第71話 惹かれ合う理由
現在俺たちがいる、この幅およそ3メートル、長さ10メートルほどの高架下の歩道に灯りはなく、たとえだれかが通り過ぎたとしても、そばに寄って見ない限り、はっきりと顔を捉えることもできない。
声はいまみたく反響してでかくなるが、【ファレイ】はともかく【風羽怜花】が、それを知る者たちの前で大声を出したことはないので、たぶん、大丈夫だろう。
……などということを、尻もちをついたまま動揺しまくり、背中の汗だらだらで必死に自分へ言い聞かせる俺。だってこんな場面(※『自分の家でふたりだけの打ち上げをしませんかっ!?〗などと絶叫する風羽と、絶叫された俺)をクラスのだれかに見られたら終わりだからな。横岸ならなんとか……、いや、アイツだって俺に敬語を使う風羽なんて見たことないし、そもそも雰囲気が風羽とファレイでは違うんだから、その辺の事情を突っ込んでくるに違いない。俺たちが魔術士という、この世にありえない存在であるという発想はなくても、なんらかの人間的な常識で、風羽と緑川ではない密なつながりを想像して。
俺は頭をぐるぐる回転させながら視線を上げる。そこには、興奮状態で両手を握りしめて立ち尽くし、こちらを見おろしているファレイがいた。俺に尻もちをつかせたことすら考慮できないほどテンパっているのだから、決死の覚悟で伝えたということは嫌でも分かる。さっきクラスの打ち上げて、皆が風羽に想いを伝えたときと同じように。……なら俺が返す言葉はひとつしかない。ないんだが……。
「あ、の。……ちょっといいか?」
「……!? は、は、はいっ! なななななんでございましょうっ!?」
相変わらずのテンパり具合で、両手を握りしめたまま、硬い姿勢のまま叫ぶ。俺はそんなヤツに、苦笑しながら、尻もちをついたまま、
「引っ張り上げてくれないか? その……、腰が……」
と、言って……。その言葉でようやくファレイは自分の及ぼした影響に理解が及び、また絶叫し……、俺はいよいよ背中に冷たい汗を流した。
◇
そんなこんなで一時間後――。
俺は【再び】、かの古びたアパート、ファレイの住処である『晴風荘』の前までやってきた。
以前ここに来たときは、風羽を知る者たちにそのルートが分からないように、ファレイがこしらえた結界の道を通っていったが、今回もその道を……同様に伊井野神社を起点としてやってきた。
結界の道はほかにもあるのだが、ファレイといったん別れ、自転車を置くため等の理由で家に戻ることにしたので、それなら前と同じ条件下だったために、そうしたのだ。それに、その道はもう覚えていたから、いちいちファレイに(神社まで)迎えに来てもらわなくてもよかったし。
俺もシャワー浴びたり着替えたりと時間がかかるから、その間は家で待っていてくれ……と伝えたら、なぜか「……!? はっ、はいっ! おおあおあおあおあお待ちしておりまっする!!」とハイテンションで高速首肯したから、まあこれでよかったのだろう。
着替えると言っても、別にお洒落とかじゃなくて、単に制服のままだたったからで、替えた服も青の長袖襟シャツに、白Tシャツのインナー、黒い綿パン、白のスニーカーといった、いつもの恰好だったのだが、まあ、わりときれいめ系にしたのはした。すすけたジーパンとか失礼な感じがするし。……クラスの打ち上げのときは、私服に着替えられなかったからな。場所を変えて、服も替えて。それも【二次会】らしくていいだろう。
ファレイの部屋は二階の突き当たりなので、俺はアパートの敷地内にある街灯に照らされながら、カンカンと音を立ててのぼってゆき、その後、ところどころヒビ割れたコンクリートの廊下を進む。汚れた電灯に、壁や手すりはあちこち塗装が剥がれ、引き戸や窓などは古い木造り。前に見た、感じたときと同じ、相当の築年数を感じる建物だ。
人間界へ持ってきた私産が、確か12億と何千万、全財産が60億? で、人間界のそれへと換算できる額なら40億? だったか。ともかく途方もない金持ちであるファレイが、人間界での拠点を、なぜこうしたところにしたのか。以前の買い出しでも半額の肉などを喜んで買おうとしていたから、倹約が好きとか、清貧の思想があるとか、いろいろあるのかもしれないが、少なくともケチでは絶対にない。ロドリーに、代わりに清算してもらった酒代を即座に(多めに)返していたし、それ以前にとてもそんなタイプ……金銭に執着があるタイプに見えない。……セイラルの個人的なことは答えられない、と言っていたが、ファレイ自身の、セイラルとは関係のないことなら話してくれるだろうから、きょうそれとなく聞いてみようかな。……酒を飲みながらでも。
俺は手に下げた、酒を入れた布袋をちら見する。前回はロドリーがいたから買えたけど、ふだんなら見た目が高校生であるファレイには、酒はなかなか買いづらいはずだ。アイツは真面目だから、人間界のルールは守ってるだろうしなあ。……と、いうことで差し入れとして持ってきたのだった。じいちゃんのストックの一本から。俺だってかんたんには買えないからな。
ちなみに、その失敬した酒の名は『一切合切』。酒飲みの間では知らぬ者はない、高級焼酎である。なので、怒るとすれば高級だから、ということだけで、酒を打ち上げのために、高校生の俺が持ち出したことについては、怒ることはない。というかそんな資格はないのだ。なにせ俺がガキのころから、仲間の集まりに交えては酒を飲ませてたんだから。どの口が言う、という話だ。
まあ参加者が飲酒のせいでなんらかのことを起こしてしまった、という場合は別だろうが、参加者の親バレを含めて、俺がその辺はうまくやる、無茶はしないことは知ってるので、大丈夫だ。ともあれそんな俺の経験から、この酒がいちばんうまい、と思ったのでチョイスしたのだった。まあ、罰は古書店の掃除くらいで済むだろう。きょう遅くなることは言ってあるし、じいちゃん自身がどこかへ飲みに行くと行ってたしな。万事無問題である。
俺は見事な達筆で『風羽』と書かれた表札を認めると、これまた古いチャイムを押した。ピンポー……ンと高い音が室内で響き、ほどなくガチャガチャと音がして、……ファレイが出てきた。
「おっ……、お待ちしておりましたっ! ど、どうぞ中へお入り下さい……っ!」
ややどもりながら、赤い表情でファレイは俺に一礼すると外に出て、代わりに俺への入室を促す。玄関が狭いから、自分が出たんだろうが……その、アパートの電灯で照らされたファレイの姿を改めて見て唾を飲む。クラスの打ち上げで着ていた服と、まったく変わっていたからだ。
ファレイは、ターコイズブルーの、シックなワンピースに着替えていた。それは膝丈だし、肩も出てないし、襟ぐりだって控えめだし、ふわっとしているから体のラインが強調されているわけでもない、が……。わずかに服より浮き出る腕や腰や胸のラインから、『どう見てもすごいスタイルのヤツが着ている』のがはっきりしているので、かえって神秘的な色気が増しただけだった。というかこんな色とデザインのワンピースを着こなせる高校生などいるかぁっ!! ……まあじっさい高校生じゃないんだけどなぁっ!!
「……? ど、どうかされましたかっ? ……も、もしかして私の装いに、なにかおかしな点でもっ……!」
と、急に青い表情になり、きょろきょろ自身の身を確認し、その場で回転したりし始めて……その様でスカートがふわりと浮き、白いヒザ裏が見えた。……え、なにコイツわざとなの? 殺しにきてるの? っていうか服に気を取られて気づかなかったけど、銀色の、雪の結晶のようなイヤリングをしていたし、薄っすら化粧もしていた。……舞踏会に行くの? シンデレラなの? 俺、洗いざらしのシャツに綿パンなんだけど……。……ふーざーけーんーなーっ!!!
俺はずかずかと部屋に入ると、思わず鍵をかける。それですぐ、「……!? セ、セイラル様っ!? な、なぜ鍵を……!? や、やはり私に至らぬ点がっ……!! か、い、いますぐ改善しますゆえ、鍵をお開け下さいませぇーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」という悲壮な絶叫をBGMとして、俺は手洗いとうがいをていねいにさせてもらった。……あーちょっとだけ心が落ち着いた。
◇
その後、鍵を開けたら、化粧がすっかり落ちたべちゃべちゃの泣き顔で「じぇいらるじゃまぁ……」と訴えてきたのを見て少々胸が痛んだが、俺は心の平静さを守り抜くために、ファレイを中へ入れて鍵をかけると、指を立て、親のようにヤツへまくし立てた。
「……いいか? 俺の、お前に対する【さっきの反応】はひとまず置く! 追究はなしだ! ……だが、それとは別に、言っておくことがあるっ! お前はもうちょっと、自分のことをよく知るべきだ! っていうか周りがお前のことをどう見てるか、きょうのことでよく分かったろうがっ!」
クラスの連中はもとより、通行人まで声をかけまくってきたのだ。さすがに人間が眼中にない……、はっきり言えば好きではないファレイだって、自覚はできたはずだ。明らかにほかとは【違う】ということが。
ファレイは俺の言葉に瞬いたのち、なんとか意味を理解しようとして、やがて自分なりの言葉が見つかったのか、必死にまくし立てた。
「そ、それは……! に、人間たちは……! 人間たちの基準では、私のような外見が、好意を持たれやすいのでしょうけれど……! しかし私たちリフィナーとは違う価値観で! なのでいまだに困惑しているといいますか……!」
言葉のまま、困惑した面持ちでファレイは訴えてきた。……ちょっと待て。人間たちの基準? リフィナーとは違う基準? それって、ファレイみたいな超美人でも、魔法界じゃあ別にモテないってことなのか?
「え……っと。じゃあなにか? 人間とリフィナーは、……じゃなくて。リフィナーは、見た目の好みが人間とは違うってこと?」
「い、いえ……。見た目の……たとえば美醜の感覚は似通っています。人間が美しいと思う花は、我々も美しいと感じますし。このような服装やアクセサリーについても同様に。だからきょうもこのように、必死にお洒落を……ではなくっ! た、ただ、自分と同じ知的生命体……、我々でいうとリフィナーに対する、とくに人生に関わる特別な感情……恋や、愛や、深い情に関する好みは、外見に加えて、魔力の質が関係するのです」
俺は口を開ける。ファレイは、自分の心臓の上……【魔芯】に手を当てながら、静かに続けた。
「我々リフィナーは、程度の差はあれ、漏れなく、生まれながらにして魔力を有し、そして本能的に、精霊の存在を感じています。自身のはるか上位の存在として、自身の根本とつながるものとして。なので、……これは言葉を厳密に選ぶ必要があるのですが、その上で端的に申しますと、我々の好みには、精霊の好みが反映されている……と考えられるのです」
「精霊の、好み……?」
俺は思わずオウム返しで漏らす。確か前に、似たようなことをロドリーが言っていたような……。
◇
――リフィナーはね、人間と比べて愛が長いの――
――人間と私たちの大きな違いは魔力があるかないか。つまり精霊という存在を認識しているかどうかだから――
――愛の長さに理由を求めるなら、精霊の趣味を受け継いでるってことじゃない? 魔術学者とか熱心な精霊信者に言ったら殺されそうだけど――
◇
前にファレイと、近くのスーパーへ買い出しに行ったとき、ロドリーが俺に話したことを思い出した。リフィナーは、人間と比べて【愛が長い】と。ずっと一途に、だれかを想い続ける時間が、人間と比較して圧倒的に長いと。そして、それは寿命の長さが理由ではなく、精霊を認識しているか否かに関係していて……、つまりは認識している精霊の趣味を受け継いでいる(影響を受けている)のでは、という話だったが……。いまのファレイの話も、そういうことに関係しているのだろうか。
「はい。これは定説ではないのですが……、本能的には皆、多かれ少なかれ、リフィナーたちは感じていることです。……前に、魔色についてお伝えしたことがあったと思いますが……」
俺のオウム返しを受けて説明を続けたファレイが、尋ねてくる。俺はちいさく首肯した。
「ああ……。赤とか青とか黄色とか。俺のは緑で。……あと、ファレイの銀は特殊な魔色……とか。そういう話だったよな」
「ええ。その魔色も、愛や恋や情の好みにも関係しています。たとえば青と紫は友情を結びやすい。けれど恋情は生じにくい、など。ただし、必ずしもそうではなく、あくまで、しいて言えば、そのような傾向がある、というだけです。じっさいに魔色の差が、憎しみ合うことや、愛し合う決定打にはなりえませんし。……ともあれ、外見や性格、そのほか打算的な事柄といった、人間が好みの原因とするもの以外の、好みにおおきく関わる要素が我々にはある、ということです。その根本は魔力の質で、魔色はその質を【おおきなくくり】で表したもの、ということですね。……厳密には、好意に関しては、もっと複雑に、さまざまな【ちいさなくくり】が絡み合っていると考えられます」
淡々とファレイが言った。……そういえばロドリーは紫で、ローシャは青だったけど、ローシャは恨み骨髄といった感じで、今後絶対に友情なんて芽生えないような……。でも、それも、出会い方が悪かっただけで、別の出会い方をしていたら、友達になれたかもしれない、とも言えるのか。
まあロドリーは【外法者】で、その存在はリフィナーにとっては、一般的には好ましく思われていない、ということらしかったから、それを考えたらありえないのかもしれないけど。でも、もしローシャが【外法者】に、差別的な感情を多く持っていなければどうだろう。
アイツ、気位は死ぬほど高かったし、人間は見下してたけど、それは差別心というよりも、アイツの価値観では、人間が【弱い】というふうに映るからじゃないか? なんか、どういう立場であれ、実力者は認める性格のような感じがするんだよな。過去のセイラルに好意を抱いていたのも、圧倒的に強かったからだろうし。嫌って殺そうとまでした原因も、弱くなったから……だろうし。その辺はあくまで仮定だが。現在の緑川晴の価値観ではありえなさすぎて、はっきりしている事実を並べたら、そう考えざるを得ないだけで。
ともかく魔色に関しては、あくまで【傾向】と言う通り、その程度のものなのだろう。現実には、いまファレイが言ったように、単純な色分けだけじゃないと。……まあ、それなら、別にこれを聞いたっていいよな。
「ちなみに、俺の緑とお前の銀は、どういう相性なんだ?」
「……――ひゅっ!」
いつかどこかで聞いたような、ファレイの、高速で空気を吸い込む音が耳に響く。ファレイはそのまま、次の呼吸を忘れたかのように硬直し、やがて、「がっ」「ごっ」「がっ」などと言いながら、呼吸? のような息遣いをしてから、青い表情で無理やり作り笑いを浮かべて言った。
「い、い、い……、【一般的には】、銀と緑の相性は……、いいとは言えないと【されている】のですが、先ほども申し上げたように、あくまで【 傾 向 】であって、さして【深く考える必要はない】と存じます。じ、じっさいに私はセイラル様こそが、生涯唯一の主で師でっ!! セイラル様も、私を従者にして下さったわけで……!」
だんだんと、硬い作り笑いのまま、声が震えて目が潤んでくる。……め、めっちゃ気にしてる……。死ぬほど深く考えてる……。これは不味いこと聞いたな。もう尋ねないようにしないと。……でもその辺、気になることは気になるんだよな。魔色を含めた、魔力の質と、好みの関係。なぜか分からないけど。……別の機会に、こっそりルイかロドリーに聞いてみるか。
「……いや、もういいよ。悪かったな。……人間とは好みが違う、ってことはよく分かったから。なるほどな……。でもやっぱり、【外見も】関係するってのは正しいわけだから、お前みたいにとんでもない美人で女として魅力的なら、魔法界でもモテてたんじゃ……」
と、言いかけて俺はやめる。ファレイが目を見開いて固まっていたからだ。……な、なんでだ? いま俺は別に気に障るようなことは……と思ってから顔が引きつる。しまった……! コ、コイツは【誉めても】駄目だったんだ……!
「い、い、いいいいいま……、セイラ……ル様、は、な……んと? わ、わ、わわわわ私……に」
「……い……、……いや? なに……も? なにも言ってないよ? 空耳じゃない、かなぁ……」
しばらっくれて、目を逸らす。だがほどなく、ぐすっ……、ひぐっ……、となにやら幼児の鳴き声のような音が聞こえてきて恐る恐る目だけを戻す。果たしてファレイが、スカートをぎゅっと握りしめて、涙をぽろぽろ落としながら、「……すよね……、空耳……、そうに決まって……、セイラル様が私なんかのことを……、そんな……」とぶつぶつ念仏のように唱え始めたのを目の当たりにして血の気が引く。……そうだ。これは、誉めるときは前もって誉めると言わなかった【俺が悪い】。なので、甘んじて受けよう……。多分来るだろう、【アレ】を。
「ごっ……、ごめんうっそぴょーーーーーーーーーーーんっ! ほんとはお前がとんでもない美人でぇ、女として魅力的だって、そう言ってたのでしたぁーーーーーーーーーー聞こえたっ!? 恥ずかし過ぎて誤魔化したけどぉー!! そもそもきょうの格好だって、綺麗すぎて直視できなかったんだからな! 俺がテンパって引き戸の鍵をかけたのはそのせいだっ! ……分ーーーーーーーかったかあはははははははっ!!」
「…………………あ…………、あ…………、ああ……………。い、いま……、なん……と……」
「きょうのお前が死ぬほど美人で可愛くて魅力的すぎで動揺したっ! って言・っ・て・ん・のっ!! だぁーかぁーらぁーごまかすために引き戸の鍵を思わずかけたっ! ついでに言うと心を落ち着かせるために手洗いとうがいまでしたわっ!! ……もう言わねーーーーーーーーーーーーーからなっ!!」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!」
絶叫とともにファレイが銀に発光し、俺の体に次々と銀の針が突き刺さりっ……たあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいたいたいいたあたいたあああああああああああああああああ――――やっぱりかっ!!!
痛みでのたうちまわる俺の姿に、ファレイが気づいたのは何秒後だったか。そしてなんらかの回復術をかけられて、その後頭を床に100回ほど打ち付けて土下座されたところで何分経過したか。それらは定かではないが……、ようやく、ふつうに、居間に通されたときに見上げた時計が夜の八時半を回っていたから、アパートに来たときの時間から考えると、相当経っていることは分かった。まだなにもしてないのに……。こりゃあ、じいちゃんにあとでもう一回、電話入れとかないと不味いよな……。……はあ。
「……飾りつけ、までしてるし……」
俺はぼそりと、居間の壁を見まわして漏らす。六畳の、それほど華美にしているわけではない和室。必要な分だけ置かれた家具と、ささやかなインテリアなど、室内の様子は前に来たときと同じであったが、きょうはおそらく造花であろう、白や赤の美しい、見事なバラがあちこちに飾られていた。
その装飾センスはもちろんよかったものの、受け取る雰囲気は、【俺にとっては】まるで小学生のお誕生日会のようだった。それは、記憶を失ったいまでも、アイツの、昔からの心がよく伝わってきたせいもでもあった。だれよりも純粋――という。
ドアを隔てたキッチンからは料理する音が響いている。前のように鼻歌交じりでないのは、さっきの失態を必死で取り戻そうと真剣に料理しているからだ。もう下ごしらえはしていたらしいので、さほど時間はかからないだろう。俺も腹が減ってるし、楽しみだな。
そんなことを考えつつ、俺は襖で仕切られて、中の見えない隣の寝室に目を向ける。前回の訪問の際に、あの部屋で見つけた写真は、いまも同じ場所に隠してあるのだろうか。昔の俺と、屋敷のメイドかファレイ以外の従者と、ちいさなころの、俺にまったくなついていないファレイの写ったあの写真は……。
もう一度、じっくり見てみたい気もするが、【隠している】わけだからな。つまりあれは、セイラルの過去の記憶を呼び覚ます重要な一枚、ということだ。前のようにファレイが完全に酔いつぶれて熟睡しているか、俺を残してどこかへ出かけるなどしない限りは、見ることは出来ないだろう。……残念ながら。
「お……っ! お待たせ致しましたっ! いまから並べますので、もう少々お待ち下さいませっ!」
すっかり元気を取り戻したファレイが、両手に盆を持って登場。それのひとつを器用に、胸と、もういっぽうの盆の端の上に置くと、空いた手で次々座卓に料理を並べてゆく。山盛りの唐揚げに、エビチリ、エビフライ、サーモンのカルパッチョ、色とりどりのサラダ、カボチャのスープと……高そうな生ハム。どれも思わず唾が出てきそうなものだった。
「ご飯もお持ち致しますね! ……それとセイラル様、お飲み物は如何いたしましょうか?」
「ああ……、麦茶でもお茶でも、なんでもいいよ。あと、酒持ってきたから。じいちゃんのストックから失敬してきたんだけど。まあその辺は大丈夫だから、気にしないで飲んでくれ」
そう言って、持参した布袋から『一切合切』を取り出し見せる。それを見たファレイが、おおきく目を見開いて、ぴたりと動きを止めたあと――ずだだだだだっ! とでも擬音が付きそうな勢いでキッチンへと戻ると、ビンを抱えて帰ってきた。……『一切合切』とラベルの貼られたそれを。
「……なんだ。お前も用意してたのかよ。しかもまったく同じって……。すごいぐうぜんだなぁ」
俺が苦笑すると、ファレイは興奮を抑えきれずに、ビンを抱えたまま言った。
「こ、こここれは人間界でも指折りのお酒であると! 人間界にいる魔法界の知己より耳にしまして! ならばぜひこの機会にセイラル様と……と思い購入していたのですっ! ……あ! その成人年齢に見える知己に頼んで、ですので、違法なことはしておりませんゆえ! ……しかしセイラル様にも、まったく同じものをご用意いただいていたなんて……! こ、これは『以心伝心』というものではないでしょうかっ!」
満面の笑みで、伝心! 伝心! と言わんばかりにビンを俺のそれに近づける。もしかしてこのカルパッチョとか生ハムは、おかずというか、酒のつまみだったのか? ……ったく。ほんとうに酒好きなんだな。
俺は頭をかいて、ファレイに合わせるように自前のビンを傾け、ファレイのビンに当てて、ちん、と音を鳴らした。
「……よっし! じゃあ二本もあるし、きょうは飲むか! まあ俺は二杯くらいだと思うけど……お前はじゃんじゃん飲んでくれていいからな。いままでも、我慢してたんだろうしさ。……俺と前に飲んで以来、飲んでないのか?」
その言葉に、またピタリと動きが止まる。そして今度はゆっくりと目を逸らし始めた。……ああ、飲んでたんだな。今回みたくその知己とやらに購入を頼んで。……解禁したのも俺だしなあ。まあ仕方ないか。
「あ、あのあの……。の、の、飲んでいた、と言っても、ほんの……、ほんの少し……。セイラル様と飲んだ日から数えますと、その間、わずか10リットルに満たない程度で……」
にへら、にへらと愛想笑いを浮かべながら、指を一本立てる。10リットル!? わずか!? っていうかそこは両手のパーで示すところじゃないの!? こ、この少しでも少ない印象を与えようという誤魔化し方は……酒飲みのそれだっ! リフィナーの肝臓がどんな具合か知らないが、コイツは調子に乗らせるべきじゃない……!
「お前……やっぱりじゃんじゃん飲むの禁止! そして10リットルがどれほどの量か、もういっぺんしっかり勉強し直して来い! ……これは没収!」
自分の用意してきた『一切合切』を袋に戻した。するとファレイは見るも哀れに表情をゆがめ、「セ、セイラル様っ! それだけはどうか……どうかっ! その人間界指折りの美酒と言われる味を、私はセイラル様と味わいたいために、きょうまで我慢を……!」と畳に這いつくばり始める。それに俺は、「だーかーらーもう一本あるだろうがっ! 俺は一杯でいいから、それでじゅーぶんだろう!?」と後ずさるが、「そ、そんなセイラル様が一杯だけで、残りを私が飲むなど……!」とまくし立てつつ俺の抱える袋を見つめてきたので、さらに後ろに隠したら、「ああっ! ああーーーーーーっ!」と泣き崩れた。……お前はじいちゃんの友達の天谷さんかっ!! 酒を飲み過ぎた時に取り上げた反応がまったくいっしょじゃねーかっ!! こりゃあ、前に自己申告していた、過去のセイラルが「俺の分まで飲む気かっ!」とコイツから酒を取り上げたっていう話は、マジもんみたいだな……。ロドリーも断酒なんて冗談じゃない、って言ってたし。リイトも昼の弁当でビール! とか叫んでて。ペティなんて出会ってすぐ缶ビール飲んでたもんなあ。まるっきり高校生の見た目のくせに、まったく気にせずに(つーか、よく考えたらどうやって買ってきたんだ? タバコまで持ってたし)。リフィナーは酒好きが多いのだろうか……。
「……あーもー分かった! 分かったから泣くのと畳に這いつくばるのをやーめろっ! ……けどいいか!? きょうは打ち上げで、特別な日ってことで許すだけだからな!? ふだんの量はもうちょっと減らせ! ……これは命令だ!」
「……あうっ!! あ……うう……!! わ、わわわ分かり……ましたっ!!」
命令、という言葉には逆らえないのか、口をもごもごさせながらも泣き止んで、俺に頭を下げる。そして涙をぬぐうと、またチラチラ俺の手にある袋を見てきたので、おおきく息をはくと、そこから出して畳に置いたら、ぱああああ……! と台風が過ぎ去ったあとの晴れ間のような輝く笑顔を見せつけて、「むっ……! 麦茶とお酒用のグラスをお持ち致しますのでしばしお待ちをっ!!」と、まるで忍者のようにキッチンに消えた。……あー……疲れた。




