんてことはない。俺はそう思うよ。……ということで俺の件は終わりっ。このあとは、君の問題について、ふたりで考えよう」
そう言ってメロンソーダを飲む。それからちらりと見やると、わなわな、がちがち……。目前で手を震わせ、歯をかみかみし、真っ赤な表情をした莉子ちゃんが目に映る。……ちょっ、ちょっとやり過ぎたか……? と思い、なにかフォローの言葉を口にしようとした瞬間—―俺の白玉にフォークがぶすっ! と勢いよく突き刺さり、それは莉子ちゃんのちいさな口に飛び込んだ。彼女は赤い表情のままもぐもぐした果てにごくんと飲み込み、呆然とする俺を見据えて、おおきく息をはいたあと言った。
「……まず、【絶対】、なんて重い言葉を軽はずみに使ってすみませんでした。そして、そもそも私自身たいした経験もないのに、なにか私よりも膨大に経験してそうな……、しかもそれを隠してさもなにも知りません経験してません、みたいなふうにして 大 人 げ な さ 率 1 0 0 パ ー セ ン ト の 意 趣 返 し を す る 人 相手に、未熟なふるまいをしたこと……――重ね重ねすみませんでしたっ!!」
と、頭を下げる。あの……謝る体でいて、完全に俺を刺しに来てるよね? 上げた表情も笑顔でブチ切れてるしっ!! そして俺の白玉をひょいパクひょいパクし始めたしっ!! ぜ、ぜんぶ食べられたっ……!!
「……どうも私程度じゃ、どうにかなる問題じゃないみたいですね。というか、【だれにも立ち入られたくない】という感じかな……。ほんとう、おかしな人です。先輩は……」
指で唇の端をぬぐいつつ、ぼそり……、彼女はつぶやいたが聞き取れなかった。なので聞き返そうとしたものの、それを制するかのように莉子ちゃんは、「白玉、自分でも頼もうかなあ。あんなに美味しいなんて思わなかった。……これも【的な気分】、の、……言葉の魔法のおかげかな」と、今度ははっきり聞こえるように言い、タッチパネルをいじり始めたので、……俺は口を閉じるほかなかった。




