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第90話 私はほんとうのことを言う人を信じたいんです

「……んで、もう一回聞くけど。ネジ。100均のでいいんだよな?」


「ああ、構わん。締めるためじゃないからな。……まあ、飾りみたいなもんだ」


 莉子りこちゃんとの通話後にぶっ倒れ、長い夢から覚めたあとはふつうに寝て、わりとすっきり起きた翌朝。学校へ行く時間になり、玄関で靴をはきつつじいちゃんと話していたのだが、じいちゃんは先のように言ってから、自分のお洒落ダメージジーンズのポケットに手を突っ込んでなにかを取り出すと、ピン、とそれを親指で弾いて飛ばしてきたので慌てて受け取る。100円硬貨だった。


「代金? だとしたら消費税分がないんだけど。もしかしてこすったら10円出てきたりするの」


「可愛いちびっこ時分ならともかく、ええ歳こいた息子を楽しませるために、朝からネタを仕込む気はないわ。お前の時計を直すために使うんじゃから、そのくらい出せ」


 しっし、と追い払うように手を動かした。俺はため息をついて、じいちゃんを真似るように、ピン、と親指で硬貨を弾いてくうに飛ばすと、獲物を捕らえる鳥のようにそれをつかみ、制服のポケットに突っ込む。それから「んじゃ。行ってきます」と古い引き戸を引き、「おう。気をつけてな。とくに国道。ぼーっとこいどるんじゃないぞ」といういつもの声を背中で聞いたあと、外に出て戸を閉めた。


     ◇


 きのうの晩。夢から覚めたあとにじいちゃんに呼び出され、よく分からない質問をいくつかされて、「……ふむ。じゃあ、ネジだな」と謎の結論を勝手に出され、俺が買いに行くことになったのだが……。どうも以前、二度目の原因不明の故障をした、俺の丸い置き時計を【完全に】直すためにはネジが要ると、俺の答えでそうなったらしい。しかも動かすための部品じゃなく、飾りのようなものとしてネジが要るというのが、ますます意味が分からない。だいたいネジくらい持ってるだろうに。じいちゃんはモノづくりの達人で、材料も道具もわんさと倉庫にあるんだから。あの変な質問……なんか心理テストと問診が混ざったようなヤツからして訳が分からなかったけど、じいちゃんが俺に作ったもので、原因不明で壊れたものなんかいままで一度もなかった上に、それが続いたからまじないでもかける気にでもなったのか? でもそういうのまったく信じるタイプじゃないしなあ……。


 首を傾げつつ、俺は愛車ママチャリをこぎ、住宅街を出て国道へ。このあとは延々国道沿いの歩道を進み続けるだけ(※ここの車道は交通量が多いのでロード以外は降りない)なので、よけいに先のことが頭を巡る。そして薄っすら、考えないようにしていたことが浮かんでくる。


 あの置き時計……目覚ましが初めて壊れたのって、俺の、今年の誕生日の朝なんだよな。それはつまり、セイラル・マーリィとしての魔力が再び目覚めたのと同じ日であり……、要するに、【俺の魔力が故障の原因なんじゃないのか】と。だとしたら、モノづくりの達人ではあっても、ふつうの人間であるじいちゃんの手に負えないのも分かる。人間には魔力は見えないそうだし、なによりそんなものがこの世にあるなんて思わないから、原因そこにたどり着けるわけがない。……ということは、まじないじゃなくて、できる限りの処置をした上で、もう壊れないようにとの念押し的な、ゲン担ぎみたいなもんかな。それならじいちゃんでもあり得るから。


 いま思えば、きのうの晩に俺へしてきた質問が、俺が小学生のときに好きだったおもちゃのこととか、よく遊んだ遊具はなにとか、当時じいちゃんの作ったもので気に入ったのはなんだったかとか。ぜんぶに共通するのは【俺がかつて好きだったモノ】だった。あの丸い置き時計も小学生のときに作ってもらったものだし、時期がかぶってる。なので当時の俺の想いを込めることで、よく分からない故障を止めようという感じなのかもしれない。そしてほんとうに俺の魔力が原因なら、それはじいちゃんに育てられた【息子にんげん緑川晴みどりかわせい】と、そうではない【他人リフィナー・セイラル・マーリィ】との戦いみたいな感じでもある……。


「可愛いちびっ子時分ならともかく、か―—」


 風を受け走り続け、ひとりごちる。じいちゃんからしたら、まだまだ俺はガキには違いないけど、それでももう、ちびではない。17歳の誕生日からこっち、いままで聞かなかった進学のことを聞いてきたり、自分が俺と同じ年ごろには彼女がいてひとり暮らししてたとか、すいちゃんが自分と違う味つけの料理を作り、それを俺が美味いと言ったときに、「わし以外の味にも慣れていかんとな」と言ったこととか……。親離れ、子離れ、俺の自立を促す態度に、思い返せば少しずつなってきているような気がする。


 そりゃあ高2、17歳という年齢なら、どこに家でもそんなものかもしれないけど、俺の場合は……セイラルの復活と絡んでいるから、別のことも考えてしまう。なんとなく、【俺の変化をじいちゃんが感じ取っているんじゃないか】と。そして、その先にある自立を、いや、【緑川晴】から分かれてゆく、【セイラル・マーリィ】となっていく俺のことを、じいちゃんは――……。


「——先輩っ! あぶないっ!!」


「……え? ……——うおっ!!」


 とつぜんの声に俺は驚き急ブレーキをかける。目前には自転車にまたがり信号待ちをしていた、見知らぬ男子生徒がいて、追突寸前だった。俺は何度も頭を下げ、いっぽう彼は信じらんねーという表情かおでちいさく舌打ちし、信号が変わるや否や離れていく。……っぶねー! 危うく事故るところだった。マジでじいちゃんの言う通りになっている。これじゃあ小学生が「車に気をつけるのよ」と母親に言われたのをいい加減に流して事故りかけるのと変わらんじゃないか。自立、遠いなあ……。


「だ、大丈夫ですか!? ぜんぜん前を見てなかったですけど……」


「え……。あっ」


 右手の車道のほうへ振り向くと、ロードバイクにまたがったまま、歩道の柵に手をついて俺を見る莉子ちゃんがいた。以前と同じようにヘルメット、そしてスカートの下にサイクルパンツをはいた本格的ないで立ちで、通学カバンは背中に背負っていた。さっきのあぶない、っていう声は彼女か。助かった……。


「や、ご、ごめん。てかありがとう……。ちょっと考えごとしててさ。慣れた道だから油断してたよ」


 俺は苦笑しつつ、愛車ママチャリから降りて、それを彼女のいる柵のほうに寄せる。どんどん通学する生徒たちがあとからやってくるからだ。莉子ちゃんはそんな俺を見たまま、ちいさな唇を一度かむと、言った。


「あの……。考えごと、というのはもしかして、きのうの……。私がライン通話でお願いしたことですか? だ、だとしたらすみませんっ! あ、あのあといろいろ考えたんですけど、やっぱりいきなりすぎるというか! まだ知り合ってそんなに時間が経ってない先輩に頼むようなことじゃないって! そう思い直して……。だ、だからあれ、忘れてもらっていいですからっ!!」


 必死にまくし立て、柵の向こうから身を乗り出してくる。俺はひとまず、端とはいえ車道にいるままの莉子ちゃんに歩道に上がるように促す。彼女は、「あ……! そ、そうですねっ! すみません……!!」と慌ててロードを手押しして柵をまわってきて歩道へ。それから俺の愛車ママチャリの隣にロードを立てかけたとき、俺は言った。


「……あのさ。俺のしてた考えごとっていうのは、家のことっていうか……。要はプライベートなことで、莉子ちゃんとのヤツじゃないよ。……あとその件、【俺が君の恋人のふりをする】っていうのは、君が嫌になったんならやめていいんだけど、そうじゃないならこのまま進めてほしいと思う」


「……。め、迷惑じゃ、ないんですか? だ、だって恋人のふり、ですよ? いくら先輩がいまフリーでも、いろいろ困ることが出てくると思うんですが。周りの人たちに勘違いされて、公認の関係みたいに認識されたら……。これから先輩がき、気になる人が出てきたり、逆にだれか先輩のことを気になった人が【 万 が 一 】出てきたとき、私の存在が邪魔になると思うんですがっ!」


 そう隣で熱弁する莉子氏。俺のことを気になった女子の出現率が【 万 が 一 】という、相変わらずのナチュラル毒舌ブレイドには苦笑するしかないが、それはともかく。きのうはくだんのストーカー的な行為をしている同級生の男子に恐怖が募り限界が来て、思わず俺に連絡した、でもひと晩経ち冷静になってみると、【果たしてこれは正しいのだろうか?】と考えたのは分からないでもない。付き合いの浅い、同級生でもない、ありていに言えばよく知らない男である俺に、恋人のふりを頼むというのは……、俺に申し訳ないというのもほんとうだろうけど、莉子ちゃん自身としても【ない】はずだから。いや、莉子ちゃんに限らず、多くの女子の場合は。単純に相手の男がふりじゃなく本気になって迫ってきたら、はねのけるのは難しいだろうからな。腕力的な意味で。恐怖や警戒、疑い、ためらいがないほうがおかしい。


「とりあえず、君がしているような心配は、俺には要らない。いまの俺には恋愛する気がないから、仮にだれかに好かれる機会が、君の恋人のふりをすることで消えても問題ないんだよ。もちろんふりの役目を放棄して、あるいはかこつけて、君に迫ることもない。……だから君が大丈夫なら、念のため、安全の可能性を上げるために、これは最適な方法だと俺は思うから、続けたほうがいいと考えてるんだけど。……どうかな」


「……。なんで恋愛する気がないんですか?」


「えっ? い、いや、やることがあるっていうか。ほ、ほらソーカツ部の皆と同じだよ! とても恋愛まで気がまわらないって! まあ、もちろん、そんな機会もないんだけどさ、あははは!」


 俺は慌ててごまかした。まさかいままで、冷静に思い返したら【だれも本気で好きになったことがない】から、なんて言えるわけがない。そしてたぶんこれからも、そうした予感がするなんてことを……。そんなものを信じる人間はいないだろうし。中二病的なものか、酸っぱいぶどう的な、プライドの高さからの格好つけだと思われるのがオチだ。


 ただ、これはいまの【緑川晴おれ】のことであって、過去の【セイラル・マーリィおれ】の話じゃないんだが。記憶がないので確かなことは言えないが、250年以上も生きていたら、恋のひとつやふたつしているだろうし。……というか原因は、まさにその長い人生の中にあるんじゃないのか? トラウマになるような大失恋をしたとか。……うっ。いかんまた気持ち悪くなってきた。この辺はしばらく考えないようにしよう。


 思わず口を押さえると、いつのまにか半歩、莉子ちゃんが俺のほうに寄っていてぎょっとする。よく見ればヘルメットも脱いでハンドルにかけていて、彼女のボブヘアが朝の風と光に揺れて輝いていた。


「な……、なに? なんかおかしかったかな、いまの……」


「はい。だってソーカツ部うちはイッショー先輩と正一しょういち先輩には恋人がいますし、マリン先輩が【リア充死ね死ね団】の団長なのは、恋に関心があるからこそだと思います。シンリ先輩だって書いてる小説の中には、恋愛がテーマのものもあるんですよ? 皆、自分の夢に真剣ですけど、それで恋の余裕がない、そういう気持ちが持てないなんて人はひとりもいないです。——……恋が夢を邪魔するなんて私には思えません」


 はっきりと俺の目を見て言い放った。その迫力は、もし自分の母親がいたらこんな感じなんじゃないだろうか、というような【叱り】の気配を帯びたものだった。批判というか、馬鹿なことを言ってるんじゃないよ、この子は……! と。正しいほうへ導かなければならないという親心、恋と夢に関しての先達の想いがこもったような……そんなふうで、そして同時に、15、16歳の少女らしい、恋心に対するまっすぐな気持ちを、年上の俺に向けて訴えてもいた。これはいい加減なことを言うわけには、……いかないか。


「そう……だな。その通りだ。うん。ごめん。実は正直に言うと、……どうか引かないで聞いてほしいんだけど。俺はだれかを好きになったことがないんだよ。冗談でも格好つけでもなく。【17年生きてきた中では】、……本気で恋したことは一度もないんだ」


 莉子ちゃんは口を開けていた。眉間にはわずかにシワが寄り、果たしてというかとうぜんというか、ひとことで言うと絶句。まあ馬鹿なんですか? 的な、軽蔑の色は見えないから、単純にリアクションに迷って固まっているという感じか。


「いちおう補足すると、もしかしたら恋を……、だれかを本気で好きになったことはあるかもしれないんだけど、その経験ぶぶんだけ記憶喪失してるとでも言ったらいいのか、すっぽり抜け落ちてるんだよ。そうして抜けてる記憶ごと恋心も失っている、という感じかな。それでいままで、だれに対しても深い、本気の気持ちにはならないみたいで。ドキドキするとか、可愛いな、なんて思うことはもちろんあるんだけど、それ以上は……。ともかくそういうことで、さっき言ったような説明をした。……うそついてごめん」


 俺は頭を下げた。それから上げると、莉子ちゃんが目と鼻の先に立っていて、俺は再びぎょっとしてあとずさりする。が、また半歩、いや一歩彼女は踏み込んできて、俺の目前に立つと―—指を差して言った。


「それ、ほんとうですか? 記憶がないっていう……。【だれかを好きになった記憶だけなくなってる】っていうのはっ!!」


「えっ!? い……いやっ! ほんとうかどうかは……! なんせ記憶がないから! 好きになったことがない、っていうのはどうなのかなって、そういうことから逆算して理由づけした話だ……」


「—— い え っ 、たぶん正しいと思います! ……あ、あの先輩は昔すごい熱を出したとか、事故に遭ったとか、そんな経験はなかったですか? もしかしたら、そういうことで【だれかとの想い出】が消えてしまった、ということも……!」


 こちらの言葉をさえぎり、まくし立てながらぐいぐい来る! 来る! ものすごい近いっ! ……なんでこんなに食いつきがいいんだ!? きのう、楠田先輩が俺とペティが付き合ってると早合点して怒り狂ってるからと、俺を止めに来たのも莉子ちゃんだったけど。それは単に俺の身を案じての行動じゃなく、いままでの話からも、彼女は恋に関する感性アンテナが敏感で、人並み以上にその想いを受け取るタイプだから、流すことができなかったのかもしれない。シンリだって先輩の怒りは知りつつもみそぎは済ませとけよ、みたいな、むしろさっさと受け止めて終わらせろという、ある意味雑な処理を俺に勧めてきたが、こちらはふつうの、彼女なりの親切心という感じがするし。いや、別に莉子ちゃんに純粋に親切心がないとかじゃなくて、いままでの言葉から、彼女には……恋に特別な想いがあるように感じる。


「高熱も事故も経験してるけど、それで記憶がなくなったことはないなあ……。ただなにかがフタをしていたり、カギをかけているのかもしれない、とは思う。というか、そう思いたいというか。恋心がない、なんて。……やっぱり自分でも嫌だしさ」


 俺は風で目にかかった前髪を払いのけ、わずかにため息をつく。セイラルの説明を彼女にはできないから、妙に思わせぶりな物言いになったが、話しているうちに言葉通り、ほんとうに理由があってほしいと思った。体育祭の前に、ちょうどいま莉子ちゃんと立ち止まって話しているように、ペティと話した際、恋心を軽んじるような彼女の発言に怒ったけど。あんなふうに思わず怒るほどに、俺だって恋に対して強い感情があるはずなんだ。……くそ。よくよく考えればこれも、ほかのあれこれも、ぜんぶセイラルとしての記憶がないせいじゃねーか。しかも過去のセイラルおれは、もし記憶を失った緑川晴おれがそれを求めようとしても与えるな、なんて命令までファレイにしてるし。……マジでなにが目的なのか見当もつかない。あの立体映像で話していたように、ライトノベル的な理想の青春を送りたいからなんて、いまではまったく思えないしな。ロドリーの言ったように与太話だとしか。……いや、カモフラージュか。だったら、そんなことまでしてなんのために、過去のセイラルおれは―—……。


「……って、——えっ?」


 考えごとが打ち切られ、思わずそんな声が出たのは、手にぬくもりを感じたからだった。莉子ちゃんが俺の両手を包み込み、こちらをまっすぐ見つめていた。……——はっ!?


「すみません先輩。さっきはつい、断るようなことを言ったんですけど、やっぱり恋人のふり―—改めてお願いできませんでしょうか……?」


「……。あ、……うん。そりゃ、まあ。そっちのほうがいいと俺も思う、けど……」


「あの、私のことももちろんあるんですけど、それより、そうしたら―—……先輩の【フタ】が取れるかもしれないなって! だからぜひ! 【恋人のふり】、しましょうっ!! それで先輩の記憶が、恋心が! ……ちゃんと先輩のところに戻ってくるようお手伝いをできたらと思いますっ!!」


「……。……はっ? …………っ、……——ええっ!?」


 俺は叫ぶ。だがそんなこちらを気にもせず、莉子ちゃんは目をきらきらさせて、ピンクの唇を朝の光でぴかぴかさせて、一度、二度……なにか深く納得がいったようにうなずいて、俺の手を握りしめていた。……な、なんか自分のストーカー問題より、俺のことのほうに気持ちが行ってるような……。まあ少しでも憂鬱な気分がどこかにいったのなら、いい……のか? しかし、俺のなんとなく出た言葉を、こんなかんたんに……。


「あ、あのさ……。俺が恋した記憶を失ったかもしれない、そのせいで、いまだれかを本気で好きになれない……なんてこと。君は信じるの? 大分おかしなことを言ってると思うんだけど……」


 俺の言葉に、莉子ちゃんはわずかに目をおおきくする。それから握っている俺の両手に視線を向けたのち、また俺の顔を見つめて言った。


「言葉がたどたどしくても、つじつまが合ってないように感じても。それが本心から出たものかどうかは分かります。逆にすらすらと、ほらどこもおかしくないだろう? と。そう自信満々に言う人のほうが、私は信用できません。だから先輩の話してくれたことが【事実】かどうかは分かりませんけど、【ほんとう】だなって。……私はほんとうのことを言う人を信じたいんです」


 そう言い終えて、笑う。それで俺は得心した。……ああ、そうか。初めて会ったときは、ちょっとびくびく、あたふたしていて。そんな雰囲気の中でちょくちょく毒舌だったりと、変わった子だなあとは思ってたけど。この子も同じなんだ。シンリや正一、楠田先輩やイッショー先輩たち、ソーカツ部の皆と。ただ夢を追いかけているだけじゃなくて、なにかを大事にしていて、その奥に、一本芯が通ったものがある子なんだと。……いま俺が、【セイラルおれ】と【おれ】の間で揺れて、足場がぐらついているから、とくにそれがよく分かる。【事実】よりも【ほんとう】、か……。


「……そっか。じゃあ君はくだんの問題の対処、安全性を高めるため。俺は自分の恋心を取り戻すきっかけのため。お互いに協力するってことでいいかな。……しばらくの間、どうかお付き合い、よろしくお願いします」


 俺は再び頭を下げる。するとすぐ、「——あっ! こ、こ、こここちらこそ! よよよよろしくお願いいたしますっ!!」と慌てて彼女が頭を下げるが――ごつんっ! 手を握られたままだったので、頭がぶつかり互いに悶絶する。


「いっ……た! あっ、——す、すすすすみませんっ! ……だ、大丈夫ですかっ!?」


「い……、あ、あ。だ、い、じょう……ぶ。逆になんか、ありがとう、っていうか……。目が覚めたよ。これからなにをすべきかって、さ」


 俺は頭を押さえて苦笑する。莉子ちゃんはしばたたき、それから少し噴き出すと、「なんですかそれ……。先輩はやっぱり、さいしょに会ったときから……いえ、すみませ……」と口を押さえて背中を向けた。……めっちゃ笑ってるんですけど。さいしょに会ったときからってなんだ! 別にそんな笑われるようなことはしてないはずだが!? 服に埋もれて寝ていた楠田先輩ならともかく!


「…………晴? あんた、なにしてるの」


 莉子ちゃんの謎の笑いに顔をしかめていたとき、後ろから声をかけられる。振り返ると、ママチャリに乗った横岸よこぎしが、訝しげに俺を見ていた。……なんで横岸が? 確か電車通学のはず……などと考えていると、ヤツは爆笑する莉子ちゃんへも視線を向け、さらに怪訝な表情かおになったので俺は慌てて言った。


「や、べ、……べ、別になにも……? ってかお前、電車じゃないのかよ。なんでチャリで来てんの」


「……。そういう気分だったから。悪い? 別にあんたに許可もらわないと自転車乗っちゃいけない法律なんてないでしょ」


 と、半眼になる。なんか機嫌悪いな……。もしかして、親と喧嘩でもしたのだろうか。俺がじいちゃんと喧嘩したときとすげえ似てるから。それで電車を避けたのかもしれないが、仮に俺の想像通りなら、詮索されたくないだろうからスルーしておこう。


「ひー……、……あっ! す、すみません! 邪魔、でしたよね! ……どきますから!」


 ようやく笑い終えて、横岸に気づいた莉子ちゃんは、自分が歩道の真ん中で爆笑していたことに気づいて端の柵に駆け寄った。横岸はそんな彼女のひょこひょこ走りをじー……っと見たあと、半眼のまま言った。


「あなた、そのリボン。一年生よね。晴の知り合い? 後輩? ……あんた部活とか入ってたっけ」


 今度は俺を見る。なので頬をかいてから、話した。


「あー……、実はついさいきんだけど。ソーカツ部っていうのに入部して。彼女はそこの後輩なんだよ。……まあじっさいの後輩は俺なんだけどさ」


 と、自分を親指で示す。するとまた莉子ちゃんが、「じっさいの、後輩は、俺! ……ぶふーっ!」と俺の隣で爆笑し始め困惑する。……君のツボはなんなの!? というか一回スイッチ入ったらしばらく抜けられない系のゲラですか? 横岸がさらに半眼になってるじゃねえか!


「……『総合活動ソーカツ部』ね。知ってる。いろいろな活動を認めている部。確か顧問は和井津わいつ先生だっけ。……で、その子は後輩で、通学中にばったり会ってお喋りしてたと。……楽しく」


 ふーん……、という俺を見る目つきが、朝からご機嫌お気楽でいいねあんたは、みたいな完全八つ当たりモードだった。親が原因かどうかはともかく、もはや横岸になにか腹の立つことがあったのは明らかだったので、俺はぴりぴりするその視線から逃れるように目をそらしつつ、ぽんぽん、と莉子ちゃんの肩を叩いてから、横岸ヤツに言った。


「じゃ、じゃあそろそろ俺らも行くわ。遅刻するしな! ほら莉子ちゃんも自転車! いつまでも笑ってると運転に差し支えるから!」


「あ、は、はい……! そ、そうですね、もうけっこう時間が……。あ、あのでは失礼します!」


 莉子ちゃんはロードのハンドルをつかみつつ、横岸に頭を下げる。俺も横岸に手を上げて、愛車ママチャリにまたがろうとした。……が、「ちょい待ち」の、とてつもなくよく通るひとことで、俺と莉子ちゃんの動きは止まった。


「あんた。ついさいきん『ソーカツ部』に入ったのよね? じゃあそんなにその子と親しくないはずだし、仮にさっきみたく盛り上がってたとしても、【少なくともその子よりも付き合いの長い、同じクラスの私】を置いて、【学年が違うその子】と学校に行こうとするの、……おかしくない?」


 眉をひそめて言い放ち、俺の顔は引きつった。……しまった。横岸の機嫌が悪いので、つい離れようとして……。これはなんか言い訳したほうがいいよな……。

 俺はすぐ、なにを言うべきか思考をめぐらせる。が、その答えが出る前に、さっきまで笑っていた莉子ちゃんが急に真顔になり、俺の前に出ると半眼の横岸に言った。


「いえ。なにもおかしくありません。先輩と私は【 お 付 き 合 い 】していますから。クラスメイトよりも、恋人を優先していっしょに登校するのは自然なことだと思います」


「……。…………。…………——はっ?」


 次の瞬間、横岸は半眼を崩し、ハンドルを手放し、ママチャリがガシャコーン! と盛大に倒れた。それで後ろから来ていた別の生徒が「うおっ! あぶねーなっ! なにしてん……」と叫びかけたが、横岸にものすごい表情かおでにらまれて、「……ひっ! や、な、なんでもないっ! どこも危なくないっ!」とすぐに去った。


「……なに? なんて……? あなた、いまなんて言ったの……?」


「はい。【 お 付 き 合 い 】していますと。あと、【 恋 人 】とも。緑川先輩とは、少し前からそのような関係になりまして。……なのでまだ、通学しながらいろいろ話したいことがあるので、改めて【 ふ た り で 】お先に失礼させてもらってもいいでしょうか?」


「…………。ふ。ふ、……ふ、……。聞いた? いまの……。あんた、この子とお付き合いしてるそうよ。んで、恋人だって。あはははは……」


「……なあ、ほんとう……。実は俺って、けっこうモテるんだよ。知らなかったろ……?」


 俺は精一杯のジョークを笑顔で飛ばす。横岸も笑顔でそれを受け止め、俺の肩をぽん、ぽん……と叩いてきた。いっぽう莉子ちゃんは、「あの、【 そ れ な り 】に仲がいいのは分かるんですが、あまり恋人わたしの前でそういうスキンシップ的なものは……。控えていただけると」と真顔で、とてつもなく空気を読まないことを言ってきた。——いまのその【ふり】、要るう!? コイツに【恋人のふり】、見せつける必要、あるぅ!? ぼっく分かんないぃ! ……ってか横岸が俺に、きょうび不良でもしないメンチ切ってるんですけどお!!!!!!


「ふーん……。……——ふううううううーんっ!! 好かったねえ幸せいっぱい夢いっぱい、朝からごはんモリモリお代わり万歳おなかちマンプク丸でっ!!!! こりゃあこの幸せを、クラスメイトのハッピーを、ぜひ同じクラスメイトの皆にもお届けしないとねえぇっ!! ……——じゃっあっあねええええええっ!!!」


 言うが早いか横岸は、とてつもない速さでママチャリを起こすとそれにまたがり、ほかの通り過ぎていく生徒たちなど比較にならない猛スピードで歩道を出て国道に出て爆走して消えた。俺が口をはさむ間などなく。……待て。待て待て待て待てぇ!!! クラスがなに!? お届けってなん……クラスメイト……、——ふ、風羽ふわ…… フ ァ レ イ もいるじゃねええええええかああああああああああああ!!


 心の中で叫びまくる俺、談笑しながら次々通り過ぎてゆく生徒たち、そして俺の隣で莉子ちゃんが、極めて困惑した表情かおで、横岸が溶けて消えたはるか遠くの国道を見たあと……、俺に向き直り、引きつった笑みを浮かべてぽつりと言った。


「あ、あの……。もしかして私、なにかものすごく不味いことしちゃいました……か?」


「うん……そうね。とりあえず、【恋人のふり】を今後【 ど う い う 感 じ 】にするか、きょうの放課後でにも打ち合わせしたいんだけど、いいかな……?」


 そう、変な笑いを浮かべたまま伝えると、彼女はいよいよ引きつった笑みで、ただ、「は、はい……! 了解です……!」と、事態を重く受け止めた簡潔な返事をし……。それからずっと俺たちは無言で学校へとペダルをこいだ。

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