第5話 手鏡は、なにを映す?
木がざわめくごとに、風羽の体はぴかり、ぴかり、まだらの光を浮かべている。
前髪は振り子のように、ふたつの黒曜石の上で揺れていた。
その黒い双眸が捉えているのは、――俺だ。
「……やはり。なにも思い出されないのですね」
風羽は、淡々と漏らして目をふせる。
瞬間、俺は足を踏み出していた。
「……おい。あんたの用ってのは、俺を馬鹿にすることか?」
木工ボンドで固めたような苦笑いを、風羽に向ける。
彼女は、ゆっくりまぶたを開き、髪を揺らした。
「先ほど申したことも、これからお話しすることも。すべて真実です。……私は17年前、あなたに、きょうこのことをお伝えするよう、命じられました」
「へー……。……それは……」
俺は、封筒を何度かふったあと、風羽の横を通り過ぎ、ベンチへ尻を落として砂ぼこりを舞わせた。
すると風羽は俺の前で、身を屈めてヒザをついた。
「なにをしてるんだよ……」
「主に対し、上からものを申すことはできません。このままで」
黒い宝石が、じっと光を放っている。
俺は舌打ちして、ベンチからおり、風羽にそっぽを向いてあぐらをかいた。
すると彼女は、再び正面へまわり込み、女の子座りをした。
さらには背中を丸め、なんとか目線を俺より低くしようと、顔まで赤くする。
……あ、あのなぁ~……。
「俺はあんたの主じゃねーっての! ……ってか、さっきから……。地面にベタベタするんじゃねーよ!」
俺は風羽を引き上げて、まだ白いままの背中を払い、スカートを指差した。
風羽は、「あ……、う」と口ごもり、慌ててぱんぱん、汚れを落とす。
最後は右や左にひるがえし、不安そうに俺を見てきたので、ため息をついてうなずいた。
「話はベンチでしたい。……こうすれば文句ないだろ」
俺は風羽を座らせたのち、隣の席をひょいとのぼり、背もたれに腰をおろす。
「そ、そのような方法が……。なるほど」
風羽は居住まいを正しつつ、しきりにうなずいていた。
やめてくれ……。
ものすごく馬鹿にされている気がするわ。
◇
俺は鞄を、風羽との間に置きながら、彼女へ、鞄はどうしたのか尋ねる。
すると、ベンチの下から引っ張り出してきた。
「邪魔になると、いけないと思い……」
そう、うつむき気味に話す彼女のそれは、果たして砂だらけになっていた。
なので、ふたりで綺麗にしたあと、俺の鞄の隣へ置いた。
風羽は、恐縮するように縮こまっている。
俺は片手で、頬づえをついている。
辺りの梢が触れ合い、ざわめく。
空は校舎や街を越えて、遠くの山際までおりている。
ときおり、甲高い鳥の声が目の上を刺し、重い飛行音が頭に落ちてくる。
躍動する世界の中、俺たちは置き物のようだった。
◇
俺の黒い帆布鞄には、地球と月のキーホルダーが下げてある。
合わせて500円もしない、どちらもガチャガチャで当てたヤツだ。
それでも、鞄の黒を宇宙に見立てたりすると、なかなか洒落ていたし、にぎやかだった。
いっぽう風羽のは、昔の漫画に出てくるような、茶色の、通学のための革鞄だ。
なにも飾られていないし、下手をすると……、いや、見たまま、俺のより地味だった。
クラスの女子は……、たいていじゃらじゃら、ぶら下げてたな。
それ、もはやぬいぐるみだろ……、みたいなのも見たことある。
ステッカーを貼ってるヤツもいたりして。
ガラスのバラ。
高嶺の花。
ポーカーフェイス・ビューティ。
しかしてその実体は……。
砂だらけの、電波発言女。
クラスのヤツらが知ったら、どう思うだろうな。
逆に好感度が増す? 親しみやす~い、とかいって。
女子はそうかもしれないが、男子はどうだろう。
……258年とか、主とか、言われた当事者じゃなきゃ、引くこともないか。
さらに惹きつけて、告白される数も増える?
これまで何回されたか知らないけど。
彼氏は……、想像もつかないな。
いまとなっては。
俺は、右手の中にある封筒が、いつの間にか折れ曲がっていたことに気づく。
それで封筒を持ったまま、親指でならし、鞄の上へ落とした。
当事者……。くそ……。
……。ワーストワン、か。
◇
「……。あんた、誕生日。いつ?」
ふいに、前を向いたまま俺は尋ねた。
風羽は、「えっ?」と高い声を出したあと、少し間を置いて答えた。
「この世界だと……。7月7日になると思います」
また顔が引きつるような言葉が聞こえてくる。
俺は唇をかんだあと、淡々と言った。
「俺はきょう、誕生日なんだ。あんたみたいに七夕とか、特別なこともなくて。なんの日でもないんだけど。まあめでたいことは、めでたいわけだよ。ダチは菓子でもくれるだろうし。じいちゃんには、この銀時計をもらった」
風羽は、黙って聞いている。
いつの間にか、辺りの音はやんでいた。
「帰ったら、……俺が買い出し当番だから、俺が買うんだけど。ケーキも食べられるし。祝ってくれる人もいる。……ささやかでも、幸せなんだよ。クラスでは日陰者でもさ」
風羽は、わずかに唇を動かした。
俺は彼女のほうを見た。
「あんたにとっては、空気みたいな存在かもしれないが、けっこう楽しく生きてるんだ。……だからな」
俺は、封筒を拾い、しずかに言葉を放った。
「こういうの、やめてくれないか」
風羽は、なにか言おうとした。
しかし、声にならないようだった。
「ジョークにしては度がすぎてる。まったく笑えない。分からない。理解できない。……そりゃそうか。俺はあんたの言うように、『別の世界』の人間だからな。あんたとは」
封筒を手放すと、風にあおられ、風羽の前に落ちた。
「……ともかく。話してくれたら、全部忘れるから。言ってくれ。ほんとうのことを。そしたら、そ知らぬ顔で教室に行こう。時間をずらしてな。……それで、あんたと俺の接触は終わりだ」
風羽は瞬き、何度も細かく、前髪を揺らしていた。
……なんでそんな、悲しい顔をする……。
「……あなたは、誤解をされています」
「してない。俺はきちんと事実を認識している」
「違うんです。あなたは、記憶が戻っていない。だから……」
「戻る? 17年前……258歳のときのか。戻るわけがない。俺は17年しか生きていないからな」
あまりに阿呆くさくなって、顔をそむけた。
「例のあれ」のフェイクというだけでも腹が立つのに。
ネタばらしをするでもなく、まだ記憶がどうとか言い張り続けている。
ふざけるのもたいがいにしろよ……。
下唇をかんで、頬づえをつきながら、指をこめかみにめり込ませる。
すると、なにやらがさごそ聞こえてきた。
「……これを見てください。――どうか」
俺は無視したが、すぐ眼前に、なにかが差し出された。
折りたたみ式の手鏡だった。
「ほんとうは、お話ししてから、お渡しするつもりでしたが……。先にこちらで、あなたのことをお伝えします。これならば、信じていただけるはずです」
強い言葉が、耳へ届く。
鏡はすでに開かれていて、俺の顔が映っていた。
「しっかりと持って。そのまま見続けてください。そうすれば……」
そう、風羽がのぞき込んできたので、俺は鏡を隠すようにひったくり、背を向けた。
……ひどい顔だな。
怒ってるくせに、半べそかいてるじゃねえか。
まるでかんしゃく起こした、ガキの……。
「……。……!?」
次の瞬間、映っていた俺の顔がぐにゃりとゆがみ――。
渦を巻いて光を放った。
◇
「おい、なんか……。変なふうに、なってるけど……!」
「あなたの魔力に反応しています。……鍵が開いたんです」
いつの間にか身を寄せて、またのぞき込んできた。
体が密着し、思わず熱くなったが……それどころではない!
「マリョク? ふざ……! ――ってか、こ、これやばくないか!?」
光の渦は、音こそ発していないものの、いまにも鏡を突き破り、竜巻にでもなりそうだった。
どう見てもおもちゃの類じゃない。
……絶対おかしいだろ!
たまらず鏡を離すが、そんな俺の手を、風羽は自分の両手で包み込んだ。
「離さないでください! あなたの魔力でしか再現できないんです! ――もう浮かび上がってきます!」
「……はっ!? ――!!」
渦が止まり、光が消える。
そうして鯨が浮上するように、ゆっくり、おおきく……。
鏡の中から、なにかが、浮かび上がり――。
飛び出してきた。
◇
「……。……なっ……」
俺たちが座るベンチから、少し先。
気がつくと、いつの間にか――。
紺色のマントを羽織った男が、立っていた。