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第69話 兄と妹

「……みっ・どっ・りっ――かわぁ~っ! りきっ、入ってねーんじゃ、ねーのかぁっ! それでも風羽ふわさんっ……の弁当食った……のかあっ!?」


「そうだ・ぞーっ! おまえっ……! 風羽……さんのっ! 風羽さんとっ……弁当をっ……! くそがっ!!」


「それだけじゃっ……! なくてっ! コイツ……! あんな可愛い子にも……応援されっ! 風羽さんに弁当もらったくせ……くうっ!!」


「その子以外にもっ! この間クラスに来た【不良女】とっ……! なんでお前……!? 風羽さんの気持ち考えっ……おらっ!!」


「皆っ……! いまは綱引きこれに勝つことにっ……!! 優勝して……っ! 打ち上げでっ……! 緑川コイツのことは締め上げっ……気合入れようぜそらあっ!!」


「「「「「「「「「いえっさーっ!!!」」」」」」」」」「「「「「「おーえすっ!!!」」」」」」


 ……と、実に息の合った掛け声を(俺以外が)放った瞬間――俺たちのクラス(男子)は力士でも乗り移ったかのごとく超パワーを発揮して、相手クラスの男子をこちら側に引きずり倒す。それで笛のが青空に響き渡って、場内が沸いた。


「すっげー! アイツらどんだけ気合入ってんだ!?」


「相手側があんなに倒れるとこ、初めてじゃない!?」


「やっぱ学年別の優勝はアイツらんとこかぁ……!」


「……まだ分かんないからっ! ウチらもがんばろーよっ!」


 口々に熱っぽい、さまざまな声が飛んできて、グラウンドから引き上げる俺たちの耳にも入る。

 さいしょは、参加者の大半がやる気なく手を抜いていたこの体育祭だったが、ひとクラスだけ異様に気合を入れて臨んでいた我がクラスを、どこか冷めた目で、小馬鹿にしたように見やっていた、学年も含めたクラスたちも、やがてその真剣さに感化されていったのか、素直に脅威を感じ、また自分たちも本気になってゆき、今年は例年にない盛り上がりを見せていた。……火つけ役たる我がクラスの動機が、【打ち上げで風羽とお近づきになるきっかけとして、好い成績を残したい】というのは、だれも想像すらしていないだろうが。


 そしていま、綱引きの勝利をもたらしたものが、そんな元々の動機以上に、【昼休みにクラスで飯食わないで風羽を連れ出し、あまつさえ他校の可愛い女子ペティに応援されて、さらには風羽が隠していた、過去の不良姿を(注。勝手にそういう想像をしている)持ち出させるに至った不良女ルイとも、仲良く飯を食っていた、ありえない男】である俺のせいであることは、とうぜん欠片も想像されていない。勝てたからまだ好かったものの、だんだん打ち上げが心配になってきたな……。あと俺個人の出場競技が、まだ残ってるんだけど(パン食い競争)。これも負けたら、もしかして不味いのか?


「お疲れーっ! やるじゃんせい! ……もちろん、あんたの綱引きへの貢献具合のことじゃなくて、皆のやる気に火をつけたほうね」


 ちくちくと男子たちの嫌味を聞きながら応援席に戻ってくると、即座に出迎えた横岸よこぎしが、半眼で笑いながら俺の肩をばしばし叩く。だがほかの女子たちは俺を露骨に無視して、綱引きに勝利したほかの男子たちを、「マジさいこーだった!」「カッコよかったよ~!」「ドリンク飲む? 皆の分あるから欲しい人言ってね~!」等々の言葉でねぎらった。


 そう。男子だけでなく女子たちも漏れなく、昼休みの件(※俺と風羽とルイとペティほかで飯を囲んでいたこと)を目撃したことで、午後の部が始まる前に、風羽がトイレかなにかで席を外すや否や、「なに風羽さん独り占めしてんの!?」「いつもは風羽さん、どこかへ行っちゃうけど、きょうだけは皆で誘おうと思ってたのに……!」「っていうか、あの不良女と風羽さんを付き合わせるなっ! ご飯の前、また言い争ってるの見たんだからねっ!?」「あんたを応援してた子って、彼女とか!? 自分の彼女に来てもらって、風羽さんにお弁当作らせてるの……!? マジアリエナイんだけど!!!!」……もう挙げるごとに心が疲弊していくのでやめるが、こんなふうに俺へのヘイトが爆上がりし、かくして二人三脚でわずかに上昇した俺の株も大暴落したのだった(ちなみに、いま風羽……ファレイは、とくに俺に構わず、皆に囲まれつつ静かに腰かけているが、それは俺への反応はしないように頼んでいるからだった。……これ以上、ややこしい事態にしたくない)。


 いっぽうクラスのリーダーである横岸は、先の騒動中も冷ややかな目で傍観するだけで、とくにぎゃーぎゃー言ってこなかったが、アイツはちょっと、ほかの連中とは違うからな。なにを考えてるのか……。逆にスルーしてることが不気味でしかない。


 ぽっかりと俺の周りだけいた応援席では、俺以外がいよいよ応援に熱を入れて、声を飛ばされるグラウンド中央の熱は高まってゆく。横岸は相変わらずのリーダーシップを発揮して、応援の指揮をしつつも、現在の得点数を確認したり、ドリンクの補充に走ったり、もちろん戻ってきた競技者たちにねぎらいの言葉をかけることも忘れずに――まだ自分の参加競技もあるのに八面六臂はちめんろっぴの大活躍を見せていた。


 こりゃ、だれも逆らったり文句を言ったりするわけないよな。前に言ってた、アイツの考えてる打ち上げの、リア充っぽい集まりを嫌がるヤツらも納得の、『全員参加のプログラム』ってヤツがどんなものかはまだ聞いていないが……。打ち上げ自体に関しては、現段階ではどうも全員参加を希望しているらしいし。


 偉ぶらず、排他せず、目線を下げることも背伸びすることもなく、ただ自分の等身大をもってうったえる。アイツは【強さ】が欲しい、それを俺が持っていて、そこからもっと、自分の求める【強さ】を吸収したい、そう言っていたが、俺からしたら、……少なくとも、いまの俺よりもよっぽど【強い】と思う。だけどそれは……俺のものさしでしかないんだろう。


 歓声がいちだんと響く。参加者たちの熱が、応援に訪れた保護者や生徒関係者たちにも伝わったのか、その人たちの声も午前中よりも大きく、なんとなく人数も増えたような気がする。そうして熱気が最高潮まで高まって、かつ、俺にとっては非常に居心地が悪い視線が……無視していた女子たちも含めたクラスメイトたちから集まったとき――。『パン食い競争』開始のアナウンスが耳に飛び込んできた。


     ◇


 それから――。俺が口と気管周りがきな粉だらけになったのも構わず全力ダッシュしたために死にかけたのと引き換えに、なんとか無情なつるし上げを回避して。その、ほかの連中も着々と好成績を収め続け――……。なんと我がクラスは、ほんとうに学年別優勝を決めたのだった(全学年でも三位)。


「……おぉおぉおおおっ!! 優・勝・だぁああああああああああああ!!!!!!!!」


「「「「「「「「「「「「「「「おぅ……・――やぁあああああああああああああ!!!!」」」」」」」」」」」」」」」


 閉会式の直後、グラウンドの真ん中で――。クラス随一の体育会系、サッカー部の小川おがわの雄たけびが響いたあと、残りの(俺以外の)男子全員も叫んで赤のハチマキを空へ放り投げ、続いて横岸が指を動かしつつ、「……うぃ~っ!? あぁ~っ!?」と皆に言葉を放ったあと――、女子たちが、「「「「「「「「「「「「「「「なぁんんばあーーーーっ!! わーーーーーーーーーーーーーーーーんっ!!!」」」」」」」」」」」」」」」と声を上げて、男子と同じように赤いハチマキを放り、全員で拍手。口笛を吹いたり、歌を歌うヤツまで出てきて、先生たちも苦笑しつつ、しかし軽くたしなめる程度にとどめた。ほかのクラスも、それなりに盛り上がっていたからだ。学校を訪れた家族や関係者たちも。つまり、体育祭は大成功で幕を閉じたのだった。


「おい緑川ぁ~! な~に冷めた感じで突っ立ってんだよっ! ……お・ど・れっ! お前にはそうする義務があんだろ~っ!? ――おいっ!」


 普段は割とだるテンションな、クラス一のチャラと名高い垣爪かきつめが、酒でも飲んでるのかと言いたくなる様子で、満面の笑みを見せて俺の肩にもたれかかってくる。……コイツは体育祭なんてダル~、ってな感じで、でも風羽さんのために頑張っちゃうからさ~、と風羽に愛想を振りまいていたのだが、もはや風羽関係なく盛り上がっていた。


「……ま、まあ、打ち上げで、な……。そのときのお楽しみってことで」


「マジかぁ!? ――おい皆ぁ!! 緑川が【あとで】、とっておきのダンスを披露してくれるってよ!! ……覚えとけよぉ~っ!!」


 そばで盛り上がるほかの連中に叫んで、「おー、脳みそに刻み込んだぜ~!」「ダンスとかマジ受ける……!」「まあそれくらいはやってもらわないとねぇ~!」「あははは馬鹿じゃん!」「よっし写真部いたろ!? 記録係な~! 吹奏楽部は伴奏係っ! やるぜぇ~きょうは!」「だれが伴奏なんかするかってーの! 勝手に決めんなっ!」「服、なに着てく……?」「俺は無難なのだなー」等々、話があっちこっちに飛んだり拡大したり……。俺への怒りすらどこかへ飛んで、実に楽しそうにしていた。相変わらず囲まれてる風羽……ファレイも、さすがに穏やかではあるが、にこやかに話を聞いてるし。まあ、悪い気分じゃない……な。


「……さ、皆! ここで盛り上がり切っちゃ、駄目でしょー!? ……さっき話した通りにね!」


 と、しばらくわいわいやったあとに、横岸が手を叩いて皆を促すと、「おー、そうだった」「あとでラインするねー」「ちょい、だれか金貸してくんねー? 実はわりとピンチっててさあ……」「ねーいっしょに行こーよ」とそれぞれ話しながら、グラウンドから引き上げてゆく。このは予定通り、打ち上げがあるのだが、その前に、教室で最後の打ち合わせをしてから、私服に着替えるため、各自いったん解散となっていた。


 それは、とくだん遅くなるつもりはないものの、それでも陽が落ちてから制服のままで街をうろうろするとややこしいことになる可能性もある、……たとえば夜の覆面見まわり教師たちとの遭遇とか、そうしたものへの目配りも欠かさないリーダー横岸の判断だった。陽キャグループはそのまま二次会的なものに繰り出すのに都合いいだろうし、そうでない面々も素直に従ったのは……ぶっちゃけ風羽の私服を見たいから。それに尽きる。


 制服姿、体操服姿は登校すれば見られるが、私服はそうはいかない。自宅も突き止められないようにしている(別に【人間】のストーカーを危惧してではなく、魔術士としての防衛本能)風羽の私服姿を見た者は、前の俺との買い出しを見られていなければ、おそらく皆無なので、これが本邦初公開となる。それを自分たちだけの【ご褒美】にせんがため、他クラスへはどこで打ち上げをするだとか、なにより風羽が参加するという情報をいっさい漏らしていない(聞かれてもしらばっくれたし、他クラスの者で、風羽自身にそれを聞く猛者はいなかった)。それはもう、見事なまでの団結力だった。


 しかしいまさらだが、風羽がここまで、男女の区別なく【人間】にモテるのはなんななんだろうな。実は魔術士で膨大な魔力があるから、というのもたぶん違うし、飛び抜けて美人ではあるけれど、たとえばタイプは違えど、ルックスのいいルイやペティがそれに近い人気を得られるかというと、ないような気がする。じっさいにルイは、横岸と初対面のときに、その内包している人間外の経験値を察せられて、「ヤバい」と言われているし。


 だから、なにかもっと、根っこのところで、【人間の】憧れをくすぐるものを持っている。そんなところだろうか。横岸じゃないが、決して手に入れられない【強さ】を、自分たちも持っている【弱さ】を土台として輝かせている――とか。だとしたら、単純にルックスはそれに気づくきっかけで、本質的には、横岸が風羽を、ファレイを求めていた理由と、皆も似た理由もので憧れていることになる。……いや、人間とか魔術士とか関係ないな。その具体的な理由すらも。


 生きる者が、別の生きる者に惹かれ、求めるのは――そうせずにはいられない本能だ。ファレイがモテて、求められているのも、ほかの生きる者よりも、その本能を刺激するなにかを持っているというだけで、理由がなんであるかは大したことじゃない。……と、いうふうに、いまはしておこう。そもそも「なんでアイツはモテてんだ?」とか分かるなら、それを本にして出したら馬鹿売れでひと財産できる。じっさいに、モテを実現できるかどうかはともかくとして。……それは生命体の、神秘の領域なのだから。


「いーい? 場所は駅前のカラオケ屋『りんどん』で、時間は17時だ・か・ら! 絶っっ対に遅れないようにっ! っていうかドタキャンバックレしらばっくれ、すべて禁止だからっ! ……寿命が惜しけりゃ約束は守るよーにっ!!」


 皆がとっくに更衣室で着替え、教室でのHR……ではなく打ち上げの最終打ち合わせも終えて去ったあと。ただふたり残るのは、先の考えごとをしていた俺と、その思考を追いやるように、制服の俺のそばでしつこく怒鳴りまくる、なぜかいまだ体操服姿の横岸。お前のその拘束のせいで約束を履行しようとする決意と時間が遠のいていくんだが、分からんのか? ……という心情は伝わらず、その漏れ出る嫌そうな表情かおのみが伝わったので、いよいよ念押しはヒートアップ。なのでさっさと逃れるために、逆に問いかけた。


「……ってかなあ、お前が急がなくていいのかよ、主催者だろ? もう一時間しかないぞ。まだ制服にすら着替えてもないし……。どこが家か知らんが、ほんとうに私服に着替えて、駅前こっちのカラオケ屋まで戻ってこられるのか?」


「帰らないわよ。服は持ってきてるし、あんたを送り出したらすぐに着替えるから。だから制服には着替えなかったワケ。……言い出しっぺの私が遅れるとかありえないでしょ。ちゃんと考えてるっつーの」


 馬鹿なの? と言わんばかりの半眼で見やる。それはそれは、立派なリーダーなこった……。けど、そういうことなら、……コイツ。


「お前……、汗まみれ、土とか砂もけっこーついてるのに。シャワー浴びないで参加すんの? それに化粧直したりとか……へぶっ!!」


「汗とか汚れとか濡れタオルで拭いたりスプレーでなんとかなるし化粧なんかあんたになにが分かんの!? ……マジ余計なお世話だしセクハラすんなっ! 主催者がのんびりシャワーとか浴びるわけないでしょーがっ! いいっ!? 私の望みはきょうの体育祭が打ち上げ込みで皆、大満足して帰ってもらうことなのよ! ……その辺のチャラ女といっしょにす・ん・なっ!!」


 ブチ切れたリーダーに罵倒と腹パンをくらい、へたり込んだ俺が起き上がる前に、ヤツは、「……ああ、そっか。別にあんたは私服に着替えなくてもいいんだわ。制服のままで。それに皆が突っ込んだら、『これが俺の私服どぇーすっ☆彡』とか言ってピースのひとつでもしたら、ちょっとは受けるかもしんないし。受けなくてもだれかが怒って場の熱が上がるだろうし。しらけたら……私がフォローすればいいもんね。うん。そうしよ。……お金は持ってきてるよね? つーかなかったら貸すから。あんたここに残ってて。はいケッテー」と、まくし立てるや否や、ズカズカ歩いて教卓の裏に手を伸ばし、幼児が遊びで使うような、象の絵がプリントされたちいさな青色のバケツをひとつ持ち上げると、教室を出ていった。……な、なに?


 唖然として、それから様子をうかがおうと教室から顔を出すと、廊下の向こうからさっきのバケツ……おそらく水を入れた……を右手にさげた横岸が歩いてきて、アゴで俺に引っ込むよう促した。まさかあれ、体拭くために()んできたのか? えええ……。


「はいはいさっさと戻って戻って~! そしてあんたには、いまから重大な任務があるから」


 俺を押し押し中へ入ると――ガラガラぴしゃん! と教室の引き戸を閉めた横岸は、俺の頭に浮かぶ、無数のはてなマークを無視して、自らが巻いていた、汗ばんだハチマキを俺の目に巻きつけると、言った。


「いまから私、体拭くから。全身。だから外したら殺す。……分かってるよね?」


「……はあ? い、いや、……お前なに言ってんの?」


「目隠ししたままそこにいて――って、言・っ・て・ん・の。……あと後ろも向いてて。戸に向かって。……はいこう!」


 そう言って、俺の体をぐるん! とまわすと離れ、カーテンの引かれる音がしたあと、近くでごそごそやり始めた。……コイツマジか。いかに目隠ししてるとはいえ、すぐ後ろにいるんだぞ? シャワーや化粧がどうのとか言っただけでセクハラ扱いしたのに。……どういう価値基準なのかさっぱり分からんが、音や気配からうそとも思えないし、ここはおとなしくしてたほうが無難だな。


「……ほんっと。【本気の気配】はちゃんと察せられるというか、そういう場合に限っては、のみ込みが早いというか……。あんたのほうが、風羽さんよりも分からないわ、……私には」


 ぴくりとも動かず、言葉も発せずに横岸に背を向けて立つ俺に対して、呆れた声が飛んでくる。それと同じくらい、俺は呆れる声で返した。


「俺にはお前が分かんねーよ。外に出さないで、わざわざそばで着替えてるってことは、俺が逃げるのを阻止するためだろうし、俺を参加させたいのは、フ……、風羽の参加を確実にするためだろうが。それって要は皆のためだろ? ……そこまでして主催者の、リーダー? の責務を果たす必要あんのかよ」


「皆のためにそこまで骨を折るほど、私は善人でも利他的でもないし、あんたの前提が間違ってるから。ぜんぶ私個人の、単なる欲のためよ。……これまで何度も言ったでしょ? 私は強くなりたいの。乱暴に言えば、今回のも含めてぜんぶ、そのための行動よ」


 言葉のあと、水の音がした。……俺の存在もだが、だれか来たらどうすんだろうな。教卓のうしろにでもとっさに隠れるとか? なんにせよ、【なにがアイツの最優先なのか】はよく分かったし、……相変わらず【意味が分からんのも、よく分かった】。 


「……なに。もう突っ込みはなし? そのほうが面倒がなくていいけど」


「ああ。けど、ひとつお願いはあるな。逃げないから、目隠しを取って外に出させてくれ。……見張りがいたほうがいいだろ? いまお前がやってること的に」


「必要ない。正確には、あんたの言うようにするほどのが、だけど。……いいからそのままで、い・て。あんた、逃亡常習犯なんだから」


 なんちゅー物言いだよ、……と思ったが、よくよく思い出してみれば、確かに、いままでさんざんコイツにいろいろ押しつけてバックれてたわ。す、すみませんでした……。


「……分かったよ。まあ、もしだれかがのぞいたり、入って来たりしたら、お前の声で気づくしな。そんときなんとかするわ。……そもそも、そういう危険とかも承知でやってんだろうし。それこそ、【余計なお世話】だよな」


「……もしひとりきりなら、こんな鍵もないところで服を脱いだりしないわよ。まだ私は、そこまで【強くない】から。……でも、たとえ目隠ししてても、私の見立てでは、クラスのだれより【強い】あんたがいるからこんなことができるってこと。いざというときでも、なんとかなるって思える。私のカンではね。……もしあんたを帰してたら、更衣室に行くつもりだったし」


 淡々と声と、そして何度目かの水音が響いてくる。俺はため息をついたあと、ぼそり返した。


「【俺の強さ】とやらは、ずいぶん信用されてるようだが、【俺自身】のことは、まったく信用してないだろ、お前。……もし、俺がこのハチマキ(めかくし)を取って、振り向いたりしたらどうする気だ」


「言ったでしょ。【殺す】って。大声あげて、動画を撮って、ラインに即上げ、ハイおしまい。それで社会的にあんたは死ぬ」


「……。ちなみに、もしいま、じっさいに俺が無理やり逃げ出したら、追いかけられないと思うんだが。まともに服着てない状態なら。……そっちの対策は?」


 俺はひきつった笑いを浮かべる。するとそれと対照的な、楽しそうな声が響いてきた。


「この距離ならどこかはつかめるから、ほんとうに逃亡それやったら、あんたは絵面えづら的に、追いすがる半裸の女を振りほどいて逃げることになるんだけど。あとあとのことを考えたら、そこまでして逃げるメリットがあんたにある? ……そもそも振り向くとか、するわけないくせに。あんた、私に興味なんかないんだから。そういう【信用】はあるからやってんのよ」


「あっそう……。大した【信用】だこと……」


 顔をしかめる俺の耳に、ちいさな笑い声と、タオルを絞り、水が落ちる音が響く。それからまた、横岸の言葉が届いた。


「そういえばあんたさあ、昼休みのことなんだけど……」


「……やっぱきたか。なに言うか知らんが、もー勘弁してくれって。どんだけ連中からぎゃーぎゃーやられたか、お前も見てただろー?」


「やっぱ……? あのねえ……。私が聞きたいのは、皆みたいなことじゃないから。そんならあんたが責められてるときに交ざってるでしょーが。……あのいっしょにご飯してた、中学生くらいの女の子のことよ。あの子って、……あんたの妹?」


「……はあ? 違うけど。あの子は幼馴染だ。俺は兄弟とかいないし」


「へー……。ひとりっ子か。じゃあ、あの格好いいおじいさんと、元気なおばあさんは?」


「ちょんまげイケメンじいさんは、俺の身内だよ。おばあさんのほうは、近所の人で、さっきの幼馴染の子のおばあちゃん。この人も家族同然の付き合いを、昔からしてるけど。きょうみたいな催しには、だいたい顔を出すし。……ちなみに先に言っておくが、風羽を含めてあとの面子めんつは、たまたま同席することになっただけだからな? とくに、あの黒いスカジャンの女は恋人とかじゃないから」


「だ~か~ら~、後半の情報は要らないって。そんなの見れば分かるわよ。……男の人は、前、あんたと自転車をふたり乗りして【壁】を下ったあとに会った人でしょ? あの女の人といっしょにいた……。確かそのとき【同郷】……とか言ってたし、あの人たちとは、なんらかの関わりがあるんだろうけど、身内って感じじゃないし、スカジャンの女の子は、それよりも付き合い浅そうだったし、まったく恋人になんか見えないわ。……で、おじいさん、おばあさん、あの女の子は身内の人かなって、そう思ったから聞いたのよ。空気感がぜんぜん違うから」


 シュッ、シュッ……とスプレーの音と、かすかな甘い、リンゴの香りが漂ってくる。……俺たちのことを、たぶんそんなに長くもない時間、遠くから見ただけで……。ほんとう、言葉通りの洞察力なのか、直感なのか、その両方か。コイツの感覚は鋭すぎるだろ。

 に、しても妹、ね……。すいちゃんには絶対聞かせられない言葉だな。俺といて、そういうふうに見られるのをいちばん嫌うから。……でも、感覚のいい横岸からしても、やっぱり俺たちはそういう空気感なんだろうな。


「ひとりっ子、か。……ふーん。【お兄ちゃんじゃない】んだ……」


「……なに? いまなにか言ったか」


「別になんでも。……さー終わった終わった。外すよー」


 言葉とともに、するりと俺からハチマキが外されて、視界が戻る。何度かまばたきしてはっきりさせたあと、振り返ると……、腰に手を当てた、長い薄緑のフレアスカートに、白のパーカーを着た横岸が立っていた。


「はい、だれも来なかった、よかったね! ……それと化粧がどうとか言ってたけど、私、リップだけだから」


 そう言って、引っかけていた薄緑のボディーバッグを開けて、中にあるポーチから、すばやくリップを取り出して塗りつけると、横岸の唇がうっすらピンク色の輝きを帯びる。

 その様子を見て、俺が苦笑してうなずくと、「なに? なんなのその納得した、みたいな表情かおは。ムカつくんだけど」と睨まれるが、俺の本能が余計なことを言うなと告げているので、ただ自分の欲求だけを伝えることにした。


「……あの。顔、洗ってきてもいいかな? さすがにべたつくし……。気になるなら、ついてきてもいいから」


「いや、あんたも体拭くんだけど。なに言ってんの? 予備のタオルと、スプレーも貸すつもりだったし。……ほら早く服脱いで! 時間がないんだから!」


「え~っ! 俺も……って! だ、だってだれか来たら……!」


「……なにキモいこと言ってんの!? あんたの裸をどぅわ~れが見・る・の・よ! いーから脱げっ!! そんな汗臭い男が紛れ込んだら、打ち上げが台無しになるでしょーがっ!!」


 まるで追いはぎよろしく横岸が襲いかかってきたので、俺は高速首肯して学ランのボタンを外し始める。すると、「こっちのバケツの水は使ってないから、これで。……さあ早くっ!」と、かの青色の象バケツと新たなタオルを押しつけてきた。……ええっ? でもこれは……。


 疑問に思うもすぐ、横岸の後ろに、こちらも幼児が遊びに使うような、ひまわりの絵がプリントされた、同じくらいちいさな黄色のバケツがあることに気づく。自分のは、あっちに移して使ってたってことか? もしかしなくても、俺にも拭かせるために、だよなあ……。

 さいしょは俺に貸す予定じゃなかったわけだから、ふたつも持ってきたのは、念のため? 予備? よく分からんが、なんともまあ、そういうとこからも、【意味わからんアイツ】の性格が見えるというか……。


 思わず漏らした笑いが横岸に見つかったため、ぎゃーぎゃー言わる前に、俺は借りたタオルをバケツに突っ込んで、「目隠しはいいから、後ろ! 向いてろよ。女子に見られながら体を拭く趣味はないからな」と告げると、「……私にそんなものを見る趣味があると思ってんの?」とマジキレトーンで首を傾げられたので、「す、すみません……。手早く拭かせていただきますので……」とインナーのTシャツに手をつけたところで、横岸はおおきくため息をついて、背を向けると離れてゆき……俺の席に腰をおろしてスマホをいじり始めた。

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