第22話 そんなこと言うわけあるかクソがっ!!
ぴちゃり。――ぴちゃり。
びちゃり。びちゃっ。
……ぐちゃ。
◇
「……。ちっ」
舌打ちが、聞こえる。濁った空が見える。
視界は、しばらく灰色の天井をとらえたあと、ゆっくりと、落下するように さがってゆく。
そして、黒い葉の生い茂った樹々の群れを収めた。……森だ。
視界は、また、しばらく固定されて、その森の入り口を見やっていた。
それから、世界は揺れて、少し沈んだのちに、再び前進する。
ぐちゃり、ばちゃり、ぐちゅ……。
ぬかるんだ地面が、下へ、横へ、視界を揺らす。
しかし中心はぶれずに、まっすぐに前をとらえ、進んでいった。
……これは。なんだ?
なぜ、俺は……。俺は【歩いていない】。
【誰かが歩いている】。そして、その【誰かの目を、俺はのぞいている】。
そう、認識した。しかしそうした認識は、その【誰か】へ働きかけることはなく、【誰か】の動きを止めることもできず、ただ、視界と意識だけが相乗りしたまま、どんどんと、森の中へ突き進んでいく。
俺は、その不愉快で不可解な感覚に、気持ちの悪さを覚えながら、しかしなぜか、わめいても意味がないとは悟っていて、【誰か】の目のうちから、不気味な世界をのぞき続けていた。
ぐちゅり。ぐちゅっ。ぐちゅ……。
……がさり。がさっ。がさがさ…。
耳障りな音が増えていく。
草や、低い木が、道なき道を、さらになきものにしていった。……が、【誰か】は、無言で、怒ることも、ため息をつくこともなく、森深くへ身をいれてゆく。
森の入り口で、舌打ちしたのは、汚れた森へ入っていくことに対してでは、ないのか。
なにに舌打ちをしたのか。そもそも、コイツは【誰だ】。
なぜ俺は、コイツといっしょに、この不快な散歩を続けているんだ。……。
疑問は尽きることなく、足は止まることなく。俺たちの散歩は続いていった。
そのうちに、視界はいよいよ暗くなり、濁った空さえ消えて、森は、完全に世界から隔絶された。
闇が、たちこめてゆく。
「15000……、いや。16000と少し、ってところか。……ふん」
動きが止まり、【誰か】の声が聞こえた。
そして、一度視界が閉じられたのち、ため息が響く。
再び視界が開け、動き出したときには、体のぶれがおおきくなって、視界は草木の輪郭をとらえる程度になっていた。……が、【誰か】は戸惑いもなく、躊躇もなく、歩き続けていた。
そうして、不快な音が数え切れないほどになったとき、【誰か】の動きは、止まり――。
視界は、前方に、ちいさなふたつの【光】をとらえていた。
◇
【誰か】は動かない。
【光】も動かない。
低いところで、夜空の星のように、地を這うそれは、ときおり瞬きながら、こちらへ輝きを放っていた。そして、【誰か】は―-。
なにかをつぶやき始めた。
「創術者及び執行者は、セイラル・マーリィ。……闇を払え。リ・ヴィダクション――」
次の瞬間、【誰か】の足もとから、視界は一気に世界を取り戻し、汚水で濡れ汚れた落ち葉と、下草に覆い尽くされた地面と、ところ狭しと生える大小高低の樹々の姿をあらわにした。
そして、【誰か】がまっすぐ見つめる先に、そびえ立つ巨大な樹の根元の、洞に、ヒザをかかえてうずくまる――。
【別の誰か】の姿が、あった。
◇
「よう。きょうはいい天気だな。……ま、お前は知らないか」
【誰か】は、陽気な声で、手を上げて、【別の誰か】に話しかけた。反応はない。ただ、ぎらぎらとした目をふたつ、【誰か】へ向けていた。
「どんよりと曇っていてな。魔術を使うには、もってこいの【いい天気】だ。快晴だと、天地の神様がはしゃぎすぎて、我々魔術士のお願いなんざ、聞いちゃくれないんだ。……ここは試験に出すからな。よーく覚えておくように」
視界で、立てた指が左右に揺れる。そして、笑い声。
しかし、ふたつの光は、ぎらぎらを……。
殺気を消さぬまま、そんな【誰か】を、にらみ続けていた。
「……ところでお前、名前は?」
ゆらりと、ふたつの光が動く。【別の誰か】は、歯をむき……手を地面へめり込ませて、【誰か】への敵意をさらにつよめてゆく。
【誰か】の視界は、少し傾いた。
その刹那――。視界は世界の姿をゆがめ、気がつくと、【別の誰か】がすぐ前にいて――、【誰か】が、その【別の誰か】の腕をつかみ、ひねり上げていた。
「うぐううううっ!! ……なせっ!!! 離せ……っ!!」
「なんだ、話せるのか。……【言葉の教育は必要なし】……っと」
「殺すっ……!! ……――殺すっ!! ……八つ裂きにして森にばらまいてやるっ!!」
「……。だが、【言葉遣いを教える必要はあり】……っと。目上に対する口の利きか方が、特にな」
【誰か】のため息。
【別の誰か】のうなり声、罵倒。
そして暴れまわる姿。
腕をつかまれたまま、【誰か】をもういっぽうの手で殴り、ひっかき、足で蹴り――。抵抗の限りを尽くし、目は、憎しみであふれんばかりになっていた。
やせ細った腕。こけた頬。
服とは呼べぬ、ぼろぼろの布から見える首、脚も棒きれのようで。
髪も泥まみれ、下草のように伸び切っていた。
そんな、ちいさくて貧弱な体、粗末な姿の中、ぎらぎらとした両眼だけが、生への執着を忘れずに、つよい光を放っていた。
「おい。生きたいのか。……だがお前の思う、【生きる】は間違っている。ただ肉体の延命を求めるだけのものだ。それは……生とは言えない」
「うるさいっ!! ブチ殺すぞっ!! 私を甘く見るなっ――!!」
【別の誰か】は、叫ぶと――。足もとの石ころを、足の指でつかんで放り上げ、おおきく口を開けて歯で石をかみ――。次の瞬間、石は左右に伸びて、鋭い刃となった。
【別の誰か】は、その刃をかんだまま、思い切り頭をうしろに振って。
【誰か】へ、振り戻し――。
刃は、【誰か】へ突き刺さった。
「見たかっ! ははは血まみれだっ!! 死ね! 死ね死ね死ねっ!! ははは……!」
【別の誰か】は、心から楽しそうに、高笑いする。まるで、それだけが生きる実感であるかのように……。悲しい笑みを響かせた。
しかし、その笑い声は、表情は――。
みるみるうちに、消え失せて――……。
「……な、……なんだお前は……、い、痛くないのかっ!!」
「馬鹿か。痛いに決まってるだろうが。このどばどば流れる血が見えないのか。放置すれば5分と経たずに死ぬな」
平然と、【誰か】は言って、胸に刺さる刃を抜き、地面へ放り捨てた。胸からは大量の赤い液体が流れ、それに触れた手は、すぐ同じ色に染まり、ため息が聞こえた。
【別の誰か】は、焦点の合わぬ目で、【誰か】を見つめ……、ぶるぶると震えながら、ゆっくり、首を左右に振る。
「痛かったら、わめけよ。……叫べよ! 死ぬのを恐がれよっ!! ――お前、おかしいんいじゃないのかっ!?」
「ああ。よく言われる。だがこの場合、違うな。……ひとつ、体は痛いが、俺にとっちゃあたいしたことはない。心がつよいんでね。……ふたつ。放置しなければ、この程度の傷で死ぬことはない。ゆえに、恐れる必要はない。……死、そのものは怖いがな。お前ごときにもたらされるものではない」
【誰か】は、淡々と話したのち、
「創術者及び執行者はセイラル・マーリィ。あるべき姿へ収束せよ。ヴァミグーダ」
と、言って――。口を閉じてすぐに、胸と、手を汚していた赤色は消え失せた。
「……偉そうにしやがって……! 自分はすごい魔術士だからって!! 私を殺しにきたのかっ!! 私はお前なんかに殺されないぞ!! そんなことされるくらいなら、自分で死んでやる――」
地面に落ちた刃を、足の指で挟んで持ち上げ、放り上げ――、【別の誰か】は、おおきく口を開けると、天へ向いた。刃が、口をめがけて落下してくる――。
「おっと。油断もすきもないな。……ま、ガキのわりに、なかなかの魔力と、向こう気ではある。……どうやら、空虚な延命よりも、守るべき誇りもあったようだし。……弟子としては、合格ラインだろう」
そんな言葉とともに、刃は、【別の誰か】の口の手前で止まった。
【誰か】が、刃を握りしめていた。その手には、再び血がしたたり……、【別の誰か】の開けていた口へ、垂れた。
「――っぐ!!?? っ……!! ぐほっ!! ぺっ、ぺっぺっ!! ……お前、血を……っ!!」
「お前のせいだろうが。あと、毒みたいに嫌がるなよ。栄養豊富、魔力満点だぞ。いいことしかない……と思う。他者に飲ませたことないから分からんが」
「……!!?? ぺっ!! ぺっぺっぺっ!!!!」
「……そこまで嫌がるか。……まあいい。さて、帰るぞ。……お前はまず、風呂だなあ……」
【誰か】は、何度目かのため息をついて、握った刃を【消滅させて】――。
その後、【別の誰か】を抱え上げ、肩に載せる。
【別の誰か】は、叫び、暴れ――しかしまったく逃れることができず、されるがままになっていた。
「離せクソ野郎っ!! 離せクソ!! クソが離せっ!! クソ離せクソっ!!!! 私をどうする気だ、クソがぁーーーーーーーー!!」
「いま言っただろう? 風呂に入れるんだ。それから着替えさえて、飯を作って食わせる。あとは眠らせて……あしたからは教育だ。とくに言葉遣いのな。……さすがの俺でも、腹が立つぞ」
初めての、やや怒気のこもった声。それで、【別の誰か】はおとなしくなる。【誰か】は、うんうんとうなずいた。
「けっこう。理解が早いのはいいことだ。……もしかしたら、意外と従順になるかもなあ。『セイラル様っ!』とか言って。そうなったら面白いから、お前のことは映像記録に残しておこう」
「……ふざけるなっ!! なにが【セイラル様】だ!! そんなこと言うわけあるかクソがっ!! おろせクソ、離せクソ、クソ、クソクソクソクソーーーーーーーーーーーーーーー!!」
【別の誰か】の叫びが、ぎゃんぎゃんと、耳の奥へ突き刺さる。
【誰か】は、うんざりしたように、しかしもうなにも言うことなく……。
そのちいさな体を、大事に抱えたまま……。来た道を、帰って行った。
◇
「……。……――」
俺は、開けた目を、また閉じたり、開いたり……。
しばらくそうやって、半分オレンジ色にそまった天井を、見つめていた。
雀の声が心地よく、耳をくすぐる。
ふかふかのベッドの感触。
やや汗ばんでいるが、きれいな白地、青縞のパジャマ。
明るい世界が、よく見知った部屋が、俺を包んでいた。
……。なんだったんだ。……いまの【夢】は……。
わけが分からない。……というか。
夢にしては、鮮明すぎるだろう。
俺は、ごろんと身を横にする。
視界に入った、机にある、じいちゃんお手製の丸い置時計は6時半。
……。しばらく、だらだらするか。
俺はため息をついて、再び目を閉じて、枕へ顔をうずめる。
……もしかして、橋花の言っていたような、【予知夢】……とかじゃないだろうな。
夢にしてはリアルすぎる。……でも、橋花が言うみたいに、【自分】は登場してないな……。
……そう。【誰か】の目を通して、その【誰か】の言動を見ていた感じだった。
こういうのは、なんて言うんだ?
……憑依?
もしかして、夢じゃなくて、……どこかの【誰か】に、意識だけが乗り移って……とか。
阿呆か。そんな非現実的なことが。……。
俺は、目を開けた。
そして、胸に当たる、硬いものを、パジャマの襟ぐりから引っ張り出した。
その硬いもの……。十字架のネックレスは、朝日を浴びて、きらきら輝いている。
十字架の色は、きのうの銀色から……、半分ほどが、緑色になっていた。
中央も、銀色と緑色が、半々。
風羽の……、ファレイの言う通りだと、もうあと半日で、全部入れ替わる。
非現実的なことは、もはや、俺の現実に起こりうる……か。
それを、改めて認めざるをえなくなり、俺はおおきなため息をつく。
……。……さっきのが。見ていたものが。
【夢】か【憑依】かはともかくとして。
少なくとも、【予知】じゃないな、これは。
これから起こりうる、じゃなくて、どっちかっていうと、【過去にあったことを、見ていた感じ】だ。……俺の感覚では、だけど。
俺と視界が同化していた【誰か】が、誰なのかは分からないが……。
……。……いや、待て。確か名前を言っていたような……。
……なんとか、かんとか。……?
俺は、さっきまで見ていた映像を、必死に思い出そうとする。
しかし、【画】はともかく、【音】が、だんだんとちいさなくなり……――。
最後には、すべての音が消えた。
……。なんなんだよ。……くそ。
しばらく、思い出そうとしていたが、けっきょく、あの【誰か】も。
もうひとり、見えていた【別の誰か】も、俺のどの記憶とも合致せず……。
俺は、考えるのをやめた。
「……。……早起きは、三文の得――、……ってか」
俺は、のそりと体を起こした。
そして、おおきく伸びと、あくびをして、ベッドからおりる。
……わりと疲れていないな。変な夢を見たのに。
それに、きのう――。
あんなことがあったわりに……、は……――。
◇
「……ほんとうに、ほんとうにっ……!! 誠に申し訳なく、弁解することもできずっ……!!」
「……いーから、やめてくれってば。もう何回言ったよ。……さすがに疲れてきたよ」
俺は、うんざりするように、言った。
眼前のファレイ……、もとい風羽は、ソファへ座る俺の下で、幾度も土下座を繰り返し……。
何度言っても、頭を上げず、恐縮しまくり、俺へ謝罪を続けていた。
さっきは、店長にもそうしていたし。彼はすぐに「や、無事でなにより! ……そ、それでは私は、仕事がありますからっ!」と、逃げるように……っていうか、逃げて、部屋を出た。
数時間前。
風羽の話を聞くために訪れた、馴染みのバーガーショップ。
その一角にある――。
この、【ふつうの世界】とは隔絶された【異空間】の中で。
話を終えたあと、俺の前で【醜態】をさらしてしまった風羽は、泡を噴いて卒倒し……。
実は、風羽……ファレイと同じく、【魔法界】の出身であるという店長と、俺に介抱されて、意識を取り戻したのだが……。
そのみっともなさ、申し訳なさから、土下座を繰り返していたのだった。
「し、しかしっ……! 私の醜態は、決して許されるものではなく……! 死、を禁じられた私は、いったい……、私は、どうすればよいのか……!」
半泣きで、頭を地面にこすりつけたまま、叫ぶ。
これはあれか……。
【緑川晴】が【セイラル】として、【落としどころ】を見つけなければならない――ってことか。
……たぶん。そういうことなのだろう。
「……。……あんたは、俺がなにか、【罰】を与えたら、……納得するのか?」
俺は、疲れた声で言った。
すると風羽は、いままで下げていた顔を上げて、切れ長の美しい目を、おおきく見開いた。
「――ばっ、罰を与えていただけるのですかっ!!?」
目が、きらきら。お星様のよう……。
俺は、思わず顔をしかめて体を引いた。
……も、ものすごーくやりづらいんだけど……。
おい、【セイラル】……。お前、こういうとき、どうしてたんだよ!
俺は引きつった顔で、子供がお菓子をもらえることを期待するようなまなざしを向ける風羽に向き合い、思考を巡らすこと数十秒――。
なんとか、言葉をひねり出した。
「……じゃ、じぁあ……、……――飯でも作ってもらおうか、な。弁当とか。俺、月の半分くらい、自分で作ってるんだけどさ。けっこう面倒で。その半分くらい、あんたがつくってくれたら、助かるんだけど」
……まあ、ウチは飯当番があるから。
弁当は、作った飯の余りだから……。弁当だけ作ってもらっても、労力変わらないんだけどね。
でもほかに、これと言って思いつかないし、あとはちょっと……。風羽は自炊とかしてるのかなって。
そういう関心も、あるにはあったから。
「……。……お、お弁当……で。――ございますか」
ぼそり、そうつぶやいた風羽の表情は――青ざめていた。
……あ、あれ? なんで?
俺、なにかそんなきついこと、言った?
「あ、あの……さ。別にそんな、たいそうなものじゃなくて、いいんだよ。おにぎりと、卵焼きと、ミートボールとか。ミートボールは売ってるし。おにぎりと卵焼きくらいだから、作るのは」
「……おにぎりと、……卵焼き――、で、ございまするか」
……こ、言葉遣いが、おかしくなっている……。
なんか震えてるし……。
……もしかして、風羽は……。
「あんた、料理とか、ふだんしない? ……ひょっとして」
風羽は、首肯した。
俺は、続けて聞いた。
「……いままで、したことある? もしかして、……ない?」
風羽は、首肯した。
……俺はさらに聞いた。
「一度も……、ない。とか? ……そんなことは、まさか……」
「…………その……、まさか……に、…………ござい……まっする……」
風羽は、震えながら、頭を深く垂れる。
……そう、……で、ござい……、まっするか……。
しかし、それは……。
よりにもよって、駄目なことを言っちまったな。……。
風羽が青ざめているのは、たぶん、……いや、十中八九。
【セイラル】に、妙な料理を出して、ますます失態を重ねることを危惧して、だろう。
けど、一度もない、っていうのは……。
あっちの世界……、【魔法界】にいたとき……俺の従者だったときも、なのか?
いや、別に従者が料理するとも限らないけどさ。
……なんか、しっくりこないというか。
「あのさ。ひとつ聞きたいんだけど。……魔法界にいたときは、食事。どうしてたの」
「……。それは……、……した」
「えっ?」
「誠に……、恥ずかしながら……。……セ、セイラル様に……」
「……」
「……作って、……いただいて……。…………おりまし……た……」
風羽の額は、地面にこすりつけられていた。
……あ、そうなんだ……。
俺は、口を半開きにしたまま、は、は、……と渇いた笑いを漏らす。
風羽は、泣いていた。……おそらく情けなさで。
じ、事態が悪化してる……。
どうしよう……。このままでは、帰られないのでは……?
俺は頭をかき、いい案はないかと考える。
……と、そのとき。
前のことを思い出した。
……あのとき、旧美術室で。
俺の弁当を……。唐揚げを食べて。
ものすごくうまそうにしていたのは……。
もしかして――……。
……懐かしかった、……とかなのか……?
◇
「……。あのさ、風羽」
「……! は、はひぃっ!」
泣きながら、答える。
俺はため息をついて、言った。
「さっきのは、やめだ――。いまから、新たな【命令】を下す」
「――!! ……はっ……、――はっ!!」
しっかりとした声を取り戻し、風羽は顔を上げた。
俺は、そんな風羽の目を、まっすぐ見ながら、言った。
「飯を作れない……、作ったことがないというなら、俺が、あんたに料理を教えることにする」
「……りょっ、料理を……、私に……?」
風羽は、目を見開いた。俺は、その目を見据えたまま、続ける。
「そうだ。そして最終的に、俺に弁当を――。俺が『うまい!』と思わずヒザを打つほどの弁当を、作れるほどになってもらう。……反対は許さない。――いいな?」
「えっ……、――……あっ! ……――はっ!! ……――承知しました!!」
ヒザをつき、頭を垂れる。
いつもの仰々しい態度ではあるが、ともかく元の元気を取り戻していた。
俺は、ほっと胸をなでおろす。
「よし。んじゃ、週末の、土曜日にな。……ただ、問題は、どこで教えるか、だが……」
俺は、首筋をなでる。
ウチ……は、じいちゃんがいないときなら、できないことはないけど……。
だれもいない自分の家に、女子を入れるっていうのは……。
水ちゃん以外だと、中学の時、夕凪を入れたとき以来、か。
でもあれは、やむない流れで、だったしな……。
しかも相手は、【ファレイ・ヴィース】であり、【風羽怜花】だ。
いろんな意味で、人に見られるのはまずい。
でもほかに場所なんてないし……どうしたものか。
「……あっ、そ、それでしたらお任せを! 私が住まいとしている家にて、ご教授いただければと!!」
きらきらして、風羽は言った。
俺は、「あ、そう。いいの? じゃあ……」と言いかけたのち、
「……えっ?」
と、阿呆のように漏らした。
◇
「はい! セキュリティは万全ですので! 部屋の中の様子を見聞きされる心配はありません。入室の際も……、学校の者を始め、セイラル様に縁のある方たちには見られぬよう、手を尽くしますから!」
笑顔で話す風羽。
手を尽くすってことも気になるけど、しかし……。
「あのさ。あんたはその……。やっぱりひとり暮らし、なのかな」
「はい。人間界では、ひとりで住まい、生活を続けております」
「だよな。……分かった」
聞くまでもないことだったが、やっぱりそうか。
……そりゃあ、【飯を作ってもらってた】っていうことは……。
もともといっしょに暮らしてたんだろうし。
【主】と【従者】だし。
お互いに、年齢もすごいし。
だから、【セイラル】と【ファレイ】が、――【男】と【女】じゃないことは――、分かるけどさ……。
――【緑川晴】と【風羽怜花】は、そうじゃないだろう?
少なくとも、俺は……。一介の高校生に過ぎない俺は……。
ひとり暮らしの女子……、しかも、【風羽怜花】の家に行って。
なにも意識しないなんて、無理だ……。
だけど、……いまさら……。
【命令】を引っ込める雰囲気は……。
「日取りは、土曜日で! ……時間はどうしましょうか! 食材は、なにをご用意していれば! ……そうだ部屋の片付けもしておかないと。……料理道具の購入も!」
……ない。
一ミリも、ない……。
俺は、表情だけでなく、全身からきらきらオーラを放つに至った風羽……ファレイを、力ない笑みで見つつ、そのテンションを軽くたしなめつつ、
「詳しいことは、追って連絡する。待っていてくれ――」
……と、告げて、事態を収めることとなった。
◇
「あと三日か……。ほんとう、どうしたらいいんだろうな」
ひとりごち、息をはく。
【あの風羽】の、ひとり暮らししている部屋に、行くなんて。
……なにも起きないだろうけど、そりゃ。
緊張して、前日は寝られそうにない、だろうな……。
俺は、かぶりを振って、パジャマをベッドに脱ぎ捨てた。
そして、パンツも……。汗をかき、気持ち悪かったので、脱いで放った。
シャワー浴びたいくらいだけど、なんだろう、朝からシャワーなんて、格好つけみたいで嫌なんだよ。風呂ならいいんだけど。
――……なにその、謎のこだわりは。キミ、やっぱり変だよ! ……別の星からの、侵略者エックス!――
……とか。
昔、夕凪に突っ込まれたことあったな。……そして笑われて。
いまは【別の星】のとか、一ミクロンも笑えねえ……。
……。やっぱり風呂は面倒くさい。着替えるだけにしよう……。
俺は、裸のまま、箪笥へ歩き、屈むと、その引き出しを開けた。
そして、ごぞごそと、下着を探す。
……が、そのとき。ノックの音がして。
振り返ると、ドアが開かれて――……。
◇
「……。…………」
青いブレザーに、緋色のネクタイ。
チェックのヒザ丈スカートをまとった……。
俺より頭ひとつ低い、華奢な体の、セミロングの、ちいさな幼なじみが――。
水ちゃんが、立っていた。
……おおきな目を、見開いて。
……裸の俺を、凝視して。




