第50話 それが運命かどうかだなんて――
「ねえ。食べないの? もひはひへ、ははひにふぁあせて注文ひた?」
と、トーストを頬張ったまま横岸は、左手に持ったフォークで、俺と俺の注文した品を指し示す。
俺が「いや……。別にそういう訳じゃない。食う」と返すと、「あ・そ」と言うが早いかフォークを引っ込め、今度はスクランブルエッグをすくい上げて口に運び、「……ちょっと味薄いなあ。ま、いいか」と漏らす。その間、トーストは皿におろさなかった。
この横岸――かのファレイこと風羽にご執心である、リア充クラスメイト――明已子は、早朝、俺がファレイの家を出た直後、なぜか電話をかけてきて、しかもばったり会ったのだ。で、無理やり朝食に付き合わされることとなり、近場のファミレスへと駆け込んだという経緯。
そしてよほど腹が減っていたのか、時折さっきみたいに言葉を投げつつもパクパクと食べ続け、あっという間にモーニングセットを平らげてしまう。
その後また、タッチパネルを持ち上げると、「もう一品、行くかなぁ~。デザートかなあ」と真剣に画面をいじっていた。ここまでいっさいの気取りなし。たぶん、こういうところが男女ともに人気と信頼を集めているところなのかな、などと思った、が……。
「なによ。やっぱり食べないんじゃん。ならちょうだいよ。お金は割り勘だ・け・ど!」
と、油断もスキもなくフォークを伸ばしてきた。俺はそれを自分のフォークでガチっと阻止し、そのまま卵をすくって口に入れる。横岸は、「あっ! 間接キスだ~! そっか~これを狙っていたとは! やるじゃ~ん」などとふざけたことを言ってから、自分のフォークに残っていた卵をぺろり。それから何事もなかったかのように、またパネルをのぞき込み、うーんどーしよーとうなっていた。……駄目だ。コイツのペースに惑わされるな。なにを企んでるか分からんのだからな。
「……朝からよく食うな。日曜だからか?」
「んー? んーん、いつも。朝はね、ちゃんと食べないと。ばんばん活動するためのエネルギーにもなるし、気持ちの切り替えにもなるしね」
「気持ちの切り替え……?」
「そ。前の日っていうか、晩の気持ちを引きずらないようにしてるの。そこでリセッート。終わりっ。ちなみに、あくまで気持ちの話ね。得たものはちゃんと消さずにストックしてるから」
そんなふうにメニューを見たまま話しつつ、「パンケーキセットにしよーっと」と言って注文し、ようやくパネルを戻した。そのあと、コーヒーカップに口をつける。目は閉じていた。ストック、ねえ……。よく分からん。
窓際の席なので、日差しがきらきらと皿やグラスを照らしている。店内には俺たち以外にも、ちらほらと数席、家族連れやひとり客がいた。横岸は、薄茶色のショートボブを朝日にひたしながら、しずかにコーヒーを口に運ぶ。なので俺も黙ったまま、スクランブルエッグをトーストに載せた。
「……あんたって、目玉焼きもパンに載せる派? もしかして卵かけご飯とか好きなの。ウインナーとかお肉とか、おかずはなんでもご飯に載せてそう。うわ~」
きゃっきゃっきゃ、体を抱きつつ笑う。俺は歯をぎりぎりさせて返す。
「腹に入りゃいっしょだろー・が! ……っていうかなー、これはパンに載せるためのもんだろ?」
皿をフォークで示してから、また俺は卵をトーストに載せてかぶりついた。横岸は「まーそうでしょーね。でも私は載せない派だから。そーゆー私からはバ~ツっ」とマイルールをもとに、フォークと指でバッテンを突きつけてくる。俺は無視して食べ続けたが、載せない派閥の長の話は続いた。
「ほら、丼ものってあるじゃん? 私的には~、さいしょからそうやってセットになってるのはОKなんだけど。こうして別々に出てきてるのはー、別々に食べたほうが美味しいしー、別々に食べるべきだなって思うわけ。分かリル?」
「知らん。あーうめえ、いっしょに食べるとうめえなぁ~」
俺はもぐもぐスクランブルエッグ&トーストを頬張った。
横岸は半眼で「……せーっかく載せない派に入れてあげようと思ったのに。あーあ。たくさんの女の子とも仲良くなるチャンスだったのになー」と棒読みで告げてから、日替わりスープを飲み出す。そんなにいるのかよ、載せない派。
「ま、あんたには風羽さんっていうダイヤモンドがいるもんねえ、ネット友達といえど。ほかの女子に興味なくなるのも無理ないとは思うけど」
カップを置き、頬づえをつくと横髪を耳にかける。初めて真顔を向けてきた。俺は卵とトーストを飲み込んでから、コーラで喉をうるおして、尋ねる。
「やっぱ『その辺』が目的か。どうせ、あしたもそれを聞くつもりだったんだろ?」
「……。だーかーらー……。私は【あんたにも】興味があるんだっつーの。風羽さんと親し気に話せるほどのあんたにもね。話は【その辺】よ」
再び半眼になり、左手の人差し指でテーブルを叩く。よく見ると、そこにはグリーンゴールドの指輪が輝いていた。俺はその高校生らしくないまぶしさに目を細め、ため息をついた。
そのとき、新たな客が店へなだれ込んできた。「マジで? ありえないじゃーん!」「絶対絶対! 嘘じゃないから!」「ひゃははは! 必死すぎ~!」と、ずいぶんと騒々しい。オールしてきたのか、朝とは思えぬテンションで、五人の男女が俺たちから少し離れたところに着席した。
横岸は、彼らを振り返りもせずに、またスープに口をつける。俺はその様子を見て、ちいさく言った。
「……さっきは鍵の件で助かったわけだが。けっきょく電話してきた理由も、風羽に関係なく、俺と世間話したかっただけってことか? ならあしたでもよかっただろうに。あしたもそういうことなら、なおさら」
横岸はスープを置くと、窓の外を見る。そのまま二、三度瞬きして、続けた。
「いま。だれかと話したくてさ。でも時間的に、友達にかけたら詮索されるし。私、ふだんこんな時間にかけたりしないから。今回はスルーしてくれてもあとあと、ね。『明已子がこの間、なんかすっごい朝に電話してきてさー』みたいに裏とかで。で、そーゆーメンドイのにならない相手として、ふとあんたのことを思い出したわけよ」
「……俺もいま詮索しようとしたんだけど。それ、やめたほうがいいってことか?」
横岸はすぐ、「イ」「エ」「ス」というふうに唇だけを動かして、さらには冷たい笑顔を飛ばしてくる。それで俺は黙った。……きのうか、きのうの晩になにかあったのだろうか。家族か、友達か、恋人がいれば、【その辺】で。だから朝っぱらから外にいたってことかもしれないな。
晩のことは朝飯でリセット、か……。
「……なあに? あんた、私のこと嫌ってるくせに。心配とかしてくれてんの」
横目をこちらへ向けていた。俺は眉をひそめて、「してない。人並の反応をしただけだ」と窓とは逆を向く。すると、「人並ねえ。ならもっと心配するふうな振りをして、いろいろ聞き出そうとしないと」とちいさく笑う声が耳に伝う。……コイツの周りには、ロクなヤツがいないのか。それともコイツがひねくれているのか。両方か……。
俺が呆れたように視線を戻すと、横岸は再び窓の外を見ていた。そして相変わらず後ろから騒がしい声が飛び交って、イスからひとり転げ落ち、大爆笑が起こったあと――。横岸はゆっくりこちらを向いて、俺の視線を逃さぬように捉えると、言った。
「……ねえ緑川。あんたはさ、……【強い】って。どういうことだと思ってる?」
「……は? つ、強い……? 腕力とか、精神力とか、そういう話か?」
「総合的、根本的に。なにをもって【強い】っていうんだと思う……って話」
とつぜんの質問に、俺は唖然とする。冗談の一種かと思ったが、横岸は真顔だった。……なんなんだ。さっきの『載せない派』みたくコイツなりのこだわりがあるのか。それよりも真面目な話っぽいけど。
「たとえば後ろの人たちは、あんたにとって【強い】? それともたいしたことない?」
俺を見たまま、横岸は少し首を傾げて、後ろをよく見えるようにする。
五人組の騒ぎはいよいよおおきくなっていた。リア充というよりも、男女ともに、ちょっとガラの悪い系。喧嘩が強いかどうかは分からないが、横岸的に言うとアイツら自身は、総合的に、根本的に、【それなりに強い】とは思ってそうだよな。じゃないとあんなふうに騒がないだろうし。
「……まあ、強いんじゃない? 男たちは。いろいろな面で。少なくとも俺よりかは」
「じゃああの中のだれかか、それか全員に絡まれたら、どうにもできないんだ」
「いや……。まあどうにかはできるよ。少なくともお前を逃がすことくらいは」
「……――ほら! やっぱり! ……あんたはそうよ!」
とつぜんテーブルを叩き、俺を指差してくる。顔は嬉しそうだった。……はっ?
「たとえば私の男友達にさ、同じこと聞いたら、みーんな自尊心を守りつつうまい具合に言うわけよ。冗談めかして『ボッコボコにできるって!』とか、反対に、真面目に無理そうだな~って言いつつも『まあ分からないけどね』って『本気出したら俺ってけっこう強いんだぜ』みたいな感じで。だーれも私の言うことを現実的に捉えてないし、現実に相手と自分の強さの差が分かっていないわけ! でもあんたはさ、喧嘩は負けるけど、問題に対処する力はあって、最低限私を逃がすことくらいはできるって【断言】してる。……それはね緑川。あんたの【強さ】なのよ」
興奮したように、一気にまくし立てる。……な、なにを言ってるんだ、コイツは?
「まず、喧嘩がどうこうの話じゃないってことを理解してるじゃん? 私の言いたい【強さ】ってそういうことだから。あんたには【それ】があるから、いまの話も自分を失わず冷静に分析して、その【強さ】をもって対処できるって答えを出してる。だからこそ、あんたはあの風羽さんとも対等に、あるいはそれ以上に渡り合えているっていうこと。つまり、あのクラスでの、風羽さんとの『ネッ友』の一件での、大勢を前にした冷静さも、いなし方も、あんたには、ちゃんと【強さ】の根拠があって、それで……――私の見立ては間違ってなかった!」
と、ガッツポーズまでして喜び始めた。いっぽう俺は変な笑みを浮かべるほかなかった。
ただのクラスの中心人物、イケてるリア充、人気者……と思ってたけど。どうもそんな言葉では測れないタイプの人間のようだ。明らかに、その辺の高校生の視点や物差しじゃないだろう。というかまったく意味分からんし。俺の【なにが】強いって……? ま、まさかコイツは魔術士で、俺のかすかな魔力を感じ取って、探りを入れてるとかじゃ、ないよな……。
俺は笑顔でスープを飲む横岸から、気配を感じようとする。だが、彼女からはファレイや、先生もといロドリー、その他魔術士が発していた特別な気配――【魔力】が感じられない。
もしかしたらリフィナーの可能性も……と思ったが、確かリフィナーでも魔力がゼロじゃなかったはずだ。魔力5くらいの俺に、ルイやその兄がリフィナーだろって言ってたし。つまり魔力のあるなしが人間との差ということだから、まったく感じられないってことは、やっぱりただの人間だということだ……。
「……あんたなにしてんの? お腹でも痛くなった?」
急に横岸が顔をのぞきこんできて、吐息がかかりそうなほどの距離にいたのでびっくりして俺は身を引き、「い……や! 大丈夫! ちょっと考え事してただけだから……」とコーラを一気飲みした。横岸は、「ふーん……。まあいいけど。ね、なにか追加するなら奢ってあげよっか!」と言い出した。俺はぶんぶんかぶりを振ってイスごと後退すると、ドリンクバーのおかわりのために席を立った。……め、めちゃめちゃ機嫌がよくなってる。なんなんだ、一体……。
その後、横岸のおかわりであるパンケーキセットがきて、それを「うまうま~♪」と頬張る彼女を訝しげに見ながら、俺は俺のおかわりであるメロンソーダをちびちび飲む。そのころには、騒がしい五人組のせいで、さいしょにいた家族連れなどの客はほぼ退店していた。……そりゃ、あれじゃあ長居しづらいよなあ。せっかくの日曜の朝が台なしだし。つーか俺も帰りたい……。横岸の目的がさっぱり分からなくなったし。……仕方ない。こっちから、石、投げるか。
「……なあ。そろそろ今回の、というかお前の、ほんとうの目的を言ってくれよ。ただ『俺と友達になりたい』って。どう考えても、そんなレベルの話じゃないだろ、いまのとか。……お前は俺に、なにを求めてるんだ?」
「……はあ~っ? あんたって、ほんとーに鈍い!? 私はさいしょから~っ! ただ! ほんとーに! あんたと友達になりたいからご飯に行きたいって言ったじゃん! ……あーもーマジ信じらんない! 【強い】のははっきり分かったけどさ~、このカンの悪さ、フットワークの重さっていうか……。女子慣れ以前に、人間慣れのなさひどくない!?」
目を見開いて、唾を飛ばしてくる。に、人間慣れのなさ……!? いまのセイラルっていう、自分の立場的に傷つくぞそれ!
「もうご飯は済んだし、次は遊びにいかないとね……。風羽さんと対等な【強さ】を持ってるくせに、ぜんぜん活かしてないところがすんごいムカつく……! 努力して【それ】を手に入れようとしてる、私が馬鹿みたいじゃないの!」
「ちょっと待て! 俺と友達になりたいのがマジだっていうなら、その……訳は分からんが、俺が【強い】からか!? どういうことだよそれ……!」
「……【強くなりたい】から。ただそれだけよ。そのためにはたくさんの、より強い人と付き合うのが……いちばんの経験値になるでしょう?」
次の瞬間、俺の息が止まった。
横岸の瞳が、夜の海のような暗い陰に覆われていたからだ。……クラスでは、一度も見たことのない表情だ。
後ろのほうから、騒ぎ声がいっそう高まり聞こえてくる。テーブルを拭く店員は、慣れているのか淡々と仕事ををこなしていた。そんな周りの景色や音を、俺は呼吸を少しずつ取り戻しながら、黙って耳目に流し入れていたが、ようやく平静になったころ、黙っていた横岸が口を開いた。
「ねえ。テレビとかでさ。政治家の人って威張ってること多いじゃん。あれはなんでだと思う?」
「……権力があるからだろ」
「そ。権力って『強さ』のことよね。あとはお金持ちも、お金の力で威張ったりできる。お金をたくさん持ってるのも『強さ』。ほかにもスポーツ選手とか、いろんなジャンルで有名になった人も、有名って言うことで堂々としてる。これも有名っていう『強さ』。喧嘩自慢、腕力自慢は、物理的に相手をなんとでもできるっていう自信からくる『強さ』。そしてカッコいい男の子も、美人の女の子も、見た目の良さっていう『強さ』を自覚してたら、それで自信を持っていられる。そういうふうに、たくさんの『強さ』があるんだけど……でもそれらはすべて、時間や立場の変化で消え去ってしまう、かりそめのものでしかない。私の求めている【強さ】っていうのは……そいういうものじゃないの」
横岸は、残ったパンケーキのかけらにフォークを突き刺し、それを口に運ぶ。そうしてゆっくり頬を動かし、喉を動かして。瞳の陰を消し去ったあと、そこへ朝日に負けぬ輝きをまとい――俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「私の求める強さ……ほんとうの【強さ】は。何事にも、何者にも動じないで、負けないで。どんな夜にも呑まれない、ずっと自分であり続けられる力――【自分の輝きを絶やさない力】のこと。さっき言った通り、それをあんたは持っている。……風羽さんも。だから私は皆のように、彼女が絶世の美人だから惹かれてるわけじゃない。理由はただひとつ。――圧倒的に【強い】からよ。彼女は絶対に、どんなときも【自分】を消したりしないはずだから。美しいからじゃなく。もっと、別のなにかを根拠として――」
横岸は魔術士でもリフィナーでもない。
ただの人間だ。それはもうはっきりした。だからファレイの魔力を感じることも、魔術を見ることもできない。ロドリーと違い、彼女の出しっ放しの魔力は、人間でも分かるずば抜けた存在感、オーラとして周囲に発しているので、それを感じてもいるのだろうが……。どうも根っこは、それではないような気がする。
もしそうなら、わずかな魔力しかなく、魔術も使えないいまの俺から、彼女と同質同等のものを感じられるわけがない。だから魔力に関係のない、横岸の言う【強さ】を、俺たちが放っているということだろう。
ファレイはなんとなく分かる。それを身につけうる経験値を持っているはずだし。そして俺の場合は、それに該当するものがあるとすれば、セイラルの持ち物……ということだろう。緑川晴の言動から漏れ出るわずかなそれを、横岸は感じ取っているということか。なぜ横岸が、そんな感性を持っているかは、知るよしもないが……。
「……強くなりたい、って言ったよな。なんでだよ」
「……いーじゃん。別に」
急にぷいっと横を向く。そして「……鹿すぎる。しまったぁ……」と漏らし、なにやらバツが悪そうに頭を押さえた。な、なんだぁ……? まあ、よほどの理由があるんだろうし。親しくもない俺に言うわけないか。
しかし【強くなりたいから、強いヤツと付き合いたい】とか。まるで喧嘩や武術の修行者みたいだな、漫画とかで見た。……ただこれで、変に警戒する必要もなくなったってことだな。
「……そ、か。とりあえず、お前が風羽に熱心な理由と、俺と友達になりたがる理由も分かったよ。で、お前の言う【友達】っていうのは、どうやってなるんだ? これからちょくちょくつるむ……ってことでいいのか」
「……。へっ?」
横岸は、ハトが豆鉄砲を食らったような表情になる。それから、一度、二度と首を振り、ゆっくり俺を指差すと、続けた。
「……って。――うそでしょ。私となる気があるってこと? ……いまの話聞いてた!? だ、だって、私いま、あんたの【強さにだけ】興味があるって言っちゃっ……、言ったのよ!? ……怒らないの」
「自分でべらべら話しといてなあ……。打算的とかそういう話か? そんなもんふつうだろ。メリットありきとか。運がよけりゃ、付き合ううちに、ほんとうに友情が芽生えることもあるんじゃないの」
俺のたったふたりのダチである橋花と伊草だって、もとは友達いない連中が、ただひとりじゃ寂しいから、身を寄せ合うようにして友達になっただけだ。だけど付き合ううちにほんとうの友達になったんだ。……友達は、【まず友達にならないと友達にはなれない】とでもいうべきか。そんなこと、俺の百倍友達いるコイツのほうが、よく知ってる話だろうに。
そもそも、俺がコイツの『友達提案』を警戒してたのは、もしかしたら魔術士やリフィナーで、ファレイの正体や俺のことを知り得る位置に来たり、察する可能性も考えてのことだ。しかし感性の独特さはともかく、横岸はただの人間だと分かったし、魔術士等を知っていそうな雰囲気もない。つまり横岸にとっての常識外の存在だから、付き合ったところでセイラルたちの真実へたどり着くとも思えない。
あと、そういう話を抜きにしても、俺となんの接点もない横岸が、友達になろうだなんて言う意味が分からなかったから不審に思っていたわけだし。コイツが俺に、趣味とか見た目とか、接した感じとかで気が合いそうとか、そういうふつうの友達的関心なんか持つわけないんだから。むしろ情の絡まない目的、打算的な理由があったほうが納得できる。なかなか面倒そうなヤツではあるけれど、友達くらいを嫌だと突き放す理由もない。
ただひとつ、気になることがあるとすれば――。セイラルと関わりを持つ人間を増やすことそのものが、その人たちを危険に巻き込む可能性を高めるかもしれない……ということだが、この間襲ってきたローシャやカミヤは、学校の人間に察知できないよう結界を張っていたし、さいしょはローシャが壊した食堂前のテーブルなども、カミヤは魔術で復元する気でいた。
けっきょくは壊したままだったし、後処理をロドリーがするときには、『ほんとう魔法界の輩は人間界の秩序もなにも、どうでもいいヤツが多いから』と愚痴を漏らしていたから、すべての魔術士に共有されているわけでもないだろうが、いちおう基本的には、魔法界の法か、常識的ななにかで、人間界を極力乱さないほうがいい……という理由はあるのだろうと思う。
無論、魔術士が根っこでは、人間を見下しているのは間違いないので、なにかあってもアリを踏み潰すように【どうでもいい】とは思うのだろうし、先の愚痴から察するに、人間界みたくルールや倫理に囚われない無法者、あるいは特権的立場の者もいるのだろう。ロドリーが俺の家や、俺に近しい人たちの家に結界を張ってくれていることから考えても、彼女は【なにか】が起こりうることも視野に入れているということだから。
けれど現時点、じっさい的にはそうしたことに注意はすれど、セイラルは学校に通い、友達である橋花や伊草と会い、水ちゃんとも出かけ、じいちゃんと毎日過ごし……というふうに、以前と変わらぬ【緑川晴】の生活を継続している。そうである以上、あまり神経質になっていたら病んでしまう。極論を言ってしまえば、危険と言う意味では、タイミングいかんで俺の行動範囲すべてが等しくそうなってしまうということになり、一度立ち寄ったコンビニの店員や客、いまいるファミレスの人間たちすら危うくなる。とどのつまり、周囲への影響を突き詰めたら――だれもいない山奥にでも引きこもるか、……自ら命を絶つという選択肢しかなくなってしまう。……正直、いまそこまで考えたくはないし、考えるほどの精神力もない。……【緑川晴】には。いつかは、なにかを選択する時が来るのだろうが……――。
「……あの、さ。ちょっといい?」
「……。ああ。なんだ?」
横岸の言葉で、俺は思考の海から抜け出した。彼女は唾を飲み込み、恐る恐る言った。
「その……、ぶっちゃけ私、あんたに……。『あんた自身に惹かれたわけじゃないけど、あんたと付き合うことで自分をレベルアップさせたいので経験値になって!』って言ったようなものなんだけど。そ、それでも……?」
「……ご丁寧にぶっちゃけすぎだろ。怒らねーっつーの。それより学校でちゃんと言っとけよ。友達付き合いのこと。一部のお前の友達に『なんでお前が馴れ馴れしく~』みたく絡まれたら困るから。あと風羽にはいまの話、オフレコにしとくからボロだすなよ。アイツは怒るぞ」
「あっ……!! う、うん……!! あ、ありがと……!」
はっとして何度もうなずく。それから、「……ほっ……!!、ほ、ほほほほんとうにオフレコってよねっ!!! こ、こんなのバレたら私……!!! ――あああ想像したくないっ!!」と俺を揺さぶり、その後震えて頭を抱えた。……風羽への普段からのビビり方を見ても、無理もないか。
ただ、その恐怖は微妙にズレたものなんだけどな。【ファレイ】が怒るのは、自分のことじゃなくて、【セイラル】に関してのことだと思うから。加えてアイツは魔術士で、人間を常に薄目で『どうでもいい存在』って見ているわけだし。
魔術士であるカミヤにすら、『クラス1Aごときがセイラル様の生命を脅(略)』って激高してたんだから。もし知れば、俺が止めても地上から消されるかもしれん……。頼まれなくてもオフレコ案件だよ。
そもそも、ほかのふつうの人間でも、さすがにここまで建前抜きで言われたら『友達』はないだろう。だけど俺は……横岸の気持ちが少し分かるのだ。おそらくコイツには、【強く】ならなければならない強固な理由があるのだと。なににおいても達成しなければならないという、人生レベルの目的が。そのことに、たぶん共感したんだろう。……【セイラル】は。
「……は~、マジ私馬鹿すぎた。なんでこんなに素のまま漏らしたんだろう……。いつもならもっとうまく……って。――そうか。あんたが相~~~~当に変わってるからよ! だいたい初めて絡んだ時から、私のペース狂わされっ放しだし! それでつい、うっかり……っていうか、あんた! そもそも、いったい、どういう生き方してきたらそんな達観した考えになるわけ、その歳で? もしかして、……中味おっさんだったり、する……?」
立ち直った横岸は、いつの間にか真剣にこちらを見つめていた。……おいコラ! ジョークがジョークになんねーんだよ俺の場合! やめてくれマジで!!
ちいさなころから、どんな強面と相対しても動じないのは、かのセイラルであったせいということは分かったが。やはり思考やそのほかも、記憶を失っていても根付いているっていうことか。300歳近い、蓄積が……。
思いめぐらし、落ち込んでいる俺に、「うそうそ~! じゃあさじゃあさ、ほんとうの約束はあしたの放課後だったわけだし。そのとき服買いに行くのに付き合ってよ! ちょうどセールやっててさ~。お礼にあんたの服も見立ててあげるし。六千円くらいもってきたら、それなりの揃えるよ」と急に元気になって、笑顔で勝手な計画まで立て始めた。……そういう付き合いは橋花のオタク店巡りで間に合ってるんだよ! 人の買い物に付き合うのって、マジで時の流れが無限に感じるんだよな……。
「ちょっと、ちょっと彼氏。声おおきい! おおきいって! 朝から迷惑でしょ? ほらた~いじょ~!」
急に声と、笑い声がして顔を上げると……。後ろで騒いでいた五人組のひとり――ロン毛の銀髪の男が俺を立つように促している。後方では、にやにやとこちらの様子をうかがう残りの者たち。……まかさほんとうに絡まれるとは。騒ぎすぎたな。ちらちらニコニコ横岸を見てるから、目的は、そっちか……。
俺は息をはくと伝票を取り、金額を確認する。そしてロン毛の登場に、はっきりとうんざりしたような表情を見せた横岸の手を取り立ち上がり、「えっ? ちょっと!」と漏らす彼女を引き引きレジへ。後ろから「おいお~い! 帰るのは君だけでいいんだって!」と笑い声を交えて男が追ってきて、俺の肩をつかんだところで、俺はスマホを取り出し叫んだ。
「――警察にぃっ!! 電話しま~~~~~~~~~~~~っす!! 110! 110! ひゃっくとーばん!! ばん・ばん・ばーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!」
とつぜんの大声に度肝を抜かれた男は尻餅をつく。その間に「あ、お釣りはいいです」と俺は伝票と五千円札を置いてさっさと出た。スマホをかかげながら。すぐに店の中からドア越しに、「……ぁ!!?? ……ジになんなよ……ケがっ!!」と怒鳴り声が響いてきたが無視。それから「いちおう離れるぞ」と言って、横岸の手を引いたまま走り出した。
「ちょっ……!! ちょっと、ちょっとーー!! あんた馬鹿なのっ!!?? お金、多めに出しすぎっ!! 私は自分が食べた分しか払わないからねーーーーーーーーーーっ!!」
「……そこかよっ!! だれも期待してねぇっつーーーーーのっ!! ああいうのは行動すべてを躊躇したら終わるんだよ!! ……あぁーもぉーくそが~っ!! 日曜は昔っから、一週間でいちばん輝く日にするって決めてるってのに……!! ……あんなのに殴られたり馬鹿にされたりすることで絶・対!! 始まらせねーーーからなーーーーーーっ!!」
「――……っ!!」
俺は横岸の手を引き歩道を走り、やがて横断歩道を駆け抜け道路を超える。途中でうしろを振り返ると、男の姿が見えなかったので、ようやく小走りになり、横岸の手を離そうとした。
だが彼女は俺の手を振りほどかず、握る力も弱めずにいて、乱れた息をはいたまま、向けた俺の目から顔をそらす。やむなくそのまま手を引き進み続けた。
その後歩きになってようやく手は放したが、俺の前を行こうとはせず……。もう口を開かずに、横岸は、ずっとうつむいたまま後ろをついてきていた。
◇
そうして、店から大分離れた住宅街に入り、俺はちいさな駐車場の車止めに腰をおろす。しばらくぶりに訪れた休息に脱力していると、頬に冷たいものが当たる。……お茶だ。
「コーラとメロンソーダを飲んだから、こっちのがいいでしょ? まあ、お礼よ……」
と言って、横岸は俺のすぐ隣の車止めに腰かけると、スポーツドリンクを開けて一気飲みする。俺は苦笑して、「……サンキュ」と受け取り、同じようにフタを開けて一気飲みした。
「はあ~、うまっ! 運動したあとのお茶はうめーなあ……。……は~ぁ」
落ち着くと、しくしくと五千円の痛みが迫ってきて肩を落とす。千円札がもう一枚あれば……。今度から、財布に入れるのはぜんぶ千円札にしよっと。……はああ。
「馬っ鹿じゃないの。後悔するくらいならやらなきゃいいのに。格好つけちゃって……」
「……お前ねえ~。勝手にやったことだけど、そりゃ~ないんじゃな……」
言いかけて止まる。頬杖をつく横岸の瞳が、再び暗い陰に覆われていたからだった。そして耳を赤くして、いまにも涙がこぼれそうになっていた。
「……お、おい。どうしたんだ? もしかして怖かった、なんて……」
「……はあ~っ!? ち・が・うっ!! あんなの慣れてるしっ! ただちょっと昔のことを思い出してただけよっ!! 似たような行動取るなっ!! 言うなっ!! ……んっとに、まぎらわしいんだからっ……!!」
目をごしごしやって、もとに戻る。そしてぽかんとする俺をにらみつけたあと、頬を指で押してきた。……んなっ!?
「確かに口だけじゃなく~? 【なんとかした】けど! スマートさの欠片もなかったし! 訳分かんないし疲れたしっ! ぜんぜん安心感安定感頼りがいがないっ!! もっとそっち系をしっかりさせた【強さ】に磨きをかけてよね! ……私が真似できないっ!! 吸収できないっ!!」
「お、お前……! さすがに開き直りすぎだぞ! 俺はお前の参考書じゃねーんだよ! ちょっとくらいは建前を使ってこいってーの!!」
「やーだよーだ! 店にいる時はそうしよーと思ったけど、あんためちゃくちゃだし! 完全例外だし!! いちいちほかの相手みたく建前とか使ってられないわ! これからは【これ】で行くから!」
と、ぐりぐり指で俺の頬を押し続けてから引くと、ぷくーと膨らませた自分の赤い頬に、その指を当てた。俺は赤くなった頬を押さえて言い返した。
「……なにが【これからは】だ! いま思い返せば、お前、さいしょっから俺に対してだけ態度が違ってたじゃねーか! もとから素だ素! クラスメイトの前では猫かぶりやがって……」
「なっ……! は、はじめから素顔なんかさらすわけない! なに自意識過剰ってんの……! あ! あんたもしかして……」
と、口を押さえる。それからしばらくのち手を離し、今度は半眼のまま唇を尖らせて、言った。
「あんた……。ぜんぜん怒らずに私の打算を受け入れたと思ったけど。……それはあんたにも打算があったからでしょ! どーもおかしいと思ったのよねぇ。いかに変人といえど、よくよく考えたらそんな人間いるわけないし!」
「はあ? 打算なんかねーよ! なんだよ打算って!」
「だぁ~かぁ~らぁ~! 私と仲良くなって、たとえば、その、最終的に……、こ……と的な関係になりたい、と……ゕ。――だ、だって必死すぎだもんさっきのとかっ!!」
必死に何度も指を差し、じっと俺の目をのぞき込んでくる。耳も首も真っ赤だった。それから阿呆みたいな表情になった俺を無視して立ち上がると背中を向けて、三回深呼吸したのち両手を後ろで組みながら、「……はー……ぁっと! ……ーかそーかなるほどね~っ! でも私、競争率、高いよ~? 表層的なスペックでは、ほかの男子たちにはあんた太刀打ちできないし。はーモテるって辛いわぁ……」とふざけた悩みを吐露し始める。……んちゅー勘違い女だ、コイツは……! だいたいなんだ……太刀打ちできないだとぉ!? お前の周りにいるリア充どもにか!! ……クソができねえよっ!! 大したことなくて悪かったなーーーーーーーーっ!!
「……。風羽さん相手じゃ、『ネッ友』から『恋人』には、ね。あの人にはだれか大切な男性もいるようだし。まー【現実的な相手】で頑張ろうっていう心変わりは、いいと思うわよ。……そういう気持ち、分かるしね」
朝日の逆光の中、振り向いた横岸は弱々しい笑みを見せる。俺は力が抜けて言葉を失う。が、そんな俺を見た横岸は一変、にやにや、はっきりと冗談の笑みを浮かべて近寄ると、「……頑張りたまえっ! わっはっはっは!」と俺の肩をまたばしばし叩く。俺は歯ぎしりしたあと、「だっ……! だぅわーれぐわお前なんか好きになるかっ!! バーカバーカ!!」と小学生よろしく罵声を飛ばしたが、「いいのかなぁ。そんなに強がっちゃって。……はー喋り過ぎて喉の渇きが収まらないや。甘いのよりさっぱりしたい! 緑川ぁ~。これ、もう飲まないならちょーだい!」と、俺からお茶を奪い取ると一気飲み、あっという間に飲み干した。お、俺の水分が……!!
横岸は、呆然とする俺を尻目に、ぺろりと唇からこぼれたお茶を舌でなめ取り、空になったペットボトルのフタをしめる。それからそれを頬に押しつけて、目を閉じたまま、どこか懐かしむような笑みを浮かべていた。
そうして、しばらくのちに目を開けて――。再び朝日を背に背負い彼女は言った。
「……ね、緑川。あんた、運命の出会い……って。信じる口?」
「……はあ? 知るかよ。っていうか、【知れることじゃねえだろ、ほんとうに運命なら――】」
知らず口をついて出ていた。俺はわずかにまぶたを震わせる。横岸は、それを見透かしたようにクスリと笑い、
「神様案件、か。それもそうね。ま、どーでもいいや。【それが運命かどうかだなんて――】」
と、言ってから、自分の余ったスポーツドリンクを投げてよこし、慌てて受け取った俺を見てしずかに微笑むと、
「んじゃ、あしたからもよろしく! ……友達の、緑川。――またね」
そう、言い残して去った。
◇
残された俺は、半分くらい残ったドリンクを、しばらくぼんやりと見つめていたが、隣の車止めの上に小銭が積み上がっていることに気づいた。それを数えてみると、アイツが食べた分より多い。これは奢られた……ってことか。全部小銭で、十円玉が多いけど。そして奢られても、大赤字なんだけど……。
俺はなにやら馬鹿馬鹿しく、そしておかしくなって、けっきょく渇いてゆく喉を押さえたのち……。すでに真っ青に輝く空の下で、スポーツドリンクのフタを開けると、それを一気に飲み干した。




