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第87話 男

 この世界にはいくつもの国があるが、全体をして【魔法界】と呼ばれている。


 さらにはそれを称して【フィースソート】という名もあるが、これは原始の精霊の名前と言われている。火の精霊とか、水の精霊とか、いま無数に存在するすべての精霊の始まりとなった神。ちなみにその神はいまも全精霊の頂点として存在し続けており、魔術士のみならず、一個のリフィナーとして社会的に認識されるためには、その神たる精霊を感知する必要がある。これには魔力の多少は関係なく、当事者の生きる姿勢と覚悟の問題とされていた。


 俺はまだ精霊を感知していないが、それは10歳のときにマーリィ……師匠に出会って考え方が変わったからだ。感知するなら、彼女への弟子入りが叶ってからだと。感知が一人前の証と言うなら、俺にとって師匠マーリィの弟子になることが、自分の生を一歩進める証と思えたから。それを経ないで精霊を知る、ということは、俺の選択肢にはなくなっていた。


 だからそれまで、決して信心がなかったわけじゃない。父さん母さん、兄さん姉さんと、俺が物心ついたときから感知していた家族たちにそういう存在は聞いていたし、いろんな魔術も目にしていたからうそとは思えなかった。ただ、正確には信心というよりも、【魔術のような奇跡がるのは、なにか根源りゆうがあるからだ】というような考えからだったが。魔術は決して当たり前じゃなく、できない者はできないし、魔力の多い少ないもはっきりあったから。全員当たり前にできていたならそんなふうには考えなかっただろう。


 そして師匠マーリィと出会ったあと、彼女に対して、俺がある疑問を口にしたもの、こういう考え方だったから、とも言える。【物事には必ず原因と結果がある。すべてのことには理由がある】――と。


     ◇


「なあ師匠せんせい。昔、俺があんたにこう聞いたこと、覚えてるか? 『なんでこの世界のことを【魔法界】って言うの?』って」


「……ああ。覚えてはいる」


 キーロルが、パスに用意してもらった酒を一気飲みして慌ただしく【遠景の魔術士団】へと戻り、パスもダロップに呼び出されて出て行ったあと。師匠マーリィはキーロルの飲んでいた高い酒には手を出さず、パスの酒棚から、いちばん安い酒の小ビンを持って表に出て、いくつもの武器や防具や魔具、家具などが放置されたままの空き地に置かれた丸太へと腰をおろし、ちびり、ちびりと瓶のまま飲んでいた。そんな彼女と少し間を空けて俺も丸太に腰かけて、天に輝く星や銀色の月を見ながら尋ねたのだった。


「覚えて【は】いる、っていう言い方が実にあんたらしいよなあ……。話も促さないしさ。まあ勝手に話すけど。……そのときに師匠せんせいが答えたのが、『【別の世界】があるからだ。区別するためにそう呼んでいる』だった。で、その【別の世界】のこと。あれからいろんなリフィナーに聞いてみたけど、だれも知らなかったんだよな。それで当時、あんたをうそつき呼ばわりしたけど……」


「己の無知を認めずに、思考と理解を放棄する者が口にする、さいしょの言葉が『これはうそ!』だから、当時の君の言動は、私の知る阿呆の君らしく、なんら間違っていない。気にしなくていいぞ」


「……。キーロルじゃないけど、あんたがほんっっとうにあんただってことが、俺もいまはっきり認識できたよ。……――と・も・か・くっ! その【別の世界】のこと。きょうあんたが戻ってきたときの様子を見て……ほんとうにあるんじゃないかと思えてきたんだ」


 師匠マーリィの、小瓶を持つ手がわずかに動いた。俺はそれを認めたあと、師匠マーリィ表情かおをじっと見たが彼女はこちらを見ずに、天を見た。なのでそのまま続ける。


「キーロルに聞いた【ゾーヴ】とか、あんたが行ってた【ハーヴェ】とか。話を聞いた限りだと、とてもこの世界と同じとは思えないし、きょうのあんたは、帰ってきた、っていうよりも、【出てきた】って感じだった。ぜんぜん違う法則の世界から。だから別の世界も、あってもおかしくないなって。……ただ、そのふたつはキーロルも知ってるし、なにより王様の命令であんたが出向いている。だからそれらは、誰も知らない【別の世界】のことじゃない。……それ以外にある、っていうことなんだ。――あんた、【それ】を詳しく知ってるのか?」


「ああ。知っている」


 銀の月を見たまま彼女は答えた。知って【は】いる、じゃなく、知っていると。俺は唾を飲み込み、師匠マーリィに少し近づいて、息をはき出すと同時に言った。


「それは……【そこ】に行ったことがある、っていうことか? それともただ本で読んだとか、だれかに聞いたとか、知識としてある、ということか。……どっちなんだ」


「本や伝聞で得た知識ではない。そして行ったこともない。……が、いつか必ず行きたいと思っていた場所せかいだ」


 師匠マーリィはひとり言のようにつぶやいた。その言葉は、淡々としているようでわずかに哀しみが感じられたので、俺は思わず身を乗り出した。


「……行きたいと【思っていた】? ど、どういうことだよ……! もう行けないのか? あんたの力でも。それとも単に気が変わったってことか? っていうか、行ったことなくて、本でもだれかに聞いたのでもないなら、どうやって【そこ】のことを知ったんだよ。……まさか精霊のお告げ、とか言うんじゃないだろうな……」


 俺がやや引いたように言う。するとそのとき、ようやく師匠マーリィがこちらを向いて、鼻で笑う。それから小瓶をあおり、顔をしかめる俺に言った。


「朝起きて、光を受けた窓辺の花瓶に神の啓示を見る者もいる。たまたま熱を出して寝込んだことで、死地に赴かずに済んだことを奇跡と呼ぶ者もいる。しかし私なら、それらに際して思うことは常に同じだ。【ぐうぜん】だと。先のこともぐうぜん知ったに過ぎないし、そのきらめきに心うたれ、憧れたが諦めることになったのも、【ぐうぜんがもたらしたもの】だ。……君が関心を持つようなことではない」


 師匠マーリィは残る酒を飲みほして、小瓶の口を指でぬぐい、栓をすると地面に置く。それから納得いかない面持ちを隠さない俺に向かって、――まっすぐ言った。


「だからいつか、君が行くといい。その【別の世界】へ。……私の代わりにな」


「……。……はっ? な、なんで? しかもあんたですら行けない場所せかいに、……俺が?」


「魔力のおおきさとか、魔術士としてどうこうとか、いっさい関係ないから心配しなくていい。それにどうせ、君が行くころには存在も周知されて、多くの者が行き来するようになる。……だからこれは第一歩をしるせ、ではなく、そのまま、【私の代わりに行ってくれ】ということだよ。……気が向いたらな」


 呆然とする俺に、師匠マーリィはやわらかい表情かおでそう言った。それからまた、天を見る。


「そこはすべての生命体が魔力を持たず、また精霊を感知せず、とうぜん魔術も見えないし使えない。リフィナーに該当する、世界の中心となっている知的生命体の寿命はおおむね100年に満たない。力は純粋な筋力頼み。知的レベルの上は同等だが、寿命の短さから平均値がこちらよりも劣る。しかし想像力に勝りユニークな文化や発明が多い。そうしたことから魔法界よりも便利な道具や技術を持ち、それが伝承され生活レベルは高水準だが、そんな生活の維持とさらなる進歩のために資源を過剰に採り続け、結果自然の大部分が汚染されている。……という感じだ」


「……。……いや。……なに? それ。ぜんぜん行きたくならないんだけど」


 俺は顔を思い切りしかめる。師匠マーリィはそんな俺を目の当たりにして、日ごろあまり見ないような、実におかしそうな表情かおで噴き出し、口を押さえて笑う。まるで少女のようなその笑みに思わずドキリとしたが、それ以上に意味不明なことを言う彼女に俺の【魔芯ワズ】が点滅する。……憧れて、って言ったよな? どこに、なにに……? 俺ですらこうなのに、それを【魔神】と呼ばれるほどの大魔術士が、だれより自然を愛する師匠マーリィが惹かれる要素が全く見当たらないんだけど……。


「……ちょっと、マーリィ!? あんたまだそんな恰好で……!! 見に来て正解だったわ!!」


 とつぜんおおきな声がして、だれかが空き地に入ってきた。見ると呆れ顔のフースイがずかずか師匠マーリィに近づくと、その腕をつかんで立ち上がらせていた。フースイはいつもの質素な前掛け姿ではなく、青い花柄の上衣に真っ白なスカートで、髪の毛もきれいにまとめていた。


「そんでセイラルっ! あんたもちゃっちゃと着・替・え・な! まさかそんなナリで女を踊りに誘う気なの!? そういう朴念仁は パ ス ひ と り で 間に合ってるからね! ……分かったら返事っ!」


「あ、ああ! わ、分かった、着替えるよ……!」


 圧倒されて思わず答えつつ立ち上がる。フースイは「……よろしい!」と満足そうにうなずくが、確保された師匠マーリィはものすごく面倒くさそうな表情かおをしていた。その日常的な様子を見て少しだけ落ち着いたが、そのあとずるずるフースイに引きずられていく師匠マーリィのだるそうな後ろ姿を見送りながら、やはりさっきの話が引っかかって、俺の【魔芯ワズ】の点滅が収まることはなかった。


     ◇


 それから。月がいよいよ高くなり、その銀の光をもっとも強く放つころ――。村はそれに負けぬほどの光を地上から、まるで月へ、天へ応えるように放っていた。いま、俺たち村のリフィナーが集まっている広場だけでなく、村の各所へと設置したジルバ(※魔具。魔力を込めた石をさまざまな透明な入れ物へ封じた灯り。大気中の魔力を集めるため、棒状のジルジよりも長く持つ)をいっせいに灯したからである。


 ジルバは通常の灯り魔具と違い、光も強く持続時間も長いので、【5年祭】という今夜のように、特別な際にのみ用いられる。ふだんも灯せば便利ではあるが、それは夜へ敬意を払っていない、ということで、あまりよしとされず使われない。だからこの光景は、ただ昼を連れてきたような非日常性への興奮のみならず、なにかいけないことをしているような気分にもさせて、子供に限らず、俺たち若者だけでなく、充分な大人であっても胸が躍るものだった。


「……よいか? これは5年後にファレイ彗星様を迎えるからこその、きわめて例外的なことなのじゃぞ! ――………夜への敬意を決して忘れるでなあい!」


 長老であるサンバイが広場中央のやぐらの前に立ち、興奮気味の皆を戒めるように怒鳴りながら、まだ祭りも始まっていないのに踊りまくっているダロップに杖を投げつけ、それは見事に尻に直撃、彼はすっ転ぶ。そのせいで皆は興奮が収まるどころか、逆に口笛を吹いたり手を叩いたりして盛り上がる。村の教師であり、もうけっこうな歳であるダロップも、きょうは子供に返っており、いつもなら長老に叱られれば恐縮するのに、いまはぺこぺこしたあとまたすぐ手だけ踊ろうとしたため、「……己はいったい、いくつになったんじゃあ~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」と再び怒声を浴び、今度は拾った杖で直接尻を叩かれる。けっきょく、ぜんぜん皆が鎮まることはなかった。


 しかし長老も祭りのおかげで無茶苦茶元気になったよなあ。そしてダロップはしししっ、と笑ってぜんぜん反省してないどころか、そのままやぐらの前に躍り出て、全員に言った。


「――さあ皆!! ようやく【5年祭】の始まりだっ!! 今夜は例年の【ファレイ彗星祭】とはちと違う! なにせ千二百年に一度しか顕現しない彗星様への前祝いって話だからな! ……これは俺やフースイ、パスやらいい大人たちも、セイラルやヤルゥ、レミルやハクたち、ようやく歳だけは大人になった尻の青い半人前どもも、そしてまだ母ちゃん父ちゃんの裾をつかんで離さないチビどもも、我らが長老サンバイやシーテ女将も、全員等しく、おそらく生涯ただ一度きり迎えられる日だ! ……こうした素晴らしい日を皆で元気に迎えられたことを、まず精霊様に感謝したい! そして長老や女将が本祭たる五年後も、無事健やかに迎えられることを心から願いたい!」


 と、長老と女将のほうを見てにかっと笑う。その言葉の本意が茶化しでも皮肉でもないことは、表情かおから明らかだったので、皆は盛大に拍手をし、サンバイ長老もシーテ女将も彼を叱らずに、ただ深くうなずいて、穏やかに笑みを浮かべた。ダロップは嬉しそうにふたりを見たあと、再び皆へ向き直って、続ける。


「……そして! なんと今夜はもうひとつ嬉しいことがある……のはもう皆、知ってるよな!? マーリィが無事、俺たちの村に帰ってきたぞーーーーーーーーーっ!! ……――さあ鐘を鳴らせっ!!」


 ダロップの掛け声とともに、皆の中からふたり飛び出して、すばやくやぐらに駆けのぼり、そこへ吊るしたおおきな鐘を打ち鳴らした。重く、しかし鈍さのない透明な音が灯りで照らされた広場を一瞬で駆け巡り、俺たちの体をも通ってゆく。その振動を【魔芯ワズ】で感じて、胸を押さえたとき――やぐらにかけられたデルテ(※やぐらを彩るさまざまな刺繍をほどこした幕)がめくられて、中から師匠マーリィが出てきた。


 いつものマントに術士服ではなく、上衣スカートともに純白で、それは花や木々の透かし模様の施された布で彩られていた。靴だけは青く彼女の青髪と呼応して、そのいつも垂らしている髪も、いまはていねいに編み込まれて、一国の姫のいでたちと言われてもだれもが信じる光を放っている。衣服と肌の白の美しさと、髪と靴が魅せる青の可憐さは、……とても美しくかける言葉がない。皆も声を飛ばすことなくため息をつくばかりだった。……が、


「……おい。もういいか? そろそろ着替えたいんだが。腰もしめつけられて、酒すら通らないほどだ。髪もきつく編まれたせいで、なにやら頭も痛いし……。とりあえず腹が減ったから、なにか食べさせて欲しい。祭りはもう、始まったんだろう?」


 と、すべてをぶち壊すような言葉を半眼で言い放ったために、全員から突っ込まれた。


「……おいコラマーリィ!! お前……俺の演出を台無しにするんじゃねーよいったい幾つだ!?」「あんたねえ、私たちがどれだけ綺麗にしようと頑張ったと思ってんの!?」「お酒とご飯にしか頭にないのかあんたはっ!!」「俺のついたため息を返せっ!!」「私の感動を返してっ!!」「わはははっ!! こんな【姫】はいねーよなあっ!! ……ぶふっ!!」「そもそもマーリィにあんな格好させたのが間違いだったんじゃない?」「いやでもふつーさあ、頬を赤らめたりするもんだろ? あれは読めねえわ」等々切りなく声が飛び、それによって師匠マーリィはようやく、自分がなにかやらかしたと察し顔が引きつってゆく。だが、「や……、まあ……、そうだな。き、綺麗な服を着せてもらって、とても嬉しく思って【は】いる」と微妙に引っかかる言葉をはいたことで「【は】?」「【は】?」「……おいコイツぜんぜん分かってないぞ!」「呆れた女だねえ……まったく!」と火に油を注ぐことになり、とうとう老若男女の波に押されてやぐらの上に連れていかれた。


「……そーら皆っ!! ここに空気の読めない阿呆女がひとりいるが、どうするっ~!? 今夜の踊りに誘う猛者は果たしているのかっ!? というかだれか誘えっ!! コイツにいろいろ足りないのは、こういう経験が足りないからだろうがっ!! ……――ほらそこの半人前っ!!」


「……。……――えっ?」


 急にやぐらの上からダロップに指差された俺は変な声が出る。そして引きつった顔でやぐらを見上げると、俺をにらみつける師匠マーリィと思い切り目が合った。……なんかあんた、すべての元凶を俺に求めようとしてないかその視線はっ!! 


「断るっ!! 私は年下には ま っ っ た く 興味がないからなっ!! ……ましてやそこの男はちびのときから知っている 論 外 だっ!!」


 右腕をダロップに、左腕をフースイにつかまれて、後ろにもたくさん囲まれている師匠マーリィが聞かれもしないのに言い放つ。それに対して「そんなこと言ってる場合かよ!!」「踊りくらい受けたらいいじゃねえか大人げねえ!!」「まあ確かに、歳の差はかなりあるしねぇ……」「なに言ってんの!? うちの亭主なんて私より100歳も下だよ!! これからは女が上の時代さ!!」「いや、話が飛躍しすぎだろ……。とりあえずマーリィはだれとでも踊るべきだけど!」「おいセイラルっ!! お前マーリィが好きだって公言してるんだから、ここでばしっと口説き落として見せろよっ!」と持論展開が止まらない。つーか皆の前でそこまではっきり拒絶するかあの女だけはぁ!! 断るにしたって、ポッシの妹のメメ(5歳)ですらもっと大人な言い方するわっ!!


「マーリィ様。いい加減になさって下さい。今夜は【5年祭】ですよ? それに大人の女性としても、少々目に余る言動かと僭越ながら思います」


 喧噪の間を縫うように、ヤルゥの高い声がぴしゃりと通る。一歩出て俺の前に立った彼女は、祭りの装いらしく、緑色の上衣には鳥模様が刺繍され、純白のスカートには模様はないが、いくつもの折り目がつけられて、そのよれない無数の縦線が彼女の清楚さ真面目さを際立たせて、編まれた金髪とともに神々しさすらあった。そんなヤルゥの正論に一同鎮まり、当の師匠マーリィも気まずそうな表情かおをする。ヤルゥはそうした様子を見届けたあと、呆気に取られている俺をちら見して、再び師匠マーリィに言い放つ。


「それと。先ほど貴女はセイラルのことを【男】と呼ばれました。つまり好む好まないはさておいて、彼を子供ではなく【男】と認識されている。そうしたことは、いままではなかったように思われます。彼を【男】として見ているような言葉は。【女】である自分と対等な【男】と。愛を語らう相手となる、 子 供 で は な い 【男】 と 」


 男、男と連呼して強調し、やぐらの師匠マーリィを見上げるヤルゥの眼光は鋭く、さすがの師匠マーリィもたじろいでいた。そして両脇のダロップとフースイも、「そういやそうだな。……なんだマーリィよお、お前、なんだかんだ言いながら意識してんじゃねえか。ははっ!」「まーあんだけ好き好き言われてたらねえ……。私でもちょっと考えちゃうかな?」とうなずいて、それで目を見開いた師匠マーリィがふたりをふりほどき、ヤルゥに言った。


「なにか勘違いさせてしまったようだ、が! 【男】というのはまったく他意のない言葉だ! パスやダロップと同じような、 愛 を 語 ら う 相 手 に は 1 0 0 パ ー セ ン ト な り え な い 存 在 に対しても用いる、成人男性を示す一般的な言い方に過ぎないっ! ……しばらく見ないうちにいよいよ賢明さを増したようだが、相手のほころびをすくい論破しようとするその態度は、健全な知性を育むものとはとうてい言えず、むしろそれを後退させるものだと、今回で学ぶといいっ!」


「 必 死 すぎる!!」「 必 死 だ!!」「 必 死 だわっ!!」「余裕がなさすぎる……」「あれが大人か!?」とヤルゥの出る幕なく一瞬で突っ込まれたが、それに重ねるように、ため息をついたヤルゥがとどめを刺した。


「いま。貴女は『愛の対象にならない相手に対して【も】』、というようなことを仰られましたが。その言い方では、セイラルが愛の対象ではないことの証明として不十分だと、恐縮ですが思います。これは推察ですが、やはり無意識に彼を、ご自身の愛を向ける対象として認識し始めているのではないでしょうか。……ちなみに、私は健全不健全の区別なく、知性は磨くつもりでおりますので、そのご指摘はお受けすることはできません。あしからずご承知おきくださいませ」


 スカートをつまんで頭を下げた。師匠マーリィはもはやなにも言えずに固まっていて、皆は拍手喝采、口笛が飛ぶ。その様子に、あの師匠マーリィを黙らせるなんて、とんでもねえな……と苦笑いしていると、ヤルゥは得意ぶることもなく、淡々と俺につぶやいた。


「これくらいの意地悪は、今夜、私にはする権利がありますから。……さ、次はあなたの番ですよ!」


 ばん、と背中を叩かれて、俺は前に飛び出した。それで場がいっそう盛り上がる。上ではダロップの「気合入れろっ!」的な力こぶを誇示するポーズ、そしてフースイのニヤニヤする表情かお、最後にふたりの真ん中で、もはや脱力しつつも、俺をにらむことだけは忘れない師匠マーリィの疲れ切った半眼を見たあと。どうしたもんかと迷っていると、ぽかん、となにか硬いもので頭を叩かれて、次に手にその硬いものを押しつけられた。見ると、隣にパスが呆れ顔で立っていた。


「……っとにお前もマーリィも、どないなっとんねん。ええ加減に祭りを始めんと、長老の血管が切れるやろうが。……とっととこれを渡してこんかい」


 と、着飾った皆の中、ひとりだけ作業着のままの彼は俺を促す。握らされた小箱は、俺が彼に魔具の作り方を教わってから、いくつも習作を重ねた末の、自分でも納得のいった、たったひとつの完成品を入れたものだった。そう、いつか師匠マーリィが帰ってきたときに、飾り気のない彼女にプレゼントしようと思っていたアクセサリーだ。……あまりに急なことで、すっかり忘れてたのに。俺は喉の奥が熱くなる。


「ありがとう、パス。……きっと受けてもらうから。そしたらパスも、だれかを踊りに誘いなよ」


「……やかましいわボケっ! 阿呆のマーリィといい、どいつもこいつも俺をモテない男の権化みたく言いよってからに……! 俺の本気をとくと見せたるから、はよ行けや!」


 ヤルゥにされたよりも強く、ばん! と背中を叩かれる。俺は息をはき出して片手を上げ、皆にしずかになってもらい、充分な静寂が広場に訪れ、ジルバの灯りのゆらめきの音さえ聞こえるほどになると――ズボンの裾を少し引き上げて、そのあと膝を折り、左手を胸に当て、頭を下げると同時に、小箱を持った右手をやぐらの上に立つ師匠、マーリィに差し出して、言った。


「マーリィ・レクスウェル。どうか今夜、私と踊っていただけますか? そして、その美しい貴女をいっそう引き立たせる役割を、……これで担わせていただきたい」


 言葉のあと、小箱を開けてアクセサリーを取り出した。……ハル(※芝桜に似た白花)を模した、片耳だけの透明なイヤリングだ。


 ハルは白い花だが、マーリィの魔色ましきが無色透明ということに合わせて、パスに協力してもらって特殊な視認の変化を与えている。なので、透明な物質というわけじゃない。


 その透明さに、ジルバの黄光おうこうと、月の銀光ぎんこうが吸い込まれて溶け合って、朝夜の光が交わったような輝きをもたらした。皆のざわめきの中、俺はただひとり、マーリィだけを見つめていたが……彼女の目はおおきく見開き、イヤリングと同じ不可思議な光を、俺に届けていた。そして、マーリィはやぐらから飛び降りた。


 美しいスカートをひらめかせることもいとわず、まるで星が落ちてきたように地に降りたった彼女の姿にまた場が静まり返る。そしてマーリィは、俺のもとへ近づくと、イヤリングを手に取り、自らの左耳につけた。


「……付け心地は、悪くない。だがいまどういうふうなのか分からないな。……君の目には、どう映っている」


 イヤリングを少し指でいじりながら、マーリィはつぶやいた。ほんのわずか、不安そうに。静寂の中、俺はかすかに笑うと、迷うことなくはっきりと言い放った。


「世界のだれより美しい。……似合ってるよ、マーリィ」


 次の瞬間、マーリィは、いままで俺が見たこともないような表情かおになり、あまりのことに思わず俺が噴き出すと、とたんに顔をしかめて俺の額を指で弾く。が、加減を間違えたのかわざとなのか、とんでもない衝撃で俺はパスのところまで吹っ飛びふたりで転ぶ。それで「……な、な、なにさらすんじゃボケぇっ! いつもかつもお前らほんまっ、俺をなんやと……!!」という、哀れ俺の下敷きになったパスの悲鳴を耳に、そして我関せずと腕組みして背を向けるマーリィの姿を、額を押さえ涙目で苦笑しつつ目にしたとき、ダロップがおおきく鐘を鳴らしたことで、皆がおおいに沸き上がり――……【5年祭】の幕は上がった。

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