第65話 応援団、誕生
「……――いる」
馴染みのある、【ふつうの魔力】を感じ、思わず口から漏れたのは、ゆるく短い、踏切前の坂道を愛車で下っているとき。そのままガタガタ揺れつつ踏切を横断し、ハンドルを左へ切ると、踏切をまたぐ高架道路下の公園を目に入れる。そうして惰性走行のまま進んでゆき、街灯の輝く公園へと入り、果たして奥のベンチに腰掛けるファレイを認めた。
ひとり、煌々と人工の光に照らされたファレイは、制服ではなく、おそらく練習のためだろう、上下ともに明るい青のジャージを着て、白い運動靴をはいていた。彼女は俺と目が合った瞬間立ち上がり、俺がそばへやってきて、愛車を停めたと同時に深々と一礼すると、「お、お待ちしておりましたっ! どうかおかけ下さい……あ、お飲み物は如何いたしましょう!? 近くの自販機へ買いに行きますゆえ!」とまくし立てたが、行きますゆえ! と、いまにも駆け出さんという動きを見せたときに、自分の乗ってきただろう自転車にぶつかってがしゃーん! と派手に倒す。それで、「もっ……! ももも申し訳ございませんっ!」と青い表情ですぐさま直していた。
もう再会てからけっこう経つのに、いまだに俺に関しては、ポジティブなことでもネガティブなことでも、テンパるのは変わらないんだよな。そして今回のは、ふたりであしたの体育祭のために、二人三脚の直前練習するっていう、ファレイにとっては【ポジなほう】だと思うから。いまから言うことは、とても言いにくいのだが……。あとまわしにして、もしものことがあってからじゃ不味いからな。
「しっ、失礼致しましたっ! そ、それでセイラル様! お飲み物は……!」
「……の前に。ちょっと話しておきたいことがあるんだ。……いいか?」
そう俺が告げると、一瞬だけぽかん、としたが、瞬く間にまた顔色が青ざめてゆき、ファレイはその美しく整った顔を両手で挟み込み目を見開くと、「まっ……! まままままさか今回の練習は、やっぱりやめる、ということに……!? ――や! そ、そればかりではなく! あすの体育祭の出場をも、取りやめる、ということに……!!?」と、いよいよ表情をゆがめて、おろおろ左右に揺れ始める。俺は、「違う! 違うから落ち着け! ……その話じゃない!」と振動人形になった従者をなんとか落ち着かせて、おおきくため息をつくと、続けた。
「実はな。ここに来る前……、蛍川の駅前で、魔力を察知したんだよ。いままで感じたことのない不気味なヤツを。たぶん意図的に俺へ飛ばしてきていた。殺気、というほどじゃなかったんだが。気色の悪い感じだったんで、いちおうお前に知らせておこうと思ってな。……ちなみにいまはもう感じていない」
次の瞬間、ファレイの表情から動揺は消え失せて、ほんらいの成熟した冷徹さと、幾多の戦いを乗り越えてきた猛者の持つ光を両眼に宿し、ゆっくりと辺りを見まわした。鈍い風の音が響く公園の中、その外、さらには数百メートルをも先にすら、気配を届かせるかのように。そんな様子に俺が唾を飲み、ごくりと喉を鳴らしたときに、ファレイは言った。
「……セイラル様。失礼致します」
「……。えっ?」
と、俺が間抜けに声を出した刹那、ファレイはジャージのファスナーをおろし、艶やかな曲線をえがく白いシャツをあらわにしながら、ジャージの裏ポケットから鉛筆を一本取り出すと――それを銀の針に変形させて街灯で輝かせる。そうして手首のスナップだけで針を飛ばし、すぐに公園の入り口で、「あ痛つっ!」と声が聞こえて、急に人が現れ倒れ込んだ。
「……はっ? なんで……」
再び俺が、そうして漏らしたと同時に、ファレイは公園入口まで駆け出して、出てきた者を踏みつけていた。……だ、だれだ? というか、あれは人じゃない。これは……、この【ふつうじゃない魔力】は。
「いっ……! 痛い痛い痛い痛いっ!! や、やめやめやめやめっ! ちょっ……あんた!! 姉さん!! 【魔芯】まで魔力が響いてるって! 死ぬ死ぬ死ぬぅーーーーーーーーーーーっ!!」
「死ぬ? この程度で? それは困るわ。聞きたいことがあるのだから。では腕を折るくらいにしておこう」
ファレイは、倒れ込んだ女の背中を踏みつけていた足を、頭方向に伸びきった右腕に移したが、それでまた、「痛っ……たああああああああああああ!!! 痛い痛い痛い痛いってーーーのっ!! 折れる折れる折れる折れる折れるぅ!!!」とわめいて、その様相で俺はようやく気を取り戻し、慌てて駆け寄った。
「まっ……待て!! 声が聞こえる!! 人が集まって来るぞ!!」
「どうかご心配なさらずに。この公園には、音が漏れぬ程度の薄い結界を張っておりますゆえ。人の侵入まで拒むものであると、あなたの体に刺激が及び、二人三脚の練習に差し支えがあると思いまして、そのように。なので、魔術士としての会話も無理なくできるかと」
そう、にこり……やわらかな笑みを浮かべて……足をぐりぐりしていた。果たして、「うぎゃーーーーーーーーーーーーーー!! いっ……いいいいいま骨が砕けたっ!! あんた!! あんた……それでも人間として暮らしてんのかぁーーーーーーーーー!!?? に、人間の常識がまるで……!!」と、空いた手で地面をばんばん叩いていた。この叩き方は、ギブのそれ、だよな……。いまの言葉といい、洗いざらしのデニスカにスカジャン、汚れたスニーカーっていうこの服の感じといい、ふだんから人間界で暮らしてるリフィナーか魔術士なのか。……って。考えてる場合じゃない!
「やめろ! 話を聞くどころじゃないだろう!? ……これは命令だっ!!」
「――!! はっ!! も、申し訳ございませんっ!!」
ファレイはすぐさま女から足をどけ、刺した針を抜き取って鉛筆に戻し、しまうと俺にひざまずく。女は地面にうつ伏せになったまま、「……じょっ、じょーーーーーだん……じゃ、ないーーーーー……、よ……。アタイがな……にを、……したって言うんだ……ーよ……」と息も絶え絶えに、なんとか震える左手を、ピクリともしない右腕に近づけて、言った。
「創じゅ……っ、つ、……者は、バディ・ルー……ク。執……っ、行ーっ、者はペティ・レング……レス。……傷つ……、きし者へ祝っ、……福、を。ソ……、ティラ、ス」
女の左手が白く光り、それが右腕、全身へと伝わって、その光が消えたとき、動かなかった右手が拳を握り込み――。女はそのまま地面を押して起き上がり、ミニのデニスカも構わずあぐらをかく。それから、砂だらけの白シャツと赤いスカジャンをぱん、ぱんと払い、おおきくため息をつくと、俺を見上げて言った。
「はー……、ひどい目に遭った。あんたの従者、マジにとんでもないったら……。噂に違わぬってのはこのことだわ。……ま、とりあえず。ビールでも買ってきてさ。じっくり飲みながら話そーよ」
女は笑うと、スカジャンのポケットから煙草の箱を取り出し、その底をぱすっ、と弾いて一本押し出した。だがそれを口にくわえようとした瞬間、俺のそばにひざまずいていたファレイに顔面をつかまれて、再び地面に叩きつけられる。ゴスっ! と鈍い音がしたが、「あぐあーーーーーーーーーーっ!! 頭が割れっ……!! だからアタイがなにしたって言うんだーーーーーーーーーっ!!」と叫べていたので、相当手加減したものだと思われる。……しかし、このままだとマジで殺されるかもしれん。さっさと話を聞いておこう。
「……あのさ。いま漏れ出てるあんたの魔力は、ちょっと前に、俺が蛍川の駅前で感じたものと同じなんだよ。あんた、俺にわざと飛ばしただろ? 俺が気づいたのも分かったはずだ。でも出てこなかったし、いまここにいるってことは、そのまま、なんらかの魔術で姿を隠してまで俺を尾行して、俺たちのことを見ていた、見続けるつもりだったってことだ。……それに『噂に違わぬ』ってことは、彼女のことを知っている、ということだろう。……あんた、いったいだれだ?」
「……はーーーーーーーーなーーーーーーーーーーすーーーーーーからっ!! 姉さんのことをどかせてっ!! ってかこの状況で……っ! なぁーーーーーーーに冷静に尋ねてんだっ!? 従者が従者なら、主も主かぁくそった……――ぁ!? あーーーーーーーーーーああああああああああいいいいいいいいいいいいいたたああああああああああああああ!!」
硬く叩かれて整地されたであろうグラウンドに、女の後頭部はめり込んでいた。俺は犬歯をむき出しにして怒り狂うファレイを引きはがし、ぴくぴくと震える女に、「じ、自分で回復、できるか……?」と尋ねる。女は、「る、っさ……いー……」と涙目で答えたものの、たぶん俺の後ろのファレイの表情を見てしまったのか、それ以上はなにも言わず、先ほどのように回復の術式を唱えて、再び起き上がってあぐらをかいた。
「……う、うう……。っとに……。も、もう……、またなにかされたらたまらないから、先に言っておくけど。アタイはあんたたちの敵じゃないから。それだけははっきりと、頭に入れておいて。……いい?」
「馬鹿なの? 敵かどうかを判断する立場はこちらにある。ついでにお前の命がどうあるかもね。……いまからは、よくよく考えて言葉を選ぶといい」
恐ろしく低い声で、ファレイは言い放つ。女は目を見開いてから唾を飲み、ゆっくりとうなずいた。そして、めちゃくちゃになった髪の毛を、苦い表情で整え、やがて……、六四分けくらいの前髪と、ふたつのお下げ茶髪が元に戻っただろうとき、ヤツは落とした煙草を拾ってしまいつつ、言った。
「アタイの名は……、さっき唱えたときに口にしたとおりだけど。ペティ・レングレスってんだ。歳は66。魔術士で、クラスは、【いまは】3B。人間界には……十年くらい前かなぁ? 移り住んで暮らしているんだ。人間名は、こっちもいまは『群青恋』。身分は高校生って感じ。ほかのリフィナーたちと同じく、時が経てば、卒業や転校して、また別のところで名を変えて高校生、ってな具合でさ。身分がないと面倒だからねー……」
女、ペティは俺とファレイを指差した。灯りに照らされた、二重の目立つ垂れ目、その顔は、確かに十代後半のそれだった。……ファレイが87歳だったか。リフィナーの成長速度が、いまだによく分からないんだが、向こうの六十~九十代前半くらいまでは、高校生くらいの見た目なのかな。百歳を超えていると言ったルイが、二十代前半くらいに見えたから。しかし薄々思ってたけど、やっぱりその成長速度ゆえに、人間界ではそのまま、大人の身分には移りにくいんだな……。
「……で。尾行してたのは、ちょっとした【興味】でさ。ほんのちょっとした、好奇心。駅前で、ちょいと魔力を飛ばしてみたのもそう。噂と違って、めっきり魔力が弱まってるから、試してみたくなったってわけ。……それは仕方のないことじゃん? なにせあんたが……――【セイラル・マーリィ】。かの失踪した【魔神】だってんだからさ」
ペティは俺を見る。俺は思わず目をおおきくしたが、その視界に入ってきたのは、ペティだけでなく――。いつの間にかペティの背後にまわり込み、その喉元に長く伸びた銀の刃を突きつけているファレイの姿だった。
「お前。それをいつ、どこで知った? ……所属は?」
喉に刃がわずかに食い込み、血がひと筋、流れる。ペティは口をぱくぱくさせてから、必死にまくし立てた。
「……だっ!! だぁ・かぁ・らぁ~!! 敵じゃないーーーーーーーーってのっ!! ……あんた聞いてた!? ただの興味、好奇心だってばっ!! ……いい!? それを踏まえて、落ち着いてっ!! よくよーーーーーーーーーく冷静になって、次の言葉を耳に入れてよ!? アタイの所属は……【赤の小星群】。つまりはその……、ミティハーナ王国の」
「……はっ。ローシャの飼い犬か。どうりでクソのような腐臭を放つ魔力だと思ったわ。……セイラル様。このゴミ、どのようにして始末いたしましょう? 私兵団ですので、抹殺によりミティハーナとことを構える心配はございませんし、ローシャのほうも、【現状】から鑑みて、この者の生き死にのためになんらかのアクションを起こすとは思えませんので。どうかご命令を」
「あがーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! ぜんぜん人の話聞いてないいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!! ちょっ、ちょっ、ちょっとセイラル・マーリィさんさぁ!! 頼むからこの姉さんをどうにかしてよおぉーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
とうとう泣き出したペティを見て、俺はファレイにかぶりを振って、刃を下げさせた。それから頭をかいて、ペティではなくファレイに聞いた。
「【赤の小星群】というのは? ……いま私兵団、とも言ってたが。要はローシャの部下ってことでいいのか」
「はい。かの私兵団は、人間界におけるローシャの【持ち駒】ですね。有事の際に、ローシャの命令に応じた数が集結し、作戦をこなしますが、ふだんは個々で活動しています。この日本においても、百ほどの魔術士、リフィナーがいると思われます」
刃は地面に突き刺しているものの、ペティのそばに立ったまま、答えた。なるほど……ってちょっと待て。そいつがセイラルを知っている、ということは……。もしかしてこの間、ローシャとカミヤが人間界に来て、俺を襲う前に話していたヤツか?
◇
――人間界にも魔法界の者は多数おりまして。もちろんただのリフィナーだけでなく魔術士もね――
――で、その者たちの中には我々の仲間も多数いて、確認を取ったところ日本の【ここ】と居場所を知った。……という経緯です――
◇
俺はカミヤの、あの時の言葉を思い出す。だとすると、つまりはローシャの命でセイラル探しをし、セイラルの確認をした部下だから、従者であるファレイを含めたこちらの素性を把握していると。その関わりもあっての興味と好奇心、ということか。しかし……。
「あんたが俺に近づいてきたのは、ほんとうに個人的な感情か? ……ローシャの命令ではなく」
俺はペティの前にしゃがみ込む。ペティはちらちらとファレイの様子を確認しながら、一度、二度と首を縦に振った。
「そう、そ、う! ローシャ様には、あんたの確認を命じられただけで! 【赤の小星群】は命令を受けて動くだけだから! ……あれ以来命令はない! 魔法界にも帰ってないし……これはマジに!」
ファレイの視線が鋭くなったからか、強く言い放つ。ローシャがいま、どういう状態かは定かでないが、仮にロドリーに追い返される前から命じていたとしても、ファレイの実力を知っているローシャが、こんなふうに、容易に失敗するような追跡をさせるとは思えない。切れ者そうなカミヤもいたことだし。私兵団で、ミティハーナ王国は関係がないとすれば。さらにほんとうに、団すら無関係の、コイツ個人のことだとすれば……。放置でいいかもしれない。それほど脅威になるとも思えないしな。
「……分かった。じゃああんたの言葉どおりだとして。【興味】はもう引っ込めておいて欲しい。ちょっとした興味なら、問題はないだろう? そしてもう近づかないでもらいたい。ローシャの私兵であるあんたと関わることは、現状、避けたいんでな。……じゃあ、これで。いまから公園を使うから帰ってくれ」
俺はペティに手を振って、退園を促した。ファレイも、「行け。……寛大なるお心に感謝して」と、刃を消して鉛筆に戻すとポケットにしまい、わずかにアゴを動かして、示す。ペティは呆然としたまま、尻もちをついていたが、やがてばたばたっ!! と地面を張って俺の前にまわり込み、土下座して叫んだ。
「ま、ま、待ってっ!! その、メ……、メリット……、そう【メリット】が、あるっ!! アタイと関わることでさ!! ……あんた、いま部下は何人いるんだ!?」
「……部下?」
俺は訝しんだ。するとペティは両手を広げ、続けた。
「そう部下だよ!! そもそもあんたは、聞こえてくる話じゃあ、魔法界にいるときから、どこにも所属せず、組織も軍も私兵団も作らず、従者も少なく……!! ほぼ単騎、独立独歩の独り身だったよね!? ……そ、そりゃあ、確かにそれでなんの問題もないほどに、恐ろしいほどの実力者【だった】ことは認めるけどもっ! 【いまは】そうじゃない、……んじゃないの!? 事情はまったく分からないんだけどさ! 前と状況が違うことだけは確かだし! ――だ、だったら、だからこその【部下】だっ!! ひとりでも多く、自分の手足となる者がいたほうが、なにかと都合がいいでしょ!? あんたの、これからのことを考えると……!」
「……手足、って」
俺は呆気に取られて、口を開ける。が、すぐさまファレイが前に出てきて、言い放った。
「厚かましいにもほどがあるわ。お前程度が、セイラル様の【手足になれる】とでも? そもそもお前の申し出は、飼い主であるローシャを裏切ること。裏切者は、必ずまた裏切る。そんな忠義も信義もないクソのような者を引き入れるのは、同じようなその場しのぎの日和見野郎、打算主義のクソだけよ。これ以上セイラル様を侮辱するなら……――ほんとうに殺すぞ」
ファレイは右手を銀色に発光させる。膨大な魔力がそこへ収束し、砂埃が舞い上がる。だが、これまでファレイの脅し、攻撃に怯えて泣いていたペティが、本気のファレイの魔力を目の当りにしたいま、まったく臆せずに……叫んだ。
「……――アタイはっ!! 確かにクソだけどもっ!! もう、そんな自分を変えたいと思ってるんだっ!! ……裏切りって言うけど、ぶっちゃけ所属したのは、ハナからローシャ様に忠義心があってのことじゃない!! これまでの生き方同様、ただの成り行きで、進んでじゃないんだっ!! ……でも今回は違うっ!! ……ちょっとした興味とか好奇心ってのは、うそなのっ!! ほんとうは……、ローシャ様の命を受けて、あんたのことを調べてたときから、ずっと……!! 伝説の【魔神】、セイラル・マーリィが人間界へ来た、すべての積み上げたモンを捨ててすら、人間界へ来たっていうことに、アタイは……! 【アタイの求めてるモンをあんたが知ってるのかもしれない】って!! そう思って……!! 信義忠義ってモンが、アタイにも初めて芽生えてんだよっ!! ……だから頼む!! アタイを部下にしてくれーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
土下座して、頭をこすりつける。ファレイは若干戸惑ったように、表情をゆがめていた。無理もない。いまのコイツの言葉は、内容は理解しにくい面もあるが、気持ちとしてはうそ偽りないものだったからだ。それに、なにより……。あの気分の悪い【魔力の質が変わった】。
正確には、まだそれは厚くあったのだが、ちらちらと、その不気味な魔力の奥の方から、別の輝きが、においがのぞき始めていた。……どういうことだ? 魔力と心情というのは関係するということか? いや……。魔力そのものには、悪や善といった性格性質もないはずだ。ルイは、ロドリーの魔力を『気色の悪い輝き』と言っていたが、それがロドリーの本質とは、俺にはまったく思えないしな。……と、いうことは……――。
「あんた……。もしかして呪われてるのか? ……なんらかの理由で」
ぽつりと、俺は漏らした。するとペティは目をおおきく開けて、震え始めて涙をこぼした。「あっ……あんたっ! い、いやセイラルの旦那っ!! 旦那はやっぱりすごーーーーーーいよっ!! いままで、だれもそれに、気づいてくれなかったのにぃ……!!」と、おんおん泣き始める。ファレイは呆然として口を開け、それから俺に向き直った。
「ど、どういうことでしょうか!? なぜ呪われていると……!? わ、私にはまったく、そのようなことは……!」
「い、いや……。なんとなく、なんだけど。しいて言うなら、さっき魔力が変化しただろ? この人の、奥のほうで……。完全にではないけど、その輝きが」
ファレイは俺の言葉を受けて、じっと、のぞき込むように泣きわめくペティを見る。だがしばらくのち、困惑したように眉をひそめて、それからかぶりを振った。
「申し訳ございません……。わ、私には依然として、クソ……、いえ腐臭がする魔力としか。そのほかにはなにも……」
「……どういうことだよ」
今度は俺が困惑して、眉をひそめた。てっきりファレイも気づいたのだと思ったのに。じゃあファレイが戸惑っていたのは、純粋にコイツの言葉から出ていた気持ちに対してだけ、ということか。毛嫌いしていたファレイの心をも動かしたということは、いよいよコイツの言葉に真実味があるってことにはなったけど。俺にしか分からないって。……そもそも呪いってなんなんだ。ファレイは知ってるみたいだから、魔法界ではわりとよくあることなのか? ふと口を突いて出てきた、が……。
「――……っ!?」
刹那、俺の視界に無数の画と、耳に音が通り過ぎ、【魔芯】を中心にして体が震える。そして俺は、自然とペティの前に歩み出て、まるで朝飯を食べるかのように、箸を動かすような当たり前の動作として、手をペティの頭にかかげて、言った。
「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。……砕け散れ。レヴィクーヤ」
するとペティの胸の上辺りが白く輝き始め――【魔芯】が浮かび上がり、さらにはそこへ、ツタのようにまとわりついていたなにかが見え……――ブチブチブチィ!! とものすごい音を立ててそれはちぎれ……消滅した。
「お……、……おっ! うっ……!! はあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ペティは叫んで立ち上がり、全身から発光、白い輝きを公園すべてに届くように発した。これは……。正確にはどのくらいかは分からないが、もしかしたら、カミヤに肉薄するほどの魔力量で、それに完全に……。
「ファレイ。いまならどうだ。……彼女の魔力は……」
「は……、はい! 確かにまったく違うものに……! 腐臭が消えて……!!」
ペティの放出する魔力光がともなう風で前髪をおおきく上げて、額を出したファレイは、目はまばたきせぬまま、驚きの面持ちでペティを見つつも、同様に、俺のほうをも見つめていた。
「そ、それよりもセイラル様……! い、いまのは……!? いま、使われた魔術は……!!」
「……えっ!? い、いや……! それが……」
俺はファレイに言われて、初めて自分がなにをしたのかに思い至る。……そうだ俺は、さっき魔術を。ごくごく自然に使ったが、いまはもう、どうやって使えたのかすら思い出せない。……クソ。まったく意味が分からん。なにかのきっかけで、また、かつての術式を使えるようになったということか? だが、前に増えた魔力と違って、こちらはもう、使えそうにないことがはっきり分かる。完全に一時的なものだったと。たぶん、いまの俺の一万程度の魔力量で使えるものじゃない、ってことなんだろうな。使ったほんの一瞬だけ、魔力量が跳ね上がったのか……。
「は……、はああああ! 戻った! 戻ったぁーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
俺の思考とは裏腹に、眼前のペティは輝きを消して両手を上げて、高架へ喜びを吼える。そして震える拳をゆっくりおろしたあと、俺に向き直り――再びヒザをついて土下座した。
「……セイラルの旦那っ!! ほんとにっ!! ほんとーーーーーーーーーーーに感謝するよぉ!! ア、アタイのこの呪いは、自分で口にしちゃダメなヤツで!! だれかに気づいてもらわなくちゃならなくて!! しかも解呪にもとくだんのレベルが必要で……!! もう無理だってやさぐれてたんだ!! 弱くはなるし、魔力のいやらしさ臭さのせいで、あちこちでハブにもされるしで……!! 人間界に来たのも、それもあったんだ!! ……あ、あんたはアタイの神様だっ!!」
何度も、ごすごすグラウンドに頭を叩きつけていた。俺はそんなペティの様子で平静に戻り、「……そ、そうか……。まあ、それはよかった。うん。……じゃあ元気でやれよ」と告げたが、そのとたん、がしっ!! と足をつかまれた。……うげっ!!
「な、な、なにを殺生なぁーーーーーーーーーーーーー!! 頼むよっ!! どうかアタイを部下にしておくれってーーーーーーーーーーーーっ!! ほらもう、嫌な魔力じゃないだろう!? 裏切るとかぜってーーーーーーーーーーーーないから!! んなこと恩人神様に対してありえるわけがないーーーーーーーーーーーーから!! ……いまなら【手足としても】役にたつはずだよっ!!」
と、俺の足にしがみついたまま、ファレイを見上げて目で訴える。ファレイは、ちっ……! と思い切り舌打ちしたあと、何度かペティを指差して、「と……、ともかくセイラルさまから離れろっ!! この無礼者めがっ!! お前の沙汰をどうするかは、セイラル様次第だっ!!」と叫び、ペティの首根っこをつかんで引きはがそうとするも、それで脚をつかまれている俺ごと倒し、俺は「ぐほっ!」とグラウンドで顔面を打ちつける。ファレイは「……!!?? セ、セイラル様ぁーーーーーーーーーーーーーー!!!」と悲鳴を上げて、ペティを踏みつけ俺を抱きかかえて半泣きで回復術をかけて、顔の土を必死に払う。……もう、なにがなんだか分からねー……。俺、ここになにしに来たんだっけか。……ああ、二人三脚の練習な。…………はっ。それはなんて【人間らしい】……。
俺は半泣きのファレイから離れて、またもやしがみつこうとする大泣きのペティを制して、冷静になった頭で、淡々と告げた。
「……えっと。ペティ、って言ったよな。あんた、悪いが俺は、いま現在、見てのとおり大した魔力はないんだよ。ほかにも立て込んでいる事情があるしで、とにかくもう、【魔神】でもなんでもないんだ。いまのだって、あんたの呪いは、申し訳ないが、ほんとうに、たまたま解けただけでさ。次同じことをやれと言われてもできないんだよ……」
ファレイをちら見する。それにファレイは、ほんのわずか、口を開けて……見るも残念そうにうつむいた。たぶん高等魔術だったろうから、セイラルの記憶が、大分回復したと思ったんだろうな。なにか、過去の記憶や術式が戻るきっかけが、この状況にあったんだろうか。……記憶にとどめておく必要はあるな。
「……ともかく。要は運が好かっただけってこと。その幸運にこそ感謝してくれ。俺は恩人でも神様でもなんでもない」
俺はため息をついて、言い終える。だがペティはおおきくかぶりを振って、強く返した。
「たまたまでも【旦那がしてくれた】のは事実でしょ!? いま、なんらかの事情で本調子じゃない旦那が、仮に百万分の一の確率で、アタイがその幸運に巡り合って呪いが解けたのだたとしたら――アタイはそれを【運命】と呼ぶ! 手放したくない!! それにそもそも、アタイは呪いを解いてもらうために旦那に興味を持ったわけじゃない! 旦那の姿勢に惹かれたんだから……!! アタイみたいに地べたじゃなく、なにがあってもずっと、とおくを見ているような――。……だからお願いします!!」
今度は土下座せず、すがりつかず、まっすぐに立って俺の目を見てから、直角に頭を下げた。俺は下唇をかみ、頭を強めにかいてから、目を閉じ……。それから少しして、目を開けると同時に、息をはいて言った。
「……分かった。ただし、【部下】、っていうのはともかくとして、だ。関わりの名称はそれ以外で頼む」
「……――ほんとうにっ!!?? やっ……たぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!! ……やっぱり【生きてこそ】!! そしたらたら絶対っ!! 好いことあるんだっ~~~~~~~~~!! ……いえいっ!!」
飛び跳ねて、ガッツポーズを決めるペティ。俺はその子供のようなはしゃぎぶりを見て、思わず笑みが込み上げてきた。……既視感。かつてこういう風景を、見たことがある。いつだったかは、思い出せないけれど……。
「セイラル様。そ、その……。ほんとうに、あの者を……? そ、そしていったい、どのような立場として……。――ま、ま、ま、まままままさか、ロドリー・ワイツィに次ぐ、【第三の従者】として迎え入れる、などとは……? そ、それとも、ルイ・ハガーに並ぶ、【第二の師】として、魔術の教えを受ける、などということは――」
ペティとは対照的に、顔面蒼白で俺に尋ねてきたファレイ。こちらは、さっきの既視感とは別のものだが、なんとも馴染みのある……。俺は噴き出して、それでファレイはなにを勘違いしたのか、いよいよ血を失って、「おっ……!! どどどどどどうか従者や師だけはっ!! おおおおおおおやめめめめ下さいましっ!! た、確かに魔力量は跳ね上がりましたが、おそらくクラス2Aほどでっ!! あっ!? ああああああロドリー・ワイツィやルイ・ハガーを上まわって!? い、いえでも!! 魔術士の実力というのは、決して魔力値だけで計れるものではなく……!! そ、そうっ! かのロドリー・ワイツィがいい例でっ!!」とまくし立てた。……どんだけ冷静さを失ってるんだよ。ほんとうにコイツは、俺のことに関してだけは、いつまでも、変わらずに……。は、ははっ。
「セ、セイラル様っ!? い、いったい先ほどからっ!! な、なにがおかしいのですかっ!? 私は真剣に……!!」
「……いーから落ち着け。そもそも彼女は、【部下】にしてくれ、って言ってたんだ。従者も部下といえばそうかもだが、それになるのが目的なら、さいしょからそう言うだろう。それに師匠は……。いまの俺にはルイだけだ。習い始めたばかりで別の師にもつく? 水泳とそろばんの塾を掛け持ちするんじゃないんだぞ。……殺されるよ。マジに」
俺は、仮にそんなことを言った場合のルイの表情を思い浮かべる。「ほう。別の師にもつくと。それはまた勉強熱心だな。……ところできょうは半身焼くか?」と。まあそんな感じだろう。はったりじゃなくて、ほんとうにやるからな、あの人は……。考えただけで寒気がする。
「そ、そう言われますと……。で、ではどのような立場でっ!! い、いまお教えいただきたくっ!! でないとあすの体育祭にも差し支えまするっ!!」
必死に俺にすがりつき、まする! まする! とおかしな日本語で言ってきた。コイツにとって、ペティの立場とやらは、どれほどのことなんだよ……と、俺が困惑していたそのとき、さっきまで飛び跳ねていたペティが、ぱん! と手を叩いて、こちらへ向き直った。
「……決めたっ!! 【応援団】だ!! いま体育祭がどうとか言ってたでしょ!? それでピンときたんだ!! ……アタイは団長兼、団員一号で、徐々に増やしていく。旦那が人間界でなにかをするために、なすために――その手伝い……応援をする!! これならいいでしょ!? ……名前は……――【ゼロの団】。旦那の、【クラス0S】のゼロね。――ウン。いいんじゃん、これ!!」
俺、そしてファレイを指差して、叫んだ。それからまたウキウキと辺りを飛んだり、走りまわって滑り台を駆け上がったり、ブランコをこいだりしていた。俺は呆然としたあと、隣のファレイに半笑いで言った。
「と、言うことだそうだ。……あれでいいか?」
「【ゼロの団】……。好いですね。私も入りたい――」
「……はっ?」
俺が目を見開くと、ファレイはすぐさま気づき、「いっ! いいいいいえいえいえっ!! いいいいまのはっ!! わ、わわわた私は決して、そのような児戯めいたことなどにっ!! ……――生涯いち従者でありますから!! セイラル様の……!!」と必死に弁解したあと、ペティのもとへダッシュ。そうして【ブランコの上】にのぼった彼女へ、下から、
「ペティ・レングレス!! 先ほどの団!! その概要と具体的な活動内容、及び年間の活動計画書を、来週の水曜までにまとめてセイラル様に提出なさいっ!! 内容よってはセイラル様のお考えも変わるかもしれないから、……手抜きせずにっ!!」
と、叫ぶ。するとペティは、ぐるん! と上の横棒にまたがったまま、鉄棒のように一周し、また元の位置に戻ると、もろ手を上げて、
「……ってことは、OKってことだよね!? やったーーーーーーーーーーーー!! ……姉さんも入るぅ!? ただしぃ、団員2号だけどぉーーーー!!」
と、けらけら笑う。次の瞬間――ファレイはブランコの支柱を駆け上がり、上の横棒へ達すると、「だ~~~れ~~~~が~~~~2号かっ!! ……じゃなく!! 私はセイラル様の従者なのよっ!! そんなものに付き合ってる暇はないっ!!」と言い放つも、それにペティは、「へ~、団員のバッジとかー、グッズ作ろうと思ってたんだけど。旦那の写真とかいっぱい撮ってさ。姉さんはいらない……っと」と、スカジャンから取り出したスマホにメモる。するとファレイは、「な、な、なーーーーーーーーっ!! わ、私もほ、欲しっ……――じゃなく!! そ、そんなものを、許可すると思ってるのお前はーーーーーーーーーーーーっ!!」と彼女へ飛びかかり……。どこにいてもお目にかかれない、体操選手も口を開けるほどの、飛び跳ね、ぶら下がり、なんでもありの、ブランコ上方での追っかけ合いが始まった。俺はそんな争いを、とおく離れたベンチに座り込んで、ぼんやりと見たあとに、
「……こりゃ、二人三脚の練習。する時間ねーなぁ……」
と、街灯で光る銀の腕時計に目を落として、ひとり。ぽつりと漏らし……笑った。




