表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/101

第80話 変わらないな、君は

「はぁっ、はぁっ、……はあっ!!」


 苦しい。苦しい。息継ぎが追いつかない。足はなんとか魔力に押されて前に出てるだけで、ばたばたふわふわ、みっともないったりゃありゃしない。これじゃまるで、空でおぼれた間抜けな鳥みたいだ。


 くちゃくちゃの表情かおのまま、自分の横に流れていく木々たちの背が、どんどん低くなってゆくことに気づいた。もうすぐ森を抜けるんだ。そりゃそうか。あれから一度も止まらず走り続けてるんだから。


 マーリィ……、じゃなくて師匠せんせいの藍色マントがとおくに映る。もうだめだ、と体の力を抜くと、師匠せんせいはすぐに気づいて速度を落とし、消えかかった藍色がまたおおきくなる。だからまた走る。走らないと怒られる。そんなことを繰り返してきたけど、そろそろ魔力が限界だよ。緑の光がちかちかになってきたし、魔草虫ベルガが寄ってくる数が増えてきた。アイツら、弱ってきたらすぐまとわりついて、血を吸うんだ。俺たちリフィナーしか狙わない。動物も魔獣も、好みじゃないらしい。ぜんぜん嬉しくないよ、ほんとうに……。


 そうして、足だけじゃなくて魔草虫ベルガを追い払うために手までばたばたさせていると、とうとう景色が広くなって、空がおおきくなってきた。俺はほっとして、そのときようやくしっかり足が地面について、思い切り土を蹴ることができた。それで、へとへとなのに、いままででいちばん速く走って森を抜け、すでに立ち止まっていた師匠せんせいにしばらくぶりに追いついた。


「……――はあっ、はあっ……! はー……疲れたっ! ……」


 俺は師匠せんせいの隣でしゃがみ込み、必死に息を整える。それから立ち上がって前を見た。するとすぐ崖になっていて、そこで道は右と左に分かれ、長い、ゆるやかな下り坂となって崖下へと続いていた。

 崖はほぼ直角だしかなり深い。師匠せんせいみたく飛べる魔術士ならともかく、ふつうのリフィナーは、右か左か、このどっちかの坂道を下っていくしかない。また走るのかなあ、とうんざりしつつ、もう一度、崖の向こうへ目を向けると……、あちこちにある木々や畑を超えたとおくに、いくつか煙の上がる、家の集まりがあるのが見えた。 


「……村。だよな、あれ。もしかして、あそこに行くの?」


「ああ。今夜はあそこに泊まる。……が、君にとっては、私と過ごす最後の夜になるかもな」


「……。……――えっ? ……えっ……――」


 俺はびっくりして振り返る。師匠せんせいは、そんな俺の表情かおを、横目の半眼でじー……、よくやる、「心底阿呆だな、君は」という感じの、一日一回は俺に向けるおなじみの表情かおで受け止める。……違うだろ、阿呆じゃないよ驚くだろふつう! 【最後の夜】……って。そんなの、びっくりするに決まってるじゃないか!


「言っただろう、きょうは魔術士の修行以前の【授業】をすると。その結果次第では破門にすると。……まだ日こそ落ちていないが、夕餉ゆうげのときも近い。もう、ちんたら君の【間抜けな鳥歩行】に付き合っているヒマはない。ここから飛んでゆく。――口を閉じろ。舌をかむなよ」


 ぽかん、と師匠せんせいの言葉に反して口を開けてしまった俺は、「創術者及び執行者はマーリィ・レクスウェル。空を駆けろ。――ミリディア」という詠唱が耳に入った瞬間――まるで撃ち出した大砲の弾に、体を縄でくくりつけられたように、ものすごい力で引っ張られ、気づけば舌に激痛が走り、風切り音で耳まで痛くなり、回転しながら高い空に放り出されていた。


「あぐっ、あぐるぅ~っ!? あうっ!! うう~っ!!」


「……なんで君はそんなに注意力が足りないんだ? ただ言われたとおりにするだけで、その痛みは回避できたんだぞ……」


 たぶん、師匠せんせいはそんなことを言ったんだろうと思うけど、耳と舌の痛みでなにも聞こえない。ただ、いつもと同じだったら、きっとそうだと想像しただけだ。俺は涙とよだれをまき散らしたまま、隣で神飛鳥レグラードのように美しく格好いい姿で、マントと青い髪をなびかせて空を飛ぶ師匠せんせいの姿を、空を転がされながら見ることとなった。


 そうして、俺の感じた長さだと一時間くらい、じっさいには五分とかからずに、俺たちは村に降り立った。俺のほうは、『墜落した』と言ってもいいくらいだけど……。


「っ……たぁ……。ひどいよ師匠せんせい……。絶対、ちゃんと飛ばせたし、ちゃんとおろせただろう? もしかして、こういうのも修行なのか……?」


「違う。単に私が、他者を飛ばす術式を習得してないだけだ。いまのは、私がひとりで飛ぶ術式に、君を魔力で巻き込んだだけだな」


「えええ……? ど、どういうことだよ、それ……。っていうか、あんた、世界一の魔術士だろ? できない魔術とか、あるのかよ」


「当たり前だ。先の術式に関しては、『習得してないだけ』だが……。できない術式ものなど無数にある。……君はやっぱり、なにか勘違いしているようだな」


 師匠せんせいは、おなじみの半眼を俺に向けて、ため息をつく。それからさっさと歩き出したので、俺は慌ててあとを追う。そして後ろを歩きながら、村の様子を見た。


 あちこちに建っている家は、粗末な丸太小屋ばかりで、石造りのものはひとつもない。畑もちいさなものしかなくて、自分たちの食べる分を作ってるだけのようだ。

 食べ物や、道具、衣服を売る店もいくつか目にしたものの、家と同じく木造りの、ひどいものとなると、ただ屋根をこしらえただけのものもあった。あと、魔具まぐを作ってる作業場、みたいなものもあったけど、これもあんまりおおきくないし、近寄りにくい、ぴりぴりした、あの独特の魔力の雰囲気がない。


 俺のいた村だって、もう少しましだったけどな。そこそこ立派な教会もあったし、家だって石造りのものがほとんどだ。店も村の外から買いに来るくらい、品ぞろえもよかったし、魔具の作業場だって、それなりのものだった。それでも、戦争でぼろぼろになって、なくなってしまったけど……。

 こんなところだったら、戦争どころか、魔獣の群れが押し寄せたり、どこかの野盗が襲ってきたら、どうしようもないじゃないか。もし火の魔術とか撃たれたら、ひとたまりもない。もしかしたら、すごい魔術士とか、魔剣士がいるのかもしれないけど。俺の授業って、そういうリフィナーに稽古をつけてもらうってことなのかな。でも、いままで見た村のリフィナーたちの感じじゃ、なあ……。


「おっ、マーリィ。なんだよ久しぶりじゃねえか。好い酒が入ったのをかぎつけたか」


「マーリィ、きょうは泊まるんだろ? だったら今晩、パチラー(※カードゲーム。賭け事)やろうよ。前の負け分、取り返させてもらわないとねぇ」


「マーリィ、うちのばあさんがさ、腰を痛めちまって……。好い魔術医メリーナを紹介してくれないかい?」


「マーリィ、聞いてよ! ウチの旦那がバカみたいなもの買ってきて! 『足の指の間をマッサージする機械』だよ!? そんなものに6千ブール出したって……、ちょっと説教しとくれよ!」


「マーリィ、あそぼ! 人形つくったんだよ! マーリィの分もあるから!」


「マーリィ、うちのかーちゃんが、あとで服取りに来いって。あとポポン(※漬物の一種)も分けてやるって言ってたぜ」


「おや、マーリィ。晩ご飯、うちで食べてくかい? ちょうど今夜は、あんたの好きなアブソーデ(※唐揚げにタルタルソース的なものをかけた料理)なんだよ。あんたはほんとう、タイミングがいいったら……」


 俺が村の様子を見ている間中、ずっと師匠せんせいは、こんなふうにだれかから話しかけられ、口を閉じてるヒマもないほどだった。そして俺のことも、いちいち尋ねられては、「いちおう、まだ弟子だ」「弟子だ。まだな」「今後どうなるかは分からんが、弟子にしている」「仮の弟子だ」とぶっきらぼうに説明していた。村の者たちは、へー、とか、はーっ、とか、驚いてるのかてきとうにうなずいてるのか、いまいちよくわからない反応で、あまり深く突っ込んでくることもなく、……というか俺のことは師匠せんせいのおまけ、という感じで、放っておかれてた。それくらい師匠せんせいが人気すぎたんだ。……世界一の魔術士だから、というよりも、なんというか、リフィナーとして好かれている、という感じがする。そして師匠せんせいのほうも、ここのリフィナーたちを、好いているように感じた。


「……ん~!? おいおい、なんやねんお前は! 連絡くらいよこせや~こらっ! たぶん……3か月ぶりやろ? ひはっ! 相変わらず世の中のつまんねーことに首を突っ込んじゃあ、やっかいなもんしょい込んで、ムダーに疲れたようなつら、しよってから……!」


 ほどなく、おばさんや子供、おじさんが師匠せんせいに話しかけてくるのを押しのけて、ひとりの男が前に出てきて、師匠せんせいにまくし立てる。しわしわで、あちこち汚れたり破れたりしてる作業着を着ていて、背が高くて、体は細くて、頭はぼさぼさで、目つきは鋭く、口もとはニヤついてて、……変なしゃべり方もそうだけど、どうにもうさんくさいいその男は、いままでの、ほかのだれよりも親しげで、じっさいに師匠せんせいの肩に手を置いたり、顔を近づけて笑ったり……。ずいぶんとなれなれしい。俺はなんだかむかむかして、その男をじーっと見ていたが、やがて男のほうが俺に気づいて、指さしてきた。


「おっ。なんやこのガキは。俺のこと、にらんどるやん。……もしかしてお前の子供なんかぁ? ひはっ! おいおいびっくりぽっくりこれっきり、やんけ! よういままで隠してきたなぁ、おい! ……よわい150にしてとうとうお前も母親かぁ。……おめっとさん!」


「違う。まっっっったく違う。仮の弟子だ。……きょうはお前に、このセイラル・ヴィースを鍛えてもらおうと思ってな。それで連れてきたというわけさ」


「……。ははぁ。……な・る・ほ・ど」


 男はじー……、さっき俺がしていたように、上から下まで、どんなヤツなのか確かめるように俺を見る。それからぽん、と手を叩き、「よっしゃ分かった! 任せとき! ボルボル(※酒の名前。それなりのお値段)一本で手を打ったるわ! ……気前ええやろ!?」と、師匠せんせいに笑顔で言ったが、「『一杯』だ。あしたの朝までになんとかしてくれ」と返される。それで、「おいおい割に合わんやんけ! それとも、【見込みある】、ってことかいな。……ま、仮でもなんでも、お前が弟子を取るなんて、よっぽどやから、協力は惜しむもんやないけどな」と、また笑っていた。


「よっし坊主! お前、名前はなんちゅーねん」


「……さっき師匠せんせいが言ってただろ。聞いてなかったのかよ……」


「ほー。お前は、自分の紹介をだれかにやってもらうんか。やっぱ見たまま、ガキやな~」


 けっ、けっ、けっ……。俺の態度に怒るどころか、小馬鹿にしたように笑う。それでますます俺はむかっ腹が立って、「セイラル! セイラル・ヴィース! 10歳だっ! ……ガキで悪かったなっ!!」と叫んだ。すると、


「……ん? 別に悪ないで。俺かってガキの時分はあったし、未熟な時代に罪はあらへん。そんなとき、不自然に突っ張るのも自然なことや。問題は、【その不自然に、どれだけ早く気づくか】、やな。これも年齢は関係ないな。大人になるっちゅーんは、ただ年を重ねることや、ないからなあ……」


 男は目を細めて、俺の奥を見透かすように言った。俺はその迫力に、思わず後ろに下がりたくなったが、師匠せんせいの視線を感じて、我慢した。もうすでに、恰好悪かったけど……。これ以上そんなとこ見せたくない。こういう気持ちも、この男にとっては、ガキ臭いんだろうな……。くそムカつく。


「よし、場所変えるわ。……ほなマーリィ、ちょいとセイラルを借りてくで。夕飯までに戻らなかったら、どこででも、先に食べててえーで。ただ、酒は入れるなや? それは俺が戻ってからや! よ・ろ・し・ゅう!」


 男は師匠せんせいにそう言って、俺にはなにも言わずに歩き出す。俺は舌打ちして、しかたなく男のあとを追いかけるが、途中で立ち止まって師匠せんせいのほうを振り返ってみた。でも師匠せんせいは、俺のほうを見ることなく、人形や木の枝を持って騒ぐ村の子供たちを相手にして、楽しそうにしていた。


     ◇


 男はポケットに手を突っ込んだまま、がに股で、俺のほうを振り返らずに歩き続け、やがて一軒の丸太小屋の前で立ち止まる。そこは家らしかったけど、いままで見た村のどの家よりも粗末で、表には剣がいくつも地面に突き刺さっていて、ほかにも鎧とか、槍とか、汚い武器や防具がてきとうに置かれているし、木材もたくさん積み上げられて、椅子とか机のように見える……未完成なのか、つぶれたものなのか……そんなものばかり散らばっていた。武器とか魔具とか、それとも家具を作る作業場なのかな。いったいなんでこんなところに連れてきたんだ。……まさか、俺を殺す……とかじゃ、ないよな? 修行……じゃなくて授業? とか言ってたし。いくらなんでもそんなことは……。


「おお、そうや。お前に聞いといて、こっちの名前を言ってへんかったな。すまんすまん。……俺はパスや。パス・クジュール。歳は177。お前の約十八倍は生きてるんやで~? ……尊敬しいや!」


 ひはっ! ひひっ! と妙な笑い方をして、胸を張る。反対に俺はますます眉をひそめて、口を尖らせた。それを見て男……、パスは、笑うのをやめて、淡々と言った。


「……さて。セイラル・ヴィースよ。……お前は世にも珍しい、かの【魔神】、世界一の大魔術士――マーリィ・レクスウェルの弟子ということやがな。……お前、なんのためにアイツの弟子になったんや?」


 パスは、家のそばに置かれていた一本の丸太に腰掛けると、突っ立つ俺を見る。俺は答えたくなかったけど、またガキ扱いされるのも腹が立つので、正直に言うことにした。


「……師匠せんせいが好きだから。師匠せんせいは、命の恩人なんだ。……俺の村は戦争でなくなったけど、師匠せんせいが助けてくれたから、俺だけは死なずにすんだんだ」


「好き、ねえ……。それに命の恩人、と。……お前、それは女として愛してる、ということなんか? アイツを」


「……うだよ。そんなこと聞くなよ。なんでそんなこと、会ったばかりのあんたに話さなきゃならないんだ」


 いらいらして言い返す。だがパスはそれに返事をせず、ただヒジを突いて、じっと俺を見つめた。そうして、その時間がしばらく続いて……、俺が歯をぎりぎりさせたところで、パスはぽつりと漏らした。


「……ちゃう、な。お前はマーリィを愛してへん。ただ、アイツの表層的な強さにすがっていることを、愛と勘違いしているだけや」


「…………は?」


 パスがなにを言ってるのか、正確には分からなかった。だけど、俺の気持ちを踏みにじられたことだけは、感じた。それで、自分の全身から、魔力が立ち上ってくる。緑の光が、あふれ出て、パスの顔を正面から照らした。


「腹、立ったか? それはな、【俺の言葉が図星で、かつ、俺にそれを言われる筋合いが、お前にない】からや。出会ったばかりの、親しくもなんともない俺にはな。だからお前の怒りはまっとうや。俺が逆の立場でも怒るわそんなん。……やけど、これは【授業】や。親睦会やないねん。お前と俺が仲良くなるためでも、お前が気持ちよくなるためでもなく、――ただお前を成長させるために、マーリィおまえのせんせいが設けた時間や」


 パスは立ち上がり、近くに刺さっていた古い剣を抜く。そしてそれを点検するように確認したあと、肩に置いて、続けた。


「お前の魔力は、……まあ、3千といったところやろ。じゅうぶん魔術士になれるレベルではあるが、いまの年齢を考慮しても、あんま才能があるとはいえんなあ。平凡なヤツでも、その年ごろやと5千はざらやし。……しかし、それも一面的な見方や。強さっちゅーのは魔力のおおきさがすべてやない。……現にお前は、俺に敵わんしな。魔力が12の俺に」


 俺は目を見開いた。そして無心に、男の魔力を感じた。……ほんとうに、10と少し、しかない。抑えているわけでもなく、ぜんぶ出てる。そういえば、この村の者たちからは、ほとんど魔力を感じなかった。なんでそんな村に、師匠せんせいは出入りしてるんだ? ここにしかない、なにか師匠せんせいに必要なものが手に入るとも思えない。特殊な魔具があるわけでもないし……。


 師匠せんせいは世界一の魔術士で、魔力も……、俺にはおおきすぎて分からないけど、ここの村なんか指一本で吹き飛ばせるくらいだということくらいは分かる。だからさっぱり分からない。師匠せんせいだけじゃなくて、村のリフィナーたちのことも。……ぜんぜんびびってないし、すごい魔術士だっていうふうにも見てない。分からないわけがないのに。この男……パスだって、ほんのちょっとしか魔力がないのに、師匠せんせいと対等に話して、師匠せんせいからも対等に見られてる。いまも自分には敵わない、って自信満々に言ってるし。俺が弱いから、この男の強さを感じられないだけなのかも。……試してみよう。


 俺は3千ぜんぶの魔力をみなぎらせて、足に力を入れると一気に飛び出した。そして拳を振りかぶり、パスの前に着くと同時に顔を殴りつける……が。がぃいん! とものすごい異音がして俺が吹っ飛ばされた。


「……っ!! ったい! 痛い痛いっ! な、なんだいまの……!!」


 俺は涙目になって右手を押さえる。骨が粉々になっていた。パスは平然と丸太の前に立っている。い、いま……なにをされたんだ? アイツはなにもしてなかったぞ? 剣も動かさなかったし。や、やっぱり俺が弱すぎて、あの男の強さ、速さにもついていけなくて、なにも見えてない、ってことなのか? ……くそ、くそ、くそくそ!


「あーあ。それ、完全に砕けてるヤツや。いてぇ痛ぇ。……どうする? マーリィ呼んだろか? 『師匠せんせい痛いよう。ぼくのおててをふーふーしてよう』って。甘えたいやろ? おっぱいに顔をうずめたいやろ? ……よーしよし。呼んできたるわ。ちょっと待ってなや……」


「ふっ……!! ふざけるなぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


 俺はかーっと熱くなって、真っ赤な顔でまた飛び出し、また砕けた右手で殴りかかった。そしてそのとき、ようやく自分の身になにが起こったのか、はっきり見ることができる。俺の拳が、アイツの顔に触れようとした瞬間、水色の光が地面から吹き上がって、壁になったのだ。俺はその壁を殴りつけたということだ。魔力でできた、石よりも硬い壁を――。


「うっ……!! ぐあああああっ!! 痛い痛い痛い痛いっ!!!!!」


「そりゃ、砕けた拳でまた殴ってんのやから、そうに決まっとるやんけ……。いひぃー……、とても見てられんわ」


 パスは顔を押さえて、俺から目をそらした。俺は地面でのたうちまわり、涙を流して、もうただの肉の塊となった右手だったものを胸に抱く。それから【魔芯ワズ】に意識を集中して、なんとか、痛みは消えないけど意識は保てるくらいに心を落ち着かせて、立ち上がる。


 パスのほうは、俺(の痛み)に対しての同情心をありありと、その全身から漏らしたまま、また丸太に腰をおろした。それからかの古い剣で、肩こりをほぐすようにぽんぽん、と自分の肩を叩きつつ、言った。


「……お前、馬鹿、というか、阿呆、って感じやな。【頭は足りてるが間抜けすぎる】っちゅーパターンや。とても魔術士になろうってヤツの注意力やない。……まあ、でも、なんかよく分からん気迫みたいなもんは感じるなぁ。それはとことんオリジナルや。それでアイツも、もしかしたら気になってるのかもしれん……」


「……おい、あんた、……あんた! それ、いまの!! ……【結界】じゃないのか!! でもあんたが使えるレベルの術式じゃないぞ!! どうなってるんだよ……っ!!」


「どうなってるもなにも、ここいらには、俺に危害を加えようとする魔力を察知したら、自動でそれなりの結界を発動するように、特殊な魔具を仕込んであるんや。それなり、ちゅーても5万くらい防げる程度やから。一定以上強いのが来たらどうしょーもないんやが」


「ま、魔具……!? そ、そんなの、あんたの力じゃないじゃないか!! ……ずるいぞ!!」


「はあ? なにがやねん。そもそも、俺がいつ、【俺の力】と言うた? だいたい3千の魔力で12の魔力のヤツにいきなり殴りかかるのは、お前の中ではずるうないんかいな。魔具がなきゃ、俺の頭は吹っ飛んでるところや」


 ぽんぽん剣の腹で頭を叩きながら、パスは半眼で言う。俺は歯をぎりぎりかみしめたあと、「そ、それは……! さ、さいしょは本気で殴ってないし! 二回目は、あんたが俺を馬鹿にしたからで、つい……」とまくし立ててしまう。それでパスは、「拳が砕けるくらいの力で殴ってるんやから、じゅうぶん顔も砕けるやろ。本気かどうかなんて関係ないわ。二回目は挑発したこっちに非があるからどうでもいいけどな」と言ったのち、剣を地面に再び突き刺した。


「まあ、とどのつまり、や。お前はまだ、【強さ】っちゅーもんを、なーんにも分かってないってことや。その価値、必要性を。自分のも、マーリィのも。……それがアイツが、ここにお前を連れてきた理由やで」


 俺は脂汗を流しながら、男を見る。パスは地面に突き刺した剣のつかを左右に揺らして、落ちかけた太陽の光を地面や、転がるほかの剣や防具に反射させた。


「ここらにある、古い武器や防具はもう、このままやと、ほんらいの役目を果たさない金属のクズや。だが、もう一度溶かして新品に作り直すこともできるし、そのままインテリアとして飾る気があれば、ぼろも味となって、それなりに部屋へ活気を与える道具ともなる。もちろん家具道具の素材とするのもええな。いまはこうして、俺の家の前で転がり、眠ってるが、死んでもない、ということや。俺にとっては、どれもまだまだ可能性の残る生きた存在やねん。……でも別のリフィナーにとっては、俺のぼろ家も含めて、ここはただのゴミ捨て場にしか映らんやろ。あらゆる可能性が消えた無用の存在。価値、というのはそういう、相対的なもんや。……そして強さも絶対的なものやない」


 パスはポケットに手を突っ込み、それから俺に向かってなにかを投げる。俺は思わず砕けた右手を出して、受け止めて、また激痛で顔をしかめたが……、ぱあっ! と手が光ってすぐ、痛みがうそのように消えてびっくりした。痛くなくなった右手の中には、丸い透明の玉があった。


「それ【パルサート】っちゅー治療魔具な。触れたら、ある程度の傷なら治んねん。で、これも俺の力やないが、そんなことはどーでもええ。俺にはやることがあって、そのためにこうした魔具が必要となってくるから使ってるんや。【結界】魔具も同じやな。……お前はどうなんや。なんのためにマーリィの弟子になった。仮に、お前がアイツを好き、っちゅーのがほんまのことで、それだけが目的やったら、別にアイツの弟子にならんでもええやろ。なったのは、お前が心の底でアイツの【強さ】を求めてたからや。――……なんのためにその【強さ】が要るんや?」


 パスが俺を見る。その眼には逆らえない強い光があって、心の奥まで貫かれて動けなくなった。なにか返さなきゃ、と思ってるのにうまく言葉が出てこない。……違う。うまく出てこないんじゃない。【なかった】んだ。さいしょから。パスが俺に聞いている、求めている【答え】が……――。


 それが分かったとたんに、俺の体から力が抜けた。肩を落として、力なく両手が地面につく。パスはしばらく黙っていたが、「マーリィが発つんは、あしたの朝やろ? まだまだ時間はあるやん。ま、とりあえず飯食いに行こうや。シュガラクんとこのアブソーデは絶品やで~? 腹がいっぱいになりゃ、視野も広くなって、思いもがけない発見もできる……こともあるもんや。――ほい立てっ!」と俺の背中を叩いて、無理やり立たせて引きずるように、紅くなった空の下、皆のもとへと連れて行った。


     ◇


 それから、日が完全に落ちて。まるで祭りの日のように、皆は中央の広場に集まって、そこで火を囲み、歌を歌ったり、楽器を演奏したりしつつ、食事を楽しむこととなった。さいしょは師匠せんせいをどこの家に招くか、という話だったけど、村のリフィナーたちの折り合いがつかず、そうなったんだ。


 師匠せんせいとは半年くらいいっしょにいるけど、ここまで人気者だとは知らなかった。ほかの街や村についていったときも人気はあったと思う。でもやっぱり、どこか尊敬されているような、ひとつ上に置かれてあがめられているような、……ときには恐れられているような。そんなふうだったから。ここの村のリフィナーたちのように、ざっくばらんに、怖がることもなく、家族のように、友達のように、同じ高さで師匠せんせいと過ごす光景は初めてのものだ。皆、魔力値が100もないのに。いまここに出てきているのが全員というから、漏れなくじっと感じてみたけど……。あの男といい、やっぱり高い魔力値のリフィナーはひとりもいなかった。


「おいっ、セイラル! 食べてるんかぁ~? 飲んでるんかぁ~……って、そっちはまだ無理なんか、つまらんなあー! おいマーリィ……。せめて酒が飲めるくらいのガキにしてから連れて来いや~! 早いねんお前は、いろいろと!」


 パスが、赤い顔で俺の頭を抱きつつ、臭い息をまき散らしつつ師匠せんせいに絡む。それを師匠せんせいは無視して、「美味い。うむ。最高だな」とアブソーデをかじりかじり、ほかのおじさんやおばさんと料理について楽しく話していた。なのでパスはけーっ! とはき捨てたんだけど、「……そういや別に、いま飲んだってええやんけ。早いほうが、うまく感じるのもはようなる、ってなもんや! ひはっ!」とよく分からないことを言って、「セイラルちゅわ~ん……」不気味な声を出して、俺に臭いビンを近づけてきたので、俺は緑の光を出してパス死ぬ気でを振り切り、慌ててその場から逃げ出した。


     ◇


 そうして祭りが終わり、火も消えて、月と星が輝きを増した、深い夜のこと――。



「……にゃむにゃる。む、むーん、く……」


 パスの家に泊まることとなった俺は、ずっとパスの寝言を隣で聞いたまま、ただ床で横になっていた。寝れないのは、うるさいからじゃない。このままだと、あしたの朝、師匠せんせいと別れることになるからだ。

 そんなの絶対いやだ。でもなにも思いつかないし、パスも宴会のあと、「俺が言葉で教えても意味あれへんしな。自分で気づかな、マーリィも納得せえへんやろ。……とりあえずあしたの朝、もう一度はっぱかけたる」と言ってすぐ寝たし。……師匠せんせいが俺になにを求めているのか、というのは、パスが言っていたようなことなのだろう。【強さ】とはなにか、そして、それをなぜ求めているんだ……っていう。師匠せんせいの【授業】は、それらを理解して自分に示せ、ということだとは思う。でも俺には……。パスが言ったみたいに、なんのために強さが要るのか、なんて。……考えたことすらなかったんだ。


 一年半前に、俺の村は、たったひと晩で消えた。隣の国で起こっていた戦争を、よそのこととしてまともに考えずにいたら、あっという間に戦火は広がり、巻き込まれ……。父さんも、母さんも、兄さんも姉さんも、友達も、皆死んだ。俺も同じように死ぬはずだったんだけど、そこに師匠せんせいが現れたんだ。


 師匠せんせいの力はものすごいから、基本的に国の争いに、首を突っ込むことはしない。たったひとりでも、戦況をおおきく変えてしまうからだ。だから、一帯で起こっていた戦争に参加する気もなかったらしいんだけど、たまたまそのとき、俺の村に、師匠せんせいの知り合いの行商人が来ていて、村がいくさに巻き込まれたことを知った師匠せんせいは、急いでかけつけたんだ。でももう……、生き残っていたのは俺だけで。……だから俺も運が好かっただけ。その出会いも、ほんとうならそれきりで、師匠せんせいは、その行商人を葬ったあと、残された俺を【非魔術協会アウタラー】のやってる教育院ゼクトに預けて去ったんだけど。一年後……あることがきっかけで、教育院そこを飛び出して、ひとりさまよっていた俺は、ぐうぜん師匠せんせいと再会して、その瞬間とき――俺は考えることもなく、とにかく必死に頼み込んで弟子にしてもらって、それがいままで続いている。


 俺に復讐心はない。皆が殺されてしまったのは、【だれに】とは思ってないからだ。あの夜の出来事は、いまだに夢に見るけれど、【だれのせい】とは考えたことはない。そのくらい、わけが分からなかった。地震や川の水にのまれて沈んだかのような、そんな感じだった。すべてが一瞬だったから。


 だから、ぐうぜん再会した師匠せんせいに弟子にしてもらえるよう、頼み込んだのは、【だれか】に復讐するために力を持ちたいと思ったからじゃない。そう。ただ、あの日の晩、俺の前に降り立った先生が、俺には、ほんとうに――……。


「……。……――あっ」


 俺は思わず口を開いた。外から声がする。歌声だ。そしてこの声がだれのものであるかは……間違えるはずもなかった。なぜならよく、【彼女】は口ずさんでいるからだ。出会ってからいままで、ずっと。……この歌を。



ようこそお越し下さいました

さあ いまからはとっておきを

めったに出さない紅茶です

これでふたりで夢の時を

酔いの時を 


紅茶で酔うのはおかしいですって?

それはあなた 知らないからです


そう 酔うもとは心の中に

今宵はあなたがいるから

私とあなた どうしたって

酔わずにはいられない


月よ 星よ 最高の夜

浮かれ気分もご容赦を

きっと今夜限りのことだから


そう 酔う時は たったいま

出会いと別れのせめぎ合う

あなたと過ごすひとときよ


空がせいても お気にせず

いま時は 私たちの手の中に

世界でいちばん 美しい

あなたと過ごすこの時よ


そう 酔う種はふたりの中に

一度きりの 私たち

熱い時よ



 ……師匠せんせいは。夕方に、パスが腰掛けていた丸太に同じように座って、歌い続けていた。楽器の演奏もない、虫の音だけが響く中、しずかに、しかしはっきりと通る美しい声で、ひとり。辺りに古びた剣や防具が散らばるさまは、パスといたときには、ただ少し、寂しさがただようくらいのものだったけど、いまは……。まるで師匠せんせいが歌で、死者を慰めて天へと送っているような、そんな地上とそらを結ぶ道を歌で創り出しているような、かなしくて美しい景色になっていた。


「……またその表情かおか。変わらないな、君は。そうして私の中に、間違ったものを見続けている――」


 師匠せんせい、……マーリィは――、そう言って、外に出てきた俺の表情かおを……、いつもの呆れた半眼ではない、突き放すようなとおい目で見つめてきて、……――俺は拳を握りしめた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ