第12話 消えた言葉
「晴坊。ちょっとおいで」
うちにきていたおばちゃんが、にかいからおりてきたぼくを、よんだ。
よるごはんをたべる、たたみのへやから、ろうかへかおをだして、てを、こいこいしている。
ぼくはだまって、あるいていって、へやにはいった。
「ほら、可愛いだろ~。もう、歩けるんだよ」
おばちゃんは、そういって、だっこしていた、ちいさいこを、たたせた。
しろいふくをきた、そのこは、にこにこしながら、こっちをみている。
ぼくは、おばちゃんにきいた。
「だれ? おばちゃんのこ?」
おばちゃんは、わらった。すごくおおきなこえで。……なにがおかしいんだろう。
でも、となりのじいちゃんが、おなじようにわらうと、おばちゃんはじいちゃんをたたく。
なんでだろう。
「っとに失礼な男だ……。やっぱり晴坊は私がみっちり教育しないと、不良になっちまう。これからよく来るからね!」
じいちゃんはいやそうなかおをした。それから、ぼくにいった。
「……この子はなあ、水ちゃんといって、おばちゃんの孫だ。覚えてないだろうが、お前がまだよちよち歩きのとき、おばちゃんの娘さんと会ったことがあるんだぞ。その子の子だよ」
「……おばちゃんの、むすめの、こ?」
「そうとも。おばちゃんとか言ってるが、どっこい! 真実は、おばあちゃんなの……って!」
またじいちゃんがたたかれた。おばちゃんは、じいちゃんにいっぱいわるぐちをいって、じいちゃんは、さっきみたいに、いやそうなかおをして、めをつむっていた。
そのとき、ちいさいこ……、すいちゃんが、ぼくのほうへあるいてきて、シャツにつかまった。……っ!
「じ、じいちゃん……。こ、これどうするの? ……って、うわっ!!」
すいちゃんは、ぼくのシャツで、よだれをふいた。
なんかいもふいた。
か、かってもらったばっかりのふくなのに……!
「あっはっは! これは洟も拭かれるね! ふたりとも! ちょいそのまま動くなぁ~……?」
おばちゃんは、かばんをひっぱって、なかをごぞごそして、カメラをだした。
それで、ぱしゃぱしゃ、ぼくたちをとった。
そ、そんなことより、このこ、なんとかしてよ~!
……じいちゃん!
ぼくは、じいちゃんをみた。じいちゃんも、けいたいでんわで、ぱしゃぱしゃ、おなじことをしていた。
……さいあくだ!!
「……ぶっ。なんだその顔は……。……お、洟も拭きだしたな! チャンス!」
「ぎゃー!!」
「動画のほうがよかったね! 宗治さん、カメラ! ビデオカメラ!」
「そこの押し入れに入れたような……。というか携帯でいいだろ。わしので撮ってやるよ」
「やだよ携帯でなんて! 押し入れだね? ……晴坊、水を押さえて! 動くんじゃないよ~!」
「い~や~だ~!!」
◇
「……ってさ。さい悪だったよ。どーせ水ちゃんはおぼえてないだろうけど」
「うそばっかり! わたし、そんなことしないよ! そんなのだめなことだもん!」
水ちゃんは、アイスをぶんぶんふって、ぼくにつよく言う。
ちなみに、ぼくがおんぶしているから、せ中の上でだ。
公園に行ったら、帰りに、いつもおんぶしてって言う。夏は、あついし重いし、つかれる……。
もう、来年になったら、水ちゃんもぼくと同じ小学生だし、絶対におぶらないぞ。
「せいにいは、ぼけてる。わたし、あかちゃんのときじゃないもん。せいにいのおうちにいったの、ほいくえんのときからだもん」
「ちがう。ぼくはおぼえてる。帰ったら、じいちゃんとおばちゃんに聞いたらいいよ。……あーあついなあ……」
「アイスひとくちあげる~! ひとくちだけだよ」
うしろから、手が出てきて、青いソーダアイスが、ほっぺたに当てられた。
――ぎゃっ!
「あ、まちがえた。ゆれてるから! ゆれないであるいて!」
「無理だよ! 一回おろすよ。ちょっとしんどいし……」
ぼくは足を止めて、水ちゃんをおろそうとした。
そしたらばたばたと、あばれだした。ちょっ、ちょっと……!
「だめ~! いえまでなの! アイスふたくちあげるから! ねっ? ……あ、……あっ! おちた!」
「うぎゃ~~~~~っ!! せなっ!! どこに落としてんだよ~!!」
「アイスなくなった~!! あたらしいのかって~!! かってかって!!」
「痛い!! かみ!! 引っぱらないで!! ……あ~もうじいちゃん、助けてくれよ~~!!」
◇
「……。ああ……。そんなこともあったかもね。それより晴兄、『らっぴる』のカード買いに行かない? ポヴィーの中に、コーナーができたんだって! 自転車ですぐだよ!」
水ちゃんは、おれのイスに馬乗りして、ぎっこぎこ、イスと短い髪を揺らしながら、寄ってくる。
おれは、ベッドに寝っ転がったまま、その様子をちら見したあと、読んでいた漫画雑誌へ目を戻して、ため息をつく。
「その自転車は~、だれがこぐんですかね。あと、チャリで30分は、おれの中ではすぐじゃないし、寒い」
きょうは雪も降りそうだし。ストーブがある部屋から出たくない。
だいたい『らっぴる』のことになったら、時間がかかるのは分かってる。
一度うんと言ったら、3時間は覚悟しないといけないもんな。
「細かいな~。だから中2にもなって彼女もいないんだよ。今年のバレンタインだって、わたしからしかもらえないだろうし。……わたしなんてねぇ、去年は、みっちゃんに、くりちゃんに、ぼんちゃんに……。女子だけでも10人くらいだし~、男子からも、3個もらったし! 今年もたくさんだよ!」
「ふーん。ちゃんと歯みがけよ。おばちゃんうるさいからな」
「……。の、り、わる~……。せっかく『リルボーグ』のステッカー、また男子からもらってきたのに。あげるのやめよっかな~……」
おれは、雑誌をめくる手を止めた。
それから、顔を上げ、水ちゃんのおおきな目を見てつぶやく。
「……あれだろ。前みたいな、きらきらしてないヤツ。いいのは、人にあげないもんな」
おれは少し笑い、再び目を落としてページをめくる。
『リルボーグ』というのは、正式名称、『宝玉戦史リルボーグ』。ICカードステッカーの一商品なのだが、買う人の99パーセントは、ステッカーとして使用せず、ただ集めて楽しんでいた。
これはもともと、子供向けのアニメ作品で、その関連商品のひとつとしてカードステッカーになった。……のだけど、本家のアニメが、あまり人気がなくて終了し、ステッカーの販売も終了したあとに、なぜかネット上でステッカーの中古商品が爆発的にヒットしたため、新たにステッカー商品として仕切り直し、シリーズ化されるようになった(ちなみに、アニメのほうも、『ステッカーシリーズのアニメ化』という形で、新作が作られ続けている)。
さまざまな宝石を剣や鎧に埋め込んだ、個性的な剣士たちの、格好いい、カラフルな絵が魅力的で、主に小中学生の男子に人気があったが、その世界観を考察することにはまった高校生や、大人のマニアなんかにもコレクターがいる。
水ちゃんの集めている『魔法少女らっぴる』シリーズは、カード付きのチョコ、というかチョコ付きのカードで、いわゆる食玩だ。
愛らしい天使や妖精のキャラクターが、小学生の女子に大人気。こちらはふつうに、『カード発』で、漫画やアニメ、ゲームにもなっているし、グッズもたくさん出ている。
で、おれは『リルボーグ』シリーズを、小学五年のときから、友達といっしょに集めていて、水ちゃんもそれを知っていたので、何度かくれたことがあったのだ。
前に水ちゃんから、「男子からもらった」というヤツを、もらったのは、『リルボーグ』の中ではいちばん多い、『バァムス』グループの一般兵キャラだった。
だから今回も、その子が、『バァムス』か、ほかグループの一般兵キャラの、だぶったのを水ちゃんにあげたんだろう。
おれだってあげるのなら、そういうものくらいだもんな。
「ううん。よく分からないけど、金ぴかのやつ。よろい着た人が、数字のいっぱい書いてある、青い剣持ってるの。なんだっけ。……ボルグ、なんとか。 そういうの」
「……。なに? ――いまなんて言った」
おれは目を見開き、雑誌を閉じて身を起こす。
水ちゃんは口を開け、戸惑いつつ、言葉を放った。
「や、だ、だから、ボルグ……なんとかだって! ……ええと……、……ほらこれ」
と、襟シャツの胸ポケットから、ステッカーを取り出し、おれに見せた。
それは部屋の明かりをきらきらと反射した、金ぴかの……。
『リルボーグ』第11シリーズ、『ルヴィハル』グループの、ナンバー【666】。
まごうことなく、超・超レア――。
【魔神ボルグ・フォーズ】……そのものだった。
「……マジかよ。……は、ははっ。……すごいよ水ちゃん。とんでもないヤツだぞ、これ……」
おれは興奮を必死で押さえつつ、水ちゃんに言う。
それから、おそるおそる、水ちゃんの手の中にあるそれに、触れようとした。……ら。
ひょいとかわされた。
あ、あれ……?
「……、す、水ちゃん……?」
水ちゃんは、おおきな目を半眼にして、唇の端を上げている。
……や、やばい! この顔は……!
「ふーん……。そんなにすごいのなんだー……。……どうしよっかな~……」
イスに馬乗りしたまま、微笑をたたえ、ステッカーを顔の横で、ぴょい、ぴょいとわざとらしくふってみせる。
おれは嫌な汗を背中に感じながら、なるべく冷静に、そしておだやかに、やわらかな笑みを浮かべながら、話しかける。
「……あのさ水ちゃん。そのステッカーはね、確かにすごい。すごいんだけど……ほら、あれだよ。『らっぴる』のカードで、メーチ……なんとか、ってのがあったろ? あれもすごいらしいけど、おれにはよく分からなかったからっていう……、つまり! 興味ある人にしか値打ちがない! ってこと。……で、『リルボーグ』に興味ある人なんて、日本、いや世界中の人からしたら、ほんの、ほん……っのひとにぎり……っていう、さ。要はぜーんぜん、たいしたことはないんだよ。だから、そんなに重く考えないで……」
「へー……。たいしたことないんだ。……机にはっていい?」
「やめぇえええええええええええええええええええええええええええ!!!!」
おれは声を上げ、ベッドから飛び上がり、そのまま床に落ちる。
水ちゃんは、半眼の度合いをさらにつよめて、微笑を浮かべたまま、淡々と言った。
「晴兄。素直になりなよ。欲しいんならあげるからさ。さいしょからそのつもりだし」
首をかしげ、愛らしい笑みを見せて、しずかに告げる。
……上から。
床にはいつくばるおれは、天使のように見えてその実、悪魔の微笑を浮かべ……、無言であれこれと要求する、ちいさな幼なじみに、言った。
「……『らっぴる』。買いに行こうか。ちょうどおれもポヴィーには行きたかったし……」
「ふたり乗りで?」
「……ふたり乗りで。そのあと、三階のゲーセンで、『らっぴる☆はっぴー』を遊んでもいい……」
「おごりで?」
「おっ、ぐぉり、で……」
「ゲームのあとは、『寒いのに』とか怒らずに、アイスをいっしょに?」
「……よろこんで……、食べましょう……」
「――よし! じゃあ行こっか!! そこまで言うなら、……ね。……しっかたないなあ~……」
と、イスから勢いよく立ち上がり、短いひらひらのスカートを、くるりとまわして方向転換。
そばの姿見で、鼻歌を歌いながら、髪や服を整え始めた。
……お……、おのれ……!
「……あ、ちなみにね。晴兄。このステッカーはー、きょうが楽しかったらあげるってことで」
「……。……はっ?」
床に座ったまま、思わず声をもらす。
すると水ちゃんは、きらきらのそれを、きらきらした笑顔の横に並べて、言った。
「だから最後まで気を抜かないように、ね。……これは、デートなんだから!」
◇
「……。――……えっ……」
おれは、ゆっくりと振り返り、水ちゃんを見返した。
そのぱっちりとした、おおきな目は、3ヶ月前と、なにも変わっていない。
だが、そこに宿した輝きは、よく知っている太陽のそれではなく……。
夜を凍らす月光のように、わずかに揺らぐこともなく、おれを照らし返している。
「ど……、どしたの水ちゃん……。そんな言い方して。……もしかして、学校で流行ってるとか?」
「……なにがですか。よく分かりませんけど」
おれは呆然としたのち、駅から、すたすた歩き出した水ちゃんを慌てて追いかける。
いつものように、水ちゃんを乗せるため乗ってきた自転車を手押しして、駅前の人混みをぬうように進んでゆく。
ようやく隣に並んだのは、近道の路地へ入ったときだった。
「いや……。敬語だよ。『お久しぶりです』とかさ。いまのも……。初めてじゃん、そんなの。だからなにかあるのかなって……」
「別になにも。新学期から5年生ですし。高学年になるので、いつまでも子供みたいになれなれしいのはよくないかと」
おれは唖然とする。
水ちゃんは、速度を落とさずに、路地を抜け、桜並木の通りへ入っていった。
夕暮れの下、ピンクの花びらが舞う。
水ちゃんは、背筋を伸ばし、見慣れない長い白スカートをかすかに揺らして、歩く。
そしていつも、会うなり、自転車の前カゴに放り込んできた、黄色い旅行鞄もきょうはなく……。
見たことのない、ちいさな茶色のリュックを背負っていた。
「なれなれしいって……。昔からの付き合いじゃんか。いまさら……。おれはなんにも思ってないよ」
「そうですか。……でも、そう決めましたから」
振り向かず、淡々と返す。
それで、おれの足が遅くなり、また、彼女の背中が前になる。
おれは、歩みを速めることができないまま……。
何度か口を動かして、その背に声をかけた。
「……あー……。お、おじさんとおばさんは、元気? ちょっと前におばちゃんが、電話で話したら、風邪気味かもって言ってたけど」
「風邪じゃなくて、花粉症みたいですね。でも、たいしたことはないと思います。ふたりとも」
「……そっか。花粉症ってつらいみたいだけど。重くならないといいね」
「はい。……宗治おじさんも、お変わりないですか」
「うん。おれより元気じゃないかな。レシピも増えたし。水ちゃんにほめてもらうため、はりきって作ると思うよ」
「それは楽しみです。荷物を置いたら、ご挨拶にうかがいますね」
水ちゃんは、返事のたびに、こちらを振り返り、笑みを見せる。
おれも、笑顔で返す。
駅へ迎えに行き、おばちゃんの家に帰るまでの会話の内容は、いつもと変わらない。
だがその言葉遣い、歩く速度、位置。
……温度。
距離感は、おれの知らないものになっていた。
「……ああ、それと。今回は、4月3日まで。3日間の滞在となります。……滞在中も、個人的にやりたいこともありますから、あまりそちらへは、お邪魔できないかと思います」
「……そ、そうなんだ。ふーん……。……やりたいことって?」
「すみません。……個人的なことですので」
ちいさく頭を下げる。
おれは、反射的に、かぶりを振って、いや……、と返した。
そのまま、しばらく無言になる。
すると水ちゃんは、足を止めて振り向き、おれの目を見た。
「……そんなに気になりますか」
「えっ……」
「私の話し方。……さっきから、顔がひきつっています」
水ちゃんは瞬かず、言った。
おれは、一度だけ、瞬きして、つぶやく。
「まあ……。いきなりだしさ。……別にいいんだけど」
そう言いながら、ぎこちなく頭をかいて目をそらす。
ほどなく、自転車の子供たちが、わいわいと、そばを走ってゆく。
その騒がしさがとおくなったとき、おれは、黙っている彼女へ続けた。
「おれが、水ちゃんくらいの歳のときは……、相手から注意されない限りは、年上だからって敬語なんて使わなかったし。中学からだよ。先輩後輩ってのが出てきてから。だから違和感があるっていうか……」
「私の周りでは、多いですよ。塾通いの子なんて特に」
「……そうかもね。でも……」
そこで言葉は切れた。
水ちゃんのまとう空気が、おれの喉を締めつけて、奥の声を奪い去る。
彼女は、少しだけ言葉を待って、再び歩き出す。
その瞬間、おれの喉が解放されて、口が動いた。
「……でも、やっぱり――。『子供みたいになれなれしい』っていうのがさ……――」
「……なんですか。『子供みたいに』っていうのが?」
「……。いや……」
「……『じっさい子供じゃんか』、――ですか?」
足を止め、振り向いた水ちゃんは、おれの心を見透かすように、おおきな目をこちらへ向けた。
おれはなにも言えず、ただ、ピンクのシャワーを浴びる、髪の長くなった彼女を見つめていた。
やがて、動かぬおれたちの隣を、車がゆっくり通り過ぎる。
そして、その生ぬるい風が、おれに瞬きを強いたとき、水ちゃんは言った。
「……ともかく。今後はこういう感じですから。また数日間、よろしくお願いします。……それと」
彼女は舞い落ちる花びらへ、目をやってから、おれに向き直り……、続けた。
「これからは、あなたのことも……。……『緑川さん』……と。……そう呼ばせていただきます」
◇
空を、ゆっくり雲が進んでゆく。
あたたかな風は、気まぐれに街へおりるたび、道々の若葉を揺らしていった。
学校を出てしばらくは、自転車に乗っていた俺は、家が近くなってから、手押しに変えて、道の端を、ひとり歩いていた。
乗ればもう、おばちゃんの家には着いていたが、歩きながら水ちゃんに、あのこと……。風羽とのことを聞かれたときのため、その「言い訳」を考えていた。
……のだが……。
俺は足を止めて、ぼんやりとハンドルを見る。
そのとき、ふたり乗りの自転車が横切って、側溝から伸びる草が揺らめいた。
いつの間にか、頭に浮かび始めた、彼女との思い出。
それが、暮れゆく景色と入り混じり、あざやかな色を持ち……。
灰色の、思考すべきことがらを追い出して、心を支配する。
そして、いままではっきりと思い出せなかった、彼女との関係が、変化した日のことが、目の奥に現れた。
◇
水ちゃんが敬語を使い始めたのは、おれが中3になる直前。
2年の、春休みのときだった。
彼女は、俺の5つ下だけど、早生まれだから、4学年下。
だから、小学校4年の春休み以降、ということになる。
その前に会ったのは、冬休み。
とくになにも、変わったところはなく、きゃいきゃいと笑い、騒ぎ、俺を引っ張りまわす、あの水ちゃんのままだった。
彼女の好きな、『らっぴる』のカードを買いに行って、ゲーセンで遊んで、アイスを食べて……。
おばちゃんの家に戻ったときには、真っ暗になっていたので、おばちゃんに、かなり怒られた。
だが、ちいさくなる俺の隣で、水ちゃんはどこ吹く風――。
説教の最中も、1時間かけて選び抜いた末に手に入れた、『らっぴる』のレアカード――【天聖メーチ・メチア】を、何度もこっそりポケットから出しては、にやにやし……。
俺に、いたずらな笑みを向けていた。
次の日も、やはり水ちゃんに引っ張られて、寒い中、公園に行ったり、本屋へ行ったり……。
家ではゲーム、『らっぴる』トークに付き合わされたり、テレビを見たり。
また翌日、翌々日と――。
水ちゃんの滞在中、隣に彼女がいなかった記憶はない。
帰る日も、俺が自転車をこぎ、水ちゃんが後ろに乗って、まるできのうまでと変わりなく、どこかへ遊びに出かけるように、声を弾ませる彼女の話を、背中で聞いていた。
駅に着いてもお喋りは続き、そんな中、切符を買って、改札の前では、写真を撮ったりして。
電車が来たら、「ほらほら、急がないと!」と、俺が慌てて言って……。
水ちゃんが、「ちょっとくらい、待たせとけばいいよ!」と無茶苦茶なことを言い出したのを、たしなめて、送り出し……。
やむなく彼女が、小走りで改札をくぐり抜け……。
その向こう、人混みの中で、こう言った。
「じゃあね、晴兄! また、○%×△……ね!!」
◇
「……。……あれ?」
俺は、瞬き、口を押さえてから、その手を、眉間にスライドさせる。
……なんだ……。最後、なんて言った……。
その前の、たわいないやり取りは思い出せるのに。
距離があったからか?
人が多くてうるさかったからか。
ふつうに考えたら、「また、春休みにね!!」……だと思うけど。
なにか違和感がある。
そうじゃなく、別の言葉だったような……。
「……。なにをしてるんですか。側溝に落ちますよ」
ふいに、頭の奥に声が響く。
顔を上げると、すぐ前に――。
青いブレザー姿の水ちゃんが、おおきな目を半眼にして立っていた。




