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第48話 ……いかないで――

 街灯が夜のとばりをはねつけて、古びたアパートを明々あかあかと照らしている。

 そんなあかりに背を向けて、俺はくだんの階段下へもぐり込み、すすけた壁に映る自身の影を薄目で見つつ、スマホが発する【文句】にひたすらかしこまり耳を傾けていた。約束の時間を大幅に過ぎて電話をかけたためである。


《……と、いうことで。今度会うときはなにかしてもらうことにする。首を洗って待っていろ》


 と、言葉が途切れたとき、澄んだ吐息が耳をくすぐってようやく説教は終わった。つ、疲れた……。

 あと最後、なにか穏やかでない言葉が聞こえた気がするが、たぶん彼女の性格だと、そこをつつけば百倍くらいになって返ってくる恐れがあるのでやめた。あまりファレイを待たせるわけにはいかないからな。


「わ、分かりました。その時は必ず。それでご飯……のことですけど。都合のいい日にちとかありますか?」


《そうだな。急に入った【仕事】のせいで、ちょっと先になりそうだが……。ともあれ、ごたごたの最中に食事などしたくないからな。なるべくゆっくりできそうな空きは……》


 そう言って、葉賀涙はがなみだ――もといルイ・ハガーはまた話し出し、俺は時折相槌あいづちを打つ。内容はいついっしょにご飯を食べるかというもので、もともと電話はそれが本題だった。


 そうした話になったのは、きょうの日中、すいちゃんとショッピングモールに出かけた際、マジックショーで出逢ったルイと、その兄である葉賀理亥斗りいと――おそらく本名は、リイト・ハガー――という魔術士兄妹と約束を交わしたから、だったが……。正直、好い感じに交流したとはいえ、よくある社交辞令と思っていた。


 リイトの話では、彼女が俺のことを気に入ってくれたらしいのだけど、やり取りした中、どこにそういう要素があったのかさっぱり分からないし。そもそも、嫌われかけていたくらいなのだ。

 ただ、ついさっきも「今度会うときは」と言っていたので、【好意】はともかく、なにかしらの【興味】は持ってくれているのは間違いないと思った。……おそらく、魔術士としての関心を。


 彼女は、俺が【魔神セイラル】であることは知らず、魔術士ではない、ただのリフィナー(※魔法界で人間に相当する存在。魔術は使えない)と思っている。しかも人間界の生まれで、魔法界のことはなにも知らない存在だと。後者はその通りだったし、セイラル云々にしたって、いま他者が俺から感じられる魔力は5以下らしいので、悟るのは無理なことだった。

 なので想像でしかないが、そういう【人間界生まれの、魔法界に無知なリフィナー】という存在に対して関心があるのかと思った。気になることも言っていたし。


     ◇


――私にもまれるまでもなく、お前はその無知によって、いつか【世界にもまれることになる】からな――


――魔法界、人間界両方から――


     ◇


《……。おい。話を聞いてたのか?》


「……。――えっ?」


 冷え冷えとした声が耳を突き、俺は慌てて声を漏らす。

 そして「あっ……! す、すみませんっ!!」とスマホを持ち直し、咳払い、ごまかし笑いをしたのちに返した。


「も、もちろん! ええと……、二週間後くらいで考えておいてくれ、でしたよね? それくらいなら、仕事も終わって、傷も癒えているだろうと。……んっ?」


 はたと口ごもる。傷……ってどういうことだ。仕事で。

 マジックショーとかだろ? それが失敗して、とかか。いや、でも確定的みたいな言い方だったしな……。


《……。仕事というのは『人間界【の】仕事』ではない。『人間界【での】仕事』のことだ。魔法界から受けた、な。戦いになるので、無傷というわけにはいかない。……そんな楽な仕事は来たことないしな》


 淡々とした声が響いてくる。彼女は、相手が自分に向けて発した心の声を読む魔術を持っているが、それには距離などの条件がある。なのでいまのは、単純に俺の考えていることを察したのだろう、が……。


「た、戦いって、だ、大丈夫なんですか? そんなご飯の約束とかしてる場合じゃ……!」


《なんだお前。その慌てぶりだと、見たことがあるのか。魔術士の戦闘を》


「……あ、い、いえ……! その……」


 俺はしどろもどろに返し、唾をのむ。そしてカミヤとローシャが、ファレイやロドリーと戦った情景を思い浮かべた。人間同士の、街中の喧嘩などとは次元の違う……【殺し合い】を。


《……人間界に生まれて育ち、魔法界に対して無知。戦闘力もない。なのに、それなりに凄惨な戦闘を見たことがあるかのような反応。……で、【生きている】。お前をまもっている魔術士ヤツがいるな。……だれだ》


 瞬間、澄んだ声が、鋭い刃へ変わって耳の奥をえぐってくる。きょうじっさいに見た、マイペースな雰囲気、どこか子供っぽい面とはかけはなれた、恐ろしい殺気。冗談ではすまされない気配に、俺は深呼吸すると、覚悟を決めて返答した。


「……言うことはできません。プライベートのことですので」


《……》


 ルイは言葉を返さない。俺は緊張でスマホを持つ手が汗ばみ、初夏の生ぬるい風と、明々とした街灯の灯りでいよいよそれが極まったが、ぬるりと落としそうになったのを支えた時に、……もとの落ち着いた、澄んだため息が耳をくすぐってきた。


《……まあいい。弱いくせに、護られているくせに相手を護ろうとするヤツは私も好きだ。食事も楽しいものになるだろう》


 俺はおおきくため息をつく。それでルイが、《あと、私をはっきり脅威と感じているのも気に入った。……お前、やはり男としては、なかなか見込みがあるな。魔術士としては、まあ才能ないだろうが、私の弟子にしてやってもいいぞ》と、かの子供っぽい調子に変わる。俺は安堵と同時に、慌ててかぶりを振り、なんとかお断りの旨を告げた。


《……ふん。気が変わっても知らんぞ。……ともかく、そのための二週間ということだ。――要件は以上》


 そう淡々と言い終えて、ルイは、


《じゃあな。今度はこちらから連絡することにする。出ないと、きょうの比にならんくらい宙に飛ばすから心しておけよ。……今夜は好い夢を》


 と、言葉を返す間もなく電話を切ったので、俺は苦笑して頬をかいた。


     ◇


 そうして、スマホをポケットにしまいつつ一段飛ばしで階段をのぼり、俺はファレイの部屋へ戻った。……のだが。その引き戸を開けた瞬間――硬直した。


「あっ! お帰りなさいませセイラル様っ! もうお電話は終えられたのでしょうか……!」


 と、ファレイが笑顔で出迎えてくれて、こちらへ駆け寄ってきたのだが……。それが白いエプロン姿で、お玉を持っていて……。まさに漫画に出てくるような、絵に描いたような【アレ】だったからだ。


「料理の準備はできておりますが、もしお疲れでしたらひとまずお休みいただいて……。あっ! いまお茶を! 紅茶はお出ししましたから、別のものが……? なんなりとお申し付け下さいね!」


 息がかかるような距離まで詰めて、にこにことお玉を両手に持ち、美しい切れ長の目をしばたたかせて俺に問う。フリルのついた、白い軽やかなエプロンをまとって。……クラスの、いや、学校すべての風羽怜花ふわれいかを知る者たちが見れば、とても現実とは思えないような光景。や……ばい。やばいぞこれはっ!!


「すっ……、や、休むのはいいかなっ! お茶も大丈ぉー夫っ! 遅くなるといけないから、早く飯を作ろう! はいっ!!」


 強制的に切り上げるようにして靴を脱ぎ、ばたばたとキッチンへ。そこでそのまま手を洗い、ハンカチを取り出そうとしたら、すかさずファレイがお玉をわきに挟み、エプロンのポケットからピンクのハンカチを出して「失礼いたしますね」と、こともあろうに俺の手を両手でしっかり包み込み、拭き始めた。……わざとか? わざとやってるのか!? ――あああああああどちくしょうっ!!


「うっ! ううううがいしてくるわ~っ!! さすがにそれは、流しじゃなあ……!!」


 と、俺はハンカチを一瞬でたたみ、戸惑うファレイに返すとすぐに手洗い場へ駆け込んで、喉にはりつく菌とともに煩悩を洗い流した。

 そうして数分後。「……風羽はファレイ。ファレイは従者。実年齢は87歳。そして俺より、じっさいは150歳以上、下……っ!」と念仏のように小声で唱えてから舞い戻ったら、


「……や、やはりお加減が優れないのでは……? な、ならばお休みに! あいにくお布団はございませんが、私が寝床としているベッドがありますゆえ! ……さあ、さあ!!」


 などと言って俺の手を引きズカズカ居間へ、それから隣のふすまを開けて、白い、清潔そうな掛布団に包まれたシングルベッドを示してきた。俺は、「あ、こっちの部屋って寝室だったのね……」と、遠い国の出来事のようにつぶやいてから、そんな俺の肩をつかんでベッドへ座らせようとする、青い顔のファレイを制して、ようやくはっきりと言った。


「いいかファレイ。いまから大事なことをお前に言う。二度と言わないから、心して聞けよ」


「――っ!! ……はっ! な、なにでございましょうか……!!」


 俺から離れてひざまずく。よく見慣れたそんな光景に突っ込む気力はもはやなく、俺は簡潔に大事なことだけ告げた。


「……お前、エプロン禁止っ!! だから汚れてもいい服に着替えてくれ! これはあるじとしての命・令・だっ! 理由は聞くな! あと俺はどこも悪くない! ――以上!」


 顔を上げて、ぽかんと口を開けるファレイを尻目に俺はさっさと寝室から退場、キッチンへ戻ると、連打された太鼓のように激しく打つ胸を右手で押さえ、空いた左手で流しに手をつく。

 それから少しして、後ろから「……?? しょっ、承知しました……。しばしお待ち下さいませ」と、はてなマークに満ちた声が聞こえてきて、キッチンと居間をつなぐドアがしずかに閉められたとき、ようやく俺は落ち着いた。


     ◇


 その。「セイラル様の前で、大変失礼かとは存じますが……」と肩をちいさくして、着慣れた感じの白Tシャツと青デニムのヒザ丈スカートで戻ってきた。この姿も新鮮で、また俺の胸は高鳴ったが、【エプロンショック】に比べれば……! と言い聞かせて、なんとか動じることはなかった。……はあああああ、疲れ、た……。


「……じゃあ、唐揚げを作ろうか。俺の手順を教える前に、お前の作り方を知っておきたい。やって見せてくれ。いちおうできることは、できるんだよな?」


 以前は未経験だったかもしれないが、約束したとき、俺との日まで練習するとか言ってたし。それをサボるなんて考えられないからな。


「は、はい……! しっかり練習しましたので、手順につきましては大丈夫です。けれど、その……。味が」


 しゅん、となるファレイ。……そうか。

 まあ、ぜんぜん料理したことがないらしいし。さいしょなら仕方がないよな。


「いいよ。過程を見せてもらったら、もし問題点があれば、分かるし。やってみれくれ」


「分かりました。よ、よろしくお願いいたします!」


 深々を頭を下げて、ファレイはてきぱき、先ほどいっしょに買ってきた鳥肉を取り出したり、調味料を用意したり、包丁を持ち出したりした。動きはさすがに俊敏で無駄がないなあ。この分だと、俺が一回味つけとか教えたら、すぐ美味いのを作れるようになるだろう。

 などと思いつつ、笑みを浮かべて彼女のことを見ていたのだが……。


――ズダダダダッっ!!


 ……と、音は鳴っていないものの、それほどの勢いで肉が的確な大きさに切り分けられ、即、大ボウルに投入される。それから親指一本でしょうゆのふたを開けると、【振り入れた】とでも言うべき速度で小ボウルに流し込み、いくつか調味料を足し入れる。……とても素人とは、いや、人間わざとは思えない速度と正確さで下味をつけるための調味料を作り上げたのち、大ボウルで肉と混ぜ合わせる。その手際も、決して雑でも力づくでもなく、速く無駄なくやわらかであった。

 別に動体視力に自信があるわけじゃないが、どう見ても、手際に関しては、味が悪くなる点が見当たらない。調味料の配合だって極々一般的なそれだし、分量もおかしいとは思わなかった。……揚げ方か? 味がいまいちになるとすれば。


 だが約30分後。調味料に漬け込んでいた肉を取り出して、彼女が揚げ始めると、


――ジュワッ! ジュワワワワッ……!


 思わずよだれが出てきそうな音と、香ばしいにおいが漂ってきて、俺は腹を押さえる。そんな俺を尻目に、ファレイはやはりていねい・迅速・無駄なく手を動かし……。二度揚げを終えると、きれいな茶色に染まった肉を皿に盛る。そして真剣な表情かおで俺に向き直った。


「お、お待たせいたしました! どうかおひとつ、ご試食をお願いできますでしょうか……」


 声がちいさくなりつつも、ひとつ皿から唐揚げを取り分けて、箸といっしょに差し出した。……めっちゃくちゃ美味そうなんだけど。においも抜群にいいし。まあ食ってみるか。


「……。……ん?」


 口を動かし、まんべんなく舌の上で肉を転がし、しばらく口を動かしたあと飲み込んだ。……どういうことか、まったく意味が分からないのだが、味が……。俺が想像していたようなものと、ぜんぜん違う、というか……。


「おっ……。口に。合いません……よね」


 震える声と、いまにも泣き出しそうな表情かおで、ファレイは言った。

 俺は背中に冷たい汗をかきながら、唇についた油を、短く出した舌でなめ取ったあと、返した。


「……うん。悪いんだけど。……不味い」


 次の瞬間、ファレイはわっ……! と泣き出して床に伏し、そのまま土下座を始め、ことの経緯を説明し始める。なんでも手順自体は、買い込んだ本やネットで調べたレシピですぐに覚えたのだが、何度やっても美味しくならなかったとのことだった。そしてそれは唐揚げだけでなく、ほかのものも。目玉焼きですら、そうなったらしい。


「ぎっと……! ひぐっ! ゼイラスじゃまもっ! うぐうっ! わじゃじがぜんぜんざいのうばびばら! 料理をぎんじされたのだと……!! うううっ!!!」


 ぼろぼろ涙を流し、くしゃくしゃになった表情かおで俺に訴える。所々聞き取りにくかったが、セイラルおれが料理を禁止してたって? 才能がないから? しかしそんなもの、プロ並みはともかくとして、ふつうのものくらいなんとかなるだろう。……そもそも、何度やっても目玉焼きすら【不味くなる】のは才能とかそれ以前に、なにか理由があるとしか思えない。ただ割って、フライパンに落とすだけなんだから。


「……ちょっと。卵を割ってみてくれないか。ただし、ゆっくりだ」


「……びえっ?」


 俺は返事を待たず、ファレイの顔を自分の茶色ハンカチできれいに拭き、おろおろする彼女を立たせると、唐揚げのために用意していた卵の残りから、ひとつ手渡す。

 ファレイはなにか言いたげだったが、俺が空いた別ボウルを差し出すと、やむなくと言ったふうにそれで卵を、先ほどのような神スピードではない、ゆっくりとした動作でコンっ……と叩き、ヒビを入れた。そのとき、俺はファレイの指から、銀色の光がわずかに出ていたことに気づいた。


「……お前。魔力が出てるぞ。ずっとそうだったのか?」


 俺の指摘に、ファレイは「えっ……? そ、その……!」と自分の手を見る。それから、ひび割れた卵をボウルの上でぱかりと開いたが、やはりそのときも、うっすらと手が銀光を放っていた。


「やっぱり出てる。紅茶の時はどうだった?」


「……そ、そういえば紅茶をお入れする際は……そのようなことはなかったように。も、もしかしてそれが原因なのでしょうか? し、しかし私自身は、紅茶と料理で区別をつけたつもりはなく……! いまも魔力を放とうとしたつもりもなくっ! ……い、いったいどうすれば!!」


 ファレイは急に詰め寄ってきた。俺はまた【エプロンショック】が頭をよぎったため、慌てて身を離すと言った。


「待て! そもそも魔力……、買い物のときも言っただろう? 放出が多すぎるって。だからコントロールだ、たぶん。ともかくいまは、あの買い物に行く前のときみたく、魔力を意図的に抑えるようにしてみてくれ。それで、それを維持したまま卵を焼いてみて欲しい。……魔力が放たれているかどうかは、俺が見ておくから」


「わ、分かりました! 頑張ってみます! よろしくお願いいたします……!!」


 ファレイは力強くうなずいて、深呼吸してから別の小ボウルを持ってくると、そこへ卵をふるふると近づける。そしてコン、コン……と叩き、中へ落し入れた。


「魔力は……出ていませんでしたか?」


「出てない。そのまま、それをフライパンに落として、焼いてみてくれ」


「……はいっ!」


 はっきりと応えて、壁にかけていたちいさなフライパンをガスレンジに置くと油をひく。そして少しの間温めたあと、ボウルの卵を流し入れる。ジュワアア……と、美味しそうな音がキッチンに響き、わずかな時間で、ぷりんとした黄身と白身がほどよく固まった、きれいな目玉焼きが出来上がった。


「……お、お願いいたしますっ!!」


 皿に移し、しょうゆをかけた目玉焼きを俺に差し出す。それを受け取って、俺は箸で白身をひとかけら切り分けると、ゆっくり口へ運んで食べた。


「……。めっ……ちゃくちゃ、美味い」


「……!! ほっ……!! ほほほほほほほほほんとうでございまっするかっ!!!???」


 大声を上げて、「――たっ! 大変失礼いたしますっ!!」と俺が持つ皿から、別の箸で白身を切り取り、自分の口へ運んだファレイは……みるみるうちに頬を赤く染めて口角を上げ、やがて泣き出した。


「……やっと……!! やっときちんとしたものが……!! セイラル様っ!! ありがとうございます!! ありがとうございます……!!」


 泣きながら、何度も礼を言い頭を下げ、しかしすぐに、「こ、この感じを忘れないうちに!! すみませんセイラル様!! 唐揚げを作り直してもよろしいでしょうか!!?? あっ! で、でももうお肉がっ!! あああああああああああっ!!」とその場であたふた、床を踏み鳴らす。俺はこの、近所迷惑極まりない弟子の所業を「落ち着け! まだ店は開いている!」と制したあと……ひとり、こっそり。

 昔、じいちゃんにはじめて料理を誉められたことを思い出して、胸を押さえた。


     ◇


「……美味しい。美味しいですね、セイラル様っ!!」


「ああ。美味い。……死ぬほど美味い」


 あれから一時間半後。居間にて。俺はにこにこ唐揚げをほおばるファレイと座卓で向き合い、唐揚げをメインとした夕飯をともにしていた。


 ちなみにファレイは、料理の際の汚れてもいい服から、「セイラル様と夕食をともにするのに、こんな格好ではっ!!」と俺の言葉を振り切りまた着替え、今度は袖が七分で襟ぐりの広い、白いヒザ丈ワンピースになっていた。

 料理よりも汚す危険はないとはいえ、少しのシミがついても不味いようなきれいな服だったが、「これがベストなのです!」と言わんばかりの気迫を感じたので、もうなにも言わなかった。……無茶苦茶、似合っていたしな。


 そして肝心の料理はというと、唐揚げのあとに作ったじゃがいものサラダや味噌汁も、どれも恐ろしいほど美味く、ひいき目なしで、俺が日本一だと思っているじいちゃんの味に匹敵するレベルになっていた。とうぜん、俺の味などはるかに飛び越えていたので、若干複雑な気持ちではあったが……。

 まあ、ただの目玉焼きでもあんなに美味かったんだし、これは才能だろうな。あのとんでもない動きといい……。ほんとうに、魔力が邪魔していただけだったとは。


「セイラル様! サラダもどうぞ! 私が作りました!」


「ああ……。食べてるよ。美味い」


「お味噌汁もどうぞ! こちらも私が作ったんですよ!」


「飲んでるよ。めっちゃ美味い」


 何度もやり取りしていた言葉を繰り返す。ほんとうにファレイは嬉しそうで……。それはただ料理がうまくなったからではなくて、セイラルおれを喜ばせることができたからだろう。俺は唐揚げの旨味を口の中いっぱいに感じながら、そこでふと、過去のセイラルおれのことを思った。なぜこんなに喜ぶのに、料理を……。いや、魔力のコントロールを教えていなかったのかを。


 紅茶を入れさせていたのは、教え始めたさいしょから、その最中に魔力が無駄に出ることがなかったからだと思う。で、めきめき上達した。同じように料理も、おそらくさいしょはセイラルおれ自身か、前の従者であるハーティという魔術士が教えようとしたのだろうが、どうもそちらは、魔力が暴走気味になると判断した。

 しかしそんなことくらい、指摘も修正もできたはずだ。現にただの人間である【緑川晴おれ】ですらできたのだから。と、いうことは意図的に、そうさせまいとしたとしか思えない。ほかの魔術士とは違って、ふだんから魔力を放出気味の状態を見ても。


 つまり、ファレイを魔術士として見た場合のメリットが、【魔力のコントロールを覚えさせないほうにあった】のではないのか――と。魔術のことがさっぱり分からない俺には、その辺りは皆目見当がつかないので、想像でしかないが。しかし……。


     ◇


――魔力値23万6千3百3十3。クラス6Sシックスエス中位【相当】。クラス1Aワンエーの魔力値上限を8万以上も上まわっている――


――……やはりあなた。魔神からミハークの精と同化する禁術の手ほどきを受けていますね――


――……おかしなのは師匠譲りというわけですか。――正気ではない――


     ◇


――……――業火ごうかに沈めっ!! アル・パーデイション!! ――


     ◇


「セイラル様! 食事のあとのデザートはどうしましょう! 先ほど肉を買い足しに行った際、プリンやケーキなども買ってきましたが……」


「えっ? あ、ああ……。そうだな。それもいいけど、お前はお酒のほうがいいんじゃないのか? 楽しみにしてたっぽいし」


 思索の海から急に引き上げられた俺は、ふと酒のことを思い出して口にしていた。するとその言葉に、ファレイの動きが止まる。彼女も、どうやら忘れていたようだ。


「あっ……、そ、そういえばお出しすることを忘れて……!! ああああああ料理にも合ったはずなのにいいいいいいいっ!!」


 頭を抱えて叫んでいたが、「……! い、いえ! まだお肉もサラダも……! それにおつまみも!! しょっ……、少々お待ち下さいませっ!!」と超スピードで立ち上がってキッチンに消えた。そして、そういえば、つまみも買ってたんだったな……と俺が思う間もなく戻ってきて、座卓から不要になった皿を下げると一瞬で酒とつまみを並べ終えた。きちんと、俺のグラスにもいで。

 すでに正面で正座して、自身のグラスにも酒……ロドリーお勧めの『酩酊斬めいていぎり』をぎ終えたファレイは、いまかいまかと俺の言葉を待っていた。なので苦笑して、「じゃあ、飲もうか。……乾杯」と、グラスを差し出すと、ほどなくカコン……と優しい音がなり、満面の笑みが目に入った。


「……美味いな。さすが先生のお勧……」


「さすが セ イ ラ ル 様 に 選んでいただいたお酒ですっ!! とてつもなく美味しいです!! すごく飲みやすいですし……!」


 俺の言葉を打ち消して叫ぶ。ロドリーへの対抗心があっての言葉だったが、それから愚痴が続くことはなく、彼女はただひたすら、全身全霊をもって久々の酒の美味さを味わっていて、比喩ではなくその体は震えていた。……そこまで好きだったとは。


「なあ。魔法界には日本酒なんてないと思うけど。その反応だと、酒の味はそこまで変わらないのか?」


「そ、そうですね……! 人間界のものについては、私はきょうが初めての飲酒でしたが……。ほかの魔術士ものに聞いた話の通りでした。種類に差はあれど、【酒】の美味さには違いないと」


 そう言って、くいくいやってはおかわり、ぱくぱくハムをつまんでは、くいくい……。じいちゃんと、その交友関係を間近で見てきたから、いろんな【酒飲み】は知ってるけど。こんなにハイペースで飲む人は皆無だった。魔術士だからか? それともファレイが特別なんだろうか。

 つまみは個別に取り分けられているが、ひょっとしてすぐ自分が平らげてしまったら申し訳ないと思ったからか? という想像を裏づけるように、新たなハムを取り出し皿に置いていた。酒は、もう半分ない……。


「……はっ!! も、申し訳ございません!! あ、あまりに美味しく、久しぶりだったもので、つい……っ!! も、もう残りは飲んでいただいて構いませんので!!」


 と、俺の視線に気づいたのか、急に酒瓶を両手で差し出してきた。……半泣きで。いままでのを見ていると、飲みすぎて申し訳なくて半泣きなのか、もう飲めないから半泣きなのか、まったく区別がつかない。


「いや、いいよ。俺は一杯だけで。飲めるというだけで、あくまでじいちゃんとか、その友達の付き合いで引っかけてただけだし。残りも飲んでくれ」


「し、しかし……! 主を差し置いて従者が飲み干すだなんて……。そんなことはあるまじきことで!」


「……これは、言える範囲でいいんだが。かつてのセイラルおれは、お前と酒を飲んだこともあるんだろう? そのときはどうだったんだ。俺も、お前に負けないくらい飲んでたのか」


「……はっ! あ、あの……その……っ! それは……っ! その……。お、お叱りを……」


「……。お叱り?」


「は、はい……。『俺の分まで飲む気か!』……と。取り上げられたことが幾度……も」


「……――ぶふっ!! あっはっはっはっは!!! なんだそれ……!! 『従者が飲み干すのはあるまじき!』とか言ってたのに!! あははははは……!」


 俺が爆笑していると、ファレイはかあああ……っ! と耳や首まで真っ赤にして、「あっ……う、うううっ……!!」といよいよ縮こまる。……きっと楽しかったんだろうな。その時間は。


「よかったな。いまのセイラルおれが酒飲みじゃなくてさ。ほんとうに、二杯も三杯も飲めないから飲んでくれよ。足りないならコンビニでビール買いに行ってもいいぜ」


「と、とんでもございませんっ!! 本日は、これで十分でございますゆえっ!! で、ではありがたく頂戴いたします……!!」


 居住まいを正し、深々と頭を下げると酒瓶を掲げたあと、徐々にそのきりりとした面持ちは崩れてゆき……。グラスに新しくそそぐときにはもう、にこにこした表情かおに戻っていた。


     ◇


 そうして、一時間後――。


「……かー……っ。くー……っ。はーっ……」


 にこにこ酒をハイペースで飲み続けていたファレイは、いま口を半分開けて、畳にひっくり返って寝息を立てており、俺は途方に暮れていた。

 最後の一杯を飲み終えた瞬間、とつぜん糸が切れたみたいに、ばたんと倒れて寝始めたのだ。


 さいしょは焦ったが、どう見てもふつうに寝ているだけだったから、ほっとはしたが。一本けたとはいえ、相当酒が強そうに思えたのに……。久しぶりだったからかな。いろんな意味で。しかし……。


「はーっ……。かーっ……。うううん……」


 かの【クールビューティ】のかけらもない、だらしなく半口を開けた見事な酔い潰れっぷり。これが風羽だなんて、学校のだれも信じないだろうな。ははっ……。

 いまの白いワンピースに着替えた直後は、彼女の白魚のような肌と相まって天使のようだったが、もう酒でデコルテまで赤く染まっていたから、汚れのない天使というよりは、とてつもなく色っぽい人間のそれだった。


 なのでほんとうなら【エプロンショック】のように、ドキドキするのだろうが。そんな気分ではまったくない。それどころかすごく安心する寝顔で、落ち着いていた。まあ口も半開きだし、よだれも少し出てるんだけど、それでもたぶん、ふつうの男が見たら平常心ではいられないと思う。

 しかし俺は【この寝顔を何度も見たことがある】のだ。間違いなく。主として。……保護者として。


「『俺の分まで飲む気か!』か。……そりゃ言うだろうな」


 ひとりごち、笑いながら頭をかく。そして時計を見たあと、意を決してファレイを抱きかかえ、隣の部屋と隔てる襖を開けると、掛布団をめくり、寝かせた。


「……イラル……様。……」


 目は開いていない。寝言だった。俺は息をはいて掛布団をかける。そうしてじいちゃんに電話をかけるため立ち上がろうとしたら、シャツの裾をファレイにつかまれた。


「……かないで。……」


「……?」


「置いて……ないで。……いかないで――」


 ファレイの唇は震え、目の端には涙がたまっていた。俺は喉の奥が熱くなり、そのままじっと、彼女の表情かおを見つめていた。……寝言だ。けれど、いまのは……――。


 力が抜けて、再びベッドの端に腰をおろした。そして裾をつかんでいるファレイの華奢な手を、優しく離して布団へ戻す。それから指で、彼女の涙をぬぐうと……。そのまま髪に触れ、無意識のうちに――……ぽつり、ちいさく、歌をくちずさんでいた。


ようこそお越し下さいました

さあ いまからはとっておきを

めったに出さない紅茶です

これでふたりで夢の時を

酔いの時を 


紅茶で酔うのはおかしいですって?

それはあなた 知らないからです


そう 酔うもとは心の中に

今宵こよいはあなたがいるから

私とあなた どうしたって

酔わずにはいられない


月よ 星よ 最高の夜

浮かれ気分もご容赦を

きっと今夜限りのことだから


そう 酔う時は たったいま

出会いと別れのせめぎ合う

あなたと過ごすひとときよ


空がせいても お気にせず

いま時は 私たちの手の中に

世界でいちばん 美しい

あなたと過ごすこの時よ


そう 酔う種はふたりの中に

一度きりの 私たち

熱い時よ



「……。いまのは――……」


 歌い終えて、俺はファレイの髪から手を離す。そしてそのまま、手を自分の口に当てた。……歌は、セイラルおれがよく歌っていたものだ。酒の席で。ファレイや……ほかの従者にも。


 しかしそれは、元々は、【俺もあの人に】――……。


     ◇


     ◇


――どうしようもないガキだな、君は。いつまで経っても……。仕方がない。餞別せんべつに私の名をくれてやろう――


――名字のほうじゃないぞ。期待はなしだ。私は君と婚姻こんいんする気はないのでな。何度も言うが、年下には興味がないんだ。……ともあれ、ありがたく思えよ。きょうから君は【セイラル・マーリィ】だ――


――ヴィースの名字は、君がこの私――【魔神マーリィ・レクスゥエル】を超えられたときに、再び名乗るといい。可能ならな。それまでは、どこかにしまっておけ――



――……じゃあな。出来損ないの弟子――


     ◇


     ◇


「…………――マーリィ!」


 俺は叫び、いまはっきりと頭に浮かんですぐ消えた、いつか夢で見たのと同じ――長い長い青髪と、藍のマントをなびかせる女の姿を、目の裏に焼きつけようとする。しかしそれも、ぽろぽろとペンキが剥がれ落ちるように、鳴った言葉もろとも消え失せて、俺にはただ全身の震えが残された。


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