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第4話 お久しぶりです。セイラル様

 古びたフェンスの門を開けると、腹の奥に響くような音がした。


     ◇


 入ってすぐ、足もとからのびる小道は山を駆け上がって、きらきらした新緑と空に包まれていく。

 俺は体を前に倒しながら、急勾配をのぼっていった。


 裏山は、食堂や体育館がある東棟のすぐ裏にあり、昼休みには憩いの場として訪れる生徒も多い。

 しかし、今の俺のように、授業の合間の小休憩に赴くものはほとんどいない。

 次の授業に間に合わなくなるからだ。


     ◇


 ファレイというヤツが何年何組かは分からないが、教室はすべて西棟に入っていて、それは東棟の向こう側に位置している。

 なので授業を終えて、例のベンチまで行くとしたら、歩いて8分、走っても5分くらいはかかる。


 体育館での授業だったら、東棟だから近いけれど、着替えを含めるともっとかかるだろう。グラウンドの場合は、なおのことだ。

 汗だくの、体操着のままで来るというなら話は別だが……。

 想像しうる用向きからして、それは考えにくい。


 小休憩は10分しかないので、つまり……、来て、なんらかの話をするならば、次の授業を遅刻覚悟か、さぼる以外にない。


 けれど、あの丁寧な書きぶりから、そういうことをするタイプとは思えない。

 たぶん、朝に俺が来ていなかった時点で、行くのはやめているだろう。

 すっぽかされたと思って。


 要するに、たとえいたずらではないにしても、今さら俺が行って、待っていたところで、来ることがないのは分かりきっているのだ。


 でも。


 しかし。


 もしかして――なんて。


 あやふやであいまいな、希望的観測に満ちた既知の言葉が、だんだんと理性を無視して俺の足を速めている。


 物語にはありふれたパターン。

 けれど、現実には限られた人間以外、めったにお目にかかれないこと。


 正直に言って、わくわくしたのだ。……俺は。


 馬鹿馬鹿しいと、頭で否定しながらも。

 きょうこのときから、新しい一日が始まるのではないかと。

 魂では感じていた。

 

 今まで読んできた、物語のような、そんな出来事が――。


「……。――?」


 急勾配をのぼり、ゆるやかな道を歩いて。

 ベンチまで数メートルというところで、俺は足を止めた。


 誰かが、ベンチに腰かけている。


     ◇


 現在、9時32分。

 1時間目が終わってから、わずか2分。


 裏山へ入るには、俺が通ってきた門しかない。

 しかし、誰かに追い抜かれた記憶はない。


 俺は、動かずに、黙って、ベンチのほうを見る。

 腰かけているのは、女だ。……しかも。

 見覚えがあった。


 同じクラスのヤツだった。


     ◇


 紺のブレザーに身を包んだ女は、背筋をぴん、と伸ばし、微動だにしない。

 ただゆるやかな風で、長い前髪と、短いスカートの裾が、わずかに揺れていた。


 すらりとした肢体と、前髪に反して、白い首筋が見えるほどの、ショートヘア。

 あいつは……、女子と接点がない俺でも、よく覚えている。


 風羽怜花ふわれいか


 切れ長の目に、通った鼻筋、淡いピンクの唇。

 そのミステリアスな美貌により、1年のときから、女子にも男子にもわいわい言われているのに、いつもそっけない態度で知らんぷり。


 2年連続同じクラスで、今は俺の隣に座る、不可解で、不可思議な……。

 ポーカーフェイス・ビューティだ。


「……。ははっ」


 俺は、女の姿を風羽と認めた瞬間、全身の力が抜けて、思わず弱々しい笑みが漏れた。


 これで、あの手紙が「例のあれ」である線は100パーセントなくなった。


 だってそうだろう。クラス1……もとい、学年1の美女が、俺にそんなものを書くか?

 いや、そもそも顔とか、クラスのヒエラルキーとか、そんなもの以前に、関わりがないのだ。

 去年も、今年になってからも、会話はおろか、目が合ったことすらない。

 隣の席になった今でもそう。

 風羽にとって、俺など、存在を知ってはいても、クラスの机かイスに等しい人間なのだ。


 同じように、いたずらの線もない。

 からかうほどの接点が、ないのだから。


 ……いや、待てよ。

 まだ風羽が差出人と決まったわけじゃない。

 同じ場所に、たまたま座っている可能性もある。


 裏山にベンチといえば、あれしかないけれど。

 たまたま、ぐうぜん、ここに来ているだけかもしれない。

 今の時間だと、1時間目を途中から抜けてきた、ということになる。


 風羽が授業をさぼる?

 いつも無表情だけど、態度は真面目だし、……それこそ考えられないな。

 そこまでして、なぜ、ここにいる……。


 俺はかぶりをふり、おおきく息をはいた。


 それから、さっきまでのどきどきとか、昇降口でのばたばたなどを思い出すと、急になにもかもが馬鹿らしくなり――、いつものお澄まし顔で、こちらに気づかず座り続けている風羽に、腹が立ってきた。


 そうしていつの間にか、ずかずかヤツに歩み寄り、正面に立って――俺はまくし立てていた。


「おい。あんたもさぼることなんてあるんだな」


 ぶっきらぼうな声で。

 ちなみに、2年になって、クラスの女子に話しかけたのはこれが初めてだった。

 なんとも情けない……苦笑いするしかないが、このときは、投げやり度マックスなので、どうでもよかった。


 俺の言葉に対し、風羽は、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。


 相変わらず、無表情のまま……と思ったら、わずかに目が、潤んでいた。

 よく見ると、ヒザに置いた手が、小刻みに震えている。


 そのさまで、俺は一気に頭の熱が引いた。


「……あ。……や。えっと……。もしかして早退した? ……とか」


 しどろもどろ、言葉を言い換える。

 女に慣れていない俺じゃなくても、こんな表情かおされたら、うろたえるに決まっている。


 涙こそ流していないが、泣いていたのだから。


     ◇


 風羽は、気まずい顔をする俺を、しばらくじっと見つめたあと、ゆっくりと長いまつげで目を覆う。

 それから、姿勢を戻したのち――すっくと立ち上がった。


 距離が、近い。

 心臓の鼓動が、速くなる。


 風羽の目は、もう潤んでいなかった。


 いつもの無表情で、手が届くところに立って。

 少しだけ背の高い俺と目を合わせるため、見上げている。


 そうしているうちに、2時間目の始まりを告げるチャイムが響いてきた。

 俺は呪縛が解けたように、1歩下がる。


「……チャイム、鳴ったけど。早退じゃないなら、行ったほうがいいんじゃないの」


 やっとのことで、声を出す。

 いや、あんたも帰れば? 同じクラスじゃん……と突っ込まれること必至の、くだらない言葉だったが、風羽は、ちいさくかぶりをふって、言った。


「構いません。大事な用がありますから」


 ……。なんで敬語なの?


 もしかして、先輩とか思われた? それともよく知らないヤツだから、とりあえず敬語使っておこう、みたいな。……いや、どっちにしろ。

 同じクラスとさえ、認識されてないのか……。


 俺は引きつった顔で笑い、痛む胸を押さえながら、言った。


「あのさ。……1時間目。どう言って抜けてきたかは知らないけど。ここにいるのがばれると、まずいよ。同じようにさぼ……、授業中でも誰かが、来ることもあるし。あんた、けっこうな有名人だから、顔を知られてる。……教師に告げ口でもされたら」


「抜けてきたのではありません。1時間目の授業には出席せず、登校してからずっと、来られるまで、ここでお待ちしておりました」


 ……。はっ? 出席せず……って。お待ち? ……――えっ?


「それに、さぼりの生徒が、さぼりの生徒を告げ口するとは思えませんが」


 淡々と、真顔で、くそ真面目な言葉が返ってくる。……頭が混乱してきた。

 ちょっと待て、どこから聞いたらいいんだ……。


「あー……。あのな。あんたは真面目だから分からないだろうけど、さぼりを屁とも思っていないヤツらってのが、いるんだよ。で、そういうのが、絶賛さぼり中にあんたを発見、その後、自分のことは棚に上げて、『A組の風羽が、裏山でさぼってたぜ』……みたいな。そんなことも、ないとは限らない。……いや、それだけじゃなくて、変なヤツらだったら、脅されたり……」


「脅す? なぜそんな、不可解なことを? 自らも規則を破っているのに。意味が分かりません」


「……」


 この話は、もうやめておこう。おそらくかみ合うことはない。

 真面目とは思ってたが、ここまでだったとは……。


 頭をかいて、うつむいていると、「あの……」とちいさく声をかけられる。


「……なに」

「先ほど、私のことを有名人と仰いましたが……。私はその言葉に該当しないと思います」

「……なんで。目立ってるよ、あんた。1年のときから」


「……! そ、そんな……」


 急に青い顔となり、あとずさりしたのち、べたん、とベンチに座り込む。

 なんだ……、どうしたんだ?


「交流も極力さけてきましたし、成績も上すぎず、下すぎず……。ふつうらしく、ふるまっていたというのに……」


 おーっと、ほんとうは実力あるけど手加減して平穏な生活を保ってる系女子かーっ!? ちょーっとお兄さん、腹立ってきたぞー。


「……おい。あんたが陰ながら、どういう努力をしてきたかは知らないけど、そういうことじゃないんだよ」


「……えっ?」


 泣きそうな顔を上げて、こちらを見る。

 俺はためいきをついて、言った。


「すごく綺麗なんだ、あんたは。他の女子なんて目じゃない。……学校で1番だと思うよ」


 風羽は、目を見開いたまま、俺を凝視している。

 俺は、訝しげに見返した。


「……なに。どうしたの」

「あ、あ、あ」

「……あ?」


「あーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」


「――はっ!!?」


 次の瞬間――風羽はベンチから地面へと倒れ込み、横倒れになったまま、両手で顔を隠してぐるぐるとまわり始めた。……ちょっ! なにをしている!!


「制服が汚れる……ってか、スカート!! ――脚っ!!」


 頭を中心として、コンパスのようにまわり続けた風羽は、5周目にしてようやく静止し、そのときにやっと俺の言葉が届いたのか、トマトもびっくり耳まで染まった真っ赤な顔でスカートを押さえて寝たまま後退、俺から5メートルほど先で、立ち上がり……。何事もなかったかのような顔で全身の砂を払い、髪を整え、すたすたとこちらへ戻ってきた。


「失礼しました。……先ほどの行いは、すべて忘れてください」


 いや、無理だろ……。

 たぶん死ぬ間際まで、覚えているわ。


 俺は、再び真顔に戻った風羽を見ながら、考える。

 ……まったく、ぜんぜん、イメージと違うじゃねえか。


「風羽さんって、花にたとえるならだんぜんバラだよねーっ」「っていうかー、ガラスでできたバラって感じ!」とか盛り上がっていた女子たちは、この砂だらけのさまを見たら、どう思うのだろうか。

 ……訳が分からない。


 俺は、鞄をちらりと見やり、それから下唇を軽くかむ。

 ……いちおう、確認しておいたほうがいいとは、思うが……。


 俺はおおきく咳払いして、しずかに言った。


「ちょっと。あんたに聞きたいことがあるんだが、いいか?」

「はい」


 もう動揺はかけらもなく、落ち着いて、はっきりと答えた。

 立ち直りが早すぎて、こっちが調子狂うな……。


「えーっとな。さっき、待っていたって、言ってたけど。誰をだ。差し支えなければ教え」

「あなたをです」


 即答された。……マジかよ。


 俺は訝しげに風羽を見つつ、鞄をごそごそやると、例の封筒を取り出した。


「じゃあ、これを俺の下駄箱に入れたのも……、あんたか?」

「はい。間違いありません」

「大事な用があって? 俺に」

「そうです」

「……。あっそう……」


 それ以外、言いようがない。

 ……なんなんだ、いったい。


     ◇


 俺と、風羽怜花。


 確かに、二年間、同じクラスだ。

 今は、隣の席でもある。

 しかし、会話はおろか、目を合わせたことも、間違ってわずかに体が触れたこともない。


 接点はないふたりのはずだ。

 なにも――。


     ◇


「……呼び出した理由を聞く前に。もうひとつ、いいか」

「はい」

「なんで敬語で喋ってるの。俺のことを知ってるなら、必要ないだろう」


 風羽が、クラスで話しているのを見たことはあるが、敬語なんて使っていなかった。

 先生や、風羽の噂を聞いてやってきた上級生たちには、敬語で接していたが。


 だから、誰に対しても敬語というわけではないので、気になったのだ。


「それは……、そう思われるのは。あなたが誤解をされているからです」

「……誤解って、なんだよ」

「ご自分と私とは、ただの、同い年のクラスメイトであると。そういう誤解をです」


 俺はしばたたいた。

 風羽は、表情を崩さないまま、続けた。

 

「あなたは、緑川晴として、この世界で17年間、過ごされてきました。ですがほんとうは、別の世界で258年、生きてこられた方なのです」


「……」


 口を開けたが、言葉が出ない。

 絶句とはまさにこのことか。


 ……コイツはなにを言ってるんだ?


 そんな様子もお構いなしに、風羽は1歩、足を後ろへ引くと……、スカートの裾をつまんで、ヒザを折り、目を閉じて、深々と頭を下げた。


 そうして、しばらくのち――。

 目を開けた彼女は、唖然とする俺をまっすぐ見つめて、言葉を放った。


「お久しぶりです。セイラル様。……ご命令通り、このファレイ・ヴィース。17年の時を経て、あなたのもとへ参上しました」

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