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第67話 猶予の言葉

「ねーっ、スマホって持ってったらバレるかなあ」


「バレるってか、落とすか失くすでしょ。……彼氏来るんでしょ? ならいいじゃん、直接話せば」


「そういうんじゃなくてぇ~、ヒマじゃんヒマ! ヤルのも待つのも、マジかったるぅ~」


「しょーがないって、そーゆーもんだし。……てきとーにしてよー、てきとーに」


 そう言って、クラスである、半そで半パン姿の女子はだるそうに手を振り、もうひとりの女子もげんなりした表情かおで肩を落とし、ゾンビよろしく下駄箱を閉め、グラウンドへ歩いてゆく。いっぽう我がクラスの面々は、


「おいっ! ウォームアップ、しっかりしとけよっ! あと応援も! 応援団任せにしてんじゃねーぞっ!」


「分ーってるって! つーか仕切るな! お前に言われなくてもな……!」


「ねー応援っ! 皆でハンカチ振るっていうのがやっぱいいんじゃない!? ……タオルのほうが目立つか! それでいこーよー!」


「目立つってならさー、シャツとか振りまわす!? あと掛け声はさっき言ったの……『れーいっ! れーいっ!』ってゆーの! それおっけーだって!」


「そ……、それってほんとに風羽ふわさん怒らないっ!? だ、大丈夫かなぁ……」


「横っちがイケるって言ってたし大~丈~夫! それに風羽さんはもー【ウチクラ(※うちのクラス)】の魂だからっ! これ以外に気合の入る言葉なんてないっ!」


「おーいドリンク確保なーっ!? ボックス運んどけよーっ!!」


 ……と、ひとクラスだけ明らかにテンションが異なり、まるで全国大会に出場する部活よろしく、全員真剣な面持ちで、次々と勢いよく下駄箱を閉めて開会式場であるグラウンドへと向かっていた。


 そんな我がクラスの様子を奇異な目で見たり、鼻で笑いつつ、他クラスの面々もグラウンドへと歩く。そして俺は、風羽ことファレイとともに、クラスメイトたちから少し遅れて歩いていた。

 ふだんならギャーギャー言われるところだが、教室を出る前に、俺が風羽に頼み、「二人三脚について、ふたりで最後の打ち合わせをしておきたいの。開会式が始まるまで」と皆に伝えてもらったおかげで、俺とともにいることを彼彼女らが許している、といった感じだ。ただ、その打ち合わせというのは、すでに済んでいるのだが……。


     ◇


「いいか? 前に言ったように、今回は魔力はいっさい使わずに競技に出るからな? ……それは絶対に守ってくれよ」


 皆が教室を出たのを確認したのち、喧噪の去った教室内で、俺は小声でファレイに念を押す。ファレイはその言葉に、「わ、分かりました。しかし、きのうはけっきょく、あの者……ペティ・レングレスの件もあって、練習もできず……。どのようにして【勝ち】を取りにいけばよいのでしょう? は、恥ずかしながら、私の、魔力を使わない場合の走力は、並の人間の少女とさほど変わりないのですが……」と恐る恐る尋ねてきた。


 俺の脚が平凡であることは、以前に伝えてあるので、自身のそれと併せて、勝利の目が見えないのだろう。その結果【負け】が確定することで、自分がどうこうではなく、俺が皆に糾弾きゅうだんされることを恐れているのだ。そんな未来げんじつを、すでに想像してしまったのだろう、目に弱々しい光を宿すファレイに、俺はため息をついて返した。


「これも前に言ったことだが。俺は惨敗してもいいし、そもそも一着や二着、上位を取ることが【勝ち】というわけじゃないんだよ。要は俺とお前、【緑川晴みどりかわせい】と【風羽怜花れいか】が特別親しい関係であると思われないように……、まあ、いまとなっては、長年の『ネッとも』という設定に加えて、ルイが教室に乗り込んできたときのこともあって、わりと親しいとは思われてしまってはいるが。ともあれその認識を、もうこれ以上に深めたり広めたりしないことが、俺にとっては【勝ち】だ。緑川晴としての生活を守るため――ファレイおまえとの関係性から、セイラル・マーリィの存在を、そこへ紐づけされないため――にな。……ただ、最低限の形にはしておきたいとは思う」


 ファレイは俺の言葉に、わずかに目を細める。俺は補うように、続けた。


「つまりこけるとか、まともに走れないとか、そういうのはけたいってことだ。さすがにあれだけやる気になっている連中に、水を差したいとは思わないし。……そのためにどうすればいいか、さっき着替えながら考えたことを言う」


 遠くに響く騒がしさを耳に感じつつ、言った。ファレイはドアの外をチラ見してから、やはり不安そうな表情かおで向き直る。俺はそんなヤツの手を取り、自身の心臓に当てた。


「セ、……! セイラル様っ!?」


「静かに。ドア閉めてないんだからな……。いいか? 確かにいまの俺には、かつてお前と過ごしたという、はっきりとした記憶はない。だけど前に入れてもらった紅茶の味も含めて、この心臓、この肉体には、お前と過ごしたときの鼓動じかんは残っている。【覚えてなくても覚えている】んだ。その肉体の記憶を少しでも引き出すことができたなら、たぶん、【それなりのもの】は、皆に見せられるはずだ」


 俺は自らの鼓動が、ファレイの白い手、細い指に伝わっているだろうことを感じて続ける。


「なにより、過ごしたのは魔術士としての日々だしな。組手的なものも幾度となく繰り返したんだろうし、肉体動作の同調くらいは、【それなりに】できるんじゃないのかと思ってさ。魔力なしでも。……そういう訓練もしていたんじゃないのか?」


「あっ……」


 ファレイは、なにかに気づいたように口を開けるが、すぐに閉じる。そして手に力を入れた。それでわずかに俺の体操服にシワができ、胸に伝わる体温が高まった。そんなヤツの手を、俺はゆっくりつかんで自身の胸から離し、おろすと続けた。


「……セイラルおれに関することは答えられないんだから、答えなくてもいいよ。ただ、話の根拠としては、いまお前の手をつかんでみても……。そうした触れ合いが一度や二度じゃないことは、なんとなく分かったしな。確かにそんなことが、……お前との日々があったことが。……だからたぶん、無様な結果にはならないんじゃないかと思う」


 俺はファレイの手をつかんでいた右手を握ったり開いたりする。これも魔力値が急激に上がったせいか、ルイにつけてもらった修行のおかげか。はっきりとした理由は分からないが、ファレイと再会であってからどんどんと、彼女が自分の従者であったことが、実感として感じられるようになってきた。耳に届く言葉も、いまのような肉体の触れ合いも、出会ってひと月も経たない相手のものじゃないと、身体が教えてきたのだ。


 俺は息をはいたのち、ファレイを見やる。ヤツはいつの間にかうつむいていて、長い前髪によって表情かおはよく見えないが、暗いものは感じられなかったので、なにかを思案しているのか。……まあ不服がある様子ではないので、【それなりのもの】は見せられると納得できたのだろう。

 俺は頭をかくと、再びファレイに声をかけようとしたが、その瞬間、ファレイは顔をいきなり上げて、俺の手を取ると自分の胸に思い切り押しつけてきた。……なっ……!


「お、おいこらっ! なに考えて……! だれかに見られた、ら……」


 俺は慌てて言い放つも、すぐに言葉を失う。ファレイが目に涙をためて、手を震わせていたからだ。ヤツはその震える両手で俺の手を包み込み、胸に押しつけたあと、今度は上に動かして【魔芯ワズ】に押し当てる。そこからは銀の光が漏れていた。


「申し訳ございません。……私は……。やはりいつまで経っても愚かな弟子です。セイラル様のお教え下さったことをすっかり忘れ……。さいしょから、きちんと、この身に授かったことを思い出せばよかっただけなのに――。……もう、大丈夫です。……必ず、【勝ち】ます」


 光が消えたころには、涙もぬぐわれて、ファレイのまなざしはゆらぎもなく、まっすぐに俺だけを見つめていた。そして、ファレイは自身の【魔芯ワズ】に押し当てた俺の手を、静かにおろし……。俺は温かさの残ったその手にわずかに目を落としてから、軽く握ると、ぬくもりは体の奥に消えていった。


「……必ず、というほどの自信は、俺にはないんだがな。まあ、なんとかなりそうなら好かったよ。……じゃあ、行くか」


「……はいっ! どうか結果を、楽しみにしていて下さいっ!」


 ファレイは【魔芯ワズ】と心臓の間辺りをとすん、と叩き、身体をずらして一礼し、道を空ける。こんなことくらいでも、あるじ……師を立てることを忘れないファレイの態度に、思わず苦笑しつつ、俺は自分が先に出ることはせず、ぽんっ、とファレイの背中を押して廊下へと押し出した。


「セ……、セイラル様っ?」


「二人三脚っていうのは、対等なパートナーなんだよ。一心同体になれるかがカギなんだから。つまり俺とお前はいま、対等なるクラスメイトの【緑川君】と【風羽さん】だ。……それを忘れりゃあ、【必ず】が必ずじゃ、なくなるぞ」


「……っ! も、申し訳ございま……」


「だからぁ、だれがどこから見てるか分からんから、や~め~ろっ! ……ほら行くぞ!」


「はっ……! あ、いえっ! ――う、うんっ!!」


 俺が廊下を駆け出すと同時に、ファレイは慌てて後をついてくる。その廊下と上靴がこすれる足音は、階段へ差し掛かるころには、やがてひとつに溶け合っていた。


     ◇


 そうして教室を出たあとは、無言のまま俺とファレイは皆に続いてグラウンドへ歩き、それからしばらくのちに開会式が始まった。


 俺のクラスの面々は、やはりびしっと背筋を伸ばし、真剣に選手宣誓や校長のありがたいお言葉、教師の注意事項等を聞いており、こそこそ雑談する他クラスの生徒たちとは対照的だった。そういう雰囲気はなんとなく伝わるのか、やがて、「……アイツら、マジくね?」「なんか(勝敗に)かかってんのか?」「阿呆くさ」「風羽怜花のクラスだよな……」等々、ただ奇異の目で見るだけではなく、ひそひそ話までされるようになる。しかし、そうした雑音はいっさい耳に入れず、皆は開会式が終わって競技者と応援席に分かれても、各自意識は統一されたままだった。去年とぜんぜん、違う……。ファレイ、もとい風羽にいいところを見せる、それで話しかける、仲良くなるきっかけにする、……ってことが、どんだけモチベーションにつながってるんだよ。たぶん去年と違って、風羽の出る、体育祭後の打ち上げパーティがあるせいだろうが。


 俺は競技場に張り巡らされたロープの外に設けられた、クラスの応援席(イスを並べただけだが)に腰かけて、そんな周囲の熱を受ける。風羽は俺とは少し離れた女子スペースの、真ん中くらいの席に、いつも通り背筋をぴんと伸ばして競技場の様子を眺めていた。風羽のこの様子は、去年と同じような感じだったと思うが、違うのは先に述べた周りと、あとはこそこそ隠し撮りをしていた連中が皆無だということだ。

 これに関しては、なにも示し合わせてはいないが、たぶんクラスの連中は『やせ我慢』をして、一年に一度の、【体育祭にのぞむ風羽怜花】という、学年一の隠れアイドルの、レアなシーンを自分たちでも収めず、他クラスの隠し撮りも徹底してガードしていた。意識が高くなったというか、より純粋に、風羽ファンクラブ的な結束が高まったというか……。風羽は自分がひそかに撮られようがいっさい気にしていないのだが、ファレイとして関係ができているいまの俺としても、それは気持ちのいいものではないので、少しほっとした。


≪ただいまより、全学年・男子200m走を開始します。出場選手は競技場へ入場して下さい≫


 実行委員のアナウンスが響き渡る。俺はプログラムが印刷された用紙を半パンのポケットから出し、開けて目を落とす。このあとに全学女子200、 全学男女混合リレー、応援団……と、その後もいろいろ続いてゆき、俺と風羽の出る二人三脚は、午前最後の昼食前となっている。俺は二人三脚以外は、午後のクラス全員出場させられる綱引きと、パン食い競争しか出ないので、しばらくヒマというわけだ。……競技に出ない、という意味ではだが。


「ほ~らほら晴っ! アンタ、競技が始まったらなにやるか分かってるでしょーねっ!? こーゆーのは統一感が大事なわけよ! ……打ち上げで居心地悪くなりたいくないでしょー?」


 半笑いで凄み、クラスのリーダー的存在たる横岸よこぎしが、茶色のショートボブを揺らしながら、俺の頭を何度もつつく。俺は揺らされた頭をだるそうに元へ戻すと、腰に巻きつけていたシャツをほどいて、掲げてみせた。


「これを振りまわすんだろ? それで……、『れーいっ! れーいっ! ふぁあいおーれーいっ!』だったか。いまさらだが、クラスの組名とかじゃなくてもいいのかよ」


「いーのよそれでっ! 統一感・連帯感・一体感が大事なんだからっ! それをいちばん引き出すワードが【れいそれ】なワケ! 風羽さんにもちゃんと私が許可取ったから問題ない! ……問題があるとすれば、テキトーにへなへなとシャツを振りまわすであろう、アンタの行いよ」


 そう言って、ぽん、ぽん……と肩を叩き、「いい? 分かってるわね?」と無言の圧力をかけてくる。今回の、クラスの様子は風羽が原因であることは間違いないのだが、それを先導したのは、この横岸である。やっぱり集団行動においては、なんでもリーダーってものが必要なんだな、と心から思わされる。そして、そんな集団にいる以上は、異分子となってややこしい目に遭わないためにも、合わせておかないといけない、ということか……。


「分かった。ちゃんと応援するよ。……だから俺が出る競技も、ちゃんと応援してくれよ」


 俺はそう言って、さっき横岸にされたように、指でヤツの額を押した。それが予想外だったのか、横岸は目を見開いて押された額を押さえ身を引くと、やや赤い顔でまくし立てた。


「わ、分かってるってーのっ! っていうかー、アンタの応援じゃなくて、【風羽さんの】応援だからっ! 皆、そうなんだから……!! あ、あんたはせいぜい風羽さんの足を引っ張らないように、全力を尽くしなさいよっ! 場合によっては、私でもカバーしきれないんだからね……!」


 何度も指差し、ぷいっ! と背中を向けて女子ゾーンへ戻ってゆく。その際に、ぴりっ……、とわずかに電流めいたものが背中に走り、俺は風羽のほうを見たが、ヤツはさっきと同じように、まっすぐ競技場を見ていた。……まあ、そんな知らんぷりしても、アイツ以外にこの刺激は与えられないんだが。横岸と絡むのがそんなに腹立つのか? しかしふつうに話している分には、びりびりが飛んでくることもないし。……基準がよく分からん。


 俺は背中をさすりつつ、≪次の走者は、準備して下さい≫というアナウンスとともに、周りが立ち上がってバタバタとシャツを振りまわし始めたのに合わせ、自身のシャツを手に取り、腰を上げると、覚悟を決めて……、「……れーいっ! れーいっ! ……ふぁあいおーれーいっ!」と、皆に合わせて声を飛ばし、それはすぐに号砲と溶け合って空に広がった。


     ◇


 そうして――。

 競技は滞りなく進んでゆき。時は流れて二時間半後。


「お疲れおめ~っ! マジおがっちはや~いぶっちぎりの一位っ! これでウチら、学年別で二位よ二位っ!! ちょーすごくないっ!?」


「あり~っ! んま~こんなもんよっ! なにせ俺らには 風 羽 さ ん ってゆー女神がついてるもんなあ! ほかのクラスは女神なしの 人 間 ど も だけよっ! ……ま、ほんとは一位目指してたんだが、まだまだ後半もあるしな! イケるんじゃね!?」


 わっはっは……! と大笑いで応援席に帰還したのは、体育祭最大の目玉のひとつである、100m走で一位を取ったサッカー部の小川おがわ


 気合や覚悟というのは恐ろしいもので、肉体の能力を想像以上に底上げし、元々運動神経のいい者たちはその力が倍増されて、それほどではない者たちにおいても(気迫をまき散らしたことで、周りを引かせたことを入れても)、ある者は思いがけないほどの力を発揮し、ある者はほんとうに潜在能力を開花させて、自分自身や家族を含む応援者たちをも驚かせた。そんなこんなの積み重ねが、決して運動部が、その中でも強者が多いとも言えない我がクラスを、なんとほとんど差のない学年二位まで押し上げていた。……そう、次の午前最終種目である、二人三脚で逆転できるほどに……。


「さぁー皆っ! 次は風羽さんが出る二人三脚だからっ! いままで以上に応援するよ~っ!! ……準備おーけーっ!?」


「「「「「「おーけーっ!」」」」」」「「「「「「まーかせとけっ!!」」」」」」「「「ここでしなきゃ」」」「「いつするーってのーのっ!!」」


 と、横岸の言葉に、息の合った返事を返すクラスメイトたちの大声は、ゲート前で出場待ちしている俺と風羽のところまで届いていた、一言一句。……会話のすべてがでかいんだよ! さっきから、まるでほかのクラスに聞かせるように話しているが、煽ってるのか? そのせいでものすごい、こっちは居心地が悪いんだが……。


 俺はちくちくぞわぞわ、ファレイの通電的な魔力伝達とはまた違った刺激を、背中の辺りに受け続けてげんなりする。だれもひそひそ話をしたり、話しかけたりこそしていないが、明らかに意識が俺と風羽へ向いていた。いつもなら風羽さんラブ、みたいな好意的な視線が、「なんでコイツらはここまでやる気になってるの?」という開幕当初からの疑問が、じっさいにそのやる気が結果として出ているいま、なんとなく、だらだら出場している自分たちが責められているような気がしてきたのか、風羽にすら、敵意に近いまなざしを向けていた。俺になどはもう完全に敵意。……そして、


〖……そんなに【言う】なら、本気でやったろうじゃんか〗


 という気合いも。つまり、俺たちのクラスの気合いが全出場者に、【伝染うつった】のだ。よりにもよって、俺たちの番でそうなるか? ……【それなりのもの】を見せられるか、少々不安になってきた。


≪ただいまより、全学年・男女混合の二人三脚を開始します。第一走者はスタート位置に移動して下さい≫


 そんな俺の不安をよそに、アナウンスが響き渡る。それにより、前のほうの出場者が移動を始め、俺たちも少し前進して、またしゃがむ。隣の風羽は平静を保ったまま、しずかに待機していたが、俺の視線に気づくとにっこり……愛らしい笑みさえ浮かべる。教室を出てからは、いっさい態度に揺るぎはない。かつての記憶があるファレイにとっては、ほんとうにかつてのセイラルおれが教えただろうことを思い出しさえすれば、楽勝ということなのか。こっちはだいたいの感触、カンで言った身なので、コツなんかがあれば教えて欲しいものだが……。俺に関することを俺に伝えてはならない、という命令が出ている以上、どうしようもない。ほんとう、過去のセイラルおれはどういうつもりでそんなことを言ったんだろうか。……納得する【答え】を用意してるんだろうな。――俺よ。


「…………ーさんっ! ねーさんっ!! ふぁいおーっ!! ふぁいおーっ!! が・ん・ば・っ・て~!! ……そ・し・て!!」


「…………ぇいっ! せーいっ! 晴クーンっ! ラーぁブっ! ラブ~ぅっ! あ・い・ら・ヴゅぅーっ!!」


「……。……はっ?」


 不意に大声が響いてきて、俺は顔を上げる。すぐさまあちこち見まわすと、保護者・関係者席の最前列に躍り出て、黒いスカジャンと、青いデニムのミニワンピのお下げ髪、かのペティ・レングレスが……どこから持ってきたのかタンバリンを叩きながら叫んでいた。ラブ……ばっ!! あ、あの女……っ!! あんなにしおらしく戒めだとかなんとか言っておいて……なにを口走って応援しとんじゃーーーーーーーーーーーーーっ!!


「……。応援……団。ふふっ……。それは【ああいう】……? まったく、あの子はいい歳をして、言葉の使い方もままならないようね……」


 ゾクっ! とかの電流めいたものが背中に走り、それ以上に殺気と、立ち上る銀光が俺の目を焼く。お、おい、おい、おいっ! なんちゅー量の魔力を放出してんだっ!? こ、こんなもの、ここで魔術士とかリフィナーでも来てたら、すぐに反応して……っ!


 俺は慌てて、再び辺りを見まわすとすぐ、右頬にちくり、魔力が刺さって、飛ばされてきただろう方向を向く。救護テントの近くに立つ教師、和井津わいつことロドリーが、苦い表情かおで俺を見て、かぶりを振っていた。「や・め・さ・せ・て」という口の動きははすぐ分かったが……すぐにまた、左の頬にも魔力が刺さり、そっちを向くと、今度はペティとは別の保護者・関係者席の最前列にいた、身体のラインが出るいつもの黒シャツと、青ジーンズ姿のルイが……鬼の形相になった黒長髪の彼女が目に入り、≪なんだアイツは? お前、ああいうのが趣味なのか?≫と、ファレイの状態ではなく俺についての文句を【伝達魔術リドー】で飛ばしてくる。その隣では、青シャツに黒いカーディガンを羽織う、ダメージジーンズ姿の、兄のリイトが大笑いしてコーラを飲んでいた。……なんで来てるのあなたたち!? 俺、なにも教えてないんだけど……じゃなく!! とにかくファレイにこれをやめさせないと……いったいどうしたら……。


「……。……あ」


 おたおたする俺の目に、続いて飛び込んできたのは、ペティから少し離れたところで立つ、リイトのごとく大笑いする坂木さかきのおばちゃんと、苦笑しているじいちゃんと……。そんなふたりの間に立ち、ペティの騒がしさを無視して【俺だけを】、おおきな目で遠くから一心に睨みつけている……、白いインナーに薄水色のサマーニット・カーディガンを羽織り、ヒザ丈の白いプリーツスカートといった、お洒落をしたすいちゃんの姿。……キ、キミにも言ってないんだけど……。おばちゃんじいちゃんが来るなら、そりゃ、来るか……。魔力がなくても、騒ぎにならなくても、あの子の目がいちばん、怖い……。


 俺は頭の中で、≪……コラ晴っ! 私を無視するなっ! ……あのガキ臭い女はだれだと聞いてるんだっ!≫と響く師匠の怒声と、「なんだあの女……?」「だれの応援? ……せい?」「すんげー愛されてんなー」「かわいーじゃん」等々の雑音を無視し、とにかく隣で燃え続ける相棒を鎮めるために、その背中を叩いて耳打ちした。


「……おい魔力を抑えろっ! どんなヤツらがここに来てるか分からないんだからな……。ペティの言うことは無視だ、無視! アイツはあんなことを言ってるが、ちゃんと分かってるはず……だから。ただの応援の文句だよ……」


「恐れながらかの者の文句のチョイスが果てしなく不快で間違い過ぎていると存じます打ち上げには出ると申しましたのでその――あの者にはきっちり目上に対する言葉遣いとはなにかということを教育しておきたいと思います時間の許す限りに」


 恐ろしい早口でまくし立てたあと、ファレイはようやく銀光を消したが……犬歯をむき出しにして、歯ぎしりしていた。……これ以上、なにかを言うのはやめておこう。べ、別に怖いからじゃ、ないからな? 心を落ち着けるのに邪魔になったら不味いからというだけで。……もうすぐ出番だし!


 俺は自分の心を誤魔化すようにして、深呼吸する。するとそれに合わせるように順番がまわってきて、俺は猟犬を引きつれる猟師のようにファレイを促し前へ。スタートラインに立った。こ、こんな状況で大丈夫なのか……?


 俺はちらりとファレイを見やる。するとさっきまでの犬歯むき出しの様子はもはやなく、落ち着いた様子を取り戻していた。……そういやコイツ、切り替えが無茶苦茶早かったか。助かったけど、こっちのほうの調子がまだ戻っていない。なんとかなるはずだ、とは思うが……。


 すでに結んだ、自身の右足首とファレイの左足首を見おろしつつ、俺はファレイの肩に手をまわす。それに応じて、ファレイも下から、俺の背中をなでるようにしてまわし、俺の肩に手を置いた。と、そのとき、ファレイはちいさくつぶやいた。


「……セイラル様。私は貴方にとって……【なんでしょう】か?」


「えっ……?」


≪位置について。……よいー、ドンっ!!≫


 アナウンスと同時に号砲が鳴り響き、各組いっせいにスタートする。だが俺は、ファレイの言葉に気を取られ、若干出発が遅れてしまう。ただ、ファレイがそれに合わせてくれたので態勢を崩すことはなく、すぐにほかの組に追いついた。距離はトラック一周、200m。二人三脚としては、けっこう長いほうだろう。そしてその長さが、単純な勢いだけではない、コンビとしての相性が試されるとも言える――。


 俺は必死に心を落ち着け、ファレイと足並みを合わせる。うまく走れてはいるが、それはファレイが絶妙な速度、歩幅で俺に合わせてくれているからだ。……俺が言い出したことなのに、俺のほうはてんで駄目。しかし、そんな失態を恥じることよりも、俺はファレイの言葉に気を取られ続けていた。


 自分を従者とはっきり明言し、友などの、隣に立つことすら拒み、常時控えめに、自分を下げて俺を立てる……という態度のファレイが、あれほどはっきりと言いよどむことなく、自分の価値を問いかけたことに驚いたからだ。私なんて……そんな恐れ多い……という卑下も謙虚もない。そして傲慢でもない。ほんとうに自然な、しかし切実な問いかけだった。もしかして、さっきのペティの言葉も関係しているのかもしれないが……。


「いっけーーーーーー!!! 『緑かけ』っ!! 風羽さんに恥かかせんじゃねーーーーーーーーーーっ!!」


「れーいっ!! れーいっ!! ふぁいふぁいおーっ!!」


「ぜんぜんいけるっ!! ぜんぜんいけるからぁーーーーーーーーーーー!! そのままぁーーーーーーーっ!!!」


 クラスの応援が耳に飛び込んでは、俺の思考をけて抜けてゆく。いま、自分がどの位置にいるのかもはっきり分からない。ただ、ファレイの体温が、鼓動が……そして息遣いが、胸の奥に響いていて、それが完全に俺のものと重なったとき、【気づいた】。……そうか。ただ驚いたからじゃない。【これも】初めての問いかけじゃない。いつか……似たような言葉を……ファレイに。俺はそのときに――……。


     ◇


     ◇


――……おいクソ垂れ目。お前はなんで私を拾ったんだ? ……お前にとって、なにか得があることだったのか。答えろよ――


――得? ははっ……。お前は相変わらずのガキだな。……その損得勘定は間違いではないが、正しくもない――


――ちっ! またいつものもったいぶりか……! どうせろくでもない理由に決まってるんだ。じゃないと私なんか拾うわけないんだ……――


――ふっ……。その様子じゃ、【まだ】言っても意味がないな。いつかお前が、自分を……、世界を。きちんと見つめれるようになったら、教えてやるよ――


――うるさい垂れ目っ!! ……もういいっ!! いまのは忘れろっ!! なにが自分だ、世界だ……! お前はただのもったいつけ野郎だっ!! ――


――……そうさ。大事なことは、もったいつけるものなんだよ。相手にも、大事に受けとめてもらうためにな――


     ◇


     ◇


「……。いまは……――俺が【まだ】だ。……ったく。うまくいかないようにできてるなあ……」


「……――……えっ?」


 俺は駆け巡った記憶が、いつものように消えゆくと同時に、全身でファレイの存在を受け止めて、魔力ではない【なにか】がつながったのを感じる。ファレイもそれに気づいたようで、こちらを見はしなかったが、俺たちはすべての細胞がひとつとなったことを理解して、互いに構わずに足を出し、呼吸をし、前へと進みだす。


「……おっ!? ……おいおいおいっ!!」


「……!? おいあれ!! すげーっ!!」


「ちょっ……ちょっとちょっと!! マジ!? ……すごすぎるんだけどーっ!!」


 クラスメイトたち、それにほかのクラスや保護者関係者の席からも歓声が上がり、俺たちの前を走っていた組も思わず振り向きこっちを見る。だが俺たちは彼彼女らを見ずに、ただひとつの生命体となって風を切り、土を蹴り、あらゆる音を裂いて……ゴールテープを切るまで一気に駆け抜けた。


「いっ……!」


「「……いっ!!」」


「「「「い・ち・い・だぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」」」」


 何人かが声を上げた瞬間、場内はおおきく沸き上がり、≪ちょっ……! 競技場に入らないで下さーいっ!! 危険ですから……!!≫というアナウンスが響く中、俺とファレイの周りには笑顔にあふれる人だかりができた。さすがにどさくさにまぎれてファレイに接触しようとしたやからは、互いにけん制し合っていたためおらず、代わりに俺がもみくちゃにされた。


「おいおいおい~~~~~~~『緑かけ』っ! やるじゃんお前よぅ~~~~~~~ひゅーーーーーーーっ!!」


「ねーずっごい!! 風羽さんとぜっ……んぜん動きがズレてなかったしっ!! も、もちろん風羽さんがすごいと思うんだけどーっ!! なかなかやるじゃん!! ……って!!」


「つーか『緑かけ』じゃなくて、『緑川』じゃねっ!? なんでそんな間違い方するんだよ……!」


「いいじゃんどっちでもー!! これで一位よウチら!! 後半も気合入れていくぞーーーーーーーーーーっ!!」


 おーっ! おーっ!! ……その声は教師たちが「お前らいい加減にしろっ!!」「さっさと所定の位置に……!!」とわらわら出てきて叱るまで響いて、俺はそのどさくさにまぎれて逃げるように外へ出た。……ファレイを連れて。そうして人の輪から少し離れた、話し声が伝わるほどの静けさを得られたところで、ファレイは興奮したままの真っ赤な顔で、俺に言った。


「あ……、あのっ!! 先ほどの、競技の最中の……!! ま、ま、ま、【まだ】というのはいったい……!?」


「……だから、そのままだよ。【まだ】。お前が聞いた言葉に対して、答える資格がないんだ。……すまんがな」


「……。……そう……、……ですか」


 弾む息を整えつつ、ファレイは言い、頬からはだんだんと赤みが引いてゆく。そして、その切れ長の目を少し陰らせる。それは俺が答えなかったことだけじゃなく、たぶん、【まだ】という俺の言葉に、なにか、かつて共有していた記憶の欠片があったのだろう。それを思い出したのだと思ったがそうじゃなくてがっかりしたのだ。俺はそんなヤツに、おおきく息をはいてから、続けた。


「……なあ。【まだ】ってのは。好い言葉だと思わないか?」


「……えっ……?」


 ファレイは、俺の言葉にしばたたく。俺はその様子にくすりと笑ってから、指を一本、立てて続けた。


「だってそれは、【関係が続いていくこと】を前提としてる言葉なんだから。……別れるヤツには言わないだろう? それがいま、俺が言える返事だな。だから【いつか】言えるまで……待っててくれよな」


「…………!! あっ……!! ――……はっ、はいっ!! ……おっ……お待ちしております!! きっと……――ずっと!!」


 ファレイは満面の笑みで、何度もうなずいた。そして、そのまま俺の手を取ろうとしたが、「お~つ~か~れぇ~っ!! や~すごかったねぇ旦那ぁ!! 姉さんもっ!! ぜんぜん魔力を使ってないのにさぁ、まるで魔術みたいな……」と場違いなことを言いながら駆け寄ってくる応援団が約一名、見えたところで、「……申し訳ございません、セイラル様。少々席を外します――」と冷ややかに言ってずかずかペティに接近、すぐさまヤツの耳を引っ張りどこかへ連れて行っていた。その様子を、遠くの皆が驚いた様子で見つめていたが……まああれも、【元不良】っていうでっち上げの過去に基づいて、なにか別の設定が生まれるんだろうな……と俺は流す。流しておかないと、こっちの対応で忙しいからな、俺は――!


「……あっ! おいお前っ!! どこへ行く!! さっきの無視といい、せっかく走りを誉めてやろうと思ったが、もうやめだ!! ……兄者! もうそれは食べていいからな!!」


「あーん? せっかく兄ちゃんのために作ってきたってのに……。それくらい許してやれよ。モテない男より、モテる男のがいいだろー?」


「【だれ】に【どんな】モテ方をするかが大事な・ん・だ! よりにもよってあんなガキ臭い……それと兄者!! なにか勘違いしているようだが、私はアイツの 師 匠 として! 付き合う女は選べと言いたいだけだからなっ!! ……あっ!! 逃げるな馬鹿っ!!」


 なにやら兄妹で言い合っているうちに逃げ出したが、さすがに人前で魔力を使うわけにはいかないので、並の速度である俺と、人前でも不自然じゃないくらいの魔力の放出が可能な熟練者たる我が師・ルイ・ハガーでは勝負にすらならず、あっという間に追いつかれて羽交い絞めにされる。その様子を目撃したファレイが、鬼の形相と銀光を放ち、「痛い痛い痛いっ! だ~か~ら~ぁ誤解だってばご・か・い! 姉さんが思ってるような意味じゃ……!」と半泣きのペティの首根っこをつかんで戻ってきて、ルイはいつかしたように、俺を盾にしてそれに応戦する構えを見せた。……たぶん、遠くに見えてるけどすぐ、水ちゃんもここに来るんだろうな……。あれは本気で怒ってる目、だったし。……ったく。どう考えても【まだ】だよ。ほんとうに――……。


 そんなふうに俺は思い、ひとりで苦笑すると、「……!? なにがおかしいんだ馬鹿っ!!」「……このクソ女っ!! セイ……緑川君から離れろっ!!」「姉さ~ん! い~た~い~ってっ!!」と三者三様の魔術士たちの言葉が飛び交い、これはもう、どうにもならない――と、少し離れたところで気の毒そうに見ているリイトに、「た・す・け・て・く・だ・さ・い」と必死に口を動かすが、彼は、


「さ・か・ら・う・べ・き・と・こ・ろ・じゃ・な・い・と・き・は。 さ・か・ら・う・な」


 と、同じように口を動かして、含蓄がんちくのある助言を与えてくれるに留まったので、俺はその言葉に従い……ただ脱力するほかなかった。

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