第3話 朝、下駄箱の中には
いつもより遅い時間なので、行く道に、ほぼ登校する者はいなかった。
しかし快適サイクリング、すーいすい……ということもなく。
遅刻とはいえ朝のこと、通学路の大部分を占める国道は、車がひっきりなしに行き交うため、俺は車道をさけ、狭い歩道上をがたがたと、パンクを直したばかりの自転車で上下に揺れながら、人に気をつけて進んでゆく。
途中、きのうの、「のろけ信号」に差しかかったが、青だったのでそのまま通り抜けた。
◇
学校へつくと、自転車置き場も、昇降口もひっそりとして、しかし校舎の奥から伝わってくる人の気配と入り混じり、なんとも奇妙な空気が漂っている。
無人であって無人でない、この感じ。……何回遅刻しても慣れないな。
音を立てないようにそろそろ歩き、自分の上靴を収納する、古びた鉄箱を探し当て、ゆっくり開く。……と、そこで俺は固まった。
緑川、と書かれた、かかとの踏み潰された上靴の横に、なにかが立ててある。
厚紙のような……。なんだ?
俺はまず、上靴を取り出して、はき替えると靴をしまった。
それからようやく、薄暗い中にあるそれを、指で引き抜いた。
封筒だ。
表に、「緑川晴様」と、筆ペンで丁寧で記されている。
眉をひそめ、裏返すと、封じ目にシールが貼られていた。
ハートの。
「……。はっ」
思わず鼻で笑った。真顔のままで。
これはあれだ。……よく考えろ。
まずありえない。「例のあれ」ということは、ありえない。
男はすーぐ勘違いするけれど、ハートマークなんてものは、女子にとっては大した意味などないのだしかしはっきり言ってものすご~く迷惑なので特に意味もなく興味のない男に向けてハートマークを使用するのはやめていただきたいというか法律で禁止して欲しいしそんな公約を掲げた政党なら俺は迷わず票を投じる。
……オチツケ。いや、落ち着け。これは絶対に、「例のあれ」ではない。
「例のあれ」に見せかけたいたずらか? だが、人にそんなことをされるような理由はない。
クラスに友達はいないが、別にいじめられてもさけられてもいない。
「次の授業、移動だっけ?」と話しかけられる程度には、関わりを持っている。
女子とはまったく接点はない。
……なんか腹立ってきたな。
気を取り直し、封筒を掲げて透かしてみる。
中には、手紙らしきものが入っていた。
もしかして、伊草か橋花の仕業だろうか。
しかし、伊草はストレート馬鹿なので、こんな手の込んだいたずらをするわけがない。
橋花は馬鹿ではなく、ストレートに変態なのだが、こういう方向性の趣味はない。
そもそも揃いも揃って女に縁がない俺たちは、こういう互いに分かりきった急所を右斜め45度から槍でぶち抜く的なジョークでからかうことはしない。もてない同士による暗黙の了か……素晴らしい友情があるのだ。
掲げたまま、封筒をふってみる。ひんやりとした風が鼻をなでた。
同時に、はらりとハートのシールが落ちて、封じ目が解けた。
……げっ!
俺は慌てて、シールを拾い上げようと身を屈めたが、そのはずみで、今度は封筒の中から二つ折りの白い紙がすとんと床へ落ちる。次の瞬間、「はあっくしゅんっ!!」とどでかいくしゃみが近くの教室から響いてきて俺はすっ転び、下駄箱に頭から突っ込みそうになったので体をひねって回避、おかげで砂だらけの床をずさささあっと滑ってゆき……、気がついたときには、眼前に90度開かれた紙が落ちていて、丁寧な筆文字が目に飛び込んできた。
ーーーーー
登校後、裏山のベンチ前まで来てください。
お待ちしています。
ファレイ
ーーーーー
……。ふぁれい、ってなんだ。……名前か?
俺は手紙をつかむと身を起こし、近くの下駄箱にもたれながら、再度目を通した。
登校後……。今何時だ。
じいちゃんにもらった銀時計を見やる。
9時15分。あと15分で一時間目が終わる。
この手紙の主は、朝、登校してきて裏山で待ってたのか?
で、俺が来ないまま、授業が始まったから引き上げたと。
じゃあ次は、一時間目終わったあとの休憩時間に、また……。
「……なわけないか」
俺は、鼻で笑った。今度は真顔ではない。
もしこのファレイってのが名前だとしても、ふつう、フルネームで書くだろう。
「田中」とか「山本」、……あるいは「真美」「優子」なんて、苗字や、下の名前だけで手紙を、少なくとも知らない人間相手には書かない。
俺はファレイなんてヤツは知らないし。
だいたい本名というより、ネットのハンドルネームみたいだしなあ。
ちなみに、俺のハンドルネームは、晴から取って、セイラルである。
なんか格好いい感じだから。
……ちょっとセンス似てるな、コイツも。
いちおう封筒も確認したが、俺の名前以外、なにも書かれていなかった。
やっぱりいたずらだろうな。なんのためかは知らないが。
よりにもよって、誕生日に……。
はあ、とため息をつく。さすがワーストワン。
俺は、しばらく手紙を眺めていたが、ちいさく息をはいたのち、閉じた。
それから、砂を払いつつ立ち上がり、落ちたままになっていた封筒を拾うと、手紙をしまい、シールを探して封じ目に押しつけ、鞄に入れた。
……きょうはもう、さぼるか。
ゲーセンでも行って。あるいはヒトカラでも。
ぱーっと歌えば、嫌な気持ちも吹き飛ぶことだろう。
……ん? いや待て。会員登録するときに、誕生日って書いたっけか。
もしカード出したときに、その情報を見られるとしたら……「コイツ、誕生日に、ひとりでカラオケに来てるのかよ……」って感じになるのでは、ないだろうか。……い、嫌すぎる……。
銀時計を見る。9時25分。
俺は、肩から斜めにかけた鞄に目を落とし、ゆっくり開けた。
そうして、少し手を止めたのち……、白い封筒を再び取り出した。
よく考えたら、まだどの店も開いてなかったな。
10時になるまで、時間つぶすか。
……裏山で。