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第51話 来襲

 暗い、暗い、しずか。

 なにも見えない、聞こえない。そんな場所せかいをたゆたううちに、少しずつ体の奥から魂が、ゆっくりと全身へ広がってゆく。

 やがて身を満たした魂が、内側からあちこちをノックして、外へ飛び出そうとしたとき俺は目覚めた。

 しばらくはっきりしない意識のまま、ベッドに横たわり、天井を眺める。


「……。なんだ、こりゃあ……」


 夢を見ていたわけではない。かといって、ただ深い眠りから覚めた感じとも違う。

 まるでどこか、別の場所せかいから引き戻されたような――。


「おーい、朝飯係ぃー。楽しい楽しい、一週間が始まったぞぉ~。わしはスクランブルエッグな」


 現実のノックとともに、声。俺は息をはき、おおきく脚を持ち上げて反動をつけ起き上がって、「スクランブルエッグはぁー、きのうの朝食った! じいちゃんだけ別のにするのメンドイから、ベーコンエッグな」と返事をし、汗ばんだシャツを脱ぎ捨てた。


     ◇


「はー……、きょうはスクランブルな気分じゃったのに。まったくこの、朝帰りの坊主ときたら……」


 朝日の差し込むキッチンにて。白髪ちょんまげを光らせるじいちゃんはぶつぶつ言いながら、ベーコンエッグをバタートーストに載せてかぶりつく。俺は眉をひそめるも挑発をスルーし、牛乳を自分のグラスへ注ぐとテレビをつける。


《はぁ~いっ! きょう月曜の運勢第一位はぁ~……、――双子座のあなたです! ピンチもチャンスに変えられそう! ラッキーカラーは緑、ラッキーアイテムは鉛筆で~っす! ……》


「おっ、一位じゃん。珍しい。……鉛筆か。じいちゃん持ってたよな。ちょい貸してよ」


「持ってるが、スクランブルな気分が打ち砕かれたから、貸す気にならんの~」


 と、新聞を開く。こういうときは子供みたいなんだよなあ……。つーかいまどき鉛筆なんて持ってる人少ないだろうに。小学生とか、絵を描いている人以外は。用意しやすいものにして欲しいよ。シャーペンとかハンカチとか。


「お前は小5くらいで使うのやめたんだったか、鉛筆。『クラスみーんな、シャーペンなんだよ! 鉛筆とかダサい! おれしかいないって!』ってぎゃーぎゃーと。研ぎ方も忘れただろう?」


「研げるよ、いちおう。かんたんに忘れるかよ。まだその辺のヤツらよりうまいっつーの。ひと通りのことは仕込まれたからなーみっちりと」


 そう言って牛乳を飲む。じいちゃんは、「ほんとかぁ~? もうすいちゃんより下手なんじゃ、ないのか? あの子はいまも鉛筆も使ってるそうだぞ、メインで。わしの研ぎ方でな」と得意げに笑う。そういや、じいちゃんお手製の物差しをいまだに使ってるとも言ってたな。

 それを自慢してこないってことは、そっちはまだ聞いてないのか。なら黙っとこーっと。自慢されるのもアレだけど、俺が作ってもらった物差しは、部屋のどこかで冬眠してるからな……。

 俺は牛乳を飲み干すと、話を広げられる前に、「ごちそーさん! ちょっときょうは早めに行きたいから、洗い物頼むよ。帰りにお菓子でも買ってくるからさ」と早口で言い、帆布はんぷ鞄にお手製の弁当を放り込む。するとじいちゃんは、「……お前、きのうの朝帰りも【昼帰り】みたくなってた上に、アイスも忘れてたよなあ……」と半眼になる。なので慌てて、「あーっ、ば、晩飯はじいちゃんのリクエストに応えるからさっ! 食べたいものが決まったらメールしてよ! ――んじゃ!」と笑ってごまかしキッチンをあとにした。どーこが運勢一位だよ、ったく。やっぱ鉛筆、買っていくか。別にあって困るもんじゃないし。


 俺はため息をつき、外へ出て鍵をかける。それから門を開け、愛車ママチャリを手押ししながら、家を出た。……ら。


「……。……はっ?」


 思わず顔を引きつらせる。

 なぜなら家の前で、道端で――。制服を着たファレイが土下座していたからだ。


「…………ぁっ、――……ぐっ!!!」


 俺は阿呆のように声を出し、歯をかちかちやってから周囲を見まわして、だれも見ていないことを確認したのち、猛スピードで自転車をとめる。そしてファレイの肩をつかんで立たせ、飾り気のないヤツの通学鞄を拾い上げて無理やり持たせようよした……が、ぼすん、と下に落ちる。


「おい、おい、おいーーーーーーーーーーーーーーっ!! な、な、なにをやってるんだお前はっ!! い、い、いつからどっ……、!! じ、地べたに座っ……!!??」


「ご心配なく。人目につきますゆえ、セイラル様がご自宅をお出になったことを確認してからでございます」


 と、ニコリ……。死人のような笑みを浮かべた。俺はわなわな震えて、またファレイの鞄を拾い上げ持たせようとしたが、ぼすんっ……。あ、握力がねぇーーーーーーーーーっ!! ど、どうしてこんな……。と、ともかくちゃんとさせないと……!

 そうして、もはやこんにゃくかと言うほどにへろへろとなったファレイを片手で支えたまま、俺は三度みたび鞄を拾い、今度は愛車ママチャリのカゴへ放り入れる。それからうつろな目のファレイを見つめて、なにか言おうとしたが、その前にヤツの口が動いた。


「セイラル様。きのうの朝は食事を用意していただき、誠にありがとうございました。たいへん美味しゅうございました」


「へっ? あ、ああ……。帰るときに作ったヤツか。食べてくれたんだ。よかった……」


「はい。とてもとても、大切に頂きました。きのうの昼に、おにぎりをひとつ。晩にふたつ目。そして今朝、四切れの卵焼きを。水以外、ほかのものは一切入れず、私の全身に刻み込むように、じっくりと味わいながら……」


「……? あの。俺の作ったあれだけ? きのうから、食べたの……」


「はい」


 短く言った。俺はなにやら嫌な汗が背中につたうのを感じて、頬が引きつる。なんで飯、作らなかったの? うまくできるようになったじゃん……、というようなことを聞ける雰囲気では、まったくない。

 果たして間を置かず、ぽつり……。ファレイは俺をしずかに見て、言葉を放った。


「セイラル様……。ひとつ、お願いしてもよろしゅうございますか?」


「はっ? な、なんだ……。なんでも言ってく……」


「私はセイラル様に、自死を禁じられている身。なのであなたが直接、地獄へ送って下さいまし。そう、考え得る限り、最も苦しめる方法で。それがこの、あるじの前で酒に溺れて酔い潰れ、介抱いただき、寝かせていただき……。あまつさえ朝食まで作っていただいたのに阿呆のように昼過ぎまでよだれを垂らし眠りこけていた、愚劣極まるゴミカス女に与えられるべき罰。……なっ、もっ、もぶ、ばんぼぼ、ぼうびばべもっ……!! ――」


 俺の返事が終わるのをを待たず、とんでもないことを言い、うっ、うぶぅっ……! 語尾を濁して泣き出したところで、俺はすべてを察した。ひ、昼過ぎまで寝てたのね……。よっぽど久々の酒がきいたのかな……じゃなくて! 【いままでの経験上】、なんらかのことをしてくるとは思ってたが、メールも電話もなかったから、気にしすぎか……と思ってたのに……っ!! マっ、マジでどこが運勢第一位だよっ!! こんなことなら無理にでもじいちゃんに鉛筆を借りておけば……じゃねえ! 馬鹿か俺は! 占いなんて――……。いや待て。鉛筆……!?


「お、おいっ! お前鉛筆持ってたよな!? ほらあの、【アレ】のための……!! それ、俺に一本くれないかっ!?」


「……びえっ?」


 ぴたり、ファレイの涙が止まる。俺は口をぱくぱくさせながら、指を立てて続けた。


「おっ、俺のきょうのラッキーアイテムなんだよ、鉛筆がっ!! ないから、学校に行く途中で買おうと思ってたんだ! でも、お前の持ってるヤツをもらえるなら助かるっていうか……!!」


「……。あびばぶが。どべぼゼイバグじゃまにじゃじ上げばべぶ代物では……」


 涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、応える。俺は必死に笑顔でまくし立てた。


「いや、いやいやいやっ!! た、確か緑色だったよな!? お前のヤツ!! なんと俺のラッキーカラーが、緑なんだよっ!! いやー鉛筆で緑でって、占い的には、もうこれ以上なく必要なものだろーっ!! 俺のきょう! 一週間の始まりっ!! 月曜日にはさ……!!」


「あ、いえ……。緑ではなく、黄緑色で……」


「同じぃーーーーーーーーーーーーーーだからっ!! 黄緑も緑のテリトリーぃーーーーーーーーーーーーーーーだからっ!! それ、必要! 俺、助かる! おーけーっ!!??」


「――っ!! はっ……! はははいっ!!」


 あまりの気迫にファレイは後ずさり、慌ててブレザーの胸ポケットからくだんの鉛筆を取り出し、直角お辞儀で俺に差し出した。俺はそれを「サンキュー!! すげえ助かった!!」と笑顔で受け取ると、すぐにファレイの頭を上げさせて、鉛筆を目の前で振って、「はいこれで【チャラ】ーっ! 俺は気にしてないから全部忘れろよ! ……分・か・っ・た!?」と念押しする。ファレイは、「あ……、うっ……! し、しかし! こんなことでは……!!」と食い下がったが、俺が半眼無言で見つめ続けると、「わ、分かりました……」と頭を下げた。つ、疲れた……。


「……。ところでお前、ここまで徒歩で来たのか?」


「は、はい。その……。こちらへ参りましたのちに、【登校しようと考えていたわけではない】ので……。制服や鞄は、ただ人目を考えてのことです……」


 言いにくそうに、ファレイはつぶやく。俺は、「あ、そう……」と苦笑いを浮かべつつ、愛車ママチャリのカゴに入れていた風羽の革鞄を、再度持ち上げ振ってみる。なにも入っていなかった……。


 ファレイの家に行って。いっしょに飯を作って、食べて。わりと距離が近づいた気もしたんだが……。近づいた、強まったのは【緑川晴みどりかわせい風羽怜花ふわれいか】の友人としての関係性じゃなく、【セイラルとファレイ】の主従関係のほうなんだよな、と。いまの騒動で改めて認識させられる。


 ファレイの、セイラルおれに対する忠誠心は絶対で、激烈で。緑川晴おれにとってはたわいないことでも、生死に関わるようなものになっている。それはもう、セイラルおれとファレイの日常、過去のつながりを思い出せない限り、分かり得ないものだ。

 そうした主従関係は、ファレイにとっては、それこそが【ほんとうのつながり】なのだから、できる限り大事にしたいとは思う。ただ、【セイラルおれ】がいまは【緑川晴おれ】であるってことが、いまだにいまいち理解されてないのが困る。単にセイラル時代の記憶が緑川おれにないってことじゃなくて、人間界ここで生きてきた、暮らしてきた17年が、人格が……俺にはあるっていうことが。

 料理はもう教える必要なくなったし、そもそも料理自体はセイラルおれもやってたみたいだから。なにか別の、【緑川おれだからこそ】、そして【風羽だからこそ】のことをして、その距離を縮められたなら――。


「……二人三脚。練習。しなきゃだよな。体育祭の。もうそんなに時間ないし」


「……――っ!!」


 突如、ファレイの表情かおが引き締まる。そして、「そっ、それに関しては、実はセイラル様の魔力を用いずとも、私の魔術で、不自然に見えずに、速く走る方法があることに気づ……!」とまくし立て始めたので、俺は制する。


「いや。魔力、魔術の使用はなしだ。人間の力、筋力だけで競技には出る」


「えっ!? し、しかしそれでは……! 必ずしも一位を取れるというわけには、いかないことに……」


「いいんだよ、それで。さいしょから一位になることが分かってるなんて、張り合いないだろ? ……不確定だからいいんだ、未来は――」


 俺は淡々と言う。ファレイはおろおろして、先ほどのように承服しかねるという感じで口をもごもごさせていたが、俺は無視して愛車ママチャリのハンドルを握る。


 近々ある体育祭で俺と二人三脚に出る、それで一位を取る――とクラスの皆の前で宣言し(てしまっ)た風羽……ファレイとしては、セイラルおれに恥をかかせないために、魔術士の力で勝ちに行きたかったのだ。負けたら非難されるのが、人気者の自分ではなく俺であると分かっているから。

 宣言した当初は、緑川おれの魔力が5に満たないことをすっかり忘れていたので、改めて対策を、自分の魔術でなんとかする方法を考えたのだろうが……。それに俺が乗ってしまえば、さっきみたくセイラルとファレイの主従関係が強化されるだけだ。ファレイには悪いが、この機会は、【ただの人間である緑川晴おれと風羽怜花】の友達関係を強化するのに使いたい。占いでも、『ピンチをチャンスに変えられそう』ってことだしな。


「さ。そろそろ学校に行くぞ。いっしょには行けないから、別々になるけど。いまの話はまたあとで相談しよう。きょうの放課後は……無理だから。あしたの放課後にでも。……空いてるか?」


「……! は、はいっ!! 大丈夫ですっ!! で、ではお待ちしておりますっ!!」


 深々と頭を下げる。それから、「……時間が! 一度家に戻り、登校の準備をし直してきますっ!!」と愛車ママチャリのカゴから自分の鞄を取り上げて、また直角礼をするや否や、ファレイは世界記録が出そうな速度で走り去った。あれは魔力、使ってるんだよな? ……遠いよな、いろんな意味で。いつか、近づけるといいんだけど。


 友達。……友達、か。


     ◇


「おっはー緑川! きのうはよく眠れた? 眠れなかったよねー! だって私と友達になれたんだもん! そりゃー眠れるわけないわ! あはははは!」


 教室に入るなり、ふざけたセリフとともに笑顔の横岸が飛んできて俺の背中をばしばし叩き始める。そして耳元で「ちゃーんと皆にも言っておいたから。……ほら見て」とささやいて、すでに登校していたクラスメイトたちを示す。すると、「マジか~緑川。うっらやっますぃ~」と棒読みで言う男子、「明已子めいこって、ホント博愛主義者だよねー」とポッキーを食う女子、その笑ったり、「ワンチャン狙ってんだろ? おい~っ」と冗談めかして肩パンしてくる男子等々。まあ予想通りと言うか、俺という格下が、横岸と友達になれてよかったな(ね)、的な空気に包まれていた。……こんなに友達になれて嬉しくないことが、いまだかつてあっただろうか。いやない。


 いっぽう横岸自身は、そんな空気をガン無視して、「きょうの放課後、緑川と遊びに行くんだ~。デートデート! そういや男子とふたりだけで出かけたこと、ないな~」とのたまい、すぐにあらゆる方向から、「うそつけ!」「な~に言ってんの」「記憶喪失?」「歴代彼氏に電話しよーぜぇ! だれか番号番号!」と次々に野次が飛んできて、「バ~レたか! あーあ、清純派の夢がぁ~、……もろくも崩れ去っちった!」と天を仰ぎ、笑いを誘っていた。つ、ついて行けん……。コイツとの付き合いは、てきとうな距離感でしたほうがよさそうだな……。


     ◇


――……ね、緑川。あんた、運命の出会い……って。信じる口? ――



     ◇


「……」


「ちょっと緑川ぁ。ノリ悪いぞ! あんたもなにか突っ込んでよ~。『お前が清純なわけないだろ!』とか、そーゆー、なんのひねりのないのでも許してあげるからさ! 初回だし!」


「お前らのノリには付き合えん。あと、お前のことはまだよく分からんのに、そんな失礼なこと言えるわけないだろ。なんでもジョークにすればいいってもんじゃねえぞ」


「……えっ」


 若干、横岸は戸惑うような表情かおになるが、女子の群れが突進してきたため、すぐ見えなくなる。いっぽう俺は、その女子らに押し出される形で場を離れ、さっさと自分の席へ着いた。そして隣を見たが、風羽はまだ来ていなかった。

 もしかして、改めて弁当を作ってるのだろうか。教科書を取りに帰るだけじゃなくて。料理ができるようになったから、そういう可能性もある。……前に、うまくなったら、俺の弁当、作ってくれって頼んだけど。まさかな。俺の分まで、とか。さすがにきょうのわけは……。


「……あっ、風羽さん! お、おはよーっ!」


 横岸の、やや緊張した声を皮切りに、皆が、お、おはっ! おはぁよっ! おっ……はようございますっ! と入室した風羽に、がちがちだったり、遠慮がちだったり、かしこまったり……、ともあれ特別な存在に対しての挨拶を、男女の区別なく連呼する。それをかすかに微笑んで「おはよう」と風羽が返し、皆がほわほわ~と幸せに緩んだ表情かおになる、いつもの光景が広がっていた。

 ほどなく風羽は俺の隣に着席し、俺にも「おはよう、緑川君」と声をかけてきた。かのテンパった様子など彼方へ消し去った、見事なクラスメイト的・グッドコミュニケーション。どうやらすっかり落ち着いているようだ。よかった。


 俺は安堵して「ああ……、おはよう」とちいさく返し、一時間目の用意をし始めたが、教科書を机の上に置こうとする前に、トンっ……、なにかが置かれる。それで、俺の表情かおは、みるみるうちに引きつり始める。


「これ。……よかったら」


 と、にこり……。実にさわやかな笑顔を見せて、落ち着いた言葉で。ついでに言うと『どうですか、これは。クラスメイトとして完璧な振る舞いですよね、セイラル様!』と、得意げな目で俺に主張して……――風羽は俺の机に弁当を置いた。青い布に包まれたそれは、どうみても市販のものではない……。


 果たして、ざわ、ざわ、ざわっ……。横岸などのリア充グループがけん引していた騒がしさは吹き飛んで、だれも統制することができない空気、戸惑いの声があちこちから漏れ始める。それから十秒と経たず、だれかが、「風羽さんが……、『緑かけ』に。手作りのお弁当、持ってきてる……」と漏らした瞬間――。わっ!! となだれのように全員が風羽と俺のもとへ駆け寄ってきて、怒涛の問いかけを始めた。


「おい、おい、おいーーー!! どーゆーことだよ『緑かけっ』!! なんでお前が風羽さんに……!! えっ!? だっておかしいだろーーーーーっ!!」


「ちょっとあんたっ!! なんてことさせるわけっ!? 風羽さんに料理を作ら……!? いっ、いったいあんたはなにっ!? なんなのよこの間からーーーーーーーっ!!」


「おっ、おっまえーーーーーーー!! 風羽【様】のどんな弱みを!! どんなゆすりをっ!!? ……んでもねえ……っ!! ふっざけんじゃねぇぞーーーーーーーーーーっ!!」


「だ、駄目よ風羽さんっ!! そんなことしたら死ぬほど勘違いされるよ!!?? ってかちょっと待って! このお弁当箱って、風羽さんのだよね……!!? お箸も!! それを『緑かけ』が使……――きゃーーーーーーーーーーっ!!」


 絶叫とともに、勝手に『緑かけ』と改名された俺への糾弾がいよいよ強まり、手足こそ飛んでこなかったものの、完全に罪人よろしくの立場に追いやられていた。なぁにがきゃーーーーーーーーっ!! だなにがっ!! もう目の前でかっ食らってやろうかとも考えたが、隣の風羽は呆然として、「私、またなにかやってしまいましたか……?」という表情かおで蒼白硬直していたので、責めるどころか、同情心すらわいてきた。

 たぶんだが。うきうきで飯を作り、それを渡すことで頭いっぱいで、配慮とか吹き飛んでたんだろうな。朝会った時は死ぬ覚悟してたから、許された反動でなおさら。……セイラルおれに喜んで欲しくて。


「ちょっとちょっとちょっとーーーーーーっ!! 皆騒ぎすぎっ!! 言ってたでしょーこの間! 風羽さんと『緑川』がネッともだって! それもけっこう長いらしいじゃん!? で、クラスメイトだって分かったのはさいきんだって! そーゆー関係ならさ、ネットで仲が良かったら良かったほど、【埋めたくなるもん】じゃん! 私だってネッ友いるから分かるし!」


 横岸が叫び、皆は騒ぎをぴたりと止めてヤツへと注目する。それをひとりひとり眺め返し、十分にしずまったのを見計らってから、ごほん! と咳払いし、ヤツは続けた。


「心が近かった、でも体は遠かった。で、いま近くにいる。【この目の前にいる人は、ほんとうに仲の良かったあの人なのかな?】……って。リアルにいろいろ確かめたくなるものよ。たぶんお弁当作ったのは、料理が得意だったとかさ、そーゆー話もしてたんじゃない? もしかしたら、両方共通の趣味がそうなのかもしれないし。ともかく埋め合わせ、答え合わせをしてるんだよ。……【確かだったか】を。だから皆が考えているようなことはないよ」


 言い切り、横岸は俺を横目で見る。俺は慌てて、「あ、ああ……。そう。料理が得意って、言い合ってて……、俺も風羽も。次は俺が弁当を持ってくるよ。ありがとう」と風羽に言い、必死に目で訴える。それで風羽は正気に戻り、「う、うん……! どういたしまして。緑川君のお弁当。楽しみにしてるね」と、さわやかな笑みを見せた。皆はざわついたが、あの異常な熱気は消え去って、「おいおいうらやましすぎるだろー! あー俺もネットで風羽さんと出会いたかったなーっ!」「ほんっと! マジありえない確率だよねー……。でもそういうことなら、気になるよね。私のネッ友って、どんな人なのかなーリアルはとか」「あー、やめときなよ、リアルはリアル、ネットはネットだよー」「あ・り・え・ねぇーーー!! んな奇跡のような……!! 現実はさあ、もっとこう……夢も希望もないはずだろーーーーーーっ!?」「うっさい馬鹿! ってか風羽さんに近づくな! 喋るな! 唾っ! 汚れるでしょ~!?」等々、風羽が登校する前の空気感に戻った。……さ、さすがカーストトップの力。助かった……。


「……真相は、どんなものなのかしらね。【ネッ友】の緑川」


 喧噪けんそうの中、いつの前にか、俺に並んでささやくのは、横岸。俺はすぐに距離を取ろうとするが、カニ歩きで同じだけ詰められた。なのでやむなく言葉を返す。


「さあな。ともかく助かったよ。ありがとう」


「まー【友達】だしー? ……ところであんた。女子のお弁当とか。ぐっとくるベタなタイプ?」


 と、急に俺の前へ躍り出て、顔をのぞき込む。ファレイのような切れ長ではない、ぱっちりとした快活な光を宿す目。……きのう垣間見えた陰は、いまはなかった。


「な、なんだそれ……。まさかカマかけか? ならノーコメントだ」


「……あんた。絶対モテたことないでしょ」


 呆れたように半眼になったあと、横岸は目を閉じる。そしてちいさく笑い、顔をしかめる俺の胸を小突き、「放課後。買い物の付き合い。忘れないでよ~ベタベタ男クン!」と言って離れた。訳が分からず、呆然としている俺に、今度はドタドタドタっ……!! 男子が五人くらい駆け寄ってきて、


「風羽さんのっ!!」「弁当をっ!!」「おれに!」「オレ~にっ!」「俺にっ!」「僕にぃぇ!」「自分にっ!」「分けてくれぇーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


 と、絶叫。だがそれは、俺が断るまでもなく、新たに詰め寄ってきた女子軍団の「風羽さんの!」「お弁当が!」(あたしらを差し置いてっ!!)「あんたらごときの口に!!!!」「入るなんて許されるわけないでしょーーーーーーーーーっ!!!!!」という罵倒とともについえた。

 ちなみに俺が許されたのは、女子らがただ、風羽に嫌われたくないから(あとで感想をレポートにまとめてとまで言われた)。


     ◇


 そうして慌ただしい朝が過ぎ、午前の授業も淡々と進んでゆき、あっという間に昼休みになる。俺は四限目が終わる十五分くらい前から男子らの殺気を感じていたので、終了のチャイムが鳴った瞬間、風羽の弁当を持って猛ダッシュ、「あっ! アイツっ!!」「おい待てコラァ!」「ぶっ殺す!」等々、怨念が後ろから響いてくるのを無視して東棟へ走り、いつものたまり場である屋上へと続く踊り場に、息を切らして駆け込むと同時に倒れた。……し、死ぬ……。


「……? な、なんだお前……。死にそうになってるじゃねえか」


「……っと、な……。いろいろ、朝から……」


 五分くらいあとにやってきた強面こわもて赤髪の友、伊草いぐさにドン引きされる。ヤツは訝しげに俺をまたぎ、所定の位置である階段へと腰かけて、上部より差し込む午後の光の中、コンビニ袋から缶コーヒーとサンドイッチを取り出すと、倒れている俺が握りしめる青の弁当包みを見やる。


「あー、今週のシェフはお前だっけか。なら分けてくんなくていーわ」


 ははは、と笑いつつ缶を開ける。コイツは俺んが、じいちゃんと週替わりで飯を作っているのを知っている、さらにはじいちゃんの腕が超一流なのを知っているので、じいちゃんが担当のときは必ずねだるのだ。念のためだが、別に俺の飯が不味いということではなく、じいちゃんが凄すぎるということだ。念のためだが!


「あいにく、この飯は俺じゃ……。いやなんでもない」


「はあ? んだよ思わせぶりに。きょうは、じいちゃんじゃねーんだろ? そーいや包みが、見たことねーヤツではあるが。まさか彼女ができて、そのラブラブ弁当とでも言うのか。……ははっ」


 鼻で笑い、伊草はコーヒーをあおる。そんなことがあるわけねーだろ、という態度丸出しで。まあその通りなんだけど、変に邪推されてもややこしいから、やっぱり言わないが吉だな。腹立つけど。


「おいおい、ラブラブがどーしたってぇー!? 面白い話かっ!?」


 階段を駆け上がって、今度は長身イケメン眼鏡の友(ただし変態)・橋花はしはなが合流する。そして片手に弁当包みを握りしめて倒れている俺を目の当たりにし、案の定怪訝な顔をするが、「ん……? ラブラブにまったく見えないこの惨状。しかしラブという言葉が出て……――だれかに告白して振られたかっ!! あははははっ!!」と俺を指差し爆笑し始めた。……コイツのデリカシーのなさはすごいよな、前から思ってたけど。フラれてなくてよかった。もしフラれてたら戦争勃発だよ、友と言えどな。


「だーれがフラれるかっ! 俺は無謀な告白なんてしねーし! するときゃ100%のときだけだ!」


「ぶふっ! おいおいあんまし笑かすなよ。コーヒーがもったいねーだろーが100%クン」


 伊草が口を拭きつつ、笑みをこらえて言う。隣に座った橋花も爆笑し、ポケットから黄色い箱、もとい栄養調整食品を取り出して俺を指し、


「ぶははははっ! 100%クンって! 『ども。緑川100%っス。……自分、告白いいっスか? あなたとは100%なんで』……ぶほーっ!!」


「――死ねぇテメエらっ!! ……まともな昼飯が喰えると思うなよっ!!」


 飛び起きた俺は伊草のサンドイッチにかぶりつき、橋花の持っていた栄養調整食品をひとつ奪って口に入れ、屋上への階段を駆け上がるとドア前のちいさなスペースで、ハムスター状態を数秒続けたのちに双方飲み込む。それで鬼の形相になったふたりが、「……てめえコラ!! なんてことしやがんだ!!」「じょっ、じょーだんじゃないぞ!! ただでさえわびしい昼飯をっ……! お前の弁当寄越せっ!!」と駆け上がってきて俺の弁当を奪いに来る。冗談じゃないのはこっちのセ・リ・フ・だっ!! こちとらレポート提出まで義務づけられてるんだよ! ――っていうか、それ以前にアイツの想いを考えたら、ひと粒たりとも渡せるかっ!!


 そんなふうに、屋上へつながるドアの窓から差し込む光とほこりに包まれつつ、狭い場所で三人醜くもみ合っていると、カッ、カッ、カッ……、階段を上がる音が響いてる。そして、


「ちょっと、あなたたち。いくら東棟ここだからって騒ぎすぎ。あと落ちるわよ」


「「「えっ……」」」


 不意の声に、もみ合った俺たちは固まった。階段下の踊り場には、てきとうにひとくくりにした長い黒髪、白シャツにジーンズ、黒縁眼鏡にサンダルといった地味な出で立ちの、【存在感ゼロ】で有名な、かの和井津わいつ先生――俺の従者、魔術士【外法者ミッター】ロドリー・ワイツィ――が立って、こちらを見上げていたからだ。


「あっ……、え……っと。す、すんませーん……」


 伊草が苦笑して頭を下げ、続いて橋花が、「き、気をつけます……」と目を白黒させてそれに倣った。そして俺もふたりに遅れて反射的に、「あ、すみませんでした……」と頭を下げた。すると、


「お昼が足りないんなら、パンを分けてあげる。緑川君。取りに来なさい」


 と、ビニール袋を持ち上げた先生に指名され、また俺は固まった。だがふたりにヒジで背中を小突かれて、慌てて階段を駆けおりその前へ。彼女は怪訝な表情かおをする俺に言った。


「さっき買ったパン。ふたりにあげて。私は食堂で食べてくるわ」


「い、いや……。そこまでしてもらわなくても。っていうかなんでここに?」


「結界は学校中に張ってあるって、前に言ったでしょ。それで魔力がある者の動きは分かる。あなたのようなちいさなものでもね。まあ、ともあれ。じゃれ合いはどうでもよくて、別件。……あなた、少し魔力が強くなったわよ」


「……。――えっ?」


「5が10になったくらいのものだけど。朝から少しずつ増えていってる。それでちょっと様子を見に来たってわけ。でも、とくになにもなさそうね」


 先生……もといロドリーは俺の両眼を眼鏡越しにのぞき込む。おそらく特殊な眼鏡で隠されている、かの紫光しこうの点滅が、近づくことでかすかに映り俺の目に刺さった。そうして数秒あとに顔を離し、「いちおう、なにかあったら連絡して」とパンの袋を俺に押しつけ、去った。俺は思わず、だらんと袋を持つ手を下げる。

 魔力が強まってるって、どういうことだよ。なんでとつぜん……。ってか5が10っていうのはどんなもんなんだ? まあ、いままでに聞いた、魔術士の魔力の数値を考えたら、誤差の範囲だとは思うけど……。


「マジかよ……。あの和井津が、授業以外で話しかけてくるなんて。どうなってやがんだ」


 いつの間にか降りてきた伊草が、心底驚いたような面持ちを見せ、先生の去った方向を見やる。橋花は俺の持つ袋へ目を落とし、


「しかもパンくれたんだもんなー……。だれに言っても信じないだろ、これ。あしたは雨が降るな。予報では晴れだけどさ。間違いなく」


 と、首を傾げつつ、袋からふたつのパンを取り出し、「俺カレーパンね。お前サンドイッチだったからアンパンでいいだろ」と伊草に放る。伊草は、「俺もカレーパンがいいから、交換しろ。お前甘いもの好きじゃねえか」と放り返し……。ふたりの言い合いを、俺は右から左へ流し、ひとり胸を押さえた。


     ◇


 なんとなく浮かない気分のまま、放課後――。

 掃除当番以外のクラスメイトたちは、いつものように第一に風羽、それからほかの者が、それぞれ部活や遊びへと散り散りに教室を出て行く。横岸率いるリア充グループも、半分は部活、半分はバイトというふうにアフターの予定はきっちり埋まっており、ちょっとした雑談を済ませると皆駆け足で出て行った。


 ちなみに風羽……ファレイは、昼休みが終わる直前に、〈お弁当箱は私が洗いますゆえ、お返し下さい! どこかに置いていただければ、取りに参ります!〉とメールをしてきたが、〈洗わずに返すなんてするわけがないだろ。めちゃ美味かった。ちゃんとした感想はあした直接言うよ〉と返事をすると、〈分かりました!!!!! ありがとうございます!!!!!〉と元気いっぱいの文字を打ち込んできた。さっきもダッシュで出て行ったが、かすかにニマニマ笑っていたし。ま、確かに作ったものを美味しいって言ってもらえると、嬉しいよな。

 あと案の定、昼休憩が終わるや否や押し寄せてきた、感想を言え言え女子軍団には、あしたレポートにします……と丁重にお伝えし、半泣きで味を尋ねてきた男子たちには「ふつうに、美味しかった……よ」と返すほかなかった。絶賛しても微妙なこと言っても怒りそうだから。先の返しでも「なにが美味しかっただコラーーーーーーーっ!! 当たり前のことをっ!! しかし当たり前こそが、幸せ……っ!!」「それが、遠いっ……!! くっ!!」とか訳の分からんことを言って数人泣いてたし。はーっ……。


 そんなこんなで、いま現在。疲れ切った俺は帆布鞄を肩にかけ、皆と同じように出て行こうとしたが、あっさり横岸に鞄をつかまれ足を止めた。そういやコイツは、なんで部活に入ってないんだろうな。運動系でも文化系でもいけそうなのに。バイトもしてないのかな。


「待て、記憶喪失男。そんなダルそうな表情かおでどこ行くつもり?」


「えーっ……と。悪い。なんかきょうは遊びに行く気分じゃなくなったっつーか……。家に帰って寝るわ。そもそもテストからこっち、ずっと慌ただしかったし」


 と、敷居をまたごうとしたが、さらにぐいぐいっ! と鞄を引っ張られ、俺は倒れそうになる。文句を言おうと振り返るも、とてもそんなことを言える雰囲気ではない、とはっきり言えるほどに、横岸の表情かおは紅潮していた。……す、すげえ怒ってる……。


「あ~ん~た~ねえ……。私のこと嫌いっていうか、もはや興味ないでしょ!? さすがに腹立つわぁ、ここまで無関心でいられると!」


「い、いや、いやいや! 興味がないなんてことはない! 単に調子がいまいちなだけだから! あるだろそーいうことも! あ、べ、別に風邪っぽいとかじゃないからな! ご心配なく!」


「し・ん・ぱ・いなんかっ! してないし見たら分かるし病気じゃないことくらいっ! だーから腹立ってんの! どーせ昼休みからこっち、なにか気がかりなことができたか思い出したかしたんだろうけどさーっ! その解消の選択肢に、とりま【私に話す】のが入ってなくて、【家に帰って寝る】ってほうが上位なのがっ!」


「……。そ、そりゃあ、仕方ないんじゃないの。だってお前と、まだそこまで親しくない、し……」


「ふーん。じゃ、【そこまで親しくなりましょー】か。友達の、【緑川なんとか】君。……ついでに下の名前も教えろっ!」


 と、垂れ下がった俺の帆布鞄を引っ張り、横岸は掃除当番たちに「バっはは~い」と、パッと器用に作り出した笑顔で手を振りながら、俺を教室から連れ出した。もはやここまで俺にこだわるのは、話してた【強くなりたい】云々というより、意地としか思えない。初志貫徹、一度言ったらやり切る、っていう。歴代の彼氏たちとやらも、大変だったんだろうな……。


 引きずられるように下駄箱までやってきて、靴を履き替えた俺は、隣で、あちこちから声をかけられては「ばーい」「ばいぼー」「さら~」(さらばの略か?)等々、挨拶し返す横岸を見て苦笑する。それを見たヤツは、「あんたとはまだ、ばいじょーしないわよ」と、またよく分からない言葉を言い放ち、俺を引っ張り昇降口を出る。そのまま校門まで歩いていこうとしたので、俺は慌てて立ち止まった。


「ちょっと、待て。俺はチャリだから。とってこないと……。お前電車なの?」


「うん。だって放課後、遠くの街に行けないじゃん。それに自転車って、基本はひとり乗りの、運動か移動の手段だからさ。人とコミュ取りづらいし。息抜きにばーって走ったりすることはあるけどさー」


「……。そうやって、人と接する時間を増やしてるのも、強くなるためなのか」


「そ。どこに強い人がいるか分かんないし。つながりは多いに越したことはないからね。まあ、きょろきょろあちこち探して眺めてたら、風羽さん以外にも、すぐ近くにいてびっくりしたけど。……ああ、でも去年一度だけ話したことあったわ、あんたと」


 横岸は、ふふっ、と笑い俺を指差した。そして怪訝な表情かおをする俺から、走っていく、どこかの運動部の下級生へ目を移して言った。


「秋の、体育の時間が終わったあとにさ。友達と食堂にジュース買いに行ったら、100円玉落として。自販機の下に入り込んだのを拾ってくれたのがあんただった。……覚えてない?」


「……。いや、まったく……」


 次の瞬間、俺はスネを蹴り飛ばされた。ぎゃーっ!


「そ、ん、な、ん、だからっ! モテないんだっつーの! そもそもあのときだって、『ありがとー! お礼にジュース奢るよ!』って言ったのに! ……あんたなんて言ったと思う!?」


「い……、や。な、なんだった、かな……」


 は、はは……。苦笑いして目をそらす。横岸は、はっ! と鼻で笑って続けた。


「『いや。せっかく金が戻ってきたのに、人に奢ったらパーじゃん。ははは。んじゃ』……って。私、唖然あぜんとしたわ……。人に奢ったらパーって! なに? そこは素直に奢られるか、遠慮するなら『あ、ごめ~ん。さっき飲んだからさ。また今度でいいよ、サンキュー』とか! あるでしょーふっつーの返し方がっ!! ここまで人とのつながりをどーでも……っていうか! あんた、一年生のときは、風羽さんと同じクラスでも、知らなかったのよね? ネッ友だって!」


「あ、ああ……。だからぜんぜん交流はないよ」


「じゃあ、そのとき好きな人がいたとか、可愛いなぁ~って思ってた女子がいたとか! 風羽さんも含めてない!?」


「ないな。風羽は高嶺の花で、そんな対象じゃないし」


「じゃあ【気持ちフリー】だったわけじゃん! それで女子とお近づきになるチャンスがあったら、ぐいぐいいかない? 私の男友達なら100%そうするよ!?」


 心底疑問というふうに、俺の顔をのぞき込む。そりゃあ、お前の周りの男はそうだろうよ。と言っても納得しなさそうだから言わないが。つーか【気持ちフリー】ってすごい言葉だな。リア充語か?


「……皆が皆、お前の考えてるように、いつでもなんでも、人とのつながりを欲しているわけじゃないってことだよ。恋人とか友達とか全部。とりあえず、そのときの俺は金を落として困ってるヤツがいて、拾えそうだからそうして渡した。拾った金をそのまま俺に使われたら、俺が這いつくばって拾った甲斐がない。【俺的に損だ】。だから断った。……そんだけだよ。たぶん」


「どこが損なのよ……。そのままだったら、汚れただけで、なんもいいことないし。訳分かんない」


「いいことあったじゃんか。お前は100円戻ってきて、俺はお礼言われたし、一年経ったいま、こうして俺たちの話のネタになってる。ついでに言うと、いま思い出した。お礼、すげー笑顔で言われたわ。やっぱラッキーじゃん。お前みたいな可愛い女子にそんなことされてさ」


「――……っ!! なっ……!!」


 横岸は真っ赤になって、両手をわなわなと震わせる、そして俺に手を出そうとして思いとどまり、そのまま片足でばんばん地面を踏みしめた。そこへ通りかかった、別の運動部の男子が、「おっ、よっちーきょうも元気いいね~。やっぱウチ、入れよぉ!」と声をかけてきたが、「うっっっっ――さいっ!!」と一蹴、彼は「ひいっ!」とおののきそのまま走り去った。


「……。自転車。取ってきなよ。校門で待ってるから」


 ぼそり、うつむいたまま横岸が言った。俺は、「あ、はい……」と思わず敬語で返し、そのまま小走りで自転車置き場へ。そして数分ほどで校門へ戻り、「じゃあ、行くか……」と手押しで行こうとしたら、がしっ! 後輪部に足をかけられた。


「ふたり乗り。するから早く乗って。たまには自転車で行くのも悪くないし」


「……ここ。駅まですんげー下り坂だから、ふたり乗りは危ないんじゃ」


「危ないかどうかは私が決める。飛び降りればいいでしょ? ほ、ほら早く! 友達とかに会うでしょ!」


 焦ったように、無茶苦茶なことを言って俺を急き立てる。それから一分と間を置かず、外周している運動部員から、「あ、よっちー! え、なになに~! ふたり乗りすんの~!?」「わたしも乗せて~! もー走んのメンドイ!」と声が飛んでくる。むしろ無視されるほうが少ないと言えるほどだ。どんだけ交流範囲広いんだよ……と俺が呆然としていると、「もういいっ! 私が乗る!!」と俺の自転車を奪ってこぎ始めた。こ、こらーーーーーーーーーーーっ!!


 俺は急いで止めて、ヤツの言い分に従いふたり乗りになる。そうして俺たちは後ろから横から、走る運動部員に「いえーい!」「青春爆発ぅ~」「坂、気をつけろよ~」と声をかけられた最後に、「……コラっ! お前たちっ!」といっしょに走っていた顧問の先生に見つかって、「全速」「前進っ!!」と、初めて息が合い、猛スピードでこぎ出して角を曲がり、坂を下り始めた。


「……ねーっ!! そーいえばあんたさーっ!! 風羽さんのお弁当!!」


「……ちょ! いま、話しかける、なっ!! バランスが……!!」


「お弁当箱返したの!? それともちゃんと、洗って帰すために、持って帰ってるーっ!?」


「当たり前だっ!! 洗わずに返すわけねーーーーーーだろっ!! 曲がるからしっかりつかまってろ!!」


 急カーブを、減速しつつもアウトコースの街路樹ギリギリに曲がり切り、また下る。横岸は、俺の肩をつかんでいた手を俺の首にまわしていて、そのまま耳元で言った。


「で、美味しかった!? 風羽さんの姿を消して、純粋に味だけで答えよっ!」


「美味かったよ! 俺よりなあーーーーーーっ! くそーーーーーーもっとうまくなってやるっ!!」


「……なんで対抗意識燃やしてんのっ!? あははははははっ!! あんたって、ほんとう……――」


 そのあと、なにやら耳元でささやかれたが、聴き取れず、二度のカーブをなんとか曲がり切ったのちに、駅前の信号までたどり着き……。赤信号で停止することで、決死のドライブは終わりを迎えた。……はーぁ。


「……もう二度と、こんなヤバい下りはやんねー……。つーかあの先生に、お前絶対知られてんだろ。俺を引きずり込むなよ。呼び出しくらっても」


「あんた馬鹿じゃ~ん。私がそんな優しい女に見えるわけ?」


「くそ……。そろって呼び出しかよ……」


 がっくりと、ハンドルに顔を落とす。横岸はけらけら笑って俺の背中を叩いた。そして、ぼそり、「……ほんとうに、わりと【ネッ友】だけって感じじゃん。ふふっ」と笑う。……はあ?


「なんだそりゃ。どういう意味だよ。風羽と俺のことだよな?」


「どーでもいいでしょ、こっちの話。それよりさあ、このあとだけど、どーしよっか! 買いたい物はー、わりと駅前ここでもあるっちゃーあるんだけど! でもやっぱ、自転車は駐輪場にとめてー、どこか電車に乗って……」


 そこで横岸の声が止まる。なにかを見ていた。訝り、視線を追うと、信号が青に変わって、音楽とともに駅のほうから続々と、人がこちらへ歩いてきていて、その中に……見覚えのある顔があった。


「……んんーっ? なんだ、兄ちゃんじゃねーかっ! 奇遇だなーこんなとこで会うなんて!」


 と、がっしりした小麦色の体に、白シャツとジーンズをまとった短髪の青年が、快活な笑みを見せておおきく手を振る。おおまたでこちらへ近づいてきたのは、葉賀はが兄。先週のマジックショーで会ったマジシャン兄妹の兄――そして、魔法界の住人で、リフィナーでもある存在――だった。


 俺がぽかんと口を開けてると、「えっ……、知り合いなの?」と小声で横岸が尋ねてくる。俺がうなずくと、すぐに兄が、おおきく笑いながら応えた。


「おうよ! 俺たちゃ【同郷】なのさ。……ってーか兄ちゃん。もしかして、この坂の上の高校に通ってるのか? マジで奇遇だなーっ! ははっ。ま、そんなこともあるか」


 頭をかいて、笑う。俺もつられて笑い、そうですね……、と返したが、横岸がなにやら縮こまって、一歩下がっていた。それを訝しげに見ていると、「おいお前。私は無視か」と鋭い声が飛んでくる。いつの間にか兄の横に、彼とは正反対である長い漆黒の髪、グラマラスな体を真っ黒な長袖シャツとパンツにすらりと収めた、緊張感漂う姿の妹・なみだ――もとい魔術士、ルイ・ハガーが立って、眉をひそめていた。


「あ、いや……。あなたも来てたんですね。横断歩道を見たときは、お兄さんしか見えなかったので……」


「兄者がでかいからな。すぐ後ろを歩いていた。それくらい気配で気づくべきだろう」


 腕組みをし、無茶なことを言う。そして、「それにしても、またデートか。いいご身分だな」と言ったあと、《ムカつく。私は仕事だってのに》とテレパシーを飛ばしてきた。俺は余計なことを考えないように(考えるとバレる可能性がある)、ふたりに言った。


「見ての通り、俺たちは学校の帰りでして。おふたりはこれから、坂の上にでも行くんですか」


「おう。ちょいヤボ用でな。……つーわけで、ちゃっちゃと行くことにするわ。またな、兄ちゃん! いいアフターを! ……浮気もほどほどになっ」


 と、ウインクして、坂をのぼっていった。ルイもそれに倣いつつ、《この間の子供とは、ずいぶんタイプが違うが。目がおおきいのが好きみたいだな》と背を向けたまま心に飛ばしてくる。俺はそれにだけ、《違いますよ。あと、お気をつけて》とだけ返し、彼らから視線を外した。……が。両手を抱いている、顔をしかめた横岸が目に入り、しばたたく。


「なんだよ、変な顔して。あの人たちがどうかしたか? 知り合いでもなさそうだったし。どこかで見たとか、そういう……」


「……いまの人。なんかヤバい」


「はっ? って、ああ……。あの人、女の人のほうは、真っ黒な服装だし、確かに不愛想だけどさ。別にヤバい人なんかじゃ」


「不愛想とかそういうことじゃなくて。ふつうじゃない雰囲気だった。殺気が出てるっていうか……。あと、女の人だけじゃなくて両方よ」


 と、唇をかむ。……なんだそりゃ。兄のほうは、前と同じく、朗らかで、親しみやすかったのに。殺気って。なに馬鹿なこと言ってるんだ……。


     ◇


――ちょいヤボ用でな――


――私は仕事だってのに――


     ◇


「……。仕事……?」


 不意に、ふたりの言葉が頭をよぎり俺は漏らす。……ちょっと待て。仕事ってなんだ。マジックショーか? でも、土曜日と違って、【いまは手ぶらだった】。

 マジックの道具はどうした? すでに配送しているのか? いかに魔術を使ったマジックでも、なにも道具なしってわけにはいかないだろう。仕事でやる分なら、なおさら。と、いうことは、まさか……。マジックじゃない、【もうひとつの仕事のほう】なのか……?


     ◇


――仕事というのは『人間界【の】仕事』ではない。『人間界【での】仕事』のことだ――


――魔法界から受けた、な。戦いになるので、無傷というわけにはいかない――


――……そんな楽な仕事は来たことないしな――


     ◇


 土曜に、電話で聞いたルイの言葉が蘇る。

 もし、そのときに言っていた仕事が【いまからのもの】なら。坂の上にあるどこかで、それが行われることになる。そして、魔術士であるルイと、魔術士ではないが、それなりの魔力を持つ兄が無傷ではいられない戦いになる、ということは……【相手は人間のわけがない】。

 人間の能力で傷を負わされるわけがないのだから。じゃあ魔術士と戦うのだとしたら、いま、坂の上にいる魔術士は……。


 ウチの学校にいる、【彼女ロドリー】だって当てはまる……――。


     ◇


――ミティハーナのお姫様を半殺しにしたから――


――遅かれ早かれ王国の者が殺しに来るのは間違いない――


     ◇


「おい……。嘘だろ。まさか。……――まさか」


「緑川……? どうし……」


「悪いっ!! 急用ができたっ!! 埋め合わせは今度必ずするからっ!! この自転車と鞄、乗って、持って帰ってくれ!! ……自転車より走るほうが速いんだっ!!」


「はっ? はあーーーーーーーーーーーっ!? あんたなに言って……!? ――ちょっ、ちょっと!!」


 俺は横岸に自転車と鞄を押しつけたあと、坂を全速力で駆け上がる。すると後ろから、「……っとにいつも無茶苦茶すぎっ!! っていうか名前っ!! 名前聞いてないんだけどーーーーーーーっ!!」と大声が響いてくる。俺はくるりと振り返り、後ろ向きで坂を上がりながら、叫んだ。


「せーーーーーーーーいっ!! 【晴れ】の字で晴だっ!! あといま思い出したっ!! 俺の作ったヤツ……、俺の弁当!! 食べておいてくれーーーーーーーーっ!! 風羽にもらってそっちは食べてないんだ!! 頼むなーーーっ!! 駄目になるからさっ!!」


「あっ、あんたねーーーーーーーーーーーーっ!! 今度絶っっっ対っ!! スーパー特大ウルトラデラックスな埋め合わせ、させるからーーーーーーーっ!! 覚えといてよ、……――晴っ!!」


 拳を振りおろし、足を踏みおろす。俺はそれを見届けたあと、坂へ向き直り……。


 もう、影も形も見えなくなっている魔術士たちのあとを、必死に人間の脚で追いかけた。


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