第79話 師匠(せんせい)
「まず、合宿の行先なんだけど……。これは前、緑川君以外には話した通り、羽香県羽香市の雛多という海辺の町で、泊るところも、マリンのお祖母さんが生前住んでおられたそこのお宅を、正式に使わせていただけることになった。で、実はきのうの日曜日、町の下見に行ってきたんだよ。それでマリンのお母さんに鍵をお借りして、お宅の様子も……」
長机を挟んで、俺の左斜め前に座るイッショー先輩が皆に話す。が、それに即、俺の真正面……イッショー先輩の左隣に座る楠田先輩が、バンバン机を叩きながらまくし立てた。
「はぁーっ!? お前、なに勝手なことしてんだよっ! 僕のおばあちゃんの家だぞーーーーっ!? なんで僕を誘わないんだ馬鹿っ!! 僕、きのうは一日中家にいたのに……っ!!」
「い、いや……。ちゃんとお母さんには許可をもらってるし、マリンを連れて行ったらあちこち寄り道するだろ? 日帰りで、時間もお金も限られてるし、ね……」
苦笑しながら説明するが、果たしてちいさな先輩は愕然としたのち、炎のごとく顔を赤くして、「……んなの!! 久しぶりだし寄り道しまくるにきまってんだろ想い出の場所なんだぞ!? 僕を通せよそしたらお母さんにお小遣いもらえておみやげとかも…………って、おいっ!! ま、まさか……、きょう持ってきたチョコパイとお団子って……――」
「あ、ああ……。雛多のお土産になるね。どうせなら、君の知らない味のほうが新鮮で好いかな思って、さいきん出たっていうものをお店の人に教えてもらってさ。あっちで食べてみてから買ったんだ。……美味しかったろ? あ、こっちはお母さんに渡しておいてくれないか? これもまた、新発売の品で……」
「だ ・ れ ・ に 向かって言ってんだーーーーーーーーーーーー雛多は僕の庭ってか僕は土着神みたいなもんだぞあそこのっ!! 生意気なことしてんじゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー――許・さ・んっ!!」
やや苦笑しながら、なんとか愛想よく楠田先輩に答えたが火にガソリン、そのぎこちない笑顔と返答……とおみやげは、自称・雛多土着神の激高起爆スイッチとなり、イッショー先輩は野獣と化した楠田先輩に襲い掛かられ、お母さんへのお土産を奪い取られたのちにイスから転げ落とされる。それで正一が慌てて止めに入り、「お、お、落ち着いて下さーーーーーーーーーい!! イッショー先輩はよかれと思ってそうしただけでっ!!」と楠田先輩の肩をつかみ、続いて莉子ちゃんが、「そ、そうですよ!! マリン先輩に馬乗りになられて髪の毛を引きちぎられることを分かっててするなんて、イッショー先輩がそんな馬鹿なわけないじゃないですかっ!! もしそうだとしたら馬鹿すぎますよっ!!」と、彼女の腕を引っ張る。正一は日頃のハイテンションなノリに反し意外と非常時にはまとも、そして莉子ちゃんは相変わらずていねいな言葉遣いの中にしれっとキツイワードを混ぜ込んだ、それぞれのフォローの言葉を添えて、必死に部の良心たる先輩を守る。いっぽう慣れたように、半眼でちら見しつつ、俺の隣でヒジをつくシンリは、「つーか気づけよ。裏に雛多って書いてあんじゃねーか」と、空き箱と、お母さん用に持ってきた未開封の箱をひっくり返してため息をつく。そんな様子に俺は苦笑していたが、シンリはこちらにも視線を向けてきて、ふたつの箱を指さしながら言った。
「あんた。行ったことある? ここ」
「い、いや……。ないかな。……たぶん」
「……【たぶん】? 記憶のない、ちいさなころには行ったかもしれないってことか?」
「えっ? あ、ああ……。うん。そんな感じ。うちのじいちゃん、あちこち行ってるからさ。もしかしたら連れて行ってもらってたかも。聞いたことはないんだけど……」
とっさにごまかした。あ、あぶねー……。まあ異世界人たるかつてのセイラルが、日本旅行的なことをしてたのか、というと疑問だが、人間界のライトノベルに感動した! とか言ってたし。魔術士としての用事はなくとも、好奇心をもとに動きまわっていてもおかしくはない。……というかそんなことよりも、口をついて出てくる言葉が、もう完全に、【かつてセイラルだった】という立場に基づいてるのが……。楠田先輩と電車に乗って帰る時も思わず似たようなことを口にしたけど。気をつけてるつもりでも、ほとんど無意識だからな……。
「覚えてないけど、もしかしたら……か。好いね。それ、小説の参考にさせてもらっていいか? あと向こうに行って、ほんとうに思い出したら、……それが嫌な記憶じゃなければ、だけど。そのときは教えてくれよな。……よろしく」
「わ、分かった。そのときは……。協力するよ」
俺が答えると、シンリはふふっ、とかすかに笑い、シャツの胸ポケットからちいさなピンクの手帳を取り出して、そこに差していたペンでなにかを書き込んでいた。小説の参考、か……。そういえば合宿ってなにするんだろう。運動部ならトレーニングだろうし、文化部でも皆ですることが同じなら、少しは想像できるんだけど。ここ、全員やることが違う『総合活動部』だしなあ。そもそも普段の部活動も、皆がどんなふうにしているのか、まだよく分かっていない。前に楠田先輩のデッサン協力をした(させられた)ことはあったけど。……それも含めて、聞いておくか。
俺は、ようやく楠田先輩から逃れたものの、髪の毛がくしゃくしゃになり、眼鏡もずれて心底疲れた表情をしていたイッショー先輩、並びに止めに入った同様の表情のふたり……に尋ねるのは忍びなかったのでやめる。シンリはなにかスイッチが入ったように書き込んでいたので、やむなく残るひとり……まだぶつぶつ言いつつも、お母さんへのお土産に手を伸ばそうとしていた某土着神に尋ねた。
「あのー……。そもそも合宿では、どういうことをするんですか? いっしょに泊まる、ということは、なにかしら、それぞれの活動においての意味があるっていうことですよね。たとえば……前に楠田先輩の絵のモデルになったみたいな感じで、お互いにお互いの活動の手伝いをするとか、でしょうか」
「そうだよ。僕なら絵のモデルだけじゃないぞ。心のモデルにもなってもらうんだ。だから感受性の鈍いヤツはだめだぞ! いろんなものを見て、食べて、聞いて、動いて、動かないこともぜんぶ、丸裸な自然の心を見せてもらうからな! ……まあ星ガチャの話したときのお前は、なかなか好かったと思うけど。……――と、とにかくいろいろ! いろいろするんだよ! シンリのは僕への手伝いと近いけど、イッショーなら資料をあたる手伝いとか、正一の場合はトレーニングの手伝いに、アクション動画を撮ってやるとか意見を言うとか、りーこちゃんのは服のモデルに、こっちも相談に乗るとかだな。言っとくけど、ふだんの部活もそうなんだからなー!? 僕だってちゃんと、皆の手伝いをしてんだぞっ!」
楠田先輩はそう言って俺を指差し、「だからお前も皆の手伝いをして、……なにをしてるか言わなくてもいいけど、皆に助けてもらえよ! その気持ちは隠すな! そういうちゃんとした部活なんだ、ここは!」と加えた。俺は、彼女のへの字口に閉じた、真剣な表情をじっと見返すと、「……はい。そうさせてもらいます。……ありがとうございます」と言って頭を下げた。
「な、なんだよ素直になるなよ急にっ! 調子狂うじゃんかっ! ……お母さんのお土産しまってくる! イッショーサンキュな!」とばたばた鞄のほうへお土産を持って走ってゆく。その様子を見て、イッショー先輩はくすりと笑い、イスに腰かけた。
「まあ、だいたいいまマリンが言った通りだね。合宿だと、やれることも多いし。皆を手伝うのに先輩も後輩もないから遠慮なく言って欲しいな。いわば僕たちは同志みたいなものだから」
「ですよね! 同志! 同じ志を持った者! 見ている星は違っても、目指している輝きの強さは同じ! くぅ~楽しみだよ!! 晴!! 向こうではいろいろやりたいこともあるから、ぜひ頼むよ!! とうぜん俺も君のサポートをするからなっ!!」
「わ、私も……!! そ、そのできる限りのことはしますから、なんなりと言って下さいね! それに、み、緑川先輩にはぜひ、着てもらいたい服とか、してもらいたいことがありますので、どうかよろしくお願いいたしますっ!!」
イッショー先輩に続いて席に戻った正一、莉子ちゃんが俺に熱い言葉をかける。そして、いつの間にかペンを置いたシンリが先ほどのようにヒジをつき、しかし得意げな笑みを浮かべて俺を見る。「どうだ、いいだろう? この部活はさ」と言うかのように。俺はシンリと同じように笑みを浮かべて、彼女を見返したあと、「こちらこそ、よろしくお願いします。……俺も頑張るよ」と、皆に言ったところで、戻ってきた楠田先輩に、「そうだ頑張れっ! お~と~こ~はぁ~♪ たたかうためにぃ~♪ ……そうだイッショー! 僕、カラオケセット持っていくよ! 皆でカラオケ大会しようぜ~」と肩をつかまれぴょんぴょん跳ねられる。イッショー先輩は、「まあ、ご近所迷惑にはならないお宅ではあったけど……。遊びがメインにならないようにね」と苦笑した。すると楠田先輩だけでなく、シンリもいっしょに、「遊びもメイン!」「……なんですよ。ワタシらの創作は」と指を立てて、イッショー先輩へ返して、彼をまた、苦笑させていた。
◇
その後。合宿の具体的な日時、だいたい必要となるお金、それから向こうでのおおまかなスケジュールなどをイッショー先輩から教えてもらい、まだ時間はあるので細かいところはのちのちに、ということで話は終わる。それと、この件を含めて連絡するために、俺も皆とライン交換、及び部活のグループラインに入ることとなった。
「ウチは出欠は自由で、グループラインで連絡もしなくていいんだけどね。もしだれかの協力が、どうしても必要となった時は、あれば便利だろう? ぜひ活用してね。もちろん出欠を書くのもいいよ。僕はそうしてるしね」
イッショー先輩はそう言って、自身のスマホを俺に見せてくれた。そこに映る、グループラインの履歴をさかのぼると、確かにイッショー先輩、それと莉子ちゃんは毎回出欠について書いていた。正一は二日以上休むときと、協力が必要な場合に、シンリも彼と似た感じだった。だが意外にも、楠田先輩の書き込みはリアクションがほとんどで、自分からの発言はほぼなかった。その代わり通話が多い。それをふとつぶやくと、彼女は、
「文字は残るだろ? それが縛られる感じがして好きじゃないんだよ。通話のほうが手っ取り早いし。お前も僕に用なら通話にしろよ」
と、指差してきた。俺がそれにうなずくと、シンリは逆に、「ワタシは通話より文字派かな。あとで履歴を見返すのも面白いし。それこそ小説みたいなときもあるしな。だから文字で」と希望する。それにつられるように、「僕は時と場合によるかなぁ。日時とか、居場所とか、正確に情報を伝えたいときは文字だし、気持ちを伝えたいときは通話だね」とイッショー先輩が、続いて、「俺は通話ですねっ! 連絡は先輩と同じく、文字でしたほうが齟齬がないのでそうしてますが! できれば通話がいいからよろしくっ!」と正一が俺に、そして最後に莉子ちゃんが、「私は……、大事なお話は通話がいいです。あと、文字だと時間がかかってしまって……。出欠の連絡くらいなら、大丈夫なんですけど」と、どこか申し訳なさそうに伝えてきた。そうしたそれぞれの事情や希望を聞いて、俺は個別の場合はできるだけ相手に沿うようにします、と返し……。そのあとそれぞれが活動を開始し、俺は正一の手伝いとして、外で走りのタイムを計ることとなり、その日の活動は終わった。……のだが。
「……。ん……?」
帰宅後。じいちゃんとの夕食を終えて、自室のベッドでごろごろしながらスマホを見て、夜の九時になったところで、さあ、自主練を始めるか、……またちびルイが出てくるのかなぁ……と、やや半眼になりつつも身を起こしたところ、スマホが鳴る。見ると、莉子ちゃんからのライン通話の呼び出しだった。
「……はい。どうしたの?」
≪あ、す、すみません夜遅くに……。その……、い、いまお時間大丈夫でしょうか?≫
「うん。あとでやることはあるんだけど、それはすぐ終わるから大丈夫だよ」
まあ、人間界の時間の流れでは、ということなんだけどな。自主練のためにルイに渡された、特殊な空間を発生させる魔具の内部では、けっこうな時間が経つんだけど。それは言えないので、そのまま客観的な事実だけを伝える。(人間界的)時間が短いということに嘘はないので、俺の声にもゆらぎはなく、それで莉子ちゃんのほうも、こちらが気を遣ってそう言ったわけではない、と感じられたようで、ほっとしたようだった。
≪……好かったです。実は、……きょうラインを交換していただいたばかりなのに、厚かましいことだとは思うんですが、ご相談したいことがありまして……≫
「……俺に? な、なんだろう……。力になれればいいんだけど」
思わぬ申し出に唾を飲んだ。出会ってまだ日が浅い俺に、いったいなんの相談を……? もしかして、部活で言ってたことかな。彼女が取り組んでいる、服のデザインの……。にしたって、交換してすぐ、夜中に個別の通話で【俺に】連絡してくるというのが引っかかるんだが。
≪……。…………≫
「……。…………」
沈黙が……長い。言い淀んでいるのか、考えがまとまらないのか。姿が見えないのでどちらかは分からないが、これはどうも、服の話ではないような気がしてきた。まだ短い付き合いでも、彼女の口からいままで聞いた限りでは、その目指しているという衣装デザイナーに関することでは、シンプルでまっすぐだったから。たとえ悩みがあったとしても、その悩んでいるままに吐露するような、そういう感じだと思うのだ。こんなふうに迷う印象はない。
そもそも将来に関わることを相談するなら、まず家族か友達、それに恩師とか、目上の親しい人、場合によっては恋人なんかもあるだろうし、部内だと女子ならシンリ、男子ならイッショー先輩というのが妥当な気がする。また、そのふたりでなくとも、付き合いの長さ的に楠田先輩や正一よりも先に俺が来るはずもない。と、いうことは……【付き合いは短いが、面識のある相手では、俺以外に条件が当てはまらない話で、だけどまだ短い付き合いがゆえに、頼みにくいので迷ってる】という感じか。……ともかく埒があかないので、こちらから、その方向で話を振ってみるか。
「あのさ。間違ってたらごめんなんだけど……。いま莉子ちゃんが相談したいことってさ、部でやってる、衣装デザインに関係することじゃ、ないんじゃない? その、そっちの協力とかのことでは」
≪……! は、はい……。違います。その、そちらで協力していただきたいことはありますけど、今回はそれではありません≫
やっぱりか。じゃあなんだ、って言っても、まさかお金を貸してくれ、なんてことのわけがないし。部活の人間関係について……というのも考えにくい。実は裏でいろいろあるとか、あの仲の好い感じを見るに、そんなことがあるとは思えない。
そういうような部の話ではないけど、外の友達等でなく、部内の人に相談したい。相談しやすそうな同性の、シンリや楠田先輩のような女子ではなく、男子でも、イッショー先輩や正一ではなく、俺に……。といったら、考えられるのは男にしかできないことで、かつ、先のふたりに当てはまらずに、俺だけに合致すること……莉子ちゃんが知っていることで、となれば。きょうのことが関係するなら……。
「……ぜんぜん急に、関係ない話するんだけど。もしかして、イッショー先輩って彼女とか、いるの?」
≪……えっ? な、なんで分かったんですか? そうなんです、幼馴染の方の……! あ、先輩から聞いてたんでしょうか!?≫
「いや、聞いてない。そっか……。いるんだ。まあよく考えたら、いないほうがおかしいかもなあ、優しくて魅力的な人だし」
正一のような力強さはなくても、なんというか、この人なら何とかしてくれそう、という頼りがいみたいなものを感じるし。見た目もさわやかで、騒ぐ感じではないけど明るくて、老若男女問わず、誰に対しても優しく大人の対応ができる人だと思う。改めて考えると、モテる要素しかない。しかも相手が幼馴染って聞くと、どこか一途な要素も加わって、完ぺきに第一印象通りだな……と変な笑いまで出てしまう。
しかし、入部2ヶ月くらいの莉子ちゃんが知っているということは、たぶん楠田先輩も知ってるんだろうな……。正一でアレなんだから、イッショー先輩は、いったいどんな目に遭わされたのだろうかと想像すると、同情を禁じえない。
……それはともかく、だ。なら俺が相談相手に選ばれた理由は、ほぼこれだろう、という悲しい結論にたどり着いてしまった。とりあえずそれを伝えれば話してくれるはずだ。
「えー……っと。イッショー先輩には彼女がいて、正一にも彼女がいる。で、群青さんの件は誤解で、俺には彼女がいない……ということが、莉子ちゃんはきょう分かった。そんなふうに彼女がいなくて、君とまだそれほど付き合いが長くなくて……という条件に当てはまる男が俺しかいなかった、君の周りでは。……それが、俺が相談相手に選ばれた理由で合ってるのかな」
≪……はい、はい、はい、はいっ! す、すごいですね先輩っ!! まだなにも私、話してないのに……!! とてもあの、秋の野原に溶け込むようなお姿からは想像できませんっ!!≫
興奮したように、大絶賛とともに、かのナチュラル無自覚ディスが飛んできた。……それは地味で華がない、っていう評価でいいのかな……? つまりファレイの真逆というような……。当たってるけど、当たってるけどな! 前に立体映像で見たかつてのセイラルは、とてもそんな感じじゃなくて、存在感がものすごかったけど。目鼻立ちや身長はほぼ同じなのに。……生き方、生き様、その蓄積って、ほんとうに印象に関係するんだな。
「……で、俺に相談っていうのは……。そろそろ話してほしいな。もし、俺しかほんとうにできないことなら、ますます力になってあげたいし。……せっかく、頼ってくれたしね」
≪…………≫
「……? おーい、莉子ちゃん……」
≪あ! す、すみませんっ! ちょっとその……!! は、はいほんとうに……!! お時間を取らせてしまって……!! あの、言います!! 実は先輩に……――私の彼氏になって欲しいんですっ!!≫
「……。…………へっ? なに? えっ? いまなんて……」
≪えっ? だ、だから私の彼氏になっ……――あ!!!! ち、ちちちちちちちち違いましたぜんぜん違いましたすみません!!!! 振りです!!!! 振り!!!! 私の【 彼 氏 の 振 り 】をして欲しいんですっ!!≫
「秘儀!! 音無壮絶弾!!」などと言って鼓膜を武術の達人に、指で貫かれたような衝撃が耳を伝い、思わずスマホを話した。き、きーんって耳がっ!! 耳がぁ!! ど、どこからそんな声が出るの君ぃ!! いつもはもっと柔らかい感じで、大声でも尖ってなかったんだけど……。むっちゃくちゃキンキンしてたよ。そ、そこまで必死にならなくても……。
「あー……。振り、振り。うん。振り、ね……。納得した。だから俺なわけね……。君の周りの人たちに、まだあまり知られていないから」
≪は、はい……。す、すみません……。ほんとうに勝手なお願いだとは分かってるんですが……。どうかお話を聞いていただけませんか……?≫
さっきとは打って変わって、頼りなく、か細い声が伝ってくる。俺は息をはいて、スマホを持ち直し、しずかに彼女へ言った。
「ああ……。もちろん。聞くよ。だからゆっくり、落ち着いて話してね」
≪……はい。ありがとうございます。……実は――……≫
そうして彼女は落ち着きを取り戻し、少しずつ俺に話をしてくれたのだが……。端的に言うと、クラスメイトのある男子から好意を寄せられ、ストーカー一歩手前の被害を【受けかけている】、ということで、要は事態が悪化する前になんとかしたい、そんな話だった。
≪その人は、私がいま、だれとも付き合っていないなら、自分との交際も考えて欲しい、ということをずっと言ってきてるんです。私はその都度、無理だから、と断ってるんですが、彼氏がいないなら諦めないと言って聞いてくれなくて。個別のラインも、四月に仲良くなったグループのひとりだったから、そのときなんとなく交換してて、だからいまも、そこからいっぱい来てて。……で、さいきんは夏休みが近くなってきているから、しきりに遊びに誘われていて。それも断ってるんですけど、きょう、家に帰ったらラインが来てて、『帰りはあの歩道橋通るの』……って≫
「……それはつまり、見られてたってことか。帰り道を」
≪たぶん。家の住所は、連絡網があるので皆知ってるんですが、だからだれでも、来ようと思えば来られるんですけど……その言葉がほんとうに無理で。気がついたらもうこれしかないって、先輩に……。……すみません。せっかく部活では楽しくしてたのに、先輩にご迷惑をおかけすることになって……≫
声が震えていた。恐怖がよみがえったのだろう。俺は努めて冷静に、尋ねた。
「だれかに相談した? たとえば友達とか」
≪相談というか、なんとはなしに困ってる、ということくらいは。だからちょくちょくアプローチを受けて、ちょっと困っている、くらいな受け止め方しかされてません。人によってはモテ自慢とも思われて……。くだんの人はクラス内ではふつうというか、むしろ明るくて行動力もあって、その、皆からの印象も好いほうなので、ぜんぜんストーカー的なものに結びつかなくて。私自身も、困ってはいましたが、そこまで嫌悪感もなく、きょうみたいな気持ちになったことはなかったんです。あ、あの……。たった一言で、すべてが無理になるのは……、やっぱり私のほうがおかしいんでしょうか? じ、自意識過剰というか……!≫
「おかしくない。君は正しい。【彼とは合わなかった】。……それだけだよ」
俺ははっきり言った。恋愛とかそういうことは置いておいて、それになにが正しいかどうかも横に置いて。直感的な、しかも身の危険を感じるようなものを捉えてしまった相手とは、【縁がなかった】のだ。
【彼女の直感】は、全員に当てはまることじゃないかもしれない。しかし、少なくとも俺には……。緑川晴の、17年間の経験値ではなく、セイラルの、250年を超えて生き抜いてきた経験値からの【直観】では正しいと、この【魔芯】が告げている。ならばほかの人間には決して得られない、有用な、彼女の直感を裏付けるものとしては、使えるはずだ。……確かに、大事になるまえになんとかしたほうがいい。いまならまだ、やり方次第ではなんとでもなるからな。
≪【合わなかった】。そんな考え方もあるんですね……。ぜんぜん思い浮かびもしませんでした。彼か私か、どっちがどうか、ということばかりで……≫
「まあね。俺だって莉子ちゃんと同じ立場なら、思い浮かばなかったかもしれないし。そういう意味では、【当事者でないこと】も、大事な気がしてくるよ。……ともかく莉子ちゃんの申し出は引き受けるから。ただ、部活の皆には言わないほうがいいんじゃないかな。皆、優しいから心配するだろうしね」
≪は、はい! そのつもりです! で、でも優しいというなら、緑川先輩だって……。……なのに私は……。ほんとうにすみません……――≫
「いや、いいよそんな……。というか俺は優しくないし。……少なくとも皆ほどは」
いまはもう、とは言わずに口を閉じた。莉子ちゃんは通話口で、≪……そ、そんなことないですよっ!! 優しくないなんてありえませんっ!! だってまだそこまで付き合いのない私のために――≫と怒ってくれたけど、俺はそれにありがとう、とちいさく返し、それから詳しい話はまたあした、といくらか話したのち、通話を切る。そのあとごろん、と再びベッドに横になった。
……もし。いまの話を聞かされたのが楠田先輩なら、即ブチ切れて、夜中でも構わず相手の男子のところへ怒鳴り込みに行くだろう。無理ならば電話でも。
正一だって、それが男のすることか! と顔を真っ赤にするだろうし、シンリは無言で聞きながらも、やっぱりブチ切れて、翌日に男子のもとへ文句を言いに行くだろう。穏やかなイッショー先輩だって眉間にしわを寄せて、怒気交じりに対策を講じるはずだ。そして去年までの俺も――憤り、なんだそいつは! と本気で怒っていたに違いない。
◇
――あなた。感覚がおかしくなってるわよ――
◇
かつての、ロドリーの助言がよみがえる。一般的な高校生の人間からずれて、だんだんと、知らぬうちにセイラルとしての記憶が感覚から戻りつつあると、そう伝えてきた彼女の言葉が、その意味が、いまのでもはっきり分かる。ふだんのことはともかく、身の危険が迫った、という生命に関わる問題になると、いよいよ――……自分が以前とは明らかに違ってきているという実感が心身を駆け巡る。
今回の莉子ちゃんに対しても、対等な立場で心を寄せることよりも、俯瞰して状況を見る感覚が強くなっている。そして、それだけなら、【ただ冷静な人間の大人も】持ちうる感覚かもしれないが、いまの俺は……。もし最悪の事態に陥っても【なんとか】できるだろう、と頭の片隅で【思ってしまっている】。……魔術士としての、力頼みで。ただその問題を排除すればいいじゃないか――と。
人間を脆弱なゴミと言い放っていたカミヤやローシャと、さして変わらない立場に足を踏み入れかけている。戦闘を繰り返し、幾度も死線を潜り抜け、自身の多くの血を流し、それ以上の返り血を浴びてきただろう魔術士としての感覚が、……ああ、そんなものだったな……と、手足にじんわり広がってゆく。そうして体が熱くなり、鼓動が速くなり、俺の視界はぐらついて、寝転んでいるのにめまいが、景色の回転が止まらなくなる。それにたまらず吐きそうになり、視界を閉ざそうと思わず目を閉じ、また開けた瞬間――俺の眼前から部屋が消えて、いつか見た青空の下、おおきな森が広がっていた。
◇
◆
◇
緑あふれる森の奥、巨大な木々の間には、日の光で美しく輝く、長い長い、青い髪の女が、かつて思い出したときとは違って、笑みは見せずに腕を組み、藍のマントを髪とともに風で揺らして立っている。そんな彼女をはっきり認めて、俺の視界の回転、ぐらつきは治まって、吐き気もうそのようになくなった、が……。彼女は呆然とする俺に向かって悪態をついた。
「……この阿呆が。ちょっとついて来い」
「……はっ? ついて来い……って。――……えっ?」
俺は自分の発した声に驚く。高い。子供の声だ。それに手もちいさい。手だけじゃない、足も、胴も、頭も背も……。ペタペタさわればさわるほど、まるで小学生、その3、4年くらいの子供のものとなっている。……待てよ、小学生? しょうがくせい、ってなんだ? ……――って、あいたっ!!
「遅いっ!! 師匠の言うことは絶対だと言ったろーがっ!! ……もたもたしてると破門にするぞっ!!」
いつの間にかそばに寄ってきた師匠……マーリィに頭を殴られる。ったあ~……。んとにもう、すぐ殴るんだもんなぁ……。でもおかげで変なもやもやが晴れてすっきりした。さっきのしょうがくせい、とかいう言葉はなんだったんだろう……。体が子供になってるって、じっさい子供だしなあ。腹立つけど。……まあそんなことはどうでもいいや、早くしないと!
「は、はい師匠っ!! 行くよっ!! だから破門だけはやめてくれよ……!! きょうはなにをすればいいんだ? 俺、なんでもやるからさっ!」
「なーにが【なんでも】だ。まだなーんにもできないくせに……。君にはそもそも、魔術の修行以前に教えることがあるから、きょうはその授業だよ。――ほら行くぞ。ちなみにその結果次第では、やっぱり破門にする」
「えっ!? ええ~っ!!?? そ、そんなのないよマーリィ……!! だ、だって俺――あいたっまた!!」
「師匠の名前を呼び捨てにするなとい・つ・も・言ってるだろーが無礼者っ!! ……セイラル・ヴィ―ス。もはやきょう、もう一度、私の名を呼び捨てたら、君は 破 門 だ 。ちなみにすでに無礼を働いた分のツケは、帰ったら、屋敷の掃除をすべてやることでチャラにしてやる。……ほら走れっ!!」
「な、なんだよそれっ!! ひっ……ひどすぎるよほんと……!! っていうか師匠~!! 俺、魔力3千しかないんだぜ!? そんなに速く行かないでよ……!!」
俺は、ぜったいに追いつけない藍色のマントのたなびくさまを見つつ、息を切らせて必死に追いかけ、どうやったら師匠の機嫌を直してもらえるか、そして掃除をしなくてすむのか、ない頭をしぼりにしぼって考えながら、ただひたすら走り続けた。




