第47話 酒と建前とルーズな男
ファレイにはふたつの【顔】がある。
ひとつは高校生の【風羽怜花】としての顔。学年一の美【少女】で、誰にも気安さを許さない孤高のオーラを放ちつつ、しかし決して棘を向けるわけではない、陰では【ポーカーフェイス・ビューティ】と呼ばれ親しまれている人気者のそれ。そしてもうひとつは、魔術士【ファレイ・ヴィース】の顔だ。
かつて魔法界で【魔神セイラルと】呼ばれた(らしい)緑川晴の現従者にして【最強のA】と呼ばれる凄腕魔術士の【女】としてのそれ。そちらは寒気がするほどの冷徹さと、対象の肚の奥まで突き刺すような激情を併せ持った、そこいらの人間では持ちえない経験と能力に支えららた大人の姿だ。その両方を知っている俺からすると、いまのファレイが出している【顔】は……。ふたつが複雑に入り混じった、とても混乱したものだった。
それを感じ取った――おそらくそんな表情にさせた張本人である――和井津先生ことロドリー・ワイツィは、
「そんな表情しないでよ。私は買い物に来ただけなんだから」
と、ため息をついて苦笑い、引き続き酒の棚を眺めて吟味し始める。ファレイはロドリーの反応に歯ぎしりしながら、その美しい声を低く絞り出すように言った。
「ここはあなたの生活圏ではないと思いますが。ほんとうにただの偶然でしょうか」
「偶然よ。あなたたちと会うのはね。生活圏でないのはその通りだけど。よく調べてるわね」
ロドリーは自分を睨みつけるファレイの後ろに立つ俺に目を向ける。それからまた、ファレイに視線を戻してつぶやいた。
「きょうは【従者としての仕事】をしてきたのよ。突っかかられても面倒だから言うけど、緑川君の自宅とお祖父さんの古書店に結界を張ってきた」
ファレイは目を見開いた。俺は瞬き、酒瓶を手のひらで転がすロドリーに、たどたどしく漏らす。
「あの、それは……。もしかして、学校にカミヤが張っていたよう……。……いや、違う。と、いうことは……?」
俺は学校食堂前での、カミヤとローシャの一件を思い出す。カミヤが張っていたのは、人間からの目隠しとしての結界だ。だが人間から俺の家を隠しても意味がない。だとすると、つまりは……。
「そう。カミヤが張っていたのは対人間用。魔術士としての荒事を隠すためのものね。いっぽう私が張ったのは対魔術士用。つまりはあなたのお祖父さんと、【緑川君としての生活】を守るためのものよ」
ロドリーは酒瓶をカゴに入れる。そして呆然とする俺と、いつの間にか拳を強く握ってうつむいていたファレイに言葉を投げた。
「前に言ったけれど、私が得意とするのは結界術でね。さっきあなたは、僕ちゃんが学校に張っていたのは、って漏らしたけど。もともと学校全体に私の結界が張ってある。危機や異変を感知するためのものと、ある程度の魔術強度をもった魔術防壁、そして私の魔術を発動しやすくするためのものをね。……まあ魔法界で私はすでに死んだことになってたから、あまり必要はなかったんだけど。いまの事態を考えると張っておいてよかったかな。ともあれあなたの家にもそういうものを張ってきたということよ」
「……あ、ありがとうございます。それは、いちばん心配していたことなので……」
「いいえ。また後日に、幼馴染ちゃんのほうにも張っておくわ。あと、ふたりの友達の家にも」
ロドリーは手をひらひら振って、また別の酒瓶を手に取った。……もう、人間関係もほとんど把握されているんだな。まあファレイもそうだったから分かってはいたけれど。
俺は息をはき、ファレイを横目で見る。いまファレイが浮かべる表情は、すでに風羽怜花のそれが混ざることはなく――。ただ【セイラルの従者、ファレイ・ヴィース】として、【第二従者、ロドリー・ワイツィ】に後れを取ったがゆえの苦悶の表情で。そして恐らく、【彼女と比べていま自分がしていること】をも顧みての……情けなさと、自身への怒りが入り混じったものだった。
俺はファレイに声をかけようとしたが、うまく出てこず……。その沈黙を呑むようにスーパーのBGMと人の騒がしさが辺りを包んだ。そんな俺たちをロドリーは横目で見ていたが、そのまま三本目の酒瓶をカゴに入れた時――。ふいに言った。
「ところであなたたち。お酒は飲むの?」
「「……はっ?」」
とつぜんの問いかけに、俺とファレイは同時に声を上げた。それからまた同時に顔を見合わせて、ファレイは顔を赤くしてからロドリーに向き直り、やや興奮して言い放つ。
「セ、セイラル様はいま17……、人間界の高校生の立場であられるのですよ!? なにを馬鹿な!! そして私も立場を同じくしてるゆえ、飲むことなどありえませんっ!!」
「と、いうことはまさか人間界に来て一度も口にしていないってこと? よく我慢できるわねえ……。いまの言い方だと飲めないわけじゃなさそうだし。もしかして以前のセイラルが禁酒令でも出してるの」
「た、ただ私が自制しているだけですっ!! 人間界での常識はもとより、いざという時に、酔って乱れたりして、不覚を取る可能性が少しでもあるならば、そんなことは……! 従者としてあるまじき……!!」
ややムキになってまくし立てる。もしかして、この感じは……。無理をして我慢し続けてるってことなのか? それは何年になるんだ。じいちゃんを含めて、俺が知ってるの大人は皆酒好きだから分かるけど、それってかなりきついんじゃないのか……。
「あるまじき、ねえ。……緑川君、じゃなくてセイラル。たぶんこの子、かなり飲むか好きな口だと思うわ。あなたが許してあげたら? 私なら断酒なんて冗談じゃないし。従者に禁止令なんか出されても困るしね」
カンカン、と指で棚の酒瓶を軽く叩き、俺を促す。俺は頭をかいてからファレイを見るが、俺が口を開く間もなく、「――いっ! いいいいけませんセイラル様! 彼女の言うことはどうかお気になさらず! 私はぜんぜんまったく大丈夫ですので!!」と、酒の棚を歯ぎしりして見つめたのちに、背を向けて唇をかんだ。……ぜんぜん、まったく、大丈夫じゃ、ない……。
「えー……っと。先生。ちょっと頼みたいことが」
「ロドリーでいいわよ、学校の人たちがいないとろこでは。ちなみにそっちの時は【呼び捨て】【タメ口】【お前】で。そもそもあなたにロドリー呼びされて【あなた】とか、敬語を使われるとか気色悪いし。……なに?」
俺は、「いや、さすがにタメ口は……」とかぶりを振ったが、思い切り無視されて、また酒瓶の棚を見始めたので、ため息をついて続けた。
「……ロドリー。その、酒の会計を頼めます……、頼めるか? 俺たちはレジで引っかかると思うから」
ロドリーと同時に、ファレイがこちらを振り向いた。そしてファレイは口をぱくぱくさせていたが、言葉を発する前に俺が言った。
「別にさ。飲んでもいいと思うよ。そりゃあおおっぴらには不味いけども。その、前はふつうに飲んでたわけだろ? じっさいは充分【大人】なわけだし」
「し、しかし……! 今夜は料理を教えていただくわけで! そんな折りにお酒を求めるなど……! ま、学ぶ者の態度としてあるまじきものでっ!」
「いや、いや。そのあといっしょに食べるんだし。酒が好きならあったほうがいいだろ。……魔法界での生活では、セイラルが飯を作ってたって言ってたけど。その作った飯を食べる時、ふたりで酒は飲まなかったのか?」
「……――っ! そ、それは……! の、……」
「……の?」
「……。飲んで……おり……、ました」
だんだんと声をちいさくしつつ、気まずそうに顔をそむける。俺は居心地の悪そうなファレイの顔を見て少し笑い、言葉をつむいだ。
「ならOKだな。もちろん俺も付き合うよ。それでいいだろ? ……それとも俺だけ飲ませるつもりかぁ?」
「……!! そ、そんなことは!! し、しかしセイラル様は、お酒を……、【晴様は】、大丈夫……なのですか?」
「ああ。そんながっつり飲んだことはないけど。種類は多いな。ガキのころから、俺の周りにいる大人はだいたい【不良】なんだよ」
苦笑して手を上げる。それから、「なにがいい? 任せるよ」と酒瓶の並ぶ棚を指差した。ファレイは笑顔と苦い表情とで綱引きしたようなこわばった表情のまま、「そ……、そそそそそれではしばしのお時間をっ!! お待ちくださいませっ!」と言い切ると、ほどなくして雨雲が去りゆき輝くを取り戻す空のように、みるみるうちに喜びの笑みを浮かべたのち、今度は一転、真剣な表情になって棚に釘付けとなる。……ほんとうに、むっちゃくちゃ我慢してたんだな。……なんか悪いことしたなあ。たくさん飲ませてやるか。もし酔いつぶれても酔っぱらいの介抱は慣れてるしな。俺はそんなに飲むわけじゃないし。だが……。
俺はぼんやり、棚にはりつくファレイを見ながら考える。量はそれほどとはいえ、ガキの時分から。わりと度のきつい酒を飲まされても平気でよく驚かれたのは、【そういうこと】だったのか。やっぱり、【肉体がほんとうの意味で若返ったわけじゃない】んだな。いかに魔術といえど、そんなものが――。永遠の生命を保つような技なんて、この世にあるわけない……。
俺は心臓の少し上に手を当てる。ロドリーが【魔芯】と呼んでいた魔術士の心臓ともいえるべき場所。いまも俺の【魔芯】は息づいているのか。……いつか、目覚める日を待って。
「あなたたち、料理を作るって。それ、どこでするの。まあ緑川君の家なわけがないから。あの子の家ってこと?」
ふいにロドリーが俺のそばに寄って、耳打ちするようにささやく。俺はぎょっとして身を放し、それから慌ててかぶりを振ったが、「あ、いや……! その、まあ、……はい」とけっきょく肯定する。なんか嘘ついたってバレそうだしなあ。というか嘘をつきにくいんだよな、この人に見つめられると。
「ふーん……。それでお酒も飲むと。あの子ひとり暮らしよね。それはちょっと、教師としては。和井津としては見過ごしにくい案件よね。……どうしようか」
「……えっ!?」
急な言葉に俺は後ずさる。い……、いまさらそっちの立場を~っ!? っていうか待て。……違う! 酒? 酔いつぶれても介抱!? ……お、俺はなにを……!! よくよく思ったら、とんでもないことになってるじゃねーかっ!!
「セ、セイラル様!! こちらの『酩酊斬』という日本酒と、こちらの『ブラック・ネオ』というウイスキーと、どうしても私では甲乙つけがたく、決めがたく……っ!! よろしければ決めていただけないでしょうかっ!!」
きらきらした目で俺に寄ってくる。まるでアクセサリーの購入を迷う女子高生が、、店で彼氏か友達に尋ねるような、無邪気な……――じゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! 手に持ってるのは酒だっ!! 【ひとり暮らしの女子高生】の部屋に上がって飲ますもんじゃねーーーーーーーーーーーーーっ!!
「あっ、あのなファレイっ!! もうしわ……」
と、言いかけたところでロドリーが、「私のお勧めは『酩酊斬』ね。まろやかだし、味が深いわりに二日酔いになりにくいわよ」とファレイにアドバイス。ファレイは、「……! あっ、あなたには聞いてお・り・ま・せんっ! 私はセイラル様にお尋ねしているのですっ!!」と怒り、再び輝く瞳で俺へ接近する。ハンチング帽に黒縁眼鏡で地味にしているのに、決して隠せない美に圧倒的な存在感。オーラがマシマシで、甘い香りまで鼻をくすぐり、……とうとう圧に負けて『酩酊斬』を指差してしまう。
「承知いたしました!! ではおつまみも買わねば! セイラル様、再びで恐縮ですが――どうかしばしお待ち下さいませっ!!」
と、叫ぶや否や姿が消えた。『酩酊斬』は、残された俺たちのカゴに入っていた……。
「まあ、あれを邪魔したら殺されそうよね。やっぱり【和井津】は引っ込むことにするわ」
ロドリーは苦笑して、『酩酊斬』を持ち上げると自分のカゴへ移動させる。それから「ビールも要る?」と聞いてきたので、俺は力なく首を振った。
「……。アイツ。ほんとうに……自分の魅力を分かってないんだな。緑川のことも」
「確かに【緑川君】のほうのことはね……。あの子の感じだと、人間男子の意識や生理にはぴんと来ていないんでしょうし」
淡々とロドリーはつぶやく。俺はやや訝し気に言った。
「リフィナー……でし……、だったっけ。魔法界の人たちは、人間とはやっぱり、大分違うのか」
「まあ、知的生命体としての質も方向性も違うわね。だから欲を律する法、それを含めた社会システムもかなり違うものとなっている。その辺はまたいつか【授業】してあげるわ。だからいまは、いまのあなたに関係しそうなことだけを教えてあげる」
ロドリーは俺に近づき、心臓の上……【魔芯】があるところに指をつける。そして俺の目を見据えて言った。
「リフィナーはね、人間と比べて愛が長いの」
「愛が……長い?」
「そう。他者を求めてひとつになりたい欲が、人間よりも切実で真剣、そしてなかなか消えないの。それは種を存続させたいからというよりも、存在の欠けた部分を埋めようとしているからよ」
ロドリーは指を強く押す。その圧力は、俺の喉の奥まで届いて息がつまる。
彼女はそんな俺を見つめながら続けた。
「この世のすべての存在は不完全で、だからこそ他者を求めて、その欠損を、いびつさを埋めようとし続けているということをリフィナーである私たちは感じていて――その欲望こそを【愛】と呼んでいる。たとえば、人間と同じように性欲はあるけれど、ほんとうに埋められる相手でないとあまりそれは沸いてこない。そして【ハマる】相手ならば……――。たとえ老病怪我で姿形が変わろうとも性欲も、愛も消えることはない。ずっと。……私たちの【好き】は、人間たちよりもミーハーではないという言い方もできるわね」
俺は唾を飲み込んだ。ロドリーは眼鏡の奥から俺の目をじっと見据えて、やがてその光を閉じて消すと指を離す。
「もちろん【愛】のない結びつきもある。政略結婚とか、打算の関係とか。そして浮わついた愛も、ただの性欲解消のための、方便の愛も。その辺は人間と同じだけど、人間は――たとえ純粋で熱心な愛を持つ者がいたとしても、何十年、何百年も同じ相手を同じように想い続けることはできないんじゃないかしら。……私たちのように百年以上の寿命があったとしても」
「……。寿命の長さが理由ではないってことか?」
「ええ。人間と私たちの大きな違いは魔力があるかないか。つまり精霊という存在を認識しているかどうかだから。愛の長さに理由を求めるなら、精霊の趣味を受け継いでるってことじゃない? 魔術学者とか熱心な精霊信者に言ったら殺されそうだけど」
ロドリーは鼻で笑う。だがすぐに真顔になり、俺に近づいて――。
「あなたも知っているはずよ、セイラル。リフィナーの愛のことは。この世に生きる誰よりも、ね――」
と、ささやいて身を離した。その時、「おっ、お待たせいたしましたセイラル様っ!! そして申し訳ございません、またご助言を頂けませんでしょうかっ……!!」とハムとチーズを両手に持った笑顔のファレイが帰ってきたので、俺は胸の高鳴りを必死に打ち消すために、「……よっ、よーっし任せとけ! どんなヤツだあ~っ!?」とわざとおおきな声で言って、それから商品をふたつとも受け取った。
◇
「じゃあこれ。代金は別にいいわ。その代わり、今度は私も飲み会に交ぜてね。もちろんサシでもOKよ。私もひとり暮らしだし。その時は私の部屋でも」
と、店の外でロドリーが、代わりに会計してくれた『酩酊斬』を俺に差し出した。が、ファレイがものすごい勢いで千円札を四枚突き出し、
「お釣りは結・構・ですので!! 今後は二度と!! そのような世迷いごとを仰らないで下さいっ!!」
と、無理やり札をロドリーに握らせて、俺に差し出された酒瓶は自身の持つ袋にしまった。ロドリーは両手を上げて苦笑したのち、長い前髪をかき上げて言った。
「飲み会はともかく。近いうちに集まる必要はあるわよ。前にも言ったけど私を殺しに来る輩が、そろそろミティハーナから差し向けられるだろうから。……セイラル、覚えてる? あなたと契約をしたら、私の生命が助かる可能性が上がるって言ったのを」
「……ああ。そういえばその理由をまだ聞いていなかったな」
俺を殺しに来たローシャとカミヤを半殺しにして退けたロドリーは、ふたりの国である魔術士大国のミティハーナから、きっと刺客が送られてきて、このままだと自分は殺される可能性が高いと言った。そして、セイラルと主従契約を結べば、助かる可能性が上がると。
「まあ、ファレイ・ヴィースは知ってることなんだけど。かんたんに言うとね、だれかの従者であることで、使える魔術の質が上がるのよ」
ロドリーは袋を持たないほうの手を地面へ差し向け、「創術者及び執行者はロドリー・ワイツィ。調べを通せ。――エンディクルヴォーク」とつぶやく。すると床ブロックのひとつが、鈍い音とともに【消滅】した。
「いまのは音の打撃を与える魔術だけど、あなたの従者でなかった場合、ブロックは砂になるくらいのもの。ただ威力が上がっただけじゃなくて精度も段違いに上がる。ちなみにいまみたく主がそばにいる時のほうが上昇率は高い」
ロドリーは、ぽっかり空いた四角い穴に再び手をかざして、「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はロドリー・ワイツィ。虚を埋めよ。――シーディス」とつぶやく。すると瞬く間に穴はふさがった。修復というよりも、まるで時間を巻き戻したかのように。明らかに、前に食堂前を修復した時よりも精度が上がっていて俺は唾を飲む。ファレイは真顔でブロックを見つめていた。
「うん。これなら、たいていのヤツらなら、なんとかなりそうね。そういうことだから。私のことにあなたたちを巻き込むのは若干気が引けるけど。その辺りは【主従関係】ということで許して頂戴な」
「……分かっております。従者は主を、主は従者を、従者同士はお互いを。打算ではなく相手への信頼と自身の誇りによって守り合う――。セイラル様の、魔術士としての誇りに関わることですから」
ファレイはしずかに言った。それから俺を見る。俺は頭をかき、同じように俺を見ていたロドリーに向かって言った。
「主従関係のことはよく分からないけど、俺にできることがあればもちろんするよ。そもそも、お前が命を狙われているのは俺たちを助けたからだ。事情を知り、契約をしたいま、それを無視するなんてありえないし。……あと、お前になにかあったら飲み会ができなくなるしなあ」
俺は腕組みし、ひとりうなずく。次の瞬間、ロドリーは目を見開いて、それから、
「……ぶっ! あっはっはっはっは! なにそれ……! 馬鹿じゃないの……あはははは!」
と大爆笑した。それで俺が「えっ……、い、いまなにか変なこと言った!?」とうろたえると、体にびりびりっ! とした刺激が走る。こ、この感触は……!
「……セイラル様。ロドリー・ワイツィとの飲み会の予定はご ざ い ま せ ん 。もちろん、セイラル様が お ひ と り で 彼女の ひ と り 暮 ら し の 部 屋 を 訪 れ て 、お酒を飲み交わすという予定もです。現在の彼女は高校教師であなたは高校生のご身分ですからね。主従関係とはいえ、どうか 現 在 の お 立 場 を ご 考 慮 さ れ た 行 動 を ――」
まだたきを一切していない冷ややかな両眼が、俺に眼光で穴をあけるがごとく向けられている……。俺は反射的にこくこくこくと高速でうなずいて、それでよくやく眼光ビームは鎮まったが、爆笑を終えたロドリーがファレイに、
「その弁で言うなら、彼が夜にあなたの部屋へ酒を持って訪れるのも見過ごせないんだけどねえ、【風羽さん】。その辺り、和井津として突っ込まれたくなければ野暮なことは言いなさんな。それに過度の束縛は悪手よ、男相手には。あまり知らないようだから、教えておいてあげる」
ぽんぽんと彼女の肩を叩き言う。ファレイはかあああっ……と一気に赤面し、羞恥と怒りが入り混じった表情でその手を払いのけ、「いっ! いいいいいまから行うのは料理の勉強会で不純なものなど 一 パ ー セ ン ト も ありえませんからご指導は不要ですっ!! それにお酒は料理っ!! 料理に使うものなのです!! …… で す よ ね セ イ ラ ル 様 っ ! ! 」と俺に詰め寄った。俺はまたしても高速首肯拳を繰り出して、それが十回を超えたところでファレイは、「ほらっ! 言いがかりはおやめ下さいっ!! ……ではこれにて失礼っ!!」と叫んで俺の手を引き歩き出す。引きずられる俺の耳に、「大変ね。いろんな意味で。……じゃあまたあした」とそっけない声が聞こえてきたが、ファレイの引きにより、振り返ってロドリーの姿を確認することはできなかった。
◇
そうしてアパートの前まで戻ってきて、ようやくファレイも落ち着きを取り戻したころ。俺は、「ほんとうに真っ暗になったなあ……」と、彼女が鍵を開けている時に、なにげなく腕時計を見て背筋が凍った。七時十五分を指していたからだ。【あとで電話すると約束した相手が希望していた時間】を一時間以上も過ぎていた……。
「――あっ! あのファレイっ!! 悪いけどちょっと俺、電話! 電話してくるっ!! 十分くらいで戻ってくるから待ってて!!」
「……えっ!? あ、あの、お電話でしたら中でも……」
開けた引き戸の中を示し、首を傾げるファレイ。俺は背中に汗を感じながら必死に(五秒間)考えた言い訳を口にした。
「あ……、いやちょっと! 【相手が】人に聞かれないようにって! そう言ってたからさ……! ほんとうすぐだから、着替えて待ってて!」
「わ、分かりました。そうであるらば、料理をするのにふさわしい格好に着替えてお待ちしていますね。……そうだ、セイラル様のエプロンもご用意せねば……!」
ファレイはそう言って中へ駈け込もうとするが押し留まり慌てて一礼、それから改めて中へ入り戸をしずかに閉める。俺はそれを確認したあと、おおきく息をはいてアパートの廊下を小走りで進み階段をおり、その陰で携帯を取り出すと、登録しておいた番号にかけた。その相手はワンコールで出た。
《……お前。いいことを教えてやろうか》
「……は、はい。なんでしょう……」
おずおずと俺は答える。するとちいさなため息のあと、相手は――。【優しく殺気のこもった声】で続けた。
《時間にルーズな男はな、魔法界でも総スカンなんだ、女からな。あと、寛容な女は大切にしたほうがいいぞ。甘いものを奢るとか。可愛いグッズを買って渡すとか。どこか楽しいところに連れていくとか》
「は、はは……。有益な情報をありがとうございます、ルイ様――」
と、俺は情けない声で、怒り度100パーセントの……。きょうの昼、知り合ったばかりの魔術士に言ったのち、愛想笑いを重ねて舌打ちされた。




