第42話 いつか【世界にもまれることになる】からな。
まだ梅雨の気配は見えない、抜けるような初夏の空のもと。
国道沿いに、まるでちいさな国のように在る巨大ショッピングモールの一階広場では、晴れの土曜日とあって、まだ午前にもかかわらず多くの人が賑わっている。
目当てはマジックショーだ。
「さーて皆さん! 今度は彼らに協力してもらって、先ほどの10倍……、いーや100倍はびっくりどっきりさせますよ~っ! しっかり心の準備をしておいて下さいね! 驚きのあまり、びっくりでなく『ぽっくり』……なーんてことになると、こちらがどっきりしてしまいますのでねえ……!」
舞台中央でおおげさに胸を押さえ、そんなブラックジョークで笑いを誘うのは葉賀兄妹の兄、理亥斗。
がっしりとした体格に、格闘技の道着のような黒装束を身にまとってはいるが、きょうのショーのためにここへ招かれた手品師のひとり。登場時、司会者には『パワーマジシャン』と紹介されていたものの、どんな手品を披露するのかまったく想像できない。
ただなんとなく、それは【純粋な手品ではない】ことだけは分かっていた。
その彼が『彼ら』と紹介しているのは、すぐそばに立つ俺――緑川晴と、幼馴染の中一女子・美浜水のこと。俺たちはショー冒頭に、葉賀兄にとつぜん指名されて手品の手伝いをするため舞台へと呼ばれたのだ。
大勢の前で。特別な舞台の上で。
水ちゃんは、だれが見てもはっきり分かるほどに興奮していた。
現在は基本、落ち着いた振る舞いで冷静さを保っている彼女だが、その実中身は好奇心旺盛なあの頃のままだということが、このきらきらした表情から伝わってくる。
こういうショーは初めてだと言っていたし、おそらく舞台に上がって見知らぬたくさんの人の前に立つというのも、あまりしたことがないのだと思う。そういう場合、多くの人は緊張したり尻込みしたりするのだろうけど、彼女はその逆、おおきな目にやる気の炎が燃え盛っていた。
いっぽう隣の俺は、舞台に上げられてからずっと硬い表情で固まっている。
それは『多くの人』の例に倣ったふつうの反応でもあったが、にこにこMCを続ける葉賀兄がただの手品師ではなく、人間でない別世界の存在【リフィナー】であることを知っているからだった。
そして彼は、【俺もその仲間である】ことを知っている。
俺がかつて魔法界で最強の魔術士、【魔神セイラル・マーリィ】だったことは知らないようだが、現在でもわずかに感じられる魔力によって、自分と同じリフィナーであることは、見ただけで理解したようだ。
セイラルとは思っていないようなので、刺客とかそういう類でないことにはほっとしたが、人間ではないと理解されている時点で、俺にとっては緊張を解けない要因になっていた。
「それでは、そろそろ説明を……って。おーい兄ちゃん、硬いかたーい! そんなんじゃ一流の手品師としてやっていけないぞ~!? 俺たちはエンターティナーなんだから! ただ手品がうまけりゃいいってもんじゃないんだぜ~!?」
葉賀兄は軽く俺の胸を小突く。それでまた観客から笑いが起きた。
ごつごつとした力強い拳に似合わず繊細なタッチで、触れたのも分からないほどのツッコミ。
それが俺にとっては、余計に彼が【人間とは異なる存在】であることを感じさせて、さらにそれが【自分もそうではない】と自覚させられ、思わず気持ちをまぎらわせるために言葉を返した。
「い、いや……! 手品師じゃなく、【ただの高校生】ですから、ただの……!」
慌てて放った言葉は、増幅されて広場に響く。
いつの間にか葉賀兄がマイクを手にしていて、俺の口もとへ近づけていたからだった。それでまた笑いが起きた。
「……。そーかそーか! てっきり【お仲間】と思ったんだがねえ……。ま、本人がそー言うんじゃ仕方ない! んじゃ【ただの高校生】君! 自己紹介、お願いできるかい!」
マイクがさらに近づけられる。
先ほどの小突きとは逆に、いっさい唇には触れていないのにも関わらず、ぐいっと押された感がある。兄の顔を見ると少し眉をひそめていた。
これは俺のノリがいまいちだったせい……というより、【ただの高校生】と俺が強調したことで、【ふつうの人間である】という気持ちをアピールし過ぎたせいかもしれない。
同郷のよしみでフレンドリーにしてるのに、しらばっくれて人間のふりするなよと。
手品師がリフィナーの暗喩の言葉だとしたら、それを否定されてやや不機嫌になってもおかしくはない。【お仲間】とわざわざ言っていたわけだから……。
そんなことを考えると少し申し訳なくなって、俺は兄から素直にマイクを受け取り言った。
「えーっ……。み、緑川といいます。高校二年です。とつぜん呼ばれてびっくりしています。どうぞよろしくお願いします……」
当たり障りのない、最低限の言葉を言い終えマイクを返す。観客は、それに合わせてまばらな拍手を送ってくれる。だが兄はまたマイクを差し向けて続けた。
「とつぜん? びっくり~? なーにをしらじらしい! 俺たちゃここに来る前に、バスで会ったじゃねーか! それで打ち合わせたろ? つ・ま・り! これはやらせの仕込みなんだぜ~い! お主も悪よのぅ……」
うりうりとマイクで頬を押してくる。その言葉と親し気な仕草で、観客は笑い、そしてすっかり俺や水ちゃんのことをこの場の無作為での呼び出しではなく、『協力者』と信じてしまったようだ。
兄はにやにや笑っている。完全にさっきの仕返しだった。俺は深くため息をつく。
「さ! じゃ~緑川君! 今度は『協力者その2』の紹介をキミから頼むぜ! そちらの可愛らしいお嬢ちゃんの名前と、キミとの関係を教えてくれ! ……ま、デートって言ってたからそれなりの関係なんだろうけどな!」
「――えっ!? あっ……」
と、声を上げたのは俺ではなく、水ちゃん。
マイクを通していないのに、広場の後ろまで届きそうな音量で、すぐに顔を真っ赤にして口をふさぎ、うつむいてしまう。
その初々しい反応に、拍手や、「がんばれー!」という声援、口笛まで飛んできて、ますます彼女は縮こまる。俺はどうしたもんかと頭をかいて、にやけ顔の兄からマイクを再びもらい受けて説明する。
「えー……。彼女は美浜さんと言って、お……、僕の幼馴染です、ちいさなころからの。いまは中学の一年生。なのでその、いっしょに出かけてはいますが……」
皆さんが想像しているような関係じゃないですよ、という意味を暗に伝える。
俺は高校二年で、彼女は中学一年生。
一般的には恋人という関係にはなりにくい学年差。少なくとも、おおっぴらにはしにくい立場の差だ。
先生と生徒よりは、ましとはいえ……。去年まで小学生だった女の子と付き合っている高校生というのは、その内実……どういう付き合い方をしているのかという以前に、そうした事実そのものを問題と捉える人も少なくはない。
水ちゃんと恋人に見られるのが嫌ということでなく、そういう意味での発言だったが、そんな常識的な言い分はすぐさま魔法界の住人によって一蹴された。
「なーにお堅いこと言ってんだ? 晴れの土曜日に! 俺も、ここにいる皆さんも! んな野暮なツッコミはしねーよ! 兄ちゃんがここで言うべきだったのはこうだぜ!! 『えーっ、清い清い、透明度300のお付き合いをしていまーす』ってな! ……それで万事OKよ!」
バンバン! と俺の背を押し出すように叩き、水ちゃんのほうへ押しやる。
その際に彼女の肩に少し触れ、「「あっ……」」ふたり同時にちいさく声を漏らす。それに兄が、わざとらしく、
「おいおい、透明度が299まで下がったじゃねーか! 兄ちゃん、200が【いまの付き合い】の限度だからな? ……そこから先は、愛の力でしばし待てぃ!」
わっはっは……と大笑い。観客もどっと沸き、拍手と口笛、祝福の言葉を投げてくる。
水ちゃんはちぢこまり、耳まで赤くしている。
俺は困ったように兄を見返すが、彼は白い歯を見せて笑うばかりだった。
なんというか、ちょっとズレたところのあるファレイや、得体の知れない凄みがあるロドリー、横柄なローシャ、カミヤとはまったく違って、ほんとうによくいるフレンドリーなお兄さんというか……。タイプとしてはバーガーショップの店長寄りか。魔術士やリフィナーにも、いろいろいるんだな……。
そんなことを考えながら、騒がしい中、ちらりと兄の横へ視線をずらす。
盛り上がり続ける会場の空気とは打って変わって、しんと静まった冬の夜のように、彼の隣で無言のまま立ち続けているのは葉賀妹・涙。
彼女もショーに呼ばれた手品師で、その恰好はつばの広い黒の三角帽子に黒マント。完全に魔法使いのそれだった。
司会者には『ミステリアス。マジシャン』と紹介を受けていて、そうした言葉通り、登場時からひとことも話さないことと、垂らしたままの長い黒髪も相まって、謎めいた雰囲気を漂わせている。
とうぜん彼女も【人間ではない】。
兄のほうは【リフィナー】という、こことは違う別世界・魔法界でいう一般人に相当する存在らしいが、妹のほうは魔術士ということだった。
ショッピングモールへ向かうバスにぐうぜん乗り合わせた時に、兄から教えられたのだ。……彼女の、テレパシーのような魔術によって。
≪さっきの兄者への言葉。人間でありたいアピールがくさすぎる。ほんとう変なヤツ。人間のどこがいいんだか……≫
バス内と同じく、そしてここへ引っ張り上げられた時と等しくテレパシー的魔術で俺の脳内に語りかけてくる。やはり二度の際と同様に侮蔑の感情を含んでいた。
一貫しているのは俺が【変なヤツ】であるという評価。それが彼女にとって変なのか、魔法界の者にとってズレているのかは分からないが……。嫌悪感を持っているのは伝わっていた。
≪……そういうあなたは、人間が嫌いそうに見えますが。なのになんで人間界にいるんですか。それに、こんな仕事も≫
年上だろうと思い、いちおう敬語にして少し意地悪く返した。心の中で。
つい数分前も思っただけで読み取られたので、今度もそうなるかと思って試してみた。果たして間を置かず、苛立った彼女の声が頭に響いてきた。
≪人間界でも【魔術士としての仕事】はある。その期間、滞在するならここのお金が必要となる。これは、そのための【人間としての仕事】だ。自分の能力を活かした仕事をするのは人間もリフィナーも同じだろう? それに……≫
彼女は、少し振り返りショーの手作り看板を見たのち、また視線を前に戻す。
≪人間は嫌いだが、人間の作り出したものは嫌いじゃない。滞在費だけでなく、それに触れるためのお金がいる。だからきょうも稼いでいるということだ≫
「……」
俺はぽかんと口を開けて葉賀妹を見る。
そういえば、ファレイの話によると魔術士という、かのバーガーショップの店長もせっせとふつうに働いていた。
彼の能力の程度は知らないが、魔術が使えるなら少なくとも、ちょっと人間ではできないようなお金の稼ぎ方もあるように思われるのに。そうしたことはせず人間と同じように労働にいそしんでいた。
そしてこの兄妹も、魔術を利用してはいるものの、地方のショッピングモールで手品を披露するということにとどめている点で、けっきょく店長と同じく【人間界の常識に沿い、真面目に働いている】ように思われた。
よくよく考えれば和井津先生……ロドリー・ワイツィもそうだ。
魔術士の力は、人間をはるかに超越している。
やろうと思えば人間界でいう犯罪行為……またはそれに近いことをすれば楽に大金、欲しいものを手に入れられるはずだ。それこそあとくされなく、ばれもせずに。
人間を見下し、嫌っている者が多そうなわりにそういうことをしないのは、もしかして魔法界の法律、決め事でもあるのだろうか。それともそれが、魔術士としての誇りなのだろうか。
そもそも、魔法界がその気になれば人間界を支配できるはずだから、それをしていない時点でなんらかの理由があるのだろう。
いずれにせよ、人間と親和性が高い常識を一部でも持っていることは、俺にとってもありがたいのは間違いない。力も怖いけど、話が合わない……通じないのがいちばん怖いから。
≪……なにを見ている≫
いつの間にか、彼女を見たまま考え事を続けていたようだ。俺は慌てて視線を外す。
い、いまの【聞かれてた】のか……?
≪……なにか勘違いしているようだが。私の【伝達魔術】は、相手に伝える場合も、こちらに伝わる場合も、主体の、相手に伝達しようとするはっきりとした意志がない限り伝わらない。盗聴や読心術の類ではない。あと有効範囲もある≫
と、俺の様子から想像したのかそう【言った】。
ということは、舞台へ上がる前に心を読まれたと思ったあれは、俺が心の中でもはっきり【彼女へ向けて】文句を言ったせいか。……今度から気を付けよう。
そうして、ぼんやり考え事をするような俺に、彼女は舌打ちし続けた。
≪さいしょからおかしいとは思っていたが……。お前、もしかして人間界の生まれか? それで魔法界のことはよく分かっていない……≫
≪え、ええ……。そういうことになるんです……かね≫
あいまいに返す。確かに【緑川晴】として生まれたのは人間界だが、セイラルの生まれはそうじゃないだろう。そして、魔神とまで呼ばれたセイラルなら……魔法界のことは【よく知っている】。
人間でありたい気持ち、じいちゃんの息子である自意識は強く持っているが、同時に真実を知りたい気持ちもあったので、それを濁らせるかもしれない発言は本能的にできないでいた。
≪……。人間界で生まれて、リフィナーであること自体知らない者や、それを知っていても、【本質的なことは、なにも知らないまま生きている】リフィナーもいる。リフィナーとしての常識がなさすぎるからそうじゃないかと思ったが、やはりか。なら【もむ】のはやめておこう≫
葉賀妹の表情から苛立ちが消える。
横目で俺を見る目は、心なしか穏やかに……と、いうより、若干同情めいた色を含んでいた。
俺は訝しげに【尋ねた】。
≪俺に腹を立てていたのに、いいんですか? まあ俺も、そっちのほうが助かるんですけど……≫
兄にされたように小突かれる、いじられるくらいならまだしも、魔術によってなにかされるのを歓迎できるほどの余裕は俺にない。だからほっとはしたが、やぶへびでも理由は聞いておきたかった。
≪ああ。私にもまれるまでもなく、お前はその無知によって、いつか【世界にもまれることになる】からな。魔法界、人間界両方から≫
「えっ……」
心の中でなく、口から言葉がこぼれる。
その時、兄ががしっ! と俺の肩をつかんでささやいた。
「ほい、涙との【秘密のお喋り】はそこまでだ。そろそろお客さんがしびれをきらしそうだから・な!」
兄は俺の尻をばしん! と叩き、妹のほうへ押し出す。
どうも俺たちが【会話】しているのに気づいて、観客をいじったり、水ちゃんをいじったりして場を持たせていたようだ。
赤面状態からきらきらモードへ回復した水ちゃんも、少し離れた場所から、「早く、早く! お客さんを待たせたら駄目ですよっ!」と言わんばかりの目で俺を見てくる。
なので観念して、『OK』の意味合いで兄へうなずいた。
「はーいお待たせしました! ただいまよりぃ~、奇跡のマジックショー、本・番・開・始ですっ! 先ほどお客様にお借りしたお持ち物とともに、この初々しいカァーっ! っポー! にも協力してもらって、皆さまを夢の世界へとご招待しま~っす!」
兄の言葉でわっ……! と会場は沸き、何度目かの盛り上がりを見せる。
拍手の海の中、兄は俺を妹の隣にきちんと立たせて、再び赤くなった水ちゃんを自分の隣に立たせて観客へと言った。
「手品にもいろいろありますが、我々の行うそれは、ぱっ! と見てすぐに分かる、楽しめることをモットーとしております。サングラスが『うさぽんちゃん』になったように! ……ということで、いまからふたりを空に浮かせま~っす!」
おおお……! と会場がどよめく。
説明不要、古今東西人類が憧れる夢である『空を飛ぶことは』、言葉通りだれが見ても驚くこと必至のマジックだ。珍しくはないが、シンプルな感動があって受けもいい。特にここのような、青天井でそれが成功したなら驚きも倍増だろう。
だが俺は、盛り上がる観客や水ちゃんとは別の心配があって、隣の妹へ今度は口で尋ねる。
「あの……。たぶん【そういうこと】なんでしょうけど。着地とか大丈夫ですよね……」
「お前はな。あっちの子供は知らん。兄者が放り投げて制止させるからな」
「……はっ? い、いまなんて言いました?」
「だから……。兄者は魔術士じゃないから、魔力で強化された身体であの子を持ち上げて空に投げて、そのまま魔力放出により空中で制止させると言っている。たまに、失敗することもある」
「……!!??」
頭の中へ響いてきた声とまったく同じ声、トーンで俺に説明する妹の言葉に、俺は全身から血の気が引く。
そして思うより先に地面を蹴って、兄のもとへ移動し彼からマイクを奪って言った。
「あっ、あの~っ! お、ぼ、僕はお兄さんやってもらいたいなあ~その【手品】っ! だってお兄さんすごい体してるじゃないですか! なんとなーくむちゃくちゃ高くまで飛ばしてもらえそうな気がしますしっ……! 僕、高く飛びたいんでっ!!」
「……なに言ってんだ兄ちゃん。これは【手品】だっつーの! 円盤投げでも砲丸投げでもないんだぞ!? 確かに俺はナイスバディだがな、腕力で空高く放り投げることなんてできねーよ! ま、確かに【そういうふう】には見せるが、あくまで手品! ……力で放り投げるって、漫画の世界の住人かよ!」
おい、お~いっ! という具合にツッコミを入れる。
それでまた観客がわいた。手品だけでなく、この兄のMCでもたぶん人気があるんだろうな……と死んだ魚の目で思いながら、話が通じないことを瞬時に悟り、兄へマイクを返すと、妹のもとへ戻って【頭の中で】まくし立てた。
≪たっ……! たたたたた頼みますっ! も、もし彼女が危なくなったら俺を落としてもいいからそっちを助けて下さいっ!!≫
≪私をなめてるのか。クラス3Aなんだぞ? ふたり空中で支えるくらい造作もない。じっさい兄者が失敗した時はそうしている。もっとも、落としてほしいならいくらでも落としてやるが≫
≪!? いっ……いやいやいやいやっ!! 空大好きちょー愛してるっ!! 素晴らしいなあ~ありがとうございますっ葉賀様、涙様っ!!≫
半泣きで、頭の中で連呼する。
それで妹は、≪ちっ……! な、なんだコイツは……!≫と盛大な舌打ちとともに戸惑ったのち、いくつかの罵倒を飛ばし、そのまま続けた。
≪……まあいい。だが【涙様】というのはいただけないな。私の本名は【ルイ・ハガー】だ。葉賀涙というのは人間界用の偽名だから、今後は【ルイ様】と呼べ。……いいな?≫
ぎろり、横目でにらんできた。
ル、ルイ……様?
ルイはともかく、様って……。いや、思わず『涙様』って言っちゃったの俺だけど。ふつうそういうの嫌がるとこじゃないの……。変なのは人のこと言えないと思うけどなあ。
≪……落としてほしいのか≫
≪わっ! 分っかりましたぁ~ルイ様っ!! ……今後はそちらでっ!!≫
「……ふっ」
と、笑みをこぼした、勝ち誇ったような……。
あれ、もしかしてこの人、無茶苦茶子供っぽい?
「おーいおい、兄ちゃん! そろそろやるから準備しな~! あと涙! お嬢ちゃんのスカートにヒモを巻きつけてくれ!」
兄の声に従い、妹……ルイはマントの中から赤いヒモを一本取り出すと、
「創術者はガードゥ・レイストア。執行者はルイ・ハガー。……束縛せよ。ミレース」
と、そばの俺にしか聞こえぬ声で言い、同時にヒモは彼女の手からひとりでに飛んで、瞬く間に水ちゃんの膝上辺りに巻きついて、脚ごとスカートの裾をしばった。
水ちゃんをはじめとして、また観客から驚きの声が上がる。
「空に舞うわけですからね! 淑女の尊厳は守られるべきかと! お嬢ちゃんもなるべく脚は閉じたままでな。……あ、兄ちゃんは素っ裸になってもいいんだぜ! そのほうが目立てるしな!」
そう、自分の道着の胸もとを開いてちら見せし、ウインク。また、どっと笑いが起きる。
俺はげんなりした顔でかぶりを振った。
「んじゃー行きますか! さあ皆さま、とくとご覧あれ! すぅぱぁ~、みらくるぅ~、――ウルトラマジック!!」
次の瞬間、兄の全身が赤色に発光した。
そして赤い光をまとったまま水ちゃんの両肩をつかんで、彼女が「きゃっ……!」と言うのと同時に思い切り放り上げる。ちいさな体は、あっという間に10メートルほど上空に達し、観客のどよめきが起こった。
「……っしょいあっ!!」
彼は掛け声を放ち、力強く右手を上げる。
するとその右手からは、赤い光が太いレーザーのように噴射して、落下を始めた水ちゃんを支え、それから包み込んだ。
「……! っ……! わわっ!!」
青空をバックに、高く空中でとまどう水ちゃんは、赤い光に包まれてふわふわと浮かんでいた。まるで水に浮かぶように……。
「……はいっ!! これが奇跡のぉ~、パワーマジックっ!! ここでしか見られない一級手品ですっ!! 皆さま、よろしければ勇気あるちいさな淑女と、すごーい私に盛大な拍手をっ!」
兄の声で、わっ……!! と一気に声援と拍手、驚きの声が響き渡る。ほどなくスマホを掲げる人、その撮影する音……。それに釣られて会場外から「なんだ?」「おい、あれ!」「うそ~っ!」等々声を上げてどんどん人が集まってくる。
慌てて司会者の人が、「どうか押さないで~! ご高齢の方や、ちいさなお子様連れの方を優先的に!」と、ほかのスタッフとともに誘導し始めた。
無理もない。壁を背に、少しだけ浮くというのでなく、青空を背にして高々と飛んでいるのだから。
とんでもない手品……というか、じっさいに飛んでいるわけだしな……。
俺は兄を見る。彼は余裕の表情で水ちゃんを見上げ、赤く光り続けながら、その光をもって上空の彼女を支え続けていた。これなら、大丈夫そうかな……。
安堵したところで、彼は俺の視線に気づき、空いた手で持っていたマイクを口へ近づけると、また言った。
「はーいはい! お次はミステリアスマジシャンによる空中飛行第二弾っ!! こっちにもご注目下さ~い! 果たしてぇ~、初々しいカップルは無事に空で逢えるのかっ!! 乞うご期待っ!!」
ざわめく中、そのあおりで、半分くらいの観客が俺たちのほうを見る。
俺はごくり唾を飲み、それから隣でしずかに立つルイを見て、心の中で【言った】。
≪ど、どうぞよろしくお願いします。ルイ……様。お、お手柔らかに≫
≪ん。息はしないほうがいいぞ。……創術者はガードゥ・レイストア。執行者はルイ・ハガー。――飛べ。ステマネイション≫
えっ……? と俺が言う間もなく視界がぶれる。
そのまま猛烈な速さで俺の体は空へと飛ばされ急に静止、内臓だけさらに上空へ飛び出す勢いで動き、思わず「――うぐっ! うぇえええ……!」と吐き気に見舞われ必死にこらえる。……あぐっ……! なっ……!
≪ゲロシャワーを降らせたら、落とす≫
頭の中で、無慈悲な声が響いてくる。
有効範囲……。10メートルくらいなら届くんだな。連絡がつくなら安心か……。
半泣き、気分最悪のまま俺はなんとか自力で体勢を整える。すると二メートルほど離れたところに、戸惑いつつも頬を赤らめて興奮する水ちゃんの姿を捉えたので声をかけた。
「だっ……、大丈……夫!? 怖くない……!?」
「あっ! はっ……、はいっ。なんというか、しっかり支えられている感じがして……! というか晴さんこそ、顔が真っ青ですよ!?」
三角座りでふわふわ浮いていた水ちゃんはそれを崩し、慌ててクロールのように空を泳ぎ、俺のそばへ。そして俺の体を支えた。
彼女の体は、兄の放出し続けている赤い光に包まれている。
いっぽう俺のほうは、とくになにもない。下のルイを見ると、掲げた右の手のひらだけ赤く光っていた。そういう魔術なのだろうが、支えが可視化されていないというのはこんなに不安なのか……。
余裕の表情をしているので、大丈夫だろうとは思うが。
そんなことを考えているうち、水ちゃんが背中を優しくさすってくれたおかげか、大分楽になる。
それで改めて下を、観客たちを見やると、皆騒いでスマホでぱしゃぱしゃやっていた。
「これ、大丈夫なんだろうな。……ネットで拡散されたりしない?」
「どうでしょう。でも、仕方ないんじゃないですか。拡散はともかく、私でも写真は撮りますもん。こんなの見たら。すごすぎますよ。いったいどういう仕掛けなんだろう……」
と、俺に身を寄せて、驚きを抑えられないように言う。俺はなんとも言えない気まずい面持ちで目をそらす。
その時、風か、兄の魔力か分からないが彼女のやわらかな髪が揺れていて、それが俺の頬をくすぐった。
「さてさて! 無事にふたりが空のデートを楽しんでいるようなので!! 盛り上げるための援軍を送ろうかと思いま~すっ! ……ここで登場しますのが、皆さまからお借りした貴重な品々というわけです!」
下から、マイクを通して兄の大声が響いてくる。
するとほどなく、舞台上で二回、三回、四回……。何度も赤く発光し、やがてひとつ、ふたつ、みっつ……。なにかがこちらへ飛んできた。
それはさいしょに、ルイが観客のサングラスから変化させた【ウサギのうさぽん】。
そして同じように変化させたのだろう、パンダやトラ、オウムや象などが、空を翔けて俺たちのほうへやってきて、ぐるぐるまわりを飛び始める。どこか楽しそうな表情で……。
果たして間を置かず、わああああ……っ!! と大歓声、大拍手が響いてきた。もちろんスマホのぱしゃぱしゃ音もいよいよ増してくる。
毎回あちこちでこんなことやってたら、そのたびにネットやテレビで騒ぎになると思うんだけど。見たことも聞いたことないし。もしかしたら、【ここまで】のことをしたのは、初めてなのだろうか。……たまたま、リフィナーである俺を見つけたから……。
「……あはっ!! すごいすごいすごいっ!! 可愛いっ!! 晴兄っ! すごく可愛いよっ!!」
驚きや戸惑いが吹き飛び、水ちゃんはただただ興奮して、昔の話し方に戻ってるのも気づかずに俺を引き、まわりで楽しそうにダンスをする動物たちを指差す。
俺はそんな彼女を見て、魔術とか魔法界とか……考えるのをやめた。
「これは俺たちも、写真撮らないとなあ。……って、もう出してるし」
水ちゃんは、俺の言葉より先に背中の水色リュックから手帳型スマホを出して、動物たちをぱしゃぱしゃ、下の様子をぱしゃぱしゃ、ここから見える空をぱしゃぱしゃ……。めったに撮れることのない景色をすべて収めんばかりの勢いで撮り続け、最後にこちらを向いた。
「こっち、こっちに寄って! ふたりで撮ろうっ!!」
そう言って、彼女は笑顔で俺の腕に抱き着き頭を寄せる。
その後、スマホを自分たちへ向けてパシャリ――。一枚収める。
だが、それを確認した瞬間、水ちゃんの表情はおおきくゆがんだ。
彼女の髪がすべて逆立っていたからだ。
「ぶっ……! なんだこれ! 漫画で【本気モード】になったヤツみたいじゃん! あははは……!」
大笑いする俺をよそに、水ちゃんは、「ちょっ、ちょっとこれ持っていて下さいっ!! なんとか……、なんとかしないと……!」と敬語に戻りスマホを俺に預け、必死に髪の毛を整えようとしたが。兄のデリカシーのない魔力の流れは、彼女の安全しか保障してくれないようで、なんどやってもつんつんうようよヘアーのままだった。
「こっ……! せ、せっかくの機会なのにぃ……!! こんなことって……!!」
半泣きで青ざめる水ちゃん。あり得ぬ非日常、非常事態にもかかわらず、ふだんのように写真の写り具合を気にする様子に俺は思わず苦笑した。
そして、やむなくうごめく彼女の後ろ髪をまとめて押さえ、もういっぽうの手で前髪も、おでこを見せるような感じで押さえる。
「ほら、これなら変じゃないだろ? いまのうちに撮りなよ」
「……あっ! そっ……、は、はいっ!!」
真っ赤な顔で水ちゃんは、再びスマホを構える。そして撮った。
写っていたのは、ぴったりと寄り添う笑顔の俺と、真っ赤な顔ではにかむ水ちゃん。
……ほんとうに、カップルのようだった。
「……おい兄ちゃん!! 透明度が下がってんぞ~!! どんだけいちゃいちゃするんだよ!! 将来のために、人前ではもちっと自重しな~っ!!」
下から大声が飛んでくる。それに合わせてどっと笑う観客たちの声、楽しそうな声……。
俺たちは慌てて離れ、水ちゃんはスマホを胸に抱きしめたまま、真っ赤な顔のままこちらを見て笑う。
それは昔から、俺がよく知っている無邪気な笑顔と、知らなかった大人の笑顔が混ざった表情で、胸が強く鳴る。……そして。
その音は、下の大騒ぎを聞こえなくするほどの、おおきく……心地よいものだった。




