第59話 決意
殺気とは、読んで字のごとく【殺しの気配】である。
それを感じ取る感性は、我々魔術士や、魔剣士その他戦士たちにとっては、その身を鍛え上げる際に、なにをおいても磨かなければならない。死に直結するからだ。
そして、自らが殺気を出すのは極力抑えなければならない。それは相手をビビらせて戦意をそぐ、動きを鈍らせるといったふうに、ある面においては戦いに有効だが、一流の戦士相手だと、心技体すべてにおいてよほどの格差がないと意味をなさないし、めまぐるしく変化する戦いの場では、明確に居場所を知らせてしまう信号となってしまう。とどのつまり、【暗殺】の局面などでそれを発揮してしまうことは……――。
「論外、ということだ。何回言っても分からんな、お前は……」
「……――ううっ!!! ぐっ……、うっ!!!」
【天性術式】によって、枕元に活けた花を一本、刃へと変化させ逆手持ちにして、ファレイは寝床で横たわる俺の眼球をくり貫かんと突き立ててきた。俺はそんなヤツの幼い手首をわしづかみにして制止させると、あくびをひとつしたのち、その体をふわりと持ち上げ、床に叩きつけた。
「ぐはっ!!! あっ……がっ!!!」
ファレイは板張りに背中を打ちつけ、白いワンピースの寝間着を乱してのたうちまわる。ハーティが作った、おなじみのフリフリがついた愛らしいそれに似つかわしくない苦悶の表情で、下着を丸出しにして暴れる弟子の姿に、俺は二度目のあくびをすると、身を起こして指を鳴らし燭台に灯りをつける。苦しそうなファレイの、両眼のぎらつきがいよいよあらわになり、殺気はおとろえるどころかいっそう増していた。……やれやれ。
「こっ……く、そ……がぁ!! い……つ寝る……んだ……化け……も!!」
「いつもなにも、【いつも】寝てるさ。お前だって、『いまから殺しますよーっ!!』と耳元で叫ばれたら起きるだろう。お前のしていることは、それほどの阿呆ということだ」
そう言ったあと、ぼさぼさの頭をかきつつ、俺は、「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。癒しを。……ミスターリア」と唱えた。するとファレイの体が緑光に包まれて、弾けるとヤツは飛び起きる。そしてすぐに壁際まで逃れ、俺を睨みつけながら口を拭うや否や、寝間着を脱ぎ捨て下着一枚となる。それから、寝間着をびりびりに破り、新たな刃を大小8つも作り出すと、一気に投げつけてきた。だが、俺はそれらをすべて右手一本で払うと砂に変えた。
「あっ……!! ちっ……――くしょう!!!」
砂まみれになった床と俺を交互に見た半裸のファレイは歯ぎしりして、今度は逃げようとそばの窓めがけて突進する。しかし結界に覆われたそれは壁に等しく、果たして「――あがっ!!」と悲痛な叫びを上げたのち床に落下、ぶつけた額をおさえて、デジャブのように床でのたうちまわった。
「……まだこんな時間か。今朝はハーティに書類に目を通せ、と言われているんだ。俺はもう寝るぞ。お前もハーティに叱られなくなけりゃ、さっさと服を着てベッドに潜り込むんだな」
そう言ったあと、俺は寝ころんだまま、床に落ちた砂に手をかざし、「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。虚を満たせ。――シディカルメイション」と言って、砂をふりふりの寝間着に復元してから、シーツをかぶり直しファレイに背を向ける。と、次の瞬間、ぼそり、なにやら声が聞こえてきた。
「……術は、いつ教えるんだ、クソ野郎……」
「……はっ? なんだと?」
寝たまま振り返ると、ファレイは赤い表情で歯を食いしばって、いまだ半裸のまま壁際で突っ立ち俺を睨みつけていた。俺は瞬き、身を起こすと首を鳴らしてから続けた。
「お前……。もしかして、毎晩毎晩殺気まみれで襲い掛かってきたのも、殺しが目的ではなく……【駄々】をこねていたのか? 魔術を早く教えて欲しくて」
唖然として漏らす。ファレイはカーッ、と一瞬にして首筋まで赤くして床をダンダン踏みしめると、俺を指さして叫んだ。
「――おっ、お前がっ!! 弟子とか従者とか言って!!! 掃除とか洗濯とか食器洗いとかお茶の入れ方とかっ!!! そんなものばかりでなにも教えないからだろうがっ!!!! いーからさっさと教えろっ!!! 私はお前を殺せたらなんでもいいんだからなっ!!!!」
息を乱して、ちいさな両手をぐっと握りしめて、俺に目で全身で訴えてくる。……言葉通り、俺を、そしていままで自分を蹂躙してきた者たちを殺したいから、その手段としてか。それとも、かすかにでも魔術への関心が芽生えているのか。ともあれ好い傾向ではある。やる気がある、ということだからな。
俺はくっくっく……、おかしさをこらえきれずに漏らして、ベッドの下に手を伸ばすと寝間着をつかみ、ファレイに放る。ヤツはそれを顔面で受け取ったあと、はぎ取り、床に叩きつけて足で踏みつける。そして返事を求めるように俺を睨みつけていた。俺はベッドに腰かけて、ため息をつくと答えた。
「前にも言ったように、なんでも準備というものがある。確かにお前は、現在でも魔力値が1万6千を超えており、充分魔術を身に着けるための地力がある。が、精神面がどうしようもなく追いついていないのだ。魔術の習得には、精霊に対する敬意が要る。敬意というのは敬う……敬うというのは、尊敬だな。つまり精霊に頭を下げるということだ」
「ふざけるなっ!! 見えもしないヤツに頭なんか下げれるかっ!! 頭を下げて欲しかったら、私の前に出てきて頭下げろっていうんだ!!! ……偉そうなクソがっ!!!」
ファレイは足を踏み鳴らし、床を指さして舌打ちした。それから頭を押さえる俺に続けた。
「だいたいなにが【ケーイ】だ【ウヤマウ】だっ!! 私がいままで見てきた魔術士なんざ【カスの塊】で、どいつもコイツもそんなものを持ち合わせているようなヤツらじゃなかった!! アイツらが精霊とかいうのに頭を下げたっていうのか!? ……ありえない!! お前は嘘を言ってるんだ!!」
忌々しいものを思い出すように、ファレイは壁に拳を打ち付ける。コイツは五歳で【ヤートの森】という、いわばゴミ捨て場のような場所へ打ち捨てられた。そこで、いや、そこに至るまでも、ろくなリフィナーや魔術士に出会っていなかったのだろう。だとしたら無理もない。そんな輩が、なぜ魔術を使えているんだと。
「嘘ではない。お前の言う【カスの塊】たちも、精霊に対してだけは敬意を払っている。だがそれは、ソイツらが精霊に対してのみ敬いの心を持っているということではない。魔術を得る目的のために、ただ頭を下げているということだ。……だから、雑魚にとどまっているんだよ」
ファレイは口を開けた。俺はベッドから降りて、乱れたローブの腰紐を締め直し、呆然とするファレイに近づくと、足もとに捨てられた寝間着を拾い、すっぽりヤツへかぶせて着せ直す。気を取り戻したファレイはさっと後ろに下がるが、すぐ壁にぶつかって前に倒れ込む。俺はそれを支えて、そのままファレイを抱きかかえた。
「なっ……!? な、なにをするっ!! 放せっ!!」
「ちょっと黙ってろ。好いものを見せてやる。――舌をかむなよ」
俺はファレイを片手で抱いたまま、窓の結界を解除して外へ出る。そうして、庭に裸足で降り立つと、星月の輝く宙を見上げて、言った。
「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。――飛べ。アル・フィルレット」
次の瞬間、俺の体は宙に浮き上がり、瞬く間に屋敷の、木々の背丈を超えて上昇する。ファレイは俺の腕の中で、あんぐり口を開けて、目を見開いて、ちいさくなっていく屋敷を見下ろしていた。俺はくすりと笑い、さらに速度を上げて冷ややかな空気を切り裂いてゆく。やがて、雲を突き破り、雲海の上に降り立った。
「あっ……!」
「どうだ。見事なものだろう。よく眼に、胸に刻んでおけ。……【本物】の姿をな」
俺はまばゆさを増した月と星、そしてそれらの光を受けてきらきら輝く雲の絨毯を、ファレイに見せる。ファレイは口を開けたまま、いつも見慣れている、しかし間近で見るのは初めてだろう、【本物】の姿に圧倒されて、ただただ年相応の子供として、俺にしがみついていた。
「世の中には本物と偽物がある。お前がいままで見てきたのは、ほとんどが偽物だ。それを目の当たりにするのも、ひとつの肥やしになるが、それはあくまで本物をも知った上でのことだ。偽物ばかりを目にしていたら、自分も偽物になってしまう。だからいまは、本物になるために、自らを磨いておくんだ」
ファレイは俺にしがみついたまま、無言でなにかを考えていた。 が、しばらくのちに、ぽつり、月を見たまま言った。
「……精霊というのはなんだ。もしかして、自然のことなのか? 私たちを取り巻いている……」
「ちょっと違うな。我々リフィナーや魔術士を含めた、生きとし生ける存在すべてを総べるもののことをいう。つまり、俺たち自身が精霊の一部でもあるということだ。だから、精霊を敬えないということは、自分自身を敬えないということでもある。ゆえに【カスの塊】でも、魔術を使う一時だけは、精霊と、そして自分自身に敬いを、誇りを持てているということさ」
「……」
ファレイは、下唇をかんだ。生まれたときよりモノ扱い、名前さえ与えられなかったというファレイは、他者を、自分を敬うという心が持ちにくい。まずそれをなんとかしなければ、たとえ偽りの心を育てて魔術士になれたとしても、【カスの塊】のようになるだけだ。それではなんのために、俺が拾ってきたのか分からない。世界を、自分を肯定できるように、育てなければならない。そう。かつて、俺が……から、そうしてもらったように。それが俺の、【セイラル・マーリィ】としての……最後の仕事なのだから。
「……寒い。屋敷へ戻せ」
ファレイは俺のローブに顔をうずめ、抱き着く力を強くする。俺は息をはいて、ゆっくりと雲の中を抜けて下降してゆく。そうして庭へ降り立つと、開け放たれた部屋の窓の前には、目を半眼にした丸眼鏡のメイド服、俺の第一従者であるハーティ・グランベルが待ち構えていた。
「……よう。なかなかの早起きだな。まだ月も星も出ている、ぞ……」
俺が苦笑して言うと、ハーティは三つ編みにしてひとつにまとめた緑髪を払い、すたすたこちらへ近づくと、抱き着くファレイを取り上げる。ファレイは、いつの間にか半分寝ていた。……緊張が切れたか。
「窓の結界が解かれれば、従者としては起きざるを得ないでしょう? 今朝も早いのですけれどね……。夜の散歩は楽しかったですか?」
自分の腋の下で、もうすーすー寝息を立てているファレイをチラ見したあと、俺を睨みつける。俺はごほん、ごほん! とわざとらしく咳払いしてから返した。
「ああ……。昔を思い出したよ。お前としたときも、こんな好い宙の晩だったなと」
「私のときは、雲の上でなく、城下町を見渡せる丘の上でしたけれどね。手を焼く子ほど可愛い、ということでしょうか。……聞き分けのよかった自分が恨めしいで・す・ね」
いつの間にか眼前に来ていたハーティは、俺の裸足をブーツで踏みつける。俺がうぎゃー! と悲鳴を上げると、ハーティは湿った布巾を俺の顔に押しつけて、「汚れた足で部屋へ戻らないで下さい。その布巾も、きちんと洗っておいて下さいね。魔術ではなく、きちんと水で。……それと今朝の書類の確認もお忘れなく」と言い残し、ファレイを抱えたまま去っていった。俺はため息をついたあと、痛む足を持ち上げると、布巾でくるんで拭きつつ、輝き見下ろす星月を、ひとりでぼんやり眺めた。
◇
◇
「……はここまで。続きはまた次回に。予習を忘れずにね」
耳にそんな声と、チャイムの音が飛び込んできて、俺はよだれで濡れた学ランの袖から顔を離した。目にはロドリー、もとい和井津先生がため息をついて俺を見たあと、身を返して教室を出てゆく後ろ姿と、「終わったぁ~!」「部活だりぃ~」等々騒ぎ始めるクラスメイトたちの様子が映る。……しまった。途中で寝たのか。しかもロドリーの授業で……。前から何度かそういうこともあったけど、いまの関係だと、なおさらアイツには、いい気分じゃないよなあ……。あした謝っておこう。
俺は袖に垂れたよだれをごしごし学ランの腹辺りで拭き、伸びをする。まもなく終礼のために担任が戻ってきて、教室内のざわめきがややちいさくなる。担任はそんな中、今週末の体育祭についての話を始めて、俺はぼんやりとそれを耳に入れつつ、毎度のように、頭から霧が晴れるように消えてゆく【夢】について、想いを馳せていた。
きょうこのあと、いったん家に戻ったのち、学校最寄りの駅である蛍川でルイと落ち合い、彼女と兄のリイトが住む家へ向かい一泊する。リイトはいないらしいので、ひと晩ルイとすごすことになるのだが……、とうぜんそれは色気のある話などではない。俺はロドリーの提案のもと、ルイの魔術士としての弟子となり、今回はそのはじめの修行としての外泊なのだ。夢を見たのも、たぶんそれが関係しているのだろう。
俺は隣に座るファレイをチラ見する。彼女はいつものように、きちんと背筋を伸ばして担任の話を聞いている。俺の視線にも気付いているだろうが、学校で必要以上に俺に構うなと言っているので、まったく見向きもせず、優等生としての姿勢を崩していない。
周りの生徒たちは、男女問わず、そんなファレイの優等生ぶり、美しい姿を俺とは違う意味でちらちらとのぞき見ていた。前のルイとの一件で、横岸の【でっちあげ】によりファレイは【過去にグレていた時期があるが、いまは更生して、それを隠して生活している】という設定になってしまっており、それがなぜか人気に拍車をかけることとなって、当人の知らぬまま、いっそうの熱いまなざしを受けるに至っていた。
「では各自。それを念頭において行動すること! じゃあ掃除当番以外は解散!」
担任が言い放ち、いっせいに生徒たちは立ち上がり動き出す。ファレイも周囲からの挨拶にひとつひとつ応じつつ、いつものように教室を出ていった。のろのろしていると、あっという間にひとだかりができて、雑談を持ちかけられたり、誘われたりするからだ。皆は残念そうに、ファレイの後ろ姿を名残惜しそうに見送り、各々の日常へと帰ってゆく。……実は、ルイとの泊まりのことで、なにかファレイが【つけ足し】を言ってくるかと思ったのだが、なにもなかったな。まあ話はついているから、アイツもそこまでしつこくすることないないか。
ほっとして俺も立ち上がり、帆布鞄を引っかけると教室を出ていこうとしたのだが。横岸が通せんぼするようにホウキの柄を俺の前に出してきた。
「……なんだ? 前も言ったが、まだ立て込んでるから、駄目だぞ。埋め合わせは別の日に……」
「分ーってるわ・よ。すぐ終わるし。体育祭のことよ。……ホラこれ」
と、一枚のビラを差し出してきた。……打ち上げのお知らせ? なんだこれ? こんなもん配ってたか……。
「あしたの朝、HR前に皆に配るものよ。あんたはどーせ、その【立て込んでいる】ものとやらで、うわの空だろうから、いま私が直接渡しておくわ。会費は500円ね。それで食べるのも飲むのも自由だからお得でしょ? 絶対参加しなさいよ」
そう言って、何度もビラを指し示す。カラーコピーされたそれには、クラスメイトの家がやっているカラオケ喫茶を貸し切りで、歌って騒げるということが書かれてある。色あざやかに、楽しい文面にイラストが添えられて、皆で青春を謳歌しよう! 的な。……いかにもリア充というか、陽キャのノリというか……。まさかクラスメイト全員に配る気なのか?
「あのさ。こういうの嫌がるヤツもいるだろうし、行きにくいヤツもいるんじゃないの? わざわざビラまで作ってご苦労なことだけど。やめたほうがいいんじゃないかなぁ。行きたそうなヤツらにだけ、グループラインでまわして……」
「あんた、私を馬鹿だと思ってる? こーゆーのが苦手な子がいることなんて知ってるわ。でもそれは、【苦手な子にとっては、楽しくない場に見える】からよ。私がそんな押し付けをするわけないでしょ。……ここをよく見なさい」
半眼で、俺の手からビラを奪い取り、ある個所を指し示す。そこには、『全員参加のプログラムあり』と書かれていた。
「私が主催するこの会は、皆が主役になり、皆がわき役となる。だれひとりとして、出張らせたり、隅に追いやったりはさせないわ。注目されることが苦手な子はいるかもしれないけど、無視されることが好きな子なんていやしない。だれもが自分の主張がある。打ち上げなんだから、それをぶっちゃけてスカッとして欲しいっていうのが、この会のテーマなの。プログラムの内容は、まだ秘密だけどね」
再び俺にビラを押し付ける。……確かにコイツのおかげで、ウチのクラスは、それぞれのグループに分かれているとはいえ、わりとまとまっている。横岸自身も、陽キャの極みみたいなヤツだけど、そういうのから距離を置いているヤツらからも、嫌われていない。そんな横岸が言えば、ほとんどのヤツがとりあえずは参加するだろう。そこから先が、好い想い出になるかは、まだ分からない、が……。
「よほど自信があるんだな。そのプログラムとやらに。まあそのとき元気なら行くよ」
「ふーん。そんなてきとうな返事してていーんだ。あんたが参加しないと風羽さんも出ないでしょ? と、すればあんた、皆に殺されるんだけど。あんたのせいで風羽さんが出なかったら」
はっ、と鼻で笑う。コイツ、そのために釘を刺しに来たのか……。俺のためを想ってというよりは、皆の暴動を抑えるためと、風羽不参加で参加者が減って、自分のプログラムが無駄になることを危惧して……。一瞬、純粋に好いヤツかと思ったが、やっぱりコイツは【優秀な政治家】だ。
「……分かったよ。風羽にも言っておく。そういや二人三脚の練習もしてなかった……。くそ、一回くらいはできるか……?」
俺はそんなふうにぶつぶつ言いながら、横岸に手を上げてその場を離れようとする。だが、とたんに学ランの裾をつかまれてずっこけそうになる。俺は眉をひそめてヤツを振り返った。
「なんなんだ……! こけて怪我でもしたらどうする! 二人三脚どころじゃ……」
「晴。あまり呑まれないでよ。その【立て込んでいる】こと、っていうのに」
横岸は、俺の裾をつかんだまま、真顔で俺の目を見据える。俺は訝しげに返した。
「……どういう意味だよ。深入りするな、っていうことか? それとも自分を見失うな、みたいなことか? 前のはノーコメだが、後ろのはない。こっちも必死なんでな……。というか、心配しなくても、体育祭にも出るし、打ち上げにも出るし、お前の穴埋めも忘れてねえよ」
「……そ。ならいいわ。風羽さんにもよろしくね。くれぐれも」
ぱっと手を離し、くるりと踵を返す。俺は頭をかいて、もうこっちを見ないでいる横岸を怪訝に思いながらも、ビラを鞄にしまい教室を出る。やっぱり変な……、というか、妙なカンの鋭さを感じるな、アイツからは。水ちゃんもカンはいいが、なにかそれとは別種の鋭さというか。これからも、ボロが出ないようにしないと。たとえ魔術がアイツにとって未知の存在だとしても、いつどうなるか分からないからな。
しかし打ち上げか……。まあ俺が出てくれと言ったらファレイも出るだろうけど。人間との交わりなんて、これっぽっちも興味がないヤツだからなあ。連れて行くのも悪い気がするな……。
そんなことを考えながら数分後、自転車置き場で愛車を回収した俺は、いつもよりも速度を出して学校を出ると、坂道を下る。約束は蛍川駅に五時だから、まだ十分間に合うが、さっきの横岸みたく、思いがけないことがあるかもしれない。急いだほうが無難だろう。
坂道を下り切り、俺は国道沿いを走り出す。そうしてしばらく排気ガスにまみれながら進んでゆき、きのう水ちゃんと、ファレイやルイと遭遇したコンビニの駐車場に差し掛かった。そのときふと、国道の向こうにある大馬木という和菓子屋が目に入る。ルイは手ぶらで来ていい、って言ってたけど。土産のひとつでも持っていくか。ひと晩世話になるんだし、なにより弟子入りするわけだしな。
俺は自転車のハンドルを切り、少し離れた横断歩道の前へ移動する。そこで行き交う車を見ながら信号が変わるのを待っていたが、ふいに後ろから「セイラル様」と声をかけられて目を見開く。振り返ると、下校中のファレイが背筋を伸ばして立っていた。
「な、なんだ……。まだ帰ってなかったのか? もしかして俺をここで待ってたとか」
「はい。申し訳ございません。その……、学校では目立つと思い……。こちらでお話しをと」
もじもじしながらファレイは言った。信号が変わり、車は止まったが、一、二分で終わるような話でもないと思い、俺は渡らずに愛車を歩道の端に寄せ、スタンドを出して停めると、ため息をついてファレイに向き直った。
「たぶんというか、そうだろうと思うが……。泊まりのことか。『やっぱりお止め下さい!』とかはなしだぞ。いまも土産でも買おうかと思ってたんだからな」
と、向かいの店を示す。ファレイは、「あ、あの者にお土産を……!?」と驚愕の面持ちを見せたため、「言っておくが、これは人間界の常識だからな!? 相手がだれとか関係なく! いわゆる礼儀、相手への敬意というものだ!」とまくし立てる。その言葉を聞いたファレイは目を見開いたあと、「敬意、ですか……」とぽつりと漏らし、「そうしたものなら、仕方ありませんね……」と、どこか寂しそうにつぶやいた。……?
「……ともかく。そういうことだ。まあまだ時間はあるが、できれば手短にして欲しい。泊まりをやめるとか、修行をやめるとか以外なら、聞くから。……いったいなんだ?」
「その……。修行のことですが。セイラル様……。ほんとうに大丈夫ですか?」
ファレイは俺を、潤んだ目で見つめて言った。それから、わずかに口を開ける俺へと歩み寄り、唾を飲み込んだあと、続ける。
「【元のセイラル様】なら……。私はなにも心配など致しません。しかし、いまのセイラル様は……。【緑川晴様】として生きてこられた【人間】の立場にあられる方です。魔術士の修行というのは、人間界の常識では計れないほどの過酷さで……。確かに治癒術等で、肉体の復元はある程度までなら可能ですが、【精神のほう】はそうはいきません。人間界での常識をはるかに超える殺傷行為が日常である魔法界の者でも……――耐えきれず壊れてしまった者も、わずかな数ではないのです。だから……」
ファレイの手は震えていた。話しているうちに恐怖が込み上げてきたというそれだった。いまのいままで考えないようにしてきたが、直前になり、俺を目の当たりにし、言葉を口にすることで、俺がどんな目に遭うか、まざまざと浮かんできてしまったのだろうか。そしてそれは、自分にとっても、耐えがたいことであると。……ほんとうに、セイラルのことを慕っているんだな。
ファレイは口ごもり、うつむく。俺は彼女の震えて握りしめている手を取って、顔を上げたファレイを見据えて言った。
「大丈夫だ。魔術士の修行とか、魔法界の過酷さとか、経験のないことを知ったふうに話す気はないから、知っていることだけ……、そしてたぶん、お前も知らないことを言うが。人間は、お前たち魔術士やリフィナーが思うほどヤワじゃないんだ。肉体的にはずっと弱くても、精神面では。たぶん、魔術士にも引けを取らないさ。……その経験を、俺は人間界で積んでいる。それはかつてのセイラルにもないものだ」
ファレイは、俺をじっと見た。俺はそれに応えるように続けた。
「もし過去のセイラルが、そのまま、ただ魔術士としての力と記憶を失っただけで、そんな過酷な修行へ挑むことになったら、潰れるかもしれんが。いまの俺はそうじゃない。人間としての、【緑川晴】としての経験値が17年もある。……過去のセイラルの目的はまだ分からないけど、たぶん、人間を見くびって人間界へ来たわけじゃ、ないと思うぜ。……そんな馬鹿じゃないだろう」
「……はい。セイラル様は、とても聡明な方です。……それは私も、心の底から」
ファレイはおおきく息をはいた。手の震えが止まる。俺はそっと手を離して、軽くファレイの頭を撫でた。それからファレイから離れると、自転車のスタンドを蹴り、ハンドルを持つと言った。
「じゃあ行くわ。心配してくれて、ありがとうな。無事に帰って来るから、安心してくれ。……ああ、そうだ。それとこれ」
俺は鞄から、横岸からもらったビラを出し、ファレイに差し出す。ファレイはきょとんとしてそれを受け取り、目を落とした。
「体育祭の打ち上げ……ですか」
「ああ。そこに書いてるように、お疲れ様の会みたいなもんだな。あしたの朝、正式に横岸から言われると思うけど。好かったら、お前も来ないか。まあ無理にとは言わないよ。俺に気にせず、決めてくれ」
ほんとうは無理にでも引っ張ってこなきゃ、横岸的に不味いんだろうが、やっぱり嫌なものは出るべきじゃないだろう。ファレイの立場からしたら、自分の孫くらいの、そして魔術士の常識からすると、取るに足らない相手である人間たちの集まりなんか、出る気にならないだろうしな。俺の従者として、義務として人間界にいるだけなんだから。余暇の時間までそんなものに……。
「では、出ます。セイラル様はどうされますか?」
「ああ。そうだろうな……、……って。えっ?」
驚き、ファレイを見返す。それから苦笑して言った。
「出るのか? いや、まあ、それはいいと思うが……。意外だったな」
「……以前なら、セイラル様のご命令でもなければ、出る気にはなりませんでしたが。先ほどの、セイラル様のお言葉で、少し考え方を変えねばと思いました」
ファレイはしずかにそう言って、再びビラへ目を落とす。そしてまた、俺を見て続けた。
「セイラル様も察しておられるように、私たち魔術士は、人間というものにあまり好い感情を持っておりません。その理由については、いろいろありますが、端的に申しますと【精霊を感知できない】からです。それは世の理に気付いていないということに、私たちの常識では等しいもので……、忌憚のない言葉を用いますと、愚かであると。そう思っております」
俺は唾を飲む。ファレイは息をはくと、さらに言った。
「魔力がない。察することもできない。寿命もずっとみじかい人間はか弱く、研鑽の時間も限られていて知性の進歩に乏しく、人間の立場で言えば、私たちと人間は大人と幼い子供に等しく、対等に見ることは難しい相手なのです。……ですが、そんな人間界に、魔法界で最も優れた存在であるあなたが、すべてを捨てて降り立ち、人間として生き直している。ローシャやカミヤに限らず、魔術士、リフィナーならだれもが言葉を失う出来事です。私もショックを受けました。……しかしそれは、そのショックを受けたことは間違いであったのではないかと。そう思い始めています」
ファレイは自分の胸を抑えて、俺の瞳をのぞき込む。そうして、ブレザーの胸元を握りしめて、言った。
「あなたはだれよりも優れているからこそ、皆に見えていないものが見えている。その見えているものが、あなたを人間界へと駆り立てた。……晴様として生きるあなたを見て、以前と変わらぬお心と、以前とは変化されたお心の、両方を見て。私は思いました。――【追いつきたい】と。あなたが見ているものを、私も見たいと。そのために、人間、【風羽怜花】として生きる時間を、もっと満喫しようと。……そう思いました」
「ファレイ……」
「ですので、この会には出ます。セイラル様……晴様も、ぜひいっしょに出て下さい。歌なら私も得意ですし。楽しむことができると思います」
ファレイはそう言って、微笑んだ。俺は頭をかき、苦笑すると、ちいさくうなずき、返した。
「分かった。まさかお前のほうから誘われるとはなあ……。いっしょに楽しむか。まあ、その前に、体育祭で二人三脚を、頑張らないといけないんだが。……一回でも練習しておこうな。連絡するよ」
そう言われてファレイは、あっ! と叫んで、「そっ……そそそそそう言えば忘れていま……!! な、なんという……!! ――セ、セイラル様っ!! やはり修行などやめて、そちらの練習をするために、今夜は私の家に、お泊りを……っ!!!」と、すがってくる。俺は、「あ、阿呆かーーーーーーーっ!! んなことできるわけないだろうがぁーーーーーーー振り出しに戻すなっ!!」と叫び、無理やりファレイを引きはがし、なんとかなだめて家に帰るまでに、予定より15分も過ぎていた……。
◇
「……と、いうことが遅刻の言い訳か? 時間にルーズな男は嫌われると、前にも言ったはずだが。ひょっとして忘れたのか」
「い、いや……。覚えている。はっきり。……だからこそ必死で駅まで走ったが、電車の中で走っても、どうにもならないしなあ……」
は、はは……。ジョークのつもりで言ったが、五時過ぎに改札前に立つルイはピクリとも笑わず、鋭い半眼で俺を睨みつけ、じろじろと見まわした。青い長袖襟シャツに、白いパンツに黒いスニーカー。手には和菓子屋で買ったまんじゅうがひと箱。手ぶらで来い、と言ったので私物は土産以外は財布だけだったが、その袋に目を止めて、ルイは言った。
「私は手ぶらで来い、と言ったはずだが。……それはなんだ」
「あ、ああ……。お土産だよ。ほかには財布以外持っていない。ちなみにまんじゅうだ。あしたリイトさんと食べてくれ。甘いものは大丈夫だよな?」
「……ああ。……そうか。なら頂いておく。ありがとう。ただ、兄者にはやらんがな。私がひとりですべて食べる」
と言って引ったくり、「ついて来い」とすたすた歩き出した。……まんじゅう、好きだったのかな。ならラッキーだったな。あと余計なものを持ってこなくてよかった。「手ぶらで」というのは建て前の人もいるけど、彼女はそういうことを言うタイプじゃないだろうし。
前とは違い、黒ではなく白いシャツと青いロングスカートをはいたルイは、俺を駅近くの駐車場へと連れていく。そして小型の、お洒落な赤い車へ乗り込むと、助手席のドアを開けたので、俺は黙って乗り込んだ。
「車、運転できたんだな……。前のマジックショーで会ったときは、バスだったから、てっきり」
「兄者も免許は持っている。じゃないと全国あちこちで仕事がしにくいからな。お前と会ったときは、車が修理から戻ってきていなかっただけだ。言っておくが、壊したのは兄者だからな。運転は私のほうがうまい」
ルイは俺にシートベルトを締めるように言い、エンジンをかけて車を発進させる。確かに駐車場から出る時もよどみなく、走りも安定していた。交通ルールも順守していて、五分ほど走っただけでも、相当な腕前であることが分かった。しかし魔術士って、どうやって人間界の免許を取ってるんだろう。まあそれを言ったら、戸籍とかどうなるんだって話だけど。あるんだろうな。人間界で人間として暮らすための、魔術士たちの互助会みたいなものが。
そんなことを考えつつも、ルイに疑問を尋ねることもせず、俺はただ彼女の運転するお洒落な車でのドライブを楽しんでいた。ルイのほうも、「次の交差点を右」「もうしばらくまっすぐだ」と言うくらいで、とくに話を振って来ることはなく、30分ほどドライブは続いた。……そして。
「着いたぞ」
と、短くひと言告げて車を停めた彼女はドアを開けて、降車を促した。薄暗くなった空を見て、それから駐車場のそばに建つ、オレンジ色のマンションへ目を移した。
ぼんやり見上げている俺のそばをさっさと歩き、ルイはマンションへと進んでゆく。俺は慌てて彼女へついて、きれいな植木の並ぶエントランスへと歩く。ルイはオートロックを開けると中へ入り、ロビーを抜けてエレベーターの最上階……八階のボタンを押した。
「いちばん上か……。ひょっとして、好きなのか? その、景色がいいところとか……」
「別に。しいていえば、いざというときに逃げやすいからだ。我々は飛べるからな」
「は、はは……」
真顔で言うルイに、俺は硬い笑いで応じて、ほどなく八階へ到着した。とたんに風の音がして、髪の毛も揺れる。ルイの長い黒髪もおおきく揺れて、彼女はそれを気にもせず、いちばん端の809号室へと歩き、鍵を開けた。
「さ、入れ。上がったら、そこの黄色いドアの部屋に入って待っていろ。私はまんじゅうを置いてくる」
ルイは鍵をかけると、そう言って奥へと歩いて行った。残された俺は少し迷ったあと、「おじゃましまーす……」とつぶやき靴を脱ぐと、それをきちんと揃えてから、すぐそばにある、黄色のドアの前に立った。そして、ノブをまわし、開ける。……が。
「……。な、……っ!」
俺は部屋の中を見て絶句する。なぜならそこには、およそマンション内にある部屋ではありえない……――学校の体育館よりも広く、そして高い――。白い石のブロックが敷き詰められた部屋が広がっていたからだ。
窓もない。壁も、天井も灰色で異様な圧迫感がある。……これは、この雰囲気は……。そうだ。以前『ラ・ヴーム』で。あのバーガーショップで、店長に案内された部屋と同じものだ。と、いうことは、魔術によって拡張されたか、なんらかの装置で創造された空間、ということか……。
「待たせたな。さあ。修行の準備を始めるとするか」
ふいに声がして、俺は振り返る。見るとそこには、ドアを後ろ手で閉めたルイが立っていた。俺は訝しげに返した。
「修行……、じゃなくて。準備? どういうことだ。この部屋が道場みたいなものだってことは、すぐに分かったが。魔術を使うための、特別な……」
「ほう。見たことがあるのか。なら話は早い。ここなら人間たちに気兼ねすることなく暴れることができるからな。音も振動も漏れないから気にしなくていいぞ。……そして準備というのは【そのまま】だ。お前が、そのままじゃ修行にならないから、【人間として生きてきたことを、忘れてもらう】ためのことを、いまからする」
ルイは、怪訝な表情をする俺に近づくと、「服を脱げ。パンツ一枚を残して」と言い放った。……はっ?
「い、や……。なんで? 服を着たままじゃ、不味いのか?」
「再生術は、私は得意じゃないんでな。それに魔力ももったいない。なんなら素っ裸でも私は構わないんだが」
半眼になり、腕を組む。俺はわけが分からないまま、フルチン姿をさらすことだけはさけるため、慌てて上下の服を脱ぎ、部屋の端に置いた。……が、次の瞬間、俺は自分の目を疑った。ルイが、シャツもスカートも脱ぎ捨てて、青いブラジャーとショーツだけになったからだ。
「……お、おい!! なにをしてるんだ!? なんであなたまで脱ぐ必要が……」
「言っただろう? 再生術が苦手だと。さすがにブラまで脱ぐ気はないが……。これはお気に入りだから、傷つけたら殺す」
と、白く長い脚と、豊かな胸をおしげもなくさらした彼女は、長い黒髪を払い、俺を睨みつける。……いや。この人はなにを言ってるんだ? 再生術が苦手? 再生術というのは、たしかロドリーとファレイが、ローシャやカミヤが破壊した、体育館前の広場を修復するときに使った術のことだ。……修復? 服が破れることがある、ということか? いまからするなにかによって。……修行の準備と彼女は言ったが、それはいったい……。
「ロドリーの話によると、お前は元クラスSの魔術士で、いまは事情によって記憶を失っている。そして、記憶がないまま人間としてずっと生活してきた、ということだが……。それはつまり、【魔法界の常識がない】ということだ」
ルイは右手に赤い光をまとい、呆然とする俺に歩み寄ると、続ける。
「殺し殺されること、殺傷行為はご法度で、ふだん目にする機会もほぼない。法や倫理観……、要はそれらをまとめた【人間の常識】では、そういうものに抵抗があるということだ。自分が行うことも。他人が行うことも。はっきり言って話にならん。魔術士の修行以前の問題だ。……だからいま、それをお前は捨て去る必要がある」
「……そ、それはいった……――!!??」
次の瞬間、俺の腹には……。ルイの右手がぶち込まれて、赤い血が噴き出した。俺は焦点が定まらず、脚に力も入らなくなって、顔から床に倒れ込んだ。そうして視界が真っ暗になってから、ほどなく――。目を開けた俺は飛び起きて、自分の腹を探るが……傷は跡形もなく、血もついていなかった。
「いっ……、いまの……は。夢? いや、確かに俺は……」
「夢なわけがあるか。私がお前を半殺しにして、すぐ治したんだ。……裸の意味が分かったか? いちいち服まで直してたら切りがない。……しかしほんとうに弱いな。これでは話が進まん。次は腕くらいにしておくか」
「……!? い、いや、ちょっと待……――」
俺の言葉よりも速く、ルイの手刀が俺の右腕を斬り落とし、まるで壊れた水道管よろしく俺の腕の断面から血が噴き出して、転がった腕に降り注ぐ。俺は体中の震えが止まらず、痛みとショックで叫んだ。
「うっ……!! わあああああああああああああ!!!!! がっ……!!!」
うずくまり、必死にちぎれた腕を押さえる。だが血は止まらず、またもや意識が薄らぎ、俺は顔から落ちた。……が、髪の毛をつかんで起こされて、意識を失うことを遮断される。
「寝るなっ!! いいか? お前は人間じゃない! 私と同じリフィナーであり、【元】魔術士だ! 我々は人間と違い、手足や胴がちぎれたくらいでは【すぐには死なん】! それは、【魔芯】こそが生命の本体だからだ! 心臓の上辺りを意識しろ! それでかんたんには、気を失わないはずだ!」
俺は思い切り顔をゆがめて、ルイの言うように心臓の上……【魔芯】と呼ばれる部分に意識を集中する。するとわずかに緑色の光が見えて、俺の意識がクリアになってゆく。ただし、痛みは消えぬまま……。……確かに、人間じゃ、ねえな、これは……。理屈は対象の【説明】であって、本質そのものじゃないってのは、じいちゃんの言葉だが……。これはマジに体験しないと、言葉だけでは、絶対に分からん……。
「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はルイ・ハガー。癒しを。――ミスターリア」
ルイの言葉と、赤い光が俺を包んだ刹那、俺の血が、時を戻すがごとく俺の体内へと戻ってゆき、腕も吸いつき復元した。同時に痛みが消える。俺はよだれを拭い、ゆっくりと立ち上がり、ルイの顔を見る。ルイはその弱った視線を淡々と受け止めて、次に自分の腹を示した。
「さあ。次は私の腹を貫け。学校へ走ってきたときのように、今度は足ではなく、拳に魔力を集中させればできるはずだ。無理なら刃物を持ってきてもいい。それで【人間】から脱却するんだ。……早く!!」
ルイは両手を広げて、俺にそう命じた。冗談じゃないぞくそったれ……。これじゃあ、ファレイが師匠になれないはずだ。……無抵抗の、知り合いの女を半殺しにしろって? そんなことがありえるか! そんなヤツは人間じゃねえだろうが! 治ると言ったって、痛みだってあるじゃないか! ……絶対に嫌だ。そんなことは……。
ルイのとつぜんの理不尽さに湧き上がってきた怒りは、あっという間にしぼんでゆき、俺は平静さを取り戻し、身体に充満した魔力を消した。それでルイは舌打ちし、ずかずか歩み寄って来ると俺の首をつかんで怒鳴った。
「やはりというか、予想通りのことをしてくれるなあ、お前は……! ……よく聞けよ! お前がいま、抱えている葛藤は優しさなんてものじゃない! ただの弱さだ!! 人間という、脆弱な生き物が互いに生き残るために設けた互助ルールから派生した感情に過ぎないんだよ!! そんなものを抱えたまま、魔術士になろうなんて、なめてるにもほどがある!! ……もう一度だけ問う! お前は魔術士になりたいのか!? それとも脆弱な人間のままでいたいのか!? ――……どっちだ!!」
ルイが俺の首を絞める力を強めていく。俺は眼球が押し出されそうなほどの圧力を感じながら、しかし【魔芯】に意識を集中して、気を失わないでいた。……俺が人間じゃない、ってことはよく分かった。だがそれは、肉体の話だ。俺の精神は……、【緑川晴】として、じいちゃんに育ててもらったこの【人間の心】は!! ――……魔術士に劣る【脆弱】なんかじゃねえんだよ!!
「……!! なっ……!!?」
ルイが驚きの声を漏らすのを尻目に、俺は緑色に発光した両手でルイの、俺の首を締め付けるそれを力づくで外し、床に降り立った。そして、ごほっ! ごほごほっ……!! 必死に息を整えてから、呆然とするルイの目の前で、思い切り足もとを殴りつけ、緑の斬撃を発し、床を、壁の端までまっぷたつにした。
「っ……!! お、お前……!!??」
ルイは目を見開き、割れた床と、息を乱す俺を交互に見る。そして、「創術者はミトカンド・リークル。執行者はルイ・ハガー。かの者に光を。……メキーナ」と唱えた。
「魔力値……――1万2百99……!? 50幾つしかなかったヤツが……! ……馬鹿な!! お前は……ほんとうに……」
ルイは怒りが消し飛んで、ただただ困惑の面持ちで俺を見詰めていた。それはそんなルイをはっきりと見返し、言い放った。
「さっきあなたは、魔術士になりたいのか、脆弱な人間のままでいたいのか、どっちだ、と聞いたよな。……俺の答えはこうだ」
俺は緑色に発光した拳と両眼を、ルイに突きつけて言った。
「俺は人間の心を持ったまま、世界最強の魔術士となる。それが緑川晴として再び生きた俺の意地……――俺の誇りだ!! それが脆弱だなんて、だれにも言わせねえ!! ……絶対にな」
ルイは、まばたきもせず俺を見ていた。
が、しばらくのちに鼻で笑うと、ふっ……、はっ、あっはっはっはっは……! と馬鹿笑いしてから俺に近づく。そして、胸を指でつつくと、鼻が触れあいそうな距離で、言った。
「上等だ……この阿呆が。やれるもんならやってみろ。だがもし口だけで、弱っちいまま、私より先に死んだら……――呪い続けてやるからな。……分かったな?」
まっすぐに、切れ長の美しい両眼が、俺を貫く。嘘偽りのない【真実の脅し】だった。俺は彼女に息がかかるのも構わず、至近距離で返した。
「ああ。あなたより強くなり、長く生きる。……嘘は、言わない」
「……よし。いまの言葉。忘れるなよ。……私は嘘つきな男も、趣味じゃないんだ」
ルイはそう言って、俺の額を自分の額で小突いたあと、離れる。そして、額を押さえる俺に振り返ると、
「さて。頑固な阿呆男のせいで【準備】は終わってしまった。なので食事のあと、さっそく修行を始めることにする。……まずはシャワーを浴びにいくぞ。汗臭い男との食事なんて冗談じゃない」
と言って、服を拾い上げる。それから俺に、「ちなみに、先に入るのは私だ。……のぞくなよ」と半眼で言い放ってから……彼女は。
俺がいままで見た中で、いちばん楽しそうな表情で笑い、部屋を出て行った。




