第83話 【それ】を決めた日
「セイラル・ヴィース。ひとつ、君に言っておきたいことがある」
教育院を出て、あてもなくさまよって数日。ぐうぜん再会たマーリィに弟子入りを頼み込んだが無視されて。でもあきらめきれずにあとをついてゆき、三日後。ある細い川べりの道で、ずっと無視を続けていたマーリィが立ち止まり、初めて俺のほうを向いて声をかけてくれたので、食いつくように返した。
「なにっ!? なに……なんだっ!? なんでもやるから言ってくれっ! 食事の用意なら、これでも得意なんだっ! あ……、つ、釣りはちょっと、ちょっとだけ苦手なんだけど……、さばくのはできるんだぜっ!」
光る川面をちらちら見て、焦りながら言うと、はあ……とおおきくため息をついたマーリィは、ゆっくりかぶりを振る。そして美しい切れ長の目を半眼にして、続ける。
「君はもしかすると、このまましつこくついてくれば、いつか私が音を上げて、弟子入りを許すと思っているかもしれないが。私が弟子をとることはない。……君に限らずな」
半眼のまま言い切ると、じっと俺を見た。でもそれは、教育院の神導師たちが、大人の立場で説教するようなものじゃなく、俺と同じ立場で言い放っている、目はそういう光を宿していた。なので俺は前に出て、頭ひとつよりもおおきいマーリィに少しでも近づくように、背伸びして返した。
「そ、それは『俺が嫌』なんじゃなくて『弟子を取るのが嫌』……ってことだよなっ!? な、ならぜんぜん駄目なわけじゃないじゃないかっ! ……っていうか、なんで弟子を取るのが嫌なんだよ。あんたほど強いんなら、いままでにだって、弟子が……。やっぱりいたよな。それでなんかあって、嫌になったのか?」
「違う。弟子を取ったことなどないし、これからも取ることはない。そしてその理由を、君に話すこともない。以上だ。……このまま川沿いを行けば村がある。そこで君とはお別れだ。私が君を振り払わずにのろのろと移動していた理由が、これで分かったか? 一度助けた子供を、危険にさらすわけにはいかないからな」
そう言って、また歩き出す。彼女の藍色マントがふわりと浮いて俺の鼻をくすぐり、思わずくしゃみが出そうになるが、こらえて、くすぐったくなった鼻をこすってすぐに駆け出して、横に並んで歩いた。
「俺は村に残る気はないぞ! あんたが認めてくれるまでついて行く! ……だって惚れたんだ、あんたに! それにいま別れたら、もう二度と会えない気がする……するんだ」
俺は足を止める。マーリィは、それにやや遅れて立ち止まり、少しだけ振り返ると、ぼそりと言った。
「……なぜ会えないと思う。今回のように、またどこかで会うかもしれないじゃないか。私に惚れたと言うなら、そんな都合のいいことを思うんじゃないのか?」
「いや。たぶんあんたは……死ぬ。いつかは分からないけど、このままじゃ。そういう気がするんだよ。うまく言えないけど……。だ、だから俺はそうならないようにっ! いっしょにいたいんだよっ! あんたのそばに! それで、あんたに魔術を習っ……――」
次の瞬間――俺の口は、マーリィの押し当てた人差し指により閉じられた。俺はとつぜんのことに目を見開き、口を開こうとしたができずに、体も動かず……たぶん彼女の魔力によってそうなっているのだと分かった。そして唯一、自由にできた目を動かして、固まったままマーリィを見た。
彼女は俺と同じように目を開いていた。口は固く閉じて、ただ端のほうはかすかにふるえて。出会ってからこれまで見たことのないような……まるで子供みたいな……俺みたいな表情をしていた。草むらから、おおきなヴィント(※バッタを巨大化したような虫)がとつぜん出てきたときの、俺のように。
やがてマーリィは、俺の視線、不思議がる表情に気づいたのか――。いつもの表情に戻り、ゆっくりと指を離してゆく。それで急に力が戻り、俺は思わずこけそうになって、文句を言いつつ顔を上げると、マーリィは川を見ていた。
彼女の長く美しい青髪と、藍色のマントが、やわらかな風になびいている。俺は、マ……と声をかけようとしたが、そのときーー 彼女は体を震わせた。
「……ふっ。くっ、くっ……。……死ぬ、か。それはそうだろうが、いつかはそうだろうが……! まるでその口ぶりは、そういうことではなく、私が寿命に達せずに、無念のうちに命を落とすと! 予言者さながらじゃないか……。はっ、はっ……! あははははははっ!! それを君が!? 魔術もまだ身につけず、魔力もまだ高みにはほど遠く、これからもどうなるとも知れぬ、そんな君が……!? ……よくも言ったものだな、【魔神】と恐れられている、このマーリィ・レクスウェルに……――!!」
高らかに笑い、風になびく髪もマントも、まるでいっしょに笑うかのように、いよいよおおきく持ち上がり、きらきら光る川面はいっそう輝きを強くする。俺は目の前の、とてつもなく強い魔術士……世界から【魔神】と呼ばれるそのリフィナーが、どこにでもいる村の子供のように、無邪気に、楽しそうに笑うその姿に、【魔芯】が揺れ、心が撃ち抜かれる。……そうだ。俺が好きになったのは、惚れたのは、【魔神】なんかじゃない、マーリィの、この、ただのリフィナーとしての――……。
「……いいだろう。気が変わった! 君の予言が真実かどうか、確かめたくなった。……【きょうは】な。魔術士としては好い天気ではないが、リフィナーとしては心躍る快晴だ。だからひとりのリフィナーとしての好奇心で、それが続くまでは、弟子入りを認めるか否かの猶予期間として、……君に付き合ってやろう」
「ゆ……、ゆう……よ? ゆうよってなんだっ!? どういう意味だ!? もしかして弟子入りを決めるかどうか、考える時間ってことか!? ……な・ん・つー、頭のかたさだよっ!! ぜんぜん気が変わってねーじゃんかっ!!」
俺は地面を何度も踏みつけ靴を汚す。マーリィはまた半眼になり、「魔術は正式に弟子入りを認めるまでは教えてやらんが、そのほかのことは、どうやらすぐに教える必要がありそうだな。教育院で真面目に学んでいたら、すぐ分かる言葉だろうに……」と息をはき、歩き出す。俺は追いかけて横に並び、「真面目だったさ! でもあんた、教育院で勉強したことあるのか!? ……あんなに退屈なものはないぜ!! だれだって、たまには、眠たくなったりするよ、絶対に!」とまくし立てるも無視される。それから少しして、俺の言い訳が途切れたときに、歩きながら、前を見たまま……――マーリィはちいさく口を動かした。
「……さっきの、最後の言葉。その続き。それは君の【勘違い】だから、改めて考えるといい。ほんとうの理由を。魔術を私から求める理由を。これは、そのための猶予期間でもある――」
「……はっ? なんて言ったんだ……。よく聞こえなかったからもう一回言ってくれ! ……もしかして、きょうは魚がいいのか? だったらあんたが釣ってくれよ。……でもこの川じゃあ、あんまりいいのは釣れないかもなあ。だって土が悪いもん……」
俺は足を持ち上げ、ぴょんぴょん跳ねつつ靴についた赤土を見る。けれどそうしているうちに、マーリィはどんどんひとりで進んでゆき、俺は慌てて、土を払ってとおくなる青髪を追いかけた。
◇
◇
目覚めたら、低く、汚れて、ところどころ穴のあいた天井が見えた。横を向くと、心配そうな表情をして椅子に座るキーロルが映る。彼女はぼんやりした俺と目が合うと、ほっとしたように笑顔になり、それから椅子をぎこぎこ鳴らしてさらに近づき、ベッドの上の、力の抜けた俺の手に自分のそれを重ねた。
「好かった……。とつぜん倒れたから、心配したんだよ。……頭痛くない? 気持ち悪くない……?」
キーロルは俺をのぞき込む。俺は枕の上でちいさくかぶりを振る。彼女はおおきく息をはいて、重ねた手に力を込めた。俺はそのぬくもりを感じながら、自分がなぜ寝ているのか、キーロルが心配しているのか考える。……確か彼女が訪ねてきて、いっしょに夕飯を食べることになって、パスと酒盛りを始めて……。そのときになにか、キーロルが話を……。俺とパスに――……。
「……――っ!? ……あっ……!!」
俺は体中に雷が流れ込んだように目が覚めて、すべてを思い出し――、飛び跳ねるように起き上がり、床に降りるがすぐキーロルに止められた。俺の肩を押さえる手からは、緑の光が漏れている。ピクリとも動けなかった。
「……なせっ!! 離せよっ!! 行かなきゃならないんだよいますぐにっ!! ……匠が、師匠が死ぬだろうがっ!! このままじゃ、アイツが……!! ……――離せって言ってんだよっ!!」
怒鳴るが、キーロルは表情を少しも崩さず、冷静さを保ったまま、俺を封じ込めていた。ただ肩を押さえているんじゃない。魔力を俺の全身に通して床に突き刺している。目だけは、口だけは動くのは、あえてそうしてるんだ。俺の気持ちまでは縛らないように、それで発散させて、やがて力尽き、落ち着かせるために――。
なにもかもを見通した、そんな保護者のような振る舞いに、いよいよ俺の頭に血が上る。けど怒ろうが、興奮しようが、はるか上の魔力を持つ、もうすぐ国のエリート組織、【遠景の魔術士団】に所属するほどの魔術士である彼女の前ではどうしよもなく、……自分の無力さを思い知らされて脱力した。
「セイラル君。確かにアタシは【事実】を言った。……マーリィは戻らない、少なくとも、君のよく知る彼女は、と。だけど、それの【真実】は……まだ分からないんだよ」
俺の体に、再び力がよみがえる。そして動かなかったはずの首が動き、体も動いて思わずこけそうになる。キーロルはそんな俺をすぐに支えて、優しくベッドに座らせてくれる。俺は一瞬、ドアのほうを見たが、次に視線を向けたキーロルの表情が真剣だったので、駆け出すのをやめて……彼女に尋ねた。
「真実……っていうのは。事実とどう違うんだ。……教えてくれよ」
「……うん。つまりね、過去の歴史で、【ハーヴェ】に行って無事だった者はいない、というのが事実。だけど、その内実……【なぜそうなったか】、という真実は、まだだれにも分かっていないってこと。ただ起こったことを知っているだけで。だからもし、マーリィが戻ってきたら、その真実を、マーリィなら突き止めているかもしれないし、……のちにでも、彼女自身が時間をかけて、あるいは真実を引き継いだだれかが突き止めるかもしれない。王命の内容は分からないけど、ふつうに考えて、調査が仕事の第一だと思うし。彼女の能力なら、それを達成して、真実に手が届いて――過去の悲劇を繰り返さずに済むかもしれない。……そういうことだよ」
「それは師匠が助かる、っていう話じゃないよな? 師匠くらいすごい魔術士なら、その記憶や命をかけることで、【皆のためには】なんとかできる……、師匠の犠牲のもとに、これからの皆が【ハーヴェ】に行っても大丈夫なようになるかもしれない、っていうことだろ? ……――キーロルの言う、【真実に手が届く】、っていうのはさ!」
キーロルは黙った。俺は歯を食いしばり、それから寝具をにぎりしめて、そのまま持ち上げベッドに叩きつけ、叫んだ。
「……けっきょく、ぜんぶ師匠頼みってことじゃないかっ!! すごい魔術士の、世界一の……!! なんにも、ほかの魔術士は、リフィナーは……――俺はっ!! なんにもできないってことかよっ!!」
「……そんなわけあるかい。お前はほんまに阿呆やな」
声とともに、ドアが開いてパスが入ってきた。頭をぼりぼりかきながら、手には酒瓶と、グラスをひとつ持っている。彼は歯で栓を抜き、グラスに青色の酒を注いでキーロルに手渡して、そのまま部屋の奥にある机の椅子に腰かけると、机に瓶と栓を置いた。
「お前はなんのためにこの村におる。マーリィの試験を解くためやろうが。なら、またあしたから、マーリィが帰ってくるまで、お前は村の皆に学び、生活に学び、自分の根本に迫るまで、やるべきことをやり続ける。それが、いまのお前にできることや。……ただ唯一の、アイツの弟子でありたいんやったらな」
パスは瓶を傾けて口飲みする。俺は唇をかんだあと、拳を握りしめて、また叫んだ。
「……んなこと言ってる場合かよっ! いまはその、試験を出してる本人が……師匠が危ない目に遭ってるんだろっ!? そのためにできることはないのかって話だよっ!! ……そもそもなんだよ、この国の王様はさっ!! なんでそんなことを命令するんだ!? いままで、だれもまともに戻ってこないようなところに行けだなんて!! いくら師匠だってそんなもの……、だいたい師匠ならそんな命令なんか無視しったっていいのに、馬鹿じゃな……――」
次の瞬間、額になにかが当たり、俺は目を閉じる。開けると、ベッドの上に茶色の栓が転がっている。それですぐにパスを見返したが、彼は目を半眼にして、呆れではなく、怒りで満たして俺を怒鳴りつけた。
「馬鹿はお前やアホンダラっ!! ……ええか!? 情や愛っちゅーもんはなぁ、自己満足アピール大会やないねん! ……お前が助けに行けるんか!? 助けに行ってなにができるんや!! 僕は命を懸けました! いうて無駄死にさらすくっそしょーもない求愛行動かますんかっ!? お前が死んでマーリィが悲しまんとでも思っとんのかボケぇ!! ……お前はそうして、前に俺が言うたように、マーリィを愛してるフリがしたいんかっ!! ……――ちゃうやろ、本気なんやろ!? ……踏ん張れやセイラル! ここがガキやない、お前の男の見せ所やろうがっ!! 自分をおおきく見せんな! 自分がいま、やるべきことをやれ! そんで信じろや!! お前の愛した女は世界一の魔術士で、どんなヤツもできひんことをやってのける――……とんでもないリフィナーやっちゅーことをな」
パスはまっすぐ俺を見た。それから瓶をまた傾けて、がぶ飲みする。そのあと、ぷはっ……と吐いた彼の息が、漏れ出た声が、瓶を持つ手が……震えているのが見えた。怒りや興奮のせいじゃない。表情が苦しさでいっぱいだったからだ。それで俺の腹と背中はかあっ……と熱くなり、自分の情けなさに耳が熱くなり、唇をかむ。…………うだ。パスは師匠と、俺なんかよりもはるかに長い付き合いじゃないか。それこそきっと、家族みたいに、師匠を、まるで妹みたいに……――。……馬鹿だ俺は。クズだ、カスだ!! ほんとうに…………ガキだ。
自分のふがいなさに涙がぽろぽろこぼれた。するとすぐ、そんな俺の手をキーロルが握りしめてくれる。……彼女だって、子供のころからこの村に出入りしてて、魔術士を目指してたんだから、きっと師匠は憧れで……。【魔神】だなんて呼ぶこともあるけれど、たぶんそれは尊敬してるから、師匠が魔術士として、雲みたいに高いところにいるって思ってるからだ。……辛くないわけないじゃないか。……なのに俺が、俺だけがひとり、…………てる……場合じゃ、……――ない。
「……キーロル。いままで【ハーヴェ】に入って、戻ってきたリフィナーは……、戻ってくるまでどのくらいかかったんだ。いちばん早かったリフィナーで。あと、戻ってきたときは、どんなふうだった? やせてたとか」
俺はキーロルが包んでくれていた手をゆっくり解いて、涙をぬぐいながら言った。キーロルは、目をおおきくして、わずかに口を開けて俺を見るが、すぐにまばたきをしてから答える。
「あっ……、えっと……。3……、3年半、かな。いまから44年前。国の第一級史書(※その時代ごとに最も権威ある学者によって編まれたもの)【エウレス史書】の記録。クラス5Sの魔術士で、とくに探索に秀でていたらしいんだけど。……やっぱり記憶はなくて、ふつうに受け答えはできたみたいだけど、ぼーっとしている感じだったって。見た目……肉体年齢的なものは、3年半くらいじゃ変わらないけど、魔力の流れは、そのくらいの時間を経たというには、どこか不自然なところがあったらしい。ただ、身なりはとくに傷んだりとかもなく、それほど変わってなくて、体もやせたりはしてなかった。でも、けっきょく……1年後に突然死してる」
「……。そのリフィナーが、ただ【ハーヴェ】で迷ってたのか、いろいろ中で調べものをしていたのかは、分からないけど。ふつうに考えて【遅すぎる】。なのに、飲むものも食べるものもあるかもわからないところで、餓死しないで、見た感じ、入ったときと同じふうだった上に、魔力の流れは、ふつうの、3年半の積み重ねが見られないような、不自然になっていた。と、いうことは……。もしかしたら【時間に関係するなにか】が、中で起こってるのかもしれない」
「確かに、そういう意見はあるよ。でも、帰還者のだれもがなにも覚えていないから、その証明も、考えを発展させることも難しくてそれ以上のことは。……ただ、もし時間系の【魔術】が発動しているなら、【自然魔術】(※雨や風のように、自然が起こす魔術。魔力をともなっているため魔術とされるが、リフィナーが使うそれとは完全に別種)だろうということは、史書内でも言及されてる。ふつうに考えて、中で魔術士が生存していて、なにかしているなんてありえないし」
「魔具。……の可能性は?」
「……へっ? い、いや、それは……」
俺の言葉に、キーロルは詰まり、それから苦笑してかぶりを振るが、俺は表情を変えずに首を動かし、奥に座るパスへと視線を移した。彼は俺が真顔で見続けるうちに、眉間にシワを寄せて言った。
「ないとは言えん。やがそれにしたって、リフィナーが放り込んだものやあれへん。そんなことをするヤツがおったとしたら、それは【精霊の使い】としか言われへんやろ。頭おかしなるから、そんなヤツの存在は考えとうない。……ともかく。俺の考えでは、あるとしたら自然の、……精霊のこしらえたもんや。【自然魔術】になぞらえて言うんやったら、【自然魔具】、っちゅーもんになるな。これまでお目にかかったことも、これから見れるとも思えん、……が」
「……【ある】とは、思うんだろ? ――魔具職人なら」
「……まあな。ぶっちゃけ、この世にある魔術は、【自然魔術】の劣化コピーやからな。魔具もその限りやあらへんと考えるのが【自然】や。【この世のあまねく存在は、無理なく在る】。偉い学者に言われるまでもない。……そういうもんや」
パスは酒瓶をあおる。手の震えは弱くなり、表情もふだんに近くなっていた。俺はおおきく息を吸い込んで、はき、それから呆然とするキーロルと、次の言葉を待つパスに向けて、言った。
「師匠は。俺にだって分かるくらい、とんでもない力を持っていて。きっと王様の言うことだって無視できるし、……そもそも俺の知ってる師匠は、ははーって頭を下げて聞きたくもない命令なんか聞くようなリフィナーじゃない。そして、ただ強いだけじゃなくて、俺なんかが想像できないくらい賢くて、いろんなものが見えていて、【見なきゃいけない】と思ってて……。……だから自分で入ったんだと思う。もちろん、帰ってこられると考えて。【王様に命令させた】んだ。……中でなにかを手に入れて、持ち帰る必要がある。……【皆のために】。それがいまなら、自分にはできる、っていうふうに。……きっとそう思ったんだ」
「……魔具についてはどうや。なんでそういうふうに思たんや」
「魔具っていうのは道具だろ? それが精霊の創り出したものでも。道具っていうのは、【だれかが、なにかのために使うつもりで創るもの】だ。魔術もそうだけど、魔術は【物体】じゃない。一度発動したものは、たとえ師匠でも、構造自体をいじったりできない。でも魔具なら、パスがいつもやってるみたいに、直したり、壊したり、改造したりできる。……だから【ハーヴェ】を、だれかがなにかのために、得体のしれない空間にしているのが魔具なら、その原因を知ることも、力のもとを突き止めてどうにかすることもできるし、いままで入ったリフィナーたちが記憶喪失になった理由や突然死の原因も分かるかもしれないし、これから同じようになったリフィナーたちを治すことも、そもそもそうならないように、入る前から対策できるようになるかもしれない。そういうふうに考えたから、それなら【自分なら】どうにかできると、師匠は【ハーヴェ】に入ったんじゃないか。師匠以上に魔力を持っている、魔術を知っている魔術士も、……魔具について知識がある魔術士もいないから。師匠は、単にパスと友達というだけじゃなく、そのすごい仕事をずっと見て、たくさん学んできたはずだ。……俺の知る師匠なら」
俺は師匠が魔具を創っているところは見たことがないし、たぶんしてはないと思うけど、俺が見たってすごい魔具職人であるパスのことを、師匠が理解していないわけも、彼からなにも学んでいないはずもない。そして、師匠がパスを大切な友達だと思って、対等に見ているだけじゃなく、パスもまた、師匠を大切な友達、それに家族のように大事に思って、一個のリフィナーとしては対等に見ているのは……、そんなふうに、自分が、魔術士がいちばんだと偉ぶらないで、ほかの仕事もちゃんとすごいと思ってて、そこから学ぶリフィナーだからだと思うんだ。……きっと。
「……くっ。くくっ……。よくもまあ、そこまで。そんなふうに……。……るで阿呆、は俺やんけ……」
パスは額を押さえてかぶりを振る。そしてくしゃくしゃと髪をかきむしりながら、笑みを漏らしていた。俺が眉をひそめていると、とつぜん顔を上げて、パスは叫んだ。
「……――及第や! ようそこまでアイツを見た! ……男になってきたやんけ、セイラル!」
次の瞬間、栓を抜いたままの酒瓶が、青い液を飛ばしながら飛んできた。慌てて受け止めると、「やれや! 男は酒を飲むもんや。うまいとか不味いとか、そういうのはあとまわしや!」と、笑顔で促す。俺はちらりとキーロルを見るが、彼女はなにやら呆けたように座っている。パスが瓶をあおるような仕草を繰り返すので、やむなく俺は瓶の口に顔を近づけ、その独特のにおいに思わず顔をしかめながらも、えいやっと勢いをつけてあおる。…………くっっそまずかった!
「ぺっ! ぺっ、ぺっ! な……んだこれっ!? よくもこんなものを……! なにが美味しいんだ……!? み、水っ……!!」
俺はベッドから飛び降り、酒瓶を床に置いて、部屋の隅にあるカメまで走る。そして、水面に浮かぶカップで水をすくいがぶ飲みした。……まだ喉の奥が熱い。信じられないよ……。大人って阿呆じゃないのか!? 皆して俺に阿呆阿呆言ってるけどさあ……!
「……ラル、くぅ……んっ。……――セイラル、く~んっ!!」
「……えっ? ――うわっ!!??」
急に後ろから抱き着かれ、頬をすりすりされて、キスの嵐……! キーロルが赤い顔で、うるんだ目で俺を見つめていた。な、な、な……! なんだその表情はーーーーーーーーっ!? い、いつもとちょっと違う……というか、いつもよりひどくないかっ!?
「……ん・と・に・マ・ジ・にっ!! ちょーーーーーーーーーーー格好いいんだけどっ!? 惚れなおしまくりなんだけどっ!? 信じられないんだけどぉーーーーーーーーーっんっ好き好き愛してるぅっ!!☆彡☆彡 んーっちゅちゅ!!☆彡☆彡 結・婚っ……!! いますぐアタシと結婚してぇーーーーーーーーーーーーーっ!!☆彡☆彡」
緑の光をまとったキーロルが、俺を後ろから抱きしめて拘束する。おい……おいふざけんな……!! 俺の話聞いてたのかこのリフィナーはっ!? ちょっ……パっ、パスっ!! 助けっ!! 助けてくれーーーーーーーーーーーーっ!!
魔力を全身に通されて、声もまともに出せないので目で訴えるも、震えもなく、すっかりいつもの様子に戻ったパスは、鼻歌を歌いながら俺の残した酒をあおっていた。……だめだっ!! こ、このままじゃ……師匠が戻ってくる前に、キーロルに取り返しのつかない目にあわされる……!!
「……大丈夫。君はなにもしないでい~のっ。ぜーんぶぜーんぶ、おねーさんに任せればいいんだよ……?」
ふー、ふー……。酒臭い息を俺の耳にかけてささやいてくる。え……、マジなの? 冗談抜きなの? おい、おいおいおいおいおいっ!! なにをする気なんだよっ!? やーーーーーーーめーーーーーーてーーーーーーーーーっ!!
「……――ふぎゃっ!?☆彡☆彡」
「ええ加減にせんかい。お前は、ほんま一回どっかで発散してからウチこいや。……どこぞのおっさんよりタチ悪いわ」
気がつくと、体が自由になり、後ろには目をまわしたように、キーロルが両手両足を広げて倒れていた。パスはそんなキーロルを担ぎ上げるとベッドへ運び、雑に落とし、ため息をつきつつ寝具をかけてから、そばの椅子に腰をおろす。俺は呆然としたあと、パスの左手の薬指で、緑に光る指輪に気づいた。
「そ、それでやったのか? 前の剣みたく、すごい魔力が入ってるから、キーロルを殴って……」
「ちゃう。これは触った相手の魔力を急激に吸い取るもんや。この光はコイツのもんで、俺には付与されへん。ただ一時的にためとるだけで、しばらくしたらコイツに戻る。……ともかく、要は貧血を起こしたみたいになっとるっちゅーことやな。さすがの俺でも女を気絶させるまでは、よう殴らんわ」
貧血みたいってことは、血がなくなるみたいに、魔力を吸い取られたんだろ? な、殴るよりよっぽどひどいんじゃ……。い、いやそれよりもっ!
「そ、それっ! 俺にくれないかっ!! このままじゃ、師匠が帰ってくる前に、……マジでキーロルと結婚することになっちゃうよっ!」
青い表情で訴えるが、「阿呆言うな。これは一個しかないし、創るのもめんどいもんなんや。コイツに限らず暴走する阿呆を止めるとき、重宝するもんやからな。……女をうまいことあしらうんも、男としての、お前の修行やで」と、かぶりを振るパス。……無理だろ! 男とかそういう問題じゃねえ!
「……セイラル。お前の、マーリィに対する気持ちはよう分かった。そんでマーリィが、お前を弟子にしようとしたこと、逆に厳しいして、はねのけようしたんも、……俺が想像している以上のもんを感じ取ったのかもしれん、ちゅーことも。……だからいま一度聞いとく」
パスが俺を見据えた。なので俺はまっすぐ彼を見返して、応える準備をした。それを見届けたパスは、しずかに口を動かした。
「もしアイツが……、これから先、何年も、何十年も……何百年も帰ってこんでも。あるいは帰ってきても、記憶を失うてて…………死が近う迫っとる運命にあっても。お前はマーリィを待って、受け入れて、アイツだけの弟子になる覚悟がある。……それでええんやな」
「うん。それでいい。……もう、決めたんだ。俺には師匠……、【マーリィ】しかいない……って」
「記憶だけやなく。姿かたちが変わってても。……か。そういうことも、在り得るからな」
パスは指輪を押さえた。俺は、自分の【魔芯】を見たあと、軽く息を吸い込んで、はき……。うなずいたあとに、言った。
「ああ。たとえ別のリフィナーに……――万が一、リフィナーじゃなくて、ぜんぜん別の存在になっても、俺は……――マーリィを待つし、追いかける。どこまでも。どこの世界にだって。……――必ず」
俺の言葉が、空にとけたとき、パスは目を閉じる。それから少しして、目を開けた彼は、酒瓶をつかむとまた放ってきて、「最後まで飲め。きょうのお前のやるべきいちばんの仕事は、それを空にすることや」と言い、それに嫌そうな顔をする俺を見て、とても楽しそうに……笑った。




