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第41話 人間の証と魔術士の証左

 それから。がたごとバスに揺られて10分後。

 停留所につくや否や――。


「よっしゃ! 予定通ぉーりっ! ……行くか~? 行っちゃうかぁ~!?」


 と、いう大きな声、足音とともに、俺の右隣に風が吹き、大荷物を抱えた白い塊が、続いてその風を吸い込み拾い集めるように黒い影が音もなく通り過ぎて、気がつくとくだんの兄妹ふたりが「どもーっす!」と精算を済ませ、運転手へ頭を下げてバスを降りてゆく。それから、


「……忘れんなよ!? ――んじゃまた!!」


 そう、男が一瞬戻って顔を見せ、まだ座ったままの俺へ言い放つと姿を消した。


 そんな【突風】に当てられて呆然とする俺にすいちゃんが立つように促して、俺たちも精算を済ませてバスを降りたが、その時にはもうふたりの姿はなかった。


     ◇


 バスが去ると同時に、俺は水ちゃんに押されるように目的地であるショッピングモールの入り口まで歩き、二階への階段をのぼってゆく。休日だけあって、朝早くながらすでに多くの人たちが訪れていて、階段をのぼり切ると、青空のもとにいよいよにぎやかな景色が広がっていた。


 映画館は階段のすぐそばにあり、水ちゃんは足早に近づくと自動ドアをくぐり中へ。俺はそのドアが閉まり始めるころにあとへと続き、果たして水ちゃんに怒られた。


「なにやってるんですか。……時間に間に合っていたらいいってものじゃないですよ?」


 振り返り、眉をひそめてそう言って、俺が「あ、ご、ごめん……」と頭をかきつつ近づくと、彼女はため息をついて、またすたすたと券売機へと歩く。俺は今度は遅れないように続いた。


 バスを降りてからずっと、頭の中でぐるぐると、かの兄妹の言葉と姿がまわり続け……。どうしてもワンテンポ動きが遅くなる。いつもの水ちゃんならその様子を即、訝しみ、「……なにか考え事ですか?」と指摘してくるが、いまは映画がよほど楽しみなのか、ただただ俺ののろまな挙動に対する不満を漏らすのみだった。さっきの兄妹のことも、とくに気にしていないようだ。

 確かに、【ちょっと変わったふたり組】っていう程度だもんな。手品師マジシャン? かどうかはともかく、モールへ向かう目的もはっきりさせていたし。怪しむ理由なんかない。ふつうの人間以外……、いや。【人間以外は】――ってことに、なるのか……。


 俺は思わず舌打ちする。が、券売機前に立つ水ちゃんがくるりと振り向き、「どこにします?」と席の画面を示してきたので、慌てて笑顔を作り、怪しまれる前に大げさに指を突き出し真ん中の席を指定する。その、購入した券をポケットに突っ込むと、またごまかすように「ジュース買おう! メロンソーダ!」と言い放ち、「……やっぱり【それ】なんですね。大人になっても飲んでそう」と彼女を呆れさせて機械から離れた。


 そうして、ぼんやり気味の俺に若干の不満を抱きつつも楽し気な水ちゃんと、先ほど見た青空とは打って変わって重く不透明な空気が頭と肩にのしかかった俺は館内へ入り着席する。いまの入りは多くもなく少なくもなくといった感じだが、宣伝を嫌って本編が始まるまで入らない層もいるので、わりといい入りになるのではないかと思った。


「もっと入ってもいいのに。……絶対面白いのに」


 少し不満げに、水ちゃんは隣で漏らす。だがそれ以後はもう喋らずに背筋を伸ばして、くるくる派手に変わってゆく予告画面を見つめていた。


 きょうなにを見るか、というのはきのうの晩に電話で決まったのだが、実は、それまでは別の映画を予定していた。それでなぜ急に変更したかというと、この映画が彼女の昔好きだった映画を撮ったのと同じ監督だということに俺が気づいて何気なく言ったからだった。


 青神せいごう学院という進学校へ入学するために猛勉強し、言葉遣いのみならず、身だしなみや振る舞い、読む本等々、すっかり大人びた水ちゃんではあったが、さすがに映画を監督で見る、というマニアックな感じにはなっておらず、そこは歳相応、周りのとくに映画好きでもない中学生と同じように、なんとなく面白そうな娯楽作品を観る……といったスタンスだった。

 なので俺に言われるまで、かつて大好きだった作品と同じ監督である、ということにはまったく気づいていなかったし、言われたあとも少し興味を持ったくらいで、予告を見るまでは「まあ、いちおう……」という程度だったが、ネット上にあった、その一分ほどの映像にすっかり魅了されて「これ! これにしましょう!」と電話口でおおきな声を上げた。

 好きだった映画と同じ香りがしたとのことで、俺もその映画は知っていたから、確かにくだんの作品と近い空気感を持っていたのは分かった。で、じゃあ観ようか……ということになった。


 予想通り、ぱらぱらと人が増えてきた暗いハコの中で、まっすぐ明るい大画面を見つめ続ける水ちゃんの目は昔のまま、快活で好奇心旺盛な輝きを放っていて、俺の心は少し軽くなる。それで彼女に倣い画面へと向き直るが、態度とは裏腹に、俺の頭の中ではいままでよりもはっきりと、バスでのことが浮かび上がっていた。


     ◇


――ほーっ!! 隣のお嬢ちゃんとか!! いーねぇーいーねぇデートかっ!! ――


     ◇


――心配すんな! お嬢ちゃんには聞こえてねーよっ! ――


――ちなみに俺は兄ちゃんと同じ、魔術士じゃないリフィナーだからな! ――


――魔術士それはコイツ! つまりいまの【伝達魔術リドー】もコイツってことだ! ――


     ◇


――よくも人間と付き合えるな。変なヤツ。二次元の異性ならともかく――


     ◇


 あの兄妹は、間違いなく人間じゃない。


 リフィナーというのは……。どこかで聞いたと思って必死に思い出したが、きのう俺を襲った魔術士のカミヤという男が話した言葉だ。かんたんに言うと魔法界における人間に相当する存在で、それらが修行することによって魔術士となると。確かにそう言っていた。


 だからリフィナーというのが、向こうで言うふつうの人――【一般人】ということなのだろうと思う。ゆえに魔術士は例えるなら、こちらで言う音楽家とか医者とか、スポーツ選手などに相当する、魔術という技芸、専門知識に秀でた者たちということだろう。つまり、俺をリフィナーだと言ったのは、魔術士ほどの力……魔力を感じられないからと考えられる。だが、魔力が【あるにはある】から人間ではないと判断した。おそらく声をかけてきたさいしょから。


 兄のほうは、まず【俺が人間でない】ことが分かったので、人間である水ちゃんとは血縁関係にないと判断し、とくに恋人であるとか、そういうことは深くは考えずに異性同士で出かけていることをしてデートと言ったのだと思う。


 確かに水ちゃんは大人びてきたものの、ふつうの通りすがりの人なら、似てはいないがぱっと見で感じられる年齢差から、兄妹きょうだい従兄妹いとこ、もしくは近所同士とか、ともかくそういうつながりを想像して、ほぼデートという言葉を選んで言わないはずだ。

 もちろんちゃかして『デートかい?』と言う人もいないではないし、おおきく言えばあの兄もそんなノリなのだろうが……。そっちよりも人間と人間以外という意味合いで【兄妹という言葉を選ばなかった】という側面のほうがおおきいと考えるのが妥当だ。

 それに、兄のノリを受けて発した妹の言葉には、まさにきのうのカミヤやローシャがあらわにしていた人間蔑視のニュアンスが含まれており、なによりあのテレパシーのような技は【手品】とは思えないし。その使用を合わせても、やはりふたりは人間とは思えない(二次元云々は意味不明だが)。


 ただ兄のほうが、俺のことをリフィナーと断じていたということは、【セイラルとは分かっていない】ということで、それはつまり暗殺者であるとか、そういうたぐいではなく、たまたま乗り合わせたバスに人間ではないヤツがいたから仲間的な親近感で声をかけた、という流れだと考えられた。ファレイの話だと、バーガーショップの店長のように、人間界こっちにも魔術士はふつうにいるということだし。というか和井津わいつ先生……、ロドリーだって先生として生活していたわけだしな。

 だからリフィナーも……比率は分からないが、いることは珍しくないのかもしれない。だから、その点に関しては、ほっとしているのだが……。


 そんなふうに考えるうち、いつの間にか本編が始まっていて、俺の目と耳を次第に非日常の世界が覆い始める。だがその映画の中身は、依然、【ほんとうの非日常】が頭と心を支配しているためにちっとも入ってこず、ただただ筋を追うのが精いっぱいだった。さらには運の悪いことに魔法使いの話だったので混乱に拍車がかかり、しまいにはもうどうでもよくなって俺は考えるのをやめた。


     ◇


 上映後。水ちゃんは満面の笑みで、即、小走りで売店へと出向き、グッズをあれやこれやと手に取っては吟味しまくり、これぞという何点かを持ってカウンターへゆき、「パンフレットも下さい。この作品の!」と元気に店員へ伝えていた。

 売店をあとにしてからも、いかにいまの映画が素晴らしかったかを俺に語り、俺がなんとか相槌を打つのみでもとくに不満を漏らすことはなく、感動で頬を赤くしていた。


「あの映画も、ちいさなころはただ面白いだけだったんですけど、いま観れば、もっといろいろ分かるような気がします。あした持ってきてもらわないと! さっきの店にDVDを置いてくれてたらよかったのに……」


 と、移動しながら口を尖らせて言ったのは、さっきの映画についてではなく、かつて大好きだった同じ監督の映画のことだった。

 今回の映画が面白かったのみならず、そのテーマ性にも深く感動したので、昔観たあの作品を、いまの視点でもう一度観たい、けど売店にはなく、持っていたDVDは実家にある……ということからの言葉だった(水ちゃんは現在、通学のために祖母である坂木さかきのおばちゃんの家に住んでいる)。俺にも持ってないか聞いてきたので、かぶりを振ると、「……買ってく・だ・さ・い! 名作なんですから!」とさらに口を尖らせた。


 そうしてぷりぷりしながらも、また楽しそうに映画の話をする彼女を見て、ちゃんといっしょに集中して観ればよかったと後悔した。それが難しかったとしても。……いや。難しかったのならなおのこと、そうすべきだったのだ。


 あの日。ファレイからセイラルのことを聞かされた日のように、もう【自身の現実】から逃避する気も、思考を放棄するつもりもさらさらないが、もし……――ほんとうに。俺のこの身が【人間でない】というならば、人間であり続けるそのあかしは生活にしかないのだ。これまでと同じ、そしてこれからもそう過ごしたい、……大切な人たちとの生活の中にしか。


「あの、さ。……水ちゃん」


「……? なんですか」


 話をせき止めるような俺の声にも嫌な顔をせず、彼女はぴたりと言葉と足を止めた。


 この巨大なショッピングモールは、東西ふたつのエリアが道路を挟むようにして存在していて、その2エリアは道路をまたぐように渡された、屋根付きの長い二階部分の渡り廊下でつながっていた。

 映画館は西エリアの二階入り口付近にあり、いま俺たちはそこを出て、渡り廊下を歩いて東エリアに移動しており、立ち止まったのは、ちょうど廊下の真ん中……道路の真上辺りだった。


 そばを家族連れやカップル、友達同士などが行き交い、光や風が流れ込む中で静止する俺を、水ちゃんは訝しむことなくじっと見つめていた。映画の興奮が続いていることもあるだろうが、俺が自然体なので怪訝になることもないのだと思う。

 俺はその、昔から変わらないまっすぐなまなざしを見返して……続けた。


「実はさっき、いろいろ考え事をしていてさ。ちゃんと映画、集中して観れなかったんだ」


「……でしょうね。私の言葉にも反応が鈍かったですし。あと、動きも」


 呆れるように水ちゃんは、おおきな目を半眼にしてため息をつく。だが怒ってはおらず、ただ俺の次の言葉……どう言い訳をするかを待っていた。昔と同じように。


「ああ。……だからその、また今度。観に行かないか。その時は奢るからさ。もちろん、別の映画でもいいよ。そっちも奢る」


「……。私、いろいろ忙しいんですよ。勉強は必死にしないといけないし。だから予定は、私に合わせてもらうことになりますけど。……それでもいいんですか」


 そう言って横を向き、とおくに広がる街の姿を見つめながら彼女は言う。

 おおきな目があたたかな光を受けて輝き、肩ほどの髪は風に揺れていた。そうしてこちらを見ずにいる、すぐそばの彼女へ向けて、俺ははっきりうなずいて返した。


「もちろん。君に合わせるよ。……昔からそうしてたろ?」


「確かに、合わせてはくれましたけど、いまのように誘われたことはほとんどないですよ。私が引っ張っていくばっかりで」


 水ちゃんはこちらを向いた。頬を膨らませ、俺をじろりとにらむ。

 俺は苦笑して、頭をかくと言った。


「……そうだな。これからは俺も誘うよ。昔とは立場が逆になった感じだし」


「――……逆じゃないですよ、同じです! 私たちは! ……これからもずっと。――ずっと!」


 と、彼女は、とん、とん――跳び跳ねるようにこちらへ寄り、俺の胸を指で突く。

 それから俺の腕を取り、勢いよく引っ張った。


「さ! 次はマジックショーですよ! これからのお話は、いまを楽しんでから! ……魔法の映画にマジックに……。きょうはどうやらそういう日みたいですし、最後まで魔法に彩られたように、素敵な一日にしませんとね! ……せいさん」


 そう言って、彼女は青空と光を背に……笑った。


     ◇


 それから。俺たちは渡り廊下の終わり、東エリアとの境付近にあるエレベーターで一階へ降りると、そばにあるにぎやかな広場へと移動した。


 そこではもう、たくさんのお客が集まり、その視線の先にある舞台上では幾人かのスタッフが催しの準備をしていて……。上手かみてでは司会者らしきスーツに蝶ネクタイの中年男性が、マイクテストをしていた。

 舞台上にはテッシュの花にふちどられた看板が掲げられ、『究・極マジックショー! ~美しい魔法の世界へようこそ!~』と、色とりどりの折り紙によって作られた文字が躍っていた。

 バスの中で、かの兄にもらったチラシにあった、魔法使いの格好をした動物キャラの絵も、やはり折り紙で作られていて、花と同じく看板をにぎやかにしていた。


「あー、あー。ごほん! ……失礼。皆さまお待たせいたしました! 間もなく開演です! マジシャンが登場のおりには、どうか盛大な拍手をもってお迎え下さいっ!」


 司会者の男性がそう言って一歩下がり、舞台上に残っていたスタッフに声をかけ、彼彼女らが足早に下手しもてへと消える。それに合わせてお客たちも、次第に声を落ち着けていく。俺と水ちゃんは人込みの後ろのほうに立ち、この日のために作られたであろう舞台を見つめた。


「……どんなのでしょうね。私、こういうのを生で観るの初めてなので楽しみです」


「俺はマジックじゃなけりゃ、ちいさなころじいちゃんに連れてってもらったなあ。こんな感じで、街角とかの。ミニコンサートみたいなの」


「……ずるい。私も行きたいです。それも予定に入れておいてくださいね」


「ず、ずるい……? まあ……調べておくよ。夜遅くとか、あんまり派手なライブとかじゃなければ」


 苦笑して答えていると、水ちゃんは思い切り「晴さんとミニコンサートに行・く」と口に出して、スマホにメモっていた。……じいちゃんならなにか、お勧めの知ってるだろうから聞いておくか。


「……あ。出てきました。ほんとうにバスの人たちですね」


 と、言う水ちゃんの声で顔を上げると、舞台上手から小走りで白い塊が、続いて黒い影がゆうゆうと歩いて登場し、真ん中で立ち止まりこちらを向く。

 そして上手に立っていた司会者がふたりを示し、おおきな声で言った。


「さあ皆さん! このふたりがっ! きょう我々を夢の世界へいざなってくれる愉快で素敵なマジシャンで~すっ! ……世紀の【パワーマジシャン】! 葉賀はがぁ~、……ぉ~!! えーんどっ! 奇跡の【ミステリアスマジシャン】! ……葉賀はがぁ~、なみだぁ~っ!!」


 ぱちぱちぱち……!! と拍手が鳴り響き、それに合わせてまず男、かの兄のほうが笑顔で手を上げて、続いて女、かの妹が無表情にお辞儀をする。それから胸につけた小型マイクを少しいじって、兄のほうが言い放った。


「えー! 本日はお日柄もよく、運もよく!! ……運がいいってのはもちろん! 皆さまと出会えたことがです! そして皆さまも、きっと運が好かったと!! そう思って下さるような奇跡を!! きょうはお見せできたらなと思います! 一時間ほどですので、どうか最後まで楽しんでいって下さいね~!!」


 朗らかに言ってまた手を上げ、観客を見まわす。彼の話し方は豪快ではあったが気遣いが行き届いていて、お客も好感触を持ったようで拍手とともに声援、口笛まで飛び出した。あとたぶん、単に人柄の印象だけでなく、彼の格好が期待を膨らませるのだとも思う。マジックをやるというのに、空手のような、カンフーのような……、ともあれなんらかの格闘技の道着を身にまとっているからだ。


「さてさて! 前置きが長いのは校長先生だけで間に合っているでしょうから! さっそく本番と参りましょう! ……涙っ!!」


 そう言って少しの笑いを誘ったのち、彼――葉賀兄はがあには一歩下がり、横に立っていた葉賀妹はがいもうとを前へ出す。こちらは黒マントですっぽり身を包み、頭にはやはり黒の、つばの広いとんがり帽子をかぶり……、手品師というよりも、典型的な魔法使いの出で立ちで、さらにはほとんど喋らないので、紹介通りミステリアスな雰囲気が漂っていた。


「はい。えーっとですね! いまから皆さまより、ちょっといろいろお借りして、そちらで手品をしようかと思っています! ……なのでご協力いただける方! お貸し下さる物を持って、おおきく上へ掲げて下さい! いまなら漏れなくアメちゃんがついてきま~っす!!」


 兄のおどけた声に笑いが起き、ほどなくしてペンやお菓子、帽子やサングラスといった物を持った手が高く上がり始めた。それが十ほどになった時、「はいっ! ありがとうございました!! 以上で結構です~!」と締め切り、彼は再び葉賀妹へ声をかける。

 すると彼女は出てきた時と同じようにゆうゆうとした態度で、兄とは対照的に観客へ言葉をかけることもなく無言のまま、両手を上げた。が、次の瞬間――。彼女のふたつの手のひらが赤く輝いた。


「……。…………」


 言葉は聞き取れなかったが、彼女は唇を動かしなにやら言って……その直後。赤い光が十の指から飛び出して観客たちへ伸びてゆき、


「あっ!」「えっ?」「……はっ?」「??」


 等々の声が発せられ、気がつくと幾つもの物……掲げていたお客の所持品が、一瞬で赤い光にひったくられて、舞台上の葉賀兄の両手の上へと落下した。

 彼はどよめく観客たちに、いま【回収した】物をかかげて見せて説明を始めた。


「はい、は~いっ! さっそく【マジック】を使いまして、皆さまからいろいろお借りいたしました! 驚いておられるようですが、本番はもーっとすごいですよ! なんとこのサングラスや帽子が、可愛いウサギやパンダに変化しま~っす! ……あの絵のように!」


 と、後ろに掲げてあった看板をにぎやかにしている、折り紙製の動物キャラたちを指し示した。

 お客はそんな兄の言葉で、ようやく【ひったくり】で呆然としていた様子から気を取り戻し、「……ほんとかな」「どうやって?」「パンダになるんだって~」と疑問や期待を口にし始める。隣の水ちゃんも、さっき映画の話をしていた時のように、目をきらきらさせて頬を赤くしていた。


「涙。……で、……だ」


「……った」


 兄と妹が小声で言葉を交わしたあと、妹は兄の手から、赤く光る指でサングラスをつまんで上へ放り投げた。

 それは高々と上がったのちにぴたりと止まり――ちかちかと赤く発光し続けたのちにぱあっ……!! と強烈に輝き、俺は思わず身を引き目をつむる。そしておそるおそる開けて周囲を見るが、水ちゃんを始めとして、全員まっすぐ舞台を見ていて、だれも目を細めたりのけぞったりしていない。……やっぱり。たぶん皆、さいしょのも含めて赤い光が――【見えていない】。


「……あっ!」


 隣から水ちゃんの声がして、俺は彼女が釘付けになっている舞台へ視線を移す。

 すると空中で静止していたサングラスの周りで、赤い光がぐるぐると高速回転をしていて、それに包まれたサングラスが音もなく粉々に砕けて、じょじょになにかを形作ってゆく。……そうしてしばらくのち。

 薄茶色のサングラスは、愛らしい真っ白なウサギのキャラへと変化していた。


「……はいっ! ウサギの『うさぽんちゃん』の登場でーっす! ぴょんぴょんっ……っと!」


 兄のおどけ声を耳に入れて、ようやく事態を把握した観客は、わあっ……!! と歓声を上げて、おおきく拍手をする。水ちゃんも、昔のようにはしゃいで拍手していた。

 だが俺は、別の意味で高鳴る鼓動のために顔をゆがめ、それを彼女へ悟られないように必死に抑えることで精いっぱいだった。


     ◇


――これは、いまのあなたは魔術が使えませんが、私は使えます……ということと。あなたも魔術士であるという証明になります――


――……な……、なんでだよ……――


     ◇


――魔術は、人間には見えないからです――


     ◇


     ◇


 あの日の、ファレイとの会話が蘇ってくる。


 彼女が魔術士で、俺も魔術士である……ということを証明するために、ファレイは鉛筆を銀のつるぎへと変化させた。そしてその変化は、人間には見えないと。……見えた俺にはっきりと告げたのだ。


 いまここにいる観客たちは、水ちゃんを含めて、葉賀妹が発した赤い光が見えていない。

 そしてファレイの言葉通りなら、変化の過程と結果も見えていないことになるが……。ウサギになった結果のほうは見えている、ということは、なにかファレイの行った術式とは違うものなのかもしれない。


 盛り上がる周囲をよそに俺は気を静めるために深呼吸する。そして取っ散らかる頭の中身を冷静に整理し始めた。……いや。これは【なにもない】。ただ人間界ここにあちこちいる魔術士と遭遇しただけに過ぎない。だからふつうにしていればいいんだ。こんなことでいちいち動揺していたら、これから大切な……。皆との、人間としての生活なんてできっこない。……楽しめ、ただ、楽しめ――……。


「あっ! ちなみにこちらのうさぽんちゃんは、ちゃんともとに戻りますからね~。ほかにも仲間を増やして楽しいことを計画しているので、それまでちょっとお待ち下さい! ……さてさて! 次にですけど。……そこの兄ちゃん!!」


 とつぜん声がして、俺は顔を上げる。

 見ると舞台上の兄がまっすぐこちらを指差していて、それを追った観客たちもほぼ全員、俺のほうを見ていた。……なっ……! な、なんだ……!?


「せーっかくの楽しい休日に、その表情かおはないだろうよ……! しぁーねえなあ、兄ちゃんには特別に! 舞台という特等席で楽しんでもらおうかな! お嬢ちゃんもどうだい!?」


「えっ……! は、はいっ!」


 急に続けて指名された水ちゃんは、びっくりしたように首肯した。

 それに俺はぎょっとして、「あっ……! いや!! そんな、あれ……!」としどろもどろ、兄と水ちゃんを交互に見て取り乱す。だがさいしょはびっくりしていた水ちゃんは、すでに冷静になっていて、俺を叱るような口調で言った。


「もうっ! 昔からアクシデントに弱いっ! せっかくの休日なんですよ!? ……こんな機会はめったにないんですから楽しまないと!!」


 と、俺の腕を取り引っ張ってゆく。俺は口をぱくぱくさせて抵抗しようとするが、周りのお客たちが、口笛を吹いたり拍手したり……、いつのまにか断れる雰囲気ではないことが全身に伝わってきて、俺は体の力を抜いた。

 ……と、その時に――。


《ほんとうにおかしなヤツだな。なにをそんなにビビってるのか。……やっぱり三次元の男は駄目だな。魔法界でも、人間界でも――》


 頭の中に、声――バスの中と同じようにそれが響いてきて、ゆがんだ表情かおを舞台へ向ける。

 そこには葉賀妹が、心底呆れたような面持ちでこちらを見ている姿があって、俺は思わず頭の中で《さ、三次元とか二次元とかなんなんだよっ!! バスの中からっ! ぜんぜん意味が分から……》とひとりごちた【つもり】だったのだが……伝わっていたらしく。


《……お前。喧嘩を売ってる? リフィナーイジメは趣味じゃないが、ちょっともんでやることにする。……なんかすごいムカつく》


 と、再び頭の中に、今度は怒りに満ちた声が鳴り響き――。俺は血の気が引く。

 そうしてそのまま、楽しそうな水ちゃんと、明るくはやし立てる観客と、ばしばし満面の笑みで背中を叩き迎え入れる葉賀兄によって舞台へと上げられて。俺は、長い髪の、不機嫌顔の……。


【魔術士】の前へと立たされた。


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