第46話 ――おっ! おおおおお待たせいたしましたっ!!
晩飯、もとい料理の作り方を俺が教えると言ったあと。俺たちは【ふたり】で、近所のスーパーへ食材の買い出しに行くことになった。のだが……。
「……。あの。ファレイ……?」
「……っ!? はっ、もっ、申し訳ございませんっ! もう少々っ! もうほんの少しばかりお待ち下さいませ……っ!」
「あ、ああ……」
と、開け放たれた引き戸の奥、居間からの焦った声に、気の抜けた返事をした俺はため息をつき、再びアパート外廊下の手すりにもたれかかると辺りを見る。
家々は街灯によって白い外壁と濃い影を浮かび上がらせて、そんな家々の隙間から見えていた神社を護る緑の木々も、同じように夜の海からすくい取られている。
買い出しに行くと決めてから二十五分。「準備があるので少々お待ち下さいませっ!」という言葉に従い、俺はファレイの部屋の前、アパート二階の廊下でひとり待ち続けていた。
◇
さいしょは俺がひとりで買い出しにいくつもりだった。
それはとうぜん、【風羽怜花】という学年一の美人、男女の区別なく多数のファンを抱えるアイドル的な存在といっしょに名もなき一般人である【緑川晴】が私服で歩いているところを学校のだれかに見られたら、互いに不味いことになるからだ。わざわざ風羽の……ファレイの結界を通って来たのも、そもそもがそういうことであるし。
いちおうクラスメイトには、はずみとはいえ【ネット友達】という体で交流があることは話しているが、それはいちおうのつながりを公表したのであって、放課後や休日……しかも日が落ちたあとに外をうろうろするような間柄という受け取られ方などだれにもされていない。それどころか、ほとんどの人間がネット友達ということすら疑問を抱いている。そのくらい学校における俺たちのヒエラルキーの差はおおきかった。
そういうことで、買い出しにいっしょに行くなどという発想は端からなく、加えて教える側だし、ファレイに細かく頼むよりも自分で必要なものを探す方が間違いもなく早いと判断して俺が手を上げたのだ。しかし、
「――!? あ、あああ主に使い走りのような真似をさせるなどっ!! 絶・対・にっ!! ありえませぬっ!!」
と、死ぬほど反対されたので、やむなく、「じゃ、じゃあ頼めるかな……。メモを書……」と言いかけたら、
「――あっ!! いっ! ……えいえいえっ!! そのでっ! でででできればふたりで! 行くことは可能でござりまっするでしょうかっ!!」
……と。土下座しながらの変な言葉遣いで猛烈に頼まれたので、「あ、はい……」と応じてしまったのだが……。ほんとうによかったのだろうか。
あの【はずみ】以来、ただでさえ俺はクラスで嫌われ気味に浮き始めている上、少し先の体育祭ではファレイ……風羽とふたりで二人三脚に出るということになっている。万が一目撃でもされようものなら、冗談ではなくなにをされるのか分かったものではない。俺の知名度はないに等しいが、風羽を知らない人間など学校にはいない。それはつまり、俺や風羽の知らないだれかがどこかから見ている可能性もある、ということだ。風羽の人気とはそれほどのものなのである。
本人はその自覚があるのかないのか、まったく頓着がないけれど。少なくとも俺といっしょに行動しているところを学校の連中に見られるのは不味い、ということだけは理解してくれている。その上で【ふたりで出かけたい】と言っているのだから、たぶんこの時間をかけた準備は、神社から自宅まで結界を張ったように、なんらかの魔術的な措置を取るためのもの……だと思う。
「しかし、ほんとうにしずかだな……」
俺はいよいよ手すりにもたれかかり、ぼそりとひとりごちる。
大通りに面していないので車の音もなく、時折通り過ぎる人や自転車のささやかな生活音が耳をくすぐる程度。俺はもたれるのをやめて袖を見た。するとそこには、はげた茶色の塗装が幾つもくっついていていた。
いま開け放たれている戸は金属製ではなく年季の入った木造の引き戸だし、廊下の灯りも薄暗い。あくまで【一般的な、人間の話】にはなるが、やっぱり女子高生がひとり暮らしするには防犯の面で不適切だと思う。
もちろんファレイは一般的な人間ではなくて、別世界の住人で。おそらくどんな人間が襲ってきても返り討ちにできる力はあるのだろうが、それは暴力行為に関しての話だ。
それ以外の治安的な面では……たとえばのぞきとか、盗難とか、つきまといとか、そういう点で不味いような気が、時が経てば経つほどしてきた。なんか言ったほうがいいよな、やっぱり。ほんとうに自分への働きかけについてはなんの関心もないんだよなあ。神社で俺が思わず「美人」って言った時にはものすごく動揺していたけど。それは……自分が忠誠を誓っているセイラルの言葉だから、だろうしな……。
「――おっ! おおおおお待たせいたしましたっ!! そ、それでは行きましょうかっ!!」
静寂を突き破る大声がして俺は振り向いた。するとそこには頬を赤くして目をきらきらさせるひとりの女が立っていた。
白のサマーニットが襟ぐりの広い白シャツと薄桃色のカーディガンに、薄桃色のロングスカートが白のチュールスカートに変わっていて……。うっすら化粧までしている。さっきまでの清楚な佇まいはそのままに、放つ光が十倍くらいになっていて……。もはやどう見ても一般人ではないオーラをまき散らす超絶美人がそこに立っていた。――おい、おいおいおい! 隠すどころか存在感がばりばり上がってるじゃねーかっ!!
「あ、あの……。つかぬことを聞くんだけど。いまこれ、自分になにか魔術をかけている? その、結界みたいな……」
「えっ? い、いえなにもっ! 神社からここまでの道へは結界を施してありますが、実は私、結界術はそれほど得意ではなく……。あちらを残したまま新たに結界を張ることは難しいのです。そして、自身の体に結界を張るというのはとても難しく、かつ、そうすると、まともに動くことはできなくなりますゆえ」
「……。そう。なんだ。……ということは、ほかの……。いや、なにもかけていないって言ったか。……あの、えっ? じゃあ、いままでなにしてたの?」
「は、はいっ! セイラル様といっしょにお出かけするのにふさわしい格好をせねばと! 精一杯の着替えを! あ、あと少々化粧も……。ふ、ふだんはまったくしないのですが、や、やはり失礼があってはならないので、逡巡の末……」
真っ赤な表情でうつむく。俺は青い表情で立ち尽くした。……マ、マジで着替えていただけなの……ね。話には聞いていたし、水ちゃんで若干知ってはいたけど。女の子の準備って時間かかるんだ……。――って、違ーーーーーーーーーーーーうっ!! 不味い! 不味いだろうがっ!! こんな王族と芸能人を足して三倍にしたみたいなオーラを出してるヤツと歩けるかーーーーーーーーーーーーーーっ!!
「い・ま・す・ぐ着替え直してこいっ!! 思いっきり地味にしてこーーーーーーーーーーーい!! あとカツラかサングラスか伊達眼鏡か……なんでもいいからさっさとしろーーーーーーーーーーっ!!」
俺は真っ赤な顔で叫んで引き戸を指差した。ファレイは、「え、ええっ!!?? な、なぜですかセイラル様!! お気に召しませんでしたかっ!!?? なら別の……!! や、やはりスカートの丈はもう少し短いほうが……!!」
「そういう問題じゃ・ねえーーーーーーーーーーーーーーっ!! なんのために家まで結界を張・っ・た・の・かっ!! よくよーーーーーーーーく思い出せっつーーーーーーーーーーーのっ!!」
「……。……――っ!! あっ……! あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
大口を開けて叫び、ファレイは石のように硬直した。それから「もっ……、ももも申し訳ございませんっ!! セイラル様と外出することのみで頭がいっぱいで、すっ、すっかりその点に関して抜け落ちて……!!」とわたわたまくし立て、フライング土下座をかまそうとしたので必死で制止、俺はファレイの口をふさいで無理やり部屋へ押し込み、「ズボンと帽子!! あればマスクか眼鏡っ!! 時間は五分!! 過ぎたら俺ひとりで行くからなっ!!」と言いつけて外へ出た。中からは「そ、そんな……!! はっ! はははは早く着替えねばっ!!!!」とむちゃくちゃ動揺した声と、どったんばったん騒がしい音が、静かな表に響いてきた……。
◇
そうしてきっちり五分後。ファレイは言われた通り目立たぬように黒ズボン、黒いハンチング帽と黒縁眼鏡という出で立ちで再登場した。
トップスもズボンに合わせて黒……ではなく、白に近いクリーム色の襟シャツを着ていた。せめてもの抵抗という感じが、いまのなんとも言えぬ表情と合わせてひしひしと伝わってくる。そんなに地味にするのが嫌なのか……。
「こ、これでよろしいでしょうか……。ほ、ほんとうにこんな格好で失礼はっ!?」
「ない、ない! ……格好はな。けどお前、その存在感はどうにかならないのか?」
「そ、存在感? ですか……」
「そうだ。相変わらず、むっちゃくちゃオーラが出てるというか……。人目を惹くんだよ。もし魔術の効果なしでいっしょに歩くのなら、せめてもう少しだけでも、それを抑えてもらわないと不味い」
ファレイは困ったように自分の出で立ちを見返して、服や髪を引っ張ったりした。美人というのも関係してるんだろうけど、どうもそれが根本的な原因ではないような気がする。だとすると魔力のせいだろうか。
だが同じように高い魔力を有するらしいローシャやカミヤには、これほどの存在感は感じなかった。和井津先生に至っては存在感がゼロだったし。でもロドリーと名乗ってからは別人みたいな空気感を感じたな。……ということは、もしかして……。
「……たぶん。その存在感には魔力が関係しているのだろうけど。抑えることもできるんじゃないかな。ほら、ロドリーは【先生】の時はぜんぜんだったけど、正体を明かしたあとは突き刺すようなオーラが出てたろ? ああいう感じで魔力を……、魔力の放出そのものというより、【広がり】を。あまり放射しないように内側に向けるようにしてみてくれないか」
自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てきて、俺自身もファレイも少し呆気に取られていたが、「わ、分かりました! やってみます……!」とファレイは真顔になり呼吸を整える。
ほどなくして、ファレイは銀色に一瞬発光したのち、光が消えてゆくのに従って、あの独特のオーラが少しずつ、少しずつ弱まってゆき、最終的には【彼女が隣に来ても思わず振り返らない】程度に収まった。
「お、おお……。それ、それだよ! すごい! やっぱり魔力が原因だったんだな……」
「た、確かに……。オーラというのはよく分かりませぬが、無駄な魔力の放出が収まったような気がします」
ファレイは驚いたように、自分の姿を確かめる。俺はその様子を見てふと口にした。
「魔力の扱いに関することなら、その、過去のセイラルに習わなかったのか? もし魔力の節約になるのなら、真っ先に教えそうなものだと思うけど」
「い、いえ……って!! あっ! い、いえすみませぬっ! お、お教えするわけにはっ……!!」
ぶんぶんかぶりを振り、後ろを向いてしまう。……教えていない、ということか。
【魔神】と言われるほどの大魔術士であり、ファレイや、思い出せないがハーティという実力者を育て、ほかにも弟子がいたという過去のセイラルならば、そんな基礎的なことを知らないわけがない。知っていて意図的に教えていないのか。弟子全員か、ファレイだけかは分からないが。……セイラル自身はどうしていたんだ? もし俺もそういうことをしていなかったというなら、そっちのほうがセイラル的には魔術士として意味があるからか、もしくは単に、……性格か?
「あ、あの……! 先ほどのような……、セイラル様個人に深く関わることはお教えできませんが、これだけは! セイラル様はなにも知らなかった私にリフィナーとしての常識、学識はもとより、なにより魔術に関しては過不足なく、私に授けて下さいました! もし私に不十分な面がありましたら、それは私が未熟なせいであり、決してセイラル様には、なにも、なにも……!!」
ファレイはこちらへ向き直り、必死にまくし立てる。俺の師匠としての能力に問題がないことを、俺自身に……。その様子につい俺は噴き出してしまい、それでファレイはあたふたし始めたので、俺はファレイの帽子に手を置いた。
「分かってるよ。【魔神】なんだろ? お前の師匠はさ。……間違いなんてあるわけがない。【俺】が保証するよ」
と、にやっと笑いファレイの帽子ごと頭を押す。彼女はまた、あたふたしながらも口角を上げてゆき、やがて満面の笑みを俺に見せると言った。
「――はいっ! 間違いはありませんっ!! 私の主は……師は世界一の魔術士ですからっ!!」
そのまま、「あっ……、申し訳ございません! やはりもう少々準備をば! 別の帽子と眼鏡を……!!」とまた部屋へ戻ろうとしたのでそれを押しとどめ、カギをかけるように命じる。ファレイは不満げにしつつもそれに従い施錠をし、それから俺に押されて廊下を進み、音を立てながら鉄骨階段をおりていった。
【過去のセイラル】がファレイに教えなかったことを、【いまの緑川晴】が教えている。
それもセイラルの手の内なのか? それとも……。変化していっているのか。ただ人間としての経験値を加えたというだけでなく、俺は……。【別の存在】として――。
俺はファレイを押しながら、ひとりそんなことを思い夜空にかかった月を見上げた。
◇
人通りの少なさと変装と、なにより魔力の抑制が功を奏し、目的地であるスーパーへはだれにも視線を向けられずに到着した。
夜をやわらかに押し広げて輝く二階建ての、わりとおおきなこの店が、ファレイがふだん利用している場所らしかった。
俺の家からもそれほど離れていないが、来たのは一度か二度程度。ファレイのアパート同様、距離が近いわりに俺の生活圏からきれいに外れているからだ。おそらく俺の目につかず、陰から護るために自身の生活圏をずらしていたのだと思う。そういう意味では、あのアパートを選んだのもファレイの意図があってこそなのだろうが……。もう少し別の場所もあったろうに。やっぱり経済的な問題なんだろうな。
「セイラル様! まず肉を見ましょう! メインですからね! ……さ、こちらですっ!」
自動ドアをくぐるや否や、笑顔のファレイはカゴを取って俺を案内する。夕飯の買い出しには遅い時間だったが、仕事帰りの人を始め店内はそこそこ人がいて、俺は緊張しつつファレイのあとを追う。
魔力の抑制が効いているとはいえ、オーラが完全に消えたわけではないし、そもそもすごい美人であることには変わりないので、どうしても気は張ってしまう。果たしてすぐ、たまたま近くに寄った人がファレイに気づくと驚いたように二度見していた。帽子をかぶろうが眼鏡をかけようが、素肌を隠そうが、佇まいには変わりないもんなあ。
オーラは確かに大部分が魔力に拠ったものかもしれないが、佇まいや雰囲気はファレイの人柄や生活を含んだものだ。横岸を始めとしてクラスメイトが憧れを、畏敬の念を抱いて、時には恐れをも感じているのは彼女の……八十七年という長い年月を歩んできた生そのものからだろう。
いったいどういう道を歩いてきたのか。そして、どうやって過去のセイラルと知り合い、師事し、あそこまで強く想うようになっていったのか。そしてそれを、過去のセイラルは……どう思っていたのか。
◇
――そいつは甘ったれで泣き虫で、どうしようもないガキだが、……今の俺よりは、役に立つ――
◇
立体映像ではそんな言葉を残していたけれど、人間界へ転生する際、手助けの相手としてファレイを指名していたのだから、信頼はしていると思う。もちろん従者であることも関係しているが、それだけではないような気が……いまのセイラルにはしていた。
「セイラル様! こちらの肉に半額のシールがっ! 幾つ購入いたしましょう!?」
伊達眼鏡の奥からきらきらした目で、半額シールの貼られた鳥もも肉を俺に見せつける。……子供という言葉をどう取るか、だよな。【愛らしくてチャーミング】という意味も含んでいるのか、それともほんとうにそのまま【どうしようもないガキ】なのか。いまの十七歳のセイラルはともかく、258歳のセイラルなら……どうなんだろうか。
「……いや。五百グラムぐらいで十分だから、そのひとパックでいいよ。あとその、きょうの材料費はぜんぶ俺が出すから」
「えっ!? いえいえいえいえっ!! と、とんでもないですっ!! お教えいただく上にお金を支払っていただくなどっ!!」
「いいんだよ。そのつもりで来たんだし。合計しても千円以内に収まるから」
俺はそう言ってファレイから肉を取り上げてカゴに放り込み、野菜売り場を探すためすたすたと歩き出す。あのアパートに加えて、いまの半額アピール。どうやって生活費を得ているのかは分からないけど、やっぱりそうとう切り詰めて生活しているんだろう。これからもなんかあれば手助けしてやらないとなあ。
ええと、俺の小遣いは月五千円で、貯金は……。じいちゃんや坂木のおばちゃんの手伝いなんかでもらったお金とか、お年玉なんかもわりとそのままにしてるから十万くらいはあったと思うし。最悪、飯だけならウチから持ち出してもいいしな。……念のため、バイトでもしようかな。
「あ、あのっ!! セイラル様! ほんとうに代金は……! 資金ならば潤沢にありますゆえ!」
「潤沢、って。よく分からないけど、たぶん貯金を切り崩して生活しているんじゃないのか? いまお前は学校に通っているし、俺の護衛もあるしで、人間界で仕事をするのは難しそうに見えるし」
「は、はい……。しかしそれは、その必要がないと判断したからです。持ち出し分のみで、人間界での生活に困ることはないと」
やっぱり貯金で生活していたんだな。それが幾らか分からないけど、人間界での滞在は、セイラルに仕えるためだ。記憶が戻っていないいまの俺の場合、それがいつまでになるかなんて、分からないんだから。ちょっとやそっとの蓄えじゃどうにもならないだろう。なら無駄遣いしないほうがいいに決まってる。俺のためなら自分の生活をうっちゃってでも無茶しそうだしなあ。少し強めに言ってでも……。
「12億6千万程ありますゆえ。人間界の物価は日本をはじめ、各国おおむね把握していますが、たぶん緊急時を念頭に置いてもこれで五十年程度なら大丈夫だと。……も、もしかして間違っているのでしょうかっ!?」
「……。えっ?」
俺は阿呆のように漏らした。12億? 6千万? ……いまそんな数字が聞こえたような……。
「あの……。もう一回、言ってくれる? なんか12億とか……」
「はい。仰る通り12億です。端数として現在、携帯している財布の中身も合わせますと6千5百77万9千3百69円所持しています。場所は6つの銀行と、あとは部屋に魔術によっての保管を行っております」
淡々と述べた。……えーっと……。冗談だよな? いくらなんでもそんな……。いや待て、持ち出しって言った? じゃあ魔法界のも合わせたらどうなる……。じょっ、冗談だとは思うけど! いちおう、念のためっていうか……。
「……。ちなみに。持ち出していない分も合わせた全財産的な額なんかは……、なんて」
「日本円にして66億ほどです。が、魔法界の貨幣は人間界では使用できないので、宝石や金属類等、変換可能な財産になりますと40億程度となります」
「あ、そう……。冗談ではなくて?」
「はい。セイラル様に嘘は申しません」
「ふーん……。そっか。充分、暮らしていけると思うよ……。はい」
「そ、そうですか! 安堵いたしました! てっきりまた、勘違いをしているのかと……!」
ほっとしたように笑みを浮かべ、うやうやしく頭を下げる。いっぽう俺は引きつった笑みを見せたまま、横目でカゴの中の半額シールを貼られた鳥もも肉(495グラム/100グラム128円)を認めたあと、また、は、ははは……とドン引きしたまま弱々しい笑い声を出す。
……節約が趣味、とか? いや、清貧ってヤツなのかな……。ケチだとは思えないし。それもセイラルの教えなのかもしれないが、教えてくれなさそうだし。アパートのことは、この混乱が収まってから聞くことにしよっと……。
俺はよく分からないダメージを受けたまま、ファレイに「ヤサイウリバッテ、ドコ……?」とロボットよろしく尋ねて、ファレイは「こちらになりますっ!」と元気よく歩き出す。そのあとをふらふら、幽霊の足取りでついていったのだが、急にファレイが立ち止まり、俺はその背にぶつかってしまう。それで正気に戻った。
「……あ、すまん! ぼーっとしていて……。って」
ファレイは反応しない。が、押さえていた魔力は少しずつ高まって、オーラが元に戻っていた。俺は訝しみ、彼女越しに前を見る。すると――。
「……。あら。あなた……【たち】。か」
その相手は、ファレイと、後ろの俺に目を向けて淡々と漏らし、それから「奇遇ね」とにこりと笑い、リラックスした様子で近くの棚の酒瓶を手に取り始める。いっぽうファレイの表情は、そんな彼女を見たまま緊張を増していった。それはファレイとしては【同じ従者となったいまも】、まだ打ち解けられる相手ではないからだろう。
襟ぐりの伸びた無地の長袖シャツに、ダメージジーンズ、サンダル履きといったラフな出で立ちの……。
いまのファレイと似たような黒縁眼鏡をかけて、無造作に黒長髪をひとくくりにした和井津先生……もとい。
【外法者】――ロドリー・ワイツィという存在は。




