第19話 夢が先に訪れる
「彼との出会いは、彼女にとって、とてもおおきく――……深く。これまでの、永劫に感じられた時の中の、なにものにも代えられない体験でした」
◇
〈……だからあたしが言ったじゃん。アイツはやめとけって。〉
◇
〈……もうあとの祭りだけどさ〉
◇
「うろの中での、いつ終わるともしれない日々。それが、彼のにこやかな顔と、あたたかな手に触れたことによって、初めて、彼女は希望という言葉を、その意味を知ったのです」
◇
〈違う、噂っていうか! ちょっとそんなふうな話を、人から聞いただけで……。その人も直接見たわけじゃないし〉
◇
「うろに囚われていたのは、体ではなく、心であるということも。……手には、しがらみを断つための斧も、壊す槌も、切り裂くナイフもあって。闇を蹴り、光へ駆け出すための靴も、ちゃんと身につけていたことを、彼女は知りました」
◇
〈じゃあ直で確かめたら? デマなら否定するでしょ。……ほんとうなら、なおのこと否定するだろうけど〉
◇
「そうして、長い長い夜を、自らの手で終わらせて。彼女は走ってゆきました」
◇
〈……それって、どっちでも否定するってことじゃん! ……ねえ、どうしたらいい?〉
◇
「再び彼と出会うために。ちいさな体を、希望をもとに、おおきく躍動させて」
◇
〈どうもしない。白にしろ黒にしろ、そのうち分かる現実を、黙って受け入れたらってこと〉
◇
「……そして」
◇
〈ええ……。なんなのそれ……。身もふたもなくない?〉
◇
「この胸に芽生えた、不安定で、不定型でありながら……」
◇
〈しょうがないじゃん。だって、人はさ……〉
◇
「確かな輝きを灯し続ける」
◇
〈現実のあと追いしかできないんだから〉
◇
「愛という言葉の意味を知るために」
◇
〈……物語と違って〉
◇
◇
光。光。声。
影。声。光。
明るい声。まばゆい光。暗い声。
おおきな声。ちいさな声。濃い影。
薄い光。……泣きかけの声。
古びた教室に落ちた昼の陽が、影とともに、飛び交う生徒たちの言葉をかくはんする。
そんな中、和井津先生の、淡々とした朗読は、光も影も、まざり合ったクラスメイトたちの私語もするりと抜けて、その言葉が必要な者たちだけには、きちんと届けていた。
俺は、とくに必要とはしていなかったが――。
◇
「……次。緑川君。読んでみて」
「……。あー……。解説のところ……、で、いいんですよね」
「そう」
彼女は、やはり淡々と返して、ズレたおおきな眼鏡を手首で押し上げて、直す。
俺は鈍い音を鳴らして、膝の裏でイスを押し、立ち上がる。
それから教科書のふちを親指で何度かこすって、100年前の小説家の言葉に対する、50年前の批評家の言葉を読み上げた。
こうしたふうに、なぜかいつも、当てられる前の話は、耳に入っていたのだった。
「はい結構。……この辺りはテストに出すので、とくに覚えておいてください。――きょうはここまで」
先生が言い終わると同時にチャイムが響く。
それにやや遅れて、ため息や、喜びの声、伸びをする声などがいっせいに散らばって、まざり合っていた私語たちと、光と影は、再び分かれた。
俺は、先生の無造作にくくった髪がドアの外へ出て行くのをぼんやり見たあと、手で押さえたままだった、先ほど読み上げたページを閉じて、机の中へ放り込む。
そしてうんと腕を引いて胸を張り、こわばった筋肉をほぐしたのち、だるそうに首をまわした。
「まっつん! 席、取ってて~!」「おー」
「違う違う。俺が言ってんのはBBBのほうだから」「うそつけ。そんなわけあるか」
「鏡、鏡……」「は・や・くぅ~。……売り切れる!」
「それ、アキラの本で、僕んじゃないし」「うわっ、なにその言い方……」
「みゆみゆ~。あんたは私のこと、助けてくれるよねえ……?」「んー。……どーしよかなあ」
クラスメイトはめいめい言葉を交わしつつ、急ぎ、連れ立って教室を出る者たち、ひとつの場所へ集まって弁当包みを開き始める者たちと、よどみなくグループに分かれてゆく。
そのさなか、だれもが、女子も男子も――。
窓際最後尾、掃除箱を背にあくびをする俺のことは顧みない。
アイツまたひとりだよ~とさえ言われない、完全なる空気。
その点、人気もなければ、「アイツの授業だる~」「うぜー」と文句すら耳にしない、和井津先生と似ていると言えなくもないが……向こうは教師だ。
さすがに俺よりも、必要とされている。
……もうすぐ中間テストだしなぁ。
「さて……と」
騒がしさの外で、嘆息まじりにつぶやいて、俺は机に引っかけた黒の帆布鞄から、青い弁当包みと、お茶を入れた、小型のステンレスボトルを取り出した。
弁当の中身はハンバーグに、アスパラのゆでたものと、ミニトマト。
自分で作ったものだから、味に対する期待はない。
決して不味くはないし、むしろ同年代の男子に作り手を限定すれば、その中では、うまいほうだと思うのだが……、楽しみにするほどのものではないからな。
俺は指名されたときと違って、勢いよく立ち上がる。
その際に、ふと隣の席を見やるが、果たして風羽の姿はない。
俺がのろのろしている間に、いつものようにさっさとどこかへ行ってしまった。
もたもたしていると、クラス内外の男女からお誘い攻撃を受けるからなあ……。
……風羽・皆の高嶺の花・怜花こと……。
その実、異世界・魔法界の魔術士であり……。
【セイラルの従者】とのたまう、いまだ不可解で、不可思議な女――。
……ファレイ・ヴィースは。
◇
――いっ! いいいいいいた、いただいてもっ!!? ほんとうに!!? ほんとうですかっ!!? ――
◇
――……ひいでふ!! ……――とってもおいひいでふ!!! ――
◇
「……。は、……は」
ふと、以前、いっしょに昼飯を食べたときのことを思い出し、笑みが漏れる。
そのときは、俺の作った弁当を分けたのだが、えらく感動していたな。
……俺なんかの飯で。
じいちゃんのを食べたりしたら、死ぬんじゃないだろうか。
俺は、主人のいなくなった机とイスと、横にかけられた、なんの飾り気もない茶色の革鞄を見つめる。
常に気品のある静けさを保ちながら、誰も無視することができない華やかな存在感を有する、【ガラスのバラ】。
そんな本人の残した跡は、ただただ寂しかった。
……俺の飯を、うまそうに食ってたっていうことは、【こっちの飯】もふつうに食べるんだよな。
いつも、どうしてるんだろう。……自炊とかするのかな。
コンビニやスーパーの出来合い品を食べてるイメージもわかないが……。
……っていうか、そもそもどこに住んでるんだ。生活費とかは……。
……改めて考えると、なんにも知らないな。
しばらく突っ立ったまま、空虚な席を眺めていた。
すると現実へ引き戻すように、耳へ、「おい、おい」と、低い声が入り込んできた。
クラスメイトの頭を2、3飛び越えて視線を移すと、教卓側のドアの外から、背の高い、見慣れた眼鏡男が手招きしているさまが目に映る。
俺は怪訝な顔をして、弁当包みとボトルをつかみ、ゆっくり眼鏡のところへ向かった。
ヤツはそんな俺にイライラしながら、手招きの速度を速めた。
「……なんだよ。きょうは行くってメールしたし、伊草にも伝えてるはずだけど」
俺は半眼で、眼鏡に伝えた。
ヤツは和井津先生がするように、曲げた手首で眼鏡をぐいぐい押し上げて、位置を直す。
ただしこちらは、彼女と違って、おおきく腋を広げて……両手でだ。
俺の知る限り、こんな滑稽な直し方をするヤツは、コイツしかいない。
「いーやお前は信用ならん! 前もそう言って約束破ったことあったしな! ……だから強制連行・だ!!」
そう言って、眼鏡男こと橋花は、そのでかい手を広げて、俺の腕を思い切りつかんだ。
◇
俺のひとりめの友人。――橋花大智。
身長177センチ。体重72キロ。
趣味は漫画、アニメ、ゲーム、ネットサーフィンなど。
クラブは無所属。
アルバイトはしていないが、放課後は、たまに俺や伊草と遊ぶ以外も、それなりに忙しくしているらしい。
先の通り、身長は高めでスタイルもいい。
そして、涼やかな目、通った鼻筋、引き締まった口元にフェイスライン。
真ん中で分けられた、ほどよい長さの黒髪はさらさらで、風になびく様子もさまになる。
とくにお洒落なものでない黒縁眼鏡も、逆に整った顔立ちを際立たせている。
……と、いうふうに。
つまり、【平平凡凡極まる】俺、そして超絶強面、【よく見ればイケメンの部類に入る】伊草とは違い、【完全なるスーパーイケメン】で、街を歩けば、必ず女子のひとりふたりは振り返る容姿だった。
女の九割は彼氏にしたいイケメン、男の八割は、ああなりたいハンサム。
なので、いっしょに写真を撮ったり、街中のショーウインドウでともに映った姿を見たり、通りすがりの女子の反応を見るにつけ、ああ、神は残酷であり、世の中は不平等であると実感させられる。
俺より男前だが、強面すぎて道を歩けば人波をモーゼ化してしまう伊草も、人を惹きつけるという意味では、たぶんそう思っているだろう。
……そう。容姿に関してだけ……、は。
◇
「……つーか、緑川! お前がきのう、用事とかでいなかったから、ストレスたまりまくりだったんだぜ? 伊草はお前の半分くらいで聞き流すし、キレ始めるし……」
「そりゃあご愁傷様だったな。(伊草が)」
「……だからきょうはきのうの分まで話したいことがあるんだけ……、――ああ、そうそう! 金曜の『クラウィ』! 神回だったよなあ~!! ……ふつうアイツが裏切るとかないだろ!!」
「まあ、脚本がミノキンだし。想定内っちゃあ想定内じゃん(まだ録画見てないけど、だいだい分かる)」
「違うんだよ! ミノキンだから裏の裏をかきすぎてさあ……。そんな王道いくんだ? って!! ……あと作画が神!! さすがの山上勇雄だよ! 絵崩れしないであそこまで動かせるかって!」
「レジェンドって呼ばれてるだけのことはあるよな(見なくても分かる)」
「伊達じゃないね! ……ゆきりんの声も可愛かったなあ~。たぶんあの人の喉はさあ、天界とつながってるんだよ! 天使天使!!」
「こっちの汚れた心が浄化されるよなあ……(聞かなくても分かる。天使天使)」
◇
マシンガントークという言葉があるけど、コイツの場合は『千【口】観音トーク』というにふさわしいもので……しかも聞いての通り、内容が内容である。
橋花はいわゆるオタクなのだが、自分の好きなこととなるとノンストップで話し続け、相手をする者のHPを根こそぎ奪ってゆき、自分は気分スッキリMP全快という、とんでもない迷惑な男だった。
そんなヤツの友人であるおかげ(?)で、俺と伊草は自らのHPを守るため、話題転換のポイントを見極める力や、ヤバい話題(=終わらない話)を華麗にスルーする特殊スキルを高めるに至ったのだった(ただし、対橋花に特化しすぎたために、ほとんど応用がきかない)。
ちなみにきのう、伊草のみが相手で、橋花がストレスをためたというように、無難にやり過ごすスキルは伊草より俺のほうが高い。
伊草は俺ほど我慢ができず、だんだんと橋花の扱いが雑になり、果てにはブチ切れ、よく喧嘩になっていた。
俺がいないときはその頻度が高い。
……まさに、ご愁傷様である。
で、そんな橋花・俺・伊草の3人は、1年のクラスでいっしょになり……。
席が五十音順だったために、まず、前後に並んだ橋花と俺が、5月から少しずつ話すようになって、仲良くなった……という経緯だ。
伊草と俺たちの距離が縮まるのは、その数ヶ月後、9月の調理実習で同じ班になってからである。
当時は多くの例に漏れず、橋花も、伊草の超絶強面ぶりにびびりまくり、先に伊草と仲良くなった俺を盾にしながら接していたのだが、とあることがきっかけで、ヤツと伊草は殴り合い、罵り合いの大喧嘩になり……。約1名、必死に仲裁に入った俺という善良なる市民までぼこぼこにするという被害を出しながら、【雨降って地固まった】のだった。
けっきょく、それ以来。ふたりは遠慮なくものを言い合い小突き合い、ある意味俺よりも、仲良くなっていまに至っている。
◇
そんなふうに、伊草がダチになるまでは、俺の友達はこの橋花ひとりだったわけだが……。橋花のほうも同じで、高校入学後から現在まで、校内に友達は俺と伊草しかいない。
要するに、ぼっちの集まりというわけだ。
俺の場合は、どうも【ぱっと見の存在感】が薄いらしく、黙っていても人が寄ってくることはなく……、かといって、自分から積極的に話しかけていくほどでもないので、なにかのきっかけがないと、友達を増やすことは、昔からできなかった。
小・中学校と違い、高校は同じ偏差値の者が集まっているため、過去の9年間と比べれば、その人間のタイプが、ある意味似通っていて、うちのような偏差値が高くも低くもない学校では、どちらかというと一般的な生徒が多く、オタクにしても、おとなしいタイプにしても、不良系にしても、運動系にしてもリア充系にしても……極端な個性を持った人間は、少ないように感じた。
いままでできた俺の友達は、妙に絡んでくる変わり者が多かったから……、高校はそういう人間が少ないという点でも、自分で動かない限り、なかなか新たにできにくいのは分かっていた。
なので幾らか動いて数人と仲良くなりかけるも、そいつらに、俺より気が合うヤツらがほかにでき、離れていく……というパターンが続いて5月になり……。こりゃあぼっちかな、と思っていた矢先、橋花に話しかけられたのだった。
さいしょは、《なんでこんなリア充っぽいのが、俺に話しかけてくるんだ》《しかもアニメの話で。もしかして、見た感じで、俺に合わせて話題をチョイスしたのか?》と、若干不愉快、怪訝に思っていたが……。まさかそれが素で、近い未来、合わせるのが俺のほうになるとは……。人は見た目だけでは分からないということを、つくづく思い知らされた。
あまり注意して見ていなかったけれど、それでも橋花が、入学直後から女子にキャーキャー言われている様子や、同じようなイケメン、リア充だろう男子たちに声をかけられていたのは知っていた。
しかしそれも、4月の終わりごろになるとなくなっていたので、不思議に思っていた。
あとで聞いたら、
「勝手に寄ってきて、勝手に離れていった。いつものことだよ」
……と、漏らした。
◇
たぶん見た目のイメージで寄ってきたヤツらは、橋花の中身に、【イケメンのアクセント】とか【ギャップの魅力】とかいう形容では収まらない、【根本的に、自分たちとは違うなにか】を、感じて、離れていったのだろうと思う。俺への説明を終えたあと、黙り込んだ橋花の表情からは、失望と悲しみの色が浮かんでいた。
しかし、いっしょにいなかったときは、そんな事情は知らなかったので、クラスのヤツらとの付き合いは、自分からスルーして、学校外とか別のクラスで、【もっとイケてるグループ】とつるんでるんだろうと思っていた。
昼休みに抜け出していたのも、放課後さっさと帰っていたのも、そいつらと会うためにと。
けど実は、橋花は、昼飯もずっと、外でひとりで食べていて、放課後もひとりで帰っていた。
「……でさ~、土曜に始まったヤツ! 『ぽん・ぽこ奇譚』っての。……あれもなかなかだったろ!? 可愛いをよく分かってる!! メイるるコンビの本領発揮だったよな!」
右から、左から、正面から。笑顔のハイテンショントークは止まることを知らず、俺は適度に相づちを打ちつつ、ときには「うるさい!」「音量絞れ!」とさすがにたしなめつつ、自分の意見も言い、歩きながらの会話を楽しむ。
うざったい面はあるものの、好きなことを一生懸命話すヤツは、嫌いじゃないからな。
それは伊草も、同じだった。
橋花ほど濃くないにしても、俺も漫画やアニメは好きだったし、伊草も漫画好き。
そして、橋花はオタク寄り、伊草は硬派寄り、俺はその間くらい……と、細かい好みは違えど、熱い物語好き、ハッピーエンド好きなのも同じだった。
だから、ただぼっち同士が行き場なくつるんでいるわけではなく……。
なんだかんだで、俺たちは馬が合ったのだ。
◇
そうして、じっさいの時間は5分ほど、体感としては15分ほどの移動を終えて、俺たちは屋上手前の踊り場へとやって来た。
頭上の、屋上へ出るドア窓から漏れる午後の光が、階段を滑るように伸びて、ちょうど真ん中に落ちている、広さにして3畳ほどの狭い空間。
たまに、屋上へ出入りするカップルや不良が通り過ぎて行く【通路】。
冬は寒く夏は暑い。……しかし不思議と落ち着ける。
……ここがいつもの――。
俺たちの【憩いの場所】だった。
◇
「……おっせーんだよタコスケども。瞬間移動くらい習得しとけってーの」
真っ赤な髪で強面度が倍になった友人その2・伊草が、階段の1段目に腰掛けて、漫画雑誌をめくりつつ、空いた手でコーヒー缶を持ち上げて、俺たちへ駄目出しする。
そんなあおりをスルーして、俺はヤツの斜め前の壁にもたれて座るが、橋花は、伊草の正面へ、でかい体をおろしつつ、
「俺が瞬間移動を覚えたら、まっ先にお前をボコりに行くね! 『見えるか? これが【領域外】の能力というものだ』って言いながらな!」
と、ドヤ顔で指を差す。
果たして伊草は、「オタクはきめえなあ……。あーオタクきめえ」と言いながら立ち上がり、急にジャンプして橋花の体を飛び越えて、バックを取ると、
「気づかなかったか? ……俺が手加減していたということに。……これが【100%】の力だ」
と、首に手刀を突きつけた。……どっちも阿呆だが、通常運転だ。
「……あっぶ……!! おいコラお前!! 間違って俺の顔蹴飛ばしたらどうすんだよ!!」
「俺のスーパー運動神経をあなどるんじゃねえよ。つーかもし当たってもちょっとデコが赤くなるだけだろ。面白かったからいいじゃねえか」
「ざっけんなぼけ!! ……これだから人間になり損ねた猿は……!! おい緑川、この前通販で買ったっていう首輪、あれ持ってきてないか!? コイツにつけとけ!!」
「首輪ぁ? なんでそんなもん買ってんだよ。……もしかしてお前、そっち系の趣味が……」
「ねーよ!! じいちゃんに頼まれたんだよ!! 知り合いの飼ってる犬用・だっ!!」
慌てて俺はまくし立て、伊草を所定の席へ引っ張り戻す。
ヤツはぶつくさ言いながら、俺が弁当包みを解き始めたのを合図に、自らもコンビニの袋からサンドイッチを、橋花はポケットから黄色い箱を取り出して、
「「「いただきます」」」
と、同時に手を合わせて、言った。
◇
「……確か今週は飯当番、お前だったよな。じゃあ分けてくんなくていいわ」
伊草が、人の弁当箱をのぞき込み、厚かましい上失礼極まる台詞をはく。
俺は舌打ちして、ヤツのサンドイッチへかぶりついた。
「あっ!! ……損害賠償もんだぞコラ!! やっぱそのハンバーグ寄こせ!!」
手づかみで、俺から貴重なおかずを一品奪う。
そして、
「まーふぁーはな! まーふぁー。……精進ふぃろよ!」
そう、もぐもぐしたまま、偉そうに論評を垂れた。
……くそ、やっぱじいちゃんの飯を食わせたのが間違いだった。
「……まあでも、いいよな緑川は。交代交代つっても、作ってもらえてよ。……うちなんか、兄貴も姉貴も料理人なのに、『なーんで家でまで料理しなきゃなんないんだよ』『家はくつろぐ場所でしょ?』つって、家の飯当番は、俺にずっと押しつけるし……」
伊草は顔をしかめて、サンドイッチにかぶりつき、
「だから自分の弁当なんて作ったら、『僕のも』『私のも~』ってなるからな。……意地でも作ってやらねえ!」
……と、一気にひとつ、食べ終わってしまう。
伊草と俺が仲良くなったのは、まず、俺がヤツの見た目をまったく怖がらなかった、ということがあるけれど、きっかけとして、ともに自炊をしていたということがあった。
調理実習で会話が続き、【次】へつながったのも、そういうことなのだ。
俺はため息をついて、不幸な友人に、アスパラを一本差し出した。
ヤツは、「サンキュー」と言い、それを指でつまむと、タバコをくわえるように、口へはさんだ。
「……つーか眼鏡。お前はまーた金欠か? きのうもそれだけだったじゃねえか」
伊草は、アスパラをひと口で食べたあと、栄養バランスのとれたスティック菓子をぼりぼりやる橋花に声をかける。
橋花は、何度か口を動かしたのちに、うなずいた。
「今月はブルーレイやらフィギュアやら、発売日が重なっててさ。金はそっちに全まわし。……なんか知んないけど、俺の好きな作品の発売日って、重なること多いんだよな~。嫌がらせかと思うよ」
肩を落とし、かぶりを振る橋花。
俺と伊草は、〈重なるっていうか……〉〈量が多すぎるからだろ〉と、目で言い合ってから、発言をスルーする。
しかし、それを察したのか、橋花は伊草の缶コーヒーを奪い一気のみ、さらには俺のステンレスボトルまで勝手に開けて、お茶を飲んだ。
「……っぷふぁ~!! ごっちそうさん!! ……ってことでお前ら、きょうは大事な話があるんだよ」
俺や伊草が怒る間もなく、とつぜん、橋花は言い出した。
果たして伊草は、「はあ……?」と顔をしかめ、俺は半眼になって声を漏らす。
「……なんだよ。言っとくけど、『アニ鑑vol.7』はまだ開催すんなよ。この間、6やったばっかなんだから」
『アニ鑑』。
正式名称は、『アニメ鑑賞会』。
その、まんまなタイトルの催しは、主に月1、2回、基本土曜の晩から日曜の朝にかけて、橋花の自宅マンションにて開催される、ノンストップで橋花お勧めのアニメを見続ける会である。
海外出張の多い橋花の母親が買ってくる、外国の珍しい菓子類をエサに、俺と伊草が引っかかったのが始まりで、以後、なんだかんだ文句を言いながら、お気楽な週末だべり場として、俺たちは集まり続けていた。……が、少しは間を置かないともたない。なぜかは言うまでもないだろう。
「違う、違う。それは来週末の話だから。……次のアニメはすごいぞ~? お前らもきっと気に……じゃなくて! ……夢のことだよ」
「……。夢……、って。将来の夢とかか? 急に真面目な……」
俺は瞬き、橋花を見返した。
伊草は、橋花が飲み干した缶を空き袋に放り込み、怪訝な顔をすると、
「まだ進路とか早いんじゃねーのか。俺はなんも考えてねえぞ」
袋を縛り、丸くなったそれを、バスケのシュートよろしく壁へ放り当てる。
跳ね返った袋は、俺たちの間に落ちた。
「お前ら、鈍いなあ……。そっちじゃな・く・て! 寝るときに見る夢のことだっーの! 金曜日に、ちょっと変わった夢を見たからさ」
「……悪夢か?」
伊草の問いに、橋花はかぶりを振る。
「んじゃ、どっちかっていうと、いい夢なのか」
俺の発言に、橋花は首を傾げた。
「……んだよ、もったいつけんじゃねーよ。言っとくけど、俺は落ちのねー話は嫌いだからな。……つまんねー内容だったらコーヒー代返せよ」
伊草が、形の崩れた袋を拾い上げ、橋花へ投げる。
ヤツは、それをでかい手のひらで受け止めて、そのままお手玉のように、ぽん、ぽん……と遊び、何度か繰り返したのちに、自分のかいたあぐらの上へ落とした。
「つまんなくはない。だけど笑える話ではないな。……少なくとも、俺にとっては」
橋花は、そうつぶやくと……。
俺と伊草の目を交互に見てから、
「お前らさ、……予知夢……、……って。――信じるか?」
……と、言った。




