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第18話 家

 それから――。


     ◇


 俺たちはグラスへ触れたり、座り方を変えたり……。

 目を合わすこともなく、言葉を交わすこともなく、ただ窓からの風と光を受けていた。


 その、言葉のない時間、包まれた空気は……。

 昔と姿や、過ごす場所が変わっていても――。


 かつてふたりで居た時間ときと、確かに同じものだった。


     ◇


 やがて時計を見ると、彼女の、夕飯の時刻だと聞いていた5時半に迫っていたので、俺は立ち上がり、帰ることを告げた。


 おばちゃんは予定より遅く、まだ帰宅していなかったが、きょうの食事はすいちゃんが当番で、もう下ごしらえを済ませているので、すぐできるという。

 なのでたぶん、このままいたら、おばちゃんと出くわして、「食べていきな!」ってなるに決まっていたから帰ることにした。……水ちゃんの手料理も、もちろん食べてみたかったが、きょう、緑川家うちはじいちゃん特製、唯一無二の極上チーズカレーだからな。

 それに……。


「これからいっしょに食べる機会は、たくさんあるだろうし」


 と、俺は、玄関で靴をはいたのち、水ちゃんに言った。

 水ちゃんも、それが分かっていたので、引き止めることはなく、


「ですね。いつでも来てください。……私も……、うかがいますから」


 そう、やわらかな笑みで返した。


     ◇


「……――さってと! ……じゃあまたね。……なにかあれば携帯に……、って。……そうか……」


 俺は、スマホを取り出して、はたと気づいた。

 彼女は、疎遠になる前、携帯電話を持っていなかった。


 おばちゃんは大の電話嫌いだったし、水ちゃんのお母さん……、ひかりおばさんは、電話嫌いということでなく、『高校生になるまで、水に携帯電話を持たせる気はない』、という教育方針かんがえで、水ちゃんにが欲しがっても、がんとして聞き入れなかったのだ。


 だからいまも、持っていないはずだ。

 受験で大げんかしたって言ってたし。

 ……あのおばさんが、折れたとは思えない。


「……まあ、いいか。とりあえず俺の電話番号だけ……。ガラケーのときのしか、知らないだろ」


 と、俺が鞄をまさぐって、ノートと鉛筆を取り出そうとすると……。

 目の前に、開いた手帳のようなものが差し出された。


「……。――……えっ?」


「スマホ、あります。……番号と、メールアドレスはこれ」


 そう言って、呆然とする俺に、再度画面を見せてきたので、俺は慌てて登録し、自分のも見せる。

 彼女は慣れた手つきで、水色の手帳型ケースに収められた通信機器へ、俺の番号とメアドを入力した。


「……なにかあれば、ということですけど……。用事があるときは、直接伺うことが多いと思います。あまり電話は、好きではないので。それに家だと、おばあちゃん、電話してると怒りますから」


 手帳を閉じて、ブレザーのポケットへしまう。

 電話が好きじゃない、か……。

 昔は俺の携帯を見るたびに、すごく欲しがってたんだけどなあ……。

 おばちゃんの影響か、似てきたのか……。


「分かった。なら俺のほうからも、あまりかけないで、直接来ることにするよ。……でもよく、おばさんが許してくれたね。確か、高校生になるまで許してくれなかったと思うんだけど」


「……家を出たから、持たされたんです。私が携帯に興味なくなったのは、母に監視されてる気がするのも、ちょっとあります」


 唇をとがらせて、ポケットを触る。

 ……そうか。そりゃ、心配だよな、おばさんとしては。


 いくらおばちゃんの家とはいっても、親元を離れることになったんだから。

 まだ中学生になったばかりだし。心配しないほうがおかしい。


「『……まだ中学生になったばかりだし。心配しないほうがおかしい』。……とか。思いましたか」


「えっ!? いやいや、いや! ……別にそんなことは!! ……いや~水ちゃんもとうとう携帯デビューかって、そう思っただけだよ! はははは!!」


 超能力者かよ……。……恐ろしすぎる。

 これは前以上じゃないのか。

 うかつな言動は控えないと……だな。


 水ちゃんは、腰に手を当てて半眼で、俺を訝しげに見ていたが、やがて息をはいた。

 俺は、その吐息に合わせるように、息を吸うと、少しだけ間を置いて、言葉を放った。


「……えっーと。いまごろなんだけど、さ。……実は、アイツ……。夕凪ゆうなぎから……。伝言があって」


 水ちゃんは、わずかに目をおおきくする。

 俺はしばたたき、しずかに告げた。


「水ちゃんを、俺の妹って呼んだこと。『謝ったけど。…謝っておいてね』……って。そう言ってたから」


 少しばつが悪そうに、俺は頭をかきながら、目線を外す。

 すると、ちいさなため息が耳へつたう。


「伝言。確かにうけたまわりました。……言いたいことはありますけど。あなたに言っても仕方ないですし」


 腕組みをし、眉をひそめて横を向いていた。

 俺は頭の手を、首へ移し、苦笑いして言った。


「……あのさ。いちおう言っておくけど。アイツは性格っていうか……。そんな、めったに人を怒らせるようなことを言うようなヤツではないんだよ。……アイツのこと、嫌いって言うヤツ聞いたことないし。……友達も多かったしな」


「問題は、私がいつ、なにを言われたかです。性格がよくても、友達が多くても、それが私の、あの人に対する印象を変えることにはなりません」


 きつい半眼のまま、ものすごい正論が飛んできた。

 う、うかつなことを言わないと決めたとたん、これか……。


「なによりあなたがあの人をかばっているのがムカ……、不愉快ですね。……これも、言ってもあなたには分からないでしょうけど」


「……あ、……と……。すまん。……分かりません」


 もはやうなだれるしかなかった。

 何度目かの呆れた吐息が、俺の鼓膜を震わせた。


「……別にいいです。それもおいおい……。とりあえず、きょうはこれを」


 水ちゃんは、そう言って、そばへ置いていた白い紙袋を持ち上げて、俺に差し出した。


「……これは?」


「誕生日プレゼントです。……ほんとうは、今朝、渡すつもりだったものなんですけど」


 と、また半眼になり、袋を持つ手を俺へと突き出す。

 ……そういえば。

 風羽ふわが来たとき、家からなにか持ってきていたような……。


 そんなふうに、朝の様子を思い出そうとしていると、冷たい光が俺に向けられていた。

 ……あ……。しまった……。

 風羽のこと、なにも説明してなかった……。


 今回呼び出されたのは、アイツの件じゃなかったからすっかり忘れてたけど。

 これは、なにか言わないとまずいよな……。


「あー……。朝……、のアイツは、さ……。た」


「うそですね」


 ――まだなにも言ってねえ!! 断定が早すぎるだろ!!


「……別にいいですよ、【いまは】。朝の様子だと、かんたんに話せるような感じではなかったですし。……あと、『ただのクラスメイト』って言いまわし。私の嫌いな【説明いいわけ】のトップ10に入るので。今後は使用を控えて下さい」


 槍のように尖った光が、俺に突き刺さった。

 ……俺は黙ってうなずいた。


 そしてしばらく、槍に加えて、針のように細かい視線がちくちくと飛んでは刺さりしていたが、やがてそれらがふっと消えて……。

 手に重みが加わった。


 見ると、水ちゃんが、ちいさな子へ持たせるように、その華奢な手で、自分よりひとまわりはおおきい俺の手を包み込んで、しっかりと紙袋の持ち手を握らせていた。


「……あっ、――ご、ごめん! ありがとう。……帰ったらすぐ開けるよ。楽しみだなあ。……なんだろう」


 慌てて言い、紙袋をかかげて示す。

 水ちゃんは、そんな俺の顔をじっと見たあと、紙袋を指差した。


「中は本です。ライトノベル。加々美かがみこうの新作と、私のお勧めの新作本を幾つか」


「……。……えっ?」


 俺はしばたたき、口を開けたまま、ゆっくり目を落とす。

 紙袋の口からは、青い包装紙と、あかいリボンがのぞき見えた。


「みど……、……せい……、さん。は……。好きだったでしょう? あなたは、本は、発売してすぐ買う人ではないから、大丈夫と思ったのですけど……」


 気がつくと、水ちゃんの顔が間近にあった。

 俺はその、わずかに輝きの落ちた瞳を見てすぐ、一度、唇を上げて、かすかな笑い声を二度、出してから、おおきくうなずいた。


「……買ってない。ちょっとさいきん、ラノベから離れてたから……。そっか……。加々美先生の新作……。……情報、拾い損ねてたよ」


 俺は何度も首肯して、ちらちらと紙袋へ視線をやって、それから水ちゃんに笑顔を向ける。

 果たして水ちゃんは訝しげになり、口を開いたが、外で車の止まる音がして、唇をゆっくりと閉じる。

 それから、少し間を置いたのち、


「……もし、面白くなかったら、教えて下さい。それらは引き取って、また別の本を渡しますから」


 と、再び、しずかに発した。

 俺はおおきくかぶりを振って、苦笑した。


「それはないよ。加々美先生の新作に……、水ちゃんのお勧めだろ? 確かだろうし……、ってか。たとえ面白くなくっても、返すなんてことは絶対ない」


「プレゼントだから……。気を遣って、ですか? 別にそんなことは……」


「違う。水ちゃんがくれたものだからだ。……いままで俺が、返したことあった?」


 俺は笑顔で、彼女の胸を指差した。

 水ちゃんは、目をおおきくして、やがて息をはいた。


「……ないですね。貸したものすら、言わないと返ってこなかったし。……ほんとう、なにも変わってないんですね」


 きょう何度も目にした呆れ顔で、腰に手を当てて、彼女は言って……。

 やがて声を出し、おかしそうに……笑った。


     ◇


 外へ出ると、帰宅したおばちゃんが、向こうのガレージでなにやらごそごそしていたので、俺は坂木さかき家食卓への強制連行&長話を避けるべく、水ちゃんと指を口に当てたのち、細心の注意を払って自転車を押して抜き足差し足、熟練の忍者のように門を抜け、坂木ていを離れた。


 そうしてほどなく、俺の携帯に届いたメッセージは、《チョコやケーキ以外に食べたいものがあったら、考えておいて下さい》だった。

 俺は歩きながら、指を素早く動かして、言葉を返したあと、携帯をしまい、唾を飲み込んだ。


     ◇


 時刻は5時45分。

 空はまだ、青い光をたたえていた。


 冬だったなら、もう暗くなり始めている時間。

 これからはもっと日が長くなる。

 一日が長くなっていく。


 俺は、自転車を手押ししながら、車輪がまわる音と、歩くリズムを合わせるようにして、路地を進んでゆく。

 そして、ゆっくり後ろへ流れていくアスファルトと、流れずにずっとある、前かごに載せた自分の黒い帆布はんぷ鞄と、……白い紙袋を、ぼんやりと目に入れたあと。水ちゃんの笑顔を思い出していた。


 彼女の誕生日は、1月。

 もうかなり過ぎてしまったけど……。プレゼント、買わないとな。

 昔なら、リクエストがあったから、ある意味楽だったんだけど。

 いまはどんなものが好きなんだろう。


 きょう一日。

 会って、見て、話した水ちゃんの姿や、部屋の様子を思い浮かべる。

 見た目はそれほど変わっていないけど、携帯に興味がなくなってたし、趣味は変わっているだろう。


『らっぴる』のカードは、もう処分してしまったのかな。

 それだと少しさみしいな。

 いや、あんなに好きだったんだから、もしかしたら、口でああ言っているだけで、押し入れとかに大事にしまっているのかも……。

 けどまあ、怒る可能性大、だから。念のため、『らっぴる』関連のグッズはなしだな。

 プレゼント、か……。


 俺は再び、紙袋へ目をやった。

 そしてじっと、中の包みを見やり……。

 その奥に包まれた存在へ思いをせる。


     ◇


 加々美香。


 年齢、性別、姿不詳。

 デビュー時から、一貫してライトノベルを手がけている。


 小学校4年のとき、じいちゃんのやっている古書店で見つけた、俺がラノベを好きになったきっかけの作家だ。


 彼(?)はその当時から、すでに作家としてはベテランで、執筆ジャンルは多岐たきにわたるが、面白いことに、なにを書いても、読んだ印象がほぼ同じで、個人的な感想を言うならば、『透き通っている』……だった。

 面白いことは面白いのだが、俺がファンになり、ずっと読み続けていたのは、その涼やかで晴れ晴れとした透明感が主な理由だった。


 世界は美しい。そして悠然ゆうぜんと、ただ存在し続けている。


 昔はそんなことを、言葉にできなかったけど、のちのち、そんなふうに彼の本の印象をまとめた。

 新作が出れば、必ず読んでいたが、3年前に発売された作品以来、ぷっつりと音沙汰がなくなった。


 で、それに対し、俺は……。

 なんで出ないんだ、と思うよりも、まあ、そのうちに出るだろう……という態度で、いつしか彼の本のことは、頭に浮かばなくなっていた。

 けれど、それは決して、興味がなくなったからではない。


 俺にとって、彼の本は、もはや読まなくても、世界に存在していることが当たり前で、その存在しているだけで、同じ世界に在るというだけで、よかったからだった。


 そのくらい、好きな作家だった。

 今後、新作がなくても、俺にとっての価値や意味が揺らぐことはない。

 もちろんあるというなら、読みたいと、とうぜん思う。


 ……。しかし……――。


     ◇


「……。……なんで……んだよ」


 ひとりごち、息をはく。

 目は水ちゃんがよくするような、半眼になっていた。


 水ちゃんと1年ぶりの再会。

 2年ぶりの、懐かしく温かな時間。

 そして、3年ぶりの……お気に入りの作家の新作。


 ほんらいなら、嬉しいことずくめだった。

 だがいまは、素直に喜べるような心持ちではなくなっていた。


     ◇


 俺は、自転車を止めて、携帯を取り出し、連絡先を開く。

 そこのいちばん下には……。先ほど追加した【水ちゃん】の番号があった。


 連絡先は、基本的に五十音順で並ぶ。

 なので自分の好きなように並べるときは、ふりがなをいじる必要がある。


 いちばん上。自宅の電話には【あ】。

 2番目。じいちゃんの携帯には【い】。

 3番目の、じいちゃんの店のは【う】。

 次の、ダチの伊草いぐさは【え】。

 同じく橋花はしはなは【お】。


 電話が大嫌いなおばちゃんの番号はない。

 水ちゃんと疎遠になる前、その自宅の番号を入れていたのは、ガラケー。

 スマホになってから、なんとなく登録し直すのを躊躇して、いまに至っていた。


 なので、俺の高校生活における連絡先は――。

 この【あ】【い】【う】【え】【お】で終わるはずだった。

 でも……そうはならずに。


 橋花の下には、カタカナの名前。

 ふりがなは【か】。

 登録名は、……。


 ……【ファレイ】。


     ◇


 その見慣れない、ネットのハンドルネームのような名前は……。

 高校入学時から2年連続同じクラスで、現在は隣の席に座る女生徒のものだった。


 長い前髪と、それと対称的な、白い首筋が見えるほどの、黒のショートヘア。

 黒曜石の輝きを放つ切れ長の両眼と、すらりとした見事な肢体したいは、どこか現世離れした神秘性があった。


 彼女は人との交流をあまりしない。

 しかし圧倒的な美貌と独特の空気感によって、誰もが無視できない存在となっている。


 皆の高嶺の花。

 密かなあだ名は、ガラスのバラ。

 または、ポーカーフェイス・ビューティ。

 

【ファレイ】とは、そんな彼女……。


通名つうめい風羽怜花ふわれいか】の【本名】だった。


     ◇


 ファレイは3日前の金曜日。

 俺の誕生日に現れた。

 そして、俺にとっての真実だという事柄を告げた。


 俺は別世界である魔法界で、258年生きた魔術士で……。

 17年前に、自らの生み出した魔術によって、人間の赤ん坊へと姿を変えて、人間界ここへやってきたのだと。


【本名】は【セイラル】。

 そして【ファレイ(自分)】は、【セイラル(おれ)】の従者であり、同じく魔術士であると。


 そんな非現実的な事実を、さいしょは淡々と、のちに俺の狼狽ろうばいを受けて慌てふためき、熱っぽく……。おそらくただならぬ感情を抱く【セイラル(おれ)】に対して、真剣に伝えた。


 俺はそれを、現実とは認めきれないまま、しかしアイツの言葉にうそはないことは分かったので受け入れるという、複雑な状態のまま、心に置きとどめていた。


 ……ファレイの説明の際、【セイラル(おれ)】自身が転生する前に残した、魔術によって作成したというメッセージ映像を示されたが……。

 その中で、【セイラル(ヤツ)】がなぜ、姿を変えてまで人間界こっちへやってきたかが語られていた。


 キーワードは、【ライトノベル】。

 それ以上は、いまは思い出したくもなかった。


     ◇


 俺は、【ファレイ】の下にある、【水ちゃん】の文字を見つめた。

 ふりがなは、【き】。

【あ行】で終わるはずだった、俺のスマホの連絡先で……。

 ……【か行】が、始まった。


 連絡先が増えるのは、嬉しいことだ。

 それが社交辞令での登録や、義務的なものではないなら、なおのこと。

 クラスじゃぼっちで、友達もふたりしかいないけど、俺だって、好きでそうしているわけではないから。


 ……だけど……。


     ◇


――……もうひとつ。……もし、もし俺が……あんたの言うような……だったとして。ややこしいことが起こる可能性は。……危害が加わるような――



――……ないとは言い切れません。あなたは特別な存在でしたから……――


     ◇


 ファレイは言った。

セイラル(おれ)】が、魔法界では、【魔神】と呼ばれる世界最強の魔術士だったと。


 そんな【セイラル(おれ)】は、ある日とつぜん消息を絶って、生死不明の状態であったが……。

 いま、魔力がよみがえり、とつぜん人間界で復活した状態にあると。


 そして、それが【セイラル(ヤツ)】に興味を持つ、魔術士たちに関知されれば……。

 最悪のことが起こる可能性もあると。

 それはそのまま……。俺のみならず……。

 俺に関わるすべての人間にもるいが及ぶことを意味していた。


 ファレイが言うには、【万にひとつの可能性】。

 ほんとうに、わずかなものらしかったが……。ゼロではない。

 なのでもし、なにかが起こりうる、誰かがなにかを及ぼすならば……。


     ◇


――私がすべてをちます。――生命いのちをもって――


     ◇


 そう、ぶれることのない、まっすぐな心で――。


 つよい表情かおで、ファレイは俺へ伝えた。


     ◇


 その言葉は、おそらく、【緑川晴おれ】の知らない、【ファレイ】と【セイラル(ヤツ)】の関係にもとづくもので……。

 いまの俺には、想像の及ばないものだった。

 ……だが、そこへ俺は、その関係せかいへ――。

 踏み込んでいかなければならない。


 不可解で理不尽な現状を、少しでも解き明かし、俺にとって大切な日常せかいを守るためでもあるが、それ以上に――。

 ふざけた理由で、すべてのことを放り出し――。

 あれほど【自分】を慕うファレイを泣かせたクソ野郎の首根っこを、捕まえたいからだ。


 この気持ちは、単なる同情心や、ヒーロー気取りの正義感では決してない。

 ファレイの言うように、確かに【セイラルヤツ】が俺ならば――。

 それは……。


 すべて俺の責任だからだ。


     ◇


 けじめは自分でつける。

 そして……。大切なものは、自分の手で……。

 温かな存在ものは……。俺を育んでくれたすべてのものは――。

 俺が守るんだ。


 17年間、【緑川晴みどりかわせい】として生き、幸せを与えられてきた俺が――。


     ◇


「……あ、……い、……う……、え、お。――か、――き――」


 子供のように、おおきく口を動かして、空へ向かって早口でまくし立てる。

 そばを通り過ぎた小学生たちが、そんな俺を不思議そうに振り返る。

 俺は、彼らが角を曲がったと同時に、スマホをポケットにしまい込んだ。

 それから、自転車へまたがって、軽いステップで地面を蹴り、先ほどの子らと反対側の角を曲がってゆく。


 そうして、でこぼこのアスファルトで、ときおり跳ね上がりながら、ほどなく見慣れた門の前へ。

 俺は自転車からおりて、スタンドで止めたあと、古びたそれに手を触れた。


 そのとき――。


     ◇


――……。ここって、緑川が生まれた家……? ――


     ◇


 ふいに風が、後ろから耳をかすめてくる。

 自転車の前輪が、わずかに揺れて、俺へ寄った。


 俺は、耳に触れたあと、ぼんやりと、門の向こうを見やる。

 しずかに閉じられたドア。

 まだじいちゃんは、帰っていない。

 でも、どびきりの香りが、かすかに鼻をくすぐる。

 たぶん、極上の夕飯には、すぐにありつけるだろう。


 昔から変わらず……。

 ……これからも変わらず。


 いつものように――。


     ◇


 俺は、門を押し開いた。

 それから、自転車のスタンドを蹴り、ハンドルを持って……。

 しずかに中へ入ると……――、


「……――ただいま」


 そう、つよくつぶやいて、片手でハンドルを持ったまま……。


 もういっぽうの手で、びた門をゆっくり閉じた。

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