第53話 歩くのか、歩かされるのか
廊下の窓から差し込む穏やかな午後の光と、外や体育館で活動する運動部員たちの声、西棟の吹奏楽部の楽器音は、いま東棟三階の、長い廊下の中央で吹き上がるふたつの赤光により斬り刻まれて、天井や壁に飛び散っている。
そのさまを、10メートルほど離れたイスに座って唾を飲み込み、全身を固くして俺は見つめていたが、隣に立つロドリーは平然として、やや薄眼で眺めていた。
いっぽう恐ろしい殺気を放つふたつの赤光――ルイとその兄、リイト――は、冗談で放った小石ですら即座に破壊せんとするほどの緊張感を一分も崩すことなく、ロドリーを睨みつけている。そんな窒息しそうなほどの空間を先に崩したのは、赤光の片割れだった。
「……、あっ……」
俺は思わず漏らし、尻が浮きそうになる。リイトがそばの空間に【手を突っ込み】、中から一本の【長いなにか】を引きずり出したからだ。
彼はそれを無言のまま、ロドリーを睨みつけたまま両手で持つと、構え――。次の瞬間、気づいたときにはロドリーの眼前で【それ】を振りかぶり、彼女の顔面に思い切り叩きつけていた。
俺が声を発する間もなく、目で追うことすら叶わず、ロドリーの体は廊下を転がりその突き当り、非常階段への鉄扉まで吹っ飛ばされて、呪縛が解けるごとく俺が立ち上がったときにはじめて「ゴォン!!」という音が遅れて耳に飛び込んできた。そして秒も経たずにリイトが転がるロドリーのもとへ突進し、嵐のように【なにか】を連続で振りおろし続けて、やがて一足飛びに俺の隣に戻ってくる。そのとき、ようやく俺は、彼が手にしていた赤い光に包まれた【それ】が……両刃の剣であることを認識した。
「……っ!! ロっ……――ドリーっ!!」
叫び、スリッパが脱げるのも構わず俺は彼女のもとへ走ろうとする。しかしそれは、熱い、そして尋常でない力で肩をつかまれたことによって制された。
「動くなよ兄ちゃん。兄ちゃんがあっちにいたら、【次】は巻き込むことになる。【次】、があればの話だが。……服すら斬れねえってどういうことだよ」
舌打ちのあと、俺をぐいと自分の後ろに押しやり、俺は柔らかいなにかにぶつかり振り向く。ルイの体に触れていた。彼女はもう、怒りに満ちた表情でなく、ただただ厳しい表情で倒れ込むロドリーを凝視しており、温かな体温を伝えたまま俺に言った。
「よく見ろ。【化け物】がお前の従者だと? だとしたらお前はクラス3S以上は堅いということだぞ。……ホラもたいがいにしておけよ」
リイトと同じように舌打ちし、自身の長い黒髪をうざったそうに後ろに払ったのちに、俺の体を自分に隠すようにする。俺は彼女の視線に倣うよう再びロドリーを見た。
両刃の肉厚のある剣で、目にもとまらぬ速さで何度も斬りつけられたはずの彼女は、ゆっくりと立ち上がり……。ぱん、ぱん、と全身のホコリを払ったあと、前髪をかき上げてこちらを見、無傷の顔をさらしたまま、紫光を放つ両眼で見返すと、言った。
「『依頼主はだれ』、とか。聞いても答えないでしょうから。返事があるだろう質問だけするわ。あなたたち、彼と知り合いなの?」
俺を目で示して言う。リイトは引きつった笑いを浮かべたまま、「……まあ、いまはそんな感じだな。このまま生き延びれば、なかなか好い関係になれると俺は思ってる」と言う。ルイはそれに続かずに、自分の片目を覆うと、開いた目でロドリーを凝視して、「創術者はミトカンド・リークル。執行者はルイ・ハガー。かの者に光を。……メキーナ」とつぶやくと、また舌打ちした。
「魔力値8万9千999。クラス1B上位……【でしかない。のに】。なんだこの気色の悪い魔力の輝きは……。【外法者】の中でもこんなものは……――。――クソがっ!! なにも説明せずに、うまいことだけ言って仕事を振りやがってあの大臣……っ!!」
ルイは片拳を握りしめて骨を鳴らした。俺は硬くなったリイトとルイ、ふたりの様子を呆然と見る。するとロドリーの、
「……好い関係、ね。じゃあボコボコにするくらいで許してあげるわ。のちにどんな芽に育つかも分からないし」
と、いう声が耳に届いたときには、轟風とともに現れたロドリーの拳がリイトの顔面に叩き込まれ、彼が反対側の突き当たりまで吹っ飛ばされると、やはり遅れて「ゴォォン!!」という衝撃音が響いてきた。そして刹那、今度はルイの腹にロドリーのまわし蹴りが直撃して、うめくことも許されず、彼女はそばの空き教室のドアを突き破って机の群れを蹴散らして、奥の壁まで飛ばされた。
「……っ!! なっ……!!」
俺は思わず声を出し、遠くで震えて這いつくばるリイトと、隣の、めちゃめちゃになった空き教室の奥で痙攣しているルイを見てから、半眼のロドリーに口をぱくぱくさせたのち、ようやく問いかけた。
「あっ……!! どっ……!! なんなんだ……!!? せんせ……、――じゃなく!! ロドリー!! お前はいったい……」
「なんなんだ、って。適切な対処をしただけよ。それとも殺したほうがよかった?」
「い、いや……、そういうことじゃなく!! ……まさかここまで」
リイトもルイも、ぴくぴくと動いてはいるが、立ち上がることも、声を出すこともできないでいる。俺の感じた限りでは、ふたりはファレイを追い詰めたローシャ、そしてカミヤと同じくらいの凄みがあった。確かにそのふたりも、ロドリーはかんたんにあしらってはいたが……。
「魔術士のクラスのことは、いまどのくらい理解してるの」
「えっ……。あっ……。その、クラスS、A、B、C……的な順の強さで、それぞれその中でも、1から6まであって、数字が若いほうが強い。……くらいは」
「そう。この間のカミヤがクラス1AでAの上位、ローシャがクラス6Sで、Sの下位。ファレイ・ヴィースはカミヤと同じ1Aだけと、あの子はセイラルが仕込んだ特別製だから、魔力値だけでいえば5Sを超えるくらいはある。もっとも、魔力値だけではSの術式は使えないから、同じ強さではないんだけどね」
ロドリーは、ジーンズのポケットから煙草を取り出し口にくわえ、ライターも用いずに火をつける。そしてため息をつくように煙を吐き出すと、白いもやのなか続けた。
「で、私は。さっきあのお姉ちゃんが言ってたように、クラス1Bだけど【外法者】だから。一般的な言い方をすれば【インチキ】して、高位の魔術士たちの術式が使えるわけ。少ない魔力量でも。あとはまあ、魔力の質も違うから。いまみたく殴る蹴るだけでも、ある程度以上の魔力がないと防ぐのは難しい。……で、見た感じ、殴って蹴った感じだと、お姉ちゃんはクラス3Aで、お兄ちゃんはクラス6S【相当】、って具合かな」
「相当……?」
「お兄ちゃんのほうは、魔術士じゃない。魔剣士っていうのよ。だから魔術士のランク分けには該当しないの」
俺はいまだに這いつくばっているリイトと、そばに転がる剣を見つめた。魔剣士っていうのは……。魔力の力で剣を振るうっていうことか? 人間以上の力と速さで剣を扱えたら、確かにすごい、さっきもすごかったけど……。でもファレイも剣を使ってたし、カミヤは斧を振るっていた。魔術士だよな、あのふたりは。
「魔剣士や、ほかにも槍とか弓とか、……素手のもいるけど。ともあれ魔術を使えない戦士はね。私たち魔術士が、魔術の詠唱から発動までの遅れを埋めるために、補助的に武器や素手の格闘術を使うのとは、まったく意味もレベルも違うのよ。戦士らは魔術が使えない代わりに、徹底してその技を魔力と体で磨き上げている。私も割と好きだし尊敬してるし、警戒もしてるけど。まあお兄ちゃんはこれからというところね。まだ100歳くらいだろうし。筋はよかったから、いつかはそれなりになるんじゃない?」
ロドリーは、こちらの心中の疑問に答えるように話したあと、煙で輪っかをつくり、それを器用につなげて遊んでいた。俺は圧倒されてなにも返すことができず、ただその芸を見ているほかなかったが、そんな俺の間の抜けた顔を横目で見たロドリーは、苦笑して言った。
「言っておくけど。かつてのあなたは私の倍は強かったんだから。そんな表情されても反応に困るんだけど。ほんとう、調子狂うわね……」
「そんなこと言われてもな……。いまの俺は、魔力が……って。そういえば、さっきふたりに、俺の魔力が50くらいまで上がってるって言われたんだけど」
俺は胸の辺りを押さえて、落ち着きのない目でロドリーを見やる。そして、「それ、ほんとうなのか……? だとしたら大丈夫なんだろうか」と顔を引きつらせて言う。ロドリーは煙草をひと吸いし、はき出すと同時に返した。
「……。55、くらいあるわね。あなた、ここへ向かってくる移動速度が人間のそれを超えてたし、そのときすでに、か。あれがきっかけで、魔力を使えるようになったんでしょうね」
「どっ……、どうしたらいいんだ!? つ、もう、使わないようにしたほうが、いいの……か」
「それは目的次第よ。緑川君とセイラルの、どちらの先に、【あなた】の目的があるか。……ま、目的というものは、自分の意志ではどうにもならないこともあるんだけどね――」
ロドリーはそう言って、俺に手を差し出した。俺は瞬いたあと、胸ポケットに入れていた彼女の眼鏡を慌てて取り出し返す。ロドリーは眼鏡をかけて目の光を消すと、いっしょに煙草も空へ放り投げて、消滅させた。
◇
「……。……」
「……。ちっ」
あれから30分後。けっきょくリイトとルイの兄妹は、ロドリーの魔術によって回復し、いまは彼女の結界により、ルイが吹っ飛ばされた空き教室の中、ふたり並べてイスに縛りつけられていた。
リイトは無言を貫き、ルイは時折舌打ちをしてはロドリーを睨み、それから決まって俺をその三倍くらいのキツさで睨みつけ、最後に歯ぎしりをする、ということを繰り返していた。
ふたりの眼前に馬乗りスタイルでイスに腰かけ、背もたれに両腕を置くロドリーは、ただ無言でふたりを見つめ続けていたが、あまりの沈黙に耐えかねて俺が声をかけようとした矢先、おおきなあくびをして頭をかくと、ようやく言葉を発した。
「……殺せ、とも言わず。情報を話して命乞いもせず。黙り続けることが正解っていうのが、こういう事態での正しい対処法なのかしら、あなたたちの経験値、知識、もしくは判断力では」
「聞かれなかったから話さなかっただけさ。まあ殺せ、なんてことは言う気はないがね。俺はまだ死にたくはないし、そもそも……。もう、あんたは俺たちを殺す気などないだろう。回復までさせているわけだしな」
「そうね。たぶん金で雇われたお仕事で、おおもととはつながりはないだろうし。殺しても意味がない。あと言ったように、彼の知り合いということだから。……そういえば、私に『彼らを助けてあげてくれ』とは言わないのね。殺さないと理解してるから?」
と、俺を振り返る。俺は「えっ?」と取り乱したのちに、恐る恐る返した。
「い、いや……。そういうことじゃなく。あの、リイトさんはともかくとして、そっちの人が……」
そうルイをチラ見する。果たしてルイは、「……なんだお前! どういう意味だ! 私は助けなくてもいいっていうことかっ!!」と激高したため、ぶんぶんかぶりを振り、「そういうことじゃなくて! あなた絶対怒るでしょう!? 『助けてあげてくれ』なんて言ったら『上から目線か弱いくせにっ!!』とか!! だから言いにくかったんですよっ!!」と弁明するが、「人の頭の中を先読みして勝手に決めつけるなっ!!」と火に油を注ぐ結果となり頭を押さえる。ロドリーはうるさそうに耳をかいた。
「……。あなたたちはいま、活動拠点を人間界に置いている。彼と知り合いということは、そういうことでしょう。で、私を殺せとだけ依頼主に言われてやってきた。お姉ちゃんが、私の分析をして依頼主のことを罵っていたようだけど。相手のことをよく分からないまま来たのは、言いくるめられたの? それとも、とくだん深掘りせずに請けるのが、いつものスタイルなのかしら」
「それは金の量による。ま、いい金だったのさ。怪しくとも逃す手はないと思っただけだよ」
リイトは自嘲するように少し笑う。それから目を閉じて、「あとは【外法者】相手の仕事はいくつか経験があった、ってこともある。それがまさかあんたのような……。半端な経験が仇になったということだな」と、首を傾けてため息をついた。ロドリーは、「あなた、若いのになかなか冷静で聡明ね。やっぱり強くなると思うわよ。そっちの子も、ちょっとは見習ったらいいのに」と、睨み続けるルイをチラ見して漏らしたが、案の定、『そっちの子』は犬歯をむき出しにして叫んだ。
「……うるさい化け物がっ!! 殺す気がないんならさっさと解放しろっ!! 私も兄者もこれ以上、なにも話す気はないんだから時間の無駄だろうが……! 私はそっちの く そ 馬 鹿 に言いたいことが千はあるんだ!! ……っとうになにを考えてるんだお前は!!?? ともかく即刻、その女との関係は断ち切れっ!!」
結界で制止させられているため、イスをがたがたと揺らすこともできず、無音でわずかに上下に体を揺らして俺とロドリーにわめくルイを、ロドリーは半眼で見たあと俺に、「兄者? このふたり兄妹なの。確かに顔は少し似てるけど、中味が……」と言い、俺は、「いや、まあ、似てない兄妹とかけっこういると思うよ。俺の知ってる人でも、すごい真面目な人の弟がギャンブラーだったりとか」と返す。するとルイの顔はいよいよ紅潮し、隣のリイトに、「兄者っ!! 絶対にこの女は闇討ちするぞ……!! あと馬鹿は私が教育し直してやるからな……覚悟しておけっ!!」とまくし立て、リイトは眉間にしわを寄せて、ただ「声がおおきい。俺は耳はいいほうなんだから……」とだけ漏らしていた。
「なにも話す気はない、か。まあ別にそれでもいいわ。私としては、ただ身の安全が確保できて、これからも穏やかに暮らせたらそれでいいのよ。そのための不安要素を減らす方法は、ほかにもあるわけだし。……だいたいの見当もついたしね」
リイトはロドリーを見る。ルイもわめくのをやめて、厳しい目を彼女に向けた。ロドリーは、そんなふたりを見ることもなく、俺を少しだけ見て、続けた。
「魔法界の者でなく、いま現在、私の近く……人間界にいる【そこそこの腕】の魔術士らに、よく事情も話さずに仕事を依頼した、ということは。『とりあえず迅速に手を打ちました、【私は】。姫様のために』という言い訳が欲しかったということでしょう。結果はともかくとして。つまり依頼主のおおもとは、【王様】や【お兄様】ではなく、媚びを売るために進言したその配下のだれか。で、よきにはからえで済ませている【王様】たちのほうも、こちらが想像していたのとは違って、そこまで第六王女であるお姫様を可愛がってはいないということね。せいぜい私のあれこれの確証を得るための実地検分としてのお仕事という感じでしょう。つまり今回をもって、しばらく追撃はない。私が王国に乗り込んだり、ローシャと再びいざこざを起こさない限りわね」
ロドリーは話し終えると、「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はロドリー・ワイツィ。八解せよ。ヴォーティ」と言って指を鳴らす。するとリイトとルイを縛りつけていた紫色の光が弾け飛んだ。リイトはおおきく息をはき、ルイは一瞬腰を浮かしたが、歯を食いしばったまま、ゆっくり座り直した。
「結構。賢明な判断だわ。まあそういうことだから、目下の不安要素は現在状態不明のローシャとカミヤの【仕返し】と……。あなたたちふたりの存在ね。さて、どうしたものかしら……」
眼鏡越しにふたりを見る。無表情だったが、その異様な気迫にリイトは、「おい……。俺は確かに死にたくはないが、いまみたく結界で縛りつけられ続けたり、監禁軟禁されるのは御免だぜ? それなら殺してくれた方がマシだとは言っておく」と両手を上げ、「あと誓ってもうなにもしない。術式で制約をしてくれてもいい」と付け加えた。
いっぽうルイは、ロドリーを睨みつけたあと、
「お前は死ぬほど嫌いだしムカつくが、ただの【外法者】のみならず、【魔神】セイラル・マーリィの高術まで使える化け物にリベンジするほど、私は馬鹿じゃない。兄者と同じく、束縛と屈辱の生なら、自由な死を選ぶ。殺したきゃ殺せ――」
と、横を向くが、すぐ俺のほうを見て、「ただし、殺す前にその馬鹿と話をさせろっ! ……じゃないと呪ってやるからなっ!!」とまた犬歯をむき出しにした。ど、どんだけ俺は地雷を踏んだんだ……? いかに【外法者】というのを嫌っているとはいえ。異様なくらい怒っているというか……。
「くっくっく……。マジで、よほど兄ちゃんのことが気に入ったんだな。そんなお前を見るのは久しぶりだぜ。……ま、もしいま死んでも、悪い死に方ではなかったよなあ、これだけでも」
と、リイトがおかしそうに笑い、ルイの肩を叩く。ルイは、「うるさいっ! ……んで私の目に入ってくる男は、どいつもこいつも弱っちくて、変な……!!」と彼の手を払いのけ、下唇をかんだ。俺は怪訝な表情でルイを見ていたが、今度はロドリーが笑い始めた。……はっ?
「あっはっはっは……! 【弱っちい】……ね。ふーん。あっそう……。で、私が【化け物】。あなた、あんまり見込みなさそうね」
その言葉に、ルイはかっ! と目を見開き、「なにを訳の分からない……! コイツが弱っちいのは事実だろうが! もしかして、魔力がとつぜん50近くも上がった異常性について言ってるのか? そういえば、お前を従者だとかも言ってたな。ほんとうにおかしなヤツだよ……!」と俺に舌打ちする。しかしロドリーが表情を変えなかったので、眉をひそめて、ルイは俺を嫌そうに凝視する。すると――。
「……兄者。ちょっと。コイツを見てくれ。……――よく」
とつぜん真顔になり、リイトに呼び掛ける。彼は瞬き、その言葉に倣うと、俺の目をのぞき込むようにする。すると数秒後、彼の快活な瞳はみるみるうちに驚きの色に染まっていった。
「おい、おい、おい……。なんだこりゃ……。魔力は50ちょいだが、とんでもなく練磨されてるじゃねえか。こんなもの、見たこともないぞ!! Sの中位、いや……位でも……。信じられん。いったいどういうことだよ……」
ごくり、と音が聞こえそうなほどに喉を鳴らす。そして俺の顔をぺた、ぺた……。まるで珍しい陶芸品に触れるかのごとく触りまくる、俺は、「や、あの、ちょっと……」と苦笑して距離を取ろうとするが、今度はルイに、「創術者はミトカンド・リークル。執行者はルイ・ハガー。かの者に光を。……メキーナ」と見据えられて固まる。その後、ルイは呆然としたあと、兄とは違って思い切り俺の胸倉をつかんで引っ張り上げると、叫んだ。
「こっ、このクソ馬鹿はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! 魔力が55しかないのになんだこの輝きはっ!! ありえないだろうが説明しろっ!! こんな輝きは……!! まるでSの上位の……!! お前はいったい……――【だれ】だっ!!」
「その質問には答えられないわね、【いま】は。ただし、あなたたちの返答次第では、【いつか】は分かることになる。……どうするかはあなたたち次第ということよ」
ロドリーは、唾まみれになった俺をルイから引き離し、自分が馬乗りしていたイスに座らせる。そしてルイをもとの席へ着席させて、同じように腰を浮かせていたリイトにも座るように促した。
そうして先生然として、皆を座らせたあと。ロドリーは教壇に上がると黒板にもたれかかり、腕組みしたままリイトとルイを見据えて言った。
「いま、見て感じたように。彼の魔力の輝きはクラスSのものよ。つまりは事情があって、いまは魔術士になれないレベルにまで魔力が抑えられているということ。だからほんとうはクラスSの魔術士なのよ、彼は」
「うそ……と言い切れるもんじゃあねえよな。あの輝きを見ちまったら」
リイトは苦笑して、俺を横目で見た。ルイは鼻で笑い、「なにがクラスSだ……! そんな話聞いたこともない……!」とぶつぶつ毒づいたが、うそだとは言わず、ただ下唇をかんでいた。
「ついでに言うと記憶もない。魔力が抑えられ記憶も失われ、いまはただの人間として生活しているのが、彼の現状。でもその実、魔力量も保有術式も深奥ではそのままで、クラスSの資格自体は精霊からはく奪されていない。だから、私とも従者契約を結ぶことができたということ。……ちなみにもともとの従者が、すでにいる」
リイトもルイも、唖然としたように口を開けた。それからリイトがかぶりを振って、「魔力55のヤツが従者ふたりっていうのも笑うしかねえが……。あんた、いまの話だと、アレか? 兄ちゃんが、人間みたくなってから従者になったってことか? ……そんなもの、よほどの関係がないとありえねえだろ」
ロドリーは答えずに、ただ目を無表情で細めたので、リイトはたじろいだ。そのとき、ルイががたん! と立ち上がり、ロドリーを指差して叫んだ。
「おいっ! ま、ま、まさかお前……! 自分と同じように、私にコイツの従者になれとか言うんじゃないだろうな……!! 冗談じゃないぞ絶対になるかっ!! 私はこれでもクラス3Aなんだぞ!? いかにほんとうはSとはいえ、55のヤツの従者になんかなったら末代までの笑い種だっ!!」
青ざめて、ぷるぷる震える指で俺を何度も指差した。怒るというより恐怖しているのは、ロドリーに強制的に従わされたら敵わないと理解しているからだろうか。そして末代までのって……。魔術士の常識ではそんな感じなのか? だとしたら元からのファレイはともかく、ロドリーは、俺のために、そんな……。
そんなふうに考えて、俺はロドリーを見るが、彼女は「……?」と不思議そうな表情をしたあと、ごほんと咳ばらいをし、ルイに向き直った。
「落ち着きなさいな。だれもそんなこと言いやしないわよ。彼を護り、彼に従うのは私たちで足りてる……、というか、【もうひとりのほう】が絶対に許さないだろうから。説得すらしたくもないし」
と、ロドリーはうんざりするように言った。ファ、ファレイのことか……。たしかにロドリーが従者になるときですら、めちゃくちゃ反対してたもんな。まああれは、彼女が【外法者】ということも、もちろんあったろうが。「セイラル様っ!!」と完全に従者然としているファレイと、「ルイ様と呼べ」とか言うルイと性格が合うとは思えない。100%喧嘩になる。ロドリーみたく、うまくいなせるとも思えないし。
「じゃ、じゃあなんだっ!! コイツの事情を話したということは、コイツがらみということだろうが! 言っておくがロクでもないものだったら拒否して自死するからな!」
ぷいっ! と横を向く。こ、子供か……!? 言ってることが自死とかなのに、態度が幼稚すぎて緊迫感がまるでない。リイトは頭をかいて、「すまねえ、内容の検討は俺がするから話を続けてくれ」とロドリーに促していた。なんか昔から、こういう感じで妹の面倒を見てきたというのがありありと浮かぶ図だった。
「そうしてもらえると助かるわ。ま、でもお姉ちゃんも納得してもらえる案件だと思うけどね。いまの感じだと。……私のお願いというのは、お姉ちゃんに、彼の師匠になってくれ、ということだから。魔術士の」
一瞬、教室が静まり返り、西棟の吹奏楽部の練習の音が流れ込んできた。そして、そのぶぅー! とかびーっ! とかいう音をひと通り聴いたあと、果たして俺は目を見開いて声を上げた。
「いっ……!! いやいやいやっ!! なにを言ってるのっ!!?? ありえないだろ、おかしいだろ!? だって師匠……、魔術のって……――えっ!?」
驚愕の面持ちで、ロドリーを見返したあと、ルイをも見るが……、彼女はハトが豆鉄砲を食らったように、口を開けていた。いっぽうリイトはなにかを考えているようだった。……リイトはともかく。ルイの言うことは分かる。数秒後にはこうだ。「なにをふざけたことを言ってる!! こんな馬鹿で弱っちいヤツを弟子にするほど、私はヒマじゃないんだ!!」と怒り出すに決まってる。だってそうだろう? さんざん俺を弱いとか罵っていたんだし。……。……えっ? いや、ちょっと待てよ。なんか既視感があるな、弟子とか……。ファレイとの関係じゃなくて、なんか前にこういうやり取りを……――。
◇
――魔術士としては、まあ才能ないだろうが、私の弟子にしてやってもいいぞ――
◇
土曜日に。ファレイと買い出しに行って。アパートに戻ってきたときに電話で、ルイと話したとき。た、確かこんな言葉を言われたような……。俺は断ったんだが。お、覚えてないよな? それに覚えてても、断ったときに、《気が変わっても知らんぞ》とか言ってたし! そうだよ……。彼女の性格からして、プライド高いのは分かってるし、断られたのにしつこく弟子にしようだなんて思うわけがない。いや待て。プライドが高いと、食い下がるのか……!? ど、どっちにしろ強制されてそんなことを受けるわけが!
「……アリだな。うん。いろいろ鍛え直したかったところだし。そもそも弟子にしてみたかったしな」
「ええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!?? うそでしょぉーーーーーーーーーーーーーーーっ!!??」
俺は立ち上がって叫び、ルイに唾を飛ばした。だが彼女はその唾を拭き取りもせず、ただ、初めて――にこっ……と天使のように笑ったのちに、「創術者はラーラ・ミーヤ・執行者はルイ・ハガー。這いつくばれ。――リドルテ」と唱えて、俺は床に叩きつけられた。あっ、アゴっ……、アゴがっ!!
「コイツを弟子にするということは。指南の限りでは――。コイツをどれほど痛めつけても手出ししないということだな? いかに従者でも」
「もちろん。ただし、死なない程度にお願いするわ。回復術がそれなりならば、まあ心配ないとは思うけど。そっちはどう?」
「内臓がいくつか潰れて、骨が砕けて、手足がちぎれるくらいなら、なんとかできるな。半身や頭がつぶれたり切断されたら無理だ」
「じゃあそのくらいで。……ただ彼には日常生活があるから、それに支障がないようにお願いね。そういうものを込みで護るのが、従者の仕事だから」
「面倒くさいな……。ま、いいだろう。学校が休みの日を中心にやることにする。……兄者。仕事のスケジュールはどうなってる。近いのは」
「……非戦闘の、小口のが幾つかだから。そっちは俺ひとりでも構わねえぞ」
いつの間にか取り出したスマホを操作しつつ、リイトは答えた。それから床に張りつけ状態で青ざめる俺に目をやって、「人間として生きてきたんだとしたら、無茶苦茶気の毒だな……。まあ俺もできる限りは助けてやるけどな。ちなみに俺はある程度、人間的な常識は備えているが、アイツはあまりない」と、ぽんぽん、と肩を叩いてきた。そうでしょうね……。あなたはものすごく人間的だもの。そして妹さんは、ね……。内臓……。うっ……。なんか気分が……。
げんなりした表情で床に頬をくっつける俺をよそに、ルイは「そうか。じゃあその辺は兄者に任せる。お前、あとで日程を連絡するからな。……というか名前はなんだ? 緑川の下」と話しかけてきた。俺はおおきく息をはき、やむなく答えた。
「セ……、じゃなくて、晴……です。晴れの字で晴」
「ふーん。じゃあ晴。これからは私のことを『ルイ』と呼べ。敬語も使わなくていい」
「……えっ? な、なぜですか? だって師匠になるんだったら、いま以上に、なおのこと……」
「指導を行う【これから】は。敬語の一文字を発するわずかな時間が、生死を分けることになるからだ。……分かったな?」
ルイは真顔だった。その気迫に圧されて俺は、「わ……、分かったよ。ルイ」と返した。それでルイは満足そうに、「いいぞ晴。割と呑み込みが早い。お前がほんとうに【元S】というならば、成長速度も段違いなんだろう。……私がその【元】以上――史上最強の男に仕上げてやる!」と、笑顔で胸を叩いた。……いままでまったく笑わなかったのに。さいしょに弟子にしてやる、と言ったときから、もしかしたら……。この人は弟子が欲しかったのだろうか……。
そうして、【常に黒いオーラを放っていた不愛想で子供っぽい彼女】は、【時折うきうき笑顔も見せる子供っぽい彼女】となり……。俺を術式から解放すると、いくつかロドリーに確認してから教室を出て行った。兄のリイトは、そのさまをため息をついて見送ったのちに、ロドリーに向き直って言った。
「さいしょ。兄ちゃんを護りもせずに放置していたのは、兄ちゃんがクラスSだからか? いかにいま人間状態でも、【いざとなれば、最終的には】――俺たちの腕では殺されることはないと」
「それもないではないけど。まああなたたちに、彼を殺すような雰囲気もなかったしね。……殺す気あった? 戦いに利用して」
「俺にそういう悪趣味はねえ。そしてその趣味の良さに、俺はいま感謝しているよ……」
と、俺を見て苦笑する。それから彼は、真顔でロドリーに尋ねた。
「あんたがなにを考えているのか。兄ちゃんがいったい何者なのか……。俺は詮索する気はねえ。妹も久々に楽しそうだしな。ま、今後俺の仕事がちょい大変になるのは不満だが、殺されたり拘束され続けるのと交換条件なら上々だ。……ただひとつだけ聞いておきたい」
リイトはスッ……、剣を構える仕草をする。それからロドリーを斬るような素振りを見せて、言った。
「あんたは俺が強くなると言ったが……、あんたの見立てでは、俺の剣は――どこまで届き得る?」
ぶれることのない、まっすぐなまなざしを、彼女に向けていた。ロドリーは眼鏡越しにじっとその目の奥の輝きをのぞき込むようにしたあと、淡々と言った。
「クラス3S。あなた、魔法剣士の――、【理剣】ガードゥ・レイストアって知ってる? 【八極】のひとりだったと思うけど」
その言葉を聞いて、リイトは目を丸くする。それから噴き出すと、大声で笑い始めた。
「あっはっはっは……!! それはいいや……!! こりゃあ、ちまちま小銭を稼いでる場合じゃねえな! 俺も、兄ちゃんと同じく鍛え直さなきゃ……!!」
そして俺の肩をバンバン叩くと、ロドリーに、「あんた、気づいたんだな。……とんでもねえ相手に喧嘩を売ったもんだ」と言い放つと、手をひらひらさせて教室を出て行った。な、なんだ……?
「あの人は、なにを言ってたんだ? いやに機嫌がよくなったけど……」
俺はロドリーに尋ねた。彼女は煙草を取り出して加えたあと、淡々と返した。
「自分の師匠の名前を出されたからよ。剣筋ですぐに分かったわ。おそらくお姉ちゃんのほうも弟子でしょうね。【理剣】は魔術士としても一流だから。そこに届き得ると言えば、そりゃあ嬉しいでしょうよ。ちなみに、お世辞じゃなくてほんとうのことだから。私の見立てでは、ね」
火をつけて、疲れを取るように煙を吸い込み、はく。よく分からないが、すごい人に並び得る、ということを言ったのか。……確かに嬉しいな。俺ならば、じいちゃんみたいな男になれる、と言われたようなもんだから。
「……だから、そういう反応に困る表情はやめて欲しいんだけど。その【理剣】を三回ほどボコボコにしてるのはあなたなのよ。殺しちゃいないけどね。あのふたりも弟子ならそれは聞かされてるだろうから、くれぐれも正体は明かさないようにね」
と、首をぽきぽき鳴らす。……ど、どんだけなんだよ【魔神】って……と思ったが、世界最強……か。ほんとうに、なんで――……こっちの世界に。どういう【目的】があったんだろうな……。
「……なんであな……、お前は。俺を彼女の弟子にしたんだ。いきなり、きょう会ったばかりの相手を」
「顔見知りなんでしょ? 人間として生きてきたあなたと顔見知りの魔術士なんてほぼいないでしょうし、クラス的にも師匠として十分だし、どうもあなたを気に入ってるみたいだったしね。適材だと判断した。……私やファレイ・ヴィースでは、あなたに魔術を教えることはできないしね」
口を開ける俺に、彼女は火のついた煙草を近づけて、続ける。
「私は【外法者】で、ふつうの魔術士としての基礎を教えることはできない。ファレイ・ヴィースはあなたを傷つけることはできないから。あの子、あなたを神様のように崇めてるでしょう? とても無理よ。肉体や精神を追い詰めて鍛え抜くなんて」
俺は眼前で灯る火の熱さを感じながら、考える。内臓を潰すとか、骨を砕くとか……。さっき言ってたのははったりでもなんでもないってことか。魔術士としての修行は……。確かにファレイが、俺をそんなふうにするのはできないだろうな。
「あの兄妹が倒れてるときに言ったけど。緑川君のみでもセイラルだけでもない、【あなた】の目的は、これからの行動で浮かび上がることになる。ともあれ魔術士としての修行をしておけば、【あなたやあなたの近しい人たちの生命を維持する】という点では、メリットとして働くはず。いつでも私たちが護れるわけじゃ、ないしね」
「……それは、そうだ」
考えなかったわけじゃない。……凄惨な戦いを見てきて。
ファレイやロドリーが毎回来てくれて、自分や自分の大切な人たちを護ってくれるわけじゃないと。そうじゃない日が必ず来ると。そのとき俺がすべきことはなにかと。……きょうだって、もし俺が魔術士で、それなりの力があったなら……。ならばやはり、これは進むべき道ということなんだろうな。
考え込んでいると、肩を軽く叩かれる。そして彼女は煙草を再びくわえて、「ま、ともかく。そういうことだからファレイ・ヴィースに今回の説明をよろしく。私は面倒臭いから。……さて、たまには部活に顔、出しておこうかしらね。……あ、部活も近いうちに来てね。入部届けを持って」と言い放つと、俺のポケットになにかをねじ込んで教室を出て行った。
ひとりになると、どっと疲れが襲ってきて、俺はその場に座り込んだ。そうしてなんとはなしに、突っ込まれたものを確認する。……入部届けだ。
そういえば、確かそんなことを言ってたな、主従契約をするときに。なんの部かは聞いてないけど。あの人現国の教師だし、文芸部とかかな……――って。待て。ちょっと……。その前になんて言った? 今回の説明をよろしく、とか……。ファレイに? ルイの弟子になったことを?
俺は一瞬で青ざめて、ゆっくりとかぶりを振り始める。……おい、おいおいおいおいおいっ!! そ、そんなもの下手したら、従者になるってことよりも……じゃないのかっ!!?? だってアイツ、クラス1Aのカミヤが俺を痛めつけてたときにも、「クラス1Aごときが!!(ブチ切れ)」――って感じだったんだぞ!? ルイは確かクラス3Aだったよな。それって、カミヤやファレイよりも、下……。
引きつった表情で、思考がパンクした俺は呆然とする。……と、そのとき、急に電話が鳴って俺は飛び上がった。そして恐る恐るスマホを取り出し画面を見る。【ルイ様】とあった……。
「は……、はい。なんでしょ……、じゃなくて、なんだ?」
《休みまでは長い。明後日の放課後うちに泊まりに来い。ちょうど兄者が仕事でいないからひとりでヒマだしな。なにか食べたいものがあるなら、それまでに電話しろ。私が作ってやるぞ。以上だ》
がちゃりと切れた。俺は通話の終わったスマホを、目の玉だけを動かして見た。
えっ……と。会話って知ってるのかな? Aさんが話したあと、Bさんが言葉を返すっていう、アレ。俺、会話がしたかったな……――って。っっ馬っっっ鹿じゃないのかあの人はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!! たっ、ただでさえ説明するのがやっかいなのに……っ!!
半泣きになった俺は、とりあえず登録していた【ルイ様】の文字を、【ルイ】と書き換える。それから【ファレイ】の文字を見つめて……。
ただひとり脱力して、大の字に寝っ転がるほかなかった。




