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第61話 魂がこぼす

 輝く空。心地よい風。温かで騒がしい、【人間】の空気――。


 木曜日。平日朝の駅前。俺のよく見知っている光景は、まるで数年ぶりに帰ってきた故郷のように、五感へ懐かしさを沁み込ませてくる。俺はきのうの疲労すべてを吐き出すように、そして【日常】を存分に吸い込むように深呼吸をすると、ゆっくり振り返って頭を下げた。


「じゃあこれで。いろいろありがとう。……また」


 車内から、開けた窓越しに、ルイはうなずくと言った。


「今後連絡があるときは、電話か直接会いに行く。文字類はパスだ。お前からもそうしろ。私の魔力は、もう理解したから感知できるだろう?」


「……そりゃあ、な。あんだけ無茶苦茶されたなら」


 俺は顔を引きつらせて苦笑し、腹や腕をさすりつつ答える。そんな俺を車内から横目で見やるルイは、対照的に満足そうな笑みを浮かべていた。……明け方まで、いったい俺は何回赤い魔力によって骨を折られ、手足を斬られ潰され、腹をぶち抜かれ、身体を燃やされたことか。治されたとはいえ、いまだに思い出すと気分がいいものではない。よくぞ発狂しなかったものだ。ファレイには大見得を切ったものの……。あんなのがこれからも続くのかと思うと、顔をゆがめたくなるのも無理はない。


「……ふ。ともかく、休みは基本的にけておけ。平日とか、私が修行をつけられないときは、教えた自己鍛錬を欠かさずしろ。きちんと確かめるからサボるなよ。……それと念のためだが」


 ルイは俺を指さして、ぼそりと漏らした。


「魔力。いまのお前は1万あることを忘れるな。練魔場トラセラの床を真っ二つにしただろう? あのときは、1万すべてを拳に乗せていたのだろうが……。そこまででなくとも、たとえば100ほどの魔力でも、なにかの拍子に、人間相手に魔力それを込めた接触をしたりしたら、ただでは済まないぞ。人間界ここで【ふつうに】暮らしていきたいのなら、コントロールをよく覚えておくことだ」


 そう言い放つと、ルイは窓を閉めて車をゆっくり出して、駅から離れてゆく。俺はその、なめらかに道路を走っていく見事な運転をぼんやり見たあと、辺りを行き交う人たちへ視線を移し、さっきとは違う意味で、自らの腕をさすった。


     ◇


 その後。駅のコインロッカーへ赴くと、預けていた制服や通学用の帆布はんぷ鞄を取り出して、トイレで着替えたのちに、今度はルイの家へ着て行った服を同じロッカーへ放り込み、歩いて学校へ。(せわ)しく行き交う通勤通学者たちをけつつ、やがて菜ノ川高校通学路の名物である急な坂道――通称【壁】を登ってゆく。そして、その足取りの重さを感じられるように、全身の魔力を抑え込むのには、登り始めて二分ほどかかった。……楽に登れないほうがホッとするなんて、おかしなもんだな。しかし……。

 俺は周囲の「おはよー」「おいーす」等々の、同じ制服を着た者たちの朝のやり取りを見たり聞いたりしながら、先ほどのルイの言葉を思い出す。喧嘩とかはもう、あんまりしなくなったけど、これからは気をつけないとな。橋花はしはな伊草いぐさとじゃれ合うときも。いままで思い切り殴ったりしたこともあったが、そこに魔力がこもってたら、きのう俺がルイにやられたように……。冗談じゃないからな。そんなことは……。


「おいーっす! なーに深刻ぶった表情かおし・て・ん・だ・よっ! クソアニメにでも当たったかあ?」


 と、見当外れな台詞とともに俺の頭はぺしりとやられ、噂をすればなんとやら……友人そのいちの橋花がケラケラ笑いながら現れた。俺はおおきくため息をついて、乱された髪を直し、くだんのオタクイケメン眼鏡を睨み返す。


「なんでもかんでもアニメに結びつけるなよ。俺はいま、今後の人生のありようについて、深く思い悩んでたんだよ」


「はあ? ……んとにそんなレベルのこと考えてるヤツはー、人に言えねえっつーの。ダチに言えるくらいなものは、まだたいした段階じゃねえよ」


 と、半眼で俺の頭を再びぺしぺし。……コイツの言い分もさもありなん、か。ほんとうに追い詰められていたら、そんな余裕ないもんな。コイツなりに心配してくれているのは分かるがムカつくので、【手加減して思いっ切り】つねってやろう。


「あいたたたたあ!! おまえふざけんないてえ!! 人が心配してやったのに……!」


「……よし。大丈夫。コントロールはばっちりだ。改めておっす。好い朝だなぁ。それと心配ありがとう」


「なにがだボケぇ!! お前、せっかくおれがユーシィの新作フィギュアの写真を見せてやろうと思ったのに……! 絶対見せてやらねーからなっ!」


「わー、それは残念ダナー。ニンニン」


 それで俺は、怒り狂った眼鏡にヘッドロックされて、ふたりそろって登校者たちの人波を分ける岩となる。だが少しして、その騒がしい岩に蹴りをくれる者が現れた。真っ赤な頭の強面こわもて男、友人その2の伊草だ。


「朝からうっせーしキメえんだよ。男同士で抱き合ってんじゃねーぞ」


「「てめえ!! 靴の裏で蹴るんじゃねえよ!! どーせ公衆トイレに行ってきたところなんだろーがっ!!」」


 ふたり同時に言ったあと、伊草はいよいよ顔をしかめ、「息ぴったりでキメえなあ……。そして俺の便所事情を把握してんじゃねーよキメぇ」とさっさと歩き出す。俺たちはその尻に、揃って蹴りをくれてやり、思い切り道に倒れ込んだ伊草は、すぐさま起き上がると世にも恐ろしい表情かおになり、ただでさえ強面で恐れられているのに、怒りのオーラによってその怖さをさらに増し、俺たち以外の、歩く生徒たちを恐怖の渦に叩き込む。……朝に見せていい表情かおじゃねーだろ、それ。


「ぶっ殺すぞコラぁ!! 命が惜しけりゃ昼飯奢れテメエら!! 特上カレーパンで許してやんよ!!」


 と、襲い掛かってきた伊草にふたりで応戦し、互いに殴り殴られ……。門から出てきた教師によって止められるまでそれは続く。説教を受けている間にも、俺は殴られた痛みと、殴ったふたりの、いつものふてくされた表情かおを見て、ひとり笑みを漏らしたが、それを全員に見られて、「な、なに笑ってんだ……?」「ついにマゾ化かよ……。殴りすぎたか?」「コラ緑川みどりかわぁ!! 人の話を聞いとんのかあ!!」とドン引き&怒りを買い、一時間目が始まるギリギリまで教室に行くことはできなかった。


     ◇


 そうして時は流れ、昼休み。俺はいつものようにダチふたりと飯を食うために、東棟へと向かったのだが、二階の渡り廊下へ足を踏み入れる前に、前方の左右から同時に魔力を感じて立ち止まる。それでゆっくり、緊張しつつ渡り廊下へ足を踏み入れると、右手にファレイが真剣な面持ちで、そして左手にはロドリーが、柵にもたれて腕組みをして立っていた。


「な、なんだ……? びっくりした。用なら声をかけてくれたらいいのに。待ち伏せみたいな……」


「用はあるけど。……やっぱりね。あなた、いま私たちの魔力を感じたでしょ。姿を見る前に」


 よく見るジーンズとストライプのシャツを着たロドリーは、太い黒縁眼鏡越しに鋭い目を向けてくる。いっぽう反対側のファレイは、制服のスカートをつかんだまま、口を何度か動かしてから言った。


「そ、それにセイラル様! いまのあなたの魔力は……! わ、私は正確な魔力を計る術は習得しておりませんが、どう感じても1万ほどあると思うのですが……。いったいどういうことでしょうか!? ま、まさかあの女――ルイ・ハガーになにかされたのですかっ!?」


 青い表情かおで、歩み寄り、額がくっつきそうなほどに顔を近づけ、俺は思わず後ずさる。コ、コイツはいい加減に自分の女としての……、はともかく! やっぱりねって……。きょうのさいしょから、異変を感じてたってことか? そういえばなんとなく、ロドリーもファレイも、授業中いつもより視線をこっちに飛ばしてたような気もしたが……。そんなにはっきりとした変化が分かるものなのか? 自分では、ピンとこないんだが。


「……なにもされていない! ことはない、が。魔力が上がったのはルイのせいじゃ……、ないこともないが。まあ言うとおりだよ。あるきっかけがあってさ。確か1万……299? とか言ってたな。彼女も驚いてた。それと、確かに前よりは、魔力を感じられるようになった。これもルイにボコ……、あの人の魔力を大量に浴びることになったせいだろうな、たぶん」


 頭をかいてふたりに説明する。ロドリーは腕組みをしたまま、なにかを考えていたが、ファレイは頭を抱えて、「魔力を大量に浴び……!? あ、あの女……!! セイラル様になんということをっ!! やはりいまからでも息の根を止めておくべきだっ!!」と言い放つや否や、柵を飛び越え二階から飛んでいこうとしたので、「ばっ……ばばば馬鹿かっ!! ロドリーめろっ!!」と俺は必死に叫び、それと同時にロドリーが片手でファレイの腕をつかんで強制的に地面へ座らせた。


「落ち着きなさい。魔術士の修行というものがどんなことをするか、あなたもよく知ってるはずでしょう? かつて【魔神かれ】にしごかれたのなら、なおのこと。【ほかの弟子】への指導方法に口を出すのは、魔術士としての誇りに関わるわよ」


「ほっ、【ほかの弟子】……!? ……ぐっ!!! た、確かにそうではありますがっ!! ありますがっ……!!! セイラル様は私にとって唯一の師匠で、あるじであられる方で!! ……そんなゆかりがまるでないような言い方は!!」


 地べたに座り込んだまま叫び、歯ぎしりしつつ廊下を叩き、拳型に石造りのそれは破壊される。ロドリーはため息をついて、「……結界を張っておいて正解だったわ」と言って、前髪をかき上げた。よく見ると、廊下全体に、薄い紫の膜が張られていた。前に学校全体にも張ってあるとか言ってたが……これには気付かなかった。こういうのがレベルの差、ということなのかな。


「いちおう、いまは記憶がなくて魔術士の常識がないあなたに説明しておくけど。我々の魔力値というものは、急激に上がるものじゃないのよ。一日一日の鍛錬の積み重ねで、100の者ならひと月で110か112、1000の者なら同期間で1200か1300に、というふうに。元のあたいや鍛錬の度合い、なにより才能に応じての差はあれど、少しずつ、少しずつ上昇してゆくものなの。そしてあるとき頭打ちになる。それも、かなり時間が経たないと分からない。……ともあれ、そこまでの瞬間的な上昇は、ふつうではあり得ないことよ。ただあなたの場合は、伸びたのではなく、元々の魔力が解放されつつある、ということだから、ふつうの場合には当てはまらないんだけど。……いろいろ考えることが出てきたわね」


 ロドリーは、俺の顔を見ながら、やれやれ、というふうにタバコを取り出し、くわえる。俺は顔をしかめて、「な、なにか不味いのか……? 俺はいったいどうすれば」と慌てるが、ロドリーは火をつけていないタバコを唇で上下に動かしながら、言った。


「まあ、しいて言うならいまやってるみたいに、魔力を抑え込んでいて。お姉ちゃんに、人間を傷つけないために指導されたんでしょうけど。私が言うのは【魔法界中から捜索されている、セイラル・マーリィの魔力を隠すため】。まあ、たとえ熟練者が抑えていても、特殊な術を使って消さない限り、近くに来たら分かるんだけど。遠くからなら分かりにくいから」


 ロドリーは言い終えたあと、「もしかして、もう『リダー』とか習った?」と聞いてきたので、「あ、ああ……。それだけは。なんとか」と返すと、「じゃあ火、つけてくれない? どんなものか見てみたいし、ついでに。ちなみに結界の中だから大丈夫よ」とタバコを指さした……ところで、ファレイが立ち上がり、「創術者はレッサラー・ポートっ! 執行者はファレイ・ヴィースっ! ……(とも)れっ! リダーっ!!」と叫び、恐ろしい表情かおで、指に灯った火をロドリーに突きつける。ロドリーは、「……どうもありがと」とつぶやいて火をつけて、ファレイは指を折り曲げて火を消すと、そのまま彼女へまくし立てた。


「いいですかっ!? 確かにあなたは、私よりもずっと年上で、セイラル様と戦友であられる方で、その実力も……【外法者ミッター】ということに対する私情私見はさておいて、【客観的には】――とてつもないことは認めます!! ですが、だからと言って、セイラル様に、タ、タ、タバコの火をつけさせるなど……っ!! 今後は自重していただきますっ!! ……少なくとも私の前ではっ!!」


 と、まくし立てて、唾で火を消すほどの勢いだったので、ロドリーはうんざりしたように顔をそむけてタバコを守りつつ、「はいはい。少なくともあなたの前ではね」と返す。自分の前では、というところに、ファレイが死ぬほど理性を働かせていることが俺にも分かったので、ロドリーも素直に従ったのだろう。ふつうなら一切の譲歩なしで禁止させてただろうしな。これも従者同士の関係維持のためか。はたまたファレイも変わりつつあるのか……。


「セイラル様がリダーを……。そんな超初級魔術を……。セイラル様が久しぶりに魔術を使われているところは見たい……。けれどじっさいにセイラル様が執行されて、『どうだ? はじめて覚えたんだぜ。これもルイの指導のたまものさ。彼女は素晴らしいよ』などと笑顔で仰られたりしたら……!! あああああ……!!」


 ファレイはひとりでぶつぶつ言いながら頭を抱えて苦悩していた。そんなさまをロドリーは半眼で、「若いって素晴らしいわね……。二度と戻りたくないけど」と煙をふかし、俺は困惑して苦笑いを浮かべたまま、ロドリーに尋ねた。


「いまの話だと、セイラルおれの魔力は……。そりゃあ【魔神】と呼ばれてるくらいだから有名なのは分かるけど。魔力だけでも分かる魔術士やリフィナーはかなりいるってことか? ルイやリイトは、名前はともかく、魔力では分からなかったみたいだけど」


「……。魔法界における【あなたの名前】は、その実力のみならず、開発した多くの術式の普及もあって、人間界ここの日本で言うなら、現在の総理大臣の名前と同じくらいの知名度。ほとんどの人が知ってるけど、子供を含めて全国民が対象なら、まあ知らない人もいるかもしれないわね、っていうくらいのもの。で、【あなたの魔力】は……。コアな音楽ファンの間では有名な実力派歌手くらいの認知度。一般的には知らない人も多いっていう。基本的に、魔力は相対しないと知り得ないものだしね。……だけど、その【コアな音楽ファンの間では有名】っていうのが厄介だってことよ。ものすごく雑に言えば、そういうのが【歪んだ関心で】追っかけて来てるっていう話だから。純粋なファン意識を吹き飛ばして」


 俺は顔をひきつらせる。ロドリーは煙で輪っかをつくりながら、続ける。


「あと顔は……。魔法界(あっち)にもマスメディアはあるけど、あなたはそういうものには、いっさい応じなかったから、魔力以上に知られていない。加えて、いまは若返っていることもあるけど、雰囲気そのものが違いすぎていて、知っている者でも、相対しても分からないでしょうね」


「……そうか。ありがとう。気をつけておくよ」


 俺は、そう、ちいさく返したあと。ロドリーの話で、あのふたりを……。ローシャ・ミティリクスと、カミヤ・シッチェロスという、セイラルにゆかりのあるという、魔術士たちのことを思い出す。ローシャのほうは、【魔神】と呼ばれるほどの強者であった、かつてのセイラルおれを恋い慕っていて、ずっと探していたということ。カミヤは彼女の従者で、こちらはかつてのセイラルおれを魔術士として尊敬していて、主の命に従ってこちらへやってきたということ。そしてふたりとも、見る影もなく弱くなった緑川晴おれに失望して……殺そうとしてきたこと。


 いまはロドリーの魔術によって、ふたりとも魔法界へ追い返されていて、どこでなにをしているか不明だが、生きているなら、このままで終わるとは思えない。自分たちを追い込んだロドリーへの恨みだけでなく、……ほんとうにセイラルおれへの想いが強くあったのなら。俺を殺せなかったことで、想いにケリをつけていないのだから。……そう。宙ぶらりんの想いのまま生きていくには、リフィナーは……――。


「……セイラル。魔力が高まってる。1万すべてが解放されてるわよ」


「……えっ」


 ロドリーに言われてはっとする。俺の体は緑光りょくこうに包まれていた。なので慌てて、朝やったように必死に抑え込み、なんとか一分ほどで落ち着かせた。な、なんだいまのは……。また過去の記憶が? 夢だけじゃなく、たまに自意識が、全身から湧き上がってくるなにかに突き動かされて【走る】ことがあるけど……。あまり気分のいいものじゃないな、これは……。


 俺は深呼吸して、こちらをじっと見るロドリーと、そしていつの間にか真顔になって、やはり俺を見つめるファレイに、「大丈夫。……もうなんでもない」と伝える。ファレイはほっとして表情かおがやわらぎ、ロドリーは唇を動かしてタバコを口の端へ動かしたあと、「『もう』、ね……。まあいいけど。学校の結界を、少し強めておくわ」と言ってから、


「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はロドリー・ワイツィ。うろを埋めよ。……シーディス」


 と、つぶやいて、ファレイの壊した渡り廊下の石タイルを直した。以前に見た時のように、時間の巻き戻しレベルの見事な修復だ。主である俺がそばにいると、従者は魔術の精度や威力が上がるということで、これもその表れらしいが、それ以前に……。ひとつだけとはいえ、魔術が使えるようになったいまなら分かる。ロドリーが、ファレイの言うように、とてつもない魔術士だということが。かつてのセイラルおれの、戦友か……。


「も、申し訳ありません……。直していただいて……」


 ファレイは気まずそうに言って、ちいさく頭を下げる。ロドリーはタバコをつまむと、火のついたままのそれを消し去って、返す。


「まあ、私が誘発させたことだから。でも魔法界あっちならともかく、今後も人間界こっちで生活して行くつもりなら、再生術ヒートスの腕は、上げておいて損はないわよ。……とくにこれからは」


 そう言って、ロドリーは俺をチラ見してから、俺たちに手をひらひら振るときびすを返し、俺が来た西棟へと戻ってゆく。渡り廊下の結界は残ったままだった。俺は、うつむいて暗い表情かおになっているファレイと、その結界を見たあと、彼女に言った。


「なあ。よかったら『リダー』を見てくれないか? どんなもんか、感想も聞きたいしさ」


「……えっ?」


 ファレイは顔を上げた。それから数秒と経たないうちに、「あ、あの、その、そ、それは……! 少しばかりの心の準備が!!」とわたわたし始めたが、それをあえて無視し、「ちなみに詠唱の執行者名は、【緑川晴みどりかわせい】、な。……これは仕方ないから文句言うなよ」と付け加えて、俺は再び魔力を高めて緑光を発する。そして人差し指を立て――、


「創術者はレッサラー・ポート。執行者は緑川晴。……灯れ。リダー」


 とつぶやく。するとわずかな間を置いて、指先に火が灯る。ファレイは目をおおきく見開き、……唇は震えていた。


「行くぞ。……そらっ!」


 俺は掛け声とともに、3メートルほど先の石タイルをめがけて、軽く腕を振る。火のは、ちいさな流れ星のようにえがいてくうを舞い、地に落ち、炎がわっと沸き立って、タイルを燃やし始める。まるで穏やかな焚火のように。


「よーっしうまくいった! これ、一晩中やったんだよ。んで、明け方やっとこんな感じに、まともに。それまでは爆発したりすぐ消えたりばっかでさ。……これまでなんの気なしに、お前やロドリーや、ほかの魔術士たちの魔術を見てたけど。いまなら分かるよ。……すごいな。お前たち……。魔術士っていうのは」


 俺は指を鳴らして、炎を消す。近づくと、タイルには焦げ目が残っていたが、あまりダメージはなさそうだった。たぶんこれが、魔力値1万くらいの、見習い魔術士が使う初級魔術の威力なんだろう。あの大爆発は【魔神】だったときのものだ。それが気まぐれに顔を出しただけ。……遠いな。けれど道は続いているはずだ。歩みを止めなければ。……きっと。


 俺はいまだ呆然とするファレイを見る。そしてもう一度、指を鳴らして、ファレイを正気に戻す。彼女は、「……! あ、す、申し訳ございませんっ!! そ、そのつい……!」と、やはりわたわたし始めたので、「ほら感想。なんか言ってくれよ」と促した。それでいよいよ、ファレイは困った表情かおになり、スカートをつかんで必死に言葉を探す。それを俺は黙って見ていたが、やがて、彼女はぽつりと言った。


「……その……、至極ふつうであると。そのように。あとは初々しいと申しますか……。な、懐かしい感じがしました。自分のときをも思い出し……」


「ははっ……! 【至極ふつう】か。そりゃいいや。正直な言葉が聞けて嬉しいよ。ありがとう」


 俺が苦笑して頭をかくと、ファレイははっとして顔をゆがめて、「あっ……!! も、ももももも申し訳ございませんっ!! なんという無礼なことを、私は……!! い、いまのはお忘れをっ!! ……えっ、えっとさすがセイラル様の術式であると!! なんの変哲もなく、超初級魔術をそのまま見事に再現されて……!! 1万の魔力値にそん色ない出来栄えであると!!」と、ボロ出しまくりの言い訳を必死に始める。ほんとうに嘘がつけないんだな、コイツは……。過去のセイラルおれがなぜ弟子にしたり従者にしたりしたか。それはたぶん、魔術士としての才能だけじゃないはずだ。……気に入ったんだ。コイツのことが。


「なあファレイ。過去のセイラルおれは、【完成していた】と思うか? ……魔術士として」


「……。……えっ?」


 ファレイは、俺の言葉に動きを止める。そして、耳にした言葉それの意味を、理解しようと努めたあと、しずかに漏らした。


「……少なくとも、私にとっては。そして、恐らく、世界にとっても。……魔力の根源たる精霊が、唯一、あなたにのみお与えになった【クラス0Sゼロエス】。そして魔法界があなたに与えた【魔神】というふたつ名は、そういうことであると思われます」


「そうか。それは、【過去のセイラルおれがどう思っていたかは、だれにも分からない】ってことだよな。……ならば言う。俺はまだ完成していなかったんだと思う。だから人間界ここへは……、来た理由の【半分は】、修行し直しに来たんじゃないかと」


 ファレイの瞳がわずかに揺れる。唇は硬く閉じられていた。俺はしゃがんで、タイルの焦げ跡を指でなぞり、黒くなった指先を親指でこすり、汚れを広げてから手を握り込む。


「さっきロドリーが、魔力値について、【あるとき頭打ちになる。それも、かなり時間が経たないと分からない】と言ったけど。過去のセイラルおれは、きっと――自分の限界を、【クラス0S】とか【魔神】とか、人にかぶせられた王冠を捨てて、【自分の王冠】を探しに来たんだと。そんなふうに感じる」


「自分の……。王冠……――」


 ぽつりとファレイは漏らす。俺は立ち上がり、まばたきもせずこちらを見つめているファレイの目を見据えて、言った。


「ああ。……だからなファレイ。俺は進むよ。ただ記憶を取り戻すためだけじゃなく、魔術士として。ゼロから。再び。一歩一歩、前に。そして、いつの日か……――【緑川晴おれ】は【セイラル・マーリィおれ】を超えるぞ」


 俺は真顔で、ファレイの瞳を射抜く。ファレイはそれをしっかりと受け止めたあと、うつむき……。震えながら再び顔を上げて、言った。


「……あなたはやはり私の師です。どんなになっても。過去も、いまも、これからも――……。たくさんのことを、大事なことを教えて下さって……。なのに私は……――」


 手の震えを握りしめ、やがて止め。ファレイは『リドー』でできた焦げ跡に手をかざすと、唱えた。


「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はファレイ・ヴィース。虚を埋めよ。……――シーディス」


 次の瞬間、焦げ跡は銀に発光したのち、元の石タイルの肌へと戻る。ロドリーのように時間を巻き戻したかのごとく、ではないものの……。前に俺の、制服のボタンを変形復元したときと比べると、充分にきれいになっていた。


「苦手と決めつけていたのも、【過去の私】でしたから。まだまだ精進の足りぬ未熟者でございますが、何卒よろしくお願い申し上げます」


 ファレイは深々と頭を下げる。俺は苦笑して、頭をかいたあと、「ああ。こちらこそよろしく」とちいさく言った。


     ◇


 そんなことがあったので、とうぜん昼飯の集いには遅れに遅れ……。俺が到着したときには伊草も橋花も食べ終わっており、「遅刻クンはコーヒーを奢るってのがルール! ってなもんだろ?」「俺はレモンティーね! 購買前の自販機にはないから外ダッシュなー」などとふざけたことを言い出したため、果たして朝と同じく争いが勃発し、昼飯を食べるヒマもなく休憩は終わった。


 そうして、空腹のまま、放課後――。

 いつものようにファレイ=風羽ふわは即座に、続いて横岸よこぎしが「ばっはは~い!」と皆に、そしてそれを号令とするかのように、ほかの皆が部活に遊びにと席を立ち、教室を出てゆくさまにならい、俺は手つかずの弁当箱の入った帆布鞄を肩にかけ、立ち上がると、同じように外へ出る。帰るためではなく、学校のどっかで弁当を食うためにだった。


 明け方までほぼ徹夜で修行してたのに、朝からいまに至るまで、とくに眠気を感じないのは、興奮状態がいまだ続いているせいもあるだろうが、身体を壊されるたびに魔術で治癒されたからじゃないかと推察している。その都度、傷だけじゃなくて体力も回復したからな。けど、空腹だけは……。修行中もふつうに腹は減っていたが、治癒術をかけられてもなんともならなかった。そりゃあ空腹は治癒するものじゃないけどさ。術式の効能の幅、ジャンルそれぞれの構造しくみが少し気になるというか。……まあいいや。ともかく早く食べよう。とても家までもちそうにないからな……。


 問題は場所なんだが、無難なのはやっぱり東棟の、いつもの踊り場か。けどあそこ、棟自体に人が少なすぎて、ひとりで食うのはわびし過ぎるんだよな。伊草はバイト、橋花も用事があるとか言ってたし、そもそもアイツらが原因で食い損ねたんだから、呼ぶ気にはならん。……こういうとき、友達が多いとか、居場所があちこちにあるヤツは、いいなあとは思う。


 ため息をつき、のろのろ廊下を歩いて、階段に差し掛かったところでロドリー=和井津先生にばったり会う。まあ魔力を感じてたから、正確にはばったりじゃないけど。魔力で分かると知られた以上、けるのも失礼だしな。


「どうしたの。なにか死にそうな表情かおしてるけど」


「いや……。昼飯食い損ねてさ。あ、お前やファレイのせいじゃないよ。馬鹿やってたから」


 と、力なく答える。ロドリーは、「ふーん。それでどうするの? 我慢して家まで帰るの。寄り道?」と尋ねてきた。それに俺は、「いや、学校のどこかで弁当を食べようかと。人が来なくて、でも寂しすぎない場所、知らない?」と聞いてみた。ロドリーは苦笑して、「なんなのそれは……。要は落ち着いて食べられる場所が欲しいってこと? あなた、食べるの早いほうなの」と言った。


「……まあ、それなりに。10分もあれば」


「そ。ならいまから一階の、昇降口を正面に見て右の突き当たりの教室に行きなさい。これ鍵だから」


 彼女はそう言って、俺に鍵を手渡すと、すたすた歩き去った。……なんだ? 空き教室ってことか。まあいいや。マジで腹減って死にそうだから急ごう。一階、昇降口を正面に見て、右の突き当り……ね。


 俺は早足で一階まで降り、言われたとおりに昇降口から右へ進み、長い廊下を歩いて、サッシ戸から光が差し込む突き当りへ。それから左右を見て、左の教室は物が詰め込まれて入れなさそうだったのが、窓からも見えたので、すぐに右手の教室のドアへ。鍵を鍵穴へ差し込むと、すんなり開いた。


「……失礼……。しまー……す」


 恐る恐る、中を見るとだれもいない。が、だれかがいつも使っていることは分かった。明らかに、ふつうの教室ではなかったからだ。


 まず俺たちが使っているようなあの机とイスがない。床いっぱいに畳が持ち込まれて敷き詰められている。本棚にはたくさんの小説や漫画が見え、そばには長机があって、漫研か文芸部の部室なのかと思えばダンベルとか、腹筋する台とか、ほかにもいろいろ運動器具があり、また別のところにはずらりと衣装がかけられていて、ポットとか炊飯器、冷蔵庫、お洒落なテーブルまである。……もしかして、ここも物置部屋か? なにかの部室にしては統一感がなさすぎる。物置なら確かに、『人が来なくて、寂し過ぎない部屋』には当てはまるな。寂し過ぎないどころか、面白過ぎるんだけど。


 俺は上靴を脱ぎ、入室してまじまじと、空腹も忘れて教室……とは呼べない異空間を観察していたが、衣装がかけられているハンガーラックの横にある【かたまり】に目がとまり、しばたたく。服の山なのだが、服がてきとうに積み上げられた……にしてはこんもりし過ぎているし、よく見ると、微妙に動いている。……ま、まさか犬とか猫とか、中にいるんじゃ、ないだろうな……。


 俺は緊張した面持ちで、一歩、また一歩と前進し、【かたまり】へと近づく。近づけば近づくほど、それが動いているのがはっきりと分かった。別に放置していてもいいんだけど、飯を食ってる最中に、いきなりガバッ!! とか音がしてなにかが出てきたら心臓に悪いからな。……なにがあるかは、はっきりさせておきたい。


 俺はとうとう目前に立ち、意を決して、積み上げられた服を一枚ずつのけてゆく。すると五枚のけたところで――……。黒い髪の毛と、耳と、つぶった目が片方出てきてそれが突如()き――仰天した。


「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!! な、な、なななななんっ……!?」


「うわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!! だっ、だっ、だだだだだれだお前はっ!!」


 同時に叫び、俺は後方に転がり一回転、再び【かたまり】を見た時には――【かたまり】はなく。俺の眼前に、黒のショートカットを乱した背の低い、ウチの制服を着た女子が、ホウキを構えて俺を青い表情かおで睨みつけていた。


「お、おっまえーーーーーーーーーーーーーっ!! 名を名乗れ不審者がっ!! 僕の寝込みを襲うとは……!! 天に代わって成敗してくれるっ!!」


「はっ……!? い、違っ……!! 俺はただ、なにかあるのかと思って……!!」


「こぉの不法侵入者がっ!! お前は【人の家】に勝手に入って【人の布団】を勝手にはぎ取り『俺はただ、なにかあるのかと思って……!!(おろおろ)』などと言うのかれ者がぁ!! これ以上、僕の領域を(おか)すと魔術をお見舞いすることになるぞっ!!」


「ま、魔術……!?」


 俺は驚き、まじまじとくだんの女子を見る。……いや、まったく、魔力のかけらも、ない。どう見てもふつうの人間だった。な、なんて紛らわしい……。登場の仕方もおかしいし、ロドリーの紹介した部屋にいるからてっきり……。


「な、なんだお前ぇ!! なぜこちらに近づいてくる!? あ、コラ!! 馬鹿やめろぅ!!」


 俺は半眼になり、訳の分からないことを言うちいさな女子のホウキを取り上げて、端の掃除箱へ戻す。中には『ふっかつのじゅもん。ぴうんぴろぽいん。BY僕』とか書かれたふざけた紙も貼ってあり、怒りが増して思い切り箱を閉める。その音で、「ひぃっ!!」と女子が悲鳴を上げた。


「ぼ、ぼ、ぼぼ僕をどうするつもりだお前はぁ!! 僕は美少女でベリベリキュートな魔の者だけど胸もないしチビだし凡俗な人間どもにはぜんぜんモテないんだぞ!! だからお前みたいなただの人間が襲う価値もないはずなんだぞ!! 聞いているのか!!? 近寄ってくるなお母さーーーーーーーーーーーーん!!」


 俺はいよいよ訳の分からないことを言って泣き叫ぶ女子を無視して、奥のテーブルに腰かけると弁当を出して食べ始める。するとすぐにさっきの女子が駆け寄ってきて、「こ、こらーーーーーーーー!! 僕を無視するな!! あと勝手に僕の領域でお弁当を食べるなーーーーーーーーーー!!」と涙を拭き拭き唾を飛ばしてくる。俺は舌打ちして言った。


「あんた、名前は?」


「はあっ!? 人に名前を尋ねる時はまず己が名乗れやぁ人間風情ふぜいがぁ!!」


「……じゃあ、いい。五分で食べ終わるから。それで出て行くから。それまで黙ってて」


「……僕の名前は楠田海くすだまりんだっ!! 楠木正成くすのきまさしげ公のクスに織田哲郎おだてつろう様のダ、『海』と書いて『マリン』だぞ間違うなっ!! それでどうしたおらーーーーーーーーーーーーーっ!!」


「じゃあ楠田さん。あんたの領域じゃないところはどこ。あの腹筋台の辺りか。そこに移動するから」


「あれも僕の領・域・だっ!! 僕はこの部の部長だからな!! 部員の領域は部長のもの!! 部長の領域は部長のもの!! だからここは全部僕のだってことだーーーーーー分かったかっ!!」


「ごちそうさま。食べ終わる新記録達成したからもういいわ。この鍵、顧問の和井津先生に返しておいてね。んじゃ」


 俺は弁当箱を鞄に戻し、鍵をテーブルに置いて立ち上がる。……そういやロドリーがウチの部に入らない? とか言ってたもんな。なんちゅー部(長のいる部)の顧問やってんだよあの人は。そしてそこに俺を入れようとするつもりだったとは……。結果的に下見となってよかったかもな。


「まっ……待てーーーーーーーっ!! 人の名前を聞いておいて!! お前の名前はなんだ!! お前の名はぁ!!」


 後ろから怒声が飛んでくる。なので俺はやむなく「俺の名前は……」と言いかけたが、そこで、「緑川晴、だってよ。ワタシとタメの二年。さっき和井津が言ってた」とだれかの声がしたので、入り口を見る。すると、ド金髪のロングヘアをポニーテールにしたグラマラスな女子が、フーセンガムを膨らませながらこちらを見ていた。


「よっ。どーせあのちびが迷惑かけたんだろ? 済まなかったな。あれは通り雨だと思って忘れてくれや」


「あ、ああ……。まあ。すごい豪雨だったけど」


 と、俺が漏らすと、「ぶふっ! 言うねーあんた! んな冷静にジョーク言うヤツ初めてだよ! まーお茶でも飲んでけや」と、俺を押し押し中へ。そして抵抗する間もなく、かのテーブルへと座らされて、「はい。お茶」と、目の前にどん、とポットと湯みが置かれた……。


「こ、こらーーーーーーーーー!! いま僕の悪口言ってたろ!? 平部員かつ後輩のくせに生意気なーーーーーーー!! もうウチからお菓子持ってきてやんないからなーーーーー!?」


「いーよ別に。ワタシ、あんたのママさんと友達になったから直接もらうし。ママさん、美人だし優しいし料理美味いんだよな~。ワタシもあんな感じに歳取りて~」


「ぼ、僕のお母さんとべたべたするなーーーーーーー!! 僕のだぞっ!?」


「ちっこいのは体だけにしとけよー18歳。自立しろ。そしてママさんを楽させてやれや」


 金髪女子はそう言って、俺に出した湯呑みにポットからお茶……麦茶を注ぎ、ガムを紙に包んで捨てたあとごくごく飲み干し、「早く飲めよー遠慮せず。しゃねーねーな。入れといてやるよ」と、またその湯呑みに麦茶を注ぎ、俺に突き出した。飲まないと不味いオーラを醸し出して……。なので、「あ、ありがとう……」と受け取った。……というかそこのうるさい人、俺より年上なのかよ! いや、俺もほんとうはめっちゃ年上だけどさ。人間年齢では上なのか……。

 俺は信じられないといったふうにちいさな『先輩』を見やってから、頬杖をついてスマホをいじり出した金髪女子に尋ねた。


「……ところでその、さっき和井津……先生が俺の名前を言ってたみたいだけど。……ほかになんて?」


「ああ、『新入部員の緑川晴君が、部室に来てるから。歓待してあげて』ってさ。どーする? カラオケでも行くかー?」


 と、言った。俺は目を見開き、むせそうになったのをこらえて麦茶を一気飲みすると即座に立ち上がる。


「あの、なんか情報の行き違いがあったみたいで……。俺は新入部員じゃないんだよ。ただ、和井津先生に弁当を食える場所としてここを教えてもらって。……だから不法侵入者じゃなくて、合法入室者。分かりましたか楠田先輩?」


 俺は金髪女子からちっこい先輩に向きを変え、笑顔で言った。彼女は、「放課後にお弁当を食べる場所を探してるなんて怪しい! 僕は騙されないぞ!!」と髪を揺らしてばんばんテーブルを叩き出した。……帰ろう。そしてあした、ロドリーにひとこと言ってやらねば。ここからどうやって、過去のセイラルおれの残した言葉につながるような【セイシュン】ってのが、発生するって言うんだよ……。恋情どころか、友情すら怪しいぞ。


「おーっと君が噂の! 和井津先生激推しの新入部員かぁ~!? いいねいいね~男子部員! これで我が男軍団の肩身の狭さも解消されるってもんだよ! わははははは……!! ときに緑川君!! 君は武術に興味はあるかい!?」


 とつぜんまた、入り口からおおきな声がして、どすどす裸足の男が入ってくる。身長は橋花と同じくらいで結構高く、学ラン越しでも分かるムキムキ具合。褐色の肌にやや天然パーマな頭の、見るからに快活な男が、白い歯を輝かせて俺に近づいてきた。


「い……や。まあ、武術というか、ジャッキー・チェンとかは……。アクション映画に出てくる感じくらいのものなら……」


「それは素晴らしい!! 俺もはじめは【そこ】だった! 君とは気が合いそうだよ緑川君! ちなみに俺は二年の才川正一さいかわしょういちさ! ……さあ腹筋から始めよう!!」


 と、奥の腹筋台を指し示した。あれはあんたのかよ……じゃなくてヤバい。俺の遺伝子がここに居続けると不味いことになると告げている。話を合わせては駄目だ。このまま、なんとなく受け流し、彼らのほうを向いたまま、後ろ向きで戸口へと近づき、外へ――……。


「やあ。こんにちは。君、新入部員なんだってね。嬉しいなあ~! これで僕とマリンが卒業しても、4人。なんとかなりそうだね。ひとりくらいなら増やせそうだもの」


 そう、また入ってきた男子生徒に阻止される。今度はふつうの、細身の温厚そうな眼鏡の人だったが……言葉が。もう入ることが決定しているその言葉は……。


「んな心配はいらねーっスよ、イッショー先輩。来年ちびが留年したら五人でオッケー万事解決。ぜってー留年するし」


 金髪女子がスマホをいじったまま言う。ちび……ではなく楠田先輩は果たして激高し、「するかーーーーーーーーー!! 僕は常に、赤点バーを華麗にギリギリ飛び越える赤点ボールターなんだからなーーーーーーー!!」と反論した。ムキムキ男が、「じゃあ来年、マリン先輩がバーに引っかかることを願って腹筋するかあ!! あはははは!!」と笑い、腹筋台に足を引っかけてやり始め、先輩に思い切り腹を踏みつぶされていた。俺は、「は、はは……。面白いですね。それはほんとうに……」と言いながら、後ろ向きに三度目の脱出を図るべく進んでいたが――その体勢が災いして、どすん! なにかにぶつかり……。振り向くと、尻もちをつき、ケーキをもろに制服にかぶったボブヘアの華奢な女子が、涙目になっていた。……げっ!!


「うっ……、ううっ……。す、すみません……、私の前方不注意で……」


「あ、や、俺が……、ご、ごめんっ!!」


 慌ててしゃがみ込み、スカートとブレザーの間……下腹くらいにホールケーキをぶちまけた様子を見て青ざめて、「と、とにかくケーキを……。ちょっとごめんね」と言って、手ですくい取ろうと彼女とケーキの間に手を入れるが、「……ひゃん!」と妙な声を出されて動きが止まる。ちょっと……、そんな声を出されたら勘違いされ……あいたっ!!


「りぃーーーーーーーーーーこちゃんになにをするかーーーーーーーーー不法シンニュー部員っ!! それにケーーーーーキ!! よくも僕のケーーーーーキをーーーーーーーー――許さんっ!!」


 どこから持ってきたのかハリセンで俺の頭をビシバシ叩くちっこい先輩から俺は慌てて逃れ、「タオル! 濡れたタオルとかありませんかーーーーーーーーー貸して下さいっ!!」と叫びつつ、眼鏡先輩のもとへ。彼は、「タオルなら正一がたくさん……。正一、ほら一枚彼に。それと僕や皆の分も」と、呼びかける。ムキムキ男子の正一こと才川は、「うーむ、ケーキを拭くんですよね!? 使用済みのでもいいですかっ! 俺のタオル、いいヤツばかりなんで!」と真顔でのたまい、「……いーわけねーだろノーデリカシー馬鹿っ!! 莉子りこにあんたの汗をなすりつける気かっつーのっ!!」と即座に金髪女子に怒鳴られる。だがそれに、「あ、わ、私は別に使用済みのでも……! どのみち正一先輩の所有物は全部、そこはかとなく汗臭いですし……!」とくだんのボブヘア女子が真顔で真面目に言い放ち、「ぐはっ! 真面目系毒舌キターーーーーーーー!! こ、この攻撃力……!!」とがっくり才川が膝をつく。……な、仲がいいんだな……。……じゃなくて! はやく拭き取らないとシミになる!


 俺はタオル(新品)を借り受けて、けっきょく眼鏡先輩だけでなく、才川も、ちっこい楠田先輩も、金髪女子も全員、ボブヘア女子のケアに(新品タオルで)あたり、身体に触れて拭き取るのや制服の処置は女子軍団、汚れた畳や使用したタオルの洗浄、およびジュースやお菓子、新たなケーキの買い出しは男子軍団、となった。そうして、30分後――。


「お疲れーっ。莉子の制服が濡れちゃったから、部室(ここ)でお疲れ会&緑川の歓迎会やるってことで! んじゃかんぱーい!」


 金髪女子が紙コップを掲げ、音頭を取る。それに合わせて皆が「カンパーイ! うわーいおニューのケーキだぁ!」「美味しそうだね。これはこれで好かったかもね」「ええ! 実に美味でありまふっふ!」「正一先輩、食べるの早すぎますよ。ほんとう人間味がないですね」「莉子……。そりゃ言葉の使い方が……」等々わいわい始める。俺もそれに交じって、買ってきたケーキをひと口食べ、コーラを飲む。……なんか、家でじいちゃんの知り合いとか、坂木さかきのおばちゃんちの集まり以外では、こんな大人数で飲み食いするの久しぶりだな。伊草や橋花の集まりは三人だし。……悪くは、ない。


「そういえば、自己紹介をしていなかったよね? 僕は宝木たからぎ一翔かずと。皆からはイッショーって呼ばれてるから、それでいいよ。一翔の読みが『いち』に『しょう』だから。……よろしく」


 右隣の眼鏡先輩が、そう言って微笑んだ。俺は頭を下げて、「あ、こちらこそ……。俺は緑川晴です」と返し、「知ってるよ。和井津先生からよく聞いてたから」と、彼は笑った。よ……く? ロドリーは、俺のことをいつから……? なんて言ってたんだ?


「ああ、ワタシも言ってなかったか。弘末(こうまつ)真理まり。シンリでいいよ。マリだとそこのちびの名前とややこしいだろ? ちなみにサンとかいらねえから。よろ」


 右向いから手を振って、金髪女子が言って、俺は「わ、分かった」と会釈する。すると間を置かず、「だれがちびだーーーーーーーいい加減にしろっ!! 僕は先輩なんだぞ!?」と、俺の左向かい、金髪女子ことシンリの隣でテーブルをばしばし叩いて怒る楠田先輩。だがシンリは、「どーせ来年は同学年になるだろ? 私が名前で譲歩してやってるのにありがたく思えっつーの」とオレンジジュースをごくり。楠田先輩は、「むぐぐぐぐ……! 絶対に卒業して!! OGとして毎日嫌がらせに来てやるからなーーーーーーーーっ!!」と言い放つが、「毎日来るなら在籍してたほうがいいだろ」と即座に突っ込まれていた。


「えっ……、えっと。私は一年の上間うえま莉子です。その、……どうせいつかは皆さんと同じように莉子呼びになると思いますので、その過程がかったるいので、もう最初から莉子とお呼び下さい。よ、よろしくお願いいたします……!」


 俺の左隣で、赤い顔をしてもじもじと、なぜか制服の代わりにとメイド服を着た彼女は、その見た目や雰囲気にまったく似つかわしくない言葉のチョイスで言った。俺は苦笑いしつつ、「あ、ああ……。分かった……よ。よろしく。あとほんとうにごめんね」と頭を下げた。莉子ちゃんは、「あ、いえいえ……! こちらこそ前をよく見ていなくてっ! ほんとうにすみませんでしたっ!!」と猛烈に頭を下げた。……メイド服姿でそれをやられると、なぜかファレイのことを思い出すからちょこーっとやめて欲しいのだが。いや、別にファレイがメイド服を着たのを見たことはないんだけど。なんとなく。


「正一は名乗ってたのが聞こえてきたし、マリンは名乗っていないわけがないし。これで全員かな。改めてようこそ緑川君。僕たちの部へ」


 イッショー先輩がにこやかに言った。が、「こらイッショー!! 勝手に決めつけるなーーーー!! 僕はまだ名乗り足りないぞ!!」と叫ぶ人一名と、「そうですよイッショー先輩!! 俺はまだ彼に、『正一。これからいっしょに武の道を歩いて行こうな?』と言われてませんから!」とのたまう人一名。……いや、俺の歩くのは、武ではなくて魔術士の道だから。あと名乗り足りないって、あれ以上なにを言うんだ。


「緑川君! キミのことはこれから晴って呼んでいいかな!? 友情は、形から入るのもアリだと思う!」


「あ……、うん。別に……。皆さんも名前とかあだ名呼びが多いみたいだし」


「うっひょーやったー! よろしく晴! ……正一! 俺のことは正一で! ……ぜひに!」


 選挙の応援演説よろしく名前を連呼していたので、「……よろしく正一」と返した。正一は親指を立てて、嬉しそうに飲み食いを再開する。形から、か……。そんなこと考えたこともなかったな。そういうふうにしてれば、もう少し友達も多くできてたのかもしれないな。


「よーっし緑川晴っ!! これからはーっ! 僕のことは『この世に顕現せし偉大なる魔――マリンちゃん先輩』って呼ぶんだぞ! ……分かった!?」


「分かりません。楠田先輩で」


 俺はぱくぱくクッキーをつまみながら返す。なにやらわめいていたが無視。……っていうか、ちょっと待て。服を汚してしまったからこういう流れに乗ってしまったけど……。これ、完全に入部が決定した空気になってないか? ここで「いや、一度言いましたように、俺は入部するつもりは元々ないんで」とか言ったらどうなるんだ。……考えるまでもないか。だとすると、取るべき道はひとつ――。


「あの……。いちおう仮入部、ってことでもいいですか? 実はいろいろ忙しくて、ちゃんとやっていけるか不安なので。両立を確かめるためにも」


 恐る恐る、イッショー先輩に言う。すると彼はにこやかに、「うん。ぜんぜんいいよ。そもそもこの部は、活動時間も日数も自由だからね」と、答えた。そ、そうなのか……。よく部として認定されてるな。


「僕は皆勤賞だけどな! 部室ここに寝泊まりすることもあるし! きょうもしてた!」


 楠田先輩が得意げに言った。そ、それでいたのか。服に埋もれて……。外から鍵がかけられていたのに、トイレとかどうしてたんだ? 窓から出入り、とかか……。


「まー仮でもなんでもいいけどよー。ちゃんとなんらかの活動はしろよ。ここは時間と日数が自由なだけで、皆、それぞれ別々に、やることはしっかりやってんだ。じゃないと『遊びの集まり』と学校に認定されて、なくなっちまうからな」


 シンリが俺を見て言う。……なんらかの活動……って、どういうことだ? 別々にって。そもそもここはなに部なんだ。


「えっと……。申し訳ないんだけど。それはどういう……」


「はあ? ったく和井津はなんも説明してねーのかよ。……ここは『総合活動部』。通称『ソーカツ』だよ。なにをやってもいい部だから、あんたも好きなことをやれってことだ。……なんかあるんだろ? やりたいことが。和井津がそう言ってたぞ」


 シンリが俺を見据える。俺が唖然としていると、「僕は漫画だぞ! 将来は偉大な魔を表現する魔術使い、もとい漫画家になるのだ!」と楠田先輩が宣言し、「僕は歴史が好きで、そっち関係の研究がしたいんだ。いまのところはおおざっぱにだと世界史かな」とイッショー先輩も。続いて正一が、「俺は武術家兼、アクションスターを目指している! ハリウッドにはこだわらないぞ!」と腕組みし、莉子ちゃんは、「わ、私は……。衣装デザイナー……です。いろんなお洋服を作りたくて……」ともじもじ言う。そして最後に、シンリが言った。


「ワタシは小説家を目指してる。ラノベも一般も恋愛もミステリもSFも、ジャンル問わず好きだから、なんでも描ける小説家だ。ここにいる部員は全員、既存の部にはないか、居心地が悪くて出てきたのばっかでさ。それを和井津が集めて一年前、莉子が入る前の年に、部にしてくれたってわけさ。アイツ、さいしょはなに考えてるか分かんねー教師だと思ったけど、わりと好いヤツだよな」


 シンリが言うと、皆がうなずく。俺はそれを聞いて、ふと……。【外法者ミッター】のことを語ったロドリーの表情かおを思い出した。彼女もほかの魔術士の例に漏れず、人間のことはあまり好きじゃないんだろうけど、少なくとも、そんな人間相手にでも、どこかに感じるものがあったのだろうか。……居場所を得る、ということに。


「……で? あんたのやりたいことっていうのはなんなんだ? 別に笑わねーから聞かせろよ。和井津の雰囲気じゃ、半端ない覚悟があるんだろ」


 そんなふうに、俺を見据えるシンリと、どこかわくわくしたような面持ちの皆を見返して、俺は一度目を閉じ、……いろいろ思い出す。


 誕生日、ファレイと【再会であった】こと。

 そのすいちゃんと再会さいかいしたこと。

 ローシャやカミヤに【再会であい】、襲われたこと。ロドリーと【再会であった】こと。

 横岸との奇妙な縁。リイトやルイに出会い、ルイに弟子入りしたこと。


 そうした誕生日からこれまでの、【緑川晴】と【セイラル・マーリィ】の道筋が交錯するさまを、そして最後に、きょうの昼休みに、ファレイに言ったことを思い返し……――。やがて眼を開くと、皆に向かって、……【思わず】。


「俺のやりたいことは……。【失われた過去のじぶんを取り戻し、それを超えること】だ。そのためには命をかけることも惜しまない。必ず、やり遂げる――……」


 と、言い放ち……。

 気付いたときには、皆の唖然とする表情かおが目に入って、……――俺は血の気が引いた。

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