第82話 少なくとも、以前の、君のよく知るマーリィは。
「お前、しばらくウチに住めや。俺の手伝いするんやったら、寝床も飯も困ることあらへんで」
水汲みから帰ってきたあと――。
俺が卵とパンを焼き、パスがベルル(※コーヒーみたいな飲み物)をふたり分入れ朝食の準備を終えて。古い、しかし手入れの行き届いている丸いテーブルに向き合ってすぐ、パスがその中央のカゴに積まれたこねパン(※コッペパンみたいなもの)の山から、自分と俺の皿へ取り分けながらそう言ったので、俺はすぐに顔をしかめた。
「なに言ってんだよ、そんなことしてるヒマがあるわけないだろ何日も! ……きょう一日ならあんたの手伝いもするからさ、頼むよ! ヒントってヤツを教えてくれ! 師匠は一日あったらもう、隣の国まで行っちゃうくらい速いんだからさ!」
俺は高い椅子からつま先だけで床にふんばりながら、手をぶんぶん振ってパスに言う。すると今度はパスが「はあ? 何日? ……お前なに言うとんのや」と顔をしかめて返した。
「【しばらく】、言うんは数年や。それもお前次第やが、……ま、最低でも三年やな。なんか勘違いしとるようやが、いま、俺がマーリィのテストを解くヒントをやっても、解くことは不可能なんや。現在のお前は答えを持っとらへんのやから」
パスはこねパンをかじり、「焼きすぎや。俺はもうちょい柔らかめが好みやから、覚えとき」と言い、ベルルを飲む。俺は口を開けて、言葉を出そうとするが、怒りと混乱でなにも出てこない。そんな口をぱくぱくする俺に、パスはため息をついた。
「……あのな。お前がなんで不合格になったか、落ち着いてよう思い出してみい。いまのお前は、マーリィの弟子になって、強さを求める、はっきりした理由を言われへんからやろうが。ただアイツに惚れとるだけ、弟子にならんでいい、口説き落としたいだけとちゃうんやろ? ならその強さを求める理由を自覚せんとあかんのやが、おそらくそれは、お前の奥底に眠っとる。【それ】を掘り出すためには時間がいるということや。ヒント言うんは、こういうこっちゃ。……これでいますぐ答えがでるんやったら、もう追いかけていってええで」
パスは手をふいふい、と振ってから、今度は目玉焼きをフォークで突き刺し、その白身をすするように口に入れる。「……ほっひはええやん。次もこんな感じではもふへ~」ともごもご言いつつ、ちゅるん、ぜんぶ飲み込んだ。俺はかぶりを振ったあと、全身の力を抜き、つま先が床から離れる。そしてがっくりうなだれて頭をかいた。
「……三年って。最低で……って。そんなことしてたら……だよ。……したら、……するんだよ」
「は? なんて? なにをぶつぶつ言うとんのや……。つーか早う食え、飲め。冷めたら不味うな……」
「師匠がっ! 師匠がっ!! その間に【結婚】とかしたらどーすんだよって言ってるんだ・よっ!! そしたらなにもかも遅いじゃないかっ!! うがーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」
俺は立ち上がってばん! とテーブルを叩いて叫び、ナイフとフォークがはね上がる。パスは鋭い目をおおきく見開き、次に口をぱかんと開けて……、最後に唾を飛ばして爆笑した。
「ぶふふっ!! ぶほっ……!! あーーーーーーーーーーーーっひひひいひっ!!!! おまっ……!! おまえっ……!!! 結婚って!! その歳でっ!! なんの心配しとるんやいまの段階でっ!!! あひひひひっ……げほっ!!!」
むせ返り、胸を押さえて必死に呼吸を整える。俺は真っ赤になって、「なっ……!!?? なななななにがおかしいんだよっふつうに考えることだろっ!!?? 三年だぞ!? 最低で、なんだろ!? そんなに時間が経ったら師匠だって……!! だれかが寄ってきたらそういうことだって!! あるかもしれないだろーーーーーーーーーーっ!! あと歳とか関係ねーーーーーーーーーんだよっ!!」とまたテーブルを叩いて叫んだ。パスはげほごほ、涙を流し、死ぬほど笑い……、ようやく落ち着いたとき、ベルルをひと口、すすってから、涙をぬぐってから言った。
「ひー……。あのな……。そうやな、まあ、歳のことはええわ。すまんな。……けどな。アイツのほう。アイツはそういうのは意図的に避けとるんや。恋とか結婚とかな。……お前も半年いっしょにおったんやったら、なんとなく分かるやろ。男がおったかどうかくらい」
「そ……、それは……」
俺は口ごもる。そして師匠と過ごした半年間を思い出したが……確かにだれかと、恋愛的に親しげにしていた記憶はない。俺を置いて、ひとりでどこかへ行くこともたびたびあったけど、たとえばほかの女のリフィナーみたいに、香水をつけたり、髪飾りをつけたり、おしゃれをすることもないし、そうして着飾って出かけたこともない。けど、単におしゃれに興味がないだけかもしれないし……。
「マーリィは、ちょい面倒くさい性格ではあるが、見た目もそこそこええやろ。確かに黙っとったら男のひとりやふたりは言いよってきよるわ。世界一の魔術士たる【魔神】のふたつ名を持っててもな。恋っちゅーのはそういうのを飛び越えるもんやから。多少の男除けにはなっとるやろうけど。……まあとうぶん、アイツが男を受け入れることはあれへんから心配すんな。そんなことよりも、正式な弟子になれるよう、ここでしっかり自分と向き合うほうが大切やし、それが近道……」
「と う ぶ ん ! ? とうぶんってどーゆーことだよっ!! それってそのうち気が変わるってことじゃないのかよっ!! ……だいたい そ こ そ こ ! ? 師匠はそこそこなんてもんじゃないだろものすごい美人だろっ!! あんたちゃんと見てるのかっ!? ……確かに、いっつも俺には阿呆を見るような目で見てくるけどさ!! でも花を見てるときとか、子供と遊んでるときとか、寝っ転がって星とか見てるときとか、すごい優しい表情で!! 笑うとすごくかわいくて美人で!! ……ああああやっぱりどう考えてもモテてそのうちだれかと結婚するよっ!! で、俺が数年後に会いに行ったら『好き? なにをいまごろ言ってるんだ? 相変わらずの阿呆だな君は』とか言いながら、だれかの腕をとって、肩に寄りかかって……あーーーーーーーーーーーむぐっ!!??」
「じゃかましーーーーーーーーーーーーーーーーんじゃお前はっ!! ええからさっさと飯食わんかいボケっ!! 俺は 仕 事 が あ る 言うとるやろーーーーーーーーーーーーーーーーーーーがっ!!」
俺の口にはパスの手によってこねパンが突っ込まれ、そのあと、「……喋ったら殺す。立ち上がっても殺す。飲み食い以外の動作をしたら殺す――」と、使い手に魔力3万を付与する剣を向けられながら言い放たれ……。いろいろ不満と疑問を抱えたまま、やむなく朝食をとることになる。そうして初めて飲んだベルルは……師匠の真似をして飲んだそれは苦すぎた。
それから。時は流れて――。
◇
「おーいセイラル。パスにアレのこと、念押ししておいてくれよぅ」
「はーいはい。分かったよ……。でもあんまり期待しないでよ。いま、新作に夢中になってるからさ」
「セイラルちゃん。ポウル(※ポップコーンみたいな菓子)持っていきな。あとメメ(※さつまいもみたいな芋)も。あんたならひと箱でもかつげるだろう? 倉庫のほうに置いてるからね」
「あーりがとうおばちゃん。もらっていくよ。でもいい加減、『ちゃん』はやめてくれよー。俺、もうすぐ11になるんだから」
「はーん? 11なんて『ちゃん』でいいだろーが。つうか俺もちゃんで呼ばれてぇなあ、愛しのフースイに。よーっし! 金も入ったことだし、今夜は街で髪飾りでも買ってから会いに行くかー!」
「ああ、ダロップは店出禁だってさ、さっきフースイが。あんた飲みすぎなんだよ、マナーがなってない。金払えばいいってもんじゃないだろー? 伝えたかんな」
「はあっ!? おい待てセイラルっ!! それはマジの話か!? 本気の話なのか!? 違うよな、ガキ扱いされて怒ってうそ言っただけだよな!? セイラルくぅーん!! ホントのこと教えてぇ~~~~~!!」
202歳のおっさん(独身)の、うるさい声が響いてきたけど無視。俺はおばちゃんの家の倉庫にまわり木箱を見つけると、その中にポウルとお使いの酒瓶を放り込み、持ち上げ、ありがたく頂戴してゆく。食料は助かるから。パスは金に無頓着だからなあ……。
たとえ仕事の代金の支払いが遅れてても、「えーでえーで」と軽く流し、「食いもんなんか裏の川で魚釣ったらなんぼでもいけるがな」と俺にのたまうことなど数えきれない。釣りが死ぬほどへたくそなくせに。まあ俺も下手だけど。……おばちゃんの畑手伝って、定期的に食べ物もらえるようにしようかなあ。
ぶつぶつ言いながら村の細道を歩くが、さっきのおばちゃんやダロップ、その前に、酒を買いに行った飲み屋のフースイのように、「おーいセイラル、パスにさー」とか、「お、坊主、それカスイにもらったポウルだろ? ちょっとくれ!」とか、「セイラル、いいところに! これ持ち上げてよ~旦那が腰やってさあ」とか。俺自身へとパスへの用事で二倍、声をかけられる。ほんとう、ここのリフィナーは気さくというか。もう俺がよそから来たことなんて、完全に忘れているように、元からの仲間のように接してくれている。
あれから一年。けっきょく俺はパスの家……この村に住み続けていた。師匠に置いて行かれた日、そしてそれから数日はパスに文句を言い、少しでも早く出て行くつもりだったけど……。ひと月後には考え方を改めて、パスの言うとおり、師匠に弟子入りを認めてもらえるように、答えが見つかるように、ここで努力することに決めたのだ。そのきっかけは――。
「ただいまー。……――って、できたのかっ!?」
俺はウチの敷地に入るや否や、木箱をどすん、と地面におろして、慌てて空き地の奥で光に包まれるパスへと駆け寄る。パスは作業椅子から腰を上げ、ガンゴォン(※ゴーグルのような眼鏡)を外すと、「おお、遅かったやないか。……ヤンユー(※強い酒。少しだけ高い)はあったか?」と俺に言う。俺は「木箱の中だよっ! ……それよりうまくいったのかよっ!?」と唾を飛ばしてまくし立てる。パスは汗をぬぐいながら、ニヤッ……と笑うと返した。
「だれにもの言うとんや? 天下の魔具職人、パス・【黄金の双手】・クジュール様やぞ。……見てのとおり完成や。ぶっちゃけ最高傑作やな。……はははっ!」
高らかに言い、パスは青空の下、作業机に置かれた金属の輪を示す。俺が「触っていいの?」と尋ねると、パスは、「ちゅーかお前が実験台や。俺やったら魔力が少なすぎてよう分からんからな。つけてみい」とうながしたので、すぐに腕にはめた。その瞬間――輪は銀色に光って、それに合わせて俺の魔芯も銀色に光る。その輝きを目の当たりにして、「……成功やな。よーっしさすが俺や! ……なんともないやろ?」とパス。俺は苦笑した。
「『なんともないやろ? よし、なら成功や!』……だろ? んとにあんたはさぁ……」
呆れて言う。パスは、「いやいや、なんともないことくらい、見たら分かるやん! 別にお前を心配してないわけちゃうで!?」と慌てて弁解する。俺は分かってる、すんげーよく分かってる……とつぶやいてから、聞いた。
「ところでこれ、どういうことに使うんだ? 魔力が変わったのは分かるけど……」
俺は自分の魔芯の輝きをを見る。俺の魔色は緑で、いま銀色になっているということは、魔力そのものが変化したということだ。ただ色が変わっただけじゃないのは、全身をめぐる魔力の流れで分かる。気持ち悪いとか、悪い気分じゃないけど、逆にいい気分でもないし、色と感覚が違うだけで、正直ものすごくふつうだ。パスが「すごいもんができるで!」と言うから期待してたんだけど……。どうすごいのか、感覚としては分からない。
「相変わらずの察しの悪さっちゅーか、阿呆やなあお前は……。ええか? 魔力ちゅーもんは一生変われへんし、変えられへんのや。つまりもう、これは別のリフィナーになるようなもんなんや! こんなすごいことがあるか? ――いやないで! それにこれは、世の中のどんな魔具職人も、創ったことないんやからな! ほ~んま自分のすごっぷりが怖なるわ!! わはははは!!」
「……。だから、【なにに】使うんだよ。っていうか、あんたも使い道は分かってないってことだよな、いまの話ぶりだと。……いままで魔具職人が作ってないのは、意味がないからじゃないの? 創れないんじゃなく」
「……――そっ! そそそそそんなわけあるかいっ!! そもそもやっ!! そーゆー発想がないんや、ほかのっ、いままでの魔具職人はっ!! これまでどこにないもんを創ろうっちゅーな!! そのチャレンジ精神がなによりも職人には大事なんやろーーーーーーーーーがっ!! ――おい、コラ、聞いとんのかセイラルっ!! ……なにを踊りだしとんのやっ!!」
「……あー、こうして腕につけて踊れば、祭りのときとかにウケるんじゃない? けっこう光の筋が残ってきれいだしさ。でもひとつだと物足りないから、皆で……10立(りつ。人と同じ)分くらい創ったほうがいいと思う。もうすぐファレイ彗星祭だから、ちょうどいいじゃん。売れるよどの街でも。……ってことで、あと十個、よろしく」
「んなに創れるかボケぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! それひとつ創るのに、 3 ヶ 月 かかっとんやぞ!? コツコツコツコツ仕事の合間にっ!! ……それ以前にそんなもんに使わせてたまるかあっ!!」
ぎゃーぎゃーぶち切れてわめきまくるので、俺は耳に指を突っ込んで退散する。……ああいうふうに、よく分からないものを、生活費を稼ぐよりも優先して創ったりするのがパスなのだ。そして俺は、そんな彼を尊敬している。……まあ、あまりにもすっからかんになったときはさすがに「仕事【も】しろっ!!」と怒ったけど。
とにかく、パスのそうした、どこか師匠にも似たまっすぐさ、そして魔具創りの腕を目の当たりにしたことで、俺は村にとどまる決意をしたのだった。かんたんに言うと、俺も創ってみたくなったのだ。
魔術士になりたいという気持ちは変わってない。師匠に弟子入りしたい気持ちも、……好きな気持ちも。というか、パスのすごい作品を見て、さいしょに思ったのが、【師匠に贈り物をしたい】、だったから。師匠といっしょにいた半年間、俺はそんなことを考えたこともなかったんだけど、パスの創った、きらきらした美しい魔具の指輪を見て、ふいに――師匠がつけたら、いっそうきれいだろうな、と思ったから。ぜんぜんおしゃれをしない、だけど魅力的な彼女が髪飾りや指輪をつけたら、どれほど輝きを増すだろう……と。
そうして俺はパスの家に住まわせてもらいつつ、彼の魔具創りの、それに生活の手伝いをしつつ、魔具の創り方も教わって、自分でもいくつか創っている。「ほー。なんや筋いいやん。……ほんまに初めてか?」と、パスの評価はまずまず。俺自身も、わりと手ごたえを感じてはいるが、これはあくまで師匠への贈り物を創るためであって、魔具職人になるためじゃない。パスもそれは感じているのか、俺にそうした【道】を示すことはない。そしてほかのリフィナーが、俺に【道】を示したときも、「ああ、あかんで。コイツは魔術士になるんや。それと、マーリィ以外には教われへんで」と、珍しく強く口を出していた。……そう、きょうこの日の晩も――。
◇
「こんばんこ~♪ キーロルお姉ちゃんだよーっ! 愛しのセイラルくぅーん、元気してたぁ~? ……あ、酒臭い お っ さ ん もこんばんこっ☆彡」
日も落ちて、夕飯の準備を終えたとき、ドアが開いて笑顔のキーロルが現れた。炎のように真っ赤な、腰まである長髪をひとつにくくり上げて、真っ黄色の外套といったまぶしさ。だけどそれに反して、中の術士服とブーツは真っ黒な、地味なのか派手なのかよく分からない、おおきな目がキラキラ輝く彼女はこの村からいちばん近い街、デーテ出身で、いまは王都近くの街で暮らしている。村には昔から出入りしていたために、パスとも古い付き合いで、俺とは半年前に出会って以来、ここへ訪ねてくるたびに同じ挨拶をして、それからやはりいつものように、椅子に腰かけようとした俺へ駆け寄ると、後ろから抱きしめてきた。
「わーっ! きょうはアブソーデ(※唐揚げにタルタルソース的なものをかけた料理)じゃ~んっ! これ、セイラル君が作ったんだよね? アタシの大好物! 急に来たのにやっぱり運命的だよ~んっ好きっ☆彡 ……あ、おっさん、きょうアタシ泊まるからぁ~よ・ろ・ぴ・こ☆彡」
と、言いながらおおきな胸を俺の背中に押しつけたまま、俺の頬にキスしたあと、テーブルを滑らせて酒瓶を向かいのパスに差し出す。パスはその酒瓶を見ながら、「……ん。まあええやろ」とうなずいてグラスを取りに立ち上がる。……手土産というよりわいろだよな? つーかもうっ! いつもいつも暑苦しいっ!!
「いー加減にしろっ!! 抱き着くなっ!! キスもするなっ!! 俺にく・っ・つ・く・なっ!! 俺はあんたには、ぜ ん ぜ ん きょーみないのっ!! そろそろ真面目に聞いてくんないかなぁ……!!」
振り払い、うんざりしたように言ってから着席する。だけどキーロルは、「んもー。そっちこそ、いい加減にアタシの本気を感じてほしいなあ。ま~だ半年前の【ひと目ぼれ】宣言をジョーダンと思ってるでしょ? 違うから! 運命の出会いなの~っ魔色も同じ緑だしっ!」と口をとがらせる。するとグラスをふたつ、持って戻ってきたパスが、「思うに決まってるやろ。セイラルからしたら怖すぎるやろうが、本気にとらえたら……。ええ加減に笑いで済ませる距離感でやめときや、お ば は ん」と言い終わった瞬間――「創術者はガードゥ・レイストア。執行者はキーロル・レイヴ。――響け。パースレヴ」という詠唱とともに、パスの手の中のグラスは緑色に発光したあと、彼の手をいっさい傷つけずにふたつともこの世から消滅した。
「アタシは ぴ っ ち ぴ ち の 7 0 歳 だから。1 8 0 歳 のおっさんは黙っててくれる? ……やだよね~年寄りはっ☆彡 すーぐ自分の仲間に引き入れようとするんだからっ♪」
パスに凄んだあと、俺にはかがんで上目遣いで首をかしげ、さらには満面の笑みを見せて言う。……テーブルにも、床にも、グラスの残骸がひと粒の粉すら残らないさまを目の当たりにして、正直、恐怖で背筋に冷たい汗が流れたが……俺は苦笑いするほかなかった。反対にパスは、「おいコラっ! なにを考えとんのやお前はっ!! いまの、とっておきのグラスなんやでっ!? ……それと俺はまだ 1 7 8 歳 やっ!!」とキーロルに怒鳴る。しかしそんな怒声もどこ吹く風、キーロルは俺の隣の椅子を引くと腰かけて、ヒジをついて俺に身を寄せて続けた。
「ところでセイラル君。実はねぇ。アタシ来月、国の魔術士団に入ることになったんだ~」
「えっ……――? ほ、ほんとかよっ!?」
「ほんとホント♪ セイラル君がここに住む前から、ぶっちゃけ試験受け続けてさ。で、今年ようやく受かったの~秘密にしてたけどっ! いえーいえいっ!♪」
キーロルは指を二本立てて俺に笑い、そしてパスには半眼で、ふっ……と得意げに笑う。パスは、「なんやお前、そういうことは先に言えや! ……しゃーない、とっておきのグラス、その2を出してきたるわ!」とまた立ち上がり、俺はどきどきして胸を押さえる。この国の魔術士団といえば、【遠景の魔術士団】の名で有名で、クラス3A以上、つまりA上位の上級魔術士であることが最低条件だし、さらには魔力値A相当の戦士たちと、クラス2Aの魔術士と戦う難関試験と突破しないといけないのだ。いつも冗談めかしたような態度の彼女だったけど、さっきのように、たまに見せる魔術はすごかったし……ほんとうに才能のある魔術士だったんだなあ。
「お、おめでとう……! すごいよ、ほんとうに! な、なんで隠してたのさ!」
「えっ? だってずーっと落ちてたから。そんなこと言いたくないじゃん。好きな子に格好つけたいじゃん。……ふふふ。嬉しい。そんな表情見たかったんだ……」
キーロルは、穏やかに微笑んだ。そのいつもの冗談的な表情ではない、自然のさまに、俺の【魔芯】が揺れる。すると、「あ! いまどきっ、としたでしょ!? ついにっ! ついにセイラル君が自分の気持ちに正直になるときがぁーーーーーーーーーっ!!☆彡☆彡☆彡」と叫んで両手を上げ、またいつもの調子に戻ったところで俺は冷静になり、「あ、キーロルのパンも焼くから」と立ち上がり、グラスを指で鳴らしつつ戻ってきたパスと入れ替わりになる。それで後ろから「んもーセイラルくぅん!? 正直はいいことだよーっ!? ……あとおっさん! それアタシのグラスなんでしょ!? おっさんの指で弾くなーっ!!」とぶち切れる声がした。……きょうはキーロル泊まるんだよな。合格の報告と、酒。……これは寝られないだろうな。
そんなことを考えつつ、俺はパンを焼いたあとテーブルに戻ってきたのだが、たった10分の間にふたりはもう出来上がっていて、おかずのアブソーデは酒のつまみと化していた。俺は「だよね~? だっよねぇ~!? きゃっはっはっは!!☆彡」とパスに笑いまくるキーロルの前に、焼いたねりパンの皿を置き、それから絡まれないように、椅子を彼女の隣から移動させようとするが、そのとき――。手首をキーロルにつかまれた。
「……だめだよ、もう。また首に手をまわしたりするだろ? どこも行かないけど、席はこっちに……」
「……ねえセイラル君。君はいまでも【魔神】のこと、――好き?」
ふいにキーロルが言った。俺は数秒、息が止まり、そのあとに苦笑して、「そりゃ、好きだよ。あと【魔神】じゃなくて、マーリィ。俺にはそっちで頼むよ。師匠はあんまり、その呼び名は好きじゃなくてさ。まあ、本人は面倒くさいから、注意するのは俺だけで。それ以外には呼ばれるままにしてたけど」と息をはいて、また椅子を引こうとするが動かない。キーロルは真顔で俺を見上げていた。なのでもう一度、はっきり言った。
「……俺はマーリィが好きだ。まだガキだけど、大人のリフィナーが聞いたら笑うだろうけど、その気持ちは変わらない。……ずっと。大人の男になっても――」
「……だよね。それでこそセイラル君だ。まあ、たった一年離れたくらいじゃ、ね……。いままで聞いた話でも、そんなわけないなーとは思ってたし。……だけど、【マーリィのほうが変わってたら】、……どうする?」
「……。変わってたら? どういう意味だよ。言っとくけど、俺は師匠に、ぜんぜん相手にされてなかったんだからな。ガキだし、いつも阿呆を見る目で見られてたし。まあ、嫌われたら悲しいけど、この一年会ってないんだから、嫌うもなにも……」
「マーリィは、王命で【ヤートの森】の第三層、【ハーヴェ】に入ったと。単独で。……きのう【遠景の魔術師団】で聞いた」
急に、早口でキーロルはまくし立てた。まるで嫌な仕事をなんとか終わらせるかのように。そんな態度に俺は変な気持ちになりつつ、返した。
「……ヤート……の、森? なんだよそれ。どこにある……。ってか、王命? っていうのはこの国の王様の命令のことだよな? じゃあまだ師匠は、この国を出ていってなかったんだ……」
俺はほっとしたように息をはく。もう、ずっと遠くにいってしまったと思ってたから。そして、もしかしたら俺を気にかけてくれて、近くにとどまってくれてるのかな、という淡い期待の気持ちも生まれて、ちょっと笑顔になった。だけどすぐ、キーロルの言葉を理解しがたいようにまばたきしていたパスが視界に入り、それは消える。彼は瞳を震わせたあと、しずかに言った。
「おい……。――……それはほんまのことなんか」
よく見ると、彼は腰を浮かしていて、顔の赤みが引くほどの真顔になっていた。俺は全身が震えて、硬くなった首を動かし、もう一度キーロルを見る。彼女もパスと同じように真顔になっていて、うなずく。ふたりの様子に俺はいよいよ体が硬く、寒くなってきて、熱を取り戻すように、無理やり手を動かしてキーロルを振りほどき、テーブルを叩き、大声で言った。
「だからっ! なんだよ【ヤートの森】って!! それに【ハーヴェ】って!! ……――ちゃんと分かるように説明しろっ!!」
俺の怒鳴り声にも動じずに、キーロルは酒瓶を傾けて、グラスに注ぐ。それを一気に飲み干してから、そしてもう一度、唾を飲み込んでから、……喉の奥からひねり出すように、言った。
「【ヤートの森】は……、この国の中央にある魔獣の森で、みっつの層に分かれているんだよ。第一層の【エルベタ】は、下級魔術士の遊び場にもなっている、魔獣の多い、腐っただけの場所だけど。第二層の【ゾーヴ】は【死の世界】で、長居すれば精神が侵されて、元に戻らなくなる。……そして第三層の【ハーヴェ】は……――、【無の世界】、と呼ばれているの」
「……、む……? ……――って」
「無。【なにもない】っていうこと。いままでに、足を踏み入れた者はほとんど帰ってこなくて、運よく生きて帰ってきたリフィナーたちも、皆、記憶を失っていて、数年のうちに全員死んだ。ある日とつぜん。……ひとりの例外もなく」
言い終えて、キーロルはまた酒瓶を手に取り、グラスに傾けようとしたが、今度は俺がその手を止めた。歯を食いしばり、目を見開いて3千の魔力のすべてを込めてキーロルの手首を握るが、彼女はそれを痛がりもせず、ふりほどくこともなく、淡々と……しかし聞き取れるかどうか、分からないくらいのか細い声で続けた。
「マーリィはもう戻らない。少なくとも、以前の、君のよく知るマーリィは。たとえ世界一の魔術士でも。無事に戻れた例は、いままでに一度もないの。これは公的な史書にはっきり記録されている、歴史的な事実なんだよ。……――セイラル君」
キーロルは、つかまれていない反対の手で、俺の腕をさすった。その動きには、いつものような熱さも、強引さもなく、ただ哀れみの感情で満たされていて、それを感じ取ったあと、俺はパスが唇をかみしめている、いままで見たことのない表情を見て――……崩れ落ちた。




