第52話 付き合ってられないわ
「なあ、お前。俺と組まないか? ……この戦争中」
蒸した夏夜に圧された広大な森の中、焚火向こうの女へ俺は声を通す。
傷だらけの古木にもたれかかり、だるそうに水袋をあおっていたその女――ロドリーは、紫色に点滅する両眼のひとつを横へ動かし、こちらを一度だけ見て、口をぬぐうと返した。
「……とつぜん私の結界に入り込んできたと思ったら。それ、なんの意味があるの? 世界最強の【魔神】が、鼻つまみ者の【外法者】と? あなた、もしかして虐げられる趣味があるのかしら」
「いや。単純に生きて帰りたい、そのための最善策というだけだ。この戦争は、俺の見立てであと半年はかかる。さらにはこのまま単独行動を続けていたら、それ以上に延びると踏んだのさ。これはお前にとっても得になることだと思うが」
俺は枝を拾い、焚火に放り込む。火の粒が乱れて弾けた。ロドリーは水袋を地面に置き、長い前髪をかき上げると、初めて紫光の両眼でこちらを見た。
「精霊にとっての【最愛】、リフィナーや魔術士には【魔神】と畏怖される、世界最高にして唯一のクラス0S。そんなあなたには、傭兵部隊も正規の魔術士団も足手まとい。だからレミア国王直々に招聘されたにもかかわらず、この半年はひとりでやってきたのでしょうが。そのせいで相当、団の反感を買い、戦局を乱れさせていることくらい分かってるでしょう? つまり、さっさと我慢して術士団長の指揮のもと戦いなさいな。そしたら戦もあなたの見立て通りに半年で終わるし、私もいままで通り、『第六防衛ライン』でひとり、気ままに護っているだけで金がもらえる。以上。これが私にとって最も【得】になることよ」
鼻で笑い、ロドリーは顔をそむけ目を閉じると、古木にいよいよもたれかかる。俺は入眠を阻止するかのようにすぐ返した。
「じゃあ言い換えよう。これは俺の我がままだ。俺は自分の命を預ける者は選びたい。レミア側に参加している者の中では、それがお前ということなんだ」
ロドリーは目を開けた。だがこちらは見ない。焚火の炎とともに、ただ闇夜を、その両眼で灯していた。
それからしばらくのち、俺が三本目の枝をくべたときに、ようやく彼女は口を開いた。
「……そういえば。あなたは【外法者】を研究している変わり者としても高名だったわね。私と生活することで、そのサンプルを取りたいということかしら。それでも相当馬鹿だと思うけど」
「俺は確かに研究者だが、魔術医学者ではない。アイツらより悪趣味じゃないさ。さっきも言ったように、無事に生きて帰りたいというだけだよ」
「思ったより、生に執着しているのね。もう生きてるうちに、なすべきことはなしたでしょうに」
「弟子で従者がひとりいてな。ソイツとの契約はまだ終わっていないし、帰らないとキレられる。すでに半年も連絡していないから、ブチ切れてるとは思うが」
俺は苦笑して、焚火をいじりながらハーティの表情を思い出す。怒りながらも、俺の部屋も、きちんと掃除、してくれているんだろうな。机に落書きくらいはしているかもしれんが。
その様子が浮かび、思わず口角が上がる。すると視線を感じて顔を上げた。ロドリーがこちらを見ていた。
「……まるで【そこいらの男】みたいだわ。噂とは大分違う」
点滅する眼光は少し和らぎ、肌の白味が闇に映えていた。俺はまたくすりと笑い、懐から皮の酒袋を取り出すとヒモを解き、栓を外してあおったあとに言った。
「お前こそ、ずいぶん噂と違っていたよ。いっとき前、ここに足を踏み入れた際も攻撃せずに話を聞き、受け入れてくれたしな。まるで【そこいらの女】だぜ」
「私の最高位結界をやすやすと通り抜けてきた【魔神】相手になんの攻撃を? 無駄なことはしない主義なのよ。それと、その噂……【最悪のB】というのは、自分で名乗ったわけでも言いふらしたわけでもないから」
「奇遇だな。俺も【魔神】と自分で名乗ったわけじゃないし、言いふらしもしていない。つまり、【俺自身の本質、実態とはなんの関係もない】ということだ。……お前と同じようにな」
「私のほうは分からないわよ。……なんの関係もない、というのは」
「俺はそうは思わん。これでもリフィナーを見る目はあるんでな。それに、もし最悪なヤツだったら、……こんなに酒がうまいはずがない」
俺は、酒袋をかかげて笑う。そしてお前も飲むか? と勧めたが、
「……馬鹿じゃないの。付き合ってられないわ」
と、ロドリーは眉をひそめる。そして古びた紫マントを深く巻きつけたあと、完全に目を閉じた。
◇
◇
「……っはあ、はあ……!! ……んだ、……まのは……!!」
一瞬、目の前が真っ暗になり、無数の映像が横切って――。俺は慌てて走るのをやめて立ち止まり、息を整える。そうか、たまに夢とかで見る、セイラルの……。寝ているときといい、意識を失ったときといい、どうやら【緑川晴】の自意識が希薄になったときに立ちのぼってくるようだ。そして【緑川晴】の自意識が濃くなれば、かき消される。いまのももう、まったく思い出せない。これじゃあ【緑川晴】自身が、セイラルの記憶にフタしているようなものじゃねえか。……くそっ!
悪態をつき、アスファルトの坂道を踏みつけるが、疲れ切って乾いた音さえならない。俺は疲労でゆがんだ表情で、坂の先を見つめる。だがちらほらと、帰宅する生徒や、近所の主婦や子供がおりてくる姿が見えるばかりで、葉賀兄妹の姿はなかった。
いくらなんでも速すぎる。明らかに魔術かなにかを使っているはずだ。だとするともう、学校に……。電話をするか? いや、確か学校に結界を張っているとか言ってたな。だとするとまだ校内には入られていない可能性があるし、最悪、侵入には気づくはず。……ともかく走って追いつくんだ。それで、ふたりに……――。
「おい兄ちゃん。なにをそんなに急いでるんだ?」
突如、後ろからよく通る声がして、俺は体を震わせる。呼吸を整えながら振り返ると、葉賀兄が電柱に手を当ててもたれかかり、隣では妹のルイが半眼で腕組みをしてこちらを見ていた。
「えっ……、あっ……。な、なんで後ろに……」
「ちょっとした【魔術】さ。俺たちを追っていたんだろう? なにか伝え忘れたことがあったんなら聞いとこうと思ってな。あんま学校には近づけたくないんでな」
その言葉に、俺は喉が締まってうめく。兄は「……んん?」と瞬き、ルイは眉をひそめた。俺はちいさくかぶりを振って、こめかみを押さえながら必死に言葉を探したが、なにも思いつかず……。やむなく【そのまま】言った。
「あっ、あのっ……! お、おふたりは学校に……!? な、なんの用事ですかっ!!」
兄はぽかんと口を開け、ルイのほうを見る。ルイはため息をつき、淡々と言葉を発した。
「『頭のほう』に言っただろう。これから仕事だと。ちなみに魔術士のだからお前は来るな」
「――こっ……! 困ります【それ】はっ!! ……やめて下さいっ!!」
叫び、俺はふたりの目を見据える。兄はいよいよ口を開き、ルイはため息を重ねて、それから首筋をなでた。
「言っておくが、人間を殺しにいくわけじゃないぞ。相手は魔術士だ。まあ、人間として生活していて、その身分も持っているらしいが……。【そっち】でお前と関りがあるということか?」
「は、はいっ!! あ、いや……!! その、可能性も、ある……かもと」
「だとしても諦めろ。話は以上だ。じゃあな」
そうしてルイは、さっさと歩き出す。兄は頭をかきつつ、「こっちも生活かかってるからよ、スマンな。いちおう人間たちには被害がでないように配慮はするから。……ま、相手次第だが」と、ルイのあとに続く。だが俺は、すぐさまふたりの前にまわり込み、両手を広げて道をふさいだ。
「……その人の名前は!? 人間名でもリフィナー名でも構いません!! 教えて下さい!!」
「守秘義務があるから駄目だ。とくにお前は、魔法界に無知とはいえ人間じゃないのだから。どこからどう漏れるか分からん。そもそも、お前の知ってるかもしれないヤツの名を言うのが先だろう。聞いても答えんがな」
ルイは俺を見る。兄は困ったように横を向いていた。俺はルイへ思考を飛ばして読まれぬように、まったく別方向の、遠くへ話しかけるように顔をそむけ思考する。……どうする。ロドリーの名を言うか? 言っても答えないと言うが、多少の表情の変化が……。いや、もし彼女と関係がないとしたら、いま命を狙われているロドリーの居場所を外部の魔術士に漏らすことになる……。やはり言うべきじゃない。ほかになにか、せめて多少の足止めくらいにはなることは――……。
「私に悟られないよう、顔を背けてまで考えあぐねている、ということは。単純な話でもないようだな。興味はあるが、いまは仕事が優先だ。後日聞くことにする。……もう引き留めても無駄だぞ。さっさと家に帰れ」
再びルイが歩き出す。兄もそれに続いたが、俺は震える体を押さえつつ、二度、三度と足踏みしたのち――低く言い放った。
「……学校にいるのは、俺の従者なんです」
ふたりは同時に足を止めた。そして振り返ると、やはり同時に哀れみの表情を向けて、子供に話しかけるよう、兄が優しく言った。
「あのな兄ちゃん。兄ちゃんは人間界育ちで、魔法界に行ったことも、リフィナーや魔術士と深く関わったこともないだろうから、聞きかじりなんだろうが……。従者ってのは、クラスSじゃないと持てないんだよ。だから、いま兄ちゃんの魔力は5……、じゃねえな。あれ? 少し上がったのか? 10はあるな……。まあどっちでもいいや。それっぽっちの魔力じゃあ、魔術士にもなれないレベルなんだ。もし冗談でも、それ、あまりリフィナーには言わねえほうがいいぞ。まったく笑えねえから」
「冗談でないなら、まさに無知ゆえの馬鹿だな。多少は面白いヤツかと思ったが……。お前、その程度の男なのか? だとしたら食事もしたくないぞ。訂正しろ。つまらないジョークでしたとな」
「しません。ほんとうのことだからです。だから主として――……あなたたちを通すわけにはいきません」
俺は一歩、二歩と、アスファルトの硬さを、体の硬さを染み入るほど感じつつ、再びふたりの前に立ち、構える。その姿で兄は真顔になり、ルイは半眼を強めてゆく。
「兄ちゃん。マジで言ってんのか? 冗談でも馬鹿でもなく」
「マジです。そしてあなた方の強さも分かります。同じくらい強い相手に……半殺しにされましたから」
はっきりと言い放つ。魔力は隠せる者もいるらしいが、なんとなく分かる。神経を研ぎ澄ませて感じれば、その力の強大さが。兄のほうは、魔術士じゃないらしいが、きっとなにか俺の知らない力を持っているはずだ。つまりは、絶対に、命をやり取りする戦いになる――。
「兄ちゃんのような、ただのリフィナーを半殺しにする……? そんなカスのようなヤツが高レベルな魔術士にいるのか。ムカつくな……。つーかそれより、明らかに勝てないのに立ちふさがるってのはやめろ。それは勇気でもなんでもねえ。ただの無謀で犬死にだ」
「行動の名前はどうでもいいんです。ここで黙って行かせるようなヤツは男じゃない。俺は、そんなふうに育てられた覚えもないし、生きてきた記憶もない。……きっと、前のときも」
「前のとき……? どういう意味だ。兄ちゃんはいったい……」
次の瞬間、強烈な平手が俺の頬に打ちつけられ、俺はよろめいた。顔を上げると、舌打ちしたルイが俺を見おろして言い放った。
「いまのは魔力もなにも込めていないぞ。そんなものでよろけるヤツが、従者? 主? 守る? ……いい加減にしろ! いまのお前はただのいい格好しいで馬鹿のホラ吹きだ! 失望したよ。金輪際会うこともないだろう。……行くぞ兄者!」
叫び、ルイは赤色に発光すると猛スピードで坂を駆け上がってゆく。兄はおおきく息をはき、その姿を眺めながら、
「おー怖。ま、いまは怒り狂ってるだけさ。落ち着いたら飯の連絡すっから。……なんか俺も兄ちゃんに、前とは違う意味で興味がわいてきたし。またな」
と、俺の肩を優しく叩くと、同じように赤く光って、バイク並の速さであとを追った。俺は赤光を放ち坂を駆け上がるふたりの姿を、這いつくばったまま、まばたきもせずに凝視して思考をめぐらす。……さっき兄は、俺の魔力は10あると言った。昼にロドリーも。つまり、あれほどじゃなくても、俺も【10の魔力を使えれば、人間よりも速く走れるんじゃないか】? 考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ! どうやって出す! どうやって力を集める! 10すべてを、脚に……足に集める方法は……!!
目を見開いたまま兄妹の姿を、さらにはかつてのファレイやカミヤ、ローシャやロドリーの、魔術を、魔力を使う姿を何度も脳の奥から肌の下から引っ張り出して反芻する。そして全身の血を、意識をすべて、足の裏に流し込むように集中すると――。胸の真ん中から、体中に風が吹き抜ける感覚に見舞われて、足が緑に薄く光った。
「……――行け。ぶれることは許さん」
意識と無意識の狭間で声を漏らし、ひりひりした目を見開いたまま俺はアスファルトを蹴った。
手を振り、風を切り、歩道を下る主婦や下校中の小学生、車道を自転車で下る同校生たちを紙一重でかわして、景色がまたたく間に後ろへと流れていく。そうしてあっという間に校門が見えてきて、部活で外周している生徒たちの、驚きの視線をも流していくと、前方で自転車を手押ししていた先生が、「おい、ちょっと待て! 危ない! お前いったい……」と叫び自転車で道をふさいだが、俺は彼の横の間知ブロックを駆け上がり、そのまま高々とジャンプして校門前へ着地し――いつもはなかった、紫色の光壁が学校を包み込むよう立ちふさがっていることに気づいた。
この色は……ロドリーの目の光と同じだ。たぶん彼女の結界だろう。ということは、やはり接近を察していたということだが、……ふたりはもう中へ入ったのか。結界が効かなかった? いや。確か俺がカミヤの結果に投げつけられたときは、パリンと割れていた。なんにもなっていないということは、ここじゃない別のところを破壊して入ったか、どこかに入り口があって……【わざと作って】。つまりは【誘い入れた】んじゃ、ないのか?
「おい、お前! なにをしてるんだ!! 走りとはいえ、いくらなんでも危なすぎるだろう!! 何年何組の、だれだ!!」
後ろから怒声がして、さっきの教師が俺の肩をつかむ。しかし俺はそれを無視して、足に集中していた光を、今度は目に集めるように意識する。すると、二十メートルほど右の、職員用の門のほうから途切れの気配が感じられて、そのまますぐに走った。
「あっ……!! こ、こらーーーっ!! お前、そうだ……!! さっき横岸とふたり乗りしてたヤツじゃないか!! あした呼び出すからなーーーーーーーーー!!」
いつもなら困り果てる怒声も、いまは心地よい現実音として、ぎりぎり人間としての理性を保つ手助けとなり、俺はそれに対して「ありがとうございまーーーーーーーすっ!!」と叫び返したため、遠くの怒声はいよいよ強まった。
◇
【穴】は確かに、職員用の門の中央にぽっかり空いており、そこからまるで一本道の通路のように続いていた。『どうぞここを通ってお越し下さい』と言わんばかりに。俺は深呼吸して目の光を消し、ややこしいことを避けるために玄関で来賓用のスリッパに履き替えて校舎へ入る。放課後のいまは、部活動の生徒たちの声が響いては来るがしずかで、先生たちの姿もまばらだ。
【道】はそのまま、渡り廊下を抜けて東棟へ。そうして、いまはヤンキーがたまにたまり場にしている、元・特別授業に使われていた教室が並ぶ3階廊下へとつながっていた。
「おいおいマジかよ……。近づいてきてるとは思ったが、早すぎねえか? まさか、魔力使えんのか」
階段を上がってすぐの廊下に立っていた兄が、驚いたように俺を見る。その後、「いや、ちょっと待て。……どういうことだ!?」と口を開けて俺を指差す。ルイも目を見開き俺を見つめ、それから困惑したように言った。
「お前、魔力が50ほどまで上がってるじゃないか……。いかに低いとはいえ、こんな短時間ではありえない! ……【抑えていた】、ということか?」
「マジにさっきの、冗談じゃねー可能性があるのかよ……。いや、でも【クラスS】だしなぁ……」
兄は頭をかいて俺を眺めまわす。ルイも観察するように俺を見始めたが、そんなふたりをよそに俺は、廊下の先を見る。だが奥までは見通せなかった。なぜならそのちょうど真ん中辺りが、滝が流れ落ちるように空間がゆがんで視認できなかったからだ。
「……ま。不可思議な存在ではあるが、いくらなんでも【クラスS】はありえねえ。そんなヤツは抑えていたって練磨された佇まいまでは完全に消せないからな。兄ちゃんは完全に人間と同じだし。つまりは俺たちの【仕事】とはなんの関係もないってこった。なら巻き込みたくはねえ。帰れといっても聞かないなら、せめて端のほうにいてくれ。……こっちは【仕事中】なんでな」
兄はそう言うと赤く発光し、魔力に包まれたまま、近くの鍵のかかった教室のドアを乱暴に開けると、中から机とイスをひとつずつ引っ張ってきて、思い切り机のほうを、例の滝壁に投げつけた。が、まさに滝に呑まれるように、音もなく机は消えた。
「間違いねえ。あれは【レフィシリーズ】の結界だ。イスを投げるまでもない。と、いうことは聞いた通りに【外法者】かよ……」
その言葉に、俺は思わずまぶたを動かしてしまう。それを目ざとく見つけたルイが、俺の胸倉をグイとつかんで引きよせ言った。
「おいお前! まさかお前の知り合いというのは、ほんとうにアレ……【外法者】なのか!? 無知もここまでくると哀れみすら覚えるぞ! ――いいか? お前はなんにも知らないだろうが、【外法者】というのは、最低最悪のとんでもないクソなんだ!! ……そうかだから、お前のような弱いヤツすら騙して抱き込んで、捨て石にしようとして……!!」
「なっ!? ち、違いますなに言ってるんですかっ!! これは俺が勝手にやってることです!! 従者の危機が迫ってるのに、それを知って逃げ出すなんて主がいますか!? いや、それ以前に男が! そう言ったでしょう! ……そんなことは俺はしない!」
「確かにそんなことをすれば、精霊によってSの称号がはく奪される。誇りなし、資格なしとな。しかし、そうされても逃げ出すヤツなんてごまんといるし、じっさいに見てきた。命と天秤にかければとうぜんだろう。そもそもお前はSでもなんでもないくせに……! 男!? しない!? こっちこそ言っただろう!! 弱っちいくせにいい格好をするなっ!! これだから三次元の男は……!! そこまで無駄死にしたいのか! ……よくお前の言う従者とやらを見てみろ!!」
ルイは俺を放し、「創術者はアッサーラ・レイヴァン。執行者はルイ・ハガー。空を穿て。――アーシャスター!」と叫んで手を滝壁へ突き出した。すると手のすぐ先の空中に、突如四つの丸い竜巻が発生し、ものすごい速さで壁へ発射された。が、やはりそれもアイスクリームのように溶けて消えた。
「どうだ。あれが【外法者】お得意の戦法だよ。遠方からの攻撃はすべて呑み込み、近接攻撃をすれば取り込んで、中で隙だらけのうちに殺す。一度あれを見てしまった以上、背を向ければ暴発して傷を負わせる、まさに卑怯者の戦い方だ。だいたい、もし偽りなくお前が主で、アイツが従者というならば、真っ先にお前を保護しに来るべきだろうが! 自分だけ安全地帯にいて、主など構わず相手をなぶり殺しにする……! 術式も腐っているが、戦い方も腐っている! ……お前は騙されてるんだ!」
「い、いや……! 腐っているって言っても、これは命の取り合いなんだから、必勝パターンがあればそれを使うのはとうぜんでしょう!? 【きれいな殺し方】なんてあるんですか!? そもそも、あなたたちが襲ってきてるんじゃないんですか!! 仕事かもしれませんが、襲われるほうに正々堂々を求めるなんて筋が違うと思いますが!! ……どうなんですかっ!!」
「なっ……!! こ、この……!! だれのためを思って私が言ってると……!!」
顔を真っ赤にして、ルイは震える。だが俺も興奮していたので、「余計なお・世・話・で・すっ!! 従者が馬鹿にされて黙ってられますか!!」と言い返し、そこで兄が「ぶふっ!! あっはっはっは……!! 兄ちゃん、面白すぎんだろ……!!」と爆笑する。ルイはそれで「兄者っ!! 笑ってる場合じゃないだろう!! この馬鹿になんとか言ってやれっ!!」と唾を飛ばす。それで兄は笑うのをやめ、息をはくと言った。
「……けどまあ、じっさいよ。兄ちゃんを見殺しにしてるようなもんじゃないか? いまの状況は。ほんとうに主従関係があるのなら、結界術もかなりのものなんだから、兄ちゃんの動向は分かるのに、俺たちと出くわす前に逃がすこともせず、戦いの場にまでやって来させている。最悪兄ちゃんをおとりにしても自分の勝ちを堅いものにしようとしてる、って腹かもしれんし。マジでそれで死んだら【無駄死に】だと思うんだが。……それでいいのか?」
「ええ。だけどそれは【無駄死に】じゃなくて、俺に見る目がなかっただけですから。それでも、やるべきときに、やるべきことはやったのだから後悔しません。ただ俺は、見る目には自信があるんですよ。あの人は……【アイツ】は。――……そんなヤツじゃない」
まっすぐな目で兄を見据える。彼は視線をそらさなかった。だがルイは依然赤い顔で下唇をかみ、「……んで【外法者】なんかに、そこまで……! お前はなんなんだ……!」と、兄の持ってきたイスをつかむと全身を赤く発光させて、滝壁に投げつける。と、次の瞬間滝壁が弾けて消え、イスは――空中でキャッチされた。
「まったく。学校の備品を粗末に扱わないでよね。東棟のは別に廃棄物じゃないんだから」
ため息とともに、ロドリーは片手でつかんだイスを、ゆっくりと廊下に置く。そして唖然としたルイと、俺でも分かるほど、強烈な殺気を放ち出した兄を順番に見たのち、最後に俺へ視線を向けて再度ため息をつくと、唱えた。
「創術者及び執行者はロドリー・ワイツィ。転変せよ。――リグルト」
刹那、俺の視界が上下にぶれて、戻った時には先生の、ロドリーの腰が目の前にあった。イスに座っている。……瞬間移動、させられたのか? ローシャがカミヤに使っていたみたいな……。
「言っておくけど、ローシャが使っていたのが【まっとうなヤツ】ね。私のは亜空間を通してるから。まあ【魔神】だし。死にはしないと思うけど」
「えっ!? ちょっ……!! うそでしょ!? ……亜空間ってなんですか!?」
俺は真っ青な表情で、体中をぺたぺた触る。ロドリーは、「敬語。学校関係者がいないときはなしでって言ったでしょ」と半眼で見る。俺は、「い、いや、そんなどうでも……」と言いかけたが、10メートルほど先から、異様な殺気がふたつ飛んできていることに気づいた。
「……どういう風の吹きまわしかしんねーが。ようやくご対面だな。【外法者】さんよ。で、次はどんな罠が仕掛けてあるんだ?」
「きっとさらに卑怯なものに決まっている! でないと解くかっ!! ……が、そんなことはもうどうでもいい!! さっさと片づけて、あの馬鹿に説教の続きをしないとな……!! おい馬鹿、お前、今夜家に帰れると思うなよ!!」
「……ほんとうにやかましいわね。やっぱり出てきてよかったわ。あのままだと、いつ終わるか分かったもんじゃない。それと、不純異性交遊宣言はいただけないわね。教師の前で。もちろん彼とのお泊まりは却下よ。お姉ちゃん」
ロドリーはゆっくりと髪を結び直す。ルイを包む赤光が炎のように高まった。それでおろおろする俺を、ロドリーは横目で見て、つぶやいた。
「堂々と。しゃんとしてなさい。あなたは私の主で。急いで、走って。必死に助けに来てくれたんでしょう?」
「あ……、は、いや、――ああ。そうだ。……分かった。主らしくしてるよ」
そう言って、俺は居住まいを正す。だが急に、変な具合に力を入れたために背中がつり、「……っつ!」と顔をゆがめてうずくまる。その姿に、ロドリーはちいさく噴き出すと、三度ため息をつき眼鏡を外して、
「まったく、あなたは相も変わらず……。ほんとう付き合ってられないわ。私がマトモでないことに、【いま一度】――心より感謝なさい」
と、眼鏡を俺に手渡すと……――。両眼の、紫光の輝きをいよいよ強めて【敵】を捕捉した。




