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第23話 ゴン!

 唐突だが、皆は、毎月のこづかいを、なにに使っているだろうか。


 俺は、ライトノベルや漫画、アニメなどが好きで、こづかいの大半がそれらに消えてゆくのだが、そのほかにもうひとつ――。毎月、決まってけっこうな額を、俺の財布から頂戴していくものがある。


 それが、【映画】だった。


     ◇


 俺が、映画に興味を持ったきっかけは、小学四年生の冬――。

 テレビの洋画劇場で、たまたまやっていた古い映画……、「エイリアン2」を、じいちゃんといっしょに見たことで、その、テレビドラマでは味わえないスケール感、映像の格好よさ、ドキドキわくわくする展開、なによりキャラクターの魅力にすっかりはまり、それで初めて、【映画】というものを認識した。

 もちろん、かの有名なシーン、ナイフを使い指の間をとんとんとんとんやるヤツも、よく真似した(とうぜんナイフではなく鉛筆で。ちなみに何度か失敗し、その【跡】はいまも指に残っている)。


 以来、じいちゃんとふたりで洋画劇場は欠かさず見たし、DVDも新旧問わず、借りてきてよく見た。

 じいちゃんにせがんで映画館へも足を運んだし、中学になると、友達や、帰省した水ちゃんとや、自分ひとりでも、月に一度は電車に乗って、話題作を見に行ったものだった。


 それはいまも変わらずで……、こづかいをやりくりしつつ、やはり月に一度は劇場へ赴いている。

 橋花はしはなとダチになってからは、ヤツの好みに合わせて、アニメ映画も見に行くこともしばしばだ(さすがに、特典目当てで同じ映画を何度も見ることはないけど……)。


 ジャンルについては、当時からいまに至まで、アクションやSF、ホラー、コメディ等々、とくに偏ってはないが、見るのはもっぱら娯楽作品で、いわゆる批評家と呼ばれる人たちが絶賛しているような芸術系の辺りは、あまり肌に合わないし、くだんの人たちのように、作品について、なにかはっとさせられる、特別な意見を披露することもできない。


 だけど、多くの人が楽しめる、【面白い作品】なら……。

「そういうの、なにかなーい?」という声に対してなら、わりと自信を持って返すことができる。

 ……ということで。


 今回紹介したいのは、【ターミネーター】シリーズの、1と2。

 SFアクション映画で、どちらも、ごくふつうの生活を送っていた人間が、未来から送られてきた殺人機械ターミネーターと、人類の命運をかけて戦うことになるというのが、ざっくりとした説明。

 2になると、その殺人機械ターミネーター(2では旧式になってしまった)が味方になるという展開だが、おおまかな筋としては同じだ。

 その2作とも、ユーモアも、涙も、手に汗握るアクションも――、およそ映画に多くの人が求めているものは、すべて入っていると言っても過言ではないと思う傑作である。


 監督はジェームズ・キャメロン。先の「エイリアン2」の監督でもある、世界的に名の知れた実力派。

 そしてメインの俳優は、アーノルド・シュワルツェネッガー。こちらも、世界的なスーパースターだ。

 このふたりを始め、いまさら俺が説明するまでもない、超有名作品だけど、あえて挙げてみた。


 なぜなら……。

 いまの俺の、【この姿が】……。

【全裸でしゃがみ込む】、この状態が……――。


 その、ターミネーターが、映画の冒頭で登場したときと、そっくり同じだったから。


     ◇


「………………」


「………………」


 さいしょの絶句は、【俺】。

 先ほど、【変な夢】を見たせいで早くに目覚め、寝汗で下着までしっとりしてしまったために、着替えている最中の――……【全裸マン】。


 次のは、すいちゃん。

 どういうわけか朝早く、ウチへ訪ねてきて……。

 俺の部屋のドアをノックして、俺が応える前にガチャリと開けて、……石像のように固まっている、幼なじみの【制服少女】。


 彼女のおおきな目は、極限まで見開かれ、ちいさな唇が、少し開かれていた。

 果たしてその表情かおで、なにを思っているのか。

 なにを考えているのか……は、分からない。

 ……なにも考えられないのかもしれない。


 朝、ドアを開けたら、幼なじみの男子高校生(17)が素っ裸でターミネーターごっこをしていたという事実。……女子中学生(12)には、とうてい受け止めきれるものではあるまい。


 しかも、俺の両手は箪笥たんすの引き出しに突っ込まれている。……見ようによっては、全裸で家捜やさがししている変態の泥棒に見えなくもない。……断っておくが、ここは俺の部屋だ。しかし、印象の問題である。


 この衝撃の【印象】を、【理性】で軽やかにクリアーし、「あ、着替えている最中だったの。あはははごめーん」というところまで、到達できるか。……いな。無理である。


 どうしてかというと……。

 なにを考えているか分からなかった、石像状態の表情かおから、すでに……――。水ちゃんの見開かれた目が、ゆっくりと、閉じられていっていて……。

 見慣れた半眼になったから。


 ……軽蔑の……色を……含んだ……――。


     ◇


「……あ……。あのね水ちゃ……」


――ばたん!!!!!!!!!!!!!!!


 俺が口を開いた瞬間……、ドアは、思い切り閉められた。

 ……早足で、階段をおりる音が響いてくる……。


 ……。

 ……ど、どうする……? ……俺……。

 と……りあえず、着替えるか……?

 全裸じゃ、なんだし……な……。


 何色のパンツをはこう……。

 あはは、は……。


 は……。


     ◇


「……おいお前。水ちゃんになにをした? ……せっかく朝ご飯をいっしょにと思って呼んだのに……」


 一階におり、キッチンに入るなり、眉をひそめて俺をフライ返しで指してきたちょんまげイケ渋じじい……――って、あんたが原因かぁーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!


 俺は【阿修羅面・怒り】よろしくの形相でじいちゃんに突進、フライ返しを奪って、何度もそれを突き出しながら、半泣きでまくし立てた。


「じぃーーーーーーーーーーちゃんのせいでなあ!!!! 俺は、俺は……っ!! どーしてくれんだよーーーーーーーーーーーーーーーおいーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」


「――なっ、なんだ!? なにを怒ってるんだ……って、フライ返しを振るなっ! 油が飛ぶだろうが!!」


 じいちゃんは、舌打ちして暴れる俺からフライ返しを奪うと、ガキにやるように頭を押さえつけて、無理矢理着席させる。俺はテーブルに置いてあったパック牛乳をそのままがぶ飲みすると、口をぬぐって先の惨状を話す。するとじいちゃんは、顔をしかめたのちに、俺に怒鳴った。


「――……この馬鹿がっ!! 乙女になんてものを見せとるかっ!! ……配慮が足らんっ!!」


「っ……!! って、しょーがねーだろっ!? 鍵とかないんだから!! じいちゃんだったら防げたのかよ!!」


「わしは阿呆のお前と違って、ノックをされた時点ですぐに返事をする。そもそもめったに、着替えとはいえ、部屋の中で【全裸】になどならん。……お前、まさかいい年こいて寝小便垂れたんじゃあるまいな……」


 顔を引きつらせて俺を見る。俺は必死にかぶりを振り、すぐさま自分の名誉のために言い返した。


「違うわーーーーーーーーーいっ!! 汗をかいただけ……って、これは言い訳じゃなくて!!! マジの話だからな!!?? 変な夢を見たから……それで……――!!」


「……。夢……?」


 じいちゃんは訝しげに俺を見る。

 俺は、そんなじいちゃんを何度も指さし、唾を飛ばし続けた。


「そーだよそうっ!! なんか誰かに乗り移って森の中を……、とにかく変な夢のせいなんだよ!! それで気持ちの悪い寝汗を……!!」


 俺は、なんとか【夢】の内容を思い出し、つっかえつつも説明し……、ともかくでっち上げではないことをアピールする。

 じいちゃんは、そんな俺の様子を、やや目を細めつつ、無言で聞いていたが、俺が何度目か、言葉に詰まったときに、追いやるように手を振った。


「……あーもう分かった、分かった! じゃあ早く飯食え! 水ちゃんにはわしが電話しておくから、食べたらすぐ謝りに行け!」


 じいちゃんは、そう、うんざりしたように言うと、ガラケーを取り出しつつ、キッチンを出て行った。


 ……く、くそ……、あれはガキのころ、俺が『ツチノコを見た!』って力説したときと同じ反応じゃねえか……。……絶対、信じてねえ!

 じいちゃんは、面白い話は大好きだし、ノリもいいけど、非科学的なことは一切スルーするからな。

 ……こ、このままでは、俺が寝小便太郎に……。でも、ほんとうのことを言ってもこれじゃあ……。 


 ……――って、それどころじゃない! 早く食べて、学校へ行く前に弁解しないと……!


 俺は、目の前に置かれていたホットサンドをつかみつつ、右の、じいちゃんの席にある分のほかに、左の席の、一食……、多めに用意されていた朝食を見やり、ため息をつくと、そのままおおきく口を開けて、食事を始めた。


     ◇


「……いってきますっ!! ……――後片付けよろしく!!」


「ああ。地面に額を陥没させるくらい謝ってこい。……馬鹿息子」


 後ろから、呆れた声が飛んでくる。

 いつもなら、振り返って言い返すところだが、そんな余裕はゼロ。

 俺は愛車ママチャリのスタンドを蹴っ飛ばすと同時に押しやって、またがりながら門を出て、ペダルをこいだ。


 じいちゃんの話だと、まだおばちゃんの家……もとい、いまは水ちゃんの家でもある――に、いるらしいけど……。

《いちおう、待っています》とのことだったので、さっさと出て行った可能性が大。

 なので必死に脚をまわした。


 現在、水ちゃんは――。

 かつての、【無邪気で元気な小学生おさななじみ】から、【クールで大人びた中学生おさななじみ】に変化してしまったが、おそらく【一度怒らせると、機嫌を直してもらうのに相当な骨が折れる】という部分は……。変わっていないように思える。

 いまもよく見せるあの半眼は、前と同じだから。

 ……具体的に言うと、【死ねば?】的な……表情かお

 正直に言って、会っても、弁解の言葉が浮かばない……。


 俺は憂鬱な気分のまま、一分ちょいで細い路地の前へ到達した。

 そして息を整えつつ、路地へ自転車の前輪を向ける。

 と、そのとき――。

 すぐそばの、古びた門の前に立っていた、水ちゃんと目が合った。


「……。……あ……」


 思わず漏らし、俺は愛想笑いを浮かべたまま、硬直する。

 対して水ちゃんは、両手で、飾り気のない黒い通学鞄……おそらく学校指定の――をぎゅっと握りしめて、こちらを半眼で睨んでいた。

 ……完全に、怒っている……。


「あー……、ははっ、……あー、のさ。……さっ……き、の……」


 愛想笑いを交え、自転車のスタンドを立てつつ、なんとか俺は声を出す。

 しかし、半眼を崩さずに、こちらを睨みつけている彼女の表情かおを見て、言葉が止まる。


 ……ご……、ごめん……、とか言う以前に……。

【全裸云々】を、口にすることが、できない……。

 とてもそんな雰囲気ではなかった。


 しかしこのままでは……。と、とりあえず、謝る前に、ふつうに話をできるまでもっていかないと……。


「えー……っ、と。……時間、は。大丈夫、かなぁ……」


 俺は、喉から声を絞り出し、たどたどしく問いかける。

 すると水ちゃんは、淡々と返した。


「ええ。ぜんぜん平気です。まだかなり早いですから。朝ご飯も食べていませんし」


 睨みが、きつくなる。

 ……そ、そうだろうな……。

 ウチで食べるつもり、だったんだもんな……。


「……じゃ、じゃあ、ちょっと、移動しない? これ……。預かってきてさ。……水ちゃんの分」


 俺は、自転車のカゴに入れた帆布鞄を開けて、じいちゃんに持たされていた、紙で包んだホットサンドと、紙パックのジュースを取りだして、水ちゃんに見せる。

 彼女は、それを少しの間見ていたが、ほどなく、目を閉じて、ため息をつく。

 そして、目を開けると言った。


「……。……せいさんは、ご飯。食べたんですか」


「……あ、……う、うん。さっき急いで」


「……では私のお茶とお菓子、少しあげます。……ひとりで食べるのも、味気ないので」


 ……と、セミロングの髪を揺らすと、すたすたと、俺の横を通り過ぎ、細路地を出て行く。

 俺は慌てて、自転車を方向転換し、そのちいさな背中を追った。


     ◇


 そうして俺たちは、住宅街の中にある、近くの児童公園へ移動する。

 そこは、水ちゃんの家から歩いて二分、俺の家からも歩いて五分ほどの距離にある、ちいさな公園で、昔からの馴染みではあったものの、あまり行くところではなかった。


 なぜなら、遊ぶものが、滑り台とブランコ、そして砂場しかなく、グラウンドもないために、元気いっぱいだった幼い水ちゃんのエネルギーを発散する場所にはとうていならず、もう少し遠いところにある、アスレチックまで備えたおおきな公園へもっぱら赴いていたからだ。

 なのでここは、水ちゃんが帰省中に、おばちゃんや、お母さんであるひかりおばさんと喧嘩したときの、【籠城】先……という感じの場所だった。むろん、そのときは決まって、俺も付き添っていた。


「……。中に入るのは、久しぶりだなぁ……。前はよく通るんだけどね」


 俺は、【半中はんなか公園】と刻まれた、地面に打ち立てられた丸太を触り、漏らした。

 入って数歩で滑り台の階段があり、その横に砂場。

 奥に、ブランコ。……隣にベンチ、水飲み場。

 ツゲの植え込みを壁として、入り口に生えたおおきな桜木の葉を屋根とした、狭い狭い公園には、生い茂る葉によってちぎられた朝日がまばらに落ちて、錆びた遊具や、水飲み場の蛇口を、鈍く光らせていた。


 俺たちは、奥のベンチまで歩く。

 そして、俺がベンチのそばに自転車をとめると同時に、水ちゃんが、しずかに腰掛けて、俺も隣に倣う。

 座ると、やや離れた入り口と向き合う形となり、公園の前を、犬の散歩などで通る人たちが見えた。


「……まだ、ぜんぜん早いからね。小学生でも、登校は、2、30分くらいあとかなあ……」


 俺は、おじいさんと、毛むくじゃらのちいさな犬が通り過ぎたあとに、言った。

 ここは近所の小学校――俺の母校でもある――の通学路だったので、子供たちが通れば、俺たちもそろそろ……という感じだ。まだ十分時間はあった。


 俺は鞄から、先ほど見せたホットサンドとジュースを取り出して、水ちゃんへ。

 彼女は、「ありがとうございます。――と、おじさんにお伝え下さい」と一礼してから、それらを受け取り……、俺と反対側へ置いた、自分の通学鞄のチャックを開けると、中からチョコボールと、ペットボトルのお茶を取り出した。


「どうぞ。お菓子は全部食べていただいて構いませんので」


 そう、俺に差し出した。……お菓子は、ということは、お茶は残しておいて……、ということなのかな。


「……。お茶。飲むなら別にいいよ。そこに水飲み場あるし」


 俺は、ふたつを受け取りつつ、親指で年季の入った水飲み場を示す。

 しかし水ちゃんはかぶりを振った。


「お腹を壊すかもしれませんから、やめたほうがいいです。……子供のころは、気にせず飲んでましたけど……」


 と、水飲み場を見やった。

 ……確かに、いまはもう、めったに外の水は飲まないなあ……。

 別に衛生面では変わってないとは思うけど。

 ……自分こっちのほうが、変わったってことか……。


「分かった。じゃあ、お菓子はせっかくだからもらうけど、お茶は、学校へ行くときにでも自販機で買うから。これは……」


 俺は、ちいさなペットボトルを、彼女へ返した。

 が、水ちゃんは、それを受け取らず、半眼になり……。俺を睨んでいた。

 ……えっ……と。……な、なに?


「……なんでそんなに、嫌がるんですか。……お茶」


「……あ、いや、……嫌がってるとかじゃなくて。俺の飲みかけなんて、嫌だろ? だから……」


「嫌なら、あげないか、全部飲むように言うと思いますが。……そもそも、昔からまわし飲みなんてしょっちゅうしてたでしょう? なにをいまさら……」


 水ちゃんは、半眼のまま、俺からお茶を奪うと、ボトルのキャップを開けて、ぐいっ、とひと口飲んだ。

 そして、わずかに垂れたお茶を、手首で拭うと、俺へ再び差し出した。


「……はい。急いで出てきたみたいだし。喉、渇いてるでしょう? ……どうぞ」


「……。あ、ああ……」


     ◇


――はい、晴兄せいにいにあげる! ……その代わりぃー……、そっちの、ちょうだいね!――


     ◇


 昔の声が、リフレインする。

 ……なんというか、表層は変わっていても……。

 水ちゃんは、水ちゃんのまま、なんだな……。

 ……変わらないもの、か……。


 俺は、苦笑したのち、彼女からボトルを受け取って、ひと口飲んだ。

 そして、水ちゃんと同じように、口の端から漏れたお茶を、手首で拭う。

 彼女は、その様子を見ると、半眼を解き、満足げにうなずいたあと、ちいさな口を、幼いころのように目一杯開けて……ホットサンドにかぶりついた。


     ◇


 木漏れ日が揺れて、さわさわと、葉のこすれる音が響く中、水ちゃんは、あっという間にホットサンドを食べ切ってしまう。

 そうして、「ごちそうさまです」と言い、手を合わせようとしたときに、彼女は指についたマヨネーズに気づいて、ぺろりとなめる。

 そのあと、きれいになった指を見ながら、おおきくため息をついた。


「……やっぱり、おじさんの料理はすごい。……私なんて、まだまだぜんぜん……。遠いなあ……」


 そうつぶやき、また、ため息。紙パックジュースを手に取り、目を落とした。

 俺は、チョコボールを飲み込んだあと、言った。


「水ちゃんは、料理が上手になりたいの?」


「……。上手になりたい、というか……。おじさんと同じくらいにうまくなりたいという感じですね」


「……それは、上手になりたい、というのと同じ意味だね。それもすごく……」


 俺は苦笑した。

 はっきり言って、じいちゃんの腕は、そこらの料理人より上だからな。

 お兄さんとお姉さんがプロの料理人で、その味もよく知っている伊草いぐさが……、じいちゃんの作った弁当をつまみ食いして、顔色が変わってたし。

 俺自身、たまに外食しても、じいちゃんより上だと思ったことは、ほとんどない。


 でも、この間食べたケーキ……水ちゃんが作ったものは、じいちゃんに引けを取っていないと、俺は思った。水ちゃん自身は、ぜんぜん、みたいな反応だったけど……。

 お菓子以外の、すべての料理の出来映えも含めての、自己評価だったのか、お菓子のみでもそう思ったのか。それは分からないものの……。そのケーキのときの反応といい、いまも、こんなことを言うってことは、もしかして……。


「……もしかして、水ちゃんは、料理人になりたいの?」


「……。……はっ?」


 次の瞬間、くるりと顔を向けた彼女は、……半眼になっていた。

 ……な、なんで怒ってるの!?


「い、いや、だってさ! 【あの】じいちゃんレベルを目指してるっていったら……、そう取るよ! ……ってことは、ただ単に、純粋に……。料理がじいちゃんレベルになりたいだけってこと?」


「そうです。……いけませんか?」


 半眼を、さらにきつくして、やや俺に寄って、下から言う。

 俺は急いで、何度もかぶりを振る。

 それで、水ちゃんは半眼を残しつつも、俺から視線を外して、ジュースへストローを差し、口をつけた。


「……そもそも、おじさん自体が、プロの料理人じゃ、ないじゃないですか。……すごい腕前でも、職業としないなんてことは、ふつうにあります。……つまりは目的ですよ」


「……目的?」


「ええ。……たぶんおじさんは、……おじさんの料理が上手なのは……。才能もあるでしょうけど、……あなたを喜ばせようとして、それでうまくなったんだと思います。……きっと」


     ◇


――なんだぁー? まーたカレーかよ。……お前、カレーばっかリクエストするなあ……。ははは。よしよし……――


     ◇


 ……。俺が、物心ついたときから……――。

 じいちゃんの飯は、美味かった。

 けれど、【物心つく前】は……どうだろう。


 俺を引き取って、ミルクを与えて……。おしめを替えていたときなんかは……。

 そんなことを、折に触れて、何度も考える。


 ……だから、じいちゃんの、食事の美味しさと、温かさは……――。

 ……じいちゃんの、俺への愛情だ。

 ……そう思って、いつも食べている。


 ずっと。ずっと……――。


     ◇


「……あっ……。す、すみません。……私が言うことじゃないですよね。あなたが分からないわけないのに……」


 俺が黙っていたせいか、水ちゃんが、慌てて頭を下げる。

 俺は、彼女の頭をぼんやりと見たあと、ふいに、水ちゃんの、昔の姿が浮かんできて……。

 気がつくと、その、ちいさな頭に手を置いていた。


「いや。……俺以外に、じいちゃんのことを理解してくれているのは、水ちゃんだけだ。それが嬉しいよ。……ありがとう」


 ゆっくりと、手を動かして、なでる。

 水ちゃんは、俺にされるまま、頭を低くして、脚を強く閉じる。

 やわらかな髪と、頭の感触は、昔のままだった。

 でも……。やっぱり……。肩幅も広くなってるし、こうしたときに、見える姿が少し違う。

 時間は、確実に流れているんだな……。


「……、……あ……、の……」


「……えっ?」


 俺は、ふいの声に手を止める。

 見ると、俺の手の下で、水ちゃんが、顔を赤くして……。

 俺を見上げていた。


「……――あっ!! ごっ……、ごめんっ!! ……ついっ――!!」


 俺は慌てて手を離す。

 ……し、しまっ……! 体が勝手に……!

 これはまた、怒らせてしまった、よ、な……。

 

 俺は、硬い表情かおで、離した手を、くうで、行き場なく閉じたり開いたりする。

 しかし、水ちゃんは、そんな俺を見上げたまま……――、


「……別に……。……でも、あまり子供扱いは……。しないで下さい」


 と、言い終えると同時に、うつむいて、耳を赤くし……。

 ストローへ口をつけ、しずかに吸い込んだ。


     ◇


 それから――。

 水ちゃんがジュースを飲み干して、俺のもらったチョコボールの箱がからになり……。お茶が半分くらいになったころ。

 公園の前を、小学生たちが走り始めた。


「そろそろかな。……俺はまだ余裕あるけど、水ちゃんは、徒歩通学……だよな」


 俺は、ペットボトルを、朝日に照らしながら、言った。 

 水ちゃんは、うなずいた。


「そうですけど、私もまだ大丈夫です。……歩いて十五分くらいですし」


「そっか。……なら、もう少し、ふたりでゆっくりしてようか」


「……! はいっ」


 水ちゃんは、微笑んだ。

 ……そういえば、すっかり忘れてたけど……。

 水ちゃんは、青神学院せいごうがくいんだった、な……。


 もともと、水ちゃんは、遊ぶことが大好きな子、という感じで、勉強が好きなほうでは、決してなかった。

 敬語を使うまでの、彼女の成績はふつうだったが、カンはめちゃめちゃ鋭いし、地頭もよかったから、言われてみれば……という感じだけど。

 それでも、強い目的意識があって、かなりの勉強をしないと、入られないところだ。

 ……その目的は……。……。


 ……たぶん料理のほうも、同じように――。そういう、強い目的があるということだろうな……。


「……ところで晴さん。……さっきことですけど」


「……えっ? う、うん。……さっきのこと?」


 俺は、ふいに声をかけられて、驚き……。

 ごまかすようにお茶を飲む。


「……はい。部屋の中で、あなたが全裸でいたことです」

 

「……――んぐっ!!!!」


 思わずはきかける。……がっ! ――わっ……!! 忘れてたーーーーーーーーーーっ!!

 

 俺は、口を金魚のようにぱくぱくさせて、言い訳のための言葉を改めて探す。

 そんな俺を尻目に、水ちゃんは動じずに、淡々と続けた。


「……いったい、あの変態的な様子は、なんだったんですか? ……まさか、あなたは、会わない間に、【家の中では裸でいる人】にランクアップしたんですか? それとも、おねし……」


「ちがーーーーーーーーーーーーーーーーーーうからっ!!!! どっちも!! ちがーーーーーーーーーーうからっ!!!! 着替えていた、だけーーーーーーーーーーーーーーっ!! ……ねっ!!??」


 立ち上がってまくし立て、あらぬ疑いを払拭するために力を込める。

 水ちゃんは、半眼のまま、下から俺を、疑惑の光をたたえて見つめていた。

 ……じ……、じいちゃんの目と同じだっ……! し、信じてねえええ……。


 俺は、冷や汗をかき、何度もしばたたいて、水ちゃんを見る。

 彼女は、しばらく槍のような眼光で、俺を釘づけにしていたが……。

 やがてため息をついて、視線を外した。


「……。ま、私も、返事を待たずに開けたことは、悪いと思っていますから。……【変なところ】は見えていなかったので。忘れるとします。……見えていたら、【責任】――。取ってもらってましたけど」


 そう言うと、俺の手からペットボトルをひったくり、ひと口あおると、ふたをして、鞄にしまった。

 せ、責任……って? な、なんか知らないけど助かった……のか……?


 俺はどきどきしながら深呼吸する。

 水ちゃんは、おおきく息をはくと、再び口を開いた。


「それと、もうひとつ。……週末のことなんですけど。……なにか予定とか、ありますか」


「……週末? それって、金、土、日のこと?」


「土曜です。金はテストじゃないんですか? 中間、2日目。ウチはそうですが」


「あ……。そういえば、そうだったか……」


 先週末から始まった、非日常のせいで、テストのことなんてすっかり消えてたよ……。

 俺、いつも一夜漬けだしな……。


 そもそもあした……木曜に、伊草の提案で、橋花と三人で遊びに行くことになってるんだけど……。

 テスト一日目じゃねえか……。

 まあ、伊草にとっては、橋花ダチを励ますほうが大事だし、アイツ、一夜漬けすらしないからな……。橋花も同様。


 ちなみに、橋花の成績はそこそこよく、伊草は俺と同じくらい。

 橋花は、ふだんからマメに予習復習していて、伊草は授業をわりと真剣に聞いている、という感じで……。

 とくだんテスト前に勉強したりはしない。

 俺はそのどちらでもないので、一夜漬けマンということだ。

 ……ってか、いまの状況、ヤバいよな……。一夜漬けマンとしては……。


 ……泊まり、がどうとか言ってたな……。

 それだけはやめてもらって、遊びから帰ったあと、徹夜するか……。

 あと、きょうも猛勉強……。


 ……近い未来の地獄を想像して、おおきくため息をつく。

 水ちゃんは、そんな俺をじっと見ていた。

 俺は、彼女の視線から逃れるように、横を向くと、そのまま、再び腰をおろす。

 それから咳払いして、言った。


「えー……、えっと。……それで土曜? ……が、どうしたの。テスト明けってことだよな」


「……はい。その……。もし予定がないのなら、土曜日。付き合って欲しいんですけど」


「……付き合う? ……どこに」


 俺は、彼女に向き直る。

 水ちゃんは、わずかに唇をもごもごさせてから、続けた。


「……いろいろ。……こっちの街に住むことになりましたから。お店とか、見ておきたいなって」


「……。ああ……」


 そういうことか……。

 まだ、越してきて幾らも経ってないもんな。


     ◇


 水ちゃんは、青神に通うために、おばちゃんの家に住むことになったが……。

 それまでは、隣の県に住んでいた。

 こちらへは、長期休暇のときに帰ってくるだけだから、そこまで店々に明るいわけではない。

 俺もたいして知らないけど……。まあ、水ちゃんよりは……知ってる。


 ……青神に入ってできた友達もいるだろうけど。

 俺の場合、荷物持ち的な意味、遅くなってもおばちゃんに言い訳が立つ意味、……もあるだろうし。

 あとはボディーガード、とかもかな……。

 昔から、人の多いところへ出かけるとき、そんな感じで連れまわされたから。


「……分かった。いいよ。俺も映画の前売り券とか、買おうと思ってたし。……その日にするわ」


 ……渡せなかった水ちゃんの誕生日プレゼントの下見……的なものも、できるしな。

 さりげなく【いま】の好みを知るチャンスでもあるし。


「……。それって、見たりはしないんですか。……映画」


「えっ?」


 俺はしばたたく。

 水ちゃんは、閉じた脚の上で、指をいじり……。

 それを見つつ、続けた。


「せっかく劇場まで足を運んで、券だけ買って帰るの……。もったいなくないですか」


 ちらりとこちらを見やる。

 俺は頭をかいた。


「……まあ。いつもは、見てるけど。今回は、それがメインじゃないし。水ちゃんを付き合わせるわけには……」


「いいですよ、別に。……いっしょに見ても」


 水ちゃんは、自らの指を見たまま、言った。

 俺は、ぽかんと口を開ける。


「……でも、たぶん二時間以上だよ? けっこう時間をロスすることになると思うんだけど……」


「――ロス、なんかじゃないです」


 ちいさく、しかしはっきりした声で言った。

 彼女の顔は、こちらへ向けられていて、頬が、少し赤らみ、膨らんでいた。


「……目的は、ただ、店をまわるだけですから。……だから、映画だって……、そこに入ります……」


 俺の目を見て、彼女はそう言うと、ちいさな唇を尖らせた。

 俺は、そんな水ちゃんの表情かおを見て――。

 彼女に気づかれないように、顔をそむけてから、……かすかに笑みをこぼした。


「……。……じゃあ、そうしよっか……。ふたりで見るのも、久しぶりだしなあ」


「……――はいっ!」


 明るい声が、朝の風とともに、耳をくすぐる。

 俺は、それらを逃さぬように、そっと手のひらを、耳に当てると……、一度強く、押した。


     ◇


 その、どの映画を見るか、スマホで検索して、ふたりで意見を言い合う。

 結果、候補はふたつに絞られたが、どちらにするかは、後日――ということになった。

 そして、俺がスマホをしまった瞬間――、


「……じゃあ、私そろそろ行きますね」


 と、水ちゃんは、勢いよく立ち上がり……。

 スカートの、お尻の部分をぱんぱんと払った。


「……もう時間か。……早いなあ」


 俺は、腕時計を見ながら、息をはく。

 水ちゃんは、微笑みながら、言った。


「……まだ、もうちょっとは、大丈夫なんですけど。あなたの気が変わると、困りますから。……変わらないうちに」


「……そう。……じゃあ」


「……はい。……また、細かいことは連絡します。……行ってきます」


 水ちゃんは、表情かおの輝きを増したあと、くるりとまわって――。

 髪と、スカートを揺らめかせると、そのまま元気に駆け出して、公園を出て行った。


 その後ろ姿は、俺とよく遊んでいた、ちいさなころと、……同じだった。


     ◇


「……。……けっこう、ハードスケジュール、だな。………これは」


 俺は、頭をかいて、背もたれに体を預ける。

 テストさえなければ、ダチとの遊びに、数年ぶりの、水ちゃんとの外出、映画……。

 楽しいことだけなんだけどな。

 ……きょうはこのままサボって、テスト勉強するかあ……。図書館とかで。

 それなら、なんとか。……まあ、最悪赤点さえ免れたら。

 じいちゃんには馬鹿にされるだろうけど。


 ……だいたい、今回は……。無理もないことなんだよ。

 先週から、いろいろと……。


 いままでになかった、想像できなかった、たくさんのことが……――。


     ◇


――……あっ、そ、それでしたらお任せを!――


――私が住まいとしている家にて、ご教授いただければと!! ――


     ◇


――食材は、なにをご用意していれば! ……そうだ部屋の片付けもしておかないと――


――……料理道具の購入も! ――


     ◇


「………………………………あ………………、…………れ?」


 俺の、心臓が強く打つ。

 ……。あの……。……ちょっと、待てよ……。

 なにかおかし……。

 

 ……ん……?

 …………。

 ……………………。


 …………――ん……?


     ◇


――俺が、あんたに料理を教えることにする――


――んじゃ、週末の、土曜日にな――


     ◇


――もし予定がないのなら、土曜日。付き合って欲しいんですけど――


     ◇


――日取りは、土曜日で! ……時間はどうしましょうか! ――


     ◇


     ◇


     ◇


「――っ!!?? へごげーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!!!!!!!」


 俺は、思い切り叫んだ……――って!! 馬鹿か俺はぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいっ!!!!!!!!


 ……がっ……!!!! ばっ……!!!! 


 ……やっちまっ……――!!!!


     ◇


「はははっ! へごげー!! だって!! へごごご~っ!!」


 公園の外から、小学生の、笑いながらのものまね声と、俺を指差す姿と……。

 怪訝な顔でのぞき込む、ほうきを持ったおばさんふたりの姿が見えた。

 ……しかし俺は……、そうした反応、今後噂が立つやもしれぬ、ご近所での評判よりも――。


 阿呆極まりない自分の失態によって、全身が金縛りにあい……。

 背中には、大量の汗が流れていた。


 初夏の日差しには、関係なく――……。


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