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第84話 ……――阿呆なのは元からでしょうっ!?

 マーリィが、王命で【ヤートの森】の第三層、【ハーヴェ】に入ってから、4年――。


     ◇


 白い雲たちの上を滑ってゆくように、真っ青な空は山のまで伸びて、そこから降り注ぐ光のまぶしさは、草木や花を、なにより村の皆を活き活きとさせて、穏やかな風が吹く中、朝からずっと、俺たちは祭りの準備に駆けまわっていた。


 リフィナーとしての天気は上々。魔術士としては、天地の精霊がはしゃぎすぎて、魔術がうまく扱えない……それもあくまで高位の魔術士に限った影響らしいけど。どっちみちいまの俺には、まだ関係のない話で、つまりはただの好い天気、きょうはとっておきの祭り日和びよりだってことだ。


「おーいセイラル! パスはどこ行ったあの野郎っ! こんのクッソ忙しいときにぃ……!」


「パスならもう始めてるよ、酒代のツケの清算をさ。……ほらあそこ」


 腰にさげていたレエ(※竹みたいな植物)の水筒を取り、ひと休みして喉を潤していた俺は、木箱をかついで怒鳴ってきたダロップの後ろを半眼で指差した。そこでは酒場の女主人であるフースイの指揮のもと、祭りのメインともいえるやぐらを、老若男女幼い子供も一致団結、協力連携しせっせと組んでいたのだが、パスはひとりで、組み終わった柱に一本一本、ファレイ彗星の刻印をナイフで刻む仕事をさせられていた。いつものぼさぼさ頭はいっそう乱れ、無精髭とそこから滴り落ちる汗、疲れ切った半眼が、その作業の過酷さを物語っている。


 ほんらいならこの刻印は、やぐらがすべて完成したあとに、魔具職人に限らず、あらゆる職人総出で刻んでゆく。だけど今年の祭りは【5年さい】と言って、1200年に一度だけ天をかける銀色の彗星、ファレイが姿を見せる5年前の祭りであり、世界各地で毎年あるファレイ彗星祭の中でも特別なもののため、村にいるすべての職人の中で最も優れた者が担当することになっている。


 とは言っても、ファレイ彗星をじっさいに見た者も、この【5年祭】を経験したことがある者も、きょうまで村にいなかったので、言い伝えに従っているだけだ。村の歴史は、格好よくいえばぜんぶ口伝くでんで、史書とかもないし。


 村いちばんの年寄り男、長老であるサンバイは924歳、次いで、村で最も古い道具屋の女将おかみのシーテが880歳。このふたりでも【5年祭】は今回が初となる。そのせいか、ふだんはどちらも置き物みたいに畑の横で日向ぼっこしているのに、きょうは、「そらそらっ! そんなことで彗星様がうちに輝きをもたらしてくれるかっ! ……腰を入れぇ!」とか、「さいきんの若いのはデルテ(※やぐらを彩るさまざまな刺繍をほどこした幕)も満足に作れないのかい! なんだこの出来はあっ! ……針を貸せぃ!」など、若者(ふたりからすれば全員そうだが)を怒鳴り散らして動きまくっていた。皆悲鳴をあげていたが、ふたりが元気になったのは好いことである。


 ファレイ彗星祭、そして【5年祭】は、その土地土地で中身は少しずつ異なっているらしいので、ほかの土地でも最優秀の職人が、パスのように単独作業を強いられているかは知らない。というか個人的には、俺がダロップに返したように、ツケまくり男のパスが『ちょうどいい』『皆忙しいし』『ひとりで十人分働きな、ツケ野郎!』と、いうことがいちばんおおきいような気がする。


「……あっ、いましたっ! セイラールっ! あなたいままでどこに……なにしてたんですかっ!? ずーっと探してたんですからーっ!!」


 俺が再び水筒を腰にさげ、下に置いていたデルテのたばを持ち上げたとき、向こうのほうから叫ぶヤルゥを先頭に、女たちが走ってきた。……あー、やだやだ。この忙しいときに。まだ諦めてなかったのか。面倒くせえなもう。


「なにしてるって。見ての通り労働だよ。皆と同じようにあちこち走りまわってな。お前らこそ遊んでんなよ。フースイが文句言ってたぞ」


 俺はやぐらのほうを示した。だがヤルゥを含めて5人、レミル、ポッシ、ルー、ワンティと、俺と同じように、今年成人を迎えた15歳の乙女たちはだれもそれに関心を示さず、さらにヤルゥ以外は俺をにらみつけている。なのでため息をついて、デルテの束を持ったまま、女たちのかしらたるヤルゥ……腕を組み、金色の長い髪を風に揺らす、鋭い目の小柄女へ言った。


「いいか? 俺は一週間前にも、三日前にも、きのうにもお前に言ったよな? 俺は祭りでお前と踊る気はないと。別の相手を探せと。俺の相手はマーリィだけだと。愛しているのも、結婚したいのも、添い遂げたいのも、この世でただひとり、マーリィ・レクスウェルだけだと! つまりきっぱりお断りしているわけだよ、はっきり言やあ一週間前どころか、二年前からな。これ以上、俺を悪人みたいにするなっ!!」


 最後は強めに言い放つ。なぜならヤルゥの周りで、いよいよレミルたちが軽蔑のまなざしを向け始めたからだ。二年前からずっと一途に想いを寄せて、俺に気持ちを伝え続けているヤルゥ……コイツらからすると、ヤルゥは友達で、美人で、さらには村で最も学問の才能がある、将来有望の学者の卵、尊敬の対象……である存在なのに、魔術士志望と言いながら修行は始めず、見た目を含めてとくに優れたものもない俺が、不遜にもすげなくして、祭りの踊りすら応じないと。


 というか、ファレイ彗星祭の踊りは恋人同士か、踊りをきっかけとして恋人になるだろう、好い雰囲気の者同士か、おおむねそのどちらかで誘い誘われするものだということは、周知の事実。しかも今年は【5年祭】ときている。ほぼ確実に、一生に一度しかない祭りになる。ならなおのこと応じるわけにはいかないんだよ。


 そんな内心が伝わったのか、レミルは、「踊るくらいいーじゃん。毎年のことよ。深く考えすぎ。恋人云々は絶対のものじゃな~いっ!」と俺に指を突きつけ、ポッシは、「それくらいヤルゥの想いに応えてあげなよ……。あんたの器ってピレ(※おちょこ)よりちっさいっぽい」とかぶりを振り、ルーは、「あー、想い出も作ってあげないわけ、か。ヤルゥが好きでもない男と悲しげに踊ってもいいんだ。……へ~っ」と半眼で俺をのぞき込み、最後にワンティが、「ヤルゥと踊りたくないんだったら、もうアーシがあんたを無理やり踊りに誘って、【死ぬまで消えない想い出】にするぞーっ!? いいのかっ!? うおーっ!!」と両手を上げて威嚇し始めた。それはやめろ。絶対に逃げる。


 そのも当のヤルゥを放り出してやんややんや責め立てて、もう完全に俺が悪。魔王。罪なき乙女を地獄に落とす使者。遊んで振ったわけでもなく、ただただ好きな相手がいるから無理だと言い続けているのにこの仕打ち。たぶんコイツらの価値観的に、ヤルゥより格下の俺がなにを、という気持ちもあるだろうが、それ以上に、俺がマーリィに本気だということが理解されていないのだろう。歳の差に、かたや【魔神】と呼ばれるほどの、世界一の大魔術士で、なにより……【いまだに帰ってこないじゃない】、と。もう、たぶん、このままずっと……、と。そう思われているのだろう。コイツらには。……【ヤルゥ以外】には。


 しばらくして、「……おいコラ尻の青いのっ! 小便垂れどもっ! 成人おとなの役目を果たさねーかっ! チビでも働いてんのに遊んでんじゃねーっ!!」というダロップの怒号が飛んできて、「はあーっ!? 真剣な話の最中なんですけどーっ節穴かっ!!」「尻ぃ!? あんたこそ、フースイのお尻ばっか見てサボってるくせにぃ!! バレてないとでも思ってんの~恥ずかしっ!!」「あの~! おっさんくさい声を私に飛ばさないでほしいんだけど~!」「ダロップはぁ、若いときに彗星祭でだれかと踊れ……あ、ごめ~ん!! いまのは忘れてぇ、わははっ!!」と、まさに4倍返しされて固まるダロップ。そのまま四人はかつての恨み(※ダロップは村の教師で、全員過去にかなりしごかれていた)を晴らす機会を得たとばかりに、ダロップのほうに駆けてゆく。……これはダロップ込みで、全員フースイに怒られる流れに入ったか。俺に飛び火しないようにしてほしいものだが。


「……いちおう言っておきますが。私はあの子たちを味方につけて、毎度あなたをいじめに来ているわけではありませんので。ただ私たちの友情がメル川(※村にいちばん近い、生活に欠かせない水源)よりも尊く清いものである、というだけで。……私を憐れんでくれているのです」


「相変わらず嫌な言い方をするな、お前は……。悪者認定やめる気ないのかよ。俺の好感度が下がるぞ、さらに」


「はい。私の目的は、あなたに私を好きになってもらうことではなく、私の愛を受け入れてもらうことですから」


 にこり、屈託なく微笑みかける。……コイツの場合、これが黒い冗談じゃあないんだよな。マジでそう思ってるからタチが悪い。


「セイラル。私は生まれてからずっと病弱で、二年前までは、一日のほとんどをベッドで過ごしていました。この村には優れた魔術医もたくさん出入りしていますけど、そのどなたもが、わたしは一生、元気に外を動きまわることは難しいだろうと、そう仰っていました。だけどそれをあなたが治してくれたんです」


「……ぐうぜんな。俺の取ってきた薬草が、たまたまお前の病気に効いた。それだけだ。ちゃんとした薬にしたのは魔術医だし、お前を治すために必要な量を集めてきたのは、レミル、ポッシ、ルー、ワンティ……ほかの友達も、仲のあんまりよくないヤツらも、ダロップやフースイ、パス、大人たちも……村の皆だ。だからお前が感謝すべきは村のリフィナー全員と、……運にだよ」


 三年前。俺はパスに言われて魔具創りに必要な植物を探しに森へと入った。そこで俺は、運悪く足を滑らせて斜面を転げ落ちたが、一本の大木に引っかかり助かった。そこに生えていた奇妙な花……銀色の光を放つ、花弁が二枚しかない、美しいそれを持ち帰って、外に出られないヤルゥの気が少しでも晴れるようにと、枕元に飾ってやったのだ。

 すると三日と経たぬうちにヤルゥの顔色がよくなり、体が楽になってきて、その原因が花にあることを魔術医が認める。俺は、見つけた場所へ村の皆を連れてゆき、これがどういう環境で生えるものなのかを、同行した植物学者が推察し、それをもとに村のリフィナー全員で探しまわる。結果、二か月後には群生地を発見。ほどなく薬を創ることにも成功して、服用を始めたヤルゥは、俺が花を見つけてから一年後には――ふつうに歩けるようになっていた。

 そして、いまでは野草や果物を採りに森に入ることも、川ではしゃぐことも、一日中学ぶことも、働くことも、……先のように俺を見つけて大声をあげて、全速力で駆けてくることも……だれとも変わらぬ元気な姿を見せていた。


「……運、なのは間違いないでしょう。ほんとうに幸運だったと思います。だけど、それをわたしにもたらしてくれたのは、あなた。セイラル・ヴィース。この世でただひとり、あなたなのです。高名な魔術医でもなく、名高い植物学者でもなく、わたしと同い年の、五年前にこの村へ訪れてくれた、あなた。……それを否定なさいますか? その事実を、わたしのとっておきの宝物を、……わたしから、奪いますか?」


「やっぱり嫌な聞き方をするよ、お前は……。もうちょっと、その賢さを別のことに使ったらどうなんだ? 世のためリフィナーのためとか、さ」


「立派なリフィナーなら、そうするでしょうね。でもわたしは、自己中心のやっかい女なので。わたしが賢いというのなら、その力は自分の幸せのために使います。……と、いうことで。改めてお願いを。【5年祭】、わたしと踊っていただけませんか? できればいい加減、ここで、さらりと嬉しい返事を頂きたく思います。お互い、いろいろ仕事が残っているでしょうしね」


 ヤルゥはそう言うや否や、スカートをまくりあげて裾を縛り、白く細い脚をあらわにしつつもいっこうに気に留めず、そのあと右手を俺に差し出し、左手で胸を押さえて頭を下げ、金色の長い髪がはらりと落ちる。ほんらいなら、男が女を誘うやり方を、完璧にしてみせた。村の皆が見ている前で。……祭りの当日、それも【5年祭】の日に。


 果たして周囲の者たちはせわしなく祭りの準備に動きつつも、横目でこの様子を見ては、ここまでさせた【俺に】ドン引きの面持ちを見せる。向こうの4人娘などは口をあんぐり開けて絶句していた。もちろん俺に対して。……なるほどな。いままで村のリフィナーたちに知らしめるようおおげさに、俺へ好意を示していたのもこの日のため、これの布石か。一途な想いを向ける女をずっと無下にすげなく相手にせず、とうとう晴れの場ではこの仕打ち。……それなりの社交場なら、完全に男の恥になる行為、貴族なら出禁になる代物、たとえ洒落た社交場などを持たずとも、男女の交わりにおいて、男にあるまじき態度なのは、この村でも変わらない。……っとうに大した女だよ、お前は。俺の男としての価値を、俺を手に入れるためだけに、どこまでも下げてゆくことにためらいがない。だがなあ、こっちは元々、男としての価値なんてたいしたもんじゃないのさ。……【いちばん大事なもの】のためならな!


「い・や・だ・ね。どうしても俺を躍らせたいんならなあ、まわりくどいことはやめて、真正面から、力づくでこいよ。ほら、いつもお前が歌ってるヤツ、『愛の力はぁ~♪ 無敵ィ~♪』――なんだろう? 愛の力でなんとかしてみるんだな。……まあ俺の魔力は3500と低いといっても、それでもお前の120の魔力では、どうしようもないわけだが。……悪いな」


「――リボルト」


 次の瞬間、俺は体は地面に吸いついた。訳が分からず目を見開いて、目の玉だけ動かすと、しゃがみ込み、目を細めて冷たい笑みを浮かべるヤルゥが、小指に輝くなにかを見せる。なっ……!


「お……おま……! そ、……それはなんだっ! コラっ!」


「これですか? 『リボルト(惑え)』と唱えたら、相手の魔力の流れを一時的に乱すものですね。この村いちばんの魔具職人さんに、『近ごろ、しつこく求婚してくる、魔力3500の、たれ目の男がいて困ってるんですよ……(しくしく……。高級酒ちらっ)』と相談しましたら、『……よっしゃ任せろや! ちょうどええ試作品があるわ! んな野郎は、これでいちころやで! ……あとは煮るなり焼くなり好きにせえ!』と仰り、下さったものがこれですね。名付けて『愛の力は無敵』。通称『あい☆ちか』。……けっこうデザインセンスも好いのですよね、これ。お気に入りのひとつとなりました」


 と、光を当てて、その小指にはめた装飾豊かな指輪が放つ、ピンクの輝きにうっとりするヤルゥ。……おい、おいおいおいコラぁ!! パスコラーーーーーーーーーーーーぁっ!!


 ヤルゥによくやった! と拍手喝采する村の連中たちを尻目に、俺は歯ぎしりしてやぐらのほうを見るが、あちらは俺たちのことなど気に留めず、「手が遅いっ! まだツケ6回分くらいしか進んでないよっ! ペースを上げーーーるっ!!」「な、なに言うとんねんっ!? このていねいな仕事でこの速度! こんなんできるの俺しかおれへんぞ正味っ!! 分かっとんかお前俺のすごさがっー!!」「ハイハイそーゆーことは、ちゃーんと自分の稼ぎで飲めるようになってから、言ってね。……速度上げ! 上げーーーーーっ!!」と、フースイとやり合っている様子が見え(聞こえ)……。俺は額を地面につける。……つーかなーにが求婚してくる男だっ! 求婚してくる女の間違いだろーがっ!!


「さてセイラル。わたしがこんなことまでしているのは、無理やりあなたに言うことを聞かせたいからじゃないんです。頭の固いあなたに、落ち着いて、どうかわたしの言うことを聞いて欲しいからなんですよ」


「よーく言うなあ、おいっ! まるで俺が聞き分けがないみたいに……! 二年前からずーっと、てんで話を聞かないのはお前のほうじゃねーかっ!」


「そうですか? ……では言わせていただきますけど。あなたはほんとうに、マーリィ様が帰ってこられるまで待つつもりなのですか? 何十年、何百年でも。そして万が一、帰ってこられなければ、あるいは不幸――【ハーヴェ】がもたらすそれをマーリィ様が背負われ、あなたと再会されても受け入れる。……本気でそういう覚悟を決めているのですか」


「……いまさらなにを……! ……んなこと、当たりま……!」


「……――では。もし【マーリィ様のほうが、あなたを拒絶されたら】? ……どうなさるのですか。いまのように一時的な離別、などではなく永久とわに。それも、あの方の意志でなら……――」


 ヤルゥは俺を上から見つめ、天のまぶしさを背負い、暗い影に包まれたその表情かおは真顔だった。俺はそのまなざしを受け止めて、ただ黙る。しばらくのち、彼女は言った。


「あなたも、わたしも、確かに15歳となり成人し、年齢と立場においては【大人】になりました。けれど、わたしたちふたりとも、マーリィ様に比べれば、ずっとずっと……、いえ、わたしたちに限らずに、村のだれよりも、年齢的な意味や、せいの成熟度とは違う意味で、あの方は【大人】なのです。だからマーリィ様の想いや考えを、正確に推し量ることは、だれにもできかねると思いますが、それでも……。わたしなりに、想像していることはあります」


 ヤルゥは俺の体に触れる。それでもう、体が自由になっていることに気づいた俺は、ゆっくり起きる。ヤルゥはそれを認めると、まくり上げ、しばったスカートの裾をほどいて脚を隠し、膝に手を置いて話を続けた。


「150万を超える魔力値。数千にのぼると言われる保有術式。開発した術式は、数こそ多くはないですけれど、すべてが超一級。選ばれた者しか扱えません。そして精霊に唯一与えられた【クラス0Sゼロエス】の称号。あの方は……【魔神】は――まぎれもなく天才です。ですが天才にも、唯一凡才よりも乏しいものがあります。……なんだと思いますか?」


「……。……んだよ」


「【運】です。わたしたち凡才ほどに、幸運も不運も、天よりもたらされることは、ほとんどないのです」


 ヤルゥは耳のそばに留めている髪飾りに触れる。銀色のそれは、ふたつの花弁の……俺が採ってきたあの花を模したもの。俺がそれをぼんやりながめていると、彼女は再び口を開いた。


「天才は、すべてを見通せて、できることとできないこと、リフィナーの力が及ぶことがらはなにか、それがどこまでかを理解できてしまう。歩く道には自らの能力による灯りが常にともり、暗がりが存在しない。自分の行きつく先もえてしまうし、なにをすべきか……天からなにを求められているか、分かってしまう。それが自分にとって幸福か不幸かは関係なく、必然として――【使命】として。そこに【運】、などという偶発的なものは、ほとんど発生しようがないのです。……だからもう一度、あなたをご自身から遠ざけたなら、それが【あの方の視えている必然】なのです」


「……それは、俺にどうこうできることはない、ってことか? マーリィの世界に入り込むことはできない。――……そう言いたいわけか」


「はい。あなたは凡才です。わたしたちと同じ。……それはあなた自身が、マーリィ様がいなくなられてからの月日で、いちばん理解されたのではないですか。……だれにも師事していない、修行を始めていない、あの方にだけ教えを乞うために。それにしても、4年間で魔力値は500しか上昇していません。15歳で3500という魔力値では……わたしの調べた限りでも、生涯の限界値は5万。これも死ぬほど努力して、好い師と好い経験に恵まれた上での、わずかな実例です。……ほとんどは3万にも届きません」


 ヤルゥは居住まいを正して俺に言い放った。その表情かおにはひとかけらの惑いもなく、ただただ事実を伝えている、そんなふうだった。ただ、膝の上に置いた手が、かすかに震えているのは見えている。……自己中、ね。ならそんなに辛そうに、それを俺に見せないようにしてるんじゃねえよ。自分に想いをぶつけてくる女のことを、ほんとうになにも分かってないと思ってるのか。皆に好かれているのも、そういうところがバレてるからだ。……俺に嫌われても、死ぬほど恥をかかせても、俺に真の絶望を味わわせたくないということだろうな。ほんとうに嫌で……好い女だよ、お前は。


「ヤルゥ。俺がマーリィに出された試験のことは話したよな? 5年前も、それが解けなくて置いて行かれたということも」


「……はい。いまお話ししたことも、それを考えた上でのことです。あなたはいまも……、マーリィ様の試験を解くことはできていないのでしょう?」


「いや。分かったよ。……合ってるかどうかは、本人に聞くまで分からないけど。俺的には自信がある」


 ヤルゥは、ぽかん、と口を開けた。それからしばたたき、かぶりを振ると、やや顔を赤くして俺を指差した。


「う、うそですっ! わたしを混乱させるために、あなたの、いつものハッタリを……! だ、だまされませんよっ!?」


「ハッタリとかよく言うな、さんざんかましてるお前がさ……。とにかく、【だれ】が【それ】をハッタリと言おうと関係ないね。俺は俺のつかんだ真実を、あの超めんどくせーやっかい女に叩きつけるだけだ。お前は【自称】やっかい女だが、アイツは自覚がないんだよ。そのどちらが面倒かは、賢明なる学者志望のヤルゥ・ガーラン嬢ならお判りになると思いますが。……つーか早く帰ってこいってんだ。天才様にしては仕事が遅いんじゃねえのかぁ?」


 俺はため息をついて、それからデルテの束を抱えて立ち上がる。それを見て、ヤルゥが倣って立ち上がり、スカートについた土を払うが、さっさと歩き出そうとする俺に、「待って……まだ話はっ!!」と慌てて声をかけてきた。なので俺は足を止めて、振り向くと言った。


「……お前はさっき、天才は【運】に乏しいと言ったよな。幸運も不運も。俺たち凡才よりも。そこがお前の賢いところだよ、ほんとうに。……その知性で【ない】と言えないところがさ。……だからわずかには、在るんだよ。アイツにも【運】は。視えていない、コントロールできないせいの要素がな」


 ヤルゥは目を見開いた。俺はその切れ長の美しい目を見つめて、言い放った。


「アイツの不確定要素は――【運】は俺だ。……たとえそうでなくとも、俺がアイツの【運】になる。天才様の世界には凡才は入り込めないというのなら、そのくらいぶっ飛んだ考えでももたなきゃ、どうにもならんだろう? ……お前の話で気持ちが固まったよ。阿呆になる覚悟がな。……ありがとう」


 俺は笑い、ヤルゥに手を振って再び歩き出す。すると後ろから、「……う……、【運】になる……? ……にを馬鹿な、おかしな、そんな変な言葉はっ!! ……そもそもあなたはっ!! もとからだれに言うことにも耳を貸さないで、ずっとずっとあの方だけを……――阿呆なのは元からでしょうっ!? ……このおっ、本気で、世界一の、とんでもない……っ!! ――阿呆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」と、特大の罵声が飛んできて、そのあとに、「またセイラルがなんかしたっ!?」「皆っ!! ヤルゥを助けるよーーーー!!」「「おーっ!!!」」「こるぁお前ら、いい加減に仕事しろーーーーーーーーーーーーーっ!!!」等々背中に刺さる声が多く、おおきくなってきたので、俺はデルテの束をしっかり抱えて全速力で駆けだした。

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