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第66話 なれるものじゃ、ないのかもな

 抜き足、差し足、忍び足――。その足取りは、まさに忍者のごとく。


 体育祭当日の朝。いつもの黒い帆布鞄を斜め掛けした制服姿の俺は、息を殺し、音を立てずに自室を出て、階段をおりると玄関へ。そしてそのまま【差し足】で靴をはき、ドアノブに手をかけ、かちゃり……最小限の音だけ鳴らし家を出る。それから、やはりきわめてちいさな音でドアを閉じ、鍵をかけた。

 そのとっとと後退し、門のそばに置いている愛車あいしゃのハンドルをつかむと、いままでと同じような所作で門から押し出しすぐにまたがって、一気に家から遠ざかった。


「……――っ、はぁああああ~っ。……まー、どうせ無駄な努力なんだけどなー……」


 風で前髪を揺らしながら、俺はおおきく呼吸して、ひとりごちつつ住宅街を駆け抜ける。やがて国道へ出たときに、学ランのボタンを掛け違えていたことに気づき、片手運転に切り替えて、それを直しながら、真っ青な空の下でペダルをこぎ続けた。


 ふだんなら休みの土曜日。しかしきょうは体育祭で、それをじいちゃんには知られたくない。と、いうことで忍者マンとして家を出たわけだが、さっき漏らしたように、すでにバレている可能性が高い。なぜなら去年も同じようにしたのに、坂木さかきのおばちゃんと見に来てたからだ。


 おばちゃんの性格なら、事前に俺に聞いてくるはずだけど、そうしてないのは、今年もじいちゃんに口止めされたんだろう。アイツは来て欲しくないからうそをつくと。だいたい、そんなことしなくても、学校に聞くなり、生徒に聞くなりできるもんな。じいちゃんもおばちゃんも顔広いし。

 まぁとどのつまり、俺の魂胆を分かっていながらのこの放置……に加えての、体育祭中に登場し俺をでかい声で応援する、という行為ことも、ふたりの【教育】ということだ。……素直になれ、ならないからそういう目に遭うんだっていうな。……しかし、俺の逃避これは単なる思春期的な反抗ではなかった。


 確かに高校にもなって、親に来てもらうなんてなぁ……という想いもあったが、実はその奥に、なんとなく、中学を卒業した日から、少しずつ自立していかないとな、という気持ちが芽生えたせいもあったのだ。


 ほんらいの意味での自立、とくに精神的なそれならば、親との関わりを気恥ずかしく思うなんて、まさに子供的な感情でおかしいのだが、いまなら分かる。俺が当時思った【自立】というのは、【セイラルの自我の目覚め】に関係しているのだろうと。17歳の誕生日に、魔力と記憶が復活する――セイラル・マーリィとして、緑川晴みどりかわせいから【巣立ち】する――ということを、俺は休眠状態で予感していたのだ。


 けっきょく、誕生日そのひに記憶や魔力が完全に戻ることはなく、【巣立ち】は先送りになったわけだが……。それでも現在いま、魔力は上昇し続け、夢という形で記憶が少しずつ片鱗を見せ始め、セイラル時代の者たちに襲われたり、魔術士の修行をしたりと、これからも【緑川晴】の人生に少しずつ、しかし足を止めずに、【セイラル・マーリィ】の人生が忍び寄ってきて――……いつかはきっと、ほんとうの意味での自立わかれの日が来るのだろうと思っている。


 ……なら。幸いにも先延ばしになった、緑川晴として残されたかけがえのない時間ときの【現在いまこそ】は。じいちゃんに、親に――素直になったほうがよかったのか? ……いや。


「っとに~? アイツヤバすぎじゃん。どんだけイイ恰好したかったんだって!」


 赤信号で止まったとき、そばでは同じように、自転車通学の菜ノ高生たちが数人止まり、うちの女子たちは友達同士らしく、世間話とか、きょうの体育祭に関わる会話を、朝日の中で交わしていた。


 ……この子たちも、親が来るのだろうか。来るなら、来て欲しいと思ったのだろうか。俺は……。親子としての、のちにきっと好い想い出になるだろう時間ときが増えることを、別れの予感がいよいよ強まっている【現在いまこそ】は、なんとなくではなく、はっきりと避けたい気持ちがおおきくなっていた。去年の、なにも知らなかったときよりも、ますます素直になれない、そして怖がりの【子供】となって。……【自立わかれ】のその日の辛さを想像して。


 ……ほんとうに、俺は258年も生きてきた【大人】なのだろうか? そうなら別れなど、幾度も繰り返してきただろうに。それがただ記憶がなくなった【だけ】で、また幼い時間ときに逆戻り、なんて――……。


「……――ぅ~~~~~~~っ、わっ!!!!!!!!!!!!!」


「!!?? ……――うおっ!!!!」


 突如の大声と、背中を押された衝撃で俺は思考が吹っ飛び、さらにはどがしゃーんっ! と盛大に愛車ママチャリをひっくり返してすっ転んだ上に、アスファルトにキスをした。口の中には砂利が入り、ぺっぺとはき出していると、そんなこちらの醜態などいっさい無視して青信号の音楽が流れ始め、少しだけざわついた生徒たちも、俺をかえりみることなくさーっと横断歩道を渡り出し、国道を行き交う車の騒がしさが増す。

 俺は砂利の不味さをかみしめながら、ひとり立ち上がり……。それから、そばで苦笑して頭をかいている、青いミニのデニムワンピースに黒のスカジャン羽織った、ふたつお下げの茶髪女を睨みつけた。


「おい……。あんた。……俺に砂利の味を教えたかったのか?」


「あ……はははははーっ! 口に入っちゃった!? いやーめんごめんご! でも誤解しないでね!? アタイはただ、旦那に朝いちのぉー、面白びっくり体験させてあげたかっただけでぇー……。やー……――大・失・敗! あはははは!」


 思い切り誤魔化し笑いをしたあと、ヤツはこかした俺の愛車ママチャリを起こしてスタンドを立てると、どうどう、とでも言わんばかりに両手の平を見せて、小刻みに頭を下げる。……この同学年か一個下くらいに見える女は、その実66歳で、人間ではなくリフィナー――ペティ・レングレスという名の魔術士だ。


 きのうの夕方に、ファレイと公園で二人三脚の練習をしようと移動していた俺をつけてきて、そのいろいろあって、今後も【関わり】を持つことになった相手なのだが……。こんな朝早くからいったいなんの用だ。


「あ、旦那ぁー。これで口をゆすぎなよ。残りも全部あげるし! それでチャラにして欲しいなぁー」


 ねっ? と二重の目立つ垂れ目で可愛らしくウインクして、背負っていた白いリュックからちいさなペットボトルを取り出すと、俺へ差し出した。俺はため息をついて受け取ったが、それはコーラだった。……こんなもんで口をゆすいだことは、ないんだが。しかも飲みかけじゃねえか。表情かおを見るにわざとではないから、天然のあおり体質なのだろうか……。


 俺は半眼でペティを見やりつつ、コーラを開けてひと口飲み、軽くゆすいで側溝へ出す。それからごくごくと半分くらい飲み、「おっ! 旦那コーラ好きな口? アタイといっしょだぁー。人間界こっちの飲み物って、魔法界よりもイケてるよねぇ。人間のほうがグルメって感じぃ」とにこにこ往来にふさわしくない言葉をはくペティに、俺はフタをしながら言い放った。


「……で。なにか用か? 見てのとおり登校中でな。あまり時間は取れないぞ」


「えっ? なに言ってんのぉー。旦那と姉さんの体育祭の応援に決まってんじゃん。きのうチラっと話してたでしょ? そもそも、【ゼロの団】は応援団から発想したものだしね! 団の初仕事! ……ってなことでぇー! きょうはがんばりまっしょー!」


 おーっ! おーっ! と、やはり往来構わず拳を上げ、声を上げる。……ちなみに、いまペティこいつが言った『姉さん』とは、実姉じっしのことではなく、ファレイのことなのだが……もう登校してるよな? アイツはペティのことを、いまのところ厄介者としか思ってない上、俺と必要上に絡むことにいい顔をしないから、こんなところでも見られたら、どんな反応をされるか分かったもんじゃない。ほかにもクラスメイトとか、ややこしい知り合いに会いませんように。

 っていうか、コイツのペースにハマってたら遅刻する。そう、こういうタイプは、逆らうと駄目なんだ。……【これは】素直に行くとするか。


「あー……。そっか。それはありがとう。ここまで来てるってことは、菜ノ川高校への行き方も分かるんだよな? ……俺はいろいろ準備とかで急ぐから、先に行くよ。それじゃあ。……コーラもありがとう」


 俺はにこやかにコーラをかかげて言って、それを帆布はんぷ鞄にしまうと、極々自然に背を向けて会話を終了。そうしてペティが立てた愛車ママチャリのスタンドを蹴り、またがった。……が。


「アタイも乗せてってよー。コレ、足が疲れるんだよねぇ」


 と、俺の肩に手を置きつつ、足で赤いスケボーをごりごり動かし見せてきた。……そんなもんで菜ノ高に行こうとしてたの? 激坂の【壁】のこと知らないのかよ! ……いや、魔力を使えば行けるんだろうが、足が疲れるってことは使ってないんだろうし……――じゃない! この間、横岸とのふたり乗りが見つかって教師に怒られて、それであの人……楠田くすだ先輩にも拒否ったのに、もしどっちかにでも見つかったらただでは済まないんだからな! 先輩は電車だけど、【壁】で会う可能性がある。それに先輩でなくとも、ほかの部員でも会ったなら、あとで先輩に……――。


「……あ。やっぱり、緑川先輩。おはようございます……」


 と、声がした車道のほうを振り返ると、制服のスカートの下にサイクルパンツをはいて銀のロードバイクにまたがり、ピンクのヘルメットを装着した、珍しい姿の女子が目に入る。それはおととい仮入部することになった、『総合活動部』、通称『ソーカツ』所属の一年生、ボブヘアの莉子りこちゃんだった。……うげっ!


「うっ……、あ、お、おはよう。キミもこっちから登校してるんだね……」


 苦笑いして話しかけると、莉子ちゃんは俺の様子に首を傾げつつ、「……? はい。先輩も自転車は、こっちからなんですね……」と返したあと、目は俺と、俺の肩に手を置いた私服のペティを行ったり来たりしていた。……これは説明しておかないと不味いことになりそうだけど……なんて言うべきなんだ? 関係は? い、いや、その前にペティに念押ししておかないと!


「……おい、きのう言ったようにな? 俺は【緑川晴】だから。それに関わりのないことは一切NGだぞ」


「分ーってるってー。そもそもアタイだって人間界こっちの暮らしが長いんだからさぁ。その辺の機微は姉さんよりもしっかりしてるよ? 見くびらないで欲しいなぁ~」


 と、俺の小声に小声で返す。……さっき人目もはばからず魔法界がどうとか口にしていたのに、よく言うな。まあ、……十年だったか? そのくらい人間界こっちで暮らせているとのことだから、肝心なところは外してないのだろうが。

 俺はちいさく息をはきつつ、きのうのことを思い出す。


     ◇


「……いいか? その【ゼロの団】とかいうのは、まあいいとして。俺のことを改めて、少し話しておく。あんたは【元】ローシャの私兵団で、俺を調べてたってんだから、多少は知ってるんだろうが……。俺は人間界こっちでは、【緑川晴】という名の、高校生として暮らしている。そして、【セイラル・マーリィ】だった頃の記憶は【ほぼ】ない。魔力もいまは一万ほどで……、要はあんたの呪いを【たまたま】解いたあと触れたように、現在いまの俺は膨大な魔力の発現も、高度な魔術の駆使も自覚的にはできない状態で、……かつてのような、【魔神】と呼ばれたような存在じゃないってことだ」


 ファレイとひとしきりじゃれ合ったあと、近くの自販機でビールを買って戻ってきたペティに、俺は言い含める。ペティはそれを聞くと、わずかにこちらの目をのぞき込み、それからにかっ……と笑うと、俺にホワイトソーダを、半眼で腕を組むファレイにはスポーツドリンクを手渡して、言った。


「アタイは旦那とは初対面だけど、なんとなく、前とは違うんだってことは、それに事情があるってことはすぐに分かったよ。だって魔力が少なすぎるもんね。見た目も、噂に聞いてたのとぜんぜん違って、ほんとうに人間界こっちの少年みたいだし。でも、記憶がないのも含めて……現状これは【たまたま】じゃないとは思うなぁ。全部意図的じゃないかな? じゃないと【魔神】として広まっていた、とんでもない魔術士の実像と合わないもん。アタイみたく、ハメられて呪われたわけないし。なにより【クラス0Sゼロエス】は、最も精霊に愛された存在だしね。……運が悪かったとも思えない」


 プシュリ、せんを開けてペティはビールをあおる。ファレイはその態度に、「……セイラル様よりも先に飲・む・なっ! しかもほんとうに酒を……っ! ……お~ま~え~はっ!」とぎゃーぎゃー説教を始めたが、当のペティはごめーん、ごめーんと言いながらも飲み続け、いよいよファレイを怒らせる。俺は咳払いをすることで、そんなファレイを制すると、おおきく息をはいて、続けた。


「……とにかく。そういうことだから。団の活動は勝手にしてもらってもいいが、人間界ここで人間の前で俺と接するときは、いっさい【セイラル・マーリィ】としてのことは持ち出すな。それと、このファレイともうひとりの従者、ロドリー・ワイツィ以外のリフィナーや魔術士の前でも、俺がセイラルであることは口にするな。ほかの関係者もいるが伏せてるんだ。……分かったな?」


「……ふーん。よっぽど込み入った事情……と。なにより人間界こっちの生活が大事なんだねぇ。ほんとう、不思議なリフィナーだよ。旦那は……」


 ペティは俺の表情かおを確かめるように、まっすぐにのぞき込み、かすかに笑った。それから俺が持つ缶に、コツン、と自分のビール缶を当てると、「おっけー、ろっけー、まっかしといてっけー!」と訳の分からない返事をし、またファレイを怒らせてから、その手をひらりとかわして、最後に、


「旦那のことは【緑川晴】! 人前ではそういうふうに振る舞えばいいんだね!? あと姉さんとロド……? なんとかさん以外には秘密! ――りょーかいっ! ……よーっし、あしたから活動がんばるぞーっ!」


 と、言って、「ロ ド リ ー ・ ワ イ ツ ィ よ! ……しっかりと覚えておきなさいっ!」三度みたび怒ったファレイにとうとうビール缶を取り上げられて、また追いかけっこが始まった。


     ◇


「えっと……。緑川先輩。その……。そちらの方のことなんですけど……」


 果たしておずおずとながら、莉子ちゃんは俺に尋ねてきた。俺は肩に置かれたペティの手をつかんでおろすと、あははっ、と軽く笑ってから、ペティを示しつつ返す。


「あ、コイ……、この子は俺の友達で……別の学校の! きょう体育祭があるって言ったら見に来るってさ。それでいま……。あ、会うのはばったり、たまたま会ったんだけど」


「……。先輩って、女子の友達、いたんですね……。しかも別の学校なんて。ちょっとびっくりしました」


 莉子ちゃんは、ほんとうに驚いた表情かおしばたたき、感心したようにうなずいた。……この子、基本的に礼儀正しくておとなしい感じなんだけど、ちょいちょい雰囲気に似つかわしくないっていうか、毒があるワードを放り込んでくるんだよな……。おとといも驚いたけど。……まあこれでひと安心か。あらぬ噂でも部活で立てられたらことだからな。主に楠田先輩の耳に入れたくないってことなんだけど。妙な誤解をされたら、生意気なー! とか面倒なからみをされるのがありありと浮かぶし。


「やーだなぁ【晴クン】はぁ! ただの友達だなんてさぁ~。そんな関係でぇ、休みの日にひとりだけでぇ、他校の体育祭の応援なんて来るわけないじゃん! ……ねえ?」


 ペティはそう言って、俺の腕に抱き着いて肩に頭を預けてきた。そしてシャンプーか香水か、その両方か、なにかの甘い香りが鼻をくすぐったとき、ようやく俺は目をおおきく見開いて表情かおをゆがめる。……こっ! ここコイツはなにを言っとんじゃぁーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!


「……確かに。ふつうほかの友達も誘って皆で来ますよね。と、いうことは恋人さん、という感じですか? ちょっと信じがたいんですが……。そちらの方と、先輩のお顔……雰囲気的に」


 莉子ちゃんは、また思わず口にした失礼ワードを訂正しつつ(しきれてないが)言い放ち、ロードバイクを歩道に上げてフェンスにもたれかからせると、ヘルメットを脱いだ。……なにそのちゃんと話を聞きたがる態勢!? キミ、遅刻するよそんなことしてると!! ……ってこっちはこっちでなにを顔をぐりぐりしとんじゃーーーーーーーーーーーーーーっ!!


 俺は腕にしがみつき、顔をそこへ密着させる嘘つき女を引きはがそうとするが、よく見ると、白いオーラが放出されていてびくともしない。にたぁ……と笑みを浮かべて俺をチラ見していた。こ、こ、コイツ……! 面白がってやがる……!! じょっ、冗談じゃねえぞコラァーーーーーーーーーーーーっ!!


「まー信じがたいのも無理ないねぇ。お顔はともかくさ、晴クンとアタイじゃあ、確かに雰囲気が違うし、【別世界の存在】って感じだもんねぇ。……でもぉ、だからこそ惹かれるっていうか、相手のことを知りたくなって……。その輝きを得たいって。……そう思うのも自然でしょ?」


 ペティは、俺が抵抗できない二万以上の魔力を放出して俺を縛りつけながら、傍目にはそれっぽい可愛げのあることを言っていたが……まっっっったく可愛くねぇ!!! いっぽう莉子ちゃんは、「なるほど……。一理ありますね。『隣の芝は青い』……的な?」と微妙な理解で深々とうなずいてるけど、う そ だからな!? 俺の様子見て察してくれぇ!!


「まあそーゆーことだからぁ。晴クンに【変な虫】がついたら教えて欲しいなあ。……あ、ライン交換しよ? よかったら今度遊ぼーよぉ。自転車好きなんでしょ~。それ、すっごい好いヤツだもん。アタイもけっこう好きなほうだからさ。よかったら自転車屋巡りでも、どう?」


 そう言って、ペティはようやく俺から離れると、オーラを消して莉子ちゃんに近づき、にこやかな表情かおでスマホをスカジャンから取り出して、彼女へ見せた。その流れるような言葉、自然な所作に、戸惑うヒマすら与えられなかった莉子ちゃんは、まるで一日二日遊んだあとの相手にするように、慌ててブレザーのポケットから手帳ケースに入ったスマホを取り出して、ラインの交換をしていた。……な、なんちゅーコミュ力だよ。横岸並じゃねーか。人間界こっちで長く、うまく生きてるってのは、どうやらほんとうみたいだが……。


「よーっし友達ひとりげぇーっと! 楽しぃ~ねぇ~。莉子ちゃん……、リコっち! また連絡するから、ゆっくり話そーねぇ」


 ぽんぽんと彼女の肩を叩き、莉子ちゃんは、「は、……はい。ぐ、群青ぐんじょうさん……も。よろしくお願いします……」と頭を下げて、ペティが俺のそばへ後ろステップで戻ったのを見届けると、俺たちふたりをじー……っと見つめてから、「……ブロックゲームの穴に、棒を差し込む感じ?」とぼそりつぶやき、ヘルメットをかぶった。……おい。それ、穴のほうが俺だろう。


「じゃ、じゃあ私はこれでっ! 先輩も天下の公道でいちゃつくのもたいがいにして下さいね。……お先です!」


 莉子ちゃんは、また刺々しいワードを交ぜながら、ぴゅーんとでも擬音がつきそうな速度であっという間に去った。その後ろ姿がほとんど見えなくなったとき、俺は気を取り戻すと舌打ちし、自転車からおりてスタンドを出し、停める。それから、隣で腰に手を当てて遠くを見るペティに「おい! さっきの……!」と文句を言おうとしたが、目が冷徹な光を宿していたので、思わず口をつぐむ。するとペティは、こちらを見ずに、遠くを見たまま、口だけ笑みを浮かべて言った。


「……なるほどね。だれも旦那を【魔神】だなんて、そうだった者の輝きなんて、かけらも感じていない。【完全なる擬態】だよ。……それがなんのためなのか、さっぱり見当もつかないけど。ただ、アタイはいま……――心底貴方を恐ろしいと思う」


 ペティはこちらへ向き直る。そして垂れた両眼で、硬くなる俺を、まっすぐに射抜くと続けた。


「……やっぱり、輝きはとてつもないままだ。尋常じゃない。だけど、それに気づかれないように、接触を避けてる。感づく者を遠ざけてる。……これは骨が折れそうな【仕事】だわ。現在いまの貴方自身も分かっていない、貴方の底知れない目的の手助けっていうのはさ」


 俺は気圧されそうになりながら、なんとか後退をとどまり、代わりにごくりと唾を飲む。その音で、ペティはにこっ……とふだんの様子に戻り、俺の肩を叩く。それで呪縛が解けたようにして、俺は焦りつつ言った。


「な……っ、なんだかよく分からないけどな! さっきのは不味いだろーがっ! 完全に勘違いさせてるじゃねーかっ! 釘を刺した意味がまったくねえし……! 【緑川晴おれ】の生活のこと、分かってんのか? ……っとにこのあと、説明が面倒くさい……」


「あのねぇ旦那ぁ。【高校生歴約十年】として言わせてもらうけどぉ。いまも昔もぉ、人間界こっちの十代なんて恋してなんぼでしょ? 逆に言うとぉ、すぐくっついたり離れたりするってこと。一生モンなんてほとんどないよ。……【人間は】ね? ちょこーっと噂になるくらい、ただの青春のいろどりだよぉ。楽しくていいじゃん」


「た・の・し・く・ねーっ!! 彩かノイズかは、俺が決めることだっつーのっ!! くそ……! ともかく俺は否定するからな! あんた……お前も否定しろよ! あとで『軽いノリでしたぁー』とかなんとか言って莉子ちゃんに! ……ラインとかするんなら!」


「それはパスかなぁー。これも【ゼロの団】の仕事だからね。旦那が人間として暮らしてるんなら、人間の生活テリトリー内でも網を張っておく必要があるし」


「……なんだと?」


 俺は眉をひそめた。ペティはスケボーを黒のスニーカーで前後に動かしながら、それをぼんやり眺めつつ言った。


「アタイが人間として暮らしているように。姉さんだってそうしているように。人間界ここには多くのリフィナーや魔術士がいるわけだけど。その中でも【魔神】の失踪は知れ渡っている。まさか人間界こっちに来ているなんて、想像できてる者は極々わずかだろうけど、もしそんな者たちの中で、【たまたま】でも、旦那のことを【魔神】だと気づいたとしたら。あるいはローシャ様のように、魔法界にいる者たちでも、察知したら――。自分で、あるいはだれかに頼んで【捕獲】か【狩り】にくる、……でしょ? いかに弱まっていようと、いや、弱まっているからこそ。現状いまがどうあれ、魔法界史上最高の魔術士――【魔神】には違いないからね……。だから【恋人ごっこ】も、旦那の人間関係に入り込むのも、……旦那の後援部隊である【ゼロの団】のアタイ的には必要ってことさ」


 ペティはいつの間にか、俺に真顔を向けていた。そうか……。やっぱり幼く見えてもコイツも大人で、人間らしく見えてもリフィナーだ。冷徹で、合理的で、【仕事】とすれば正しいのだろうが……――。


「……? えっ? い、いたっ……! だ、旦那、なにふんのーっ!」


 気がつけば、俺はペティの鼻に手を伸ばし、つまんで引っ張っていた。そしてペティが涙目になったときに離し、赤い顔で俺を困惑の目で見返したときに俺は言い放った。


「俺的には邪魔だ。その【仕事】はな。【緑川晴】としても、【セイラル・マーリィ】としてもだ。……人と人とのつながりを、だれかを愛して結ばれたい気持ちを、……――道具や手段として見るんじゃねえ!」


 怒鳴りつけ、背を向ける。……くそ。やっぱり俺は【子供ガキ】なんだろうが、許せんものは許せん。とくに、だれかを恋することや、愛することを軽視する態度には……。まるで俺が、あの時、あの瞬間の……へ向けた心を踏みにじられたような――……。


     ◇


     ◇


――君はほんとうに子供ガキだな。そんなものが通用するのは、同じ子供ガキ相手だけということを、知っておいたほうがいい。……生きやすくするためには。……だが――


――目の前にいるのが、【大人の振りをした子供ガキ】だったことを幸運に思え。とりあえず、気持ちだけは理解してやれるから。……振りをしている、ずっと、し続けなきゃならんから、君と同じ子供ガキになることはできないんだが。


――……許せよ。【子供ガキ】――


     ◇


     ◇


 俺の【魔芯ワズ】が震え、それが全身にも伝わって、つま先から目の奥までしびれが走る。俺は目を見開いたまま、高鳴る【魔芯】を押さえて、必死に呼吸をし……。瞬間的に浮かんだ言葉や画が消えゆくのを、いつものように呆然と見て、感じていた。……目の端ににじみ出た涙が、こぼれる間もなく自然に失われてゆくのも。


 そうして、元の朝の景色が目に、騒がしく行き交う車や人々の声が耳に入ってきたとき。おおきく息を吐くと同時に、今度は、「うっ……、……ううっ!! う……わあああああんっ!!」と泣き声が飛び込んできて振り返った。……なっ……?


「ごっ……ごめんなさぁ~~~~~い!! アタイは……アタイはただ……旦那のためにって……っ!! それだけ思っただけで……っ!! 旦那の気持ちを踏みにじるつもりなんて……っ!! うっ……!! ううううう~~~~~~っ!!」


 泣きじゃくり、ペティは歩道にうずくまる。果たして行き交う人々がこちらに目をやり、何人かは足を止めて振り返り……。正気に戻った俺は慌ててペティを抱きかかえ、「おっ……! おおおお落ち着けっ! なにもお前、そんな……っ!!」と歩道の端に連れてゆき、座らせる。俺も隣に座り、肩を抱きながら、何度か唇をかみながら、言葉を放った。


「……あ、ああのなっ! さっきのはお前は関係ないっていうか……そう! 【八つ当たり】なんだよっ! ……言ったように、過去の記憶はほぼないんだが……その感触を、少しは持っててな。たまにフラッシュバックするんだよ。……さっきのは、それで、お前の言葉がそこに引っかかって。……お前自身への怒りじゃないんだ。……ごめんな」


 背中をなでながら、優しく言う。するとペティは泣きじゃくりつつも顔を上げて、「……ほんとう? アタイを嫌ったんじゃない? ……捨てたりしない?」と尋ねてくる。怯えたちいさな子供のように……。俺はうなずき、子供の表情かおになった彼女の髪を、ゆっくりとなでた。


「嫌いになってない。捨てるわけなんて絶対にない。これからも、よろしく頼むよ。……きょうの応援もさ。ファレイとも出るから」


「…………うん。応援する。旦那も姉さんも。……ごめんなさい……」


 消え入りそうな声でそう言って、スカジャンの袖で涙を拭く。俺は学ランのポケットをまさぐると、青いハンカチを取り出して差し出した。ペティはそれを受け取ると、涙を拭いたあとに、ぶーっ! と鼻をかんだ。や……、べ、べつにいいんだけどさ……。は、はは……。


「……旦那。八つ当たりでも、旦那にとってそれが大事なことなら、そういうのはやめるよ。リコっちにも訂正しとく。友達だよって。……リコっちとか、ほかの子とも、友達にはほんとうになるから。そうしつつ守ったり、……きっと旦那の役に立つからさ」


「あ、ああ……。ありがとう。……頼むよ。ペティ」


 ペティはおおきく何度もうなずいて、「ハンカチは、買って返す。これは戒めとして持っておくから」と、ハンカチを自分のスカジャンにしまった。……かんじゃったから、返せない、じゃないのね……。しかし戒めとは……。そんなに俺は怒ってたのか? ……自分では、分からないくらいに。


「でも、旦那。……ひとつだけいい?」


「……ん? あ、ああ……。なんだ」


「旦那は……。それほどだれかを愛したの? 深く……強く。……いつの日かに」


 ペティの目は、さっきしたように、俺の潜在能力を確かめるようなまなざしではなく、まっすぐ心に向き合ったものだった。

 俺はその光を一度、深くで受け止めるように目を閉じて、それから開けると、……わずかに笑う。それに戸惑うペティに、しずかに言った。


「ああ。……たぶん。だけど確かに。……きっとそんな日があったんだ」


「……。そっか……。……うらやましいな」


 ペティはもう一度目を拭くと立ち上がり、おおきく伸びをする。そして、真っ青な空をじっと見上げて、しばらくのちに脱力したように手を下げて、朝日を浴びたまま言った。


「ねえ旦那。アタイはさ。そんなふうに、人の言葉に本気で怒れるくらい、だれかを好きになったことは、ないんだ。遊びとかは、いっぱいあるんだけどね。……だから、たぶんずっと、こんなふうにおちゃらけて、楽しさだけを味わって、飽きたらまた次へ、……って感じで生きてくんだろうなーって。そう思ってた。だけど、未来のコトなんて、……だれにも分からないよね」


 ペティは俺を見おろした。逆光で表情かおに影はかかっていたが、笑みを浮かべていることは分かった。そうして彼女は笑ったまま、続けた。


「アタイも旦那みたく、いつかは……本気でだれかを愛してみたい。そしたら、違う景色が見えるのかなって。【大人】になれるのかな……って。……――そう思った」


 ペティは、言い終わると同時に俺を引っ張り上げる。急なことによろめいた俺は、ペティにもたれかかるが、彼女はそれを受け止めて、鼻が触れるほどの距離で、さっきまでの表情かおとは打って変わって、……にたぁー……と笑い言った。


「……ところで旦那はぁー。【現在いま】は、だれかに恋してないのぉ? さっきのリコっちとかぁ、けっこう可愛かったしぃ~。人間界こっちで好いなあって思ってる子、いるんじゃない? ……っていうか、姉さんは? 従者だってことだけどぉ、むっちゃくちゃ美人だし、なんか怪しい感じがするんだよねえ……」


「お前……。ぜんぜん反省してないだろう……」


 俺は頬をひくつかせて、半笑いで睨む。するとペティは、「しっ、してるしてるしてまーすっ! ……あっ! ほら早く行かないとぉ!」と慌てて体を離し、両人差し指で愛車ママチャリを指し示し、自分はスケボーまでダッシュ。足を載せると、続けた。


「ふたり乗りは、また今度っ! もうちょこーっと、旦那に見合う好い女になったら、お願いするね! ……じゃあ、おっさき~っ!」


 そうして、ちょうど信号が青になった瞬間に、ペティはスケボーで滑り去った。……ったく。大人と思ったら子供で、……訳が分からんな。……俺もだけど。


 俺はため息をついて、愛車ママチャリのハンドルを取る。そして、国道を行き交う車の中にちらりと見える【大人のように映る者たち】の姿を目に入れてから、


「……。なれるものじゃ、ないのかもな。…………【大人】なんて」


 そうひとりごち、信号の点滅し始めた横断歩道を渡るため、ペダルに足をかけた。


     ◇


 それから――。


 予想通り、学校へは遅刻ギリギリに到着し、教室に入るなり、すでに白の半そで紺の半パン姿の横岸に、「おそーーーーーーーーーいっ!! あんたねえ、クラスの団結に、いちばん大事なものって、なにか分かってるっ!!? 【あ・し・な・み】よっ!!」と怒鳴られて、それをきっかけにほかの体操服連中にも、「てめーーーーーーーーー『緑かけっ』!! 風羽ふわさんと出場するくせに、遅刻するなんて……!! よほど自信があるみてぇーーーーーだなあーーーーおいっ!!」「まさか逃げるつもりだったんじゃあ……!? サイアク信じらんないっ!!」「もう風羽さんのパートナー、いまらからでも代えようぜ!? ……おい体育祭実行委員~っ!!」等々、罵詈雑言が飛び交って、俺は顔をしかめるが、それはクラスメイトたちにではない。必死で怒りを抑えている風羽、もといファレイの爆発を心配してだった。人波に圧されて近づけないので、抑えろよ、とも言うこともできないので、アイツの理性に頼るしかなかったが、……ともかく、その銀色の光を消してくれ~っ!!


「……皆。緑川君はきょう、素晴らしい走りを見せてくれるわ。……だから だ ま っ て 、 楽しみにしていなさい――」


 そう、にこり……。皆には見えぬ銀光ぎんこうを放ったまま、ファレイはしずかに微笑みながらドスのいた声で言い放ち、教室は水を打ったようになる。【風羽】に半分【ファレイ】が混じった物言いだったが、その辺は、過去にルイが教室に来たときのやり取りで、ファレイには『グレていた悲しい過去』なる属性が(いい意味で)付与されていたので、皆は違和感を覚えることなく、ビビりつつもその強さに憧れの度合いを増し、だれもが、「……わっ! 分っかりましたぁーっ!!」と言うことを聞き、俺にも笑顔で接するようになった。……ほんとうに腹立つな。ありがたいけど。そして素晴らしい走り、ね……。きのうもけっきょく練習できなかったわけだが。たぶんアイツ、なにも考えてないんだろうなあ。……どうしよ。


 俺の心配をよそに、盛り上がる皆と、俺への罵倒が期待に変わったクラスの雰囲気に満足そうにするファレイのドヤ従者顔に、俺はため息をついたあと、……奥歯を一度かみ、覚悟を決める。……いま芽生えたこの感情が、【大人】のものか、【子供】のそれかは分からないが、……ともかく、


「……。いい恰好。するか。……アイツ【ら】のためにも」


 と、その確かな気持ちだけを言葉にして――。俺は学ランのボタンを外すと、丸めた体操服を鞄から、勢いよくボールのように取り出した。

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