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第27話 立候補、ふたり

 屋上からの、ほこりを含んだ光の筋が俺たちの間へ落ちる。

 きちんと毎日シャンプーしているだろう橋花はしはなのさらさら髪がうっすら茶色に光り、厚い黒眼鏡のふちとレンズは、向き合った俺たちが目を細めるほど輝いていた。

 にもかかわらず――。


 当の本人は光をものともせず、まばたきもせずこちらを見据えて【返事】を待っている。

 自分の刺激的な発言に対する言葉を。

 だが――。


「さて、と……。そろそろ予鈴が鳴るな。ったくHRだかなんだか知らねーが、テスト前日くらい午前で帰らせろよな」


 伊草いぐさは昼食で出たゴミと漫画雑誌を持って立ち上がり、さっさと踊り場を出て階段を降りようとする。

 が、果たして伊草の二本足はイケメン眼鏡のタックルを受けて拘束され、ヤツは転びそうになった。


「――んの馬鹿っ! かっ、階段から落ちそーになったじゃねーかっ! マジお前周りを見てからボケかませ!」


「なにがボケだ! これは【突っ込み】だろうが! ……お前、俺の話を聞いてたのか? 聞いた上でスルーしてんのか? それでも親友か? ――答えろっ!」


 足にしがみつきながら赤い顔で橋花がまくし立てる。

 伊草は壁に爪をめり込ませんばかりにはりついて転倒を防ぎつつ、足もとの親友に怒鳴った。


「【親友ダチだ・か・ら】テメーの電波話をスルーしてやってんだろーがっ! ほかのヤツなら黙って病院に電話してんぞ! ……ああ!? ソーシャがいる? ユーシィがいる? ……魔術士が【存在る】!? ……どこに!? 馬鹿もたいがいにしねーと二次元の世界に吸収されっぞ!」


 伊草は橋花を振りほどき、しかし階段は降りずに踊り場に下がり舌打ちすると雑誌を放って座り込む。

 そして、いまだぼーっと座り続けている俺に目をやった。


「そこの親友ダチその2! お前の出番が来たぞ! 本鈴が鳴るまでにこの馬鹿を二次元から三次元に奪還しろ! 数少ないダチを減らしたくなけりゃな……」


 言い放ち、歯ぎしりする。

 だが俺は頬をかきつつ、苦笑して言った。


「まあ、……待て。一概にいつもの電波話と決めつけるのもどうだろう。お前も心配してたように、今回はちょっとばかし毛色も違うみたいだし。夢が続いてるみたいだし、ここは様子を見るっていう選択は……」


「はあ? お前、マジで言ってんの!? まさかコイツみたいに【ソーシャがいる】だの【ユーシィがいる】だの――魔術士が【存在る】だの!! ……んなこと思ったわけ?」


 口をあんぐり開けて眉をひそめて俺を見返す。

 ……まあな。

 前のふたりはともかく【魔術士】がいるのは、知ってるからな……。

 というか俺がそうらしいしな……。

 口が裂けても言えないけど。

 知ってるがゆえに電波話として一蹴することはできない。


「可能性の話だ。いつものは【現実率】ゼロパーセントの話だが、今回の妙な夢は……。限りなくゼロにちかいが、ゼロじゃないんじゃないかって。だから多少、警戒したほうがいいんじゃないかなと。そういうことだよ」


「み・ど・り・か・わぁ~……。俺、お前が柔軟な思考とおおきな器の持ち主だってこと! 前々のまえ~から思ってたんだよー! あした街に繰り出したとき、たこ焼き奢ってやるからな! お好み焼きでもいいぞ!」


 満面の笑みで橋花が俺に言葉を投げる。

 そしてそれに反比例して伊草の表情かおが険しくなる。

 ただ立ち上がらないのは、ヤツにも100パーセント否定できない引っ掛かりがあるからだと思う。

 ……そもそも俺の言葉には、魔術士の実在を知ってるがゆえに真実が含まれているから。

 カンの鋭い伊草はおそらく本能的にそれを感じ取っているはずだ。


 そうして機嫌のよくなった橋花、苦虫をかみつぶしたような伊草、微妙な困惑顔の俺でできた踊り場トライアングルは三すくみ状態のまま数秒後の予鈴、五分後の本鈴によって崩れて解散となる。


 けっきょく遊びに行く話の打ち合わせができる空気でもなかったので、それは晩、ラインですることとなって俺たちは別れた。


     ◇


 五限目のHRはテスト明けにある体育祭の、出場競技を決めるためのものだった。


 中学のときと違いほぼ同じ成績レベルの人間が集まっている高校は、必然個性のバラエティも乏しくぶつかりあいも減り活気がなくなっている。

 さらにうちのような偏差値が真ん中くらいのところは、一部例外をのぞいてアグレッシブに学校行事に取り組もうなどという生徒は少ない上、中学時代より純粋さもなくなっているので、このようなHRはただ実行委員が事務的に場を進行させ、てきとうに割り振りをして出場者を決定するのが平常運転である。じっさい去年もそうだった。


 だいたい、いかにスケジュールの都合とはいえ、あしたからテストなのにそんな話をしようというのもあれだし、開催日がテストが明けて一週間後にあるという時点で多くの者のやる気をそいでいる。

 練習もたいしてできないし。

 なのでせいぜいいつも部活で動きまわっている運動部の連中と、その他いくらかがはりきるくらいで。

 そう。去年と同じく――。


 風羽ふわにいいところを見せたい体育会系の男か。

 男女混合リレーで風羽と同じ組になりたい男女か。

 なんでもいいからこれを機に風羽とお近づきになりたい女子たちか、男子たちか。

 そういう連中がもじもじしながら控えめに、【風羽のことは関係ないというそぶり】で。

 風羽の名前をいっさい出さずに、あるいは興味なさげに彼女を推挙したり。

 ……と、いう。

 そういうどこかもやっとしたやり取りが。

 事務的な進行の中、少しだけ展開されるだけ。


 そんなふうに思っていたのだが――。


「はいはーい! 俺! 100メートルは絶対俺っしょ! だって12秒台って俺だけだし! ねえ風羽さん!」


「はあ? ほかのクラスなんざ11秒台がごろごろいるんだから話にならねーよ。そこは捨てに行ってお前はリレーに出たほうがウチが上位に入る可能性が高いだろ? ったく頭使えよ脳筋ダルマ大使三世が。なあ風羽さん!?」


「そ、そんなことより玉入れのことですが僕は玉入れに関しては少しばかり自信がありまして! ゲーセンで鍛えたこの腕! いまこそ我がクラスのために披露したいと! そう思うんですがいいいいいかがでしょうか風羽さん!」


「ゲーセンで鍛えた? バスケのヤツのことだろ話にならないね! 確実に得点稼げそうなのは綱引きじゃない? ひとりひとりの腕力体力っていうより総合的に息が合ったらいいって感じだと思うんだけど。だから放課後皆で練習しないか? ああ運動部のヤツは部活忙しいだろうから別に来なくてもいいぞ。いっしょに練習しよー風羽さーん」


「きもっ! 下心見え見えなんだよチャラ吉シモぞう! ねーね、どーせ男子は皆きもく風羽さん狙ってるからあたしらでガードしよーよ。とりあえず男女混合リレーに出すのは絶対阻止ね! じゃあそういう方向で!」


「はあ? あんたなに女子代表みたく仕切ってんの? だいたい風羽さんの意思無視とかありえないし。そういう手前勝手な押し付け友情とかマジウザい。まず風羽さんに話聞けよ。だよねー風羽さん」


「あ、あの……。少ししずかに。隣のクラスにも迷惑が……」


 実行委員の菅部すがべさんが、泣きそうな顔でかぼそい声を上げる。

 もうひとりの多々良たたらは「きょうも風羽さん、きれーだなー……」と言わんばかりの表情かおで彼女を眺め、この収集のつかない大騒ぎから逃避していた。

 先生は、「活気にあふれて今年はいいじゃないか、うん」と満足げに放置、隅で爪を切っている。


 この騒ぎはHRが始まるや否や勃発し、俺はさいしょ、

【いったいなんなんだ。……なんでこんな】

 と、橋花の件も吹っ飛ぶほど呆然としていたが、やがてこれが昼休みに……。

 俺が風羽と【ネット友達】であることが判明したせいであると思い至った。


 そういえば【あれ】の直後。

 いつも遠巻きに風羽を見ていた連中が殺到してたな……。

【俺程度】でも友達に……馴れ馴れしいタメ口で親しげに話しかけているのを見て。

 自分たちも【いける】と。

 そう確信したのがいまの状態だった。


 ちなみに「緑川って風羽さんの友達だったの?」みたいな感じで俺に近づき。

 そこから風羽へアクセスしようとするものはゼロだった。

 ひとつは、そんなまどろっこしいことしなくてもハードルが下がってるから直接行きたい勢が大多数を占めていること。

 もうひとつは、


「ほんとうにコイツ、風羽さんの友達か?」

「自分で言ってるだけじゃないの」

「なんかあのとき(※風羽のネット友達であることを暴露したとき)キモかったし」


 ……という、


【ほんとうはたいして親しくないのに、風羽さんの優しさ寛容さにつけ込んで電波な宣言をしただけの、なんかよく分からない陰キャ】


 みたいな評価、判断によるものがあり……ともかく俺に近づく者はいなかった。

 そう。ただひとりをのぞいては――。


「ちょっと緑川みどりかわ。あんたはなにに出るの」


 と、風羽の反対側の隣の席から、シャーペンで俺の腕をつついてくる女子、横岸よこぎし

 ちなみにコイツは【俺の隣の席ではない】。

 ほんとうははるか後方、目すら合うことのない場所にいるはずだ。

 なのにいま、騒ぎと先生の無関心に乗じて移動、そしてクラスのカーストトップの地位を駆使してもとの女子と席を代わってもらい、俺にちょっかいをかけてきている。


「なに無視してくれてんのよ。それとも耳の穴になんか入れてんの? ……いや、なんにも入ってないか」


 腰を浮かして近づき、俺の耳をのぞき込んでくる。

 シャンプーの甘い香りが鼻をくすぐり、俺は思わず体を震わせた。

 が、そのとき――。


「――っ?」


 俺の左腕に、なにかびりっと電流のような衝撃が走る。

 思わず見るもなにもない。

 が、ふと視線をスライドさせて……風羽の横顔が目に入って息を呑む。


 芸術品かとみまごうばかりの整った顔立ち。

 凛とした表情に美しい姿勢。

 そんな、いつも通りの【ガラスのバラ】【ポーカーフェイス・ビューティ】。

 風羽怜花れいかの姿がそこにあったのだが……。

 不機嫌だった。

 ……そんなふうに見えた。


 風羽は俺の【言いつけ】で、教室内で話しかけることはもちろん、俺とのいっさいの接触をしないようにしていた。

 昼休みで【それ】は一時的に破られてしまったが……。

 このHR中は再び言いつけを守り俺を無視し続けていた。

 だが、その無視は俺だけでなく。

 いま、延々自分のことで騒ぎまくっているクラスメイトに対しても……のように見えた。


 いちおう彼らの呼びかけには応じているものの、うなずくか、首をふるかの二択。

 声を発していなかった。

 いつもならなんらかの、場をなごやかに落ち着かせるように言葉を返すのに。

 ただ、そんな変化に興奮状態の皆は気づかず、風羽を置き去りにして風羽のことで盛り上がり続けていた。


 不機嫌なのは、こんなふうに自分のことで騒がしくなりすぎているせいだろうか。

 しかしそんなことで風羽が怒るかというと……疑わしくもある。

 コイツにとってクラスメイトというのは、はるか年下の、【自分がここにいる理由】となんの関係もない【生活環境の一部】にすぎない。

 少なくとも俺には、風羽の態度からはそう思える。

 そんなヤツが、先のようなことで不機嫌になるとは考えにくいのだが、ほかに理由もないし。できるだけ目立たないようにしずかに過ごしたいという感じだったし。……。 


 俺は首を傾げつつ視線を戻す。

 するとまた、至近距離で横岸がじー……っと俺を見つめていた。

 いつの間にか、机を動かし、俺の机とぴったりくっつけて。

 コイツはいったいなんなんだよ、マジで……。


 昼休みに橋花たちのところへ行く直前。

 俺を追いかけてきて【名刺】を押しつけ【一週間以内に俺と友達になる】宣言。

 あんなに執着していた風羽に関しては、いまもクラスメイトに交じることも、彼らを諌めて自分が主導権を取って風羽へアピールすることもなく。

 なぜか俺の隣に陣取ってちょっかいをかけてきている。

 ……わけが分からん。


「おい。いいのか? 体育祭のことは。」


「お、やっと反応した。いいって、なにが~?」


 とうとう飴まで取り出して口へ放り込む横岸。

 さらにひとつ、「ん」と俺へ突き出し、無視すると名刺のときのように胸ポケットに突っ込んだ。

 ほんとうは【明已子めいこ】なんて可愛らしいのじゃなくて、【自己中子じこちゅうこ】だろ、コイツの名前は……。


「なにがじゃない。こういうのはあんたの【領分】じゃないのか? リードするのも、風羽のことも。っていうかあんたの力でこの暴走をなんとかしろ」


「なんで? あんたが困ることある、これ……。別に巻き込まれてないっていうか完全カヤの外なのに」


 口をうごかしながら、ショートボブの茶髪に指を入れて頬杖をつき俺を眺める。

 その無遠慮でありながら、観察するようなヤツの態度に、思わず歯ぎしりしながら小声で返した。


「風羽が困ってるからだよ! 風羽に執着してたくせに分からないのか? しょせんあんたもミーハーな態度で風羽に近づいてるだけ……」


「……ふーん。やっぱ【それなりの場所】にいるんだ。あんた。……風羽さんの」


 俺は目を見開き振り向く。

 横岸は、にやりとして口の中の飴を動かした。


「ただのネット友達とか、あるいは一方的なファンとか無謀な片思いとか。そういうヤツの【言い方】じゃないもんね。いまの。【対等】か【それ以上】の場所にいる人間の言葉だよ。――あんた、何者?」


 へらへらした様子もない。

 真顔の横岸は俺を見据えて続けた。


「昼休みのヤツ。風羽さんの態度は演技じゃなかった。たぶん、だれも気づいてないだろうけど。あんたのほうは演技。こっちはだれも関心すらなかったようだけど。……私は両方気づいてた」


 心臓が鳴る。

 横岸はそんな俺の様子をじっと見たのち、飴をかんだ。


「ま、別に何者でもいいんだけどさ。【あの風羽さんと等しいレベルにいる、一見ぱっとしないヤツ】に興味があるだけで。んで、友達になりたいだけだから」


 そういうと、けらけら笑い、俺の胸ポケットに手を入れて飴を取り出し封をやぶる。

 それを自分の口へまた放り込む。

 俺は背中に汗をかきながら言った。


「なんで友達になりたいと思う。……風羽と近づくきっかけにしたいからか?」


「はっ? あんた人の話聞いてた? あたしは【あんた自身】にも興味があるわけ。……友達になりたいのは自分を高めるためよ」


「高める? ……あんたなに言ってんだ」


「聞きたい? だったらご飯でも行こうよ。友達になるんならまずご飯だよね~。都合はあんたに合わせるよ」


 にこにこして俺を見る。

 ……め、面倒くさいとかそういう次元じゃねえ。

 それにコイツの観察眼は並じゃない。

 もしこのまま放置や無視で、周りをうろうろされ続けたら……。

 万が一、【俺と風羽のこと】を気づかれる可能性もあるかもしれない。

 なら……――。


「……じゃあ来週の月曜。放課後にどっかのファミレスでいいか。ただし、それまで俺にちょっかいをかけてくるな。【友達】になるかどうかはそのときの話を聞いて決める」


「……友達のハードル高っ! あんたが友達少なさそうなの分かるわ……。なんでもいいからなっときゃいいのに。……じゃあそーゆーことで! ラインの登録もさっさとしておいてよ」


 横岸は俺を指差し、最後に頬を突いてきた。

 そのときまた、俺の左腕にびりっ! とかすかな感触があった。

 ……?


「あとさー。風羽さんは【困って】んじゃなくて【怒って】るんだよ。理由は分からないけど。少なくともこの馬鹿騒ぎは関係ない。私も含めて、クラスの人間なんて風羽さんの眼中にないだろうから。……ただひとりをのぞいては」


 そう言うと立ち上がり、呆然とする俺を見おろした。

 そして、「さて。約束してくれた礼をしなきゃね」とつぶやいたあと、ぱん、ぱん! と手を叩き、騒ぐ皆へ向けて声を放った。


「はいはーい! ちょっといい? なんかまとまり悪いみたいだからさー、提案があるんだけど!」


 そのよく通るムードメーカーの声は、一瞬でざわめきをかき消した。

 横岸は、全員の注目をそよぐ風のように笑顔で受け止めて、つかつかと黒板の前まで行くと……。

 おろおろする菅部さんと口を開ける多々良の間に無理やり入り、教卓に手をついて全員に言った。


「皆言うことバラバラだけどー、ぶっちゃけ話題の中心は風羽さんだよね? 関心は! ……確かにその気持ちはよーっく分かる。だって風羽さんは……風羽さんだから! 私らを夢中にさせるのも無理ないよ!」


 と、わけの分からないことを、おどけた仕草で言う。

 するとなぜか皆はどっと笑い、さっきまでバラバラだった空気がひとつになった。

 リ、リア充パワーすげえ……。


「んで体育祭のことだけど……。皆の興味のある、風羽さんの出場競技。これに関してはもちろん、とうぜん、風羽さんが決めることだからさ。私らのとやかく言うことじゃない。だから私たちは私たちで、まず自分たちの出るヤツを決めようよ。……運がよければ風羽さんがいっしょのに出てくれるかもよ?」


 にやりと笑い、ウインクしながら言う。

 その言葉や態度は、まるで【殊勝に自分の務めを果たせば、幸運の女神が微笑んでくれるかもしれませんよ】という感じの、アイドルの激励のような詐欺師の詐術のような、ともかく人をその気にさせるものだった。……アイツ、政治家とか向いてそうだよな。


「よーっし! じゃあ俺やっぱ百メートルな! 本気出せば11秒台くらいよゆーだしぃ?」


「俺はリレーに出る。陸上部のヤツはなるべくそっちなー。バトンとか慣れてるし」


「あたし障害物! 足遅くてもほかのでカバーできるもん!」


「カップルの子は二人三脚とかいいんじゃない? 息合いそうだし」


 他人の意見を否定することなく、自分や他人の特徴、特長をもとにした立候補・推薦が相次いで……。

 クラスはひとつの生き物のようにまとまりつつ躍動していた。

 先生は耳かきしながら、「俺の放任主義は間違っていなかった……」と鼻をすすっていた。


「……いい感じになってきたねー! 私らけっこーイケるんじゃない? よーしこうなったら私もがんばって貢献しちゃおーかなっと! 緑川ぁー!」


 とつぜん、横岸は俺の名前を呼んだ。

 俺はぎょっとして、教卓に手をつき笑みを浮かべる横岸を見返した。


「私、二人三脚に出ようと思うんだけど、いっしょに出ない~? 私ってだれとでも合わせるの得意なんだよねー。たぶんあんたの能力MAXまで引き出せるの、私だけだと思うんだ~。あんた別に得意な競技とかなさそうだし。……私と組むのがいちばんいいと思うんだけど」


「かもなー。緑川って帰宅部だろ? 運動とか得意じゃなさそー」


「ねー。メイコの言う通りにしたほうがいいかも。あの子の適応力マジすごいから」


「いーなあ横っちから二人三脚のご指名かよ。おい緑川! アイツに恥かかせんじゃねえぞ~!」


 俺に対して無礼であるとか。そういう感想はだれもが持たず。

 これがクラスにとって最善で、俺にとってもラッキーなことだという空気が出来上がる。

 俺は腹が立つよりも、横岸の場をコントロールする力にドン引きした。


 前言撤回。アイツ政治家とか、いちばんなっちゃいけないタイプだわ……。

 人のために尽くすとか、そんな精神ゼロだろうし。

 な、なにが【礼】だ……!

  

「反論なーし! ……あるわけないか! だって合法的に女子と密着できるもんねー! ……あ、ちょっといま合わせてみる? 肩だけ組んでさ」


 言うが早いか横岸は俺の席へとUターン。

 俺を引っ張り上げて肩を組んだ。


「ほらほら、ちょっとしゃがんでー! あんたのほうが少し背が高いんだから……。あと腰! もっとくっつけないと」


「お、おいこら! やめろ! ……くっつきすぎだろうが!」


「くっつかないとどーやって走るんだよー! 足結ぶんだよ? ほらほら太もももくっつけないと」


「くっ……!」


 周囲はわいわいと盛り上がる。

 俺は恥ずかしさで顔をしかめて体を硬くした。

 と、次の瞬間――。


 ――……びりっ!


「……っ!」


 いままででいちばん、はっきりとした刺激が俺の背中に走る。

 俺はしばたたき、思わず振り返ると。

 いつの間にか、無表情に横岸を見ている……。


 風羽の姿があった。


     ◇


「……あ。……えっ……と。どしたの風羽さーん。ひょっとして、やりたい競技とか思いついた?」


 横岸は俺にくっついたまま、恐る恐る尋ねた。

 体の震えが伝わってくる。……完全にびびっていた。

 それは横岸だけでなく、さっきの横岸のひと声でしずまったのと比較にならないくらい……。

 一瞬で静寂をもたらしたことで、クラス全員がそうであることが、分かった。


「……二人三脚、というのは。競技者ふたりの足首を結び、不自由な状態で行うレースのことよね」


 風羽がぽつりと言った。

 横岸は高速でうなずいた。


「あなたは【だれとでも合わせられる】ということだけど。無理よ。セ……。彼の走りは特殊だから。それをよく知る者じゃないと」


 恐ろしいほどのしずけさが、風羽の透き通った声を響かせた。

 先生は耳かきを持ったまま固まっていた。


「え……と。じゃ、じゃあだれが……。べ、別に無理に緑川をこれにとは……」


「私がやる」


「……えっ?」


「私が彼と組む。【長い付き合い】だから。……そして一位を取る。……――だれも前を走らせない」


 そう風羽が言い放った瞬間――。


 教室中に、窓ガラスが割れるほどの声が響き渡った。 

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