第44話 ……知ってるさ。馬鹿なことくらい。
「まず、魔術の修行を始める前に。お前には理解すべきことがある」
ある天気のいい朝。屋敷の庭へ連れ出したファレイに俺は告げた。
ヤツは芝生のひと呼吸さえ許すまいと言わんばかりに両足を踏みしめて、きょうも変わらず、ぎらぎらした両眼で俺をにらみつけていた。ひと月前、森で出会った時とまったく変わらず、『隙あれば殺す』というふうに。
しかし魔獣よろしくの殺気を飛ばすその出で立ちは、俺の【第一】従者であるハーティお手製の赤いふりふりドレスに白タイツ、赤い靴。短く切り揃えられた髪には愛らしいカチューシャまではめられていたので、澄ましてさえいれば十という歳にたがわないお子様だった。俺は直視して笑わぬように横目で見つつ話を続ける。
「魔術とは魔力を用いて発動する術だ。ゆえにそれを習得するためには、なにより魔力について学ばなければならない。そして、その手っ取り早い方法が【魔力をなくす】ということだ」
俺は怪訝な表情をするファレイへ手をかざし「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。――断絶せよ。リドラクション」と言い放つ。
瞬間、ファレイは銀色に発光したがすぐに消えて「あっ……」と漏らした。そして手を開いたり閉じたり、踏みしめていた足を持ち上げたり、おろしたり……。自分の体の動きを何度か確認したのちに、顔を赤くして俺に殴りかかってきた。
俺はそれを避けずに胸で受ける。すると殴ったファレイのほうが「……ぎっ!」と顔をしかめて手を押さえた。体は震え、赤い顔がだんだんと青くなってゆく。
「お前は五歳でヤートの森へ捨てられて以来、そこで襲ってきた何体もの魔獣を、幾立(立=人)かの下級魔術士を返り討ちにしたが、それはお前が生まれた時より精霊から得続けている魔力があってこそなのだ。で、いまはその流れを強制的に絶っている。要するに現在のお前は見たまま、歳相応のちいさな体が備えている筋肉の力しか用い得ないということだ」
「……っざけんなっ!! いっ! いいいいますぐ戻せっ!! 戻せ戻せ戻せっ!! 戻さないと殺……」
言いかけて止まる。それから小石を拾い上げて握るが【なにも起こらないこと】に、ちいさな口が震えながら開いてゆく。ファレイは小石を捨て、別の小石を拾って握る。次に芝をちぎって握り、落ちた小枝を握り……。なにを握ってもなにも起こらないと悟ってヒザをついた。
「存在の変質化。お前の場合はもっぱら刃へと変えていたようだが、ともあれお前の【天性術式】も、とうぜん魔力によって発動されているから使えない。いままでお前は生まれつきの才能のみで生き抜いてきたが、その才能とやらが封じられたらこうなるということだ。しかしきちんと修行して、魔術士となれたなら――。そんな状態を防ぐ手はある」
「ふっ、防ぐ!!? ど、どうやって!!」
「おっ。なんだ、わりと脈があるじゃないか。『魔術士になんてなるかクソボケっ!』とわめいていたのに」
ファレイはかああ……! と顔を赤くして幾つも小石を拾っては投げつける。俺はそれを無視して、「ハーティ!」と、木陰のテーブルでお茶の準備を始めようとしていた丸眼鏡の女に声をかけた。彼女は露骨に嫌そうな顔をしてゆっくりと歩み寄ってくる。
そうしてハーティがそばへ立った時に、俺は先ほどと同じく「~せよ。リドラクション」と術を放つ。だがファレイがなったように光ったりはしなかった。
「見たか? コイツには効かないんだ、【これは】な。どうしてだか分かるか」
言うが早いか、ファレイは思い切り俺の足を蹴飛ばしてきた。しかし魔力で覆われている俺の体は石に等しいので、果たしてファレイは「いぎいっ!」と叫んで足を押さえて芝生の上を転がりまわり、涙目で叫んだ。
「ひっ! ひいきするなっ! 輪っかババアには手抜きしたんだろうっ!!」
「この子供は……。いったいいつになったらまともな言葉遣いを覚えるのか。そして私はセイラル様にひいきされたことなどないわ。ただの一度もね。ふつう、多少の身内びいきくらいあろうはずなのに」
ハーティが舌打ちして、丸眼鏡の奥から鋭い光を飛ばしてくる。俺は目をそらして、ごほん! と咳払いすると話を進めた。
「要するに、ハーティは俺が使った術式よりも高いレベルの術式を常態発動しているんだよ。そして、それを破る力を持ったさらに高位の術式に備えて、ハーティのみならずクラスA以上の魔術士は皆【魔力の池】を持っている」
俺はハーティへ再び手をかざして、「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。――暴け。ファスメイ」と言い放つ。するとハーティの白いメイド服が紫色の光に包まれて、それから光は心臓の上にある球体――【魔芯】へと収束し、その後、四肢に沿って無数に流れてゆく。数百を超える紫光の道筋がハーティの内部を埋め尽くした。
「これはハーティの魔力の流れを可視化……見えるようにしたものだ。いっさい止まらずに流れ続けているのが分かるだろう? おおもとは精霊からで、それがハーティの体に下ってまた精霊へと戻るという循環を続けている。さっきお前にかけて魔力を絶った術式は、精霊から【魔芯】へと下るための道筋へ栓をしたということだ。……この辺だな」
俺はハーティの中で光る【魔芯】の、前辺りの空を、右手でぎゅっと掴む仕草をする。
「精霊から体に下るための入り口を明らかにする術はない。精霊は我々より上位の存在だから、その【手管】は見えないんだ。だからおおよその見当をつけて行っているが、その不完全性ゆえに高位――クラス3A以上の魔術士は、くだんの断絶術式を防ぐ術式を扱える。ゆえに効かん、ということだ。……だが」
俺はハーティの前で握っていた右手を開き、そのまま彼女の胸の中へ突っ込んだ。ファレイが、「あっ……!」と漏らした時には、完全に手が体にめり込んで【魔芯】をつかんでいた。
「こうして直接、魔力が流れる起点・中心点となっている【魔芯】をつかめば、強制的に魔力を断絶できる。まあ、これができるのはクラス3S以上だから、魔法界に百人といないわけだが。少なくとも【いる】以上は、対策を講じるに越したことはない。なのでそれが可能なクラスA以上の魔術士は【魔力の池】を持っている、ということだ」
俺は空いた左手で、今度は彼女の腹に手入れる。そしてちいさな、回転し続ける棒のようなものを指で示した。
「これが魔力の流れから分離・独立した、魔力の貯蔵庫――【魔力の池】だ。ここへあらかじめ魔力を一定量ためておく。すると万が一、精霊からの魔力を絶たれた場合でも戦うことができる。もっともこれは有限だから、さっさと魔力絶ちされた原因を取り除かねばならんがな」
話し終えて両手を引き抜いた。ハーティはおおきく息をはき、胸と腹を押さえる。ファレイはハーティと俺を何度も見比べて汗をかいていた。
「【魔力の池】はクラスAになった際に、だいたいは師匠から施される。まあ【魔術士と喧嘩して勝ちたい】のなら、魔術士になるのが手っ取り早いということだ。ほかの道もないではないが、【天性術式】を持つお前は【そっち】よりも魔術士向きだと思うぞ。……俺はな」
俺はファレイの頭へ手を置く。ファレイはその手を払いのけようとはせず、じっと地面を見つめたあと、まばたきもせず切れ長の目を俺へと向けた。
「……強くなれるのか。魔術士になれば、ほんとうに。……だれにも屈しないでいいように」
「ああ。少なくともハーティと同程度の才能を感じている。ちなみにハーティは天才だ。……お前は天才ではないが、俺に似ているから強くなる素養がある。努力次第では天才に並び得る、とな」
ファレイのまぶたがぴくりと動く。それから俺の手をつかんでゆっくりおろすと、指を突きつけて言い放った。
「とりあえず、輪っかばばあをぶっ飛ばすまで付き合ってやる。それがうまくいったら、次はもっと修行してからお前をぶち殺す。……それでいいな?」
「結構。そこまでの気概があればなにも言うことはない。だがお前、【それまで】は俺の従者なんだから、強くなるだけじゃ駄目だぞ。ほかにもいろいろ覚えてもらわなきゃな。お茶の入れ方とか」
俺は木陰の下の、ハーティが準備をしかけていたお茶道具を指差した。
ファレイは歯ぎしりしたのち、突きつけていた指をおろすと大股歩きでテーブルへと歩く。そしてガチャガチャと茶器をいじり始めた。
「……信じられない。あの食器すら武器としてしか見ていなかった子供が」
「それだけ強くなりたいという意志が強いということだろう。自分の弱さや、お前や俺の強さも理解しているようだし。後継者としては充分だ」
ハーティが目を見開き俺を見る。俺は淡々と続けた。
「お前も言っていただろう? 『この子を【ご自分と同じタイプの魔術士】とするおつもりですか?』と。その通り、アイツが俺の四番目の弟子で、最後の弟子――【セイラル・マーリィの後継者】だ。そんなつもりはなかったが、【これ】の爪痕を残しておくのも悪くはないと、数年前から思うようになってな。アイツと出会ったのも、たぶん巡り合わせというヤツだろう」
「……セイラル様。あなたはまさか、【死】――を……」
「いいや。ぴんぴんしてるぞ。それとも自死ということか? それは俺の主義に反する。そもそも俺は生きるのが好きだ。というかいきなりなんだ? 馬鹿馬鹿しいことを言……」
ハーティは俺のシャツをつまんだ。目はこちらを見ていないが、心がこちらへすべて向けられている。ハーティの、少女時代からの変わらぬ不格好な意思表示だ。
俺はその手を包んで、ゆっくりと離す。そして茶器と格闘するファレイを見ながらつぶやいた。
「心配せずとも死ぬ気はない。が、【消えること】はあるかもしれん。まだ先の、お前が二年後にここを出てからさらにもっと先の話だが。もしそのことでファレイが将来、お前を頼ったらよろしく頼む」
俺はハーティに向き直り、頭を下げた。顔を上げた時には、ハーティは潤んだ目で俺を見据えて、それからおおきなため息をひとつついた。
「あなたはほんとうに……。ファレイが一人前になることも、私が従者の契約を解いて、ここを出たあとでも心はそばにあることも、【あの人】が……ことも――。なにもかも信じ切っておられるのですね。馬鹿とはセイラル様、あなたのことを言うのだと思います」
ハーティはまた俺のシャツをつまんだ。そしてほとんど力を入れないで、ぴっ……と布をちぎるように指を引き「【消える】前にはご一報を。でなければ恨みます。馬鹿」とささやき俺から離れる。そうして茶器を壊さんとする妹弟子のもとへ足早に近づいた。
「……知ってるさ。馬鹿なことくらい。……にも散々言われたしな」
広い空を見上げた。きょうは風もなく穏やかで日差しも暖かい。こんな日は精霊が上機嫌になり過ぎているので、魔術士としては魔術が扱いにくく【好い天気】とは言えないが、リフィナーとしては上天気と言えるだろう。
そしておそらく【彼女】や、【人間】にとっても――。
「セ・イ・ラ・ルぅーーーーーーーーっ!! 会いに来てやったぞぉーーーーーーーーーーーっ!!」
突如、俺の思考をさえぎって大声が耳を刺し、顔をしかめた時にはもう、背中に【ヤツ】がおぶさっていた。振り向くと今度は頬に無数のキス。俺はおおきく息をはいて、そいつの首根っこをつかんで引き離した。
「ごきげんよう、ローシャ姫。きょうも元気はつらつでなによりですよ」
俺は眼前におろした、白いドレスをまとったちいさな子供にそう告げて会釈すると、頬を拭う。
そいつは肩ほどに切り揃えられた金髪と碧眼を、太陽の光できらきらさせながらまくし立てた。
「おう! なによりだっ! ……というかまた!! その言葉遣いをやめろっ!! よそよそしくて腹が立つ! お前は世界一の魔術士なのだから、だれに頭を下げる必要もないし、……なにより私は婚約者ではないかっ!!」
ぷくーっと頬を膨らませて俺を指差してくる。俺はやむなく普段通りのしゃべり方で、普段通りにあしらうことにした。
「だれが婚約者だ、だれが……。どうでもいいがきょうはお前と遊んでいる暇はない。これでも忙しい身なんだからな。さっさと帰れ」
しっしと追い払う。次の瞬間、がぶりっ! 俺の指は魔力をまとった歯にかみつかれて顔をゆがめた。ローシャは青い光に包まれた歯をかちかちやって俺をにらむ。……まるで魔獣【その2】、だな。
「相変わらず女性の扱い方がなっていませんね、セイラル様は。魔術士としては頂点におられる方なのに、その辺りだけなら僕にも分がありそうだ」
と、ローシャの後ろから、今度は濃い赤のスーツを着たおかっぱ頭の、ローシャと同じく金髪碧眼の少年が顔を出す。
俺は別の意味で面倒くさい子供の登場に、再び息をはいた。
「そっちこそ、相も変らずませたガキだな、カミヤ。どうもお前は男を友人にする気がないようだ」
「そんなことはありませんよ。現にあなたとは友人でいたい。おっと、【魔神】に対して傲岸不遜な物言い、どうかお許し下さいませ」
うやうやしく頭を下げる。その言葉遣い、立ち振る舞いはとても十二の子供とは思えない。貴族の坊ちゃんはたいてい威張りくさっているが、まだそっちのほうがやりやすいし【可愛げがある】というものだ。というかローシャと足して二で割ればちょうどいいのに……といつも思う。
ローシャ・ミティリクスとカミヤ・シッチェロス。
このふたりは隣の魔術士大国であるミティハーナ王国の王族で、ローシャは第六王女。カミヤはその『はとこ』の貴族でお付き、もとい世話係として常に行動をともにしていた。
三年前にミティハーナで王族案件を知人の頼みでやむなく処理した際に、その現場……平たく言うとローシャを狙う暗殺部隊をあぶり出して滅した瞬間を、ローシャとカミヤに見られたのだ。
そして、幼いふたりは恐怖におののくどころか俺をいたく尊敬するようになり、以来しょっちゅう国境を超えては顔を出すようになり、果てはローシャのほうなど婚約者と言い出す始末。
第六王女で末娘のローシャに王位継承権はなく、いまのところ【ほかの兄姉に比べたら】魔術士としての才能はたいしたことはない、ということもあり放置されているせいもあるだろうが。それにしたって王族が、同盟国とはいえホイホイ別の国に、あまつさえ【俺】に会いに来るということを王はどうも思わないのか……といまだに思う。
ハーティは、「とうぜんカードのひとつとして泳がせているに決まっているじゃないですか。果てはほんとうに【魔神】と結婚などしてくれたら願ったりと思ってるでしょうし」と氷のような目で俺をにらみつけたりしていたが、半分は冗談だろう。あの王がそんな単純な男ではないことはハーティも知ってることだ。
それに俺は、戦力として価値はあるが、その出は貧民、なによりなにをしでかす分からない、ということで、まともな王侯貴族ならやすやす身内に引き入れようとはしない。それどころか俺自身、よく暗殺されそうになっている。『世の均衡を乱す悪魔!』といって、まさに王侯貴族や宗教団体の刺客から悪魔面で。……馬鹿馬鹿しい。
「……おや、あちらの少女は? ハーティ様といっしょにおられる。なんとも麗しい……」
再び俺の思考をさえぎったのは、カミヤの声。テーブルでハーティとお茶の準備をするファレイを目ざとく見つけたようだ。女とくれば年齢に関係なく興味を示すのは、シッチェロス家の男のたしなみなのかと思わざるを得ない。……ま、さすがのコイツでもファレイが相手ならどうにもできんだろう。ちょっと試してみ……。
「おいお前っ!! なんでセイラルの庭にいるんだ!? 婚約者の私に断りもなく!! 名を名乗れっ!!」
あっという間にローシャがテーブルへ突進し、ファレイへ指を突きつけていた。そしてまた、俺が口を挟む間もなくファレイが口を開いた。
「……こんやく? なんだそれ。ともかくどっか行け。邪魔くさい」
と、言ったきりぷるぷる震える手でお茶を入れ始めた。てっきり激高するかと思ったが……。いまの魔力がない自分では、殴りかかったらさっきの二の舞になると理解したのか。なかなか冷静だな。
「じゃっ、邪魔!!?? だっ、だれに向かってそんな口をきいてるんだ無礼者がっ!! ハーティ、そこをどけっ!!」
事態を察したハーティがファレイを守っていた。ローシャはハーティに勝てないことを知っているので、どけ、どけーっ!! とわめき散らすばかりだった。やれやれ、お茶は静かに楽しみたいんだがな、俺は。
「ローシャ様。そのような態度ではお友達になれるものもなれませんよ。……我が主が失礼をば。はじめまして。僕はカミヤ・シッチェロスと申します。麗しきお嬢様。あなたのお名前をお教え願えませんか?」
こちらもさっさとテーブルへ歩み寄り、うやうやしく頭を下げるカミヤ。これだけ丁寧でいてまったく敬意の感じられない挨拶も珍しい。それでも美形で名門貴族であるカミヤがこうもすれば、たいていの女は喜び頬を赤く染めるものだ。……そう、たいていの、【ふつうの女】ならな。
「嫌だ。邪魔だからそこのヤツといっしょに早くどっか行け」
ポットをぎこちなく傾けて、二杯目のお茶を必死に注ぐファレイはそう言った。カミヤは顔を上げると苦笑いし、「……それは失礼いたしました。お邪魔であるようなので、少し席を外しますね」とローシャを無理やり引きずり俺のもとへ帰ってきた。
「……なんですかあの子は。も、もしかして男の子……ということですか? まさか女装を……――! セ、セイラル様のご趣味なのですか?」
青い顔で俺にまくし立てる。自分に興味を示さないのはあまねく男、というものすごい自信と発想だけでも頭が痛くなるのに、俺まで妙な趣味持ちにするのは勘弁してくれ。
「おいセイラルっ!! な、なんであの女はお茶の準備をしている!? お前はハーティ以外には従者などいなかったし、迎える気もないと言ってたであろうがっ!! どういうことか説明しろっ!!」
こっちは怒鳴り、俺の胸倉を背伸びしてつかんで揺さぶりまくる。俺は青い顔の少年と赤い顔の少女にやむなく告げた。
「アイツはファレイ・ヴィース。俺の【第二】従者であり、魔術士としての最後の弟子で、後継者候補だ。これからここへ来るならアイツともよく顔を合わせることとなる。まあよろしくしてやってくれ」
ふたりはあんぐり口を開けた。それから同時にファレイを見やり、また同時に俺へ視線を戻した。そうして口をぱくぱくさせたのちに、やはり同時に指差して唾をまき散らした。
「どっ!! どどどどどういうことですか魔神セイラルっ!! あ、あなたが弟子を……ハーティ様以外でお取りになるなんてっ!! というよりも後継者っ!!?? そ、それはなに、えっ!? ……ええっ!!」
「ふっ・ざっ・けっ・んっ・なあーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!! わっ!! 私は何度頼んでも弟子にしてくれなかったのに……っ!! ならんならんならんならんならんならんならんならんぞっ!! そんなことーーーーーーーーーーーーーっ!!!!! 」
ふたりして俺のシャツを引きちぎる勢いで引っ張り続けたので、俺はやむなく「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。……静止せよ。ゲルダ」とつぶやいた。それでローシャとカミヤは氷づけのように固まったので、俺はふたりの手足を折りたたんで三角座りにさせて芝生に並べる。そしてテーブルへと歩み寄った。
「……セイラル様。いいんですか? 後継者ということまでおふたりにお教えして。……ミティハーナに知られますよ」
ハーティが顔を曇らせる。俺は入れたお茶の匂いを確かめるファレイを見つつ返した。
「構わん。どうせいつかは知られることだ。そのことでファレイに対してなにかしてこようなら、俺を敵にまわすことになるんだ。魔術士大国ともあろう国が、そこまで馬鹿とは思わんさ」
「……まったく。カミヤ様に引けを取らないくらい自信家ですね。もっとも、あなたが国と等しく恐ろしいことは真実ですが」
ハーティはため息をついた。それからファレイが「ん!」と差し出したカップを受け取りひと口飲むと、「0点。お茶への冒涜だわ」と突っ返す。果たしてファレイは「こぉの……!! やってられるかーーーーー!!」とガシャーン! とカップを叩き割って脱走する。ハーティは、「やっぱりこうなるのね……。セイラル様。今度の仮装大祭礼の際にはいろいろ買っていただきますから。お覚悟を」と俺を半眼でにらんでから脱走者を追いかけた。いっぽうで、
「ゆ・る・さ・ん・ぞ・ぉ……」
「ど・う・い……・う」
ローシャは青の、カミヤは黄色の光を発して必死に口だけ動かしていた。口だけとはいえ、ゲルダを振り切ったか。いまでも二万くらいの魔力はあるからな。将来的には、クラスAまでは上がれるだろう。そこから先は才能と、己との戦いになるが、さて……。そして我が弟子たちのほうは、どこまで行くのやら。
俺は遠くで捕まって連れ戻されるファレイと、それを険しい顔で抱きかかえて歩くハーティを見て、しずかに笑った。
◇
◇
「……。…………っ!!? ――や、やばっ!!」
目を開けて窓の外を見た瞬間、俺は叫んで立ち上がる。
それで俺に肩を預けて、同じく眠りについていた水ちゃんが驚いて目を覚まし、「……!? えっ!? ね、寝てました!? いまどこ……!!」と同じように立ち上がりきょろきょろする。そこで、「もうすぐ日真市役所前だよ」と隣の席のおばあさんが教えてくれて、「「次! 次で降ります!」」と俺たちは慌ててボタンを押した。
ほどなくバスが停車して、俺たちはおばあさんと運転手に頭を下げてから降車する。そしてバスが走り去ったあとに、そばのベンチに腰かけておおきくため息をついた。
「びっくりしたなあ……。まさかふたりして寝てたとは」
「よっぽど疲れたんでしょうね……。ふだんの遊びならそうでもないんですけど」
水ちゃんは苦笑したのち伸びをする。無理もない。俺たちはきょう、マジックショーという名のもとに【魔術で空を飛ぶ】という体験をしたのだ。そのあとはショッピングモールで買い物やゲームなどを楽しんだが、テンションはずっと上がったままで、まるでそろって小学生のようにはしゃぎ続けた。もしかしたら、少しは魔力の影響もあったりするのか……とひとり思った。さっきまで見てた夢も。
相変わらず、どんな夢を見ていたかは思い出せないが、前とは違って、それがセイラルだった時の夢であることはもう認識していた。そして、具体的に思い出せないまでも、夢に見るたびになにかが肚にたまっていくのを感じていた。
きょう出会った葉賀兄妹のように。学校での和井津先生のように。バーガーショップの店長のように。これからどんどん人間界で暮らす、滞在する魔術士、リフィナーと出会うたびに夢を見る回数も増えて記憶がよみがえってくるのだろうか。また、かのローシャやカミヤのような、セイラルを知る者たちとの再会でも。……ファレイと過ごす時間が増えることでも。
「……でも、楽しかったですね。ほんとうに」
隣の水ちゃんが、夕暮れを見上げてつぶやいた。俺は彼女の横顔を見たあと、その赤い光で染まった頬を滑るようにして視線を上げてゆく。
初夏の夕空は、闇と光のはざまにあって懐かしい想い出を呼び寄せる。いまの俺にとっての想い出は、もちろん緑川晴のものだが、この空はさっきの夢でセイラルの想い出も引き寄せたのかもしれない。
「ああ。また行けたらいいな」
俺はぽつりと漏らす。すると水ちゃんがゆっくり顔を戻し、おおきな目を半眼にして俺をにらむ。果たして言い訳する前に、彼女は俺にまくし立てた。
「行けたらいいな、じゃなくて【行く】んです! なにをひとごとみたいな……! そうだ、やっぱりあのお金、晴さんに預かってもらうことにします!」
水ちゃんは水色リュックをおろし、中から封筒を取り出して俺に押しつける。葉賀兄からもらった『バイト料』だった。【デート】の足しにしてくれということだったが、けっきょくふたりして使えなかったのだ。なんとなく、きょうの想い出として残しておきたいなと。
「使わないつもりでしたけど、今度出かけるときはこのお金をつかってどこかへ行きましょう。その時まであなたが管理していて下さい。……これなら忘れないでしょう?」
頬をふくらませて、水ちゃんは俺を見上げた。昔から変わらないおおきな目、ちいさな唇。そしてこの表情。次に俺がどうすべきかは、長年の経験で明白だった。
「……分かった。またふたりで楽しもうな」
「……はいっ!」
満面の笑みで水ちゃんは答えて、弾みで柔らかな髪が俺の胸に触れる。その甘い香りが心をくすぐった。
◇
それから俺は水ちゃんを家まで送り、おばちゃんに晩飯を誘われたのをなんとか断って自宅へと戻った。荷物を置くためで帰ったわけではない。このあとすぐ、もうひとつの約束――ファレイに料理を教える――で、出かけなければならないのだ。……彼女の家に。
今晩はじいちゃんが遅くまで帰らないことをおばちゃんは知っていたので、【先の事情】を伏せて誘いを断るのに骨が折れたが、「友達と約束があるので!」と繰り返してなんとかなった。……友達、という部分に俺の迷いがあったせいで、カンの鋭いおばちゃんと水ちゃんに疑われて手こずったものの、だからといってやましい関係ではないことも事実なので、最終的にふたりは渋々納得し解放してくれたのだった。関係、……か。
鍵をかけて家から離れる。俺はファレイに聞いた住所をスマホに入力し、時折見ながら歩き出した。それほど遠くはないことと、万が一だれかに自転車を停めているところを見られたらまずいかもしれないと判断しての『歩き』だ。
ファレイが、もとい学園のアイドル的存在である風羽怜花がどこに住んでいるかは、先生以外はだれも知らない。しかしそれを知りたい者は山のようにいるのだ。いままでも何度かつけられたことはあったがすべてまいたらしい。それは魔術を用いてこそできたことだったとしたら、魔術が使えない俺がヘマをしたらアイツに迷惑がかかる。慎重に行動しないとな。
とはいっても、せいぜい挙動不審にならないように、ふつうに歩くほかない。ファレイによると、あるところまで来たら結界を張っているので、そこを通ってきて欲しいとのことだった。だから実は、入力した住所はファレイの自宅ではなくて、その結界がある場所。住宅街の真ん中の神社だ。……たまたまなのか、魔術と人間界の神様は相性がいいのかは定かでないが。
そうこうしているうちにくだんの神社へとたどり着く。赤い鳥居のある、ちいさな、どこにでもある神社だった。伊井野神社と書かれてある。近くにあるわりに、来たこともなければ存在すら知らなかった。
俺は深呼吸をしてから、鳥居をくぐる。が、次の瞬間、
「……うっ!」
と、背筋に電気が走ったような感触に声を出す。痛くはないし、ほんのわずかびりっとしただけだが……。この【びりっ!】は、どこかで感じたことがあるような。……そうだ。体育祭の出場競技を決めるためのHRで、横岸と話していた時に感じたのと同じだ。
これが結界のせいであり、それをこしらえたのがファレイだとすると、ファレイの魔力の感触……ということか? そういえば魔具。あれから受けたアイツの魔力の感触も同じだったな。
でもなんで、横岸と話していた時にアイツの魔力が飛んできたんだ。まさか嫉妬、なんてことは……。いくらなんでもな。アイツからしたら横岸なんてほんの子供なんだぞ。
いや待て。ことセイラルに関しては、アイツはとたんに子供みたいになるし、あり得ない話ではない、か……。
俺は苦笑しつつ、胸もとから鎖を引っ張り出して、もらった魔具を見やる。かつてセイラルが作ってファレイに与えたという、持ち主の危機を感じる特別な道具。おそらく、これのおかげで俺はカミヤやローシャに襲われた際に、ファレイに気づいてもらえたのだろう。
今後、魔術士と接触することがあったなら、ファレイに話しておいたほうがいいのかもしれない。きょうの葉賀兄弟はセイラルのことなど知らなかったが、いちおう話しておくか。
俺は魔具を戻し、首を軽くひねった。すると前から参道をだれかが歩いてくる。
赤い光に照らされて近づいてきたのは、よく知っている顔――ファレイのものだった。のだが……。
右手と右足、左手と左足を同時に出し、まるで古いロボットの玩具のようにがち、ごち、がち、ごち……こちらへ行進してくる。表情は無表情というか、余裕がなくて表情を作れないといったふうだった。緊張しまくりで、見ているこっちのほうが肩がこる。なにをそんなに硬くなってるんだ。
「よ、よう……。ちょっと早かったかな」
「い、いえ。そんなことはありませ、ん。本日はお越しいただき、誠、に……」
……マジでロボットか? どこかで魔術で操ってるとか。しかしこの感じは間違いなくファレイそのものだ。俺を家に呼ぶ、ということでそんなに緊張を……。
とたんに俺のほうまで、忘れようとしていた【夜に、あの風羽の家に行く】というとんでもない事実を思い出してしまい喉がからからになる。や、やばいぞ。だんだん日が落ちてきてるし、人気はないし、なんか妙なムードになってきた。こ、ここはなにか、場をいつものように戻す言葉を……。
俺はかちこちのファレイを改めて見る。やや襟ぐりの開いた七分袖の、白のサマーニット。薄桃色の、軽やかなロングスカート。初めて目にする私服は死ぬほど似合っていた。
というか、まさかと言っては失礼だが、こんなにちゃんとした服を着るんだな。なんとなく人間界での格好なんてどうでもいい、みたいな感じかと思っていたんだが。家でもずっと制服とか……。
「す……、ごく。似合ってるな。服。うん。やっぱり、めちゃめちゃ美人だな……」
ぼそり、思わずそう漏らした瞬間――。目の前のロボットが静止して、直立姿勢のまま前に倒れた。ちょっ……、えーーーーーーーーーーーーーっ!?
「お、おい大丈夫かっ!? しっかりしろっ!!」
「あっ……、あっ……、あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
抱き起こされたファレイは俺と目があった刹那、真っ赤になって叫び……。そして同時に俺の全身は、上下左右あらゆるところからとんできた無数のビリビリで、今度は俺が叫んだ。
「いたっ!! いたたたたたたああたたたいたあっ!! 待てっ!! 魔力っ!! お前の魔力が俺にぃーーーーーーーーーーーーっ!!」
銀色に【バチバチ輝く】自分の体を見て確信した。結界が弾けてその欠片が俺に飛んできているのだ。さらにはたぶん、ファレイ自身からも魔力が飛んできている。だって抱えている手のひらまで痛い! 痛い痛い痛い!!
「……あっ!! もっ! もももも申し訳ございませんっ!! すぐに! すぐに鎮めますゆえっ!!」
俺の表情を見て、ようやく正気を取り戻したファレイは真顔になり息を止めるように唇を固くする。それで俺を刺していたバチバチは、ようやく収まった。
「……あーびっくりした……。あの、なんと言ったらいいのか分からないんだけど、今度からは、誉めるときは、事前に誉めるって言うことにするわ……」
「は、はい……! 大変恐縮かつ申し訳ないのですが、で、できればそうしていただけると……!!」
耳まで赤くして、俺の腕の中で顔をそむける。それから数秒後、自分の状態に気づいて飛び上がり、まるで警戒する猫のように離れて灯篭に身を隠した。
「な、何度も申し訳ございませんっ……!! 改めてっ! ようこそお越しいただきっ! ほんとうにありがとうございます……っ!!」
灯篭の陰から、ひょっこり赤い顔だけ出して俺に何度も頭を下げる。
俺はその姿に苦笑して頭をかくと、
「いや……。こちらこそお招きいただき……。どうもありがとう」
と、同じように、ぎこちなく頭を下げるほかなかった。




