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第43話 【抱っこ】のゆくえと、【またいつか】

【帰るまでが遠足】という言葉がある。

 それに倣えばこの手品も、【着地させるまでが云々】と言えるだろう。なぜならどれほど過程が見事でも、着地で失敗すればただの事故となってしまうからだ。


 なので空の俺とすいちゃん、そして地上のふたり――手品、という名目の魔術等を行う葉賀はが兄妹にとっては、帰還作業こそが重要となる。そう想いは一致しているはずだった。のだが……。


≪いまから降ろす。さあ、お姫様抱っこされるんだ≫


 俺の頭の中に不可解な言葉が響く。

 手品師のひとり、葉賀妹・なみだこと【魔術士】ルイ・ハガーのテレパシー的魔術だった。

 俺はいまだ夢見心地で浮かぶ水ちゃんの手を取ったまま、およそ十メートル下の舞台に立つルイのとんがり帽子へ半眼を向けるが、彼女はこちらを見もしなかった。


≪聞こえなかったのか? ならもう一度言う。隣の子供に……≫ 


≪い、いや。聞こえてます、けども。俺がするんじゃなくて、彼女にされろと?≫


≪そうだ。兄者の案では逆だったが、当たり前すぎて面白みに欠けると判断して、私が修正案を出したんだ。子供には、事前に私から聞いていたというていで伝えればいい。――以上≫


 一方的に話は終わった。

 どうやら彼女(たち?)にとっては、【降りるまでが手品】=【降りるまでがショー】という図式のようだ。安全にはよほどの自信があるからこその余裕と信じたい。


 ともあれ男女の立場逆転は、葉賀兄がうまくMCでいじって笑いに変えるって算段だろう。そりゃそっちのが笑いという意味では受けもいいだろうけどさ。俺のプライドとか恥じらいとかは、ふたりの計算外のことらしい。


 俺はため息をつき、兄妹を一瞥してから観客たちを見やった。

 スマホをこちらへ向ける人たち、兄のMCに聞き入る人たち、親子やカップル、友人たちとお喋りする人、人……。だれもが楽しそうで、次なる期待を膨らませた表情かおを見せている。それは俺の恥じらいや戸惑いを、ただちいさなものとして払拭するには十分な光景だった。

 ……仕方ない。楽しい思いをさせてもらった【代金】として、ここは払っておくか……。


「あー、水ちゃん。実はちょっと頼みたいことがあるんだけど」


「……? なんですか?」


 辺りに浮かぶ、ルイにこしらえられて飛ばされた動物たちから輝く目を離し、水ちゃんは躍る髪を抑えて顔をよく見せる。俺は目を泳がせたのちに告げた。


「その……。飛ぶ前に頼まれたんだけどさ。演出で、お姫様抱っこの状態で降ろしたいんだって。……で、抱っこするのが俺じゃなくて君、ってことなんだけど」


「……。えっ?」


 彼女は眉をひそめた。

 まあ、それがふつうの反応だよなあ。恥ずかしさは俺のほうが上だとは思うけど。彼女だってなんとも言えない気分に違いない。


「あー……、下のお兄さんがうまくいじって、会場のお客さんが大うけっていう。そんな感じ。たぶん浮いてるから重さは感じないと思うし、添えるだけでOKだろうと。そろそろ降ろすと思うから、なんとか頼めないかな」


 ルイがこちらを見ないまま、親指だけ『GO、GO!』とばかりに動かしている。

 葉賀兄もお客さんに語りかけながら、ウインクを飛ばす。こっちが準備完了したらすぐ始めるつもりなのだろう。


「……わ、分かりました。楽しい思いをさせてもらいましたし、仕方ないですね……」


 ため息をつき、彼女は同じように観念する。そうして俺を抱きかかえた。


「なんか……。じっさいにやると、ほんとうに微妙な気持ちです……ね」


「だろう、な。俺はその上、死ぬほど恥ずかしいんだけど……さ」


 と、引きつった笑みを浮かべながら彼女を見上げる。太陽の光と、風と、赤い魔力に包まれた水ちゃんの笑顔は、躍動する髪とは裏腹に脱力していた。

 ほどなく下から、「おおーっ!? なんだあれは……、どういうことだーっ!?」とわざとらしい葉賀兄の大声が響いてくる。それはこっちの台詞だよ……。


せいさん。晴さんはお姫様抱っこ……って。したことありますか? や、あの、昔に私が、『昔のちいさかった私』がせがんだ以外で!」


 と、「かつてのあれは、あくまで子供のおねだりですから! そういうのではないもののことです!」とも加えて彼女は尋ねた。要するに恋人と、あるいは女友達とのノリなんかでやったことがあるか、ってことか……。


 彼女はまばたきもせず、閉じた唇を震わせている。その緊張が伝わって、俺は思わず、唾といっしょに飲み込んだ息をはいて返した。


「……いや。まさか。そんな機会ないよ。今後もないだろうし、しないだろうな。俺は……」


 あんなのカップルでも、めったにしないだろう。冗談とかいちゃちゃのはずみとか、せいぜい結婚式の時にやる人がいるくらいじゃないのか。少なくとも俺はあんまりやりたいと思わない。仮にそういう関係の相手ができたとしてもだ。


 なぜなら【あの人ならば、そんなことは】――。


     ◇


 次の瞬間――。どくん! とおおきく胸が鳴る。あの人? だれだ? なんのことだ……。いま俺はな、……――。


 思考が止まり、浮かんだ疑問、違和感が半端なまま胸でうずまき頭へ駆けあがるが、そこで鍵のかかったドアへぶち当たるようにして弾け飛ぶ。すると鼓動がうそのように穏やかになり、意識が戻った。


「……ま、のは」


 自分でも聞き取れぬほどの声が漏れる。そういえば前にも似たようなことが。あの時は寝起きで、目がまわって、ものすごく気分が悪くなって……。ああ、やめよう。確か最悪な感じだった。いまそんなふうになったら大事になるし、冗談じゃな……。


「……。えっ?」 


 ふと前を見ると、そこには、ぷくー……っと。なぜか頬をフグのようにしていた水ちゃんがいた。……な、なんだ?


「な、なんで怒ってるの? ええと、もしかして、またして欲しかったかったりする? 昔みたいに。それで、もう俺がしないって言ったから……」


「――っ!? し、したいわけないじゃないですかっ!! だから【そういうのじゃなくて】って言ったでしょう!? むか……腹が立ったのは、ただなにか、冷めたような感じだったから……! だ、だいたい晴さんがだれかとそうする機会があろうとなかろうと、私には……!!」


 激高しまくし立ててくる。俺があたふたしていると、「そこのカップルーっ! んな状態で痴話喧嘩なんてするかふつー!? ともかく降ろすぞーっ! 舌かむから喋・ん・な!」と注意が飛び、俺は文句を言い続ける水ちゃんの口をふさぐ。


「ほ、ほら……! ともかく俺のことは、そういう感じだから。……もういいか?」


 俺の手の中で唇が二、三度動くが言葉はない。彼女はうつむき静かになった。俺はゆっくりと手を離し、残った温かみを取り込むように握りしめる。

 それから、しょんぼりしたような彼女を見てつぶやいた。


「……。やっぱり、今度してみようか。お姫様抱っこ。もちろん俺がやるほうで、地上でふつうのだけど……」


「……なっ! なんですかそれっ! まるで私がねだったみたいな……! だから何度も言ったように、そういうお姫様抱っこじゃなく……!」


「わ、分かってるっ! もちろん、その、さっき水ちゃんも言ってた『大人でもやるお姫様抱っこ』のことだよ! これのお返しっていうのも、もちろんあるけど……。【いまの君】にしたらどうなるかってさ。そう思ったんだよ」


 彼女はちいさなころ、お姫様のそれ以外でも、何度も抱っこをして、おんぶをした相手だ。

 いまこうして抱っこされて恥ずかしく思うのは、ただ男だからというのじゃなく、そういう関係性からきている面があるのは間違いない。なので半ば、威厳を保つための『仕返し』もないではなかった。


 けれどそれよりも、時が経ち、ふたりの関係性が変化した【いま】なら――。俺に見える景色はどんなふうだろうかと。かつてと同じことをして、それを確かめたい想いもあったのだ。

 

「……すか?」


 熱い息が降りてくる。俺は彼女へ目を向けた。

 すると水ちゃんは、俺をじっと見て……こぼした。


「……晴さんは、私を抱きたいんですか? いまの私を……。その、子供としてじゃなく……」

 

「……。――はっ?」


 俺はあんぐり口を開けた。

 それでいま、耳に入った言葉の意味を確かめようと「抱……」とつぶやいた瞬間、水ちゃんはかあああっ……! 沸騰するように赤面し、まるで高速でんでん太鼓よろしく首を振りまくし立てた。


「だっ!!! おっ!!! だっっっっこっ!!! 【オ・ヒ・メ・サ・マ・だ・っ・こ】――のことだからっ!!!! かかかか勘違い!! 誤解しないで違うからっ!!!! ちっ・が・う・か・らーーーーーーーーーーっ!!!!」


 半泣きで首を振りまくり叫ぶ。俺は彼女の唾を浴びながら、「ああ、うん、そうだよな……」と硬直した表情かおで、強く叩く胸を無視してぼそぼそ返すほかなかった。び、びっくりした……。


 いっぽう下からは兄の、「おいこら! そこのふたりっ! 舌がニ・マ・イ・あんのか!? かんでもいいんだなーっ!」という声が飛んできて、ようやく水ちゃんは我に返って静かになる。しかし下に降りるまで顔は赤いまま、決して俺と目を合わそうとはしなかったし、俺もぼんやりと空を見ていた。


     ◇


 かくして『お姫様抱っこ』状態で降り立った俺たちは、すぐさま離れようとしたが叶わない。兄の魔力である赤い光が、水ちゃんと俺をしっかり包んで固定し続けていたのだ。


 外面的には、兄が俺の尻の下へさっと丸椅子を入れたことと、ルイが水ちゃんの手ごと俺の頭を、兄も同じように彼女の手ごと俺の足を支えたことで状態を保っていると、お客と水ちゃんに錯覚させていたのだが……。俺には魔力が見えているので、固定の正体がなんなのかは明白だった。つまり、逃れられるわけがない。


「さあさあ皆さま! こちらが世にも珍し~い、空で痴話喧嘩を始めたカップルでーす! し・か・も! お姫様抱っこのまま……男が抱かれるほうのっ! いや~、これが今日こんにち的な男女の付き合い方で、ふたりの総意なのか。はたまた彼の趣味がただ全開なだけなのか。私としては後者のような気がしますねえ。……おい兄ちゃん。正直に言えよ。好きなんだろ? こ・う・い・う・のっ! 実は俺も好きだから分かるぜぇ~。俺の場合は年上の姉さんが好みだけどなっ!」


 と、長広舌のあと俺の額をつん、として会場は笑いに包まれた。俺は半泣き半笑いのまま、せめてもの抵抗で、


「年上好きですかあ。お兄さんは、まだまだ甘えたい盛りなんですねえ。ええ、俺もそうだから分かりますよ。いい年して情けなく、べったり甘えるのって、実にいいですよねえ……!」


 と、両手を広げて自分の状態をアピール、自爆的な説得力をもって、兄の反撃を待たずして会場の笑いを誘い、「うぐぅ……! 兄ちゃん、やるじゃねえの……」と、苦々しいMCを誘い一矢報いたのだった。


 そうして固定から解放されたあとも、俺たちは葉賀兄のいじりの憂き目に遭い、けれどそれはお客さんに大受けで、いよいよ会場の熱は冷めることなく高まっていった。


 もちろん【手品】も絶好調。いっしょに空へ舞った動物たち――ルイの魔術によってそう変えられた、お客さんの私物――のパフォーマンスを背景に、瞬間移動をしたり、舞台に花を咲かせたり、俺がパンダとダンスを踊る羽目になったり……。水ちゃんも女騎士のような衣装を着せられたりして、あたふたしつつもおおいに楽しみ、だれの笑顔も……一時間の間に消えることはなく。


 ショーは大成功のまま、拍手の海の中で幕をおろしたのだった。


     ◇


「お疲れ~っ! いやあ予想外の出来だったぜ! おかげで色つけてもらえるってことだし、また仕事が入っちまった。もうこっちでやっていこうかなって思ったほどだぜ」


 お客が引けつつある会場の、舞台の陰で。葉賀兄は俺と水ちゃんにコーラをふるまいながらそう言った。そしてルイからなにかを受け取ると、俺たちに差し出した。


「ほい。これやるよ。まあバイト料みたいなもんだ」


「えっ? いや、それは……」「戴けませんよ!」


 さすがに躊躇して俺と水ちゃんは同時にかぶりを振る。だが兄は「デートしてんだ・ろ? 軍資金はいくらあっても困るもんじゃねえし。映画……は見たのか。なら飲み食いとかゲームとかに使うのが無難かもな。ものが残ると親御さんがなにか言うだろうし。ともかくバイトは兄ちゃんがしたことで、兄ちゃんが奢るって形にすりゃあおおきな問題はねえ。……だろ?」


 と、封筒を俺たちそれぞれに押しつけてウインクする。その親しみやすい笑顔に、俺も彼女もほどなく自然に「「ありがとうございます」」と受け取った。


「うっしOK! 兄ちゃんもお嬢ちゃんも、文化祭とかあったら学校に掛け合ってみてくれ。魔術士のような、すごい手品師がいるってな!」


 またウインクし、俺たちの肩を叩いて名刺を出した。水ちゃんは目をきらきらさせて、「はい! 必ず!」とうなずきそれを受け取る。俺も倣ったのちに名刺を見た。【手品師 P&M代表 葉賀理亥斗りいと】とあり、携帯番号が記されている。


 文化祭か……。俺にはあんまり関係ないものかと思ってたけど、もしまた彼らを呼べたのなら、すごく盛り上がって、皆喜ぶだろうな……。予算とか、真面目に聞いてみようかな。でも……。

 俺は水ちゃんと話す兄と、そばでなにかを書いている妹を見て思う。今回もだけどこんなに派手なことしてるし、ほんとう、テレビとかネットとかに目をつけられないのだろうか……。


 そんなことを考えていると、なにかが尻に触れて俺は顔をしかめる。なっ……、なんだっ?


≪あとでそこに電話。十八時くらいがいい≫


 頭の中で声がする。顔を上げるとさっさと俺たちから離れてゆく魔法使いの姿があった。

 俺は尻のポケットへ手を入れる。そこにはさっきもらったのと同じ名刺があったが、ボールペンの、非常に達筆な番号が加えられていた。……さっき書いていたのはこれか。


≪どうもルイは、兄ちゃんのことを気に入ったみたいだぜ! 今度飯でも奢るから、あとで電話で、その打ち合わせでもしようや! ――んじゃ!≫


 いつの間にか、俺たちから離れていた葉賀兄が、ルイの肩に触れながら【言い】、空いた手をおおきくこちらを見ないまま振っていた。そうしてふたりはスタッフらしき人たちに駆け寄って、いっしょに片付けを始めた。


「素敵な人たちでしたね。妹さんとは話せませんでしたけど、今度お話ししたいなあ……」


 水ちゃんが笑顔で彼らを見つめている。俺はルイの王様のような態度を思い出し、いや、やめておいたほうがいいのでは……と思ったが、存外子供っぽいところもあったし、仲良くなれる可能性もあるかもしれないと思い直して、「……だな。またいつか……」と返すと、水ちゃんを促して会場を後にした。


     ◇


 そんなふうに、この時の俺は【またいつか】という言葉を軽く使っていたが、その【いつか】は【必然的な期日】として近くに迫っていた。

 無論、それは電話の約束からきっと実現するだろう、葉賀兄妹との食事会のことではない。なぜなら、【遭遇】が迫っているのは【ハガー兄妹】と……――。


【セイラル・マーリィと、その従者たち】だったからだ。


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