第37話 誇り
【言葉が出ない状況】にはいろいろある。
たとえば驚いて言葉を失っている時、または発すべき言葉が複数あって選びかねている、もしくは適切な言葉は用意できているが、発しにくい場合など。
しかしいまの俺は、そのどれか、ということではなく……。
順を追って【すべてのパターン】を体験していた。
「……。その表情だと。【従者】という言葉の意味はおおむね把握しているようだけど。内実は思い出せていないようね。……ほんとうになにからなにまで……か」
先生はタバコを人差し指と中指で挟むと口から離し、くるん、と指を動かして消す。それから口に残った煙をはき出すが、次の瞬間――、ばしん! とテーブルを叩く音がして俺は横を向く。見るとファレイが前のめりになり先生をにらみつけていた。
「……にを馬鹿な、――……馬鹿なっ!! あなた、正気ですか!? ご自分がなにを仰っているか……。……いまのは聞かなかったことにしますからただちに取り消して下さいっ!!」
赤い顔で怒鳴りつける。テーブルに置いた手も体全体も震えていて、ナイフと化していた鉛筆は形を崩し、溶けたハンダのように平べったくテーブルに貼りついていた。
そんなふうに動揺を隠さないファレイにも、先生は微動だにせず淡々と返した。
「取り消せないわね。こっちも命がかかってるから。……それにあなた。『聞かなかったことにする』なんて、ずいぶん驕った物言いもするのね。まあこちらもそれは『聞かなかったことにする』からともかく。従者に止める権利はないはずよ。……セイラルがあなたを従者とすると決めた時、先代従者の【最高のA】がそれを止められたかしら? おそらく反対はしたと思うけれど」
「……っ!! そ、それは……っ!! その時といまでは……! いまはセイラル様の記憶が……!」
「記憶がない【緑川君】の意見は【セイラル・マーリィ】の意見とは認めないと? でもあなたがいま仕えているのは緑川君じゃない。それは彼をセイラルと同一と思っているからでしょう? なら一貫して、緑川君のすべての態度をセイラルのそれとして認め尊重すべきだわ。……ことの軽重大小で主の言うことに従えたり従えなかったりするのは感心しないわね。たとえ主のためだとしても。それは忠義心ではなく二重規範というものよ」
「うっ……! ……――くっ……!!」
表情をゆがめて、テーブルに爪を立てる。体の震えはいよいよ強くなり、目は先生に対する怒りと……言い返せない自身のふがいなさに対する怒りで充血していた。
俺は唾を飲み込むとファレイの腕をつかむ。彼女は「……!? セ、セイラル様!?」と驚き一瞬で怒りの色を消し……。俺はもとに戻ったファレイに言った。
「……すまないが、先生の話をひとまず聞かせてほしい。そのあと俺のほうからもいろいろ話したいことがあるんだ。今後のために。……頼む」
腕をつかんだまま頭を下げる。ファレイは「あっ……! そ、そんな……! セイラル様……!! おやめ下さいっ!!」と泣きそうな声が耳をつく。俺は顔を上げ、彼女をつかんでいた手を離して……じっとその黒曜石のような瞳を見つめる。ほどなくファレイは唇をかみ、ちいさくかぶりを振って……ちいさくなるように身をかがめて着席した。
「すみません。まず従者になる、する……というものがどういうものか話してくれませんか。……ご指摘の通り【緑川晴】にはなにも分からないので」
先生にそう言って、わずかに頭を下げた。
彼女は二度うなずいたのち、しずかに話し始めた。
「……まず。従者になる、する……というのは、単なる口約束や書面の契約ではなくて。主となる者と、従者となる者とが、存在と存在をつなげるために契ることなのよ。リフィナーや魔術士の、生命や魔力の源となる魔芯を……主従となる者同士で結びつける。それは契約を解除するまで継続されて、……ありていにいうと主従契約を交わした者同士は魂を共有することになる。もちろん共有といえど上位に立ち、魂を握っているのは主のほうだけど」
先生は俺と、隣で唇をかみしめてうつむくファレイを順に指差し、続けた。
「あなたがいまただひとり、主従契約を交わしているファレイ・ヴィースは……。あなたに魂を握られて仕える代わりに魔術士としての教えを受け、独りでは得られない貴重な経験値を蓄えられる上、庇護を受けられる。たとえば主は【従者を決して見捨てない】。情や損得勘定を抜きにして、必ず危機を救おうとする。それは義務というより誇りね。従者を持てるのはクラスS以上で、そこへ至るには魔力のみならず魔術士としての品格が必要とされるから。ゆえに万が一、誇りが汚れた場合は瞬時に精霊が【Sの称号】をはく奪する」
「精霊が……? そ、その……。SとかAとか、魔術士の位は……。精霊が決めてるんですか?」
「ええ。王や貴族なんかの社会的序列はリフィナー社会の取り決めだけど。こと魔術士のランクに関しては太古の昔より精霊がすべてを決めている。精霊はリフィナーのような自意識人格はない自然的存在だから、言葉を発して命じたり許可したりするわけではないけど。【力を貸す価値がある】【ない】ということだけは――、こちらの認識できないあちらの判断で絶えず行っていて、ランクアップの際も精霊にお伺いを立てなければならないわけよ」
「……誇り、というのは人間的な……。そちらで言うとリフィナー的な価値観だと思いますが……。その意味が精霊にも分かるのですか」
「誇りというのは分かりやすいように言っているだけで、要は精霊が、自分の貸し与えた魔力が不適切に運用されたと判断したら貸すのをやめるという話。精霊は我々の上位の存在だから本意は分からない。ただこちらの常識価値観・知性感性で翻訳して解釈しているだけよ。……ともかくそういうことで、クラスS以上しか従者は持てないし、従者はクラスA以下でないとなれない。クラスSが従者を持つ持たないは自由だけど、Sになった者はだれかの従者になることはできないの」
先生は言い終えてファレイを見やる。
その時彼女は一瞬うろたえて……慌てて目をそらした。
「……。以上がかんたんな説明。まあ主従双方にメリットがあるわけだけど。さっきファレイ・ヴィースが大反対したのは、人間界の雇用契約とはレベルが違うものだからよ。記憶のないあなたが、私のような【外法者】」を従者にするなんてとんでもない……ってね。精霊の意志を無視した存在であるから、契ることでもしかしたら精霊たちを怒らせることになるかもしれないし、そもそも【外法者】自身からなにをされるか分からない、ということ。……あとはまあ、従者は自分ひとりだけがいい、とか。その辺りも……」
「――そっ!! そそそそそんな恐れ多くもみみみみみみ身勝手な考えなどっ!! ああああああああり得ません訂正して下さいっ!!!」
真っ赤になって立ち上がり、再びテーブルを叩くファレイ。
今度は先生も、「……失礼。これに限っては訂正するわ。憶測だから」と手を上げて頭を下げる。
ファレイはテーブルをがりがり指でかいたあと、耳まで真っ赤にしたまま着席する。
俺は少しだけ目を閉じ、開けたのち先生に言葉を発した。
「……従者についてはなんとなく分かりました。それはクラスA以下でしかなれない。あなたはクラス1Bだからなれる。それに話から、複数持つこともできるということも。だからファレイを従者としていても、新たにあなたを加えることも可能であると。……けどですね。さっきのカミヤが言ったことがほんとうなら、俺の魔力値は4しかないということなんですけど。そもそも術式? というものもなにも覚えていないですし、契約なんて……」
ファレイが来る前に。ヤツはなんらかの術式によって確認したのち、俺に対してそう言った。
契約をするしない以前に、そんな俺が以前のセイラルと同等の契約など可能なのだろうか……。
「ええ。【表に出ている魔力値は】ね。けれどその輝きは以前とまったく遜色がない。それは僕ちゃんも言っていたんじゃないの?」
「……は、はい。そういえば確か……。異様に練磨された輝きを放っている、とかなんとか」
「でしょうね。つまりそれは、いまだ精霊があなたから【Sの称号】をはく奪していないということ。だからおそらく魔力は失われずに魔芯へ封印されているとみるのが妥当だと私は考えている。……あなたはどうかしら」
先生はファレイを見やる。
ファレイは下唇をかんだのち……「私も……。そのように考えております」と漏らした。
俺が驚き彼女を見返すと、ファレイは俺に向き直り……。目を伏し勝ちにして話し始めた。
「……以前お話ししました通り、セイラル様が【緑川晴】様として、人間界で生活を送られていることは……。過去のセイラル様に接触のお許しを頂いた二年前の期日より直に確認しております。けれどほんとうに晴様がセイラル様であると確信したのは――。数日前に魔力が戻られた瞬間からです。もともとのセイラル様の魔力とはおおきさ強さはまるで違いましたけど、輝きはかつてとまったく同じで……。ゆえに彼女同様、膨大な魔力は魔芯へ抑え込まれているだけだと。……そう考えております」
あの日のことを思い出したのか……。ファレイはわずかに声が詰まり、さらにうつむくと目をこすった。
俺はそれをじっと見たのちに、ゆっくりと先生へと向き直る。
すると彼女はタバコを一本抜き出すと指で弾いて上へ放る。
タバコはくるくると回転したのち、ぴたりと空で静止して……俺たちの間で浮かび続けた。
「いまのあなたは記憶がなく、従って術式も思い出せず、魔力は制限されている状態にある。だけど裏を返せばそれは【なにも失っていない】ということよ。ただ金庫のカギを失くしただけ。……で、そのカギの在り処はともかくとして。主従契約自体はクラスSの資格と、その魔力さえ失われていなければ可能なのよ。術式も必要ないしすぐに終わる。……だからこそその子が反対したわけだしね」
いつの間にかファレイは背筋を伸ばし先生を見ていた。
今度はにらみつけるということはなく、ただ冷静に。
いつもの落ち着いた際に見せる、氷の彫刻のような美しさをたたえたまま先生へ言った。
「……確かに私には。セイラル様がお決めになることについて口出しはできません。それがたとえ……その御命を脅かすことであっても。従者の立場としては。……だからこれはセイラル様とは関係のない私個人の、あなた――ロドリー・ワイツィ氏に対する質問です。……よろしいですか?」
「ええ。どうぞ」
先生はしずかに応える。
ファレイはまばたきもせず先生を見据えて、「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はファレイ・ヴィース。揺らぎを捉えよ。――ハスター」とつぶやき……、自らの全身を淡い銀の光で包んで続けた。
「あなたがなにを考えているかは、いまは問いません。だけどこれだけはこの場で答えていただきます。言っておきますが、いまの私はそちらの魔力のわずかな揺らぎも確認できる状態にありますゆえ、ごまかすことはできませんので真直にて。……あなた、セイラル様に害意は?」
「ないわ。それがセイラルの心身に悪影響を及ぼそうという私の積極的意思に関してなら」
「……ほかの意味ではある、ということですか」
「かもしれない、ということよ。たとえば私が従者になって行うこと、なることそのものが、セイラルの……緑川君の今後に悪いことを及ぼさないとは保証できない。……さすがにそこまではね」
「……分かりました」
ファレイは真顔のまま目を閉じ、全身の光を消すと先生に頭を下げた。
それから頭を上げると同時に言い放った。
「もし、セイラル様がこのあとあなたと主従契約を結ばれて……。従者となったあなたが、以後なんらかの行為――【外法的】なもの……――により、意図してセイラル様の心身を脅かすことがあれば……。従者同士戦うことはできないので、私は自身の契約を強制解除したのちあなたを殺します。……どうか心の片隅に」
カミヤやローシャへ向けていたような冷え切ったまなざしを先生に向け、俺はぞくりとする。
テーブルで溶けて貼りついていた鉛筆だったものは、すべてを貫くと言わんばかりの刃へ変わっていた。
先生は目を細めてそれを見やったのちに、ファレイへちいさく言った。
「従者のほうから契約を破棄すれば、その従者は二十四時間以内に死ぬんだけど。私を殺せてもあなたが死ねば、彼は【緑川晴】のままひとり、魔法界や人間界の魔術士たちに狙われることになるわよ。ちょっと無責任過ぎないかしら」
「私にも、あとを託す魔術士の知己はおりますゆえご安心を。……そこまで愚かではありません」
「……。ただの感情論でも私欲でもないようね。まあセイラルの選んだ【後継者】だからとうぜん……か」
先生は息をはき出すと首筋をさする。
そして呆然とする俺へ言った。
「聞いての通り。あなたには怖~い従者がいるから。仮に私がなんらかの悪だくみを抱えていたとしても安心していいと思うわよ。つまり、ただ私を従者とするメリットがあると思えばしたらいいということ。……そう思わせるための【売り込み】をいまからするんだけど」
先生は空に浮いているタバコの真下に、タバコのハコを置いた。
そして浮いているほうを指差すと、「創術者及び執行者はロドリー・ワイツィ。清かに包め。……ロティール」とつぶやく。すると浮かぶタバコから末広がりに紫色の光がおりて、ハコを包み込んだ。
「私が最も得意とする術式は結界術でね。こうしてタバコのハコほどの小さなものから、最大はこの学校の敷地くらいまで包み囲えるわ。強度のほうも……。限界まで上げればクラス4S以下なら立ち入り不可にもできる」
「……4S!? そ、それはほんとうなのですかっ!?」
ファレイが立ち上がり叫ぶ。先生は片目を細めて彼女を見やると、うなずいた。
「ええ。五立(※五人。立=人)くらいまでなら。だから【白の魔術士団】がまとめて来られたらヤバいわね。……いまのところ、それは神のみぞ知るという感じだけれど」
「…………。【外法者】というのは、そこまで……」
ファレイは下唇をかみ、再びテーブルに爪を立てる。
先生はそんな彼女を横目で見つつ指を鳴らす。するとちいさな結界が消えて、浮かぶタバコには火がともる。
それを彼女はつまんで唇へ引き寄せて、また煙をくゆらせると俺へ言った。
「……あなたの従者、ファレイ・ヴィースは【最強のA】と呼ばれる魔術士で。その名の通り、Aまでしかなれない従者の中では最高ランクの強者よ。今回は追い詰められていたけれど、上位クラスである6Sのお嬢ちゃんともおそらく互角かそれ以上の。……だけど戦闘のあとにも言ったように得手不得手というものはある。再生術に、……結界術も私のほうが上でしょうね。つまり総合観点からは、この子ひとりではあなた……。【緑川君の生活】を守り切ることはできないと私は考えている」
ファレイの体がびくんと動く。
その頬の筋肉は押し上がり……テーブル上の手が固く握りしめられてゆく。
「あなたひとりの生命を保持することはできるかもしれないけれど……【生活】は。その日常、それに含まれる家族、友人、クラスメイト、知人……。関りがある、今後関わり得る人間たちをすべて守り切ることは無理。さっきお嬢ちゃんと僕ちゃんが、緑川君の生命生活を壊しに来たように、これからは幾立もの魔術士が襲ってくる可能性が高い。あの子たちが周囲に漏らすか否かに関わらず。……一度穴が空いた袋というものは、それがちいさなものでも早いものよ。穴から広がり裂けてゆくのは。ならば打てる手は早々に打っておいたほうがいいと。老婆心ながら助言するわ」
先生は、煙の……厚い眼鏡の向こうから俺を見る。
……この人は。いや。この【魔術士】は。
カミヤやローシャのように【人間】をはっきり見下しているのか、ファレイのようにどうでもいい、取るに足らないものとして捉えているのか。どう思っているかは分からないが……、少なくとも人間としての生活や周りの人たちが【緑川晴】にとって大事であることを理解しているように感じる。
【和井津先生】としての……もしかしたらそれ以前からの【だれか】の。人間としての生活が長いからか。ともかくそれを分かった上で俺に契約を持ちかけている。
「あなた、このままじゃ遠からずどうにもならなくなるわよ」と。
その忠言がセイラルに対するどのような感情から来ているかは、いまのところ謎だ。単に自分と契約したほうが得である、という主張のひとつとして人間的立場に理解を示しているだけかもしれないし。……だけど彼女の奥底を確認するよりも大事なことがいまの俺にはあった。
ファレイがセイラルを想う気持ちは痛いほど分かったし、彼女が先生を従者に加えて欲しくはないと思っていることは嫌でも伝わったが、きょうの戦闘を目の当たりにしたいまとなっては……。
じいちゃんや。
おばちゃんや。
水ちゃんや。
伊草に橋花や。
ほかにも俺の目に、耳に、肌に残る人たちの……皆の生活と生命を守るためにも――受諾する以外に選択肢はない。
それに先生は、セイラルと面識があるような口ぶりだった。
それがどの程度のかは分からないけど、ファレイが教えてはくれない【セイラルの私的な部分】について、なんらかのことを聞けるかもしれない。
記憶を取り戻しうるきっかけとなるような。……だからもう、俺の心は揺らぐことなく決まっていた。
だが。その前に――……。
◇
俺は唾を飲み込むと一度目を閉じ、重い唇を開いた。
「……あなたはなぜ、セイラルの従者になりたいんですか。つまりあなたの【メリット】は、というか【目的】は、いったい……」
「まあ、それなりに、だけど。いまはその【目的】以前にね……。まず、即ならなければ生命が危ういのよ。ミティハーナのお姫様を半殺しにしたから。あの子がプライドから口をつぐんでも、僕ちゃんに口止めしても……王国のだれかは【外法者】の仕業と気づくでしょうし。僕ちゃんが拷問にでもかけられたらそれが私と特定される。実は私が人間界で生きていることもあの子にバレてるし、遅かれ早かれ王国の者が殺しに来るのは間違いない。……ともあれ、いますぐセイラルの従者になれれば助かる可能性が上がるから、できればそうしてもらえるに越したことはないわけよ。……なぜ上がるかはあとで説明するわ」
内容の私的さひっ迫加減とは裏腹に、遠い他人事のように淡々と話して煙でわっかまで作る。
俺は唖然として、思わず漏らした。
「……それはいま。俺が断ったら、あなたは死ぬ可能性が高くなるということですよ……ね」
「ええ。よくて半死半生で逃げ切れるか、悪ければ捕獲されて、ミティハーナの魔術医学者の玩具にされるか。【外法者】の魔力の特殊性はまだ、完全に解明されてないからね」
「そ……んな……」
つぶやいたのち、俺は歯を食いしばる。それから熱い息とともに再び低く声を発した。
「……死の危険を冒してまで俺たちを救い、その後も契約するか否かでまた死の淵をうろつくことになることも分かった上で……。たとえ【命を救われ恩を感じた俺】が断らない可能性が高いと計算していたとしても、それは計画とは呼べない危うい決断と行動だと思いますが。……よほどセイラルの従者となるメリットが大きいのか、目的への意志が強いものか。……そもそもいつから俺たちのことを……――いや、【俺】のことを? なんのために……」
まとまりのない疑問符だらけの言葉を、先生は黙ってタバコを吸いながら耳を傾けていたが、ふいに――。その鋭い目を眼鏡の奥から俺へ向けるとつぶやいた。
「セイラル、ではなく緑川君。あなた……、【誇り】はある?」
「……えっ……」
思わず瞬く。先生はそんな反応をちら見したのち、俺の隣に座り先生をにらみ続けていたファレイへ視線を移す。「あなたは? ……セイラルに仕えることがそうなるかしら」
ファレイはやや面食らったように目を開く。そして、少しだけうつむき唇を固く閉じたのちに顔を上げ……はっきりと言い放った。
「……はい。私にとってはそれのみが。ほかにこの身を世に残す理由もありません」
「……好い答えね。それでこそ一流の魔術士だわ」
先生は煙を吸い込むと、おおきくはき出し……。ズボンのポケットから携帯灰皿を取り出すと、タバコを押しつけたのちに放り込みそれをまた仕舞う。
それから眼鏡を外し、テーブルの上にコトリ……と置いた。
「……。……――?」
俺は口を開けた。
眼鏡を外した先生の目は――……紫色に輝き点滅していたからだ。
ファレイがすぐさま、俺をかばうように手を差し出す。
先生はそんなファレイを見て少し笑うと、ちいさく言った。
「その反応だと、見たことがないのね。……これが【外法者】の、ほんとうの目よ。別になにかするとかじゃないから安心なさい。いまから話すことは【外法者】としての言葉だから見せただけよ」
先生の言葉にファレイは半信半疑の目を向けていたが、ただしずかに座り続ける先生を見て……。ようやく腰をおろした。
「あなたの誇りは素晴らしいけれど、もう少し冷静さも必要ね。……まあいいわ。緑川君。私の目的はね。――【借りを返すこと】よ」
「……借、り……?」
「ええ。悪い意味じゃなくていいほうね。私はセイラルに借りがあるの。生命を救ってもらった、とかではない。それ以上のおおきな借りが。それを返したいということ。……魔神相手に、そんな機会は訪れることもないと思っていたから。いまの状況は奇跡というほかないわね。……私には」
先生は俺を見るが、そのまなざしは……、明らかに【緑川晴】ではなく、奥に眠る【セイラル】へと向けられていた。
「この目を持って生まれた瞬間からゴミのように扱われ、どれほど術を磨きリフィナーに世に尽くそうと、功績を上げようと誰からも称賛されず、認められず……。死ぬまで存在自体が忌み嫌われる【外法者】である私に――。百二十年前の大戦の際、私と同じく傭兵として参戦していたセイラルは私を信じ背を預けてくれた。……そして戦いのあと、この目をまっすぐに見つめて言葉をくれた。世界で初めて、ただひとり――」
先生は……――ロドリー・ワイツィは。まばたきもせぬ俺に続けた。
「【大した魔術士だ。お前は。尊敬に値する】。……と。誇りをくれたのよ。リフィナーとして。魔術士として。【外法者】として。……ロドリー・ワイツィとしての誇りを。……だからいま、その誇りをもって私はあなたの危機を救う。そして……――」
俺の喉がごくり……と動いた時――彼女は俺の目をまっすぐに見て言葉を放った。
「偉大なる魔術士セイラル・マーリィよ。私の残された生のすべてをあなたへ捧ぐわ。……あなたが記憶を失ってまで成し遂げようとしている、その秘めた目的のために――……」
そう彼女が言い終えて、頭を下げた刹那――。俺はおおきく目を開き……。
ファレイは言葉を失くしていた。




