第32話 ソーシャ・ウルクワス……
俺は昔から、フィクションが好きだった。
◇
「おっ! 【ミュート&みゆーと】の新刊出てるじゃーん! あっぶねーノーチェックだったわ」
と、橋花はさっさと平積みされていたA5サイズの本を次々カゴへ移してゆく。が……。
そのさまをうしろから見ていた伊草が、とたんに怪訝な顔をする。
「お前、なんで四冊も取ってんだ? 同じ本だろうが……」
「は? ふだん読み用と人に貸す用と保存用と予備に決まってるだろ。おかしなこと言うなよ」
そう呆れたように返す橋花に……。
伊草は突っ込みもせず、腹も立てず、ただ顔を引きつらせて、「まさか【人に貸す】ってヤツ。俺も入ってんじゃねーだろーな……」と後ずさりする。
すると橋花はぷっと噴き出し、自分を親指で示した。
「当ったり前じゃ~ん俺の交友関係の狭さなめんなよ? お前はとくに偏ってるからな。今回は俺が特別に! お前の漫画趣味を広げるために余分に買っといてやるからありがたく思えははははは」
「……っざけんなボケ! 今月は余裕がないとか言っといて……んな無駄金あんならたこ焼きでも奢れや! ……おいまた三冊も……! こ……、このボンボンがっ! 金のありがたさが分かんねーのかっ!!」
笑いながら漫画をぼんぼんカゴに詰め込んでいく橋花に、もはや青い顔で必死に止めようする伊草。
周りの客はそんなふたり……、アイドルのようなイケメン眼鏡と、オタク寄りの漫画専門店には明らかに場違いな、異様に迫力のある赤髪男のやりとりをちらちら横目で見ていた。
伊草ひとりで無言で立っていたら、そのオーラによって誰も近寄らないのだが、いまは(見た目は)さわやかイケメンの橋花がオタク絡みしていることにより、【危険度大】から【小】に下がっていたため、いつもほどおおきな【穴】は周囲に発生していなかった。
そしてふたりと違って平凡な外見である俺は――。
無言で立って、店にすっかり溶け込んで。
ヤツらのじゃれ合いをしずかに見つめたあと。
入口近くに展開されている新刊台の漫画の群れをぼんやり眺めた。
◇
じいちゃんが古書店を営んでいるために。
ちいさなころからそこへ出入りしていた俺は、物語に馴染みがあった。
絵本、児童書から始まって。青春もの、ファンタジー、推理ものやミステリー、SF。
時代小説や歴史小説は苦手で、いまもほとんど読んでいないが、ともあれ活字の本は同年代以上には親しんできたのではないかと思う。
そのおかげか、国語だけは昔から得意だったし、テストの点もそれなりによかった。
店で扱っている本にはほとんど漫画やライトノベルはなかったが、店で遊んでいたり、手伝いなんかをしていると常連のお客さんが俺にいろいろ持ってきてくれたので、漫画好き、ラノベ好きになるのには時間がかからず……。
いまではすっかり、漫画やラノベの合間にほかの本を読む、くらいになっていた。
それは漫画やラノベがより【わくわくした】から。
俺にとって、ほかの本以上に、日常では味わえない胸の高鳴りがあったから。
それらに触れている間は、ちっぽけな自分を飛び越えてヒーローになったり、大冒険ができたり、未知の世界を見ることができたからだ。……が。
それはあくまで、【確かな現実があったから】。
じいちゃんがいて。坂木のおばちゃんがいて。常連のお客さんがいて。
学校があり、友達がいて、一時期は疎遠になったけど……水ちゃんもいて。
そういう、特別なことはなにもないけど、俺が大切にしている現実世界が保障された上でのことだったからだ。
つまりは【非現実】。
俺が好きであこがれたのは、【現実にはにないからこそ】。
あくまで空想の世界なんだ。
◇
――ほんとうに訳が分からない。あなた、いったいなにが目的なんですか? ……――
◇
――理由はどうあれ、いまのあなたはただの【脆弱な人間】じゃないですか――
――……失望しない魔術士はだれもいないでしょうね。我が主を含めて――
◇
二時間ほど前。放課後、伊草の教室に。
突如現れた、見知らぬ金髪碧眼の男は……。
その現実離れした容貌、話した内容から――。
風羽……ファレイと同じく。魔法界の存在。
魔術士であることはほぼ間違いなかった。
そしてそれは、高い確率で、前にファレイへ確認した――。
『ややこしいことが起こる可能性』の種であることを示していた。
◇
ファレイは、魔術士たちが俺を狙って接触してくる可能性を【1%以下】と推測していた。
理由は、くだんの相手らが、セイラルの魔力の質を深く理解している必要があり……。
かつ魔法界からでも人間界にセイラルが存在ると推測、発見する能力を持つか、または人間界にいて【ぐうぜん】知る機会を持ち……。
加えて【俺を狙う動機】があるという、それらすべてを満たす者が極めて少ないから。
……アイツ、あの金髪の男が。
【どの条件】を満たしているのかは定かでないものの。
少なくともあれはこの学校の生徒じゃない。
ウチの学ランこそ着ていたが、あんな並外れた美形とオーラを持っているヤツがいたら、どの学年クラスにいようが必ず知れ渡ってる。
ファレイ……風羽怜花がそうであったように。
だれもが無視することができない存在感があった。
アイツがいま、人間界で生活しているのか、魔法界から来たのかは分からないが……、ともかく人間界の常識に従って服装を整え、俺に接触してきたことになる。
ファレイが生徒として入学し、在籍しているのと同じく。
そうであるなら、仮に、俺に危害を加えようとしに来たとしても。
あまり無茶なことをするタイプではないと考えられる……。
襲うならいつでも襲えたはずだし。
それに……あの言葉。
◇
――あす。テストが終わったあとにまた――
――……そのときはもう少しマシな表情をできるようにしておいていただけますか――
――……主に申し訳ないので――
◇
テスト期間であることも把握していて、いちいちテストが終わってから会おうと言っている。
あとは主。……アイツは誰かの従者ということか。
だとしたら、主を俺に引き合わせるため伝言に来た……?
話がしたい? ということかもしれない。
もちろん気は抜けないが、話ということなら、必要以上に警戒することも……。
それに俺も、できるなら聞きたいこともあるしな。
俺は、外してある学ランの第一ボタンの隙間へ指を入れ、銀の鎖を引っ張り上げる。
そこにぶらさがっているのは、不思議な光を放つ緑の十字架。
よく見ると、緑の奥には銀色が見えている。
もとは銀のほうは表に出ていて、緑が奥に引っ込んでいた。
ファレイに渡された、魔具と呼ばれる魔法界の道具だ。
かつてセイラルが創り、ファレイに持たせたという……。
持ち主の危機を知らせる特殊なアクセサリー。
すなわち、俺になにかあればファレイに即座に伝わり、アイツが飛んでくることになる……。
今回のことをファレイに、ふつうに考えたら伝えるべきなのだろう。
もし俺になにかあればけっきょく魔具によって伝わるのだろうし。
けれど、【なにもなければ】伝わらないということで。
俺は……【なにもないほう】にかけてみたいと思った。
理由は、アイツがセイラルに禁じられている【セイラルの身の上話】を、もしかしたらあの金髪から聞けるかもしれないから。
あの男は、その口ぶりから、明らかにセイラルのことを知っている。
ファレイの言う、魔術士として最高ランク・クラス1Sを超える規格外の存在。
クラス0S――【魔神】と呼ばれるほどの男だったセイラルのことを。
それが単なる有名人を知っている程度なのか、それ以上なのかは分からない。
けれど可能性があるなら……いろいろ知りたいことはある。
たとえば夢に見た……長い青髪の女のこと、……とか。
緑川晴がセイラルに近づける機会があるなら……つかんでおきたい。
あともうひとつは、できうる限り――ファレイに面倒をかけたくない。
せっかくクラスにも馴染んできたんだから、俺の従者という立場から解放されてほしい。
それがファレイの望むことではないにしても。
【緑川晴】としては、【風羽怜花】の生活を守ってやりたい気持ちがあった。
【ネット友達】として。……それに。
解放されてほしいと言いながら、矛盾するし、おこがましいのだけど。
自由で楽しい生活を……ファレイに。
【主】として――。
そんな想いが確かにあったのだ。
◇
「おい緑川! なにぼーっと突っ立ってんだ! この馬鹿二万以上買い込んでるぞ! お前も止めろ!」
離れたところから伊草が叫び、俺は我に返り十字架をしまう。
ヤツは橋花のでかい体を無理やり押し、売り場から遠ざけようとしていて、橋花は必死に抵抗。
俺はそんなふたりに苦笑したのち、さっき橋花が買った【ミュート&みゆーと】を始め、そばにたくさん並ぶ新刊漫画に目を落とす。
そしてちいさく息を吸い込むと、その色とりどりの表紙たちを指差して、
「……漫画はフィクションとしてそこにいろ。俺が相手をしてやる。だから現実には近づくな」
と漏らし、店に迷惑をかけ続ける友達のもとへ走った。
◇
その後――。
橋花は伊草の阻止を時には力押しで、時には華麗にかわし……あまたの新刊を迎え入れ。
漫画店を出たあとも、そのままオタク街をあっちに行ったりこっちに行ったり、さまざまな店に出入りしテスト期間であることもどこへやら、休日のごとく満喫していた。
もちろん、俺と伊草だってただあいつのお付きに甘んじているわけでなく、時には橋花をスルーしてパソコンやカメラを見に行ったり、アイツの守備範囲外の硬派な漫画なんかを買ったりして……。
お互いに綱引き駆け引きしながらも、けっきょくはずっと三人で、日が落ちるまで会話の絶えることなく歩きまわっていた。
そうして、あちこちの灯りがまぶしく輝き出したころ。
買った荷物を預けていた街角のロッカーに戻ってきたのだが――。
「さ! お待ちかねのメインディッシュだぞ~お前ら! これから我ら橋花隊は! 麗しの女神、ユーシィ・ヴィズワー様の新作フィギュアをお迎えに参りま~す!」
と、大量の戦利品を放り込んである、街角のロッカー前で橋花は……。
そこから荷物を回収するどころか、さっき買った新たなグッズをまた放り込みつつ、とつぜんそんなことを言い出したのち歩き始める。
それで俺たちはあんぐり口をあけ、飲んでいたメロンソーダとコーラのペットボトルのふたを閉め、慌てて橋花のあとを追った。
「いや、いやいやいや! もうお開きじゃないのかよ! つーかユーシィのグッズ、まだ買ってなかったのか? いままで買ってたのはなんなんだ!」
追いつき、俺は隣でまくし立てる。
すると橋花は、「はあ? お前なに見てたの……。いままでのはー、まったくぜんぜん別のヤツだっつーの! だいたい【ヒカカナ】のグッズはもうこの街で一店舗しか扱ってないんだよ。ムカつくことにな。……ムカつくことにな!」
そう、大事なことなのか二回言い、いよいよ歩みを早めた。
……そういや二年前に終わったアニメだったか。
それなのに数が少なくなったとはいえ、まだ新作グッズが出てるということは……。橋花みたいなファンが一定数いて支えているってことだろうか。
「……もはやグッズがひとつふたつ増えようがどーでもいいけどよ。お前、キャンプのこと覚えてるか? 家に荷物置きに行くついでにテント取りに行くとか言ってたが、いま七時だぞ!?」
伊草が舌打ちしつつ、腕時計を示した。
きょうはけっきょく、この西日本最大のオタク街・三宅橋で橋花の買い物に付き合ったあと、伊草は引き続き橋花とともに隣県の川辺で、プチキャンプという名の野宿を楽しみ、一夜漬けマンの俺はあすのテストに備え帰宅、ということになっていた。
なのでさっき、買い物は【お開き】になったと思ったので、俺と伊草は最後にジュースを飲んでいたのだが……。道理で橋花は飲まなかったわけだ。
「大丈夫だって~さっき店長に連絡したら、ちゃんと用意しておいてくれてるらしいから。ま、ちょこーっとユーシィの美しさについて店長と話に花が咲くかもしれないが、そのときはお前も交ざったらいいし。……な?」
と、橋花はウィンク。伊草は(いろんな意味で)ぞっとした顔をして、それから我に返ると、
「……て、てめえコラ! 言っとくが五分だっ!! それ以上経ったら強制的に店から引っ張り出すからな!! ……あとその店長とかいうのと、ふたりがかりでオタク世界へ引き込むために俺を折伏しようとしたら殺す!!」
と、必死でとわめく。
いっぽう俺は、そんなふうに唾を飛ばすふたりを後ろで見ながら、じいちゃんへ「少し遅くなるかもしれないから、先に食べてて」と電話したのち、ため息をついた。
◇
「……! よーよーよく来たYO! 美人ちゃんが待ちくたびれてたZEI!」
細長い雑居ビルの窮屈なエレベーターで三階まで上がり……。
がごごっ! と鈍い音を立ててドアが開いて、直結した売り場に入るなり、狭い店内をさらに狭く見せるようなムキムキ巨体・エプロンをまとったのスキンヘッドの男性が歩み寄り、指を二本突き出しつつ橋花に言ってきた。
だが、それにヤツは「あ、すみません! いつもありがとうございます!」と、別にノリに合わせることなく礼儀正しくお辞儀した。男性はちょっと寂しそうだった。
「相変わらず真面目だな~HASHIHANAは。……って、おっ! フレンドじゃん! TOMODACHIじゃん! 輪が広がるじゃ~ん!」
男性は俺たちに気づくと、すでにドン引きしている伊草へ近づき、「IKAす!」と指差したり、俺の肩を叩いて、「コスプレ映えするKANJI!」と笑顔で言ったりしてきた。
……な、なんというかもう、ユーシィがどうとか、どうでもよくなってきたな……。強烈すぎるだろ。大人でもたいてい伊草を見たらビビるんだけど、まあこの感じだとそれもないよな。
……もしかしなくても、この人が店長か。
俺は苦笑いしつつ頭を下げて、伊草も顔を引きつらせながら俺に倣った。
すると男性は自身のスキンヘッドをぱん、ぱん! と叩いてから、「さすがにHASHIHANAのフレンズ! 僕のアタックにまったく動じずに会釈してくれたYO! ……たいした胆力DA!」
と、感心したようにうなずく。
橋花は俺たちを指して、苦笑気味に言った。
「あー、そっちの赤い頭が伊草です。見ての通り怖いものとかないので。それで隣のふつうっぽいのが緑川。コイツはこんな感じですけど、伊草以上にだれにもビビらなくて。まあ不思議なヤツらですよ……」
出会ったころを思い出すかのように、うん、うんと頭を垂れる。
その様子で伊草がいつもの様子に戻り、「はあ? いちばんの不思議生命体はお前だろうがっ! ……【見ての通り】ってのはどういう意味だコラぁ!」と反論、それで「ね?」と店長に言葉を漏らしため息をつく橋花。店長はHAHAHAHA……と高笑いしていた。
そんなふうに騒々しい自己紹介を経て――。
店長は橋花にせかされて、するり陳列棚の間をスムーズに抜けてゆき、カウンターの奥へ入ると、ものの数秒でおおきめの箱を抱えて戻ってきた。
淡いピンクの箱の前面は透明で中が見え……。そこに収められているのは――ユーシィ・ヴィズワー。
橋花が熱狂している、二年前に放送が終了したアニメ作品、【追憶~光と彼方へ~】――通称【ヒカカナ】に登場するいちキャラクターだ。
修道服に十字架。かかとまである長い銀髪。
豊満な胸に、優しい笑顔。
どういうキャラと説明されなくても、まさに【聖母】としか言いようがない母性あふれるたたずまいだった。
「……っ! ああああああああ~~~~~~~~っ!! ゆーーーーーーーしぃーーーーーーーーっ!! カ・ン・ペ・キ・す・ぎ・る・だろっ!! 待ったかいがあったよ~~~~~~~っ……」
もはや半泣きで箱を抱きしめて、頬ずりまでする橋花。
店長は腕組みしつつ、「分かる! 分かるYO、HASHIHANA! 僕も忠興作のリューラを目の当たりにしたときは思わず神の存在を信じちゃったからNE……。よかったNA!」
と、もらい泣き。
俺はそんなふたりをぼんやり見ながら、あまりに純粋な喜びように、いつものように呆れる気持ちはなく、少し眼と胸の奥が熱くなった。
隣を見ると、伊草も同じだったようで……わずかだが洟をすすっていて、俺がそれにちいさく笑うと、軽く足を蹴ってきた。
◇
「……さ! 【感動の対面】も果たしたことだし! きょうはこれで失礼します! ダチと夜を徹してユーシィ愛を語らなければならないので! ……ありがとうございました!」
涙をぬぐったあと。橋花は元気にそう言って店長へ頭を下げ、支払いのためにカウンターへ彼を押してゆく。
と、すかさず伊草が「……おいっ! 語る内容を限定すんじゃねーっ!」と後ろから突っ込み、店長は笑った。
「そっかそっか! じゃあまたの機会に寄ってくれYO! また新作入るから。……あ、そだそだ。フレンズにはあれをやってもらなきゃNE」
会計が済んだのち。店長は伊草、そして俺を指差してから、奥の棚よりおおきな箱を持ち出してカウンターへ置く。
その正方形の箱の中央には、丸い穴が開いていた。
「……もしかして、くじ引きとかですか」
俺が尋ねると、店長は、「SOSO! だけど当たりしかないヤツね! 初めてお店に来てくれた人にプレゼントってわけさ。……どっちからでもどうZO~!」
にこにこ箱を差し向ける。
俺は伊草と顔を見合わせ、ほどなくヤツが前に出て、「じゃ、遠慮なく」と店長に頭をちいさく下げてから箱に手を入れる。
そしてゆっくり引き出すと……【16】と書かれたカードが出てきた。
「IGUSAイエスっ! ……孤高の暗黒騎士【ハンガー・リットン】の1/8フィギュア!! 大当たりぃぃぃ~~~~~っ!」
指を二本突き出し伊草に叫ぶ。
伊草は、「えっ? マジ? なんかいいヤツ!?」と橋花に笑顔を向ける。
橋花は、うむ、とどこか大芸術家のようにうなずいた。
「はい、どうZO! けっこう重いから気をつけてNE~!」
「うおっ、マジに重っ……。……おっ!」
手渡された、両手で支えるほどの箱には、黒い甲冑に身を包み、金の大剣を構えた騎士の写真が載っていた。見るからに強そうで、そしてなかなか格好いい。これなら伊草も喜ぶんじゃないだ……。
「おおお~~~! 金属製っ! 重いっ! 強そう! つーか俺のイメージにピッタリじゃねーか! ありがとうございまーすっ!」
俺が思う間もなくさっさと開封して中身を取り出し、赤ん坊をあやすごとく右上左上と上げて動かす伊草は満足げな笑み。店長も嬉しそうだった。……っていうかアイツの自己イメージってこれなのかよ。強そう以外に接点がないと思うんだが。
「SA! 次はMIDORIKAWAの番だYO~! 好い流れがKITERU! 来てRU! チャンスっ!」
店長が俺を二本指で連続指ししせかし始める。
橋花も伊草も「チャンス! チャンSU!」と店長よろしく指を突き出す。
俺は苦笑しながら箱に手を入れた。
中にはかなりの数のカードが入っている。
全部当たりとか言ってたけど、この数だとダブりが多いってことなんだろうな。
俺はフィギュアとかグッズのいい悪いはよく分からないが……。
サイズ的には、たぶんガチャガチャくらいのがいちばんある感じか。
まあちいさくても人気作品の関連グッズならお値打ちものなんだろうけど。
そんなことを考えるうちに、なんだかけっこういいのを引く気になってきた俺は「神様、俺に力を……」などとつぶやきながら箱をまさぐり、しばらくのちに一枚カードを引き抜いた。
……そして。
「……。ゼロ。だな」
「「……えっ!?」」
と、俺の言葉を聞くや否や店長と橋花が同時に叫び、目を見開きこちらを見る。
「な、なんだよ、なんかいーもんなのかっ!?」と、事情が分からぬ伊草がふたりを見やり、俺は【0】と書かれたカードを持ってただ立ち尽くしていた。
「MIDORIKAWA……。【0】というのはね、最高の賞なんだよ。店を始めて十五年。一度も出たことのない……」
YO! YO! というノリはなりを潜め、極めて真面目に店長はのたまった。
続いて橋花がごくり……、唾の音がはっきり聞こえるほど喉を動かし、引きつった笑いで俺の肩に手を置き言った。
「喜べチクショー。【0】は1/1フィギュア。しかも選択できるんだ。……キャラが」
「……。いちぶんの、いち……?」
俺は阿呆のように漏らす。
隣の伊草は眉をひそめてから、ぽつり、「それって等身大、ってことじゃねーのかよ。……マジか?」と失笑した。
「O・ME・DE――TOUっ!! 特別賞の大当たりぃぃぃぃぃ~~~~~~~~~~~っ!! Eっ!!」
店長は棚からタンバリンを取り出しばんばんばんじゃらじゃらじゃら……!! 橋花もカウンターにまわり込み、なにやらベルのようなものをりんりんりんりん!! と振り始める。
いっぽう俺は【0】のカードを何度も見やり……。
頭の中では【等身大……? えっ? TOUSHIN?】と、店長の口調で復唱していた。
……いや、いや、いやいやいや……。それはちょっと……。
なんかマズいような……。
「SA! このカタログから好きなものを選んDE! あとで発送するから! 格好いいのも可愛いのもよりどりMIDORIKAWA! だYOっ!! YOっ!!」
カウンターに広げられた本にはちいさな写真が……。
アニメキャラのフィギュアらしきものがいくつも写っていた。
俺は苦笑して、いちおう、念のために店長へ確認する。
「あの……。1/1というのは……。ほんとうに【等身大】ということですか? つまりは現実の……」
「SOU! 例えばHASHIHANAがお迎えしたユーシィなら165センチ、IGUSAの家族になったハンガー・リットンなら185センチDANE」
俺は唖然として、伊草の手にある暗黒騎士を見る。
……まさか等身大のも金属製? ゆ、床が……!
……っていうか、マジに実物大かよ!
「おい緑川っ! ハンガーもあるぞ! これにしろ、これ! 俺見に行くからよ!」
伊草がカウンターに乗り出し、カタログを指差す。
こ、コイツ……。五分で店を出るとかさいしょは言ってたのに……。すっかり気に入って……。
そんなもん部屋において、寝てるときに地震でもきたら俺が押しつぶされるじゃねーか!
「――伊草っ! それは駄目だっ! 当選者は緑川なんだからな!! 他人がとやかくいうことはできない!!」
橋花が、ばっ! と手を突き出し伊草を制止する。
する、が……。
反対側の手にはカタログが俺に向けて広げられ……。
そのページの中央には、ユーシィの写真があった……。
「テメーコラっ!! なーにが【他人がとやかく】だ! さり気に自分の欲しいもんアピールしてんじゃねーっ!」
伊草が怒鳴り、指差し橋花を批判。
それで橋花は、「ばっ! ばばばばば馬鹿を言うなっ!! 俺はただ、たまたまこのページを開いていただけで……! 別にユーシィの等身大フィギュアを緑川にお迎えしてもらおうとか、そしたらそのうち譲ってもらおうとか、そそそそそそんなことは考えてないからなっ!!?? ほんのちょこっとしか!!」とわめく。……駄目だ。本音がダダ漏れだ。
俺は言い争うふたりを尻目に店長へ言った。
「あの……。せっかくなんですが。あまりにおおきすぎるので。なにか別の、ちいさいサイズに替えていただくというわけには……」
「MIDORIKAWA。後ろのふたりを見てごらん」
「えっ?」
俺は思わず振り向く。
するとふたりはカタログを引き合い、ページをやぶる勢いで、ユーシィが駄目ならこれ! ハンガーが無理ならこれ! 等々……。
当選者をそっちのけであれがいい、これがいいと言い合っていた。……。
「あれがYOKUBOUというものだ。人によっては醜いというかもしれない。けれど僕は、人間はYOKUに従って生きるべきだと思う。そうしてじっさい脱サラして店も構えTA! ……だからさあMIDORIKAWA! KIMIもYOKUBOUに従っていまこそIKIRUべきだ! 新たな日々を始めるためNI!」
迫力のある顔立ちの店長が、目だけきらきら子供のように輝かせ……。
二冊目のカタログを開き俺に訴えてくる。
お、俺の欲望が等身大フィギュアにあるという話に……。
そりゃ興味はないことはないけどさ。見たことないし、どんな感じなのかとか。
でも現実的になあ……。
……って。
「……ん?」
店長に勧められて、苦笑いしつつページをめくって。
橋花激押しのユーシィの掲載された次のページに……。
どこか見覚えのあるフィギュアがあった。
これは……。
「……。ソーシャ・ウルクワス……」
俺は、ぽつり漏らした。
◇
そう、この碧眼。そして長い金髪を三つ編みでひとつにまとめ。
控えめな胸の上部が大胆に露出した白いトップスとひらひらスカート。
そして対照的な漆黒のマントを羽織った小柄な少女は――。
橋花お気に入りの【ヒナナカ】にユーシィとともに登場する魔術士であり……。
先日、橋花の夢に、【現実の、生身の人間の姿】をもって登場し、意味深なことを話したというキャラクターだ。
これは【生身】ではないけれど。……150センチ。
おおきさ的には、そんなヤツが、アイツの夢の中に出てきたってことか……。
「MIDORIKAWA……。目の色がCHIGAU……」
「へっ?」
顔を上げると、真顔の店長がなにやらうんうんうなずいていて……。
エプロンの胸ポケットから赤ペンと取り出し。
ソーシャのフィギュア写真に〇をつけた。
「えっ!? ……えっ!!?? い、いや、いやいやいや!! ちょっと待って下さい!! 俺、そういうつもりじゃ……」
「目は口ほどにものをIU。素直じゃないMIDORIKAWAに僕からのささやかなプレゼントDA。お家の人や周りには、無理やり押しつけられたと言えばいいSA」
にこっ……。ものすごいさわやかな笑顔で俺の肩に優しく触れる。
いやっ!! じっさい無理やり押しつけられてるぅ~~~~~~~~~~~~~っ!!
こ、こんなもの注文したら家……っ、水ちゃ……!
……てか! 橋……――!
「よっ……、おっ……、おおおいおおおおおおお前っ!!! よりにもよってソーシャを選ぶかっ!!?? えっ!? 俺が嫌ってるのを知ってて!! ……そーかそーか俺を寄せつけないためかよーく分かったっ!! んなに好きなら誕生日! お前のっ! 過ぎたしやったけどけど追加の誕プレとしていろいろ送ってやるわ!!」
果たして激高した橋花がダッシュで店内を駆けまわり、わずかにあるソーシャグッズをすべてカゴにぶち込み、「こちらもいっしょに発送お願いしま~すっ我が親友そのいちにっ!!」と店長に会計を迫る。
店長は、「HASHIHANA……。趣味は違っても、アニメ好きは皆KYODAI。仲良くしなきゃ駄目だZO」と困ったように言いながらも、ふつうに会計していた。しょっ、商売NIN……。
「お前よー、そりゃねーだろ……。そもそもきょうはアイツの変な夢の憂さ晴らしでもあるんだから。……ま、馬鹿だから別のことで怒ってるようだが。もうちょっと空気読めよ」
と、呆れたように伊草。
そうして、果たしてブチ切れた橋花と、半眼の伊草はさっさと店を出て……俺は店長に頭を下げたのち慌てて追いかけるはめになり……。
けっきょく、なんとかふたりの親友に身の潔白を証明できたのは、十五分後。
かの街角ロッカーに到着したころだった。
しかも、
「……まあ届くもんはしゃーねーし。これもなんか意味があるのかもしれねえな。ならいっそ、俺らでお祓いの儀式でもやっとかねえか? そっち系はまったく信じてねえんだが……非現実的現象にはそういうのが【現実的】かもしれん。ぶっちゃけ等身大ってのを単純に見たいのもあるが」
「そうだな……。夢のこととも合わせて、ここはソーシャに近づけと神様が言ってるのかもしれないし、のちのちユーシィとつながる可能性もあるかもしれないし! なにより蒼天作だから見る価値はある! ……嫌いだけどなっ!!」
というふたりに押され……。
誤解とはいえ失態ではあることもあり、お祓いの儀式名目の【お披露目会】を開催する約束をさせられて、ようやくほんとうの解散となった。
◇
「……お披露目って。ってかマジどうすんだよ……。じいちゃんとか、水ちゃんとか……」
俺はひとり、二次会という名のプチキャンプに向かうふたりを見送りながらつぶやいた。
じいちゃんは物作りには理解はある。自分もあれこれ作ってるからな。
けど等身大の美少女(しかも露出度がわりと高い)フィギュアには……。
水ちゃんなんか破壊にかかるんじゃなかろうか。
……押し入れにでも入れとくか? でもなんか呪われそうだよな……。伊草の話を聞いたあとだと、ちゃんと管理しないとまずいように思えてきた。
はあああ……。
おおきくため息をつき、ロッカーにもたれる。
そして、街灯や店の灯りに照らされて、楽しそうに夜の街を行きかう男女の群れを見ながら、ひとり頭を抱えた。
……そう。馬鹿な俺は――。
ほんとうに【頭を抱える】という状況がどんなものか。
こんなふうに、くだらないことで悩む時間が、どんなに幸せなものか。
このときまったく分かってなかったということを……――。
翌日、強く思い知ることとなる。




