表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
62/101

第62話 ……それを、私も知りたいのですよ

『水を打ったような静けさ』というのは、たぶん、このような静寂ものを言うのだろう。


 さまざまな衣服に、使い込まれた筋トレ器具、お洒落なテーブルやポット、本の山……およそ部室とは思えない、テーマ不統一の騒がしい部屋から、すべての音は消え去って、テーブルに着席した部員たちは、全員俺のほうを見て固まっていた。

 そんなさまに俺もつられて固まって、しばらく言葉を発せないでいたが、正面の正一しょういち――武術家兼アクションスターを目指すと言った、同級生の筋肉マンが、「……は。ははっ」と声を漏らした瞬間、呪縛が解けたように俺はまくし立てた。


「い、……や! いまのはっ! 意気込みというかっ! その……目指すものに対しての心構えというかっ!! ははっ……! その……すまんっ! 訳が分からないこと言って……」


 はははは……! と。必死に笑みを浮かべて、皆に何度も手を突き出し発言を取りつくろった。だが、その言葉に同調し、「……お、おうっ! うむ、なるほどぉ! そうかぁ……!」と、笑顔で手を叩き、うなずいてくれたのは先の正一だけで――ほかの者は、いよいよ俺を見据えた。


「……その。すごい決意、だね……。君はいったいなにを目指してるの?」


 右隣の、眼鏡をかけた優しそうな男の先輩、通称、イッショ―先輩が苦笑しつつ尋ねる。続けて、俺が応える間もなく、左向かいのちいさな……黒のショートカット女子、楠田くすだ先輩がばん! とテーブルを両手で叩いて前のめりになり、顔を近づけてきた。


「おっ……お前ぇっ! さいしょから怪しいと思ってたけど……やっぱりっ!! 【フツーのヤツ】は、そんなこと絶・対・に!! 言わないんだぞっ!! ……人間社会転覆を狙う魔の者かぁ!!」


 顔を引きつらせながら、俺を指差しながら訳の分からないことをまくし立てる。いや、(事情を知らない人たちには)訳の分からないことを言ったのは俺だけども……! ど、どういう発想してるんだこの人は……。


「あっ、あのっ……!! わ、す、すごく分かりますそのお気持ち……!! そうですよね、やっぱりそのくらいの覚悟を持って夢は追うべきですよね……。――中途半端……は、いちばん駄目なんだ……」


と、左隣に座る、メイド服を着た後輩女子……華奢なボブヘアの莉子りこちゃんが、グラスを持ったまま俺にまくし立てたあとに座り直し、ひとりで何度もうなずいていた。それに俺が唖然としていると、ことり……、テーブルにグラスを置く音に続いて、しずかな声が響いてきた。


「……イッショ―先輩。ワタシが言い出した手前あれなんですけど。やっぱり、彼のことを追求するのはやめときましょう。いまのはどう見てもマジですし。どうもいろいろ人に言えなさそうな事情もありそうですしね。ほかの皆もそういうことで。ワタシらとしては、真面目に取り組むものさえあれば、それでいいんだから」


 言い終えて、金髪ポニーテールを軽く払った同級生の女子……通称シンリは、そのまま近くにあった、手製の、お菓子が入っているだろう大袋に手を伸ばしてヒモをく。そしてなかの小袋をテーブルを滑らせて皆に配り、最後に俺のところへそれが止まったとき、にこりと笑って言った。


「これから仲良くやってこうぜ、せい。ワタシもそっち呼びでいいだろ? ……よろしく頼むよ」 

「あ、ああ……。ありがとう。……シンリ。これも」


 俺は会釈して、目の前の小袋を取ろうとする。が、さっと手が伸びてきて奪い取られる。顔を上げると、歯ぎしりした楠田先輩が、赤い顔で俺を睨みつけて言った。


「僕は完全には信用してないからなぁーーーーーーーーーっ!! それに緑川みどりかわ晴っ!! これの……チョコのお礼は僕に言えっ!! これは僕の家から持ってきたヤツなんだからっ!!」


 ぴっぴと小袋を揺らして叫ぶ。それにシンリはため息をつき、「コイツのママさんが作ったヤツだから、コイツに礼なんてしなくていいぞ。まあ、めちゃ美味いから、どうしても礼したいんなら直接ママさんに言う? ラインで伝えるけど」と、スマホを取り出した。それに楠田先輩が、「な、なんで僕のお母さんとラインしてんだーーーーーーーーーーーーーーいつの間にっ!!??」と激高。そこからシンリとスマホの取り合いが始まった。俺は苦笑してそのさまを見ていたが、右隣のイッショー先輩に肩を叩かれてそちらを向いた。


「ごめん。シンリの言うとおり、僕の言ったことは忘れていいよ。あまりに言葉が強かったから気になったんだ」


 と苦笑い。俺はかぶりを振り、「い、いや……。俺のほうがおかしかったんで。その……、目指してるものは言えませんが、活動はちゃんとしますので。不定期になるとは思いますが……」と返す。イッショー先輩は、「特殊な部だからね。たぶんこれからも、すごく部員が増えることはないけれど、残しておくべき部活だと思うんだ。だから活動してくれるのは嬉しいよ」と笑い、争うふたりの女子の前に放置されていた、くだんのチョコの小袋を手に取って、


「これ、ほんとうに美味しいから。マリンのお母さんには差し入れ以外にもお世話になっててさ。今年は合宿も計画してるんだけど、それにも協力を」


 そう、俺に差し出す。俺はそれを受け取りつつ、「そうなんですね……。合宿」とつぶやいた。夏休みのことだよな? 時期的に。それに参加するなら、すいちゃんと約束した……花火とかの日とはずらさないとな。あとそれ以上に、たくさんあるだろう、ルイとの修行日ともかぶらないように。……急に予定がいっぱいになってきたな。大丈夫だろうか。


 期待半分、(主にルイとの修行に関しての)恐れ半分、といったふうに体を震わせる。そんな折りにも、左隣の莉子ちゃんが、「が、頑張りましょうね、先輩っ! ……私も背水の陣で頑張りますので!!」と拳を握って俺を見てきてたじろがせ、正面の正一も、「ともに頑張ろうぜ、晴っ! あと、困ったことがあったら言えよ~!? ……これで力になるっ!!」と力こぶを見せつけてくる。マジですごい筋肉だな……。これを見ただけで、夢を語った彼の言葉が偽物じゃないことが分かる。夢、か……。俺は果たしてたどり着けるんだろうか。未来のための、遠い、過去それに……――。


 ひとりそんなことを思いつつ、正一や莉子ちゃん、イッショー先輩と雑談していると、楠田先輩とのケンカを終えたシンリが、「……イッショー先輩、もう、今年の合宿はちび抜きでやりません? ちびだけ違う県とかを待ち合わせに指定して」とうんざりしたように言い放ち、すぐにくだんの人が、「ふ・ざ・け・る・なぁーーーーーーーっ!! そんなことしたら末代まで呪ってやるからなっ!! それに泣くぞ!! 大泣きするぞーーーーーーーーーっ!!」と、すでに半泣きで言って、そんな彼女にイッショー先輩が、「ま、まさかそんなことするわけないじゃないか……。お母さんにお世話になるんだから」とフォローした。が、「おっ、お前ぇーーーーーーっ!! お母さんに世話になってなかったらやる気だったのかーーーーーーーーっ!!??」とマジ泣きして彼に詰め寄り、「ちっ……!! 違う違う違うっ!! か、勘弁して欲しいよ……!!」とシンリを横目で見たものの、彼女はただ両手を上げていた。


 そんなふうに騒がしさはなくならないまま、時は流れ……。慌ただしく、とつぜん始まった俺の歓迎会は、初夏の夕闇に吸い込まれるように終わりを迎えた。


     ◇


 いつもは自転車通学であるものの、今朝は、ルイの家から直行した俺は、電車で帰ることになっていたが、その道連れとなったのはひとりだけで、ほかは自転車通学だった。

 たぶんマウンテンバイクかロードかな、と思っていた正一は、なんと郵便配達で使っているような、見るからに重そうな年代物の赤い自転車で、なんでも10キロ離れた家からそれで通っているらしく、「このほうがトレーニングになるからな! それに丈夫で長持ち、買い物もできるっ!」としっかりとしたカゴや荷台を示し(しかしでかい鞄は、そこに入れずに背負っている)、わはははは……! んじゃ! と笑いつつ、ロード並みのスピードで去っていった。

 いっぽうママチャリ(軽快車)や、お洒落なシティサイクルかなと思っていたほかの部員たちは……。なんと莉子ちゃんが、「ち、父が自転車好きで、私もなんとなくちいさなころから……」と、ヘルメットをかぶって、スカートの下にサイクルパンツまではき、ピンクのリュックを背負って銀のロードに乗り、イッショ―先輩が、「僕は小学校のころからこのタイプだね」と青のマウンテンバイク、そしてシンリは、「場所とらねぇから」とコンパクトな白い折り畳み自転車にまたがって、それぞれ帰っていった。で、残された道連れというのが……。


「……!? お、お前……っ! 僕と降りる駅いっしょじゃんか!?」


「そうみたい、ですね……。すごいぐうぜん」


 俺は苦笑いしつつ、楠田先輩に言葉を返し、菜ノ川なのかわ高校名物である激坂――通称【壁】を、いっしょに下り始める。皆が去ったあと、ふたりきりになってすぐ先輩が、「……駅。どこで降りるんだ?」と尋ねてきたので、最寄り駅を答えたら、先のように驚かれたという経緯けいい。彼女は早足で横に並び、たまに下りで足をとられそうになりつつも、言葉を続ける。


「ま、まさか中学は……桜山さくらやま第三中とか言うんじゃ……っ!? で、小学校は桜北さくらきた……!」


「中学は同じですね。小学校は桜西さくらにしなので違いますが。……と、いうことは隣町じゃ、ないんですか?」


 そう言って、俺は自分の住む町の名前を伝える。すると、「隣だ……」と、歩きながら驚愕の面持ちで俺を見つめたせいで、彼女はマンホールに足を取られてずっこけた。俺は、「だ、大丈夫ですか?」と慌てて手を貸すが、その手をぱちん、と払われて、ついでに距離も取られた。


「怪しい……。怪し過ぎるっ! 僕はお前なんて知らないぞっ! 中学の時だって見たことも聞いたこともないしっ!」


「そりゃ、そうでしょうよ……。俺は別に有名人でもなない、いち生徒だったんですから。学年がひとつでも違ったら、接点なんて部活くらいしかないだろうし。俺は地歴ちれき部だったんですけど。……先輩は何部だった……、漫研ですか?」


「……漫研なんか! あんなところ、偉そうに意味の分からないことを喋ってばかりでぜんぜん描かないヤツらばっかりだった!! だから、どこにも……入ってない。……ひとりで描いてた」


 声がちいさくなる。それで近くを通り過ぎた、部活帰りの女生徒たちのはしゃぐ声がおおきくなった。俺はそんな声がとおくになってから、うつむく先輩に声をかけようとしたが、その前に彼女がなにかに気づいたように顔を上げて、言った。


「……ん? 地歴部? ……ってことは……顧問は『あの』坂島さかしまか!?」


「えっ? いや……、坪井つぼい先生ですね。年配の、男の……。俺らの学年の、国語の先生だったんですけど、趣味で遺跡巡りとかしてる人だったので。『そっちの人』は、先輩たちの……確か社会の先生ですよね。噂は聞いてましたが……」


 あまりのヒステリー具合に、めちゃくちゃ評判の悪い女の先生だったので、担当された学年のみならず、全学年にその悪評は広まっていた。いまの先輩の語気と表情かおでも、どれほど嫌われていたかは分かるが、直接授業を受けたことのない俺は、そこまでの強い感情は持っていない。


「坪井先生は知ってるぞ。とっても感じの好い人だった。二回だけだけど、廊下で話したことあるんだ。そっか……。地歴部の顧問だったんだ」


 少し寂しそうな表情かおをして、つぶやくと、とつぜんキッ……! と目を鋭くし、「い先生の元にいたからって、僕は騙されないぞっ!」とスタスタ歩いていった。……歓迎会の時間で、少しは打ち解けたと思ったんだけど。どうも最悪のファーストコンタクトを果たした上に、怪しい目標語りまで始めた二年の新入部員が、中学までいっしょ、家も隣町で近かった……という【ぐうぜん】が、悪い方向に作用したようだ。彼女はシンリを始めとして、皆にもすぐ怒ってたから、基本的に怒りっぽい人ではあるんだろうけど……。ここまで警戒されるとはなぁ。

 まさか魔力を感じ取ってなんらかの違和感を感じてる……なんてことはないと思うけど。さいしょから抑えてたし、そもそも彼女らの顧問をしてた和井津先生……ロドリーだって、いまは少し出してるんだからな。……まぁ念のために聞いてみるか。


「あの。ファ……、風羽怜花ふわれいかって知ってます? 俺と同じクラスなんですが、学年でも有名で……」


 と、言葉をかけたとたん、彼女はぴたっと足を止めて、頬をひくひくさせて半笑いになり、それから俺を睨みつけてきた。……ええ?


「お前……。なにが言いたいんだ? 『あの』学校の隠れアイドルと……超絶美人でスタイル抜群の風羽怜花と僕を比べてるのか? ちんちくりんだって! ……寝込みを襲おうとしたクセにっ……!」


 言い終えて、思い切り顔をそむけると、いよいよ早足で坂を下り、俺が慌てて追いかけると、「もうついてくんなっ! 歩いて帰れっ!」と取りつく島もない。……風羽への認識や反応が、一般的なものということは、魔力を感じているわけじゃない。単に俺と相性が悪いってだけなのか? 人間的にというか、男女としての……。

 でもやっぱり、風羽の名前は上の学年でも有名なんだな。魔術士の正体関係なく、この様子じゃ風羽といっしょにいるところを見られるのは不味い気がする。……気をつけておこう。


 けっきょく。俺はそのまま彼女の後ろを歩いて駅に着いて、同じ切符を買い同じホームに降り、やはり同じ時刻にやってきた電車に乗り込んだ。そのすべての過程で、果して彼女は自分の行動にならう俺に苦言を呈したが、文句を言うだけで距離を取るまではせずに、いまもドアのそばに、俺たちは向かい合って立っていた。


「……席。いてるのに座らないんですか」


「お前だって立ってるだろ。なんで座らないんだよ」


「いや……。流れていく景色を見るのが好きなんで」


「座ってても見られるじゃんか。いまは混んでないし」


 そう言って、目で空席を示す。まだ帰宅ラッシュとかぶっていない車内は、ほどよくいていた。俺は帆布はんぷ鞄を肩にかけ直すと、苦笑して言った。


「なんていうか……昔からのクセなんですよ。こうして、立って外を見るのが好きなんです」


「ふーん……。そっか。……それは僕も好きだ」


 先輩は、初めて穏やかな声でそう言った。それから丸い頬をぴったり窓につけて、「こうするのも好きなんだー。ひんやりして気持ちよくてさ。……分かるだろ?」とにこやかに尋ねてきたが、「いや……。それはしないですね。さすがに」と真顔で返すと、「おっ……お前ぇーーーーーーーーーーっ!! 僕を馬鹿にしてるだろっ!! 子供っぽいって!!」と真っ赤な顔で顔を離してぽこぽこ攻撃してきた。それを必死に防いでいる最中に、ふと先輩のリュックで揺れている、土星のキーホルダーが目に入ってぎょっとする。なんと俺が鞄につけている、地球と月のヤツ……それと同じ【星ガチャシリーズ】のひとつだったからだ。……お、同じ中学ってだけで警戒心が増したのに、こんなものまでバレたらなにを言われるか分かったものじゃ……! 隠しておかないと!


 俺は慌てて、自身の帆布鞄につけられたそれらを隠そうとしたが、こともあろうにその動作で注目を集めてしまい、「……――あっ!!」とバレてしまう。お、終わった……。

 俺はため息をつくと、観念して、ゆっくりキーホルダーから手を離して言った。


「……いや。ほんとうぐうぜんですね。俺も好きなんですよ、このガチャ……」


 力なく笑う。すると、楠田先輩は目をきらきらさせていた。……えっ?


「……分かるっ! 好いよなこのガチャっ!! ほかにも持ってるの!? 僕の土星はっ!?」


 と、めっちゃ食いついてきた。ええええ……!? な、なんでだ? こういうのはいいのか……っていうか、近いっ! いつの間にか手に取って見てるし! 


「は、はい……。太陽と、太陽系の惑星は、ぜんぶ。月以外の衛星とか……、ほかの惑星系のは、まだ。……でも欲しいなとは」


「そっか! でも好いな~っそんなに当てて! 僕なんて金星と水星ばっかでさーっ! 天王星が欲しんだけどぜんぜん当たらないんだーっ。ほかにも欲しいものあるから、星ガチャばっかにおこづかい使えないし」


 しょんぼりする楠田先輩。俺はその様子を見て、頬をかきながら、恐る恐る言った。


「あの……。よかったらあげましょうか? 天王星ならダブってますから。ほかのもダブってるのは、あげますけど」


「――えっ!!?? いいのっ!!?? やったーありがとーっ!! じゃああした持ってきて!! ぜったい持ってくるんだぞっ!? ……うそついたら針千本飲ますからなーっ!!」


 そう、喜びつつ脅しつつ、俺を何度も指差してくる。俺は必死にうなずいて、それで彼女はようやく離れ、やった、やった、とちいさくガッツポーズして足踏みしたあと、「あ、ほら緑川晴っ! すごい飛行機雲っ! 僕、飛行機雲も好きなんだーっ!」と窓の外を示した。俺はその言葉に、「好いですね。俺も好きですよ。見つけたらきょうは好い日かな、とか思いますし」と返し、「分かるーっ! 僕は最高、一日で五つ見つけたことあるけど、その日はついてたし! 絶対そう!」と笑顔で先輩は話した。


 窓の外を見るのが好き、と俺が言ったときの、彼女の表情かお、それにいまの、キーホルダーや飛行機雲の話をしたときの表情かおを見て、ようやく俺は気がついた。……そうだよな。自分が好きなものを好き、と言われたら好感を持つのは当たり前だ。自分と近くに感じるから。……単純な話だった。彼女が警戒していたのは、俺のことをよく知らず、とおくに感じていたからだ。正一とか、ほかの人たちがあっさり受け入れてくれたから、気づきにくかったけど。彼女の場合、最悪な印象を持たれた初対面の人間なんだから、さもありなん、ってことだ。まあそれでもちょっと、警戒しすぎだとは思ったけども。


「ところでさー緑川晴は、なんで星ガチャが好きなの? 僕はデザインもだけどー、そもそも星とかそらを見るのが好きだからなんだけど」


 ふいの言葉に俺は目を開いた。そういえば……よく考えたことなかったな。まあしいて言えば先輩と同じだけど、別に天体観測するほど星好きってわけじゃないし……。なんていうか……。


「……たぶん。昔から見ていたからじゃないかと。そらも、星も。……天を。どこか懐かしいというか……」


「……懐かしい? ちっちゃなころから見てたにしても、それって【へんくない】? まるでほんとうに、記憶がなくなった人が、くした記憶に触れてるみたいに……――」


 そこまで言って、先輩はハッとしたように口を押えた。そして、「ご、ごめんっ!! いまのナシっ!! そ、そんなふうに思ってたわけじゃ、ないから……っ!」と気まずそうに頭を下げた。……俺の【あの】発言について、か。いまのだと、記憶喪失者の振りをした怪しいことを言うヤツ、っていう感じだよな。そりゃあ警戒するわな。次からセイラル的な意識を、緑川側の生活に持ち込まないようにしないと。……過去を追いかける以上、難しくなっていくとは思うけど。


 俺は苦笑して、ため息をつく。するととつぜん、両腕をつかまれて目を見開く。先輩が俺に寄り、必死な表情かおでまくし立て始めたからだ。


「ほっ……、ほんとうに違うんだっ! むしろ【ほんとうであって欲しいな】って! でも、そんなことありえないしって……! 自分でフタをして……! だから自分にムカムカして――……とにかく違うからっ!」


 俺の腕に、彼女のちいさく細い指が食い込み、やがてそれが弱まり、手が離れてゆく。数十センチ先でピンクの薄い唇をかみ、目を見開き床を見つめる彼女を、俺は呆然として見つめていたが、次の駅へ到着するとのアナウンスが流れてきた瞬間、先輩は我を取り戻したように顔を上げて、「あーーーーーっ!! そう言えばこの駅でお母さんにおつかい頼まれたんだったーーーーーーーーーっ!! じゃっ、じゃあね緑川晴っ!! またあした、部室でっ!! ……天王星とそのほかダブりっ!! 忘れんなよーーーーっ!?」と叫び、俺と乗客の視線を一身に集めて一分後、ドアが開くと同時に飛び出し去った。……な、なんだぁ? 怒ってたわけじゃ、ないよな。むしろ俺に怒らないでくれ、って感じで訴えてたんだから。……『またあした』、か。部活で会えるなら、そのときに分かるだろう。


 俺は、再び電車が動き出したあと、またドアにもたれて窓の外を見る。そらのグラデーションが山のきわにおりるにつれ闇に染まり、ちいさく星も輝き出した。それを目に映しながら、俺はぼんやりと立ち尽くし、ひとり……記憶のない昔へ想いをせた。


     ◇


 帰宅すると、まだじいちゃんは帰ってなかった。俺は靴を脱いだあと、そのまま玄関で外のポストから取ってきた請求書やらDMやらの郵便物を確認したが、その中に宅急便の不在票があったので手を止めた。俺宛てだ。送り主が……スーパーパンダ? なんだそりゃ。聞いたこともないぞ。まだ、再配達を受けつけてる時間だな。電話してみるか。

 俺は眉間にシワを寄せつつスマホでドライバーに連絡する。すると、ちょうど近くに来ていたらしく、五分ほどで届けてくれることになった。ラッキーだったな。じぁあこのまま玄関で待っておこう。


 そう思い、その場に腰をおろした瞬間、ガチャリとドアが開いてじいちゃんが帰ってきた。そして俺を見るなり、「なんじゃお前。一日ぶりに帰ったと思ったら、そんなところで胡坐あぐらをかいて。わしに異議申し立てでもするつもりかぁ? ちなみにこづかいなら上げんぞ。別途欲しけりゃ店を手伝え」と言いながら、しっしと手を振り年季の入った靴を脱ぐ。俺は、「ち~が~う~っつーの! なんか宅急便が来てたらしくてさ、俺宛てに。もうすぐ再配達してくれるっていうから待ってるんだよ。……俺もさっき帰ってきたとこ。ただいま」と眉をひそめて返す。じいちゃんは靴をそろえてから、おう、そうかお帰り。わりと元気そうじゃな……と、俺が床に置いた郵便物を拾い上げつつ言って、さっさと目を通して不在票を確認すると、俺と同じように眉間にシワを寄せる。


「スーパーパンダ? なに屋だこれは。……お前、どっかの怪しい店で買い物したんじゃ、あるまいな……」


 半眼で俺を見おろしてきた。俺は慌ててかぶりを振り、「んなことしてたら、堂々と待ってるわけないだろ!? じいちゃん帰ってくるの分かってるのにっ!」とまくし立てたら、「ま、そりゃそうか。わしのいないときに持ってきてもらうわな」とニヤリとし、俺が歯ぎしりしたところで、ピンポーン……、チャイムが鳴り響く。俺は立ち上がり、サンダルを履いてドアを開けた……のだが。


「毎度! ブルーフクロウ宅急便でーす! こちら……よいしょっと!」


 配達員のおじさんが、いったん奥に下がり、改めて俺の家に……なにかおおきな段ボールを台車に載せて入ってきて、俺は口を開ける。え……な……、なに? なんでこんなもの……。俺は買った覚えもないし、だれかに送られるわけも……――。


     ◇


――喜べチクショー。【0】は1/1フィギュア。しかも選択できるんだ。……キャラが――


――SA! このカタログから好きなものを選んDE! あとで発送するから! 格好いいのも可愛いのもよりどりMIDORIKAWA! だYOっ!! YOっ!!――


――……。ソーシャ・ウルクワス……――


――目は口ほどにものをIU。素直じゃないMIDORIKAWAに僕からのささやかなプレゼントDA。お家の人や周りには、無理やり押しつけられたと言えばいいSA――


     ◇


「――……あがっ!!!! あぐっ……!!!!」


 とつぜんの、俺の叫びに、受け取りのサインを頼もうとした配達員のおじさんがびくっと震え、じいちゃんは手にしていた郵便物をすべて落とす。そして、届けられたものがなにかを思い出した俺は一瞬で血の気が引き、うつろな目でどでかい段ボールを上から下まで見つめる。……そうだ。前に橋花はしはなたちと行った西日本最大のオタクがい三宅橋みやけばしのショップで、初来店者のみが引けるクジをやって……それで俺が当たっ……!! そのっ、とっ……と、う、し、ん、だ、いのっ! ソーシャ・ウルクワスの等身大フィギュアかーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!


「お、おいっ! なんじゃお前は……! どうしたんだ!?」


「お、お兄さん!? あの……、大丈夫ですか!?」


 じいちゃんが家の中側から、配達員のおじさんが玄関側から俺に歩み寄り、青い表情かおでふらついた俺を支えようとする。が、すんでのところで正気を取り戻した俺は、ふたりに「だ、大丈夫……。ごめん。すみません、なんでもありません……」と言って深呼吸し、改めて【現実】と対峙する。……あの店、スーパーパンダっていうのかよ。どの辺にパンダ要素が? いや、違う、そんなことはどうでもいい……。問題は、この場をどうやってやり過ごし、【アレ】を俺の部屋でどうするか、じいちゃんにどう説明するかってことだ。……さすがに聞いてくるだろ。ちいさい冷蔵庫並みのブツが家に来たら。


 俺はくらくらする頭を押さえつつ、おじさんからペンを受け取り段ボールの側面に押しつけてサイン、丁重にお礼を言って、彼を見送ってからパタンとドアを閉めたあと、じー……っとクソでか段ボールを訝しげに見つめるじいちゃんに、口を二度、三度開けてから、言葉を放った。


「あの、さ……。橋花たちと前に、三宅橋に。買い物に行ってさ。そこの店でクジ引いたら当たった。これ、景品ね。一等賞。……忘れてたんだよ」


 へら、へらと笑みを浮かべて、極めて静かに伝える。じいちゃんは、そんな俺の様子をまばたきもせず眺めたあと、果たして聞いてほしくないことナンバーワンの言葉を放った。


「……で? それはなんじゃい。仏像でも入っとるのか」


「あー……。それ。近い。かなり。……まあそんなジャンルだよ。じいちゃんには縁遠いものさ」


「確かにわしは、無神論者だがな。優れた美術品には興味あるぞ」


「……でも、アニメとか漫画には……、興味ないでしょ? 仕事で幾つか扱ってるにしても。積極的には。そういうのの派生品には……」


 全身から汗がだらだら流れ、もはや学ラン下のシャツが水をかぶったようになった俺は、半笑いのまま必死の撤退戦を繰り広げていた。じいちゃんは、そんな俺の異様な様子……いつにない迫力からなにかを感じたのか、少し引いたような表情かおをして、言った。


「ま、まあ……。危ないものでなきゃ、別になんでもいいがな。二階に運ぶんなら、手伝……」


「……わなくても 大 丈 夫 っ ! ! これ、意外と軽いものなんだよーやだなあ配達員のおじさんはっ!! 御大層ごたいそうに台車なんかで運んできちゃってさ!! あははっ!!!」


 と、大笑いしながら俺はカニ歩き、段ボールに近づいて、両手で挟んで持ち上げようとする。が、すぐにやめる。……マジかよどう見ても30キロの米袋よりも重かったぞどうすんだよこれ……。まさか等身大って体重も実物仕様なのか、それよりも重いのか? 何製だ中身空洞じゃないのかくそったれ!! ……階段のふちを、滑らすようにして下から押し上げるか……。――……あっ!!


「……ほら軽い! ぜんぜん軽いから、このまま二階に運ぶな~っ! すぐに飯食べようっ!! 猛スピで作るからっ!!」


 俺はじいちゃんに、そうにこやかに言って、【今度は軽々と】段ボールを持ち上げた。……そう。魔力を放出したのだ。だいたい【これ】を40~60キロくらいと想定して魔力量を調整し、薄っすら緑の光を身にまとって。……まかさこんなところで役に立つとは。そしてこの程度の魔力で、こうも力が出るなんて……。マジでコントロールをしっかり身につけておかないと、とんでもないことになるな。


 俺は自身に宿った恐ろしい力に冷や汗をかきながら、発泡スチロールのごとく感じるようになった段ボールを抱え、二階への階段をのぼってゆく。下からじいちゃんの、「……気をつけろよ~。軽いといっても、視界が悪くなってるから」という控えめな声を耳にして、それに「ああ、分かってる。大丈夫……」と返事をしながら、なんとか自分の部屋へと担ぎ込む。そしてすぐに一階へと舞い戻り、手洗いうがいを済ませるとダイニングキッチンへ直行、慌てて冷蔵庫から肉やらキャベツやらを取り出し、「きょうはお好み焼きで~っす! 豚玉っ! 早くてうまぁい!」と、席に着いたじいちゃんに陽気に言ってから、てきぱき料理を始めた。


     ◇


 その。食事を終えて、後片付けを済ませて、テレビを見ながら、じいちゃんと一日ぶりの会話を楽しんだあと――。部屋に戻った俺は、じいちゃんが風呂に入っている間に、【あれ】の中身を確認することにした。


 出して、部屋に置きっ放しになどできるわけもないが、このまま段ボールに入れっ放しにしておくというのも……。正直、どんなものなのか興味もあるし、どのみち後日、橋花や伊草いぐさに約束した、お披露目会もしなきゃならないし。しらばっくれるのも無理だろう。あの店長は、橋花と仲が良さそうだったから、発送済みなのは分かるだろうし。


 俺は机の上のペン立てからカッターをつまみ出すと、刃を伸ばして段ボールを梱包しているガムテープに差し込んでゆく。そしてゆっくり刃を引いて、開封。中にはビニールと、緩衝かんしょう材である発泡スチロールが見えて、それを無言で外したら、頭が見えた。魔力を使えば引っ張り出すのもわけないが……。人間界の雑事のために、魔力を使うクセがついたら不味い。箱を全切りして出そう……。

 そうして、俺は段ボールを縦にも切り、ばっさり前から開けて、ビニールも取り……。ほどなく等身大のソーシャ・ウルクワス像が姿をあらわにした。


 息をむような美しい碧眼。

 三つ編みでひとつにまとめて垂らしている長い金髪。

 白のトップスからは控えめな胸が大胆に露出していて、ひらひらの白スカートからも、細く白い脚がすらりと伸びており……。

 そんな白ずくめの身体が映えるように背中に垂れる、漆黒のマント。150センチほどの小柄な美少女――。

 彼女は橋花が好きなアニメ作品、通称【ヒナナカ】に登場する魔術士のキャラクターであり、かつ、橋花が嫌うキャラクターで……、ともあれ空想の人物である、が……。


【似てる】。それが俺の、心の第一声だった。


 橋花いわく、フィギュアの世界では名高い創り手である、蒼天そうてんという人が作った一作。その造形美の素晴らしさよりも……、いや、その素晴らしさによってこそ、俺はアイツのことを――……、【緑川晴おれ】を死の寸前まで追い込んだ、【セイラルおれ】を永く愛して探し求めていたという魔術士、ローシャ・ミティリクスのことを、再び思い出した。


 彼女はソーシャと同じ碧眼に、同じ長い金髪。それを三つ編みにして、ひとつにまとめているのも同じだったが、背中のほうではなくて、左肩にかけるようにして垂らしていた。

 また漆黒のマントも同じだったけど、身体を包んでいたのは紺碧こんぺきの、身体のラインのはっきり出た極薄のライダースーツのようなものだった。それに硬そうな黒ブーツ。


 そんなふうに違いはあれど、名前も含めてここまで似ていると、いつか人間界にたまたま来ていたローシャを、アニメ制作者のだれかが見かけ、会話を聞いて名前を知ったか、あるいは逆に、魔法界のローシャを知るだれかが人間界のアニメスタッフになったとか。そんなふうにすら思ってしまう。もし、ほんとうに単なるぐうぜんだったなら……。神の存在すら信じてしまいそうなほどの相似そうじ。魔術士たちの言葉で言うなら、神は精霊、ということになるのか……。


 俺はソーシャの右手にそっと触れる。硬く冷たい。……そう言えば、ローシャアイツはこれと同じ手を、腕を……。ロドリーの特殊な魔術によって切断されて、魔法界へと送り帰されたんだ。そして、ローシャの属する王国の者の依頼により、ルイたち……ハガー兄妹が、ロドリーを殺すために送られてきた。けっきょく、ふたりは返り討ちにあって、ロドリーの推察によると、しばらく追撃はないとのことだけど。いま、ローシャはどうなっているのだろうか。……カミヤも。


 俺はごろんと寝っ転がる。あのとき俺は、ふたりに手も足も出なかった。もしまたやって来て、その時にロドリーやファレイがいなかったら――。魔術士のとばぐちに立ったいまだからこそはっきり分かる。100パーセント、カナブンを踏みつぶすように殺される。前なら蟻というわけだ。当時は4で、いまは1万の魔力を得ているとしても、ふたりと比べたらそれくらいの差でしかない。だが、カナブンでなくて、蜂なら? 蜂でなくともゴキブリや蛾なら? 力の差を埋める【質】の差、戦い方があるんじゃないだろうか。……というよりも、俺がやるべきことはそれしかない。……――ローシャともう一度、話をするためにも。


「……力を失ったからって、殺そうとするものなのか? 愛してるんじゃ、なかったのか……――」


 ひとり言葉を漏らした。もし、いまの状態を【落ちぶれている】と解釈するなら、失望するのも分からなくはない。が、それでもカミヤいわく、八十年もの時をかけて愛し続け、そのうち十七年も探しまわった相手を……。魔法界の、リフィナーの感覚は人間とは違うのかもしれないが、ルイの昔の話を聞くと、弱いからといって愛せないとは思えない。だとすると個人差ということになるが、それでも、セイラルおれの、【魔神】と呼ばれる力に恋したのだとしても。【ほんとうに、愛しているのならば】――……。


 そんなことを考えていると、だんだんと、まぶたが重くなってゆく。一日ぶりに家に帰って安心したからか、猛烈な眠気が襲ってきた。抗いようもない睡魔に、俺はあっという間に吞み込まれて、夢の世界へと引きずり込まれた。


     ◇


     ◇


「……セイラル様は、今後ご結婚のご予定などは?」


「いえ。ありませんね。まったく。残念ながら」


 俺は紅茶の香りを楽しんだあと、そう返して口をつける。テーブルの向こうに座った、青いドレスをまとった妙齢の貴婦人、サカーシャ・ミティリクスは、わざとらしく、うーん……と首をかしげてから、手に持つソーサーへカップを戻し、それをテーブルに置く。

 そしてとろんとした青い目で俺を見据えて、続けた。


「貴方は世界一の魔術士。だれもがその動向を気にしている存在です。無論、そこには世継ぎのことも。なにせ、おひとりで国を相手取っても引けを取らないほどの力をお持ちなのですから。まだまだ長きにわたって頂点におられるかとは存じますが、花が枯れゆくように、どんな存在も地に落ちる時が来る。……ふつうは、準備をしておくものではないでしょうか」


「【そういう意味での準備】は必要ないですね。力が衰えて殺されるのも節理。永劫の繁栄を求めて血や力をつなぐことに心血を注ぐのは趣味にありません。終わるならばそれでよろしかろうと。それに、相手がおりませんものでね」


「貴方と釣り合う女は、そうでしょうね。それに殿方とのがたは、女に力よりも美貌と追従ついじゅうを求める傾向にありますし。強ければいいというものではないのでしょう」


「女性だってそうでは? 強ければ魔獣でもよいわけではないでしょう。魔術大国ミティハーナの第二王女であられる貴女。サカーシャ様とて」


 俺は失笑して、カップをちん、と鳴らす。そのさまにすぐ、離れて控えていた俺の従者、ハーティ・グランベルがメイド服の裾を揺らし、丸眼鏡を光らせてすたすた歩み寄り、「いまの言動、大変に無作法かつ失礼かと。サカーシャ様にお詫びを」を低い声で脅す。そのさまにサカーシャがふふふ……と目を細めて笑い、ちいさくかぶりを振った。


「リフィナー社会での身分は私のほうが上であっても、精霊が取り決めた身分では、クラス4Sフォーエスでしかない私のほうが、0Sゼロエスの【魔神】よりもはるかに下なのですから。気にしないで、ハーティ。……この恐ろしい御方おかたは、だれに対しても、そういうことをすべて分かった上で振る舞っているのですから。……ねえ?」


 相変わらず、油断のない、とろんとした両眼を俺に向けたまま笑う。いつ会っても気の休まらない女だな。普段はローシャを野放しにしてるのに、きょうはなぜかアイツの【おもり】としてついてきたし。いったいなんの用だ。


「念のために言っておきますが、私は見合いなどをする気はありませんよ。もしそういったご用件なら、愛する末妹まつまいを連れてお引き取りを。こう見えても忙しくしておりましてね」


「それは、近ごろ拾った孤児の育成で、ということですか? なんでもその子を、跡継ぎにしようと考えておられるとか」


 サカーシャが目を光らせる。……それが本題か。


「耳が早いですな。まあその通りです。そいつは、このハーティを弟子にしたときの千倍手がかかるので、時間がいくらあっても足りないくらいですよ。跡継ぎといっても、いまはまだ見極めの段階です」


 俺は再び紅茶を飲む。サカーシャは黙って、いつの間にか窓から差し込む光を受けて、外を見ていた。かすかに聞こえてくるのは、彼女の末妹であり、俺になついて婚約者! などと言い張っては何度も屋敷に通ってくる幼い少女、ローシャ・ミティリクスと、そのお付き……世話係である貴族の少年、カミヤ・シッチェロスの声だ。

 サカーシャは、そのふたりが庭で戯れる様子を見ながら、声を耳にしながら、俺のほうは見ずにつぶやいた。


「かの【ヤートの森】に打ち捨てられていた、【世界真会ローレア】が排除命令を出している、リフィナー社会に染まる見込みのない危険児。現在の魔力は一万六千ほどですが、将来的には化ける可能性がある。……ということを見込んでるにしても、お戯れが過ぎるとは思いますね、一般的には。ただ私個人としては……、ウチのローシャを弟子にしなかったことを含めて、セイラル様のお考えが分かる気がしますけれど」


「……。と、いうと?」


「才能のある危険児にはどこにも紐がついていない。その育成が成功すれば、また別の者を。そしてまた別のといったふうに。集め、育て、……最終的に精鋭の師団を、軍を、最強の国をつくることができると。それはくだんの危険児と同じく――。【下の世界】からやって来られた、生まれた国をもはや持たず、強国を呪う貴方の悲願ではなかろうかと。……如何です?」


「それはまた、想像力が豊かでいらっしゃる」


 俺は鼻で笑い、またちん、とカップを鳴らす。今度はハーティも注意しなかった。先ほどサカーシャに許容されたからではない。いまのサカーシャの発言に……ヤツは怒っていたからだ。

 今度は逆に、俺がハーティに視線を飛ばして留まらせる。常に常識をわきまえ、冷静に力量を見極めるハーティが高い身分の者、自分よりも魔術士として強者である存在に牙を向くのは、ハーティ自身が敗戦国の王家の者であり、亡国へとちかけた痛みを知っていることと……俺への侮辱。それにほかならない。なので、よからぬもめごとが起らぬよう、俺は彼女に【お帰り願う】ことにした。


「想像に過ぎないことかしら。……当たらずとも遠からずでは?」


 続けて言う、不敵な笑みを浮かべるサカーシャに、俺は淡々と言った。


「サカーシャ様。貴女……。恋をしたことがありませんな」


「……。はっ?」


 とつぜん、話題とれたように思える問いかけに、サカーシャはとろんとした目を見開く。それから鼻で笑い、ちいさくかぶりを振った。


「いったいなんの話でしょう? 別に、私の俗な話にご興味がおありならば、お聞かせいたしますけれど」


「いや、【俗な話】には興味はないです。俗でない、ほんとうの恋の話ならば興味がありますけどね。……無理でしょうな。経験がないのだから」


 彼女はわずかに眉をひそめる。俺はカップをちんちん、と連続で鳴らして続ける。


「つまりですね、貴女の……王宮内でのただれた性愛事情などに興味はないのですよ。そういうご経験は豊富であるとお見受けいたしますが、私が聞きたいのは、真実の恋の話ですから。けれど無理でしょう? もし、そんな経験が一度でもおありならば、先ほど開陳かいちんなさったような、想像力豊かなご意見はとても述べられないでしょうから」


「ずいぶんと婉曲えんきょくに嫌味を仰るのですね。まったく気にしませんけれど。つまりは的外れであると?」


「はい。ですが、ただの嫌味と取られては困りますね。【そのまま】ですよ。私は貴女のように複雑なリフィナーではありません。私のすべての行動原理は――生涯一度切り、ただひとり愛した女のことにもとづいている。それをご理解いただければ、そんなふうな憶測はとても出てこないという話です」


 真顔でサカーシャの両眼を射抜く。その目にはありありと、不可解さが、そして恐怖の色が浮かんでいた。俺の魔力に気圧けおされたのではなく、理解不能な者を目の当たりにしたときの色だ。彼女は頬を震わせて……やがて視線を逸らした。


「……結構。きょうのところは、そろそろおいとまいたします。けれど最後にひとつだけ。貴方はさいしょ、『相手がおりません』と仰ったわ。だとしたら、貴方の生涯を捧げたく思う愛しいひとは――いったいどこにいらっしゃるというのでしょう?」


「……それを、私も知りたいのですよ。サカーシャ様。――お引き取りを」


 サカーシャは、しばらく俺の顔を、真意を探るように目をのぞき込んでいたが、ため息をつくと身を返し、「次は、ぜひとも【真実の恋】のご教授を」と伝えて、ハーティの開けた扉をくぐり、部屋を出て行った。


 残された俺は、ソファにだらしなく腰をおろし、ひとり天井を見上げる。しかしそこには、【あの人】の姿もにおいも……。当たり前のように、なにひとつ浮かぶこともなく、ただきらきらとしたほこりが自由に舞うだけだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ