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第24話 ……どうして?


「……っ、……っぅ……、ぐ……っ! ……――っ……、――け……えっ……、る……っ!!」


 銀の人力二輪車を、ふらふらながらも必死にこぎつつ、息も絶え絶えに漏らす女生徒は……。

 のろのろ愛車ママチャリを手押しで進む、俺をなんとか抜き去ったのち――、20メートルほど先で、とうとう硬直。

 セミロングの髪と、スカートをはためかせ、たまらずおりる。


 登校する者の、自転車による危険な駆け込みを阻むかのごとく……。

 校門の直前100メートルに鎮座する、急勾配。

 通称――【壁】。

 そう呼ばれる、この非人情な坂道は、今朝も先の女生徒を始め、幾人ものライダーを撃墜していた。


 いっぽう俺はさいしょから、【壁】に立ち向かう気はさらさらなく……。

【壁】の前座――、駅前からの、ゆるやかな坂が始まった瞬間に降車して、そのあとずっと、手押しで歩いていた。


 しゃらしゃらと車輪を回転させて、さんさんとふり注ぐ朝日のシャワーを全身に浴びつつ。

 ときおりやって来る車や、散歩中のお年寄りに注意を払いつつ。

 早々に、【壁】への挑戦を始めんと助走をつけるライダーたちの突進の邪魔にならないよう――。

 道の端ぎりぎりを、立ち並ぶ家々の壁、生け垣すれすれを、ゾンビのように歩き、【壁】まで来た。


 延々と、気の重くなるばかりの考えごとをし続けて……――。


     ◇


――日取りは、土曜日で! ――


――……時間はどうしましょうか! ――


     ◇


――食材は、なにをご用意していれば! ……そうだ部屋の片付けもしておかないと――


――……料理道具の購入も! ――


     ◇


――……週末のことなんですけど――


――……なにか予定とか、ありますか――


     ◇


――もし予定がないのなら、土曜日――


――付き合って欲しいんですけど――


     ◇


――……また、細かいことは連絡します――


     ◇


     ◇


「……。…………はあ」


 俺は、【壁】の中腹で立ち止まり、おおきく、ため息。

 その、ハンドルに手を置いたまま、ぼんやりと……。

 先ほど【壁】に撃墜されたのち、呼吸を整えていた女生徒が、あとから手押しで来たショートヘア女子に、「やーい敗北シャー」とからかわれ、マジ切れしている様子を見つめていた。


 しかし、そんなふたりの姿が、……ほどなく。

【あの子】と【アイツ】に見えてきて、思わず、目をそらし――。


 公園を出てから、もう100回近く、頭の中でこねくりまわしていることを、改めて思い浮かべた。


     ◇


 土曜日に、風羽ふわの家で料理を教える約束をしたこと。

 そして、それを忘れて――。


 同日、すいちゃんにも買い物に付き合う約束をしてしまったこと。


     ◇


 ……なぜ、忘れていたのか、というのは……。

 今朝、とつぜんやって来た水ちゃんに、着替えを見られてしまったというハプニングのせいで、頭から吹っ飛んだ……というのが、最も合理的な答えであるとは思う。

 しかし、そんな【理由こと】は、まさに【どうでもいいこと】だった。

 問題は、忘れた原因ではなく――。


【これからどうするか】、ということなのだから。


     ◇


「……ダブルブッキング。――……なんて」


 縁がなかったはずなのに……。と、独りごちる。


 現在の、たったふたりの友達――橋花はしはな伊草いぐさの場合、だいたい三人行動だし。

 かぶっても、


「んじゃー三人で行くか(やるか)」


 で、終わり。

 だから友人間で、そういうトラブルはない。


 そして、【家族】との場合も……。

 じいちゃんは、事前にヤツらとの予定を聞いてくるし、ヤツらも同様なので、忘れることはない。


 また、【家族】に等しい存在の、坂木さかきのおばちゃんは……。

 約束というか、だいたい、連絡もなくとつぜんやって来て、その日に即・俺を連行しようとするので、……その強引さと、高確率で面倒なことに巻き込まれることを恐れ、俺の中に、それに抵抗する心理が働いて――。

 ほかに約束があったかどうか、必死に思い出し、かぶりはないし、ほかとの約束を告げると、おばちゃんは、


「あっそう。じゃーきょうはいいわ!」


 と、すぐに引き下がる。……うそでなければ(うそはバレる)。


 あと、かつての【幼い水ちゃん】――は。

 おばちゃん同様、いつも強引ではあったが、……いちおう、


「ねえ、なんか予定あるー?」「ない? ある~?」


 ……と聞いてきたので、こちらも、約束がほかとかぶることはなかった。


     ◇


 そもそも俺は、昔から、そんなに交際範囲が広いわけではなかったから、約束も必然少なく……。

 そういう面で失敗することはなかった。

 だから、今回は特別――。

 まさに、【非常事態】なのだ。


 ……もし、水ちゃんと風羽が、まったく知らぬ者同士だったなら、


「ごめん! その日、知り合いと約束してたのを忘れてて(風羽への場合は、『急に外せない用事ができた』)……。また今度埋め合わせするから!」


 ……で、なんとかなる。

 俺のことを【セイラルあるじ】として、絶対的な忠誠を誓う風羽……もといファレイの場合。

 俺のプライベートに、無理矢理干渉してくることは100パーセントない。

 現在の、大人びた冷静さを持つに至った水ちゃんも、たぶん俺に呆れ、不機嫌になりはしても、聞き入れてくれると思う。


 また、顔見知りの場合でも……。

 ふたりが【同じ世界の者同士】なら、……なんとかなった、……と、思う。


 しかし、じっさいは……。ふたりは、その【どちらでもない】。

 知らぬ者同士でもなければ、同じ世界を生きる、知人でも友達でもない。

【まったく別の世界を生きる者】だった。


 しかも、一度――。

【最悪な対面】を果たした……。


     ◇


 水ちゃんは、確実に、風羽のことを怪しんでいる。

 俺と縁がまったくなさそうな、超絶美人が、……朝早く。

 猛スピードで自転車で駆けつけてくるなんて。

 いったい、俺とどういう関係の人なのか……と。

 いろいろあって、未だ保留になっているものの、それを知りたいと、……おそらくいまも思っている。

 

 さらに、【あのとき】の態度から察するに……。

 十中八九、風羽に、いい感情を抱いていない。


 風羽の、水ちゃんに対する感情はいまいち分からないが、……当時の様子を思い浮かべるに。

【どうでもいい人間の子供】……というような気がする。


 アイツは、見た目こそ高校生だが……じっさいの年齢としは、満87。

 じいちゃんより、ふたまわり近くも上なのだ。

 人間界こっち魔法界あっちの時間の進み具合、精神の発達具合は知らないが、風羽の、ときに俺に対してテンパる以外の、基本的な態度、冷静冷徹な物腰などは、……とても十代とは思えないしな。

 わずか12歳の水ちゃんなど、……その、自分に対する感情など、【しょせん、子供の言うこと】以外のなにものにも映らないだろう。


 俺に対してのかしこまり方は、主ということもあるけど、……俺はその風羽よりも、はるかに年上(258+17歳)だから、ということもあると思う。……。


 ……ともかく。結論としては。

 水ちゃんに対しては、風羽と約束していた、という事実は、……告げることはできない。


     ◇


 超能力者ばりに、カンの鋭い水ちゃんへ、風羽のことを伏せて言ったって、すぐバレる。

 正直に、約束の相手が風羽であると言えば、怒るだろうし。

 怒るだけならまだしも、せっかく、再び持てたつながりが、消滅する可能性もあるし、……なによりも、最悪の場合は……。

 俺が、足を踏み入れ始めた別世界――【非日常】へ、彼女を引き入れることになるかもしれない。


 風羽とのことを、ごまかしきれずに、【ほんとうの関係こと】がバレた場合。

 水ちゃんが、その【非日常】を信じる信じないに関係なく、【彼女と、そことの距離が、近づいてしまう】。

 そして、それは絶対に避けなければならない。

 いまの状態でも、……なにが起こるか分からないのだから。

 極力、水ちゃんと風羽を、接触させたくはない。


 ……そう考えると、ただのダブルブッキングであれば、どんなによかっただろう……と。


 ……なんて馬鹿なことをしでかしたのだろう、……と、思う。


     ◇


 俺は、首を一度、おおきくまわし、再び自転車を押し始める。

 いつの間にか、言い合いをしていた女子ふたりはいなくなっていて、ほかの生徒たちも、まばらになっていた。

 校門前には、風紀委員と、当番の教師が立ち、登校する者たちへ声がけをしている。

 そろそろ、予鈴間近ということなのだろう。


 俺は、少しだけ速度を上げて、【壁】をのぼってゆく。

 そして、一分後――。

「おはようございますー」「ます~」と声をかけてきた、委員の一年生の、男子と女子に、「おはよーですー」とつぶやいて、教師に会釈して、そそくさと門を通り抜ける。

 それから、一度立ち止まると、息をはいて、自転車置き場へと続く、ゆるやかな坂をのぼり始めた。


     ◇


――……あっ、そ、それでしたらお任せを! ――


――私が住まいとしている家にて、ご教授いただければと!! ――


     ◇


 俺の【命令】を受けたときの、きらきらした、風羽の表情かおを、いま一度、思い出す。

 ……今朝の、水ちゃんの笑顔と、同じくらい、……それ以上に輝いていた。


セイラルおれ】を主と慕う、【ファレイ】。

 そんな彼女との、過去の付き合いの記憶は、俺にはない。

 だから、【風羽怜花れいか】との付き合いだけなら……。

 まだ、ほんの数日に過ぎない。


 けれど、……その。

 付き合いというには、わずかに過ぎない、【ほんの数日】は……――。


     ◇


――失礼しました。……先ほどの行いは、すべて忘れてください――


     ◇


――あなたは……、ずっと記憶が戻らないままでも――。緑川晴様として……、私の名前を憶えていてくださいますか? ――


     ◇


――――……はいっ! 分かっておりますっ!! 私とあなたの、学校内での立場上の問題のためですよね!! ――


     ◇


――……ひいでふ!! ……――とってもおいひいでふ!!! ――


     ◇


――……!? い、いえいえいえいえ!!!! ち、違うんです!! その、……あ、あまりにもったいないお言葉が耳に入ってきたような気がしましたゆえ、少々混乱を……!!! すみません、厚かましい妄想をしてしまいました――


     ◇


―― ――はい! 仰せのままに!! ――


     ◇


     ◇


 アイツが慕っているのは、【セイラル】であって、【緑川晴おれ】じゃない。

 向けられた言葉も、態度も、……表情も。

 すべて、【セイラルヤツ】に対してのものだ。

 それは、分かっている。……でも……――。


 アイツが【おれ】に対して、どう思っていようとも……。

 俺のほうは、もう――……。

 風羽のことは、薄い存在では、なくなっていた。

 だから、そんな風羽を……表情かおを、曇らせることは……。

 できるなら、したくはない。


 それに、道理として考えれば、優先されるべきは……。

 先に約束をした、風羽のほうなのだ。

 しかし、【現実的】には、風羽のほうを、断るしかなかった。


 ……最悪の事態は、避けなければならない、……から。


     ◇


 俺は、暗い顔のまま、自転車置き場へたどり着き、よどみなく停車すると、さっさと引き返し、ほかの生徒たちと同じように、昇降口へ向かう。

 歩きながら、単語帳を見ている者もいて、……そういえば、あしたから中間テストか……などと、他人事のように思ったところで、予鈴が鳴り……、校舎に沿った坂を下り、左へ曲がる。


 そしてまた、短い坂をのぼり、昇降口が見えてくると、小走りの男女に左右から追い抜かれて、「急いで下さ~い!」「さーい!」と声をかけられた。

 ……さっきの風紀委員か。


 でも、朝のホームルームまでは10分くらいあるし。

 歩いても、十分に間に合う。

 なにより、いまは走る気力なんかない。

 ……できれば引き返したいくらいだ。


 だって、教室に入れば、俺の隣の席には――……。


     ◇


「……ちょっと。君――」


 ふいに、後ろから声がする。

 振り返ると、見覚えのある、大人の女性が立っていた。

 この、どこかぼんやりした印象の人は……。


 一瞬、頭がから)になったように言葉が出ず、俺はしばたたく。

 それから、彼女の無造作にまとめられた、ひとくくりの髪に、黒縁眼鏡。

 化粧っ気のまったくない様子に……。

 スニーカーにジーンズ、洗いざらしの白い襟シャツといった、実にラフな出で立ちを認めて、ようやく――。

 彼女が、先の風紀委員といっしょに立っていた教師で……。

 現国の担当でもある……――。


 和井津わいつ先生であることに、気づいた。


     ◇


「……あ、……はい。……なんでしょう」


 俺は、思わず間の抜けた声を出し、応えた。

 直後、なんとも失礼な対応をしてしまったと、顔をゆがめる。

 けれど、先生は無言。

 俺の非礼に反応することなく、腕組みをしたまま、こちらをじっと見ている。


 ……な、……なんなんだ。

 怒っているようにも見えない。……というか。

 いつもながら、なにを考えているのか、さっぱり読めない。

 急げってことなら、そう言うだろうしな……。


「ずいぶんと、悠々としてるけど。……どうして?」


「……えっ?」


 俺は、阿呆のように漏らしてしまった。


「急ぎなさい」。……と、叱るなら分かる。

 あるいは、「重役出勤?」と、嫌みを言うとか。

 ……無論、彼女はそういう言葉を使うタイプではないが。

 それでも、そんな言いまわしをすることも、たまにはあるかもしれないなあ、と。

 ひっかかりはしない。


 だけど、いまのこれは……。

【なぜ、あなたは急がないの?】……と。

 嫌みではなく、純粋にその理由を尋ねてきたように感じたからだ。


「え……、……と。その……、ちょっと。……考え事、……を」


 たどたどしく、答える。

 先生は、そんな俺の言葉を、無表情に聞きつつも、腕組みを解かず……。

 心の中を見つめるように、厚いレンズの奥から、俺へ光を飛ばした。


 初めて、はっきりと合った、目――。

 その、印象の薄かった、彼女の、……じっと見つめたことのなかった瞳は……――プリズムのごとく。

 驚くほどに、美しく――。


 強烈な、太陽のような輝きを宿していた。


     ◇


――――どくん。


 俺の心臓が、おおきく鳴る。

 たまらずに、ずるりと、小石を引きずりあとずさる。

 そして、どっ、どっ、どっ……、バイクのエンジンがかかったように、激しく打ち始めた胸を、押さえ込み、想定外のことに、唾を飲んだ。


 そうして、俺が背中に、嫌な汗を感じたところで、先生は、ようやく腕組みを解き……。

 眼鏡をかけ直すと、俺へ飛ばしていた光を消した。

 それから、すたすたと歩き出し、


「テスト勉強。……一夜漬けでもいいからしておきなさい」


 ……と、すれ違いざまにつぶやいて、職員用の玄関へ向かっていった。


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