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第33話 夢と現(うつつ)がつながれる


「……ル様」


「……」


「セイラル様、朝です」


「……。…………ん」


 重いまぶたがゆっくりとひらいてゆき、白い格天井ごうてんじょうが映る。

 俺は、そこからさがる灯球とうきゅうが朝日でちかちかするさまをぼんやり見てから体を起こす。


「お召し物。また脱げていますよ」


 背筋を伸ばしベッドの横へ立つハーティが、嘆息たんそくとともに俺の足もと辺りに手を突っ込み、ローブをぐいと引っ張り出すと、その勢いのまま俺の顔に投げてよこした。


「……おい。こら。お前。それがあるじに対する態度か?」


「主というなら。いい加減、朝ごとみっともない姿を従者にさらすのはやめていただきたいですね。私がいなくなったあと、【あの子ども】に毎朝裸を見せる気ですか? 教育的観点から異を唱えます」


 くいっ、と丸眼鏡を押し上げたのち、ひとくくりの長い緑髪を払うと、ハーティはさっさとこちらへ近づいて、そばのおおきな窓を押し開ける。

 それで俺が素肌に冷ややかな風を感じた瞬間、ヤツはさっき放ったローブを奪い無理やり着せ始めた。


「おっ前なあ……。んぶっ」


 しゃべる機会を与えてもらえず、あっという間に俺の体は隠される。

 さらに髪までとかされ始めて、ため息をつくしかなかった。


 まるでガキのような扱いだが……。これも毎度のこと。

 逆らうとたいそう面倒くさいからな。

 なのでされるがまま俺は言葉を返す。


「……心配しなくても。【アイツ】がこの部屋に朝、押しかけることなんてない。屋敷ここへ連れ帰ってひと月ほど経つが、俺たちより先に起きた試しなどないだろう。おそらく【そういう習慣】だったんだろうぜ」


「【ヤートの森】にほとんど光は届きませんからね。日時の感覚も乏しいのでしょう」


「……そうだな」


 くしが髪から離れ、ようやく細く力強い指から解放される。

 俺は首をさすりつつ言った。


「しかし言葉遣いの教育どころか……。飯を素直に食うようなるまでひと月とは。いまのままではテーブルマナーどころの話じゃない。魔獣を飼ってるに等しいぞ」


「そんなことは織り込み済みで連れて帰ってきたのでは? あなたのなさろうとしていることは、とてつもなく馬鹿げた行為なのです。いまからでも遅くはありません。【非魔術協会アウタラー】へ引き渡して下さい」


「【世界真会ローレア】と言わないところが、お前の甘さだな。ハーティ。それにさっき、『私がいなくなったあと』とも。くくっ……。ま、その性格ゆえ並外れた才能がありながらクラスSへ上がるのにも時間がかかったということだが」


「【世界真会ローレア】が排除命令を出していることも無視して連れ帰り、あまつさえどこへも引き渡さず魔術士として育てようとしている究極馬鹿な人に言われたくはないですね。それとクラスSへの昇格が遅れた件ついては別の理由ですし、もう二年後にはそうなるのですから触れないで下さい。とくにあなたは」


 急に不機嫌になり、ヤツは櫛で俺の頭を突き刺し始めた。……いっ、痛っ! 魔力がこもってるぞコラ!


「ともかく。あの子どもの場合。魔術士以前に、まずリフィナー(※魔法界でいう、人間に当たる存在)として育てる必要があるわけです。それには第一にきちんとした生活態度。そして礼儀ですね」


「……。道は大蛇ニシアたけのごとく、か」


 と、窓の外を見てつぶやいたところで、


 バァン! 


 と音がして振り返る。

 すると奥のドアがひらいていて……。

 恐ろしい形相をした子どもが。くだんの【アイツ】が……。


 肩で息をしながら、俺たちをにらみつけて立っていた。


     ◇


「……ぉいっ! ――おいっ! お前っ! お前らっ!! なんだこの服は……! 私が寝てる間にいったいなにを着せているっ!!」


 その、血相を変えて必死に叫ぶ貧相な子どもは……。

 乱れた長い黒髪と殺気丸出しの表情かおとは対極にあるような、フリフリの愛らしい白いドレスを見にまとっていた。


「……。なんだありゃ。ミルヴォーンには、まだふた月ほどあるはずだが」


「失礼な。仮装大祭礼ミルヴォーン用に見えるのなら、それはあの子の態度に問題があるのです。ほんとう、魔獣よりもタチが悪い」


 ハーティはちいさく息をはくと、白い前掛けエプロンのポケットからペンとメモ帳を取り出してなにやら書いていた。

 のぞくと『躍動性との相性〇』とかなんとか……。なにを書き留めてるんだ。


「着ていた服はどこへやった! そもそも【私の服】はどこへやった!! それにこの布……!! この変な布まで……なんだこれは!!」


 ヤツは叫ぶや否やドレスをまくり上げ下着を見せつけ抗議した。

 ……パンツまでフリフリにしてるのかよ。


「下品な。まだとお幼子おさなごとはいえレディにあるまじきその所業。もはや看過しがたし。……セイラル様。『もう少し自由にさせてやれ』とのことでしたが。その『もう少し』。本日たったいまより終わりを迎えたということでよろしいですね?」


 ぎろり、眼鏡の奥から鋭い眼光で俺を貫く。

 俺は両手を上げて返した。


「よろしいもなにも、勝手に服まで替えてるじゃねえか……。ま、ほどほどにしておけよ」


御意ぎょい。仰せのままに」


 ハーティはメモ帳とペンをポケットに戻し、眼鏡をくいっと押し上げると、三歩前に出る。

【アイツ】はそれを見届けると、腰を低くして身構えた。

 ハーティは殺気を出していない。けれど分かるのだろう。

【アイツ】の、あの鋭敏な感覚は凄惨な日々で研ぎ澄まされたものであるが……根は生まれつきのもの。

 優れた戦闘本能だ。


「私はひと月前とは違うぞ……! いまは腹もいっぱいなんだ! いままでおとなしくしてたが、もう限界だ! きょうお前らを殺して森へ帰る!! ……覚悟しろ!!」


【アイツ】は、フリフリのドレスをつかむと思い切り引きちぎり脚をむき出しにする。

 そしてちぎった布をぐっと握り込み……。

 布は一瞬で硬直化し、銀に変色――光を帯びる鋭いやいばとなった。


「私の【これ】はどんなものでも貫き裂く! そこの垂れ目の男だってもう一歩で刺し殺せたんだ! お前がどんな魔術士だって関係ない! ……きょうでおさらばだ!」


「……存在の変質化。それがあなたの【天性術式ミーガル】であることはすでに知っている。けれどそれはまだ【魔術士の技】ではない。ただ刃をむき出しにした魔獣に過ぎない」


「……そうだ、私は魔獣だ!! だれがリフィナーなんかに……! ……――魔術士なんかになるもんかっ!!」


 次の瞬間、【アイツ】は床を蹴破りハーティの直前へ移動――刃を振りかぶり喉もとへ突き立てようとする。……が。

 ハーティはそれを指一本で受け止めた。


「……!! なっ……!!」


「……無礼者め。【魔術士なんか】に? それになるためどれほどのリフィナーが血を流し練磨を重ねていると思っている。この世に無知ほど愚かなものはないわね」


 そのまま、呆然とするちいさな魔獣を払いのけてドア横の壁に叩きつけた。


「……がっっ……! はっ……!!」


【アイツ】は汗と涙を垂らし、息もまともにできずのたうちまわる。

 ハーティは無表情のまま、ブーツも鳴らさず歩み寄り床に転がる刃を拾い上げた。


「……それと。セイラル様はわざと刺さってあげたのよ。あなたと対等に向き合うためにね。……要らぬ酔狂のせいでとんだ思い上がりの勘違いを。これはセイラル様あなたに対する侮辱のみならず、魔術士全体に対する侮辱でもありますよ、【魔神セイラル】」


 ハーティは俺をにらみつける。

 俺は思わず目をそらした。


「……く、……そ……、が……。く、そ、……がぁ……! ろ、す……。絶対にこ……す!」


「顔も上げられないのに、まだそんな口を。それに刃も消えていないということは……」


「すでに相当な魔力ということだ。あとは根性もか」


 俺はベッドからおり、裸足のままハーティのそばへ。

 そして刃をひったくり、ぺたぺたと触ったあとに握りしめ砂へ変えた。


「……! ま……た! お前はいったいなん……だ! 私の刃を消せるヤツなんて……! 魔術士だって……!」


「お前が捨てられた【ヤートの森】は屈強な魔獣の住処であり、一部魔術士の【遊び場】であるが、いずれもクラスCにも及ばぬやからだ。……ここは森ではない。お前以上の存在、お前が思いもよらない技を使うものはごまんといるということだ。……ハーティ」


「――は」


 ハーティはちいさく頭を下げ、横たわる【アイツ】に手をかざして唱えた。


「創術者はセイラル・マーリィ。執行者はハーティ・グランベル。……癒しを。ミスターリア」


 ハーティの手から紫の光が放たれて【アイツ】を包み込む。

 光が消えると同時に【アイツ】は目を見開き飛び起き、ドアの外へ飛びのいた。


「……く……そっ! くそっ! くそっ! ……――くそっ!!」


【アイツ】は再びドレスに手をかける。

 しかし一瞬で移動したハーティにそれを制された。


「これ以上私の作った服を粗末に扱われるのは我慢ならないわ。セイラル様。先ほど申し上げた通り――【しつけ】はいまから。ただちに実行いたします」 


「ああ……。とりあえず、まともに会話できるようにしてくれ。そのあとのことはまた考える」


「御意。一週間もあれば。……さあこちらへ来なさい。今度はリボンを増やしてみよう……。あと色は青」


「……っざけんなーーーーーーーー!! てっ、ててて手を放せ輪っかババアっ!! ……ああっ!! はっ、放せ放せ放せくそがぁ~~~~~~~~~!!」


「うるさい黙れ。まだ七十にもならぬ乙女に対してなにがババアか。……この髪も長すぎる。いい加減切り揃えよう。どんな髪形にしようかしら……」


「……!! やっ、やめろ~~~~~~~~~~~っ!! はっ、放せぇええええええええええええ!!!!!!」


 と、ハーティは【アイツ】の訴えさけびを無視して小脇に抱え込み……。

 俺に頭を下げると部屋を出て行った。


 そうして、その晩遅く――。


     ◇


「……失礼します」


 そう、やや疲れた声で俺の部屋へ入ってきたのはハーティ。

 ベッドに座り本を読んでいた俺はそれを伏せて置き、そばへ寄ったヤツへ苦笑した。


「……飯は食ったのか。ふたりとも」


「ええ。食事というより栄養補給……、私は【胃に放り込んだ】、あの子には【無理やり詰め込んだ】と言ったほうが正しいですが」


 ハーティはため息をつくと、ベッドの端に腰をおろす。

 断りもなく座るということは、よほど疲れたのだろうな……。


「まず着せた服をすべて破る。窓を割って逃げようとする。スキを見て銀刃はおろか手にしたあらゆるもので襲いかかってくる。……ということが絶え間なく起こり続け。やむなく部屋に結界を張るはめに。……なぜ私まで結界ろうの中で食事をしなければならないのか。……思考の果て、すべてはセイラル様。あなたのせいだと思い至ったわけです」


 ぎろりと横目でにらむハーティ。

 俺は頭をなでながら返した。


「ま……、飯が食えたのならよしだ。できれば引き続き頼みたい。俺がやってもいいんだが、いまだお前に対する以上に殺意むき出しだからな……」


「そうですね。きょう、あなたが【わざと刺された】ということを知っていよいよ怒りが増しています。そもそもの、さいしょからの……あなたのなにもかも見透かしたような態度がプライドを傷つけたのでしょう。なにかよほどのことでもない限り、態度を改めることはないでしょうね」


「よほどのことねえ。……さっぱり思いつかない。まあ気長にやるさ。少なくともあと二年はお前に助けてもらえるしな」


 俺は本を拾い上げて、再び目を落とす。

 ハーティはそんな俺をじっと見つめならが、ぽつりと言った。


「……本気であの子を魔術士にするおつもりですか」


「ああ。どのみちお前がいなくなれば従者は必要となるしな。……それと」


 俺はページをめくりつつ続ける。


「【アイツ】はお前に匹敵する才能を持っているが、どこにいても魔術士として大成しただろうお前と違って、あのままではそれを開花できず魔獣として生涯を終えることとなる。無視する道理は魔術士の俺にはない、……ということだ」


「……ほんとうにそれだけですか」


「……? どういう意味だ」


「たとえば私を従者としたときのように。将来、美しい女になることを見越して育てようとしているとか」


「おい。おいおいおいおい。人聞きが悪いことこの上ない事実の捏造はやめろ。俺がお前を従者にしたのはお前の故郷に旅で立ち寄ったとき、国王であるお前の父親に頼まれたからだろうが。……というか、自分で美しいとかよく言うな……」


 俺は息をはきかぶりを振る。

 だがハーティは眼鏡を押し上げ、淡々と言葉をつむいだ。


「それこそ単なる事実を述べただけです。私がこれまで幾度も求婚されていることはご存じでしょう? そのどれもが、私の美貌のみに惹かれた男たちのもの。家柄は、王家といってもちいさな田舎国のものですし、魔術士としての腕前を合わせ、性格も妻として、殿方がぎょしやすいものではないですからね」


「妻のくだりは正解だな。ははっ。お前の夫となる男は相当な胆力が必要となるだろういたたたった!!」


 いつの間にか隣へ身を寄せたハーティに指を握られ、あらぬ方向に曲げられていた。

 俺はなんとか指を抜き、「自分で裏づけを取るな! そういうところだよ……!」と言って本を閉じ寝っ転がる。 


「それになんだ……? 【アイツ】が将来美しくなるだと? 顔立ちはともかくとして、あのぎらぎらした目。あれは俺に対してだけの憎しみの光じゃない。【世界】を憎む目だということは分かってるだろう?」


 やせこけた体も、このままきちんと食事を続ければ立派に育ち、顔色もよくなるだろう。

 髪もきれいに、服も整えて。

 大人になり、化粧もすれば……それなりになるかもしれん。

 ……が。

 目は精神なかみに直結したものだ。


 心が変わらぬ限り、光が変わることはない。

【アイツ】のそれは、美しさをたたえるものになるとはとても思えない。


「ええ。しかしそれは、これまであの子の【世界すべて】は【ヤートの森】だったからです。けれどこれからは違う。もし仰る通りあの子を魔術士として育てようというのなら。セイラル様。今後はあなたがあの子の森の大樹に、【世界の中心】となるのです。……ならば変わらないことなどありません。私がそうだったように」


 ハーティはまっすぐに俺を見つめる。

 俺はその輝きを見返して、五十数年前の、まだ少女だったハーティのことを思い出す。

 度重なる戦乱で多くの愛する者たちを失い。

 暗く、よどみ。

 孤独の沼に沈んでいた子のことを。


「……そうだな。リフィナーの生命いのちは長い。魔術士となればいっそう。ならばのちに輝きを得ることはある、か。……お前も美しくなった」


「……五十五年目にしてようやく、ですか。ほんとうにあなたは……」


 ハーティは笑った。そして腰を上げて俺から離れる。


「まあ仕方のないことですけれど。その眼には【あの方】しか映っておられないのでしょうから。……あなたの光は私では変えられなかった」


「……。ハーティ。お前、ほんとうにクラスSの称号を受けるつもりか」


「とうぜんです。十万にひとりの栄誉を蹴って、従者であり続けるためにクラスAに留まる愚か者がいるとでも? いたとしたらよほどの馬鹿か、あるじに生涯を捧げる決意をした者か、どちらもか。……私はそのどれでもない。【最高のA】のふたつ名も悪いものではないですが、祖国のため、家のため、私のために。魔術士のさらなる高みを目指します」


 ドアまで音もなく歩き、ノブに手をかける。

 そして首だけ振り向きハーティは言った。


「それとも。……私を引き留めますか? セイラル様」


「……いや。お前は最高の弟子だった。これをとどめ置くのは魔術士としてありえない」


「……ふっ。【魔術士として】。どこまでも、限りなく……」


 ハーティはちいさくつぶやいたあと、こちらになにかを投げて寄越した。

 ……メモ帳とペンだ。


「あの子の名前。明朝までに考えておいてください。いい加減名なしでは不便でしょうし。名前がなければ詠唱もできませんからね。……お休みなさいませ。我が師」


 そう言い残して、ハーティは部屋の外へ消えた。


     ◇


     ◇


「……わ」


「……。……」


「……りかわ。……おーいっ!」


「……。…………?」


「――みっ! どっ! りっ! かっ! わぁ~~~~~~っ!!」


「……? …………はっ?」


 耳もとでおおきな声がして俺は意識を取り戻す。

 見るとざわついた教室の中、ショートボブの茶髪女が仁王立ちで俺をにらんでいる。

 ……横岸よこぎしだ。


「さっさと答案を寄越せって言・っ・て・る・の! ……ふつうテスト中に爆睡する? きのうも白白しろしろだったくせに、よくもまあ……」


 ヤツは眉をひそめ、俺がうつぶせ状態で隠していたテスト用紙を抜き出すが、その目を丸くする。


「……なんだ。きょうはばっちり埋まってるじゃん。早くできすぎて寝てたわけ」


「……いや。少しでも寝るために早く終わらせた、という感じだな」


「はあ? ……んとにわけわかんないんだから……」


 横岸は首をひねり、俺のそばを離れる。

 俺はおおきく伸びをして、次々と答案を回収してちいさくなっていく横岸の背中を見たまま息をはき出した。


 きのう伊草いぐさたちと出かけたあと、家に戻ってすぐ飯をかき込んで。

 それからはほとんど寝ないで教科書を丸暗記したからな……。

 きのう赤点だらけだったからといって、残りもぜんぶそれでいいわけがない。

 たぶんきょうのは免れただろう。


 ……ともあれ。少しでも寝れたおかげで大分すっきりした。

 ただ、なんか夢を見た気がするものの、まったく思い出せないのが引っかかるんだが……。


「……。…………。…………ちっ」


 思わず舌打ちしてかぶりを振る。

 駄目だ。

 頭を押さえて記憶を探ってみても……やっぱり欠片も浮かばない。

 セイラル関連のものかもしれないし。できれば思い出したいんだけど。

 いま、これからは――やっかいな【現実】に相対する可能性が高いからな。

 ひとまず【夢】はあとまわしだ。


 俺は頭をかくふりをしつつ、隣の席を見やる。

 テスト最終日、最後の時間を終えた風羽ふわの周りには果たして人垣ができていて。

 彼女の姿を視界に入れることはできない。

 それでも周囲の言葉に反応する、風羽の声はかすかに届いていた。


「ふっ、風羽さん! きょうも忙しいってことだけど、家にはいるんだよね? なら……、よかったらラインで話さない? 三十分くらいでもいいから! もちろん時間は風羽さんに合わせるからね!」


「ごめんなさい。それも難しいの。集中してやりたいことだから」


【平常運転】で緊張・興奮する塩屋しおやに落ち着いて応対する風羽は、そのあとも途切れることなく続く皆の誘いの声に、同じように断りの言葉を返す。

 俺はそんないつもの……、いつも以上の光景の中にいる風羽を、人垣越しにじっと見つめてから立ち上がり、鞄を肩に引っかける。

 そうしてそっと席を離れて教室を出た。


 ……のだが。


     ◇


「……みっ、……緑川みどりかわ君! ……――お待……待ってっ!」


 教室を出てから数分後。

 東棟へつながる渡り廊下を歩いているとき。風羽に後ろから声をかけられた。

 俺は急なことに目を見開くが、すぐに平静を取り戻し……足を止めるとゆっくり振り向いた。


「なんだ? もしかして土曜あしたのことか? やっぱり晩はまずくなったとか……」


「!!? いっ……、ちっ、違うっ!! 絶対にそんなことはないっ!! そうではなく……別のこと!」


 風羽は辺りを見まわして人の姿がないことを確認すると、さらに近づき……。

 胸に手を当てておおきく息をはく。

 それから、すっ……と顔から赤みを消して、俺へ冷静に問いかけた。


「……セイラル様。これより【どこへ】行かれるのですか?」


「……? ど、どこへ、とは……?」


 わずかに声がうわずる。

 俺は必死に真顔を作り、高鳴る鼓動を抑え込むように脇をぎゅっと締める。


「そちらは東棟で、下駄箱はありません。あるのは使われなくなった特別教室のほか、体育館や柔・剣道場、食堂などですが……。それらになにか御用でも?」


 淡々と、しかしやや強めの言葉を俺に投げる。

 俺は唾をのみ込みつつ思考すること数秒、息をはき出すと同時に苦笑して彼女に返した。


「……ああ。食堂。自販機。……そこでしか売ってないパックジュースがあるんだよ。試験が終わったら真っ先に飲もうと決めてた」


「……。私が買ってきましょうか? その間にセイラル様は下駄箱に」


「い、いやいや! いいよ! あ……、お前にそんなこと頼んでるところを見られたら困るだろ? ともかくそういうことだから。分かった? んじゃ、あしたの晩に」


 無理やり笑顔を作り、俺はまた彼女に背を向ける。

 だが、一瞬でまわり込まれて道をふさがれる。

 風羽の……ファレイの眼は困惑の色を帯びていた。


「……どうしたんだよ。ちゃんと説明はしたろ? ……なにがそんなに引っかかるんだ」


「今朝。登校されてから。あなたの様子が……若干雰囲気が違うと思いまして」


「……きのう徹夜で勉強したからな。その疲れのせいだろ。おかげてきょうの分は赤点を免れそ……」


「――……セイラル様。なにを【私に】隠しているのですか?」


「……はっ?」


 俺は喉の奥がかーっと熱くなるのを感じる。

 それがわずかに表情かおに出て、しまったと思う間もなくファレイはこちらへ一歩踏み込んだ。


「昔のあなたは。【私に対する隠しごと】をされるときには、ふだん以上に【じっと私を見る】のです。目をそらすのではなく。……まるで、……いえ。そのまま、あなたにとって長らく私は【幼子】でしたから。それで幼子を安心させようとそんなふうに。……本日。それに近しい視線を感じました」


 体が固まる。

 ファレイはしばたたき、前のめりになり胸に手を当てて続けた。


「も、もしかしてなにかあったのでしょうか? あなたの身になにか……! そうであれば私に! 私はもう幼子ではないのです! ……あなたにははるか及びませんが、どうか頼りに!! 大事だいじに至る前にどうか……!!」


「……パックジュースを買いに行くのは【だれ】だ? 風羽怜花れいか


 俺は腹の底から絞り出すように、しずかに言い放つ。

 ファレイは目を見開き、それから口をもごもごさせて、たどたどしく答えた。


「セ……。――……いえ……。緑川せい……君」


「そうだ。これは緑川おれのプライベート領域だ。セイラルは中間テストなんて受けないし、それ明けのパックジュースなんか楽しみにしない。つまりは従者おまえの管轄外ということだ」


 俺は足先でリズムを刻みながら、とっさに脳内で書き上げた脚本のうがきを読み上げる。


「それに。お前のよく知る【魔神セイラル】と違って、緑川晴おれはただの人間だ。まだはっきり見たわけじゃないが、それでもお前が……緑川おれ以上の能力ちからがあることはなんとなく解る。もし身に危険がほんとうに迫っていたら、緑川おれは迷わずファレイおまえに助けを求めるだろうよ。その件に関して、ほかに頼れる存在はないんだから」


「……そ、そうです……ね……」


 消え入りそうな声を漏らし、ファレイはうつむく。

 俺はそんな彼女を見たのち、学ランの下、シャツの襟ぐりに手を突っ込み……。

 緑の輝きに覆われた十字架を取り出した。


「それに万が一。俺の身に危険が迫ればお前に伝わるんだろう? 緑川おれだってそれなりに、喧嘩や修羅場のひとつやふたつは経験している。最低、お前が助けに来てくれるまでは逃げおおせて……一瞬で生命を危険にさらすような状態にはならないようにする。……だから行っていいか」


 言い終え、息をついたのちに俺はちいさく笑い、うなだれるファレイの頭に手を置いた。

 ファレイはかすかに震え、そのあと……。

 うるんだ瞳を俺に向けて、


「……はい。行ってらっしゃいませ。……セイラル様」


 と、言い……。頭を下げて。


 背をちいさくし、来た道をひとりで引き返した。


     ◇


 それから――。


 東棟へ移り、一階の外へ出た俺は。

 食堂前の自販機でイチゴのパックジュースを買い、屋外の席に腰かけて飲み始めた。


 切り株を模した据えつけイス。

 ……が四つ並ぶ木造テーブル席は、みっつ。

 食堂内の席からあぶれた者や、外で食べるのが好きな生徒たちが利用するその場所にはいま、俺しか座っていない。

 食堂そのものも、きょうは閉まっている。


 だが食堂の真上、二階の体育館では……テストが明けたばかりだというのにバスケットボールの弾む音が響いてくる。

 とおく離れたグラウンドからも、サッカー部が走りまわる声が聞こえてきた。


 俺はそんな大小混じった音をぼんやり聞きながら、やがてジュースを飲み終えて。

 バスケのシュートよろしく自販機横のゴミ箱にからパックを放った。

 ……そのとき。


 足音も立てずに。

 肩ほどの金髪を風に揺らしながら。

 ゆっくりとこちらへ歩いてくる美形の男を視界に入れた。


「……いいですね。きのうとは雲泥の差で表情かおが締まっている」


 男は微笑をたたえてそんなことを言いながら、俺の前に腰をおろした。

 きのうと同じく。学ランをきたその碧眼の男は……。

 両手を組んでテーブルの上に置くと、続けた。


「ところで。あなたはまるでここへ僕が来ると分かっていたように思えるのですが。なぜですか」


「【ここ】にとは別に思っていない。きのうだれもいない教室にいたときにあんたは来た。だからなるべく人がいない空間ところに留まれば来ると思っただけだ。来なけりゃ別の場所へ移動していた」


「ではなぜ屋外を面会の第一【候補】に? いまここは閑散としていますが、時間が経てば空き教室よりは【人間】が来る可能性が高い」


「……。人が来ても構わず無茶をするようなヤツはとっくにしている。ならまったくの無人空間よりも、多少は人が来る可能性がある場所のほうが安全だと思っただけだ」


「……きのうの反応から。あなたにほとんど過去の記憶がないのは間違いない、と思われますが……。なるほど。人間の少年とは思えぬ冷静さは、【魂の記憶】は残っている、ということでしょうか」


 男は微笑を浮かべる。

 午後の光を浴び、美しい髪や目の輝きを増す男の姿は、一見きらびやかな宝石のようだった、が……。

 見れば見るほど、俺にはまがまがしい悪魔の石に感じられた。


「さて、【魔神セイラル】。きょう僕がこちらへ赴いたのは、自身の興味もないではないですが……あるじの命令でしてね。なのでぜひ主とお会いして、彼女の話を聞いていただきたい」


「……それは構わないが、こちらも聞きたいことがある」


「でしょうね。だからほぼ記憶がなくても……というか、【ほぼ記憶がないから】来たのでしょうし。ただ、僕は【最強のA】を引き連れて来るものだと思っていましたがね。まさかひとりでとは。これは主の考えのほうが正しかったようです」


「……【最強のA】?」


「あなたの従者、ファレイ・ヴィースのことですよ。……その記憶すらないのですか」


 男はため息をつき、組んだ指をほどいた。

 俺は息をひそめ、高鳴る鼓動を抑え込む。

 男はそんな俺をまばたきもせずに見てから、指を鳴らした。

 すると――。


 辺りが一瞬で薄黄色の光に覆われた。


「……!? なっ……」


「結界を張らせていただきました。理由はふたつ。ひとつは人間を寄せつけぬため。じっくりと、人間界ここにはそぐわぬ話をしたいものでね。ふたつめは主のため。……あのかたは人間の服をまとうのを心底嫌がり、魔法界あっちの姿のまま来ると言って聞かなくて。で、それは目立ちすぎるので人間の目から隠す必要があるという次第です」


 男はそう話し、続けて、「……? うまく広がらないな……。まあいい。この程度でも問題ない」とぶつぶつ言ったのちに髪を揺らし立ち上がる。

 そして自販機のほうへ向き直り、ヒザをついて頭を垂れた。


 俺は訝しげに男を見る。と、その刹那――。自販機前の空間がぐにゃりとゆがむ。

 それから青い光がぼおっと浮かんだと思うや否や、光の中から手、そして足が飛び出して。

 光が消えると同時にひとりの女が……。


 小柄な少女が俺たちの前に立っていた。


     ◇


「……。カミヤ。なんだこのゴミのような結界は。とてもクラス1Aワンエーのそれとは思えぬぞ」


 少女はその姿に似つかわしくない低い声で、食堂前の広場一帯を覆う薄黄色の光を見上げて言った。

 男はさっと身を起こすと両手を上げて、「……それが、僕にもさっぱり」と、とぼけたように苦笑する。


「相変わらずふざけた男だ。父上のめいがなければお前など、とうに契約解除しているのに」


 少女はそうつぶやいたのち、俺に視線を向けた。

 

「……久しいなセイラル。ずいぶんとみすぼらしい姿になったものだが」


「……。……………」


 俺は言葉を失い、ただ硬直する。

 そう、それは――。


 とつぜん、空間をゆがめて出現したからでも。

 硬そうな黒ブーツをはき、厚い黒マントをまとい……。

 中はライダースーツよりも体のラインが浮き出た極薄の、紺碧こんぺきのつなぎ服という。

 異様な出で立ちをしていたから……ということでもなく。

 ただ、眼前にたたずむ少女が……。


 ちいさく華奢な体に、透き通った白い肌。

 海のような碧眼を輝かせ。

 長い金髪は三つ編みでひとつにまとめている……という。

 

 服装こそ違えど、顔や髪形・背丈体つきがそのまま。

 橋花はしはなが話していた、ヤツの毛嫌いする、……それなのに【夢】に出てきたという【あの】アニメキャラクターを――。


【まるで現実化した】姿そのものだったからだ。


     ◇


「…………ソーシャ……、ウルクワス……――!」


 ……と。

 思わず間抜けに漏らしてしまうほどに。


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