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第40話 変なヤツ。

「……こら! 走るな危ないっ!」


 スーパーの廊下を歩いていたら、そんなふうに後ろから声がして振り向いた瞬間、さっとなにかが追い越してゆく。視線を前に戻すと、ちいさな男の子が手足を必死に動かし先へ先へと進んでいた。

 ほどなく今度は、ほのかに化粧品の香りをともなって女性が小走りで俺を追い越し、てとてと歩みを進める子へ追いつき抱きかかえた。


「こけたら痛いの! すぐ泣くくせに! もう……」


 母親だろうその人は、腕の中できょとんとする我が子へそう言うと歩き出す。俺はそんなさまを眺めてくすりと笑みをこぼしたあと、そばにあるお菓子の陳列棚から、粒チョコをひとつ手に取ってカゴに入れる。……が、


「……いまの笑い。もしかして昔を思い出したりしたんですか?」


 ふいに隣から声がして顔を向ける。見るとおおきな目を半眼にして、すいちゃんが俺を見上げていた。俺は思わず、「あっ……」と漏らしたのちにかぶりを振る。


「い……や。いやいや。いや。ただ可愛いなあと。ははっ。そういえばあんな時があった……」


 そこまで言って、「――あっ!」と声を上げ、ぶんぶんぶんぶんぶん! 扇風機よろしく首を動かしたが時すでに遅し、彼女は俺を横目でにらむ。さらには近くでお菓子を選んでいた小学生の集団が、「ぶふっ!」「あはははっ!」等々噴き出して、俺は冷や汗をかいた。

 水ちゃんはおおきくため息をつくと、半眼を崩さずに、


「その節はお世話になりました、保護者様。さぞかしお守はたいへんだったことでしょうね。床に座り込んで泣いたこともしばしばとか。……そうだ。昔を懐かしんでもう一度こねてみようかな。駄々」


 と、背を向けお菓子売り場を抜けてゆく。俺はだらだらかいた汗を袖口でぬぐい、先ほどの彼女のようにおおきくため息をついて、カゴの中の粒チョコを見た。……これは昔、水ちゃんがぐずった際に決まって俺が買ってあげたお菓子だった。突っ込まれないということは、こっちには気づかなかったんだよな。つい手に取っちゃったけど……戻しとこ。


 俺はカゴをからにして、彼女のあとを追いお菓子売り場を抜けるが、【駄々】を実行しているのか、近づけばさっと離れ、さらに寄れば方向を変え……。床に座り込んでぐずってくれたほうがまだやりようがあるようなね方をされ、再びため息をつく。


 テストが明けたさいしょの休日、土曜の午前。水ちゃんの希望に沿い、俺たちはまず緑川家うち行きつけのスーパーである『ゆーひ』に来ていた。一階建てのそれほど広くはないこの店は、かつて長期休暇ごとにこの街こっちで過ごしていた彼女にとっても馴染みのあった場所で、つまり先のひと幕は俺たちの【思い出】から発したものとも言えた。


 しかし、それを【好い思い出】と懐かしむのは俺だけであって、彼女にとってはそうではない。俺で言うならじいちゃんに、「お前は怖いテレビを見た晩には、決まって寝小便を垂れてなあ~」と話されるようなものだったからだ。ゆえに嫌な気持ちはよく分かった。

 ただそのいっぽうで、じいちゃんが笑顔でそのような昔話をする気持ちも、いま、少し分かってしまった。からかいの気持ちというよりも、たくさんの愛情があって思わず話してしまうということを。


「保護者様、か……」


 俺は通路に立ったまま、そうひとりごち苦笑して、離れたパンコーナーで食パンを手に取り眺める水ちゃんを見つめた。


 きょうは昔のように手を引いて、ではなく【並んで】やって来たわけだから、それなりの態度が必要なのはじいちゃんに言われるまでもなく理解していた。が、いざこうして久々にふたりで店へやって来たら、まるで時間がさかのぼったように幼い日へ帰ってしまったのだ。……というような説明をしたら、また怒られるだろうからしないけど。ともかく機嫌を直してもらわないと。下手をすると映画に間に合わなくなるし。……話題の転換だ。


 俺は少し考えたのちに、速足で水ちゃんへと近づいて、彼女が売り場に戻そうとしたパンを指差し言った。


「……あっ、そ、それ! それが『ゆーひここ』でいちばん美味しいヤツだよ。値段はちょっと高いけど、トーストならそれだね。ウチは。サンドイッチならこっち」


 言いながら、水ちゃんの隣に立って別の食パンを手に取って見せる。彼女は口を尖らせたあと、やはり半眼を崩さずに尋ねた。


「なぜですか? あっちがいちばん美味しいパンなんでしょう? もしかして、具があるから多少パン本体の味は落ちてもいいとか? 値段も安上がりだし」


「半分正解。味が落ちてもいいというか、最高+最高=超最高……ではないってこと。言ったろ? 『トーストなら』って。いろいろ試したら、具との相性がいちばん好いのが、こっちのほうだったってこと。あとは値段が安くなれば、ほかのものにお金がまわせるだろ? つまりは同じ予算で食卓が豊かになる。要はトータルバランスだな」


 俺は指を立てて言う。水ちゃんは半眼をやめて、ふだんの表情かおに戻った。俺はほっとして、立てた指を店の奥へ向けて、売り場の端から端へとゆっくり動かしてゆく。


「米にパン、肉、野菜、果物、お菓子。毎日毎日いろんなものを食べていく。一食単位、一日単位、一週間単位、……一年を通して。長く、短く、おおきくちいさく。いろんなところから見て『ビンゴ!』ってところをその都度探るのさ。そうしてバランスよく食事を作り、食べていれば調子も好いし、そうすれば心と体も好い感じに保たれて、正しく思考することができる。……というのが我が家の教えだよ」


 指をおろし、水ちゃんを見る。彼女はじっと俺の顔を見つめていた。

 それにしばたたくと、ぽつり、水ちゃんは不思議そうな……というより、訝し気に言った。


「……高校。なんでもっと偏差値の高いところに行かなかったんですか。内申が足りなかったんですか」


「はっ? い、いやあ……。内申もなにも無理だよ、なに言ってんの。……というかもしかしていまの話で頭がいいとか思ったんなら間違いだよ。じいちゃんの受け売りを話しただけで……」


「ただの受け売りか、そうでないかくらい分かります。言葉自体はおじさんのものだったとしても、ちゃんと深く理解して話していました。それに、なんというか……。おじさんに教えてもらったというか、【おじさんと、晴さんがもともと持っていた意見が合った】という感じがします。……うまく言えないんですが」


 さっきよりも近づいて、俺の目をのぞき込んでくる。俺はあとずさりして苦笑うと、何度もかぶりを振りまくし立てた。


「――もっ! もともとってなんだよ、もともとって! さっきの言葉なんて、ガキのころから聞かされてたんだぜ!? どんな天才早熟少年だったんだよ、俺は……! んなわけないってことは、水ちゃんのほうがよく知ってるでしょうが!」


「……。それもそうですね。とてもそんなふうには……。でも、もったいないと思いますよ。これはカンですけど、晴さんは絶対に地頭が……。――そうだ。いまからでも私といっしょに勉強して、西頒せいはん大学を目指すっていうのは? ……いいかも!」


「じょっ!! じょーだんじゃねーよっ!! ……というか西頒なんて目指してるの!? 中一の時点で!? 水ちゃんはいったいなにになるつもりなんだよ……!」


 驚き、おののき、俺はドン引き顔であとずさってゆく。しかし水ちゃんはノリノリでおおきな目を輝かせてスマホを取り出し、「大丈夫。日本で五番目くらいですから。おじさんに追いつくならそれくらいはクリアしないと駄目です。晴さんも男なら【お父さん】を超えていかないと! おじさんもそれを望んでると思いますよ!」と話しつつ、西頒の偏差値ページを見せてきた。……あっ、阿呆か……! んなところに行けるわけ……行こうと思ったらどんだけ……!


 しかし水ちゃんは、当時とくだん成績がよくなかったのに一念発起して、その【どんだけ】をクリアして青神せいごう学院という日本屈指の中高一貫校へ入っている。俺の泣き言はそのまま『努力が足りないだけ』と返される。だから別の、彼女を納得させる返答をしなければならない。……なにか、なにかないか、俺! 俺のほんとうの……、俺の【目的】は……!


「……っ! あっ! あのっ!! 俺って実は、したいことがあってさ……! それは必ずしも、いい大学に行く必要とかないんだよね……! そういうのじゃなくて、頭も体も使うんだけど、学校では学べない、もっと実戦的にじゃないと無理っていうか……」


「……なんですか、それ。ちなみに、トレジャーハンターとかなら、やっぱり大学で深い知識を身につけないと無理ですよ。まあ、それでも無理だと私は思いますけど。漫画とかの影響でそういうこと言いそうだから釘を刺しておきます」


 ぴしゃりと言って、また西頒のページに目を落としたので、俺は慌てて彼女からスマホをひったくり、「あっ! なにするんですか返して!」とつかみかかってきたのをけて逃げ、パンの陳列台の向こう側へ立って言い放った。


「探しものっ! 捜しているものがあるんだ……! トレジャーハンターみたく【職業】じゃなくて【生きる目的】とでもいうのかな……。ともかくそういうこと! だから大学へ行く時間はないっ!」


 肩で息をしつつ、俺はなにを言ってるんだ……と後悔した。探しものって。たぶん『トレジャーハンター』って言葉から出てきたんだろうな。じょっ、状況が悪化の一途をたどっている気がする……。


「……【生きる目的】。その場しのぎの発言でないのなら、具体的なことはまだ話せないってことですか。でもじゃあ、生活はどうするんですか。ちゃんとした収入源がないと、その【探しもの】っていうのも探せないでしょう? ……まさかなにも考えてないとか」


 じりっ、じりっ……。周りの客の視線をいっさい気にせず、目を半眼というか三角にしてにじり寄ってくる。ちゅっ、中一から将来の生活費の心配とかする~っ!? 俺なんてその歳だと、まだ変身ヒーローとかに憧れてたよ!? 真顔で『……チェンジ』とか言って鏡の前でポーズ取ってたし。……って、ちがーーーーーーーーーーうっ!! あううっ……。まずい、なにか、なにか言わないと……!


「……ちろん、バイトとか、なにか……。【探しもの】をするのに支障ない仕事を……、それで資金を。あとはだれかに……。理解あるだれかにも助けてもらって……」


「いい加減なことを言わないで下さいっ! そんなふわふわした考えで【生きる目的】が達成できるとでも!? だいたい【理解あるだれか】? なんですかそれはっ!! 人に頼る気だなんて……! ――まさかどこかの女の人を頼って、ヒモになる気じゃ……!」


「いっ!? いやいやいや!! そういうのじゃなくて! 生き方に共感してくれる人、共鳴してくれる人……――奥さん!! ヒモじゃないよ! 【助けてもらう】ってのは、精神面のことで! 隣にそんな人がいてくれたらさ、っていう……!!」


 その刹那、水ちゃんが詰め寄るのをやめて、目を見開いた。それからしばたたき、怒涛の出まかせ連発で崖っぷちの俺を見上げて、口をぱくぱくさせたあと歯ぎしりし……。下唇をかんだのちにぽつり漏らした。


「そんなこと言って。けっきょく、お金の面でも迷惑をかけることになるに決まっています。そんなもの好きな女性がいると思いますか? ……ぜったいにいませんよ。私が保証します」


「そ……うかな。まあ、そうかもなあ……」


 今度は俺がぽつりと漏らし、そして苦笑した。口からとっさに出たことではあったけど、俺ってそんな願望あったんだな……。いままで、だれも【ほんとうに好きになったこと】は、なかったってのに……。もしかしてそれも、ただの思い込みで……――。


「……れでも、馬鹿な夢を見る気ですか? 探しものと、隣にいてくれる人と……」


 水ちゃんが俺のほうを見ずに言って、それで俺の思考は中断される。

 俺はそのまま、ぼんやり彼女の横顔を見ていたが、ふいに――、ちらちらと幾つかの、はっきり捉えられないなんらかの映像が横切った瞬間、体の中に風が吹き抜けるような感じがして、さっきまでの動揺がうそのように消えて……。

 ほどなく、落ち着いた心でちいさく息をはくと返した。


「……。そうだな。夢。【夢】か。夢なら高く、おおきなほうがいいだろう? ……見てみるよ」


 水ちゃんはこちらを向いた。

 それからまばたきもせずに俺の目を見つめて、やがてゆっくりと視線をそらし……。

 そのまま目を閉じると言った。


「……っぱり頭、よくないですね。……わたしの勘違い。西頒は無理だと思います」


 彼女は俺に歩み寄って、スマホを奪い……。ぱたん、とそのカバーと閉じてリュックにしまい、パンの袋にひとつ、ふたつ触れると売り場を離れる。俺は頭をかいてあとを追い、気づけばふたりで菓子売り場に戻ってきていた。

 そして水ちゃんは、ぼんやりと陳列棚を眺めたのち……。俺に向き直ると言った。


「……晴さん。あなたと私は、幼馴染ですよね」


「……? あ、ああ」


「そしてたぶん、いちばん長く付き合っている【女】です。これはれっきとした事実だと思います」


 反論できるものならしてみろ、という気迫で俺を見据えてくる。果たして気圧され、「そ、そうだな。……たぶん」と漏らしたあと、一瞬ファレイの表情かおが浮かんだが、それはトスン、と胸を小突かれたことでかき消される。

 水ちゃんは、俺の胸に拳を押し当てたまま身を寄せて、パン売り場でのように、いや、それよりもいっそう通り過ぎる人の目も気にせずに俺を見つめて、ぽつりと言った。


「……もし未来しょうらい、その【探しもの】が見つからず。その上、晴さんがひとり寂しくとぼとぼ歩いていて、隣ががらんとしていたら――。……その時に限り、仕方ないので私が代わりに立ってあげます。幼馴染として。見ていられませんから」


 潤みをともなってきらきら輝く、まっすぐな瞳が俺を釘付けにする。

 やがて胸を押していた彼女のちいさな拳は開かれて、俺の胸の中心からゆっくりと、心臓をなぞってゆくように五本の指が滑り、広げられてゆく。開き切った手のひら、指は、俺の胸の奥にある魂をつかむようにぎゅっ……と縮まった。


 俺の鼓動は早くなり、喉の奥が熱くなり……言葉が出てこない。ただただ彼女と見つめ合っていた。そうしてまた、ちいさな子が俺たちのそばを通り過ぎたところで、水ちゃんは手を引き……。その手を今度は自分の胸に押し当てて、同じように広げてワンピース越しに胸をつかむ。そして彼女の耳と顔は、気づけば真っ赤になっていて、口はきゅっと閉じられて……。そのさまに俺がぽかんと口を開けた瞬間――。水ちゃんは、きっ! と俺をにらみつけてから、つかんでいた手を離してそのまま指を俺に突きつけた。


「――……っておきますけどっ! いっ、いまのはおっ! ……おおお奥さんとかそういうのでなくてっ!! な・が・ね・んの付き合いがある幼馴染としての同情心でっ!! 相談相手になるとか! ……そういうことですから勘違いしないで下さいよねっ!! ……分かりましたかっ!!??」


 真っ白な歯をむき出しにして怒鳴り、ちいさく細い指を俺の鼻先へと何度も突き出す。俺は二度も三度もうなずいて、「……もっ、ももももちろんっ!! その通りっ!! 気持ちはとってもありがたく……!! いやあ~水ちゃんが幼馴染で好かったあ! ほんとうに……!!」とまくし立てる。その様子ががおかしかったのか、またそばにいたちいさな子が「あはははは……!」とお菓子を手にしたまま、ぴこ! ぴこ! と音が鳴る靴を踏み鳴らして笑い……、隣のお母さんらしき人が頭を下げていた。俺も合わせて頭を下げ、水ちゃんも同じようにして……。親子がお菓子売り場を抜けたところで、ふたりしておおきく息をはいた。


「……。な、なんかすごく疲れました……。もうちょっと、買い物について聞きたかったんですけど、また次の機会に。……そろそろ出ましょう。早めに移動したほうがいいでしょうし」


「そ、そうだな……。バスの時間まではバス停で座って話でもしてたら。……やっぱお菓子でも買っておくか」


 俺は笑みを浮かべたままそう言って、そのまま陳列棚へ手を伸ばし、ごくごく自然に粒チョコをつかんでしまい、「……あっ!」と叫んだ。しっ、しまった……! つい……! ま、また水ちゃんを怒らせ……!!


 俺は硬直して冷たい汗をかきつつ、ぎ、ご、ぎ……と油の切れたブリキのロボットのように振り向くが、水ちゃんは怒り、というよりも呆れた表情かおでこちらを見つめていた。そして、お馴染みの半眼のままで手を伸ばし、俺から粒チョコをひったくると、それを顔の横でかちゃかちゃ振り、


「……昔より音がおおきい。と、いうことは減らしてますね。実質上の値上げ。お客が減ってるのかもしれませんから、売り上げに貢献しないとですね。……なくなると嫌なので」


 と、言うと俺の持つカゴにそれを入れる。そのあと苦笑する俺の顔へと自分の顔を寄せて、「もちろんお・ご・り。ですから。昔のように。そしてもう一個買って下さい。……別にいいよね? 晴兄せいにい❤」と悪魔の微笑を浮かべる。……よく知る、俺を脅すときの笑みだった。俺はがっくり肩を落とし、もうひとつ粒チョコを手に取ると、かちゃかちゃ振って音を確かめてから、しずかにをカゴへ入れた。


     ◇


 そうして、俺たちは『ゆーひ』から歩いて五分ほどのバス停で、ベンチに腰掛け十五分ほど、映画館のあるショッピングモール行きのバスを待った。その間には先ほど買った粒チョコのひとつをふたりで分け合い食べつつ(※ひとつは水ちゃんのお持ち帰り用だ)、テストのことなどを話したりした。聞けば水ちゃんのほうは自己採点で平均80点は堅いのだそうだ。いっぽう俺は前半ボロボロ、後半はまあまあとなんとかお茶を濁し、あとは水ちゃんへ質問をたくさん投げて追及を逃れた。……魔術士が来たとか、そんな話できるわけないし。ボロが出るからな……。


「……あ、来ましたよ。ぴったり時間通りですね」


 と、水ちゃんは腕時計を確かめてにこりとし、ドアが開くと軽快にステップをのぼり車内へ。俺はゆっくりそれに続き、いつの間にか先頭へ移動していた彼女を認めて、空いた車内を進む。そして運転手のすぐ斜め後ろの席へ腰をおろしていた水ちゃんに倣い、隣へ座る。……と、その時――。


「……っひーっ!! ぎりぎりせーふっっ!! ってあらあっ!? ぜんぜん人、いねーじゃねーかっ!! 華の土曜だってのによぉ~っ!! 家に引きこもってやがんのかあ!? やだね~不健全でっ!!」


 後ろから大声が響き、振り返るとトランクケースなど、なにやらおおきな荷物をいくつも抱えた男性が乗り込んできていて、ぶつぶつと文句を言っていた。……歳は20代前半くらいだろうか。白シャツに青いダメージジーンズに身を包んだその人は背が高く、かなり筋肉質で、日焼けした肌に短い髪、おおきな目。どう見てもスポーツかなにかをやっているような雰囲気だ。もしかして、試合とか大会にでも出るのかな。……でもこのバス、ショッピングモール前で折り返して、体育館とかそういうところにはいかなかったような……。

 そんなことを考えていると、男性の後ろから、


兄者あにじゃが来ること、市民の人たちにばれてしまったのかも。……うかつ。やはりきのうは閉じ込めておくべきだった」


 と、騒ぐ男性の太い声をするりと抜けて、わりと背の高い、グラマラスな女性がひとりごとのようにつぶやいた。20歳前後に見えるこちらは手ぶらで、体のラインがはっきりでるような長袖シャツにパンツ。上下とも黒で、長い黒髪は束ねずにそのまま腰まで垂らしていたので、白い肌以外、全部黒。服装の差も相まって、快活そうな男性とは対照的な雰囲気だった。


「――なっ! なにぃ~っ!? 『やはり』ってなんだ!! んなこと考えてやがったのか……! 早めに飲みに出て正解だったぜ……」


 心底ほっとしたように胸を押さえ、息をはく。そのままふたりは立ち話を続けたが、「出発しまーす。お気をつけくださーい」と、いうマイク越しの注意を含んだ声が車内に響いて、男性は、「あっ、すんませーん! へへっ! 妹のヤツが……」とぺこぺこ頭を下げていた。が、その刹那、女性は無言で思い切り男性の足を踏みつけ、「んぎゃーーーーーーーーーーーーっ!! おまっ!! なんてことを……!!」と車内に絶叫と半泣き声が響き渡った。


 俺は呆然とそんなふたりを見ていて、隣の水ちゃんも同じようにしていたが、すぐ俺の袖を引き、前を向くように促す。……だな。あんまりじろじろ見てたら、よく思われないだろうし。……っていうか、なんとなく、あまり関わりたくないような感じがするし。

 そう思い、俺はうなずき、姿勢を戻そうとした。……のだが。


「……って、おおっ!? 客がいるじゃねーか!! ……ようよう兄ちゃんたち!! このバスに乗ってるってことは! 行くんだろ!? ショッピングモールに!!」


 大声で言いながら、どたどたこちらへ男性が駆け寄ってきて、あっという間にすぐそばへ。そしてにこにこ顔で俺の肩をばしばし叩いた。俺はバスの揺れよりもひどい揺れを感じてくらくらしつつ、苦笑して答える。


「え、ええ。映画を見に。……前からの約束だったもので」


「約束……。ほーっ!! 隣のお嬢ちゃんとか!! いーねぇーいーねぇデートかっ!! わははっ!! ちくしょー俺なんて仕事なんだぜぇ!? うらやましいこった!!」


 わっはっは……! 気持ちのいいほどの笑い声を上げ、また俺の肩を叩く。俺は、デート、という単語に、「えっ!? い、そ、その……!」としどろもどろになるが、その態度を制するように隣から、「ええ。デートです。せっかくの土曜日ですからね」とぴしゃり、振り返った水ちゃんが悪魔の微笑を浮かべつつ俺の袖をつまみ、男性へそう返した。それで彼は楽しそうに歯を見せて、


「けっこう、けっこう! デート、映画ね……! この感じだと着いてすぐのを観る感じか。……ちょうどいい! なら映画が終わったあと、こっちにも顔出してくれよ! ぜったいに後悔はさせねーからよ!!」


 と、どさっ! と荷物を落とし、空いた手でポケットからくしゃくしゃの紙を取り出して俺たちに差し出す。俺と水ちゃんは顔を見合わせたあと、おずおずと俺が受け取る。見るとそこには、『究・極マジックショー! ~美しい魔法の世界へようこそ!~』ときれいなフォントで書かれた文字と、魔法使いのような格好をした可愛い動物の絵がいくつか描かれていた。


「見ての通り、マジックショーだ! いい思い出になると思うぜ! ……つーことでまた会おう、ボーイ! え~んど、ガールっ!!」


 男性はそう言って、俺たちの答えを待たずにさっさと荷物を持ち上げて後ろの座席へ。そこではすでに女性が腰かけていて、本を取り出し読んでいたが、男性が戻って来るなり、「ほんとうるさい。……けど宣伝はご苦労」とページをめくる。男性はどかっ! と隣に腰をおろし、「おうっ! きっと大成功だぜっ!!」と笑顔でいい、親指を立てていた。


 俺は手もとの、くしゃくしゃの紙をぼんやり見たあと、水ちゃんをちら見する。彼女は視線を合わせて、ちいさくうなずくと、「……いいんじゃないですか。時間もほら、映画が終わってすぐだし。私は見てみたいです」と言った。

 よく見ると、俺の腕をつかんでいて、目がきらきらと輝いていたので、俺は頭をかき、「……じゃ。そうしようか。これもなにかの縁かもだし」と返した。


 ……が。


     ◇


《縁。……縁か! なかなかいいこと言うなあ兄ちゃん! 待ってるから必ず来いよ!!》


 ふいに頭の奥で声が響く。俺は目を見開き、きょろきょろしたのち、恐る恐る振り返る。

 見ると男性が笑顔で俺に手を振り、……さらにその


《心配すんな! お嬢ちゃんには聞こえてねーよっ! ちなみに俺は兄ちゃんと同じ、魔術士じゃないリフィナーだからな! 魔術士それはコイツ! つまりいまの【伝達魔術リドー】もコイツってことだ!》


 彼は隣の女性の肩に手を置いていて、空いた反対の手で彼女を指差す。

 彼女は本を読んだままこちらを見ずに、口を閉じたまま、淡々と【言った】。


《よくも人間と付き合えるな。変なヤツ。二次元の異性ならともかく》


「………………」


 俺は開いた口がふさがらず、固まったまま後ろのふたりを凝視する。

 だが水ちゃんに、「……? どうかしましたか?」と話しかけられ、慌ててかぶりを振り、姿勢を戻し……。呆然としたまま一度腰を上げると、


 ……どすん、と座り直して脱力した。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新お疲れ様です! 確かに今月のアタマに読んだつもりが、中盤から終わりまで記憶にないので途中までだった訳ですね……(;゜∇゜)失礼しました。 水ちゃんとのデートが継続中なのは微笑ましくて…
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